懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 その66 群馬の養蚕農家

2013年07月21日 | 日本茅葺紀行

群馬はかって養蚕県として生糸を輸出産業にして外貨獲得に寄与した。
関東の農家の七割で養蚕をやっていたといわれていた。
養蚕の出来るように茅葺民家も改造なり新規に建築された。
群馬の茅葺き養蚕民家は二階建て構造の物が多いがこの家は古いためか改造が小規模である。採光と風通しをよくするため一部を突き上げている。妻部も切り落として窓にしている。
私も歩ければ民家にお邪魔してどんな改造をしたのか養蚕はどのようにしていたのかなど聞いてみるのだが今は軽薄な撮影旅行になっている。

群馬の養蚕も、1930年代になり合成繊維ナイロンの発明、戦後は中国などの安い製品に押され近年は着物離れで生糸の生産は壊滅寸前に追い込まれている。

合繊繊維は素晴らしすぎるのが欠点である。強い安い加工も容易、大量生産できる。
絹織物は決してなくならない。人間は金持ちになると手間のかかるもの高い物、人が持っていない物をほしがるものだ。

農産物も工業製品も盛衰のサイクルが速くなっている。
20年間産業が栄える事が珍しくなってきている。
会社に入社して定年まで同じ会社に勤めづけるのは難しくなっている。
会社も何十年も存続できるか分からない時代だ。
農水省の推進する農作物の栽培もTPPへの参加で先が読めない。

蚕の糸を利用は5000年前と言われている。蚕には天蚕と養蚕があるそうだ。天然の蚕の生産も長野ではされているようだ。緑色の美しい絹織物になる。
茅葺仲間の秋田の人が天然の蚕に詳しく山道を走りながら木の枝の繭を見つけた。緑の繭を見せてくれた。秋田ではお守りにするそうだ、私ももらった繭を車に飾っている。。私も山道で繭を探すが全く見つからない。
養蚕の蚕は人間に長い間飼われて家畜化されていて目も足も退化してぶら下がって繭を作れないので人から桑の葉をもらい専用の箱で繭を作る。

懐かしの蒸気機関車写真展 その17 「通勤風景」 福岡後藤寺

2013年07月20日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 福岡県田川市  日田英彦山線後藤寺駅

今回から三回にわたり蒸気機関車と通勤風景をお送りします。
蒸気機関車の写真で朝夕の通勤列車の風景は余り残っていない。
走行している蒸気機関車ばかり追いかけて乗客と蒸気機関車の写真は撮らないものだ。
あれから40年以上経過すると駅での人の風景を見るとその当時の風俗がわかる。

この当時は学生だけでなく大人も通勤に列車を使っているのが分かる。今ならば田舎の社会人はほとんどマイカー通勤だと思う。
なぜ人と蒸気機関車の写真を撮影しなかったかのだろう。
ひとつには列車は人を目的地に運ぶために運行されている、当たり前の事を理解していない。鉄道は人が主役なのに鉄道マニアは機関車が主役になっている。
私も歳を取って初めて気づいたように思う。
それと一番列車で撮影場所へ行き機関車を待っているので通勤時間帯の事はほとんど分からないし関心がないのが実態。
それと駅に停車している気動車や貨物、駅舎や駅前風景など時代とともに変わっていくのではという思いで撮影するべきだった。鉄道をどんな視点で撮り残していくかの考えが未熟だつたと思う。

上記に関連付けた話しですが大分前に岡山の旭川の写真展を見に行った、意見を書いてほしいと用紙を渡された。
私は川の写真なのに雨の日の写真が一枚もない、山に降る雨の写真がほしかった。又、日本有数の棚田地帯なのに水を利用した棚田の写真が一枚もないと書いた。
川と言えば川本体の写真だけではなく関連事項を体系付けて自分なりのひとつの物語に作り上げるが創作活動の楽しみである。




茅葺民家 京都府日吉町

2013年07月19日 | 茅葺き民家
撮影場所 京都府日吉町(現在は南丹市)

日吉町上胡麻にピアニストのエルンスト、ザイラー夫婦が茅葺民家に住まれている。
奥さんは日本人でカズコさん。師匠だったご主人と結婚して田舎暮らしをしている。
田舎暮らしとともに自家用野菜を栽培されている。
住まれている茅葺民家の上の高台に寺院だった茅葺民家を移築している。
これはテレビで何度も放送されているのでご存じの方も多いとおもう。
ネットでも検索できる。

春と秋に本堂でピアノのコンサートが開かれる。
道は田舎道の狭く駐車場もないので鉄道を利用している。
コンサートの日は山陰線の胡麻駅から人の列が出来ると地元の人が言っていた。
お堂に300人ほど入るそうだ。
周辺にはこの茅葺民家以外に5軒あった。今はどうなっているか分からない。







懐かしい物 手作り農具

2013年07月18日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県鏡野町越畑

手作りの背負子を背負った女性を撮影させてもらう。
籠を背負い物を運搬する農具も今では目にするのも少なくなった。。
柳などのよく曲がる木を使い背負子の骨組みを作り紐で隙間を編で行く。
時には薪や落ち葉、時には収穫した野菜や弁当もいれる。
岡山文庫に岡山の民具がある。本を買って読んだものの時代的に本に載っている農具は撮れそうになかった。倉庫からだしてもらえば撮れない事もなかったが実用として使われていない物を撮影しても仕方ないと思った。
出会えば撮影していこうと思った。

バックの民家は茅葺は一軒のみになった。五年前の昭和の時代には三軒茅葺民家だった。
茅葺ばかり描く画家の人が何回か写生にきていたと話してくれた。
撮影している場所には山からの用水が流れていて引きこみ鯉を飼っていた。
真鯉なので食べるのですかと聞いたら飼っているうちに情がうつり食べられなくなった。
一緒に飼っているヤマメは食べると言っていた。





日本茅葺紀行 その65 広島県廿日市市

2013年07月17日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 広島県廿日市市

この民家は廿日市市の指定を受けているそうだ。江戸末期に建てられたそうだ。
立派な民家である。石垣がいい。今はブログなどでいろんな人がこの家も投稿している。撮影は木の葉の落ちる冬場がいいようだ。夏場に撮られた写真は木の葉で民家の全景がよく見えない。

いままで指定民家や保存民家は撮ってこなかったがここは人が住んでいるし昔ながらの生活も残っているので撮影させてもらった。
重要文化財も撮影しておかないと在原集落のように火災や天災で消える事もかんがえられる。有名なところは自分が撮らなくても沢山の写真は残っているという思いもあった。
廿日市市は平成の合併で瀬戸内海から島根県との県境まで広い範囲となった。




懐かしの蒸気機関車写真展 その16 「橋とトンネル」 油須原

2013年07月16日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 福岡県田川線油須原周辺(在は平成筑豊鉄道)

鉄道の写真を残すにあたりトンネルの写真も何枚か残しておこうと撮影した。
トンネルとトンネルのつながるところとトンネルが広く(線化する予定があったと思われる)
トンネルに進入する蒸気機関車を撮影した。
明暗のはっきりしたトンネルの撮影は露出設定が難しい。
蒸気機関車の部分が露出オーバーにならないように手動で設定するのが良い。
この当時は手動カメラだったので蒸気機関車に部分に露出が合うように自分の経験値で設定していた。

トンネルも古くからある路線は石組みやレンガ積みのトンネルもあったようだ。
肥薩線などは古いトンネルがあったが歩いて引返してまでして撮れるものではなかった。
呉線も古いのでレンガ積みがあったが電化で架線をはるのに拡幅に伴いコンクリート化されたのもあった。
蒸気機関車時代の客車には冷房がなく夏は窓を開けて走った。
トンネルの都度窓をしめた。
蒸気機関車とこんな客車に乗った経験のある人も段々と減ってきた。


茅葺民家  鳥取県智頭町

2013年07月15日 | 茅葺き民家
撮影場所 鳥取県智頭町西谷新田


智頭町の奥に西谷新田はある。
新田の名の通り新しい時代に人が住みついたのであろう。
智頭町から西粟倉村に抜ける因幡街道の途中から山に入る。
何十戸の集落に茅葺民家が点々とあり山里の昔ながらの集落を形成していた。
どこにでもあった山村の集落であるが茅葺民家が消え、人が消えて集落も消えようとしている。
私が最初に訪れた時はそれなりに村落の生活は維持されていたが、近年訪れた時は民家の状態や田の維持から荒廃が続いているように思えた。
しかし、西谷新田で検索すると「にほんの里百選」に登録されている。
にほんの里百選は朝日新聞が編集したものである。
公共がやるものや団体がやるもの百選もいろいろあって重複しているのも多い。
地域も村おこしにPRに躍起である。ここ西谷新田も客を呼ぶ施設を作っているようだ。
山や田にある資源を手を変え品を変え提供して村おこしをしないとすぐに飽きられる。






懐かしい物 足袋の看板

2013年07月14日 | 懐かしい物
撮影場所 倉敷市玉島

こんな写真を撮影したこともすっかり忘れている。
忘れる事を見ると余り興味があって撮影したのではないだろう。
撮影場所は玉島の新倉敷駅の南側ではないかと思う。
写真の隅に茅葺民家が少し写っているのでわかった。

古い昔ながらの本瓦葺きの倉庫に漆喰で「はまや足袋」と書かれている。
足袋を作っていたのか宣伝なのかは地元の人に聞かないと分からない。
昔は倉庫などに漆喰で店名や工場名を書いていた。
こんなのを昭和の時代から撮影しておけば時代の流れがわかった。
フィルム時代では思いつかないテーマである。
こんなテーマはちょっとかじるだけでは意味がない、やるなら徹底してやらないと中途半端では物にならないので覚悟がいる。





日本茅葺紀行 その64 青森リンゴの花

2013年07月13日 | 日本茅葺紀行
撮影場所  青森県田舎館町

津軽地方は走れど走れどリンゴ畑だ。
しかし、リンゴの花やリンゴと茅葺民家は意外と撮影していない。
リンゴの実る頃は余り近づくとリンゴ泥棒と思われるし、車椅子で近づけるところならばよいが一般的には埋まり込みそうな地面のところが多い。
横着して車の中から撮影したいのだが最適な場所はすくない。
これはよその家の庭から撮影させてもらった。
話をしていたらうちのリンゴを絞ったリンゴジュースと二本くれた。
五月を過ぎリンゴジュースも味が変わるので商品価値がなくなるのでとくれた。

リンゴを撮るには花や実のあるシーズンに行かないとならない。
リンゴの実と茅葺の写真をばっちり撮りたいものだ。
津軽の民家は木製の棟飾りと煙だしも乗せている。これをハッポーと呼ぶそうだ。
木製は傷みやすいのでトタンで覆う家が多いが木製に出合うとうれしい。

イチロー頑張れ

2013年07月12日 | 日記
イチローの日米通算安打4000本まであと31本となった。
いまのペースだとお盆くらいになりそうだ。
私はイチローの安打記録をMLBの試合結果を見てエクセルの表に入力するのが日課となった。毎年200安打、打っていた時は200本安打を打つ日を予想していたが年齢的な要因もあり厳しくなってきた。(ネットで検索すると私のように毎試合記録している人はいるものだ)

監督の選手起用もあり今年は一試合一安打のペースも厳しくなっている。
誰しも晩年は厳しい試練が待っている。張本勲、長島茂雄、王貞治、40歳前でがっくりと衰えてきている。
しかもMLBの投手のレベルは日本のプロ野球の比ではない。
年齢の衰えと共に速球が打てなくなるがまだ頑張っている。
日米通算4000本安打の瞬間に生きておられるのは幸せである。

こんな歴史的瞬間が見られるのはそうあるものでない。
イチローとしてはピートローズの通算安打4256本を抜きMLBで3000本安打を目指し大リーグの野球殿堂入りを目標にしている。
ヤンキースという厳しいレギュラー争いの試練にあえて挑戦し続ける姿は我々にも希望をもらえる。

この年齢になると一年一年、瞬間瞬間が勝負である。
MLB3000本は年齢的にも厳しいし大リーグでレギュラーを続けるのも厳しい。
短期の目標を一つづつクリアーしながら大きな目標を達成してほしい。
目先の目標
1.MLB 2700安打
2.日米通算4000安打
3.今年のシーズン終了時点 2760安打
4.MLB 2781安打 歴代安打50傑(ほとんどが殿堂入りしている) 
5.MLB 2800安打
6.MLB 2812安打 ジョージシスラーの記録に並ぶ
7.MLB 2900安打
8.来年シーズン終了時点 2920安打
9.日米通算で4256安打 ピートローズに並ぶ
10.MLB 3000安打達成