すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

実録・石原慎太郎氏インタビューの裏側

2024-03-24 12:31:21 | エッセイ
著書『弟』を出版直後、お会いすることに

 先日書いた「村上“ポンタ”秀一さん・インタビュー」と同様、「もう時効だから書いてもいいかな?」シリーズの第2弾へ行こう。

 石原慎太郎さんはもうお亡くなりになられたし、時効だろう。

 当時、私はマガジンハウスの雑誌『ポパイ』で連載をもっていた。で、その連載で石原慎太郎さんにインタビューしよう、って話になった。

 石原さんはちょうど1996年に、弟・石原裕次郎さんとのことを綴った書籍『弟』を出版直後だった。

 つまりその単行本の紹介に絡め、ポパイを読む若い世代に向けて石原さんから生き方についてのメッセージをもらおう、みたいな趣旨だった。

ちょうど時代の転換期だった

 実はこれ全て、ポパイの件の編集長氏が仕組んだ巧妙なシナリオだ。

(いや実は『弟』の編集を担当されていた幻冬舎の見城徹氏も企画段階から一枚噛んでいたかもしれないが)

 ちょうどあのころは時代の転換期で、日本では保守的な思想が再注目され始めた時期だった。

 そしてその後、橋本徹氏あたりがメキメキ台頭し「新保守主義」とか「新自由主義」が日本で大ブレイクして行くことになる。

 当時の石原慎太郎さんは、そんな新しい時代の幕を切って落とした保守リーダーの1人だった。

 ポパイの当時の編集長氏は非常に目端の利く人で、そんな時代の変化を敏感に感じ取り「よし石原慎太郎さんで行こう」って話になったわけだ。

 当の石原氏はといえば、1995年に突然、衆議院議員を辞職し雄伏されていた時代だ。

 その後は橋本徹氏と並び立ち、一時代をリードすることになって行く。ちょうどそんな岐路に当たる時期だった。

見城氏「ひとつ前の取材は酷かった」

 まずは私と連載の担当編集者さん、そして編集長氏の3人がロケバスに乗り、途中で幻冬舎の見城徹氏も乗り込んできた。

 で、一行は石原さんの元へと直行する。

 見城氏によれば、どうやら当の石原さんにはそのころ著書『弟』に絡めたインタビューが殺到している様子だった。

 ちょうど私が過去、元キングクリムゾンのベーシストであるジョン・ウェットン氏に新譜のインタビューをした時とまったく同じ構造だ。

 インタビューに絡めて自己の作品を広報宣伝するーー。

 これって業界ではよくあるお話なのだ。

 で、ロケバスのなかで見城氏は、先日、石原さんにインタビューしたある女性記者のさんざんなエピソードを話し始めた。

「いやぁ、あのときは大変だったんだよ。そのインタビュアーは著書の『弟』をぜんぜん読んでなくてね」

「それでもう石原さんが怒って取材にならなかった。くれぐれもそんなことにはならないよう、お願いしますよ」

 そんなことをおっしゃっていた。

 私は心の中で、苦笑いしながらそれを聞いていた。

私の緻密な取材に一同あっけにとられ……

 さて一行は石原さんの元へ着き、インタビューが始まった。

 私はやおら石原さんの前にドッカと座り、バッグの中からすっかり萎れた石原さんの著書『弟』を取り出した。

 そして石原さん(と私の)目の前にある机の上にバンと置いた。つまり一発、カマシを入れたわけだ。

 私が取り出したその本は、いったいなぜそんなに萎れていたのか?

 もちろん私が事前にさんざん何度も読み込んだからだ。

 取り出した本にはあちこちにビッシリ付箋が貼られ、表紙は完全に「しなしな」だった。

 で、私はメモさえまるで見ず、本に書いてある通りの下りをソラで暗唱しながらインタビューを切り出して行った。

 そして「あそこのあの箇所に込められた石原さんの思いと訴えとは何か?」を丁寧に聞き込んで行った。

 すると当の石原さんも、本の編集を担当された見城氏も「まるで鳩が豆鉄砲を食らった」ような状態になった。

 もう石原さんなんか、すっかりアッケに取られて私への応接がしどろもどろになる始末だ。

 あの豪胆な石原さんが、ですよ?

 一方、私のほうは余裕たっぷりで(実は心の中であまりの痛快さに笑いながら)、次々に本の下りを諳んじながら話を切り出して行く。

 場の雰囲気はすっかり豹変し、いまや「おや? こいつは、どうやらほかの奴とはぜんぜん違うようだぞ」という雰囲気になった。

(ちなみにこれもジョン・ウェットン氏にインタビューした時の、ジョンの反応と笑っちゃうくらい同じだった)

 さて実際にお会いしてみると、石原さんは実に豪快でフランクな方だった。

 私の丁寧で細かい取材対応にすっかり圧倒されながらも、さすがに一定の威厳は保たれていた。

 まあ政治家なんだから当然だが。

見城氏が私に直立不動の姿勢になり……

 そんなこんなで取材が終わった瞬間だった。

 なんとあの見城氏が突然、スッと立ち上がり、私のほうへきちんと向き直って「直立不動」の姿勢になった。

 見ると指先が、カラダの両サイドでキッチリ伸び切っている。

 つまり小学生が学校でよくやる「気をつけ」の姿勢である。

 そして「あの本を隅々までよくお読み下さり、本当にありがとうございましたッ!」と一気に言い切り、深々と私にこうべを垂れたのだ。

 私のほうはさすがに驚き、だが心の中では「そんなのマトモな取材者なら当り前ですよ」と思いながらニコニコ笑って応接した。

 ポパイの編集長氏もすっかりポパイの株が上がり、まんざらでもない様子だ。

 あとは一同、なんだかしばらくその場を立ち去りがたい雰囲気になった。かくて、まるで和やかな懇談会の様相に突入して行った。

石原氏「松岡君はサッカーやってたんだ?」

 当の石原氏もすっかり私に心を許した感じで、「松岡君!」と言いながら突然、呼びかけて来た。

 いきなりだったので今度は私が直立不動になる番だ。

 すると石原さんは「(いったい誰に聞いたのか知らないが)松岡君はサッカーをやっていたらしいね?」とおっしゃる。

「はい」と答えると、石原さんは「俺もサッカーやってたんだよ。当時、インナーってポジションだったんだ」

 インナーなるポジションはもちろん現代サッカーではすでに存在しないが、私も本では読んで知っていた。

 で、「ああ、FWの隣の攻撃的なポジションでしたね。花形ですよね」などとヨイショした。

 すると石原さんは笑いながら、我が意を得たりな様子である。

石原氏は私に「自己開示」して来た

 実はこのときの石原さんのひとことは、心理学用語でいえば「自己開示」に当たる。

 つまり相手に心を許した人間(例えば心理療法士を信頼し切った患者など)が、自分の心の奥深くに潜む、自分だけしか知らない自分のことを「開示する」現象だ。

 ひとことでいえば「打ち明け話」である。

 この「自己開示」というのは1970年代に心理学者で精神医学者のシドニー・M・ジュラード氏によって提唱された概念だ。

 人間と人間が相互理解を深め、信頼のおける人間関係を築く上で自己開示は欠かせない要素とされている。

 そんなわけで一同、すっかりリラックスし、至福の時が過ぎて行った。

 おかげでその後、私はすっかりポパイの編集長氏に認められ、その後、編集長氏が単行本の編集部へ配属になったあとも末長くお付き合いが続いた。

 で、その後、この編集長氏から構成を依頼された永六輔さんの単行本でも、おもしろいマル秘ネタがあるのだが……それはまた後日に譲ろう。

 では本日はこんなところで。

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