小雨。今は止んでいるようです。少し明るくなりました。
先週でしたか、歩いて学校に来た日のことです。角のマンションの「サクラ(桜)」の木の下で、サクラの落ち葉を集めている初老のご婦人を見かけました。
きれいなので集めているかと思いきや、「片づけ」とのこと。
「桜の落ち葉は、いい堆肥になるんだけれどもねえ、集めても誰も使ってくれないんだけれどもねえ、習慣で集めてしまうのよ」
「ドングリのなる木の葉はだめよ。固いから」
そして、やおら「ドッコラショ」と立ち上がり、「今日はこれくらいにしておきましょ。きりがないもの」
こういう「サクラ」の葉が、肥料になるのなら、日本全土にはたくさんあるのだもの、どうにかならないものでしょうかしらん。こういう「落ち葉拾い」は、皆人が「秋を楽しみ」ながらできるもの。この時期だけでも、「サクラ」の木の下で、恒例の「落ち葉拾い」をするというふうにはできないものでしょうかしらんねえ。
恒例の「大掃除」と言われるよりも、人が集まりそうな気がするのですが。
さて、「サクラ」はともあれ、「雨」です。
最近、また雨が、よく降るようになりました。一日中というのは少ないのですが、数時間パラパラという感じ。今日もそうでした。もっとも、これを書いているうちに日が射してきましたけれども。
さて、「サクラ」と「雨」はともかく、今朝も「地震」がありました。警報が鳴って少し経つと「グラリ、グラリ」が続きました。
朝、洗剤が切れたので入れ替えていたのです。すると、突然、アナウンサーの声が、急を告げるものとなり、これはいつものとは違うぞとテレビの画面をみると、福島沖で発生し、その揺れがもうすぐ来るとのこと。身構えていると、グラリ。少し長かったのですが、こちらに、津波はきたのかしらん。
ただ出勤前に「引き波」が起きているところもあると言っていましたから、津波は来たのでしょうね。
テレビではずっと「逃げろ、津波を見に海岸へ行くな」をくり返し、叫んでいました。けれども、ここでは皆、いつも通りに出勤、登校するために、足早に道を急いで行きます。我がこととなるのは、やはりすぐ近くで発生してからなのでしょう。
慣れが一番怖い、確かにそう。「これは大きいぞ」と思い、情報を知るためにテレビを付けるほどでなければ、なかなか動けないのです。
もちろん、留学生達を預かっていますから、彼らにはよく話していますし、そういうセンターへ連れて行ったこともあるのですが、実際に体験しないことにはなかなかわからないものなのでしょう。
地震はこんなものだというのは、頭では判っても、「だから…」が、映像を見せてもスルリとは入って行きません。
これも無理からぬこと。「地震の巣」に長く暮らしてきた日本人だって、自分がそういう災害に直面しない限り、気がつかぬ事が多いのですもの。
今日のは、ここでも「震度4」と少し大きかったのですが、自分でも「慣れ」によるものか、「麻痺」しているのかはよく判らないのですけれども、いつも通りの生活をしています。いくら「巨大ナマズ(鯰)」の上で生存していることが判っていても、だめですねえ。
あの惨事を皆見ていたのに、命の尊さは皆知っているはずなのに、どこかしら、まだまだという気持ちがあるのです。
かえって、素直に驚きを見せる学生達に、驚かされ、初心にかえらねばと思わされています。
日々是好日