日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

留学したからには、勉強してほしい。留学の目的を忘れないでほしい。

2015-06-15 11:45:54 | 日本語学校

 暑い。夏です。

 「梅雨」も休みが必要と見えます。西は雨が降っていても、東は休み。土、日と早朝、雨が降りましたが、それも、馬の背を分けるような降りだったようです。電車の中で乗客達の話を聞いていると、こちらでは本降り、あちらでは小糠雨、そして向こうでは「降らなかった…」。それほど離れたところに住んでるようには、(話の様子からは)思えなかったのですが。

 まるで、夕立のようです。朝ザァーと降って、パッと止む。

 雨はいいけれども、これが雷様となるとそうはいかない…。

 関東地方でも、雷多発地帯と、年に数度しか鳴らないような地帯とありますから、雨もそうなのでしょう。そういえば、ここは年に400日雨が降るとか、月に40日降るとか言われているところもありましたっけ。何事も過ぎたるは及ばざるが如しです。

 さて、学校です。

 学校では、「妹を呼びたい」とか、「弟を呼びたい」とか言われると、学生が頑張っている場合に限りですが、たいていは「いいよ」と言ってしまいます。もちろん、彼らも「自分の弟は全然勉強しません」とも、「頭が悪い」とも言わないのですが。

 頭の良さ悪さはともかく、「高を括った」態度の持ち主だけはいけません。これだけはどうにもならないのです。異国で学ぼうと言う場合、才があるか、財があるか、根性があるかのどれかが必要で、才なし、金なし、根性なしは、本当にどうにもならないのです。

 他の、「とにかく勉強したい。そして、学費は親に迷惑をかけないように、できるだけ自分で稼ぎたい」という学生達の足を引っ張るだけなのです。

 真面目な学生でも、こういう「テキトー」な学生を無視できる人ならいいのですが、国によっては、年齢や仕事をしたことがあるという経歴がものを言う場合もあるようで、そういう「テキトー」な学生から誘われると拒否できない、あるいは反対に庇護を求めようとしたりする人は大変ですね…。

 そこには、お国柄で「嫌われたくない」とか、時には「拒否」をすると倍返しが怖いということもあるのでしょうね。

 だいたい、人というのは、朱に交われば赤くなるもので、真っ白な人のそばにいると、自分も色合い(癖とか自儘なところ)を失っていき、その反対に、周りが黒だと、知らず知らずのうちに同じように真っ黒になってしまう。

 白くなるのは難しくとも、黒くなるのは簡単で、しかも、こういう人は手先として人を使うのに慣れていますから、使われているうちに、簡単に悪事に染まってしまう。

 国でも、頑張る人なんてほとんど見たことがないという人たちが、日本に来て、「アルバイトもせねばならない、おまけに学校にも行かなければならない(行くだけにしても)」なんてのは…、これはかなりしんどいこと。しかも、『初級』の時には、宿題がありますからね。あろうことか、なんと、家に帰ってまで、教科書を開き、鉛筆を握り、ノートに異国の文字を書いていかねばならない…これはしんどい。

 その時に、「そんなことしなくてもいいよ。テキトーにやったって、なんてことはない」とか、「ビザだけとれればいいんだから」とかいう輩がいると、それはすぐに楽な方へと流れていきます…。ほんとに、「テキトー」はもうできなくなっていますし、勉強しなくて、アルバイトだけして、ビザをとることも、ドンドン難しくなっているのです。

 ところが、昔、日本に留学していて、成功した人の話というのは、3割から5割ほどが「法螺」であると言うことが分かっていないので、あの人がそれでよかったんだから、自分だってと、すぐに、そう思ってしまう。

 子供時から染みついている習慣は、なかなかに変えられないのです(冬の厳しい日本にだって、そういう人はいますから。皆が皆、蟻というわけではありません)。

 もっとも、日本ですと、昔なら、はっきり二つに分かれていましたし、今ですと、留学が一年くらいであれば、日本でアルバイトをしてお金を貯めてから行けば済むことですから、「勉強もアルバイトも」という苦労はありません

 昔は、海外に出稼ぎに行くというのは、普通の人にはできないことでしたから、かなりの根性の持ち主か、追い込まれて切羽詰まった気持ちで行くかでしたし(もう、背水の陣です)、留学するというのは、大富豪の御曹司かご令嬢と、はっきり決まっていました。庶民などいけなかったのです。

 ところが、昨今の、日本留学を目指し、日本語学校に来るような人たちは、彼らの国では真ん中かそれよりも少し上の階層出身で、(彼らの国で)ダラダラ生きていても生きられないことはないのです。しかも、国で、学校に行っていれば、親も皆、勉強していると思っているのでしょうし、それに、学校での勉強も、追い詰められることなんてない(ここにいる学生から推して測ってですが)だろうから、自分が努力せねば(学業で)、それほど点が取れるわけではないということがわからない。

 だから、大してできるわけでもないのに、できると思い込み、それを口に出しても憚らない…この憚らないということが大変なのです。

 困ったことに、一人でもそういう「オーラ」を出すと、途端に我も我もとなってしまうのです。中の一人くらいは、「できるな」と思えても、皆が皆、そうだということはあり得ないのに。

 おそらく、彼らの国では、日本以上に、「あの人ができたなら、私もできるはず」と、皆、思えるらしい。個人差を認めないから、皆が頭がよさそうに振る舞えるし(最初は、装っているだけなのかな、見栄からと思っていたのですが…でも、怖いことに本当にそう思っているらしい)、そして自己満足して、幸せでいられるのでしょうけれども、日本では無理です。成績がはっきりと出ますから。それなのに、出た成績に「あり得ない」と文句をつけるものさえ出てくる。

 もちろん、皆、子供ではないので、それぞれ腹に一物なのかもしれませんから。けれども、ここは学校ですからね、勉強する人のためのところですから、そうではない人は、ちょっと、困るのです。

日々是好日
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