ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

井戸端会議の観察

2016-03-01 09:21:17 | 日常
快晴。
今日から三月!

家じゅうのカレンダーのチェック。


深夜から雨がガラスをたたき始め、
明け方まで、時たま家の揺れるごうっという強風を聞いていると、
暗闇の中、鳥目の野鳥は何にしがみついているのかの疑問と、無事かと心配でならない。
しかし、起きてからメジロに砂糖水をもっていくと、
リンゴの木にモスグリーンの可愛い姿が5、6羽止まって、
「早く早く」と羽を細かく振動させて催促している姿が愛らしい。

その騒ぎにシジュウカラも来て、この2種は警戒心が薄い。

午後3時50分頃、ソデジロの旧ちゃん、新ちゃんに言葉を教えていた。
インコ達も音痴なトトロの口笛などノリノリだった。
ふと、庭を見るとまたしてもダイサギが金魚を狙っている。
肩にインコで、カメラを取りに行く時間もないしで、写真は撮れない、
幸い大人しく2羽がカゴにすぐに入ってくれたので、すぐに庭に出て追い払えた。
(カゴに入らねば手間取って金魚が全滅だった。)
その後、あり合わせでキュウリネットを張ってはみるが、金魚の姿はない。

庭を常に見ているわけではない、気が付かないうちにせっせと食べられていたのだろう。

その後はネズミも出現、猫の使用済みペレットにも図々しくも慣れたようだ、

嫌いでもどうにも殺れない。その勇気無し。




あたちもあんな不味そうな物、むりむり、無理だわーbyふじこ



ところで、ここからどうでもいい話、

路駐、道路遊びと主婦の井戸端がどうにも苦手なのだが、
井戸端をしない我が家の前が日が伸びてくると溜まり場になる、
長いと毎日数時間ガヤガヤを聞かされている。

働いているときは、帰宅のころにかち合わないように苦労し、
今は外出時に、特に通院の時など「会いたくないなぁ」と思いながら、戸締りする。
予約できる時は、いつでもいいのに、その時間を自然に避けた時間帯を予約している。
また宅配を受け取るときも、表にわらわらしていると、詮索されてるのがわかるだけに嫌だなぁー、
もしくは宅急便の車が無事に停められたかと思ったり…。(たまに遠くに車を停めて走ってきたりしている)

休日に夫婦で出かけるときも、駐車場から出るときに井戸端会議の衆に一斉に目線を浴びる。
喪服の時など上に何か羽織ったり。
それでも、わざわざ塀に囲んだ庭を時たまいじっていると、会わしたこともないのにお母さん元気?と詮索され、
親しくもないのに事実を言わねばならなくなる。
そして家の出入り時に挨拶してもいいのだが、する時のタイミングが難しく、
気分によっては、向こうもわざと仲間とのおしゃべりに熱中するふりをしたり。
つまり、家の中の人は引き籠っているというより、ウザくて出入りを制限されている部分もある。

集合住宅に一個設けられたエントランスでなく、個人の住宅前で井戸端が始まり、
それを、「あの人出てこないね、何しているんだろうね?暇だろうね?」であるwwww
井戸端で検索すると迷惑と思う人ばかりのようで、良い事は出てこない、嫌だと苦痛に思っている人が出るわ出るわ、
しかも「道路族」という新しい単語まで!!
勿論、某巨大掲示板にも立っている。

何故ご自分のお家にお仲間を招いて、お家で喋らないのであろうか?
多分「お邪魔ばっかりして悪いわー」なんだろうが、縁側復活を望むわー。
せめて自分のお家の前でするべきと思うのだが、わざわざあちこちからわらわら湧き出て遠征して来て、不思議。
自分の家の前でなく、話してくれそうな御隠居の家の前をブラブラ。
見るものすべてを悪い方向に噂話、
例としてはご隠居AとBがなぜか(夏に)始めたスズメの餌付けを、
もともとはご隠居が始まりであっても、でもそれは井戸端情報局の貴重な話し相手なので、私のせいにしたり。
それが昨日の議題のようだったwww

庭で池にネットを張ってそれを聞いている自分と、それを知った親友(一時は井戸端に参加してみたものの脱退)は、
「あのひと注意だね、信用ならないね、おーいやだ」であるが、それがボスにとっては聞こえないし、
聞こえたとしてもボスには恥でも何でもない。
私も、野鳥の会の小冊子通りに信念で食餌を供給する。
元々が、4年前は野鳥はゼロに近い、それを井戸端拠点の高齢者のAB2軒が鳥に一年中餌付けをして良い事と得意になっていて、
目立ちだして、いきなり逃げただけである。
いきなり飢えた鳥は、私が2年前に飼いだしたインコの部屋の窓の前に来たという図式なのだ。
私は、私のやり方を通すのみだ!!

また、私は深夜の猫の餌やりМさんとちがい、猫の餌は捕獲時以外一度もしたことがないのだが、
前の井戸端のボスは自分が餌やりして、(当然、不妊オペしていないので)物置に産まれたふとやアカメを私が餌をやっている?と私の家に来るように押し付けたり。
でも、ふとやアカメ、母ちゃんに会って飼ってよかったとは思う。
どの子も可愛いが、特に愉快なふとと暮らした思い出は宝石のようだ。今でもいなくなって寂しい。
猫といえば、また井戸端会議のボスの猫の供血を頼まれもしなかったが、
本人の撒く噂では、何でも私が断って、そこの飼い猫を死に至らしめたようだ。
それも、ご近所さんからまわりまわって聞いた。
しかも、そこの飼い猫は一生に数回も私のように獣医さんに見せていない、
多分供血の費用など数回どころか、一回分も出せるのか?やる気はあったのか?
その猫を押し付けた井戸端のボスが引っ越しても、誰かがお亡くなりになっても、
空き家も目立つのに、次の井戸端のボスが次々に産まれる。
しかもみなさん性格がマッチポンプ、
自分で自分が、しまいには何言っているのかわからなくなって疲れないのかと思う。

今日の井戸端の中の一人の婆の孫は小学生で、某会社の建物の裏で親の酒を飲んでいたりだが、
噂話に夢中の婆は同居の孫の素行を知らない。
あとは子育てどころか孫も大きい、もしくは子供は中年独身、自身はネットは出来ない婆の集団と、
いい年した親父と二十歳近い息子のボール遊びなども天候が良くなると始まる、しかもたてる音の大きい事。
歩いてすぐの住宅街の中の公園は誰も使っていない閑古鳥の不思議。
あの太いメンタルがうらやましくもあり、しかし、なりたくはなし。

義母も井戸端と人を家に招き入れる(こちらは道路にいないのでいい)のが大好きだ、
しかし、自分は噂話をしてないと、恐ろしい事に、噂話をしている自覚がない。

故実母は井戸端を恐れながらも、ターゲットにならないように、うまくそのいい加減な情報を利用していた。
実父といえば井戸端が大嫌いだった、しかし痴呆になると作話のような妄想を喋り歩くようになった。
父の父、つまり私の祖父も無口な人だったが、最後にぼけて同じ行動をした。
父の兄、つまり叔父も(こちらは元から社交的だったが)晩年にそれに近い行動をした。

私は今は一人遊びが好きで、親戚に会う行事だけでも数時間で疲れるが、
家系にはそういう家族もいて、晩年はそういう傾向になるかもしれないので、自分も歳を重ねるのは怖いー。
コメント
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