ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

タウベルトの子守歌とpumpkin・moonshine

2020-10-31 23:07:58 | 受けて立つ

早くも10月も今日で終わりですね…。行く秋を惜しんでいます。

 

◆10月30日(金)晴れのち曇り。18-14℃

何時もの老猫のお世話で、あっという間に一日は終わりそうだが、

折角なので、虫にやられて毛を張り替えた弓を出した。物は持っては逝けない、惜しんでいてはいけない。

弓の毛は古くなると黄ばんでくる、下が古い弓。

弘法は筆を選ばずだが、、、弘法でもない超凡人であるし、やはり、頑張りすぎていた。新しい毛は無理に押し付けなくても、弦の上で滑らかに音を奏でだした。

今までの虫の被害でなく使い込んだ弓は、喩えて言えば、出ないシャーペンの折れた芯を無理に出してキシキシ書くような感覚があったのだが、それを無理に松脂を何回も塗ってはみたりで、

書道や絵の筆でいうと、軸だけ無事で毛先が割れたり、毛が減って数本のような状態、握る軸だけがある、そんな感じだったのだ。弘法だって削っていない鉛筆では書くのに苦労するだろう。

虫で修繕に出さない無事な弓の方でも、思ったよりも弾いている、「弓の毛が駄目になるくらいには私一生懸命に弾いたのだ」と思おう。そして、教本の昔の頁から延々弾いた。

だけど、沢山やることがあり、例えば、近頃小康状態だったみーみーぼーの輸液とか、2時間持たないで鳴き喚くもじゃ公とか、

 

もう、ほとほと疲れている。別にお世話は良い。

せめて、延々と大音量で拡声器のように鳴き続ける、この鳴き声を聞きたくはないのだ。私を呼んで、どうしようもない事を私に延々言い続けて死んでいった人たちと一緒に思える。もしくはアルツハイマーの父。

 

◆10月31日(土)曇りのち晴れ。21-10℃

いつものお世話が始まる。

晴れており、猫達は日向ぼっこ。

そして、今日やるところの復習。強制給餌後も、すぐに猫は鳴きっぱなし。

NHKでは隣の区の牧場の紹介を中継している。コロナ禍でも遊べるように牧場をキャンプ場に開放したと。

レッスンの日だった。

だが、猫が出発時間にもお腹が空いて、ギリギリまで強制給餌をした。

遅刻しそうだ、どんな格好でも良い。急いで、西日のさす夕暮れの町を歩いた。

セイタカアワダチソウが西日に金色に輝いていた。

久しぶりに、お年寄りの家の定番の猫ちゃんがいた。

 

到着。

私の前の予約の小さな女の子、今日はうまく弾けないで辛くて泣いていた。(「頑張れ!あなたにはまだたっぷりの時間と未来があるのよ。」そう、私は心で思った。)

自分の時間だ、先生に行ったバイオリン工房の報告をし、「やはり新しい毛は苦労しないものですね」とお話し、

今日のバロックは通しで弾いた後、細かいテクニックを伝授され(瞬即、右から左に抜けたがぁあwww)、最後は先生のピアノの伴奏に合わせて無事に合格。

先生は感慨深げに「良くここまで来た、弾けましたね。」

先生は少し時間を延長し、次の曲までみてくれた。「先生、次の曲は、バイオリンよりピアノの伴奏が良いですね、2つの楽器の絡みというか、やはりピアノ伴奏あってこその曲だと思う、2つのセッションというか?」

やはり先生もピアノが良い、この曲の伴奏を弾くのが大好きだとおっしゃった。二人で最初の滑り出しを、私がバイオリン、先生がピアノで伴奏を弾いて、うっとりした。

初めは穏やかなロマンスの始まり、ピアノで出会い?今日はここまで。

起承転結、次の章、おそらく愛の葛藤、片思いとか、メゾフォルテ、感情のもやもやを表している、そして二人の高揚感へ盛り上がり、フォルテが延々続き、最後は落ち着いた愛情でピアニッシモで〆るとくるんじゃないかと、妄想しまくりながら弾くww、いや、弾かないとやってらんないwwwと大笑い。甘美な曲で発表会で人気があり、発表会も名動画だらけである。

教本は学校の音楽室に貼られた音楽家は少ない。ヨーロッパでは有名でも、日本ではマイナーばかり、しかし、ここまで来て、ようやくバイオリンを習っている、弾いていると思うところまで来た。あと三曲でこの教本は終わり、最後のバイオリン協奏曲が綺麗に弾けたら、もう本望だと思う。

先生と「本当によくここまで来た」と、しみじみ。しかし、まだまだ学問の入り口、絶対に一生続けるのだ。

その後、テレビで報道された隣町の牧場へ。

そこには、ターシャの絵本のような風景が、有志によって作り出されていた。

ここは去年は大型台風で、お花畑やイベントがダメ、今年はコロナでダメ、それでもめげずに、お花畑も手入れされていた。

今夜は月が大きくて、左側には金星が寄り添っている。

 

           

カボチャのランタンには実際にろうそくがともされ、近づくと仄かに暖かい。

今年も、もう少しで終わる。何かを失っても、何かが実ったり、嫌な事でも、その何かが人生には意味があったのだ。今の嫌な事は、今日見た、大好きだったバイオリンが今日は辛く感じるあの子と同じなんだ、それが、若い時はわからなかっただけで…。人生の終わりになって解ったのだ。

辛い時点で逃げたりやめるのは簡単だ。けれども人生はその時点からも続くし、好きなのに放置すればしたで後々後悔し続けるものだ。そして、簡単に手に入るものより、簡単でない、出来れば精神的な何かの方が、手に入った時の喜びは大きいのだ。

 

ほんの少し気分転換し、慌てて帰宅する。猫は騒いでいる。 

今夜もこの繰り返しだ。嚥下もダメだが、もう脳が一部おかしい、見当識障害もあり室内で迷子になる。だが、大人しく黙って痩せていく、沈黙の他の猫の方が早く逝く可能性が大だ。

 

夜鳴きの止まらない老猫に…。私の大好きな子守歌です。少しは優しい気分になれる。

「眠れよや、いとし子よ、軒を打つ雨に」より、この歌詞が好きです。いや、老猫は何をしても寝てくれないが_| ̄|○

 

タウベルトの子守歌】

大人しく おねんねなさい 

雨が降り出した ほら、犬が鳴いた

隣のワンちゃんはいたずら坊主で

誰にも噛みつく おねんねなさい

 

大人しく おねんねなさい

雪が降り出した ほら、猫が鳴いた

隣のネコちゃんは寒がり坊主で

おこたが大好き おねんねなさい

 

Wiegenlied Taubert 子守歌 タウベルト

コメント
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