新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月29日 その2 「再び感染拡大の兆しが見えてきた」の訂正版

2021-06-29 10:04:02 | コラム
再再再度の感染拡大を阻止するために:

私なりの結論から言えば「感染拡大の阻止は非常に難しいのではないか」となる。だが、仮令、またもや拡大しても、その数は先進工業国の中では群を抜いて少ないのだ。それでも、オリンピックが目前に迫って各国の選手団の入国が始まった現時点では、遺憾ながら我が親愛なるマスコミが騒ぎ立てる格好の材料になってしまっているのだ。

しかも、既に指摘したように、東京都で緊急事態宣言が解除されるや否や感染が再拡大するという「緊急事態宣言」に効果があったと立証されてしまっている。それかあらぬか、失態続きの厚労省の田村大臣は「宣言を発するかも」と仰せになったのだ。

私が「難しいのではない」と思う理由を挙げてみよう。その前に、菅首相の「大規模で速やかなるワクチン接種の方針は立派に軌道に乗っていることは紛れもない事実である」と、マスコミが何と雑音を立てようとも、認めておかねばならないと思う。

私の考えは「飲むために飲む文化」、「若者の意識改革」、「人の流れを食い止める」の3点である。

飲むために飲む文化:
第一は「公共交通機関が発達し、それに日常的に依存している勤め人その他が非常に多い以上、家を離れた場所で勤務先からの帰宅の途中などに『一寸一杯』を楽しんでいる人たちの行動を阻止するのは至難の業ではないか」という点を挙げたい。しかも、その人たちを対象にした大・中・小の外飲食業者が、日本中何処に行っても無数にあることを無視できないのだ。しかも、その業者たちを為政者たちが「感染源」と判定して、色々と規制をかける手法に打って出たのだ。

私は恐らく、もう少なくとも50年は自分の小遣いから投資してバーだろうと居酒屋だろうと、単独で飲みに出掛けたことがないような極端な下戸なのだ。だが、俗に言う「アフター・ファイブ」に「一寸軽く一杯」という人たちの気持ちは十分に理解しているつもりだ。私は「その一杯を気の合った仲間たちと楽しんだ後で、終電車を利用して終点まで寝過ごしてしまっても、特に非難されないという習慣」は我が国独自の文化であり、アメリカやヨーロッパの諸国とは大きく異なっている風俗、即ち文化だと認識している。

その文化が重大な感染源であるからと、外飲食業者に時間短縮や酒類の提供の自粛を要請する手法もありかと思う。しかし、「一寸一杯組」の賛同は先ず得られまいと思っていた。だが、現実には「緊急事態宣言」のどの点が功を奏していたのか知らないが、解除した途端に再度感染拡大の兆しが見えてきて、宣言の効果は証明されたと思えるのだった。それかあらぬか、外飲業者とその関係先を救済すべき給付金の禁止的に近いと非難されている手続きと振り込みの遅延があって、一部の業者たちは「もう待っていられない」と決起してしまった。

私にはこの昨日や今日始まった訳ではない「一寸一杯」の文化を根絶やしにして、ウイルスを退治しようという政策が、一朝一夕に効果を発揮するとは思えないので、先行きには悲観的である。「何も小遣いを投じてまでも外で飲まないで、家に帰ってから飲めば良いじゃないか」という人もいるが、それは通用しないだろう。彼らは「飲むために飲んでいる」のだから。

アメリカ人の社会で経験した「食事の味を良くして食事を楽しむために食前に飲み、仕上げのカクテルを」という文化と根本的に違うのだから。であれば、橋下徹氏ではないが、休業して貰う外飲業界の救済のための補償金の予算処置以外の手段はないのではないか。

若者の意識改革を:
彼らは旧来の習慣を無視するとか、新たな文化を樹立するとか、既成の秩序を破壊するとかというような行為に、生き甲斐を見出す傾向があるのではないかと、私は考えている。「若気の至り」などは本当は恥ずべき事なのだが、彼らは「若いうちの恥はかきすて」くらいに考えているのではないかと疑っている。であるから、無秩序・無定見に盛り場に出て行こうとするし、路上での飲食のような恥知らずの行動に出るのではないか。これは絶対に辞めさせるべきだし、厳罰があっても良いかと思う。

私は事態がこれ以上悪化する前に「要請」ではなく、法的な規制をかける以外に彼らを押し止める手法はないとすら考えている。思うに、彼らはマスコミが流した「青少年期にある者たちは。仮令感染しても軽症で済むか、無症状に終わる」というニュースに飛び付いて、COVID-19を甘く見ているのは間違いないと言いたくなる。街中で飲んだくれている連中の中に大学生が数多くいるのならば、これもまた問題だと思う。彼らは若さをそういう形で誇示するのではなく、彼らの本分である勉強に時間を投入すべきだ。

人の流れを食い止めよう:
夜中まで街に出ているのは若者たちだけではないようだ。これを食い止めようと思えば、諸外国のように都市封鎖しかないとは思う。だが、そこまでにこの手法を採った先進国では決して成功し続けていた訳ではなかったのも事実だ。我が国では橋下徹氏が非難し続けているように、私権制限までに至っていない特措法では抑えきれないし、何かと言えば「私権制限云々」が出てくる脳天気さを排除したい思いだ。

私は「要請」だけで乗り切れないとハッキリしてきてしまった以上、残された手段は総理大臣が国民に「国家の未曾有の危機を脱し、国民の皆様の幸福と平和と安全を維持するために、皆でもう一息苦しさに耐えて、(例えばだが)後1ヶ月自分たちの為にも、夜間の外での飲食を控える自粛生活に耐えて頂きたい。飲食業者には可及的速やかに休業保証金を給付するよう財務当局に厳命するつもりだ。何卒宜しくご理解を」と、大音声で流してご覧になったら如何かと考えて見た。

私は菅首相の語り口には「迸るような情熱が感じられない恨みがあった」と思うから言うのだ。そんなことで済むかと言われる向きは多いと思う。だが、何時までも西村康稔大臣や田村憲久厚労相や尾身茂分科会長を前面に出しているべきではなく、総理大臣自らが「俺に付いてこい」というような、気迫溢れる語りかけをして貰いたいのだ。そんなことが可能かどうか知らないが、ドナルド・トランプ氏は「アメリカを取り返す」と獅子吼して、支持者たちの拍手喝采を受けていたではないか。

再び感染拡大の兆しが見えてきた

2021-06-29 09:55:20 | コラム
再再再度の感染拡大を阻止するために:

私なりの結論から言えば「感染拡大の阻止は非常に難しいのではないか」となる。だが、仮令、またもや拡大しても、その数は先進工業国の中では群を抜いて少ないのだ。それでも、オリンピックが目前に迫って各国の選手団の入国が始まった現時点では、遺憾ながら我が親愛なるマスコミが騒ぎ立てる格好の材料になってしまっているのだ。

しかも、既に指摘したように、東京都で緊急事態宣言が解除されるや否や感染が再拡大するという「緊急事態宣言」に効果があったと立証されてしまっている。それかあらぬか、失態続きの厚労省の田村大臣は「宣言を発するかも」と仰せになったのだ。

私が「難しいのではない」と思う理由を挙げてみよう。その前に、菅首相の「大規模で速やかなるワクチン接種の方針は立派に軌道に乗っていることは紛れもない事実である」と、マスコミが何と雑音を立てようとも、認めておかねばならないと思う。

私の考えは「飲むために飲む文化」、「若者の意識改革」、「人の流れを食い止める」の3点である。

飲むために飲む文化:
第一は「公共交通機関が発達し、それに日常的に依存している勤め人その他が非常に多い以上、家を離れた場所で勤務先からの帰宅の途中などに『一寸一杯』を楽しんでいる人たちの行動を阻止するのは至難の業ではないか」という点を挙げたい。しかも、その人たちを対象にした大・中・小の外飲食業者が、日本中何処に行っても無数にあることを無視できないのだ。しかも、その業者たちを為政者たちが「感染源」と判定して、色々と規制をかける手法に打って出たのだ。

私は恐らく、もう少なくとも50年は自分の小遣いから投資してバーだろうと居酒屋だろうと、単独で飲みに出掛けたことがないような極端な下戸なのだ。だが、俗に言う「アフター・ファイブ」に「一寸軽く一杯」という人たちの気持ちは十分に理解しているつもりだ。私は「その一杯を気の合った仲間たちと楽しんだ後で、終電車を利用して終点まで寝過ごしてしまっても、特に非難されないという習慣」は我が国独自の文化であり、アメリカやヨーロッパの諸国とは大きく異なっている風俗、即ち文化だと認識している。

その文化が重大な感染源であるからと、外飲食業者に時間短縮や酒類の提供の自粛を要請する手法もありかと思う。しかし、「一寸一杯組」の賛同は先ず得られまいと思っていた。だが、現実には「緊急事態宣言」のどの点が功を奏していたのか知らないが、解除した途端に再度感染拡大の兆しが見えてきて、宣言の効果は証明されたと思えるのだった。それかあらぬか、外飲業者とその関係先を救済すべき給付金の禁止的に近いと非難されている手続きと振り込みの遅延があって、一部の業者たちは「もう待っていられない」と決起してしまった。

私にはこの昨日や今日始まった訳ではない「一寸一杯」の文化を根絶やしにして、ウイルスを退治しようという政策が、一朝一夕に効果を発揮するとは思えないので、先行きには悲観的である。「何も小遣いを投じてまでも外で飲まないで、家に帰ってから飲めば良いじゃないか」という人もいるが、それは通用しないだろう。彼らは「飲むために飲んでいる」のだから。

アメリカ人の社会で経験した「髱ものの味を良くして食事を楽しむために食前に飲み、仕上げのカクテルを」という文化と根本的に違うのだから。であれば、橋下徹氏ではないが、休業して貰う外飲業界の救済のための補償金の予算処置以外の手段はないのではないか。

若者の意識改革を:
彼らは旧来の習慣を無視するとか、新たな文化を樹立するとか、既成の秩序を破壊するとかというような行為に、生き甲斐を見出す傾向があるのではないかと、私は考えている。「若気の至り」などは本当は恥ずべき事なのだが、彼らは「若いうちの恥はかきすて」くらいに考えているのではないかと疑っている。であるから、無秩序・無定見に盛り場に出て行こうとするし、路上での飲食のような恥知らずの行動に出るのではないか。これは絶対に辞めさせるべきだし、厳罰があっても良いかと思う。

私は事態がこれ以上悪化する前に「要請」ではなく、法的な規制をかける以外に彼らを押し止める手法はないとすら考えている。思うに、彼らはマスコミが流した「青少年期にある者たちは。仮令感染しても軽症で済むか、無症状に終わる」というニュースに飛び付いて、COVID-19を甘く見ているのは間違いないと言いたくなる。街中で飲んだくれている連中の中に大学生が数多くいるのならば、これもまた問題だと思う。彼らは若さをそういう形で誇示するのではなく、彼らの本分である勉強に時間を投入すべきだ。

人の流れを食い止めよう:
夜中まで街に出ているのは若者たちだけではないようだ。これを食い止めようと思えば、諸外国のように都市封鎖しかないとは思う。だが、そこまでにこの手法を採った先進国では決して成功し続けていた訳ではなかったのも事実だ。我が国では橋下徹氏が非難し続けているように、私権制限までに至っていない特措法では抑えきれないし、何かと言えば「私権制限云々」が出てくる脳天気さを排除したい思いだ。

私は「要請」だけで乗り切れないとハッキリしてきてしまった以上、残された手段は総理大臣が国民に「国家の未曾有の危機を脱し、国民の皆様の幸福と平和と安全を維持するために、皆でもう一息苦しさに耐えて、(例えばだが)後1ヶ月自分たちの為にも、夜間の外での飲食を控える自粛生活に耐えて頂きたい。飲食業者には可及的速やかに休業保証金を給付するよう財務当局に厳命するつもりだ。何卒宜しくご理解を」と、大音声で流してご覧になったら如何かと考えて見た。

私は菅首相の語り口には「迸るような情熱が感じられない恨みがあった」と思うから言うのだ。そんなことで済むかと言われる向きは多いと思う。だが、何時までも西村康稔大臣や田村憲久厚労相や尾身茂分科会長を前面に出しているべきではなく、総理大臣自らが「俺に付いてこい」というような、気迫溢れる語りかけをして貰いたいのだ。そんなことが可能かどうか知らないが、ドナルド・トランプ氏は「アメリカを取り返す」と獅子吼して、支持者たちの拍手喝采を受けていたではないか。