友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

地域新聞づくりから離れて

2024年02月09日 17時15分38秒 | Weblog

 退院して初めて、独りで外に出た。外と言っても、13階まで階段を上り、エレベーターで1階まで降り、ゴミの集積場まで歩くだけのことだ。外出する時は「独りでは行かせないでね」と、長女から言われているカミさんは、「私も一緒に行こうか」と言う。「大丈夫だよ」と言ってゴミ袋を持って出かけた。

 孫娘がタカシマヤで並んで買って来たという、クラブハリエのショコラバームを、3時のおやつに食べたので、モリモリと元気が出たのだ。周りは少しも変わらないと思ったが、何となく春めいて来ている。とにかく転倒しないようにと気を付けた。日赤病院の薬が無くなるので、明日はかかりつけのクリニックに報告に行く。

 そのクリニックの医師のお母さんに昔、私が編集・発行していた地域新聞に、文章を書いてもらったことがあった。音楽に精通していた人のようで、ヨーロッパへ旅した時のことが書かれていたと思う。海外旅行などしたことの無かった私は、その文章に触発されてイタリアへ出かけた。

 新聞は創刊号から200号まで、2冊に分けて製本してある。どこかにクリニックのお母さんの文章があるはずだと、1枚ずつ捲って見ているがなかなか見つからない。でも、おかげで自分が作ってきた地域新聞の歴史を思い出すことが出来た。新聞づくりは、地域の有力者だった師勝町と西春町の前町長を訪ね、発起人になって欲しいとお願いして始まった。

 私はこの町にこんな人がいる、こんな活動をしている、そんな些細なひとつ一つを記事にして発信していった。今、読み返しても、こんなに活躍している人がいると新鮮に感じる。1周年を迎え、発起人のおふたりから、「良い新聞だ」とお褒めの文章が載っている。みんなが記事を書いてくれ、投稿してしてくれた。

 紙面に出来るだけ多くの人が、登場するように努力してきたことが良かったと思う。新聞づくりから離れてもう28年、ずいぶん昔のことになる。

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