岩窟竜王/新居浜祭り

 がんばることにおしまいなんてあるんですか?! ©唐可可

84;ジョージ・オーウェル、ヴァン・ヘイレン

2012-03-11 | 19XX : 回顧シリーズ
ある意味画期的だったと思うのです。3社がビデオを制作して販売し始めました。
古参の日本映像(キネ5へと発展します)、ビデオン、南海ビデオのいわばトリプルトラック化です。そろって川西中心の内容でしたね、南海ビデオとなると(この名称自体からして誤解してほしいのでしょう)作品中途にCFを入れるという首を傾げさせるような作りでした。おまけにCF前にはそのへん(つまり工場前とか大江浜)に居た女子を捕まえて「はいコマーシャル」と言わせていて、わたしどもは頭を抱えて呻ってしまったものでありました。画像や構図は一番きれいだったのでかさねて残念でした。

さてこの頃より絵柄としての祭りがずいぶんあか抜けてきたように思います。ポイントは2点あります、青年段諸氏のジャージの色が違ってきたのがひとつ、明度が上がってきたのです。例に東町をとりましょう、深緑から緑を過ぎて黄緑となってきました。黄緑を使うか、白を下地に深緑のアクセントをつけるか、どちらにしても明度が違います。例えていうと塗り絵をしたら緑の色鉛筆はあまり減らずに仕上がるような具合でしょうかね。下半身が白パンツになってきたのも大きく影響しているでしょう。
もう1点は房です。当時は幕は気にされても房はあまり気に掛けられていませんでしたが、房が白くて太いとよく写る、という事実が発見されてきつつあったと思うのです。この件についてはいつのどこがと具体的に挙げることはできませんが、感覚的に思う次第です。

さて、江口と久保田ついでに大江がからんだ一連の事件にふれます。発端は16日に国際のパチンコ店横でちょっといざこざがあったとか、イーのオーがせかしたとか聞いたことはありますがわたしたちの前でものが見えてきたのは17日工場前からです。
ひと興行終わって病院前へと帰路へつく中須賀西町が横を過ぎていくと(このへん当時を知らない人にはわからない位置でしょうね)江口と久保田が接近していきます(ここがどっちから来たのかがよく思い出せないんです)観客もノーマークで加勢もそんなにいない中、唐突ではありましたが意外(そうなんですよまったく)な取り合わせは面白いものでした。江口付きの警官がマジになって担き夫と殴り合いしていたのもなかなかでした。
これにエキサイトしたのでしょう、江口は翌朝に大江浜を出る前にも久保田につっかけたようです。江口が乗船するのがかなり遅くなったのは憶えています。というか「江口は遅いのぉ何しよんだろか、さっさと来やあええのに」と船上で待ちぼうけしていた、のを憶えているんですがね。つまり何かやってるんだとは多くの人が考えていなかったのです。午後になにかあるとも思ってなかったのですね。

この年一宮は東から入りです、なのでわたしはゆっくりめに市役所通りに到着。してみるとあらぁ久保田が威勢あるなあ、と思ってるうちに。あれよあれよと大江東町を追い抜いて江口の目前に到達します(西原中須賀西町はまだ市役所通りには来ていません、新田はどこにいたんだろううか)、江口はとまどいながらという風情でしたが始まってしまいました。わたしにとっては大人になって初めてのケンカ見物(ですってば)になりました。奇しくもビデオン社の店舗看板には四半世紀ぶりの激突、なんていう惹句が踊っておりましたが、交戦内容としては今考えると動きの悪い、膠着した地味なものなのでしょうが、なにせ久方ぶり、正直なところもう一生ありえないと思っていたケンカが見られた(んですってば)とあってはわたしも観客も大興奮であったことは言うまでもありません。
とくに久保田の打撃やゲリラによってということはなさそうだったのですが、江口は葛を切ってしまい(伝統には沿っていても強度には難があるのです)不利を悟ったのか下がります、ここで第1Rは終了。大江東町に続いて久保田も勇躍大鳥居をくぐって宮入します。江口は大きく戻って、葛の切れた箇所をロープで補修するなどしていたと思われます。
そうこうするうちに西方が登場しました。この宮入の後、最後に江口が入ってきます。それまで境内では中須賀西町に、何か気合いが入ったのか気勢が上がりまくっているのか久保田を相手にして(もちろんいつもの大江東町もですがね)いたところだったのですが、江口が来たとなったら話は違ってきます。高見の見物も愉しいわけですから喜んで(笑)やれ、いかんかい、となりました。こちらも気合いは十分、拝殿前では上幕高欄幕を外しはじめると久保田も応じて脱ぎ始めます。境内で第2Rかと大観衆は大喜びの大声援です。
しかしここで大江なのです。身軽になって久保田に向け動かんとする江口へ、棒端をむけていったのです。江口の気勢はほんとうに、ほんとうに一気に下がってしまいました。どうも自分以外にスポットが当たるのが嫌いなガキなのか、それとも自分が動くことによって止めることができると読んだ深謀遠慮によるのかわかりかねます、が、これで江口久保田戦は沙汰止みとなっていき双方幕を付けて大人しくなりました。江口には横槍を喰らって邪魔されたとの思いは生じたことでしょう。
日没後、大江が東門から出て、続き東町も出ました。久保田も出ようかとなった頃、こちらにもスポットがあたらないと気に入らないところがいました、中須賀です。久保田へつっかけます。できあがってしまっている久保田は応戦する気なのか、またまた除幕、本日何度目かのストリップで魅せます。中須賀の考えはわかります、いい気になるなよ久保田よ、というところですか。中須賀もおちょくるつもりが脱いでこられたらやれやれどうしたものかと困ったでしょうが、ここでまたしても大江がとって返してきて(東町をどこで交わしたんでしょうか)久保田に助太刀とばかりに中須賀に向き合うことになって脱いだ久保田の面目が立ち、その場の深刻化は避けられたのです。結果論的ですが、見事な大人の仕切り具合でした。
そこで大江が下がり、中須賀も下がりで久保田も東門から出ます。西原中須賀西町が大鳥居から出た後帰落へ、江口も西進しますが台車を貰って今度こその気概で東へとって返します。郵便局交差点を曲がるとそこには久保田がいる、しかも相手は車がついてないかもしれず……。のはずだったのですがそこにいたのは大江でした。
ここで巷間、暗くて見えず間違えて、とかいう話がありますがそれは違うでしょう。わたしは大江を目前に逡巡する江口の姿を見ています。「のいて。じゃませんとってくれ」とか「久保田にいくけん通せ」とか言う江口に「いったん引いたらどうぞよ、来年やらんかい」「うちが通ってからいったらええ」とか喧々囂々あったようにも思いますが、結局「もうええけん大江でもいったれ」という一部の声と押す力が台車に加わり、大江をワンプッシュしてしまいました。このたいしたことないワンプッシュによって、大江は怒り心頭。江口は慌てて帰落をはじめましたが、ゲリラ部隊に倒されそうになるわ、自治会館まで来られてしまうわで、江口にとっては、当座の相手の久保田以外に余計な荷物をしょいこんでしまった、きわめて気の毒なこの年の対大江だったのです。


こんなことがあったせいでビデオが3社あってもそれなりに売れたことでしょうね。
コメント (2)
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