外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

すずめちゃんのためのブラウンライスシャワー

2024-08-02 19:48:10 | 日記

 

またしばらくご無沙汰していたが、皆さんはいかがお過ごしだろうか。

 

私はこの非常識な暑さをやりすごすのにエネルギーの大半を投入していて、なかなかブログが更新できなかったのだが、今日は気合を入れて、久しぶりに書いてみる(2日かかった)。我ながらがんばり屋さんだ。まあ、気合を入れるような内容でもないですがね…(自分を褒めてから落とすスタイル)

 

今回のテーマは「ライスシャワー」だ。(中東無関係)

 

 

目が覚めてからまず、すずめに米をあげる。これが最近の私の習慣だ。もちろんすずめを飼っているわけではなく、野良すずめが対象だ。エサやりスポットは2か所。主に使っている部屋の窓辺と、もう一つの部屋(ボロアパートだが一応2部屋ある。ベランダはない)の窓の正面にある隣の廃ビルの屋上だ。

 

窓辺に置く分は、外側のサッシ部分に置くのだが、窓のサッシは幅が狭い上につるつるしていて、無造作に生米を置くと、下に転がり落ちてしまうので、注意が必要だ。精米された白米だと、粒が丸くて転がり落ちる確率が高いため、最近は玄米を買っている。玄米の方がサッシの上に留まりやすいのだ。それに、玄米の方が栄養があるから、すずめちゃんたちの体に良いかもしれない。

 

米粒が落ちて下の階の人の不興を買うのを避けるため、そしてすずめの栄養補給のため、あえて玄米を買う。そんなことをするのは、私ぐらいかもしれない。長時間の吸水が必要な玄米を炊くのは面倒なので、最近はすっかり米を炊かなくなり、買った玄米は全てすずめちゃんのお腹に消えて行く。

 

なお、私は米は百均の土鍋で炊くことにしている。炊飯器だと時間がかかってめんどくさいんですもの。鍋でもめんどくさいから、滅多に炊かないが。

 

隣りの廃ビルの屋上には、窓から手を伸ばして、相撲取りが塩を撒く要領で米粒を撒く。大体ふたつかみ程度。遠くから様子を伺っていたすずめたちが近寄ってきたら、窓を閉める。窓を開けたままだと、私を怖がって食べてくれないからだ。優しいすずめおばさんなのに、失礼しちゃうわね…

 

ある日、いつものように廃ビルの屋上に米を撒いていて、ふと、この放物線を描いて青空に舞う米粒、テレビのCMか海外ドラマかなにかで見たことあるな、何だったっけ…と考え込んだ。

 

あ~

 

わかった~

 

ライスシャワーだ~

 

欧米の結婚式で、教会から出た新郎新婦に、家族や友人たちが米を振りかけるやつ~

 

これこれ(ネットで拾った画像)

 

 

これからは、すずめに米を撒くことを「ライスシャワー」と呼ぼう。なんだか、縁起が良さそうじゃないですか?玄米だから、ブラウンライスシャワーかな。うふふ…

 

いつか、すずめのカップルの結婚式に出席して、盛大にライスシャワーしてみたい。新郎新婦にも、ご家族ご親類ご友人一同にも、大喜びされそう。うふふ…(暑さのせいで脳がやられて妄想が止まらない)

 

ちなみに、ライスシャワーを検索していたら、競走馬の「ライスシャワー」の情報が出てきた。

天皇賞とか菊花賞とか、色々賞を取った優秀な馬だったが、骨折してその場で安楽死という非業の最後を遂げたらしい…

 

 

 

(おまけの室内園芸写真)

 

5月14日に種を蒔いたキャンドゥの栽培キットのミニトマト

 

 

着々と立ち枯れへの道を歩んでいる気がしてならない…

 

 

 

花がつきそうな気配のまま、ずっとつかないし、葉先が枯れてきている。

 

やはり、こんな小さい容器で栽培するのは無理があるのだろう。もう実を収穫するのは諦めて、最後まで看取ろう…

 

 

(終わり)

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母の誕生日にお絵描き

2024-07-14 21:06:52 |  自作のイラスト

 

 

 

今回は唐突に、自作のイラストの発表会で~す。

 

母の誕生日プレゼントとして、久しぶりにペンタブレットを使って描いたのだ。毎回ずいぶん間が空くので、全然使い慣れず、案の定今回も、「消しゴムモードから戻れない!どうやったらペンに戻れるの??」などと延々と悩んだ…なんとか描き上げたが、ちゃんと色を塗ったり、背景を描き込んだりして丁寧に仕上げる余裕が全然なかった。それでも、私の画才の片鱗がうかがえる仕上がりになったのではなかろうか。あ、才能が爆発してる?やっぱりそうかしら、うふふ~(自画自賛の才能が)

 

というわけで、わたくしの力作をご覧くださいませ。3コマ漫画形式になっていますのよ、オホホホ…(画伯っぽい笑い方?)実際にはペンタブレットで描いたが、イラストマンガの中では紙にペンで描いた設定になっているのでよろしく。

 

 

(その1)

 

 

 

 

(その2)

 

 

(その3)

 

 

本人にはこれをLINEで送ったが、まだ返答がない。お気に召したらいいのだが…

 

 

ふぁーちゃん「もっと腕を磨けにゃ~」

 

う~ん、そのうちね・・・

 

 

(終わり)

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パレスチナぼんやり回想(10)最終回~エルサレムは世界で唯一無二の街~

2024-07-03 21:15:00 | パレスチナ

 

 

今回で2010年10月~12月のパレスチナ滞在記の追記は終わり。区切りよく10回で終われて嬉しい。10回だけなのに、やけに時間かかったけど、まあいつものことよね…

 

記念すべき最終回は、エルサレムについて書く。暑さと気温の激変に脳みそがやられているので、大したことは書けませんがね。(今ちょっと書いただけで、もう疲れてきたぞ…がんばれ私…)

 

タイトルに書いたように、エルサレムは世界で唯一無二、比類なき街だと思う。滞在中、街を歩きながら時々ふとそんな風に感じ、何か深い感慨に全身が包まれたような、不思議な気分になったものだ。

 

 

なぜエルサレムは特別なのか。

 

それは、2つの全く異なる世界がひとつの街の中に同居しているからだと思う。東エルサレムはアラブ世界、西エルサレムは西欧世界だ。目に見える境はなく、普通に行き来できるが、その違いは明確に感じられる。そして、その2つの世界が重なり合うところ、街の中核をなす旧市街は、アラブのムスリム地区・キリスト教徒地区、ユダヤ人地区、アルメニア人地区から構成され、世界的に重要な聖地が集まる形で、いくつもの小世界が狭い空間に共存している。こんなところ、他にあるだろうか?

 

もちろん、東西のエルサレムの分割は、イスラエルによるパレスチナ占領の結果生まれたものなので、平和的共存ではない。占領によるパレスチナ人への抑圧は、どんどん激しくなるばかりだ。しかし、政治的視点を脇に置いて、一人の旅人の目線で眺めてみると、エルサレムが特別な街、訪れる機会を持ったことに感謝すべき場所であることに変わりはない。

 

 

東エルサレムは、西岸地区の諸都市と同様、中東のアラブの街そのものだ。イスラエルの占領下で、インフラ整備がおろそかにされた街並みは貧相だ。道路脇に石がごろごろしていて、たまに「無許可建築」を口実にイスラエル当局に破壊された家の残骸を見かける(イスラエル当局はエルサレムのパレスチナ人に住宅建築許可をほぼ出さない)。

 

 

破壊されたパレスチナ人の住宅

 

 

岩だらけの空き地に君臨する黒猫さん

 

 

道端のゴミコンテナには残飯をあさる猫たちが常駐

 

 

私の住んでいた東エルサレムのオリーブ山周辺では、イスラエルが建てた分離壁をよく見かけた。西エルサレムのイスラエル人のNPOが、分離壁を巡るツアーを催行していて、一度参加したことがある。分離壁はパレスチナ西岸地区を取り囲んでイスラエル領から切り離すだけでなく、入植地建設・拡大と並行して、西岸地区と東エルサレムを切り離す形で建てられており、将来的に東西のエルサレム全体を「不可分な首都」として、イスラエル側に取り込もうとする準備だとみられる。

 

 

分離壁には落書きが多い

 

 

身体能力の高いパレスチナ人の子供や若者が越えられないよう、鉄条網がめぐらせてある。

 

 

延々と伸びる分離壁の向こうは入植地

 

 

入植地とイスラエル側を繋ぐ道路は入植者専用で、パレスチナ人は通行できない。

 

 

一方、西エルサレムの街並みは、ほぼヨーロッパだと思う。建物や道路の造りが東エルサレムとは全然違う。しっかりした鉄筋コンクリートの団地、お洒落でキラキラしたショッピングモールや商店街、高価な飲食店、整備された道路、お酒のあるスーパー、市電やピカピカの大型の路線バス…

 

猫も西と東では違う

 

 

旧市街のユダヤ人街に隣接した西エルサレムのオシャレなショッピングモール

 

 

こういうオブジェがヨーロッパっぽい(気のせい?)

 

 

西エルサレムの繁華街

 

 

「イランバザール」という名の店があってびっくり

イスラエルの宿敵イラン関連の店があるとは思わなかったぜ…

 

 

 

エルサレムの中核をなす旧市街も、様々な小世界がぎゅっと濃縮された不思議なところだ。

 

毎日新聞の記事の地図

 

 

旧市街は城壁に取り囲まれていて、いくつか出入口があるが、ダマスカス門は、その中でも表玄関のような存在だ。

 

 

 

その外側の広場は階段状になっていて、いつも大勢の人々が座って、屋台でお茶を買って飲んだり、おしゃべりしたりして、時間を過ごしている。物売りも多い。イスラエルの警官がしょっちゅう巡回して来て、パレスチナ人の若者たちを尋問したりもする。

 

ダマスカス門周辺やムスリム地区では、正統派ユダヤ教徒の姿もよく見かける。奥に嘆きの壁があるしね。

 

 

これは別の門の近く

 

 

ダマスカス門を入ると、ムスリム地区の古いスーク(商店街)が伸びている。狭い路地にアラブ菓子屋やスパイス屋、土産物屋など、様々な店が並んでいて、見ているだけで楽しい(私はお金がない上に物欲が薄いので、あんまり買い物しない)。ムスリム地区は安宿やインターネットカフェなどもあって便利だ。

 

スークはキリスト教徒地区の方にも伸びている。そちらには酒屋があるので、私は時々ビールやワインを買いに行っていた。

 

これは、ヴィア・ドロローサの行列を見に行った時の写真

 

 

ヴィア・ドロローサ(Via Dolorosa=「苦難の道」)は、イエスが十字架を背負って総督ピラトの官邸から刑場のあるゴルゴダの丘(現在の聖墳墓教会がある場所とされる)まで歩いた道筋のことで、毎週金曜日の午後3時(サマータイムの期間は午後4時)になるとフランシスコ会の修道士らが先導して、十字架を担いでこの道のりを行進しているのだ。(参考

 

 

「ヴィア・ドロローサ」の標識(ウィキペディアから拝借した写真)

 

 

行程は第1留から第14留まである。

 

 

これは第6留(المرحلة السادسة )

 

 

第8留

 

 

ヴィア・ドロローサの終点(第14留)には、聖墳墓教会がある。この教会は、イエスの墓があった場所に建てられたとされ、ベツレヘムの聖誕教会と並んで、キリスト教徒にとって非常に重要な聖地である。

 

入ったところにある、イエスが十字架から降ろされた後、聖骸に香油を塗ったとされる赤大理石の板

 

 

聖墳墓教会の中は、いつも巡礼者や観光客で混んでいる。内部は薄暗くて、非常に厳かな雰囲気。聞いた話では、この教会を訪れた時に、「はっ、もしや私は、特別な使命を受けた神の使者なのかも」などと、インスピレーションを受けてしまう人が時々いるらしい。聖墳墓教会シンドロームだ。私は何も感じなかったが。

 

旧市街のムスリムの聖地と言えば、もちろん「アルアクサ―・モスク」だ。これは、モスクという名前で呼ばれているものの、金色のドームで有名な「岩のドーム」や、それより地味な銀色のドームの「アルキブリー・モスク」など、複数のモスクやその他の建造物を含む敷地一帯を差す(ユダヤ教では「神殿の丘」と呼ばれる)。イスラムの聖地だが、ユダヤ過激派が大挙して押し寄せたり、イスラエル警察が突入してモスク内で礼拝者を襲ったりすることもある。モスクに入る礼拝者の年齢を制限することもしょちゅうある。

 

ムスリムにとってのアルアクサ―・モスクの重要性について説明するロイターの動画(英語)

 

 

観光客は、当時午前中しか見学できなかったので、私は1度しか行っていない。非ムスリムは建物内部には入れないので、外から眺めただけだったが、岩のドームは外観が綺麗なので、外から見るだけでも十分価値がある。

 

 

岩のドームは青空によく映える

 

 

うっとり…

 

敷地を影のように横切る女性

 

 

アルキブリー・モスク

 

 

木陰で楽しそうに語り合うムスリムのおじ様たち

 

 

アルアクサー・モスクで猫や鳩を日々餌付けし、「子猫たちのお父さん」と呼ばれていた男性の動画

 

残念ながら、彼はコロナで亡くなってしまったらしい。

 

 

アルアクサー・モスクの外壁の一部が、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」だ。ここはイスラムの聖地でもあり、「ハーイト・ブラーク」(حائط البراق、「ブラークの壁」)と呼ばれる。「ブラーク」は、預言者ムハンマドを「夜の旅と昇天」の際にマッカからエルサレムに運んだ天馬の名前で、預言者がブラークをこの壁に繋いだとされる。

 

 

 

 

ユダヤ人地区は、古いながらもムスリム地区やキリスト教地区よりも小ぎれいでお洒落な店が多い印象だった。

 

当然猫もキレイ

 

休憩中の女性兵士たちも見かけた。

 

 

 

 

旧市街のアルメニア人地区も一度散策したが、わりと閑散としたイメージだった。聖ヤコブ教会(聖ヤコブ主教座聖堂)が良かったが、何が良かったかはもはや記憶にない。

 

聖ヤコブ教会、この絵の写真しか撮らなかった…

 

 

そういうわけで、エルサレム旧市街は、歴史的、宗教的、民族的、政治的にも非常に濃密な空間であり、旧市街を取り巻くエルサレム全体がそうであると言えるので、あまりパレスチナ・イスラエル問題や宗教などに興味がない方も、機会があれば、一度は訪れてみてはいかがだろうか。人生が変わるような特別な体験が出来るかもしれない。出来ないかもしれない(なんやねん)。

 

まず、イスラエルのセキュリティーを突破しないと入れませんけどね。普通の観光客は問題ないでしょうが…

 

 

そういうわけで、パレスチナ滞在記の追加分はこれで終わり。ここまで読んで下さった気の長い方、どうもありがとうございました~

 

次回からは、一昨年の旅行記の続きに戻る。一昨年って、前世みたいに昔のことのような気がするけど、どこまで書いたっけな…

 

 

 

(おまけの観葉植物写真)

キャンドゥ―のミニトマト栽培キット、間引きした分を別の鉢に植え替えた。(ダイソーの土と鉢)

 

もう実を収穫するのは諦めた。生きていてくれればそれでいいよ、君たち…

 

 

(終わり)

 

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パレスチナぼんやり回想(9)~東エルサレムのシルワン地区(とシェイフ・ジャッラーハ地区)のこと~

2024-06-15 21:01:08 | パレスチナ

 

 

6月に入ってから、日本は真夏日が続くようになってきたが、皆様はいかがお過ごしだろうか。うちは昼間の室温が32度に達し、身の危険を感じ始めた今日この頃だ(しばらく我慢してから、こりゃヤバいと思ってエアコン付けた)。でも、窓から見える公園では、子供たちが元気に遊び、お母さんたちがベンチに座っておしゃべりしている。ベンチは日陰だとしても、けっこうな温度だと思うんだが。なんという勇者たちであろうか。

 

32度でも厳しいのに、エジプトでは日が沈んでも40度あったりするそうだし(そして1日2時間、計画停電がある)、トルコもヨルダンも猛暑だというし(きっとシリア、レバノン、パレスチナあたりも同様)、みんな、どうやって生き延びてるの?脳みそ煮えない??私はだいぶ脳が煮詰まってる気がする・・・

 

ガザの人達なんて、暑くてもエアコンどころか家すらないし、食料不足で栄養失調だし、飲み水だって全然足りないというのに・・・(イスラエルによる破壊と封鎖のため)

 

 

さて、今回は2010年10月~12月のパレスチナ滞在記の続き。エルサレム旧市街に南東で接するシルワン地区に行った時の話だ。

 

シルワン地区はパレスチナ自治区の東エルサレムにあるのだが、ここがその昔ユダヤ民族のダビデ王がエルサレムを建設した地だとみなされ、遺跡なども発見されたことが、パレスチナ人住民にとって災厄だった。イスラエル当局はこの地区の広範囲のパレスチナ人の家屋を破壊し、土地を取り上げて、「ダビデの町」という名の国立公園として観光開発に力を入れると共に、周辺地域へのユダヤ人の入植を進めているのだ。私の大家さんの奥さんの実家がシルワンに持っていた土地も、この国立公園計画のために強制収用されてしまったという。もちろん無償で。

 

なお、大家さんの妹さんは、シルワンと同様にユダヤ人の入植とパレスチナ人の強制立ち退きが進められている東エルサレムのシェイフ・ジャッラーハ地区に住んでいたが、入植者に家をのっとられてしまったので、今は別の場所にアパートを借りて住んでいるそうだ。シェイフ・ジャッラーハ地区には、イスラエル当局に自宅から追い出され、路上で暮らしているパレスチナ人の家族がいて、彼らを支援する団体等が座り込みをやっていたので、見学しに行った。

 

 

入植者が占領したパレスチナ人の住宅

 

 

 

自宅から追い出されて、路上で生活しているパレスチナ人の家族

 

シェイフ・ジャッラーハ地区では、強制退去に応じないパレスチナ人の住民へのイスラエル当局の圧力が近年強まり、封鎖されて報道陣や支援者が入れなかったり、入ろうとすると攻撃されたりする等、状況が激化していたが、今はどうなっているんだろう…

 

 

さて、シルワン地区に話を戻そう。

 

シルワン地区には2回行った。初めて行った時は、なんとなく様子を見に行っただけで、2回目は金曜のデモを見学しに行ったのだ。

 

シルワン地区は、街中に警備の厳重な入植者の住宅があり、不穏な空気が流れていた。歩いていたら、観光客が列をなして入って行くところがあったので、無料だというので入ってみたら、階段の下の石壁に囲まれた細長い水場に出た。「シロアムの池」といって、新約聖書に載っている池らしい。シロアムは、シルワンのことを指す。

 

こういうとこ(ネットで拾った写真)

 

 

この辺りも、パレスチナ人の土地を没収して発掘・観光地化したのかな…

 

 

辺りを歩いていたら、土地の強制収用・家屋破壊に抗議する座り込みのテントがあったり、絶対出て行かないと表明する垂れ幕があったりして、ああ、ここはシルワンなんだなあと思わせた。

 

 

 

「名誉を志す者は残り 卑屈な者は去るが良い 我が愛しのシルワンよ」

 

 

シルワンでは、心なしか猫の顔つきも引き締まっているように見えた。パレスチナの猫だ。

 

 

そろそろ帰ろうかなと思った頃、下校途中の小学生の一団に遭遇した。みんな楽しそうで、引率の先生も笑顔だったので、なんだかホッとした。

 

 

 

みんなかわいい~

 

 

アラブの学校は普通、小学校から男女別々の学校なんだが、ここは珍しく共学だった。

 

 

この日はその後、家に帰ったが、後日もう一度シルワンを訪れた。イスラエルの家屋破壊・土地強制収用に抗議するデモを見学するためだった。デモは毎週金曜日に行われていたが、この日は通常より規模が大きいということだった。

 

私が到着した時は、既に大勢の人が集まっていた。

 

 

テルアビブから大型バス数台でやってきたイスラエル人の団体が、パレスチナ人に連帯して参加していた。そのため、規模が大きくなっていたのだ。リベラル派のイスラエル人が、パレスチナのデモに参加することはよくある(主にテルアビブから)。ビリン村でも見かけたし、ナビー・サーレハ村にも来ていた。

 

地元のパレスチナ人の子供たち

 

 

デモ行進は平和的に行われたが、完全武装したイスラエル兵らが行く手を阻み、やがて石を投げるパレスチナ人の若者たちと、催涙ガス弾を発射する兵士らの追いかけっこになって、周り一帯に不吉な臭いの白いガスが充満し、視界が効かなくなった。ああ、やっぱり…

 

その頃にはもう夕方近くなっていたので、イスラエル人の団体は、テルアビブに帰るべく、バスに乗り込み始めていた。その中の一人の親切な男性が、催涙ガスの嵐にビビっている私を見て一緒にバスに乗せてくれ、ダマスカス門辺りで私を下ろすように運転手に頼んでくれた。やれやれ、助かった…

 

乗るべき人が全員揃うまで、バスはしばらくその場で待機し、それからゆっくりと動き出した。その間、私は助けてくれたイスラエル人男性の隣りに座り、彼に色々質問した。どうしてパレスチナ人のデモに参加しているか、イスラエル政府の占領政策についてどう思うかなどだ。

 

彼は、「僕達の政府(イスラエル政府)がパレスチナ人に対して酷いことをしているから、自分はイスラエル人としてこうやってデモに参加しているんだ」と言いつつ、「でも、パレスチナ人側にも問題あるよ。どっちもどっちなんだよね」といたずらっぽく微笑んだ。

 

それを聞いて私は、「ああ、『リベラルなイスラエル人』の問題意識は所詮この程度なんだな」と、少しがっかりしたような、でもなにか腑に落ちたような気がした。

 

もちろん、パレスチナ自治政府(PA)や、同胞のアラブ諸国の政権には問題がある。PAを率いるマフムード・アッバース大統領やその側近たちは、選挙も実施せず長年権力の座に居座って私腹を肥やし、彼らと敵対するハマスが支配するガザでイスラエル軍が虐殺を行っても、口で非難するだけで何もせず、イスラエルとの治安協力を続けている。大半のアラブ諸国の政権も同様だ。

 

しかし、長年不当にパレスチナを占領して住民を追い出し、残った人々を虐げている側であるイスラエル人には、それを批判しする権利はないと思う。対等の立場にない2者を「どっちもどっち」などと喧嘩両成敗的に評することはできないし、それが当事者の一方であれば、なおさらだ。

 

もちろん、中にはイスラエル政府による西岸や東エルサレムでの占領政策やガザでの虐殺に徹底的に反対しているイスラエル人・ユダヤ人たちも存在する。彼らは全体の中ではごく少数派なわけだが、だからこそ貴重な存在だといえるだろう。

 

ちなみに、この時私を助けてくれたイスラエル人男性は、後に日本にしばらく滞在していた(私は会ってないが)。今は別の国にいるらしい。そういえば、イスラエル人の旅行者は世界のどこにでもいると、ウルパンのヘブライ語の先生が言っていた。

 

私の友人は、「昔、東京の路上でアクセサリーを売ってるイスラエル人と仲良くなったけど、彼は自称モサドだったよ~」と言っていた。東京の路上でアクセサリーを売って、自ら正体をばらすモサドのエージェント、案外ありかな・・・(ないない)

 

 

(参考記事)

パレスチナで密かに進む「ユダヤ人入植」の手口(渡辺 丘 朝日新聞元エルサレム支局長)

https://president.jp/articles/-/31341?page=4

 

3月30日 パレスチナ・土地の日に寄せて【前編】(JVCパレスチナ)

https://note.com/jvcpalestine/n/n3a9015f9dea5

 

 

 

(おまけの室内園芸写真)

 

けなげに育ってきたミニトマトちゃん~

 

 

(続く)

 

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日付不明まとめ書き日記2024年5月~2024年6月初旬

2024-06-06 20:33:19 | 日記

 

 

今回は、パレスチナ滞在記の追記を一回お休みして、久しぶりにまとめ書き日記。パレスチナのブログ、あと少しで終わりなのに、なぜ一気に書けないのだろう。いたずらな魔法使いの仕業かしら、それともイス・・・

 

 

某月某日

朝10時に起きた。我ながら早起きだ。

 

私は元来夜型で、特に仕事がなくなってからは朝寝て午後遅く起きるのが常だったが、それだと起きてから夜ベンチ飲みに出かけるまでの時間が短く、あまり何も出来ないため、最近は夜ごはんの後すぐ寝て(食べ終わるのが夜中1時頃で、満腹になるとすごく眠くなる)、午前中に起きるようにしているのだ。

 

早めに寝ても、朝方ふと目が覚めて、スマホを見て何時間も過ごしてから二度寝して、昼過ぎに起きることも多いが、この日のように、一気に寝て午前中に起きるのに成功する時もある。

 

午前中起きられた時は、自分へのご褒美として、缶酎ハイを開けることにしている。朝まで起きている場合に比べ、夜寝ると確実に酒量が減るから、朝から少しくらい飲んでも罰は当たらないと思うが、一応、ソフト~マイルド酎ハイ(3~7%)を飲むようにしている。我ながらストイックだ。

 

ここまで書いてデジャブを感じ、前回のまとめ書き日記(これ)を読んでみたら、「コタツから出たら、酎ハイを一口(か二口か三口)飲んでいいというご褒美ルールを設定した」と書いてある。しかも、「昼間からストロング酎ハイを飲むのは気が引けるので、なるべく3~7%くらいのソフト~マイルド酎ハイを選ぶようにしている」と書いてある。

 

結局、私は年じゅう自分へのご褒美として、缶酎ハイを飲んでいるのではなかろうか。

 

まあ、「ブレない人」っていうことで、それはそれでいいかもな…(とりあえず自分を褒める能力発揮)

 

 

最近飲んで気に入ったマイルド酎ハイ

ジュース代わりに

 

 

 

某月某日

夜ベンチ飲みに出かけようとしたら、雨がぽつぽつ降ってきた。ベンチ飲みの時間帯だけは降らないようにしてって、あれだけ頼んだのに(空に)。天気予報では雨は降らないはずだったので、すぐ止むかもしれないと思い、とりあえず公園に行く。

 

公園に着いて、ベンチに座っても、まだ降っていた。ほんの小雨なのだが、スマホを出していたら濡れるので気になる。あきらめて帰るべきか、そのまま居座るべきか。

 

少し考えた結果、雨がやむ方に賭けて、傘を差してベンチ飲みをすることにした。傘を差してベンチ飲みをするという新境地に至った私。そして、スマホで観るのはアルジャジーラの生中継(ほぼずっとガザ・パレスチナ関連ニュースをやっている)。ベンチ飲みでアルジャジーラの中継を観ている日本人は私だけじゃないだろうか。しかも傘を差しながら(雨はじきに止んだが)

 

なんだか年々行動がマニアックになって行く気がするが、これが老化現象というものだろうか?(お前だけや)

 

 

私の推しのアルジャジーラのガザ特派員、ヒシャーム・ザクートさん(40)

男前じゃないですか??

 

彼は心理学の博士号を持っているそうだ。既婚者で子供は4人(誰得情報)。

 

イスラエルに家族や同僚を殺され、自身も負傷したワーイル・ダハドゥーフ支局長が今年1月にガザからドーハに退避し、古参のガザ特派員だったヒバ・アキーラさんも昨年12月あたりから姿を見せなくなって(彼女もドーハに避難した可能性あり)、最近では急遽雇われた若いガザ特派員たちが命がけで頑張っているのだが、その中で、ベテランのヒシャームさんの冷静でプロフェッショナルな報道姿勢を見ると、やはりほっとする。ずっと元気で活躍してほしいが、彼もイスラエル軍の標的だろうから、いつ何があるか分からない。

 

 

某月某日

室内干しの洗濯物はインテリアだから、色の調和が重要だと認識する。

 

うちの安アパートにはベランダがないので、洗濯物は常に室内干し。乾いてもタンスに仕舞うのが面倒なので、干しっぱなしにしている。その方が、替えの下着の減り具合をみて、次の洗濯の時期を決めやすいしね。(週1,2回しか洗濯しない)

 

というわけで、年じゅう洗濯物がカーテンレールにぶら下がっているのだが、特に下着は目に入りやすい所に干してあるので、しょっちゅう眺めることになる。昼寝から目覚めた時になんとなく見ていたら、パンツも靴下も黒やグレー、茶色、紺色、水色など、全体的に色調がまとまっていて、シックな見た目になっている。我ながら、センスがいい。これはもはや、インテリアではないか。

 

近くで見たら、布がヨレヨレで、穴もいっぱい開いているのだが、それもファッションってことにしたらいいさ…

 

 

某月某日

起き抜けに、ドリップコーヒーを淹れ、百均のカプチーノミキサーで泡立てた牛乳を垂らして、カプチーノにする。これが最近の日課なのだ。もちろんラム酒も少し加える。百均のカプチーノミキサーは案外馬力があり、牛乳によっては、ちょっと引くぐらい泡立つのだ。

 

あわあわのスチームミルクを眺めているうちに、ふと「このカプチーノミキサー、ビールにも使えるのでは」という天啓が降りてきたので、ランチ(パンとホンムスとか)の時に早速やってみる。

 

ビールでやって失敗したら悲しいので、安い発泡酒を用意した。お世辞にも美味しいとは言えないが、安いから買ったものだ。

 

 

泡立ちが悪いが、実験には好都合。

 

 

これをカプチーノミキサーでブイーンと泡立てたら・・・

 

 

こうなりました~

ほとんど泡

 

飲んでみたら、クリーミーな泡立ちでいい感じだった。人工の泡はすぐに消えたが、カプチーノミキサーで何度でも再生できる。これは良いことを思いついた。天才じゃなかろうか。

 

泡立てたことによって、味が落ちたかもしれないが、もともと美味しくない発泡酒なので、別に問題ない。「カプチーノミキサーdeあわあわビール(発泡酒)作戦」、大成功だ。

 

 

でもやっぱり、お店で良く冷えたジョッキの生ビールを飲みたいな~

 

 

先月銀座ライオンで友人におごってもらったサッポロ黒ラベルの生

やっぱり、泡立てなくても泡があるビール、いいよね・・・

 

 

 

(おまけの室内園芸写真)

 

キャンドゥで買ったミニトマト栽培キット(220円)

 

じわ

 

じわじわ

 

じわじわじわ

 

じわじわじわじわ育ってきた~

枯れそうになったら、窓から見える公園の花壇にこっそり移植しようかと考えている今日この頃

 

 

(終わり)

 

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