岩窟竜王/新居浜祭り

 言って良いことと悪いことがありますの ©鬼塚夏美

横綱は……

2017-03-25 | WEBLOG(分類面倒)
NHKラジオ第二の英語ニュースを聞いていると、思い入れが廃された公正なのかもしれない事実がさらりと語られていて、ときたま細い目から鱗が落ちる。過日の放送では稀勢の里のことをとりあげて「 Yokozuna ; Sumo grand champion 」と説明していた。ほほぉそういうことか。

何かというと大江が横綱(ここは異論なさそうだ)だの、やっぱり中須賀も横綱(疑義が多いなあ)とか、いやいや本郷だろ、町だね、沢津よ、松神子が、などとごく当たり前に語られている。江戸時代からあるらしい見立番付という遊びだが、これで太鼓の戦闘力をおおよそ測ってしまうのは、お遊びとはいえ穏当でないと思われる。

だって、そうでしょう。そもそも相撲は序の口からボトムアップしてきたピラミッド型の番付だが、見立の方は横綱からトップダウンしていく頭でっかちの番付なので構成が正反対。譲ってトップダウン番付をよしとしてもうまくない。現役の横綱のなかにも、大の上に特がつくような白鵬から、これはどうやら小のつく横綱だろうなあと思わせる鶴竜や、ちょっと情実な面を否定できず今後何回優勝できるのか疑問符のつく(今場所はなんだかとにかくすごい)稀勢の里まで、その力量や記録に案外な差があるわけだ、これは今更のことだ。

相撲世界で横綱が何人かいても不思議に思わない我々でも、訳語のGrand championなら複数いるのは妙だと認識できる、綱は都合四本、なんてのは多すぎると。
原理的に「成績抜群につき」な者に一本が相当でしょう。足りぬ者は大関以下でよろしかろう、相撲の世界で大関やら三役は残念な位置などではなく、力士にとっては夢のまた夢のスペシャルファビラスな地位なんだよ。
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なぜにそんな時期に選挙を?

2017-03-17 | (東京五輪+大阪万博)風呂敷
あらまァ、危ないところだったね。
補選が10月22日ですと。誰が(どこがったらば選管ですかね)決めたのか知りませんが、一週前の15日になっていたらその日予定の駅前統一は吹っ飛んでもおかしくなかった。

とは言いながら、衆院解散があればまた補選も吹っ飛ぶわけなのでどうなりますやら……。

こうなると某事業所からの御花はさすがに無理。結構な額を少なからぬ太鼓がいただいておったのでしょう? 川西ならともかく上部川東も来てたようじゃないですか。忌中なら〇〇詣ではままなりませんし。

東京に太鼓台を持っていく----のが悲願だったとか。旗振り人がいなくなったとなればその話は当初から「絵に描いた五輪餅」だったことが明らかになりそうでもある。
少なくとも、久保田は当確!なんてガセネタは消失するってものだろうね。久保田もこりゃまた気勢が上がりませんよねえ。ある意味、正念場か。

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今は昔①--台車

2017-03-09 | WEBLOG(分類面倒)
車輪が四つ付いた車、いわゆる台車を知る者が年々少なくなっている。現役の人達でも見たことはあるけどね、小さい時に~なんて場合もあるくらいかもしれない。実際に押したり引いたりでした人達はまぁ年々オフしていくわけでね。
17の午後から使っていたんだ、二輪はむしろ16や17の朝方つまり前座に履くもので、台車を履くときこそがメインリータイムだったんだ。着けたり外したりになかなか手間のかかるものだったことは憶えていてもらいたい。

さぁかきくらべだとなって、この台車を保管場所に連れて行くときになかなか興があった。ゆっくり押していけばいいのにわざわざ結構なスピードを出すから危ない。台車の上に乗った人が注意喚起のために笛を大きく吹きながら「のけのけ~、邪魔じゃあ」とばかりに進んでいく光景はもう見られないかと思うこともあって、思い出すとなにか苦が笑いしてしまう。人を巻き込んだらエラいことになるし、早く戻って太鼓につきたいのはわからないではないが、もう少し謙虚にできるんじゃあるまいかと見ていたものだった。どことは言わんが。むろん「危ないけん、のいてんよ~」「すいません、台車通りまぁす、のいてくださ~い」という処もあったわけだから。

各太鼓台には台車担当がいて「車係」との腕章を巻いていた。2~3人はいたものだが、同情を禁じ得ない役目だったはずだ。今では信じられないが(例えば)一宮でのこと、マリア幼稚園のところの保管場所でずっと待機させられていたような仕事もあったんじゃなかろうか。台車の番の役目なんだろうが、境内の喧噪をよそにぽつんと佇む姿はなんとも気の毒だった。そんな下積みを経ないと指揮者やらになれないのだろうが、自分にはできないなあと心から同情していたものだったよ。

昭和の頃の外見はいかにもな鉄の塊。無骨で色気のない姿だったが、21世紀前後にチームカラーが塗られたり空港で使うドーリーを使い出したりした。台車でさえも近代化するものだなあ、と感慨を覚えていた。そのうちに出番終了となって早幾年。口屋のらくちんピックアップ台車が登場したところで進化が行き止まりとなったとも言ったりもできるけど、これは牽強付会気味かな。

旅先で撮った一葉をご紹介。右は四輪であるし左は二輪である、としか言い様がないね。


関係は薄いが、20年くらい前に四ツ車という四股名の相撲取りがいた。最高位は十両。TV画面に映るこの四股名に反応していたのはわたしだけではないだろうけど、そう多いわけではあるまいね。なにか懐かしい。
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