オイラは、様々な諸問題や現象を分析する時に、
「文化力」と「阻害要因」に区別して考えるようにしている。
この考え方は、以前に福岡県立太宰府高校の教師、
占部賢志先生から教えていただいたことをヒントにしている。
いきなり、「文化力」とか「阻害要因」とか難しい言葉がでました。
読むことをやめてしまわないで、読んでみてください。
「文化力」は、健全で心地よい風紀(空気)が保たれるように、
それなりの努力や工夫がなされており、その成果が良い方に出ていることを仮にそう呼ぶ。
「阻害要因」とは、文化力とは逆の意味を持つ。
健全で心地よい風紀(空気)を作る努力も工夫もなく、
不健全、不健康であり不快であり、そのマイナス要素やマイナスの影響力を仮にそう呼ぶ。
プラスとマイナス、正義と悪、光と闇、右と左など、世の中全てがセットになっているように、
「文化力」と「阻害要因」もセットである。
例えば、A君とB君という生徒がいた場合。
A君にとって学校は、楽しい、友だちがいる、授業にも意欲的に臨める、部活も頑張っている。
このような場合、A君にとって学校は、圧倒的に「文化力」の高い場所と言える。
そのA君が「学校に行きたくない」と思うような「阻害要因」が見当たらないからだ。
逆に、B君にとって学校は、つまらない、いじめられる、授業にもついていけない、部活は苦痛。
このような場合、B君にとって学校は、圧倒的に「阻害要因」の多い場所と言える。
A君とB君は全く同じ学校に通っているのに、置かれた立場は全く異なる。
「文化力」が「阻害要因」に優れば、学校に行ける。
「阻害要因」が「文化力」に優れば、学校には行けない。
もちろんそんな単純なことばかりではいが、様々な諸問題や現象を、
「文化力」と「阻害要因」に分けて考えてみると、意外とすっきりと物事が見えてくる。
過ごしている家庭ではどうか?
家族がいつもニコニコしていて、あたたかい空気に包まれている。
掃除・洗濯が行き届き、家じゅうが清潔できれい。
食事は家族みんなで食卓を囲み、会話が途切れない。
この家庭の場合、「文化力」と「阻害要因」はどちらに比重がよっているでしょうか。
「文化力」でしょう。まるで「サザエさん」みたいな家庭です。
「サザエさん」は「文化力」の高い家庭のモデルケースですね。
だから、「サザエさん」の視聴者は、「こんな家庭だったらいいな。」という憧れと願望をもつ。
しかし一方では、「あんなキレイごとだけで済まされることばかりじゃないわ。」
という気持ちも抱かせる。
そうです。あらゆる家庭も「サザエさん」のようにはいかないのです。
夫婦の問題あり、子供の問題あり、金銭面の問題あり、両親の介護の問題あり・・・。
幸せを求めて、「文化力」を高める努力はしていても、どうすることも出来ないような問題が生じて、
それが「阻害要因」へと変わる。
家庭は「文化力」と「阻害要因」が共存する場所なのだ。
家庭だけではない、個人も、地域も、学校も、職場も、関東地方も、日本も、世界も、
「文化力」と「阻害要因」が同居しているのです。
一人ひとり(個人)も、「文化力」と「阻害要因」の同居だ。
国語が得意で、スポーツも出来るという「文化力」と、
だけど、数学が苦手だし、女の子にもてないという「阻害要因」。
できる・できない、得意・不得意、長所・短所、もてる・もてないなどの集合体が、
個人を作り上げているわけで、まさに「文化力」と「阻害要因」は同居しているのだ。
それを前提にして、個人も、家庭も、地域も、学校も、
持っている「文化力」を伸ばそうと前向きでポジティブに考えるのか、
持っている「阻害要因」に悩み苦しみ、後ろ向きでネガティブになるのか。
持っている「文化力」を伸ばすことで、「阻害要因」を飲み込んでしまうくらいに、
スケールを大きく、前向きに考えても良いのではないでしょうか。
松実の「文化力」とは何でしょうか。
それは生徒が素直で、優しくて、頑張り屋さんが多いこと、
絵が好きで上手な子が多いこと、笑顔がたくさんあること。
自分を変えようと努力できる生徒が多いこと。
先生は一生懸命で、優しくて、努力家が多いこと。
学園長先生、校長先生、相談役の先生のように、
器が大きく、厚みのある指導者がいること。
それ以外にも色々ありますが、
オイラは、それが松実の主な「文化力」だと思います。
でも、先程にも述べたとおり、
「文化力」と「阻害要因」はセットである以上、
松実も「文化力」とセットで「阻害要因」を抱えているでしょう。
「文化力」という学園の筋力を鍛えるトレーニングと、
「阻害要因」という学園の負のオーラをお掃除するクリーニング。
トレーニングに重点を置き、しかし両方ともしっかりやっていきたいと考えている。 G
P・S タキ、おめでとう。末永く幸せに。北海道のラベンダー畑の真ん中で愛を叫べ!