日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

数年過ごしているうちに、見えてくる「日本の風景」が、変わってくるかもしれません。

2021-04-07 09:42:26 | 日本語学校
晴れ。

昨日は、一日中、重苦しい雲が垂れ下がっているような感じがしていましたが、今日は一転、青一色です。

「サツキ」の花が咲くと、辺りは急に華やかになって来ます。「サクラ」の頃は、皆、上を、見上げてウロウロしているばかりであったのに、最近は目の向きが変わり、街も皆、穏やかに落ち着いてきたような気がします。例の「いずれ、アヤメかカキツバタ」の、これらが咲き始める時期とも重なっているからでしょう。

4月末からの連休の頃ともなれば、「フジ」が房を垂らしはじめるでしょうし、「ヤマブキ」もその頃かな…。

子供の頃はずっと、「ヤマブキ」という花は八重であると思い込んでいました。それが関東の山に行って、はじめて一重のものを見たときに、「きれいだけれども、これは何という花か」と、そばにいた友人に尋ねたことがありました。

うちの庭や友達の家にあったのは、みな八重だったのです。八重もきれいだけれども、一重もまた捨てがたい。それから注意してみていると、白のものもありました。昔からあったのか、あるいは交配させて増やされてきたのかはわかりませんが。

足が丈夫だった頃、よく友達と電車に乗って近郊の山里へ行き、テクテクとそこら辺を歩き回っていました。もちろん日帰りで、時々は500から800㍍程度の、山好きの人たちから見れば、「山とは言えない」ようなところへも行き、草花、いわゆる山野草ですか、それを楽しみました。草木の名に通じている友人が、「あれは何」、「これは何」と教えてくれたものでしたが、初めて見る花の名は、なかなか覚えられず、結局は自分が子供の頃から見知っていたものの名しか覚えられませんでした。

これも、子供の頃見たことがあるから覚えられたというよりも、もしかしたら、数十年の間に面影が消えずにあったものだから覚えられたということなのでしょう。ただ、木の名はだめでしたね。花をつけていれば、「ああ、これは」と言えても、花がなくなると途端にだめになる。「木の幹の様子がこうだから」とか、「葉はこちらはこうで、あちらはこう」とか言われても、当方としては「フムフム」で終わり。なかなか冴えないつまらない生徒でしたね。

四季を通して、同じところに何度も通っていますと、土地の様子も何となく判ってきますし、季節毎の違いも見えてきます。つまりは人と同じ。よく「一年はいないと(何もわからない)」と言われますが、一年どころか、数年そこで暮らしてみないと見えてこない風景と言うものがあります。

日本語学校で勉強している人たちもそう。旅行者というのは、あくまで通り過ぎる人、通行人なのです。もちろん、通行人といえど、「通ってみる」ことは大切。ただ「暮らさねば見えてこない風景」というのがある。それを、日本語を学びながら、彼等は見ているはず。今はそれと気づかずとも、数年経って、何事かに出くわしたとき、「ああ、あれはそうだったのか」とか、あるいは「ああ、日本人がああしていたのは、こういう意味があったのか」と思うはず。

人とは「それぞれの土地の風景や生き物と切り離せない生き物なのだ」と、つくづく思います。それが書物なども面倒がらずに読むようになりますと、簡単な読み物やひいては小説・歴史物などからも、知らず知らずのうちに学んでいくものが増えてきます。あの頃、違和感を覚えていたのだが、「それは彼等にこういう考え方があったからなのか」と気づくようになるのです。

それで、どうだというわけでもありませんが、寛容になれる部分が増えてくるような気がするのです。そういうふうに、どこかしら、ストンと落ちてくる部分がないと、日本にいても、違和感だけで過ごしてしまうかもしれません。が、納得できる部分が増えてくると、それをわかったような気分になれる自分にも気づくようになるでしょう。

結局は自分の中の無意識の部分の、その一つに気づくからなのかもしれませんが。

日々是好日
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