日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「野分け」。「浴衣」。「七月生のクラス」。

2014-07-10 11:41:51 | 日本語学校
 「野分け」の風が吹いています。じっとりと湿った、生暖かい風です。今時は台風と言う名前の方がとおりが良くなっていますが、風だけだと、やはり「野分け」と言った方がしっくり来ます。

 今年の「梅雨明け」はいつごろになるのでしょうね。「梅雨」が明けると、風鈴やら、朝顔やらが急に身近な存在になってきます。そういえば、もう、浴衣姿の人をチラホラ見かけるようになりました。毎土曜日の「旅行」の時に、よく見かけるのですが、決まって、若い男女で、秋葉原で降りたり、上野で降りたりしていました、団扇なぞを片手にして。

 この「浴衣姿」というのも、一時は寂れたようでした。何となれば、何となく古くさく感じられた…ような時があったのです。ところが、安価で、自由な柄(伝統柄ではなく)のものが増えてくると、それが新鮮に感じられたのでしょう、若者達に。「着物は着たいけれども高いし、着るのが面倒だし」という若者が少なくなかったでしょうから。

 19世紀中葉のジャポニズムの時代から、国では認められないものが外の国では認められるということが続いていた日本。昨今のように、中学や高校の頃から外国へ行く機会が増えていれば、外から母国を見る目も養われてきているはず。で、日本的なものを「かっこいい」と思えるようになった…のでしょう。

 もちろん、「このまま(衰退の一途)ではならじ」という呉服店や着物作りの職人さんたちの意地もあったでしょう(販路拡大と同時に、いいものを安くという意気込み)。またマスコミの影響もあったのでしょう。が、潜在的に人々の「買いたい」「着たい」という思いがない限り、笛吹けど踊らずで、うまく行くはずはありません。

 もっとも、粋に着こなしている人は稀で(特に最近の若い男性の着物姿は野暮ったい)、やはり、着慣れている人が一番ですよね。「落語家さんの着物姿は粋だ」とか言う人がいますけれども(古典芸能の人は別格です)、「今業平」の落語家さんなんて、いませんものね(失礼)。だけど、体に慣れているのです、着物が。だから、かっこよく見えるのでしょう。

 さて、学校です。

 昨日、「七月生クラス」(今週開講)に初めて入りました。ぶっ飛んだ人もなく、落ち着いたクラスでした。他のクラスよりも、少々年齢が高い人が多いからなのでしょうか。在日の参加者は一人だけです。

 彼は、「ひらがな」も「カタカナ」も読めませんし、書けません。また、「はい」と、「いいえ」の区別もできません。ゼロで入ってきたのです。けれども、向学心に溢れている人です。それに、前列に座っているので、(彼の場合は)線引きも、ページ開きもすぐそばまで行って、指導してやることができます。すると、僅か90分の間でも、書けることが少しずつ増えていきます。

 もちろん、書けることと言っても、その文字は「英語」か、「チベット語」なのですが。

 「ひらがな」も「カタカナ」もゼロというのは、今のところ彼だけです(まだ二名ほど来日していませんが)。だいたい、留学生の殆どは、「ひらがな」、「カタカナ」が書け、しかも「N5」に合格していますから、追いつくのに、少し時間がかかるかもしれません。けれども、4月に入ってきた、シリア人女性の例もありますから、私はあまり心配していないのです。心配なのは、相手にされず、放って置かれるとやる気をなくすのではないかということぐらいで、手当を時々にしておけば、直に(それも)必要なくなるでしょう。

 この、4月から学ぶことになった、シリア女性の時も、ちょっと気を使いました。イスラム信徒であると言うこと。イスラム女性の服をいつも来ていると言うこと。そんなことに皆が違和感を覚えるのではないかと思ったからです。それに、男子学生をそばに近づけないように席を考えてほしいということなどを、ご主人から頼まれていましたので、日本語の勉強以外でも、少しばかり気を遣わなければならなかったのです。

 他の国の男子学生は、事情を話せば、「へえ、そうですか」くらいのもので、わかってくれるのですが、やはりスリランカの男子学生は「どうして、友達だからいいです」となるのです。時々、必要以上に女性に近づきたがるスリランカの男子学生がいるので(前のことです)、彼らの国の環境で生い育ち、それが自由な国に来ると、ちょっと、我を忘れがちになるのかもしれません。けれども、今回は、大丈夫なようです。

 この女性は大学一年生で休学し、ご主人のいる日本に来たと言うことで、多分、あと1年か2年、ご主人の博士課程が終わるまでは日本にいるのでしょう。

 彼女も、来たときには、「ひらがな」も「カタカナ」も書けませんでした。いつも、教壇に立っている私をジッと見つめているだけ(目が合うと、すまなそうににっこりするのですが)。それで、大丈夫かなと思っていたのですが、『初級Ⅰ』の中盤を過ぎたあたりから、急に(宿題やディクテーションの)ノートを提出するようになり、しかも、以前の宿題が、前の部分からずっと書かれてあったりしたのです。

 もちろん、間違いもありましたが、最初の時など、よくぞここまで書いたものだと驚いてしまいました。それまでは、ディクテーションの時も、「できない」と困ったような顔をして嫌々をしていたのに、急に、ノート十数ページほども書いて提出したのですから。

 彼女は殆どしゃべらなかったので、そこまで出来るようになっているとは思わなかったのです。今では(第29課)、口頭練習も、皆と一緒にしていますし、宿題も、その都度、提出しています。

 彼女のような人もいるわけですから、勉強の習慣が既に身についている人は、脇から手を添えるだけでいいのです。後はその人が自分でやっていくでしょうから。

日々是好日

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「あ~あ、まただ。スリラン... | トップ | 「台風は?」。「新しいクラ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日本語学校」カテゴリの最新記事