ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

お手本の人の死

2016-03-27 00:06:59 | 日常
曇りから午後にかけて晴れてきて暖かい。

相変わらず砂糖水はメジロとヒヨドリに人気だ。


入れてあげた缶詰のミカンに夢中なメジロ。
喉に詰まらないのか?





昨日程は来なかったが、スズメ達は、無事に卒業出来るのか?

キジハトのカップル。


やいやいの手。




朝から県を縦断しての義実家の義両親の送迎の申し送り?の件で私達夫婦は険悪である。
次から次へと息子だからと兄嫁の要望は来る、自分の子の事でも来る、それを断れない旦那と、
重宝な便利屋を面白くない私で、
八方美人で板挟みの旦那の怒りは、八方美人ゆえに外には向かわず、
私の独立独居だった両親を散々看てやった?と、私と、私の両親に矛先が変わる。
また「義両親に死んで欲しい」など騒いで話を聞かない、
今後どうすればいいのかの話し合いにならない。
(いや、あの人たちは死なない、まだまだ長生きするってばー、すでに長生きだけどwww)

老夫婦で最期まで通院を頑張った私の母親と、自力で有料老人ホームの費用を稼いだ私の父親と、
あの、利用で近づいてくる故義兄と嫁、だらしない義両親を比較すんな、失礼すぎる。
私は絶対に許すまじである。
結局、(身体の故障というより、自ら本人の意思@義父と、鬱@義母で)朝も、昼も、寝たきりをして何も出来ない、しない義両親なので、
自立の認定をされる可能性ありでも、我家から義実家の市町村に一度出向き介護保険の申請だけはしようと思う。
やってやりたくなぞない、しかしこのまま突破口をまず作らねば、このままうだうだ便利屋では何も先に進まない。
我家が破たんする。
簡単な事、町内で出来る事などは地域のホームヘルパーさんにやって欲しい。
市内の病院の付き添いなどのサービスはないのか本当に考えてしまう。
申請後の訪問調査、一次、2次の判定、認定までは、何回か同居している家族にいてもらわねばならないが。



今日は、ここに引っ越してきてからお世話になった方の、17年目の命日でもあり、
しかも今日、ご近所(数十メートル先で私には隣の家に当たる)の独居のご老人で、
私の目標としていたおじいさんの死を知って呆然とする。

その方は、お母様、奥様とご長男さんを長年看病されて、先に看取り、
高齢なのに、独りで亡くなる寸前まで(先月まで)かくしゃくと家のリフォームもしていたし、
通院から食事から、何から自力でされて、「ああいう風に生きたい。」と思ってしまう人だった。

10年ほど前に一度、我が家の前の道で脱水で倒れており、抱きかかえて家に運び、
家に運んだものの心配で、
運んで、帰宅直後に、「あのような独り暮らしでは家族と連絡が取りようにない」と思い、
その旨を勇気を出して区役所に連絡して、
大事をとるためにその日のうちに市の職員さんのはからいで強制的に入院させてから、退院してご無事のようだった。
その後も道で会うと無言で会釈の仲であったが、
三年後にいきなり、「倒れていたのを助けてくれたのはあなたですか?」と向こうから話しかけてきた。
私が「お元気そうで良かったです。」と答えると、
いきなりダッシュで買い物に出かけ、
玄関のインターホンが鳴ると、おじいさんがでっかい虎屋の羊羹のセットを買ってきて立っており、
ぽかんとしている私の手に持たして「ありがとう~」と言いながらさっさと帰っていった。
その日以降からは、道で会うと数言の雑談をかわすようになった。
その後も数回体調不良で入院されたが、いつもお元気にお家に戻ってこられた。

私の事を「命の恩人」と都内に嫁いでいた長女さんに繰り返しお話していたそうだ。
私も大好きだった…。
会うたびごとにニコニコと「命の恩人」と御礼を言われたものだった。

娘さんが今日、我が家に挨拶に来られた時には私は居ず、
ちょうど喧嘩の最中の旦那が出たが、
何でも、娘さんのお話では、最近は週一の土曜日に娘さんが訪問の習慣で、
それ以外の日は毎日の安否確認の電話で父親とお話しするのが楽しみだった、
訪問した翌日=日曜の電話に出ないので、次の月曜に様子を見に来ると具合が悪そうだった。
救急車に乗せて、病院で点滴もして、受け答えもしっかりして、
「もう、大丈夫でしょう。」「さあ帰ろう!」という時点ですっと呼吸が止まったそうだ。
何が起こったか未だにわからないと。

私は今月になって、無灯で前の道に救急車が来ていたのは気が付いていたので、
「ああ、あれがそうだったのか!」と呆然とする。
娘さんは「父親が大好きだった、92歳だったが、100歳まで生きて欲しかった」と涙ぐんで、
20日過ぎてもショックで何も手につかないそう。
旦那曰く、我が家の玄関でも、涙をこぼしていたそうだ。
そして、亡くなられたお父様が、日頃から「命の恩人」と私の事を言っていたと、
旦那に玉露の包みを渡し、丁寧にお礼を言って帰られたそうだ。

長患いもしないで、逆に家族三人の看病をし、看取った、
経済的にもしっかりし、また体も頭もしっかりし、人に迷惑をかけない、
最後まで誰にも迷惑をかけないで逝こうとしていた、その最期の瞬間に娘さんに看取られた、
ああ、孤独死でなくて良かった…。
娘さん孝行のおじいさんだったが、娘さんは大好きなお父さんをまだまだ一杯看病したかったご様子。

今、我が家が直面している、
自立しない+頭がおかしくなった親三人を看病したくない騒ぎの真逆だ!とほほ⤵


じかに娘さんにお会いし、お礼を言いたかったが、すでに目の前の家には人影もない。
いつかは来る日と思っていたが、
ここに引っ越してきてから毎日、約20年の間、
噂話もせず、群れずに、キチンと規則正しくゴミを出し、規則正しく買い物や受診に行く姿を、
一日中、お一人で頑張っているお姿を見るのが励みだった。

私は一日中、ショックで、
親が死んだ時よりも遥かにショックで、ショックで、悲しかった…。
知らされてから、窓から空っぽのお家をみては、ため息しか出ない…。
当分、立ち直れないと思う。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする