Good Frlend!(motovlog)

個人の好きなことを書くブログです。

ヨシムラ初のコンプリートマシン、トルネード1200ボンネビル。(番外編vol.3328)

2022-07-31 00:05:42 | 日記

オートバイ業界で「ヨシムラ」と言えば「世界初の集合管マフラー」を設計したことが特に有名で、創業者の「POP吉村さん」と言う天才チューナーを思い浮かべる方が多いと思います。

そもそも、彼の人生を振り返ると、第二次世界大戦直後に九州の修理工場で働いてた若かりし時期に、趣味的に触っていたオートバイのチューニングからが最初の発端とされてて、

当時、アメリカ占領下の中、在中してたアメリカ軍人のオートバイをチューニングした事で有名になり、ホンダのレーシング部門からカムシャフトやその他のエンジンパーツを供給する様になり、

その後、アメリカに渡ったり、お店が火事になったり、人に騙されて倒産しかけたり、しながら最終的には「スズキと協定」を結び、現在までオートバイに関わる色々な商品を作ったり、

自社でレーシングマシンを開発したり、様々なパーツを販売したりするショップとして発展した下町のオートバイメーカーです。まぁ、取り立てて説明せずとも有名な話ですよね!(笑)

ちなみにこの創業者である「POP吉村さん」は1995年に73歳で既に他界されています。なので現在は長男の吉村不二雄さんが2代目として社長をされてる様です。

そんな「ヨシムラ」ですが、1980年代に入り世間で峠を攻める頭のおかしい「あたおか」な小僧たちの存在から、逆にその「オートバイブーム」に乗ったカタチで会社は急成長を遂げ、

一般車両を改造した「TT-F1」や「鈴鹿8時間耐久レース」などに自社開発のマシンで積極的にレース参戦する様になり、国内外問わず誰もが知る有名メーカーとなっていくんですよね。

そんな初期の充実した時代に、ヨシムラ初の「コンプリートマシン」として登場したのがこの「トルネード1200ボンネビル」です。

発売開始が1986年で「たった3台だけ」の完全限定販売された車両です、また同時期に登場したホンダ「RVF750(RC30)」が148万円と言う高額な価格で世間を驚かせていた時期に、

なんと500万円で販売されていました。(笑)で、噂ではこの3台とも同じオーナーさんが現在も所有してるとの事です。

また、この「トルネード1200ボンネビル」ですが、基本ベースとなるのが初期モデルの「GSX-R1100」で、仕様としては、エンジンのボアアップやマグネシューム製のキャブレター、

はたまた自社製のカムシャフトに、ショーワのサスペンションをヨシムラでカスタムしたものや、当時珍しかったマルケジーニ製のホイールにヨシムラサイクロンマフラーが装備されていました。

いわゆる「世界スーパーバイク選手権」に使うレーシングマシンとほぼ同じスペックを誇っており、最高出力が160psで、最大トルクは13kg、車重(乾燥重量)が179kgと言う、

当時としては途轍もないモンスターマシンとなっていたんですよね。また名称にある「ボンネビル」はアメリカの最高速を競う「ボンネビル・ソルトフラッツ」と言う競技場の地名から引用されたもので、

トライアンフの車両でも用いられたネーミングとなっています。

とにかく、ヨシムラ初の「コンプリートマシン」という事で当時はその余の凄さに、ただただ憧れを抱くばかりだったんですよね。まさにボクもその1人でした。(笑)

あまりにも魅力が凄すぎて「欲しい」を通り越して「憧れ」だけがボクの心を支配した事をハッキリと覚えています。

その憧れが高じて、当時ボクが乗ってたヤマハ「FZ400R」に「ヨシムラサイクロン」をあえて付けてました。ただ公認マフラーでは無かったため、かなり爆音でしたけどね!(笑)

当時、ボクが専門学校を卒業したのが1987年なので、ちょうどそこら辺の時期だったです。いやぁ1回で良いから実物を見てみたいものです。(笑)





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当時でも時代とのギャップがあった、スズキ・GR650。(番外編vol.3327)

2022-07-30 00:09:18 | 日記

1980年代に入り、いきなり「GSX1100S刀」など画期的で魅力的なオートバイを排出していたスズキだったのですが、その影に隠れる様に登場したのが、

この大型ミドルとなる「GR650」です、発売開始が1983年からで、当時は4ストだと大型バイクの場合「4気筒エンジン」を中心に開発が進められていたのですが、

この「GR650」に関しては空冷式の2気筒エンジンが搭載されており、国内では取り立てて魅力を感じない「保守的」なオートバイとして誕生します。

しかし、海外ではそれなりに人気が出ており地味ではあったものの、そこそこ売れてた様です。

また、国内とは違い、名称がエリアによっては「GR650-テンプター」や、派生モデル(スポークホイール仕様)の「GR650X-テンプター」と言うネームで売られていました。

それにしても、なんでこの時期(レーサーレプリカブームが始まった頃)にこの手のオートバイを販売したのか?よく分からない「時代とのギャップ」があった1台ですが、

そこはススキと言うメーカーの不思議な思惑があったからかも知れません。ただ、残念ながら、やっぱり同年の1983年をもって早々に生産中止となります。(笑)

こう言った国産でも「誰も知らない?」様なオートバイって調べれば結構見つける事が出来るのですが、個人的には色々なオートバイ情報を観たり調べたりするのが「好き」なので、

もちろん知ってはいたものの、こうしてブログに載せるほどじゃないと思っていたのですが、ちょっとした思惑もあって、今日は「GR650」を書くことにしました。(笑)

とにかく、この「GR650」って、メーカーの人間でも直ぐに気づくであろう「これ売れないんじゃない?」って、簡単に予想がつく事に「誰も気が付かなかったのか?」、

誰かハッキリ「今こんなの出しても売れませんよ」って言える人が社内にいなかったのか?(笑) ここまで「解りやすい失敗例」のオートバイの出現って逆に不思議に思いませんか…? 

いやぁ、ボクはメチャメチャ不思議に思いますねぇ。(笑) まさにここです!!今日はそこを「どう考えるか」をテーマとして取り上げたかったんですよね。(笑)

ボクの場合「商品販売」を目的としたグラフィック系の「広告デザイン」を仕事としてるのですが、特に重要な部分として「いかに売るか売れるか」を考案するのもボクの仕事だったりします。

しかし、それだけに「商品に魅力がなければボクの立場からすると、どうしようもない…」って事も逆によく知っているんですよね。(笑)

どこか少しでも特徴やセールスポイントがあれば、そこを広げてアピールするのですが、さてボクだとこの「GR650」をどうセールスするか?正直、かなり悩んじゃいますね。(笑)

今日はそう言う意味も込め、あえて「マイナーなオートバイ」に焦点を置いてみましたが、その前にこの「GR650」のスペックを詳細に見てみますと、

エンジンは空冷式4スト並列2気筒SOHC2バルブで、排気量が651cc、最高出力は53psで、最大トルクが5.6kgとなっています。

またフレームはスチール製のダブルクレードル式で、ホイールサイズがフロント19インチ、リア16インチ、トランスミッションが5速で、機械式キャブが搭載されていました。

特徴としてはアメリカンぽいクルーザーなデザインで、大型バイクとしては比較的軽量な方の178kgと言う重量となっています。

さらにガソリンタンク容量は12リットルで、市街地での平均燃費が約20km、満タンからの航続距離は大体240kmと言う計算にまります。

で、もう一度言いますが、とにかく1983年当時でも、どこを見ても取り立てた特徴がなく、ユーザーに訴え掛けてくる魅力も薄いオートバイだったので、

あっという間に廃盤車となっています。しかし、そうとは言えかなりの旧車となっていますから、現在の中古市場では高額化してるのかと思いきや、そうでもなく、

あっても50万円前後で取引されてる様です。まぁ、レア車ではありますが取り立てて高額化もしていないって感じです。

逆に劇的に球数は少ないですから、見つけ出すことがまず難しい部分もありますが、今からなら、あえての「GR650」と思う人は少数ながらいるかも知れません…。(笑)






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中古価格が爆上がり!カワサキ・Z750FX。(番外編vol.3325)

2022-07-29 00:02:45 | 日記

自動車販売からなる25年の海外輸出の中古解禁が引き金となり、とにかく信じられないほど「高額な価格」が付くクルマが国内で売られていますが、実はオートバイにも同じ現象が起こっており、

それこそ「とんでもない価格」で売られてる中古車が続々と現れていますよね。しかも、年々その状況がエスカレートしてる…、これ、数年前だと「考えられない事態」です。(笑)

特に1970年代の旧車に関してはそれが顕著なのですが、その中でもとんでもない値段がついてるのが、カワサキの「Z」シリーズだったりします。

で、今日ご紹介するカワサキ「Z750FX」に関してはまさしくそれに相当する車両で、中古車ネットを見てみてください、余裕で1.000万円を超えるものも珍しくなく、

どんなに安くても600万円以上すると言う、ボクからしたら「理解不能な商品価値」が付けられていますから…。(笑)

オートバイファンの中でも40歳代を超えるユーザー側も、不思議なことに何となくそれを普通に受け入れてる人も多く「納得してる感?」をどことなく感じますが、

ボクは逆に、この傾向に対して正直「おかしい!」って考えちゃっています。(笑)

なんでそんなとんでもない値段で売られているのか? うらで売り買いに対する投資マジックでもやってるのか? 一体誰が値段操作してるのか? 何か他にそうする別の目的があるのか?

そもそもここまで法外な値段を付けて買う人がいるのか? 色々思うところだらけですが、どうも本来の商品価値とは違う「何かがある」気がしてならないんですよね。

今一度冷静になって、よくよく考えてみてください。現在だと「高額な国産の新車」もたくさん売られています、例えばカワサキ「H2カーボン」なら360万円と言う車体価格が付いています。

しかし、現車を見ればそれに見合うだけの「装備や性能」そして「高級な素材」が使われており、ボクの様な偏屈でもある程度その価格に納得する部分はあります。

要するにオートバイとしての新車価格として思いのほか「高いには高い」ですが、それなりに「高いなりの理由がある」って理解出来るんですよね。

しかし、球数が少ないから? レアだから? 古いのに状態が良好だから? 確かにそう言った旧車の車両があれば「ある程度の商品価値が付く」のは今に限らず昔からありました。

でも、そうは言え、今の様な信じられないほどの価格ではなく、かつてはまだ「常識の範囲」での価格帯であった気がします。

例えば、新車時の価格が50万円だったのが、旧車となりレア価格が付いて中古で100万円で売られてるとか…、まぁ、倍になって売られててもまだ納得の許容範囲です。

それより何より、何度も言いますが、実際の話、これ一般的ユーザーさんが、このカワサキ「Z750FX」を1.000万円出して買うんでしょうか?(笑)

いや、よほどの「お金持ち」さんとか「命の次に好きだ!」「どうしても欲しい!」って相当「気合いの入ってる人」じゃない限り「買わない」んじゃないでしょうか?(笑)

とにかく、おかしな現状の中古市場のお話をしていますが、本題のカワサキ「Z750FX」を詳細に見てみますと、エンジンは空冷式4スト並列4気筒DOHC2バルブで、排気量が746cc、

最高出力は70psで、最大トルクが5.7kgとなっています、またフレームはスチール製のダブルクレードル式でホイールサイズはフロントが19インチ、リアが18インチとなっていました。

まさに当時の大型750ccバイクと言った感があり魅力的ですし、フォルムはカワサキらしく、個人的に今見てもカッコいいと思います。

もちろん、そう思っていますから「乗りたいですか?」と言われれば「はい!」って答えそうなオートバイですが「1.000万円出して買いますか?」って言われると「…いいえ」ってなりますね。

とにかく、この異常事態はどこまで行くのか?もしかすると今後もっと価値が上がり「フェラーリが新車で買える」ぐらいまで行っちゃうんでしょうか!?(笑)






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初代YZF-R1のネイキッド版?ヤマハ・FZS1000フェザー。(番外編vol.3325)

2022-07-28 00:03:40 | 日記

2000年前後の国内って完全な「オートバイ氷河期」と言っていいほどオートバイが低迷してた時代だったのですが、そこに一筋の光をあてた車両の1つにヤマハ「YZF-R1」の初代モデルがありました。

これこそが現在に繋がるスポーツバイクの流れを作ってて、それまでの中型バイクからなる若者中心のブームだった「レーサーレプリカ」の時代から、

新たなオートバイの時代へ…、大型リッターバイクを中心とした「スーパースポーツ(SS)」の時代への移り変わり期になった気がするんですよね。

もちろん他にもスポーツツアラーの、スズキ「隼」など魅力的な大型バイクも続々と出現し始めてて、個人的にどことなく新たな事が起こりそうな予感の時代でもあった気がします。(笑)

とは言え、まだまだ「氷河期の真っ只中」だった時代に登場したのがこのヤマハ「FZS1000フェザー」です、またヨーロッパでは「フェザー」アメリカ(北米)では「FZ1」と言うネームで売られていました。

いわゆる初期型「YZF-R1」のエンジンを用いて作られたハーフカウル付ネイキッドモデルで、その登場時期は2001年から、そして最終モデルとなるのが2005年までとなっています。

また、この「FZS1000フェザー」のその後を見ますと「FZ1(2006年〜)」や「FZ1フェザー(2008年〜)」が2〜3世代目として登場しており、結果として長く作られていく事となります。

とにかくフォルムを見れば一目瞭然ですが、1980年〜1990年代の大型スポーツと比べ非常に「スマート」で「ソリッド」なスタイルをしていました。

ボクの個人的な意見として「車体の大きさ」を強調してた大型バイク時代から「軽量でコンパクトな大型バイク」を目指して作られた、ほぼほぼ初期のモデルともいえるオートバイだった気がします。

となると、まさに現在に通するスポーツバイクって事になりますよね。(笑)なので、この「FZS1000フェザー」を見ても個人的には「今の時代のデザインに近い」ものを凄く感じますがどうでしょう。(笑)

で、ちょっとお話がそれますが、ボク的にかつての大型バイクを見返して行くと、昔の方が「車体が大きかった」気がするんですよね、特に1980年代ってそれが謙虚だった様に思えます。

要するに「大きいからこそ大型バイクですよ!」って設計だったんじゃなかったのでは…?ないでしょうか??。(笑)(これはボクの勝手な想像です…)

本当は、新しくなるほど素材的にどんどん「軽量化されていた」ので実際は違いますが、あのドッシリしたデザインや巨大なガソリンタンクなどが、そう思わせる様に感じられるんですよね。(笑)

逆にそう考えると2000年前後のオートバイって、要はオートバイ氷河期でありながら、新しいオートバイの時代へと大きく移り変わりる「かど期」だったんじゃないかってボクなんかは思う訳です。

で、唐突にこの「FZS1000フェザー」の詳細なスペックを見ていきますと、まずエンジンは先ほど言った初期型「YZF-R1」と同じ水冷式4スト並列4気筒DOHC4バルブで、排気量が998cc、

最高出力は143psで、最大トルクが10.8kgとなっていました。またフレームはスチール製のダブルクレードル式で、ホイールサイズはフロント17インチ、リア17インチとなっています。

さらにガソリンタンク容量は21リットルで、市街地での平均燃費が約20km、満タンからの航続距離は約420kmと言う計算になります。

ボクの様にちょっと古い大型バイク(1999年式)に乗ってるとよく分かるのですが、今の新型「YZF-R1(2022年式)」や「MT-10(2022年式)」を見るととてもコンパクトに感じます。

新しいのもありますが、とにかく繊細なパーツが凝縮されてて、見てるだけで速そうですし試乗してみなくても性能が良さそうに感じます。そこが旧車と今の新車の大きな違いの様に思えるんですよね。

本来なら、この20年の差ってこの事を言うんじゃないかって思うのですが、この2001年に登場した「FZS1000フェザー」に関しては違うイメージを受けます。

まぁ、今日は大型バイクの事をあれこれ書きましたが、最後にこの「FZS1000フェザー」の中古市場をみてみますと、大体安いもので40万円あたりから、高いものでも65万円前後で購入可能です。

今から乗っても全く古さを感じませんし、電子制御こそ付いていませんが高性能である事は間違い無いですし、そう考えると「とてもお安い」とボクは思いますが、さていかがでしょう!(笑)





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発売直ぐに免許制度改訂…、ホンダGL500(ホンダウイング)。(番外編vol.3324)

2022-07-27 00:28:32 | 日記

現在、アメリカ(北米)を中心に、カフェレーサーカスタムのベース車として人気があるホンダ「GL500(ホンダウイング)」です。その特徴は横置き型のV型2気筒エンジンにありました。

で、登場時期は1977年で、国内外「同時に販売開始」されたモデルだったのですが、実は、その直前にあたる1976年に中型排気量として「400ccまでを上限」とした「免許制度の改定」が突然決まり、

既に「開発済み」だったこの「GL500(ホンダウイング)」は、結果として仕方なく「大型バイク扱い」として国内でも販売されます。(笑)

本当は普通に「中型排気量クラス」としてホンダが開発したオートバイだったのですが、不思議とこの状況を見るに法律の改定をホンダが「事前に知らなかった」と言う事になります。

これはあの名車「CB400Fフォアー」を見ても分かる事で「GL500(ホンダウイング)」とほぼ同時期に登場した初期モデルが、最初「408ccだった」事はオートバイ好きならよく知ってる話ですよね。

今、これと同じことが起こる可能性はゼロに近いですが、当時はオートバイメーカーでさえ国から「事前通達がなかった」と考えられます。

普通にこれっておかしな話ですが、まだ当時の日本って「そいゆう時代だった」のかも知れません。(現在なら例えば2019年に改訂された新排気ガス規制は、2021年まで開発に猶予がなされていました…)

まぁ、それが故に「GL500(ホンダウイング)」の場合、国内販売だけでなく海外でも売られることとなったのですが、結果的には1年だけ…、結局同年の1977年で直ぐに生産中止となってしまいます。

また逆に大きな話題となって人気を得る可能性が高かった「CB400Fフォアー」は、改定のあったその年の1976年時点で直ぐに398ccまで排気量を下げて販売続行となっています。

その分、今じゃ初期の408ccは珍しい車両となり、現在ではとんでもない価格(300万円以上〜)で売られていますよね。(笑)

で、お話をこの「GL500(ホンダウイング)」に戻しますが、まず画期的だったのはエンジンで、あのモトグッチの様な横置き型のV型2気筒エンジンが搭載されていました。

後にも先にもホンダでこのエンジンを搭載したモデルって他では出ておらず、いかに珍しいエンジンだったかが現在でも伺えます。

それだけに、海外、特にアメリカ(北米)では今でも現存してる車両を大切に保管してたり、上記で述べた「カフェレーサー仕様」にカスタマイズして新たに乗られていたりします。

要するにアメリカ(北米)では現在でも一定…、それなりの人気を維持し続けていると言う事になります。

また正確な排気量は496ccで、最高出力が48psで、最大トルクは4.1kgとなっていました。さらに横置きエンジンからの駆動伝達は一般的なチェーンではなくシャフトドライブで行われており、

いわゆるV型エンジンを搭載した自動車(FR)と同じ仕組みで作られていたんですよね。で、この仕組みが日本人よりアメリカ人にウケてて現在でも人気があるということの様です。

さらにホイールは当時のホンダを彷彿させるコムスターホイールで、フロントが19インチ、リアが18インチとなっていました。

また、ガソリンタンク容量は17リットルで市街地での平均燃費が15km、満タンからの航続距離は255kmと言う計算になります。

で、この「GL500(ホンダウイング)」のその後ですが、1979年に後継モデルとして国内のみで「GL400」が登場し、その後のアメリカでの人気を見て輸出用に「GL500カスタム」が販売されます。

またそのスタイルを見るに2台とも「GL500(ホンダウイング)」とは大幅に違い、アメリカン(クルーザー)のスタイルをしてる事から、強くアメリカを意識してる事も伺えます。

まぁ、最初の登場から「2年の間」をあけての2世代目となるのですが、今度はしっかりユーザーの心を捉える1台として2台(GL400・GL500カスタム)とも1981年まで売られることとなります。

で、最後に「GL500(ホンダウイング)」の中古市場を見てみますと、大体安いもので60万円あたりから、高いものになると150万円前後で取引されています。

この差は確実に程度によるもので、多少やれてても普通に走るものだと100万円以上するのが平均となっていますし、たった1年間だけの販売でしたから、とにかく極端に球数が少ないです。

十分に「レア車」と言ってもいいと思うのですが、国内人気とつながってるとは個人的に思えません…、なので価格以前に買う人がいるかどうか?はよく分からないですけどね!(笑)






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時代の流れを2ストで再現、スズキ・GT750。(番外編vol.3323)

2022-07-26 00:01:44 | 日記

1969年に登場したホンダの名車「CB750ドリーム」から「日本製のオートバイはこうだ!」って世界に知らしめた状況から以降、他社からもそれに追従するオートバイを続々と送り出します。

例えば、カワサキからは「マッハ」シリーズや、ヤマハからは「XS」シリーズの先駆けとなる「XS-1」などなど、目標である国内最大排気量750ccを目指し大型バイクを続々と登場させていくのですが、

そんな時代の中にあって登場した1台が、このスズキ「GT750」です。その発売開始は「CB750ドリーム」の登場から遅れること2年の1971年からで、最終モデルで1977年まで生産されていました。

またその翌年の1972年にはあの名車で、その後のオートバイの流れを大きく変えてしまうカワサキ「Z1-Z2」が登場しており、これ切っ掛けで大型排気量を中心に壮絶な販売合戦が生まれていくんですよね。

しかし、突然1976年に「免許改正」が起こり、ヘルメットの着用義務や、大型排気量に関しては「限定解除」となり、教習所で取得出来るのは中型排気量で400ccまでと言う状況が生まれてしまい、

それ以降に関しては、海外と違い日本特有の「大型バイクと中型バイク」と言うカタチで排気量区分されてしまいます、ここから1996年の法律改訂まで、とりあえずそう言った時代が長く続いて行くんですよね。

もちろん、今年56歳(1965年生まれ)のボクはこの時代のオートバイ事情に関しては後で調べて知った事ばかりで、この頃の事をリアルタイムに知ってる訳ではありません。(笑)

一応生まれてはいましたが、まだ、あまりに子供でした…。(笑)

で、お話を戻しこのスズキ「GT750」の「何が凄いか!」って言うと、それまでの2ストなら「500cc辺りまでが最大」とされてた排気量を一気に押し上げた当時の「技術力」です。

要するに2ストの欠点であるエンジン「熱問題」があり、これ以上「2ストで排気量をあげる事は不可能」と言われた時代で、750ccモデルを登場させた事は「驚き」の状況だったと言う訳です。

結果的に、それを解決したのがエンジンの「水冷化」でした。これ今では当たり前のエンジン構造ですが、1970年代初頭の時点で水冷式のエンジンを搭載したモデルは、ほぼ存在しておらず、

ほとんどが「空冷式」であり、4ストならそれでも排気量を大型化出来ましたが、2ストでいち早く開発したスズキだったので「技術的に他社より先を行ってた」事を物語る結果となった感じです。

また、この「GT750」の詳細なスペックを見てみますと、まずその新開発された、この水冷式2ストは「並列3気筒」のピストンリードバルブで排気量が738cc、

最高出力は初期モデルで64ps、後期モデルで70ps、また最大トルクが7.7kgとなっていました。で当時「マフラー数は多い程カッコいい」とされた事で4本出しとなっていました。

さらにフレーム構造は、まだシング式が多かった中、早々にダブルクレードル式を採用しており、ホイールサイズがフロント19インチ、リア18インチとなっていました、もちろんタイヤはバイアス。

またガソリンタンク容量が17リットルで、市街地での平均燃費が12〜15km、満タンからの航続距離は悪く見積ると204knと言う計算になります。ここは2ストの燃費の悪さが出てしまっていますね。(笑)

で、翌年には名車「GT380(サンパチ)」も登場し、スズキとしての充実したラインナップを誇っていたのですが、他社が徐々に4ストを中心に気頭数を増やし新しいオートバイを送り出す流れとなり、

この2ストマシンである「GT750」は、徐々に「珍車」と見られる様にもなってしまいます。(笑)

で、最後に、この「GT750」の中古市場を見てみますと、大体安いもので120万円あたりから、高いものともなると300万円前後で取引されている様です。結構お高いですね。

これは確実に「レア車(希少車)」の仲間入りを果たした結果で、よく見てみると「価格差は年式より状態の良し悪し」で決まっている感じです。

現在では2ストエンジンを搭載したモデルが作られなくなっていますし、1980年代から1990年代にあったレーサーレプリカ系2スト250ccマシンとも大きく違う1台と言えますよね!(笑)





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最速合戦の初期モデル、カワサキ・ZL1000エリミネーター。(番外編vol.3322)

2022-07-25 09:54:58 | 日記

1980年代の初頭から始まった海外での国産大型バイクによる「エンジンパワー合戦」、はたまた「最高速合戦」は当時、年を追う毎にエスカレートする一方で、

そんな時代の初期(1986年〜)に登場したのが、このカワサキ「ZL1000エリミネーター」です。

いわゆるアメリカン(スポーツクルーザー系)とも違う直線番長「ドラッグマシン」と言うコンセプトで開発されており、

1年先(1985年〜)に登場したヤマハ「V-MAX1200」の追従モデルとも言われています。

そもそも、カワサキは1970年代から必ず大型ネイキッドを出すとその「派生モデル」として大型クルーザー(アメリカン)を輩出してて、

それが海外(北米を中心)で売られていたのですが、この「ZL1000エリミネーター」に関しては、明確な原型となるモデルが無く、

もし、それにあたるとすれば「エンジンが共通」してた「GPZ1000RX」がそうだったと言う感じでした。

そのエンジンですが、水冷式4スト並列4気筒DOHC4バルブで排気量が997cc、最高出力は110psで最大トルクが9.3kgとなっていました。

また、ライバルとなる「V-MAX1200」が150ps近くパワーがあったので、この「ZL1000エリミネーター」が最高速では太刀打ち出来ないと思われていましたが、

実際に走ってみると全く遜色の無い速さを誇ってた事で、周りを驚かせたと言う「逸話」も残っています。(多分いま乗っても十分に速いと感じられる気がします。)

要は、いかに「GPZ1000RX」や、カワサキ並列4気筒エンジンが、速さに対して優れていたかを実証する結果だったと言える感じですね。(笑)

さらにこれが後々の、いわゆる400ccモデルや250ccモデルの「エリミネーター」シリーズの人気に繋がり、国内ではこの手の中型バイクが思った以上に売れる結果になる訳です。

しかし、実際のところを言ってしまうと、この「ZL1000エリミネーター」自体ってそこまで売れませんでした。(笑)

また、先代(1984年〜1985年)にあたる「エリミネーター900/750」からの後継モデルだったので、ある程度技術的にも進化したオートバイだったと考えられるのですが、

最終的には国内外を問わず、異例の人気を獲得したライバルの「V-MAX1200」には敵わなかったんですかね。

で、最終モデルとなるのが1988年までで、この「ZL1000エリミネーター」は生産終了してしまいます。

ただ、この「エリミネーター」シリーズはその後も続き400ccと250cc以外にも500cc、600cc、125ccなどが続々と出現します。

並列エンジンを搭載したこの手の「ドラッグクルーザー」も、1つのジャンルとして構築されていくのですが、2000年を超えたあたりからその需要を下げてしまいます。

また現在での中古市場を見てみますと、大体安いもので100万円あたりから高いものになると150万円前後で取引されています。

1986年から1988年までの短期間販売されてた海外輸出モデルですから、当然球数は少なめで中々上物を探すとなると難しいかも知れません。

しかし、ドラッグマシンとして最大排気量を誇る「ZL1000エリミネーター」は、今から乗るにしてもカッコいいオートバイの1つだとボクは思いますね!(笑)






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不思議な運命を辿るオートバイ…、ヤマハ・FZX750。(番外編vol.3321)

2022-07-24 00:01:24 | 日記

まず1986年に登場したこのヤマハ「FZX750」ですが一旦は1992年をもって生産中止となります、しかし何故か1998年に再登場し2000年まで売られた不思議なオートバイなんですよね。(笑)

他でこれと似たようなパターンを探すと、スズキの名車「GSX1100S-刀」が挙げられるのですが、こっちの場合は多くのファンの声に応える形で再販された経緯でした。

また、もっと深掘りして見ていきますと、ホンダ「CBX400F」やカワサキ「GPZ400R」の様に、一旦は販売中止が決定した後に継続販売されたものもあるのですが、何となくこれらとも違う感じです。

なんせこの「FZX750」に関しては、そこまで世間のラブコールがあった訳ではなく、ボク的にもイマイチ「よく分からない再販」となっちゃってる気がするんですよね。(笑)

ただ唯一、1つだけ考えられる事は1996年から大型バイクが教習所で取得できる様になった「最初の頃の教習車」って、この「FZX750」が全国で使われていた経緯が確かありました。

なので、もしかすると一般向けとして再販したと言うより「教習所で使うために再販されたんじゃないか?」って想像出来る節もあります。(ただこれはあくまでボクの推測に過ぎません。)

結果的には、最初の登場から考えると非常に長い期間売らる結果となるのですが、そもそもは1985年に登場した初代「V-MAX1200」の「国内版」の様な立ち位置で登場した感じでした。

当時って今とは違い、国内での大型バイク規定では排気量が「750ccまで」となっていた為、初代「V-MAX1200」は当初、海外輸出モデルのみの販売であり、

そう言った経緯から考えれば、1986年の時点では初代「V-MAX1200」の国内版がこの「FZX750」だったと考えてもいい気がするんですよね。(笑)

しかし、実際は見た目こそ類似しているもののエンジンは当時のスポーツモデルだった「FZ750」から引用された45度バンクの水冷式4スト並列4気筒DOHC5バルブが搭載されていたので、

完全な排気量ダウンモデルとは違い、この「FZX750」は完全な国内版と言うより「一応の独自性を持ってた」とも言えるんですよね。ただこれが正解だったかどうかは何とも言えませんけど…。

もし開発費を安くあげるためにエンジンを流用して作ったと言えば、そうなのかも知れませんが、強く「V-MAX1200」を意識して国内最速ドラッグマシンとして設計されてたなら、

爆発的な人気を獲得してた「VMAX1200」の事を考えると、同じ「V型4気筒エンジン」の750cc版であった方が確実に人気車となった気がしますけどね。

また後でこっそり「Vブースト(回転数に応じて1シリンダーに2つのキャブレターで可変)」なんかも取り付けれれば、もっと人気モデルとなった可能性があったんじゃないかな。(笑)

で、この「FZX750」を詳細に見ていきますと、フレームはダブルクレードル式で、「V-MAX1200」がシャフトドライブだったのに対し、こっちは一般的なチェーン式が採用されており、

タンクはダミーで実際のガソリンタンクはシート下に配置されていました。ここは「V-MAX1200」と同じ仕様となっています。そうそう忘れていましたが最高出力が74psで最大トルクは6.4kgです。

また、そのガソリンタンク容量は13リットルで、市街地での平均燃費が約20km、満タンからの航続距離が260kmと言う計算になります。

さらにホイールサイズはフロントが16インチ、リアが15インチとなっており初期モデルと最終モデルとで大きな変更点は無かった状況でした。ただし初期が6速だったののに対し後期は5速となっています。

このトランスミッションの変更も「教習所で使うために再販されたんじゃないか?」の裏付けになる気がするんですよね。(笑)

で、最後に中古市場を見てみますと、大体安いもので35万円あたりから、高いものになると110万円前後で取引されています。

この価格差はもちろん年式の差にもよりますが、極端な価格が付いてる車両を見ると、かなり高額なお金を注ぎ込んで「大掛かりなカスタム車」に変更したモデルに高値が付いてる感じです。

色々書きましたが、さて、この不思議な売られ方をした「FZX750」ですが、いかがだったでしょう!(笑)






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残念!時代とマッチしなかった…、ホンダ・CBX750ホライゾン。(番外編vol.3320)

2022-07-23 00:02:00 | 日記

1979年に登場したホンダの名車「CB750F」から1980年代に入り、よりスポーツバイクとして進化を遂げた「CBX750F」へと移行した国内仕様(〜750cc)の「大型バイク」ですが、

そこから「派生」するカタチで新たに登場したのが、この「CBX750ホライゾン」です。そのコンセプトは「大型ツアラー」と言うもので現在では人気を得てるジャンルに属するものでした。

元はベースとなった「CBX750F」のスタイルを変えたものですが、アップハンドルに低いシート高は、完全に長距離を快適に速く走れるオートバイを目指して開発されたモデルと言える車両です。

で、その登場は1984年からだったのですが、残念ながらその翌年の1985年には早々に廃盤化されてしまいます。また、その後に関して類似系のモデルが「登場しなかった」事を考えるに、

その敗因の1つとして、この時代との「マッチング」に問題があったと考えられます。(笑)

この頃って、とりあえず世の中は確実に空前の「オートバイブーム」に向かっていたのですが、世間が求めるオートバイが「ある一定のジャンル」に固定されていたと言う事です。

また、この時代のメインユーザーが「10代から20代の若い世代」で構成されてた関係上、オートバイ=「速さ」と言う概念もあった気がします。

この時代はまさに中型バイクを中心とした「レーサーレプリカ」が求められてた時代で、こう言った方向性(ツアラー系)の大型バイクって少なくとも国内では「需要がなかった」と言える訳です。

今考えると現在だと受け入れられる可能性を秘めていますが、当時だと完全に時代とマッチしてなかった…、何となく出て来る「時代を間違えた」とも言えそうです。(笑)

これは完全に「ボク個人の考え」ですが、もしかすると1.000ccぐらいの排気量でアメリカ(北米)を中心に販売してれば、それなりの成果を獲得出来た可能性があった気もします。

と言うことで、この「CBX750ホライゾン」の詳細なスペックを見てみますと、まずエンジンは「CBX750F」と共通の、空冷式4スト並列4気筒DOHC4バルブで、排気量が747cc、

最高出力は77psで、最大トルクが6.5kgとなっていました。またガソリンタンク容量が16リットルで、市街地での平均燃費が約15km、満タンからの航続距離が240kmと言う計算になります。

少し大型ツアラーとしては航続距離が少ないですが、フォルムを優先した結果だったのかも知れません。(笑)

さらに駆動に関しては「シャフトドライブ式」が採用されており、フレームはスチール製のダブルクレードル式を採用、フロントホイールサイズが18インチでリアが16インチとなっていました。

このホイール&タイヤサイズは、後に登場する現在でも人気モデルの初代ヤマハ「V-MAX」と同じサイズで、数は限られていますが現在でも数種類のメーカーから販売されてるサイズとなります。

また、この駆動方式にシャフトドライブを採用した背景には、走行距離数に対して「メンテナンスの優位性」を考慮したもので、確実にスポーツツアラーである事を実証してると言える気がします。

さらに、当時の新しい機構の1つにホンダ独自の「バックトルクリミッター」が搭載されており、シャフトドライブから来る強めのエンジンブレーキをスムースな回転域に収める機能が備わっていたんですよね。

色々な意味でこの時代の大型バイクに対するホンダの考えがかえりみられるのですが、どうしても国内でのマーケティング市場として「無理があった」事も今考えると感じられてしまいます。

で、この「CBX750ホライゾン」の中古市場を見てみますと、大体安いもので60万円あたりから、高いものでも100万円前後で取引されている様です。まぁ、高からず安からず言ったとことでしょうか。

当時だと需要が無かった車両ですが、現在はツーリング主体の時代となっていますから、あえて新型を狙わずに人と被らないこの「CBX750ホライゾン」を選ぶって方法も個人的にはアリな気がします。

ただし、40年近く経つ古いオートバイですから「パーツの問題や故障の可能性」などを考えるとオートバイ慣れしたベテラン向きで、初心者の方にはお勧め出来ないかも知れません…。(笑)





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刀と同時期にあったオートバイ、スズキ・GSX750E。(番外編vol.3319)

2022-07-22 00:02:08 | 日記

1980年に登場したスズキ「GSX750E」は海外輸出モデルの「GSX1100E」の国内版として登場するのですが、その翌年にはあの名車「GSX1100S-刀」の登場と共に、

国内モデルとして兄弟車の「GSX750S-刀」が出現する事となり、これがその後の「GSX750E」の運命を変える流れを生み出してしまいます。

結果的には「GSX750S-刀」と並走して1985年まで売られて行く中、悲しいかな自社ブランドに追い込みを掛けられるカタチとなってしまうんですよね。(笑)

そう、この「GSX750E」はこの「GSX750E」として、しっかりとした「進化」を遂げて行くのですが、常に強敵である「GSX750S-刀」の影に隠れるカタチとなってしまい、

長期間売られたにも関わらず最後まで人気を獲得することが出来なかったんですよね。(笑)これって凡人のボクにはよく分からない「自滅パターン」とも言えるスズキ独特の現象です。(笑)

それを分かりやすく彷彿させるのが、マイナーチェンジからなる車体「デザイン」で、初期モデルと最終モデルとでは全く違うバイクじゃないかって思うほど変更が重ねられて行く事となります。

もちろん名前はずっと「GSX750E」のままです…。これは何としても「GSX750E」としての「ブランド価値を高めたい」と言うスズキの思惑がそうしたと考えられます。

で、この「GSX750E」を大きく分けると「E1〜E4」までに細分化することが出来るのですが、まず初期モデルの「E1」はあからさまな1970年代のフォルムをしており、

当時、珍しかった水冷式2スト4気筒エンジンで知名度を高めていた「GT750」を角形ヘッドライトに変えただけの様な、とてもよく似たフォルムをしていました、しかし、

最終モデルとなる「E4」になると、かなり「GSX750S-刀」を意識した状況になり、フロントのセミカウルからリアに流れるスタイリッシュなデザインへと変化して行くんですよね。

また、フレーム構造も含め大筋の「基本設計」は最後まで変わっていませんが、とにかく見た目が全然違うことになって行きます。これは上記の写真を見ればお分かりになると思うのですが、

これって年式は違えど全て同じ「GSX750E」ですからね。(笑)これこそがまさにスズキの思考が「他社と違う」って世間から思われる要因の1つとも考えられ、

ここまで同一の名称で、毎年ひたすらマイナーチェンジされ、結局フルモデルチェンジされる事なくデザインだけが大きく変化した車両は他に見当たらない気がします。(笑)

まあ、逆に「GSX750E」から、次の2世代目として「GSX750E-S」とか「GSX750R」とか名称も同時に変わって行くなら、至って普通なんですけどね。

で、とりあえず「GSX750E」の詳細なスペックを見てみますと、まずエンジンは空冷式4スト並列4気筒DOHC4バルブで排気量は747cc、

またそれまでの「GS」から「GSX」に変更された最初のモデルとなるのですが、この「X」はエンジンが「4バルブ」に変更された事を意味しています。

さらに初期モデルのキャストホイールはフロント19インチ、リア18インチとなっており、最終モデルだとフロント16インチ、リア17インチへと変更されて行きます。

またフレームは最初から最後まで基本的なダブルクレードル式を採用しているのですが、最終モデルの「E4」だけスチール製ながらアルミフレームの様な見た目に変わっています。

より具体的に言いますと、この見た目の変更って実は「E3」型から始まっており、この時点でセミカウルが装備されます、またサイドのデザインもこの時に大幅変更されています。

結果的には、どことなく兄弟車の「GSX750S-刀」に近いデザインとなって行くのですが、現在の中古市場を見てみますと圧倒的に「初期モデルに価値が付いてる」状況です。

具体的には大体安いもので50万円あたりから、高いものだと300万円前後で取引されているのですが、この高額な車両は全て初期モデルの「E1」か「E2」型に集約されています。

同一の車種ながらあまりに違うフォルムを持った代表的な車両の1つですが、時代が流れていけば古いものの方へ価値が移行して行くんですね!(笑)






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