すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

「はてブはネガコメが多い」と言われるのはなぜか?

2008-02-09 11:05:40 | メディア論
■賛同のブクマはしても、コメントを書かないケースは多い

 人間のネガティブな思考は、強いエネルギーをもっている。だからネット上で人物や意見に否定的な感情をもつと、ことあるごとに「彼」に対して嫌味や揶揄を連発するようになる。いわゆる「粘着系」の行動だ。

 これは特に意見を表明するための敷居が低いネット上では、よく起こる現象である。

 それに対して「好感をもちました」とか「おもしろかった」、「気に入りました」程度のポジティブな感想は、コメントとして発露しにくい。「思い」が負のエネルギーほど強くないから、単にブックマークしただけでコメントを書かずに素通りすることも多い。

 よっぽど「感動した」「強く賛同します」的な気持ちが湧いた場合を除き、わざわざポジティブな意見をコメントに書くことは案外少ない。

■9つの「無言ブクマ」より、1つのネガコメが印象に残る

 このネガ・ポジ比較論は、『はてブネガコメを嫌がるアナタへたったひとつのアドバイス』(304 Not Modified)を読んで浮かんだものだ。

 文中で筆者のまなめさんは、ネガティブな意見のインパクトについてこう分析する。

私も一人のブログ書きとして
99の賛同より1の反論の方が心に響いちゃうってのは分かるつもり。
そして、ネガティブな意見に同調した人がぞろぞろやってきて
ネガコメで埋まってしまうって状態もはてブではたまにあるからなんとも言えないけど。
人ってのはどうもネガティブな意見の方が書きたがるんだよね。(強調表現は松岡による)


 加えて冒頭に書いたように、記事に好感をもってもコメントは書かずにブクマするだけって例は多い。

 すると10個ついたブクマのうち、9つは賛同の意味だがコメントがない。唯一ついたコメントがネガコメだった、なんてケースも頻発するようになる。

 この場合、記事の筆者には、たった1つのネガコメが強く印象に残るだろう。

 その結果、筆者には「イヤな感じ」のほうが植えつけられる。記事に賛同する意見はステルスであることが多いのに、否定的な感想はコメントとして可視化されてるんだから当然だ。

■意見を否定された感情的な反発が「ネガコメ多い」論を生む

 もうひとつの要素はまなめさんも書いてる通り、「支持する意見」と「否定する意見」に対する情報の受け手の心理に落差がある点だ。

 人間は圧倒的に、自分を否定されたときのほうが心に残る。もちろん「おもしろい」と言われれば気分はいい。だが、「この記事のどこに価値があるかわからない」などと評されたときのショックとくらべれば格段の差だ。

 だからネガコメは記憶に刻み込まれる。で、「はてブはネガコメばかりだ」という印象論が多くなる。

 そんな人間の感情の動きと、印象論を生む構造を指摘したのが以下の記事だ。

これらの問題は、「気分が悪い」というごく私的で感情的な問題だ。そこに客観的な正しさを持ち込んだところで気分の悪さは消えるものではない。嫌なもんは嫌なもんなのだ。(中略)

実際はネガティブじゃないのにネガティブばっかりと思う人が結構いるということは、何か原因があるのだろうから、そこから見ていかないと駄目なんじゃないかなあ。

●Prepared Mind『「実際どうか」よりも「どう感じるか」が大事』


 たとえネガコメの内容が「客観的な事実」を指摘するものであっても、受け手の側はそれを快か不快か? の主観で判断する。で、感情的に反応する。いわゆる「気を悪くする」というやつだ。

 そして今日もまた「はてブは不快だ。ネガコメばかりだ」という印象論が再生産されるのである。

【本日の結論】

1. 最近またもや、はてブのネガコメ是非論が話題だ。だけどネガコメって実は数そのものは多くない。

2. なのになぜ「はてブはネガコメが多い」と言われるのか?

3. それは記事の筆者から見て「ポジティブなコメントより、ネガコメのインパクトの方が強いから」である。

【関連エントリ】

『はてブにマイナス・イメージを持つ人がいるのはなぜか?』

『ネガコメを元に自戒するとき、スルーするとき』
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