新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月31日 その3 2016年が終わろうとしております

2016-12-31 20:29:30 | コラム
皆々様

年末のご挨拶を申し上げます。

2016年が終わろうとしております。本年中は駄文を連日のように掲載して失礼いたしました。来年もこれに懲りることなく、宜しくお引き立てのほどをお願い申し上げます。末筆ながら皆々様のご健康とご多幸を祈念して終わります。

真一文字拝
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12月31日 その2 日米間の企業社会の文化の違い

2016-12-31 16:27:35 | コラム
内側から見た日米の会社比較論:

事の始まりは今日の産経から尾形氏が田久保忠衛氏の

<20年ほど前に、ブレンジンスキーが「日本はアメリカの事実上の保護国だ」と言った。それから脱却するのか、もっと後退するのか、日本はその分岐点にある。(田久保忠衛氏)>

を引用されたことから始まったのでした。私はこの田久保氏の意見については反論はしませんが、下記のように考えを述べていったので、参考までにご紹介します。

<私の感覚では、彼らの内側で彼らの為に22年半も働いていた実感から言わせて貰えば、「彼らはと言うかアメリカは我が国を良い意味での子会社だと思っている、乃至は親会社として振る舞っている」のだったと思います。別な見方では「ビジネスの世界では我が国を非常に恐れており、決して保護しているなどとは考えていない者が多かった」となります。

更に見方を変えれば「アメリカは偉大なる田舎者集団ですから、我が国で一般的に想像しているような国際人は極めて少数派で、我が国については言うに及ばず、海外の諸国についての知識の持ち合わせもなく、また情報が少なく、一般的には国外の情勢を良く解っている人は少ないと言えます。日本とは如何なる国かを真に認識し理解している者は支配階層でも限定されていたと思います。念のため確認しておけば、私は出来る限りアメリカ人の視点に立って言っています。>

と反応しました。私は更に、

<「我が国はアメリカの保護国と言うよりも「優良子会社であったと実感してきました」と応じ、「アメリカ側に立ってみれば親会社として振る舞う場面が多かったと感じていた」と補足しました。即ち、これは「健全経営で少なくとも親会社が投じた金額を銀行預金にしたよりもより利回りである配当をする会社」ということだと思っております。長年旧Kパルプ社の直轄の販売代理店である子会社におりまして、親会社が何を狙って投資したのかかを聞かされました。

私は良い子会社に育てていくのが親会社の役目であるのですが、決して望んでいたほどには保護はされませんでした。メーカーとして他の販売先(資本関係のない代理店)の手前、我々だけを特別扱いにはしなかったのだと解釈していました。

私がアメリカの会社2社に在籍している間に、日本という子会社は成長し過ぎて色々な分野でアメリカの脅威にもなったし、競合関係にもなっていったのでした。その為にある種の敵愾心のようなものも芽生えました。事実、アメリカは我が国に完全に追い抜かれた自動車のような産業界もあり、1970年代末期だったかにNBCが「日本に出来る事が何故我々に出来ないのか」という長時間番組を放映し、大反響を呼びました。我々も社内で何度も見せられましたし、アメリカでその番組を見損なった知人の退役中佐は出張してきた際に、我が家まで来て一緒に見たほどでした。>

とのような見方を追加しました。更に良き子会社とはとして、

<何時だったか、1995年に紙業タイムス誌に載せた1990年に本社事業部全員に聞いて貰ったプリゼンテーション「日米企業社会における文化比較論」をご覧に入れた記憶もあります。私はアメリカの会社が日本に進出して望んでいたような成功を為し得なかったことの最大の理由は、「雇っている日本人の質がそれほど高くなかったこと」にもあると思うのです。しかも、英語が出来る者が実力があると錯覚していました。ここでは、自分のことは棚に上げて語っています、念のため。

私は日本の会社で将来性を嘱望するような優れた材であれば、容易には手放さないと思っていますし、そう認識もしております。何人かから「貴方は向こうの会社が合っていたようだ」と言われましたが、そこにも誤解があると思うのです。生活の手段として採用して貰えたのであって、その環境に如何に順応していくか、評価されるかは簡単なことではありませんでした。

更に、「上記のようなことで、往々にしてアメリカの会社の日本における出店(営業所か支社)にはまがい物の英語を話し、『日本人の皮を被っているアメリカ人擬き』と私が極言したような者が多いと思っています」と後難を恐れつつ持論を展開しました。一般論としては、上司と本社に逆らえず「会社の代弁をするだけ」の社員ばかりが多かったようでした。本部が望む社員とは「客先に本社の意向を余すところなく伝えて、反論を許さず、従わせるのが重要な任務を遂行する者」だったのです。

それは「お客の代弁をするような(customer first)日本人社員」は本部では余り評価せず、不快に思っていたのでした。この辺りが、私がこれまでに何度も採り上げてきた“representation of the customer to the company”なので、“representation of the company to the company”型と対比されて歓迎されるのです。遺憾ながら私は屡々上司に直言するような全社のような不良社員だったので、M社の本部からは競合する他社の日本人マネージャーを例に挙げて「君も少しは彼を見習えば良い社員になれる」と苦言を呈されました。

しかし、良く考えるまでもアメリカの会社に雇われている以上「何処の誰から給与を貰っているのかを認識する時」に、会社の意向を得意先に忠実に同意させるあるべきだったと言えるのです。しかし、客先では会社の意向を伝えに来るだけの営業担当者は「当時者能力に欠けると歓迎しない」と評判は悪くなるものですが、それは仕方がないことだとは解っておりました。その辺りを表す表現が“From where your pay check come from?”に日米間の文化の相違が凝縮されています。

パルプのような原料を製紙会社お買い上げ頂いていることは、そのメーカーの製紙会社としての生殺与奪の権利を握っているようなことですから、北米のパルプメーカーの会社に逆らうお客様は希でした。話の方向がやや変わってしまいましたが、我が国では通用する“representation of the customer to the company”の姿勢は客先には評価されても、アメリカの会社では職(雇用)の安全性を損なう危険性があるのです。

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流行性感冒患者の家内を介護して

2016-12-31 09:18:01 | コラム
思いがけない事態だった:

家内は29日は夕方から病院の救急外来に駆けつけた、ではなく辛うじて歩いていっただけで治療を受けて終わったが、私は昨日は介護したからというよりも不安で精神的に疲労した感が濃厚だった。まさか我が家で発症する者がいるとは全く予想もしていなかった。29日の病院での治療でインフルエンザは終わったかの如きだが、医師の警告通りに昨日の午前中には8どの熱が出て病院で貰った解熱剤を投じて間もなく熱は下がった。

兎に角、病人と一緒に食事もしてはならない等々と色々の対処法と注意事項を教えられたので、うがいと手洗いの励行と環境整備と何か食べさせることだけで一日が終わってしまった感があった。焦ったのは年末で、このアパートのゴミ捨て場が昨日の午後10時に閉鎖されてしまうので、その処理を急がねばならないことだった。

それでもその間隙を縫って、4チャンネルの高校サッカーの開幕第一戦目の関東一高対野洲の試合は見た。得意の閃きでは関東一高の勝ちとでた。結果的にはその通りになったが、綺麗に器用に巧みにパスを回す技術は野洲の方の方が遙かに上だったが、それだけではあれほどしつこく守った関東一高には通じなかったようだった。それにしても野洲の生徒たちが皆小さいのには驚いた。あれは矢張りウエイトトレーニング等が不足しているからか、それとも体格の良い子は野球にでも取られているのか。

古き良き時代に蹴球を学んで当方には、現代の子供たちは折角攻め上がってもパスを出す場所がないと見るや躊躇わずにGKまで戻してしまう見事な後方への展開というか消極性は理解出来ない。尤も、野洲は現代の子供としては頻繁にキープもするし、ドリブルで抜いて見せてはくれたが、結局は潰されてしまった。だから「抜いてはいけない」と教えるのだろうか。

夕食を早めに終えて少し物理的にも余裕が出来たので、8チャンネルでボクシングも見ることが出来た。日本人には珍しいと言われるミドル級のオリンピックチャンピオン・村田諒太は見事にKO勝ちしたが、あの場合はレフェリーが最初のダウンで試合を止めるべきだったと思ったほど素晴らしいパンチだった。次は世界タイトルに挑戦するかのようだが、健闘を期待したい。

続いてのタイトルマッチ二試合もKOで片が付いたが、日本人のボクサーも強くなったものだと感心して見ていた。だが、村田だったかが試合の後に自ら相手をノックダウンさせたにも拘わらずに言った「自分の子供にはやらせたくない競技だ」がとても印象的だった。フットボールなどではヘルメットをかぶり、防具まで着けていても脳震盪を起こしたために深刻な後遺症に悩まされている例が多い。

ボクシングなどは直接殴り合うのだから、可なり危険だろうと、今年の3月に生まれて初めて生で何試合か見る機会を得て、その凄さを認識出来た。村田はその辺りのことも言ったのだろうが、あそこまで行ってしまった以上引き返す訳にも行くまい。昨日も関東一高のGKがセービングをした後だったかに地面に倒れ込んだ際に小指(と見えたが)を骨折して、無念の交替になっていた。どんな競技でも危険は付き物であるのだ。でも、やり出したら止められるものではない。

かく申す私もサッカーの試合では中学2年生の時に左肘の骨折、1976年だったかには四十雀の試合で現代風に言えばデイフェンダーに衝突されて肋骨骨折を経験している。それでも72歳まで形を変えたフットサルをやっていた。辞めてしまった理由は、72歳の最後の月に心筋梗塞に襲われたからだ。

余談だが、以前にも指摘したことでマスコミが「流行性感冒」(=influenza)を「インフル」と表記し且つ呼ぶのは気に入らない。何でも頭から取れば良いものではないだろう。「影響」(=influence)はどうすれば良いのか。英語にはインフルエンザの略語で”flu”というのがある。短くしたいのならば「フルー」を使ったらどうだ。そうすれば、インフルエンザの略語の勉強にもなるじゃないか、何とか通信社さん。

更に余計な余談だが「ヘルメット」は"hell"と"met"に分解出来そうだ。すると「地獄で会った」となってしまう。それを避ける為に着用するのか。

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お知らせ

2016-12-30 04:55:03 | コラム
予防注射の効果もなく:

実は、家内が身を以て「インフルエンザの予防注射をしたからといって、それに罹らないことはない」を立証してしまいました。昨29日に朝から咳が止まらない上に午後3時半には8度7分の熱が出まして、かかりつけのクリニックは最早年末の休診に入っていたので、緊急の対策で東京山手メデイカルセンターの救急に電話で了解を貰って駆けつけました。今年の前半にすべり症に手術で長期間の入院があったせいか即受け付けて貰え、検査の結果でA型と判明しました。

治療法は簡単で数分で終わりましたが、未だ高熱が出る危険性をはらんでいるとの診断で、先ほどから休んでおります。問題は私に感染するのではないかということにあり、うがい手洗いの励行も兎も角、同じ場所での食事すら避けるように警告されました。出来ることならば私は何処か安全な場所に避難すべきなのですが、高熱を発し食事もままならぬ者を置いて逃げることも出来ないのは当然でしょうか。明日はどうなる事やら。寝正月ならぬ家人を寝かせ正月となります。

従って、遺憾ながら毎日のブログ更新が出来るのか否か見通しは不明です。
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12月29日 その2 黒崎愛海さんの失踪に思うこと

2016-12-29 13:19:36 | コラム
世界は何処に行っても危険だと思うこと:

フランスに留学中と聞く黒崎愛海さん(ナルミと読むそうだ)の失踪が報じられている。それにつけても思うことは「外国は日本ではなく、我が国のような安全というか諸外国とは比較にならない治安の良さは絶対に期待してはならない」という冷厳な事実だ。黒崎さんが現在では何処でどうしておられるのかは不明だが、何とか無事でおられることを祈るだけだ。

私は一般的な日本人よりも海外を歩き回ってきたと思う。アメリカだけでも22年半の在職中に60回近く出張して最長25日は滞在していた。訪れた国の数はそれほど多くはないが、それでも20ヶ国に及んでいた。それほど(旅)馴れていても、片時と雖も安心して街中を動き回ったことはなく、常にさりげなく四方八方に気を配っていた。それは大袈裟ではないかと言う向きもあるだろうが、馴れれば馴れるほど油断しがちだし、現にチャンと?自分で運転が出来なくても自動車事故の被害者にもなっていたではないか。

それ以外にも何時何処でどんな悪者に出遭うかなどはとても予想も予期も出来るものではなく、気が付けば駐在員などが絶対にご案内してはならないと聞かされているという場所に迷い込んだりするものだ。ニューヨークなどでは「信号で止まってキョロキョロとでもしていれば、そういう怖い連中に『カモ来る』と思われるから注意せよ」と警告されたものだった。我が国にそんな場所があるかと言うこと。

私が論じたいのはそういう刑事問題ではなく、海外における女性に迫る危険のことだ。その危険性は我が国に生まれ育った方には到底簡単に認識出来ない性質であると思う。簡単に言えば「街中の女性の一人歩きは絶対禁物」の大原則は、その街、その国がどれほど安全のように見えても、何が何でも守るべき絶対条件だと思う。これを最低線と心得て外国の街を歩くことだ。では集団で行動すればよいかと言うことでもないような気さえする。

1997年にバリ島のデンパサール空港の到着ロビーで見た風景は印象的だった。如何にもインドネシア的美青年が出て来る日本人女性と覚しき人全てに声をかけていたのだった。私はこの光景を所謂ナンパだと思って見ていた。幸いに不成功のようだった。事ほどさように我が国の若き女性は狙われやすいのだ。その美しさもあるが、彼らはその警戒心の欠如を狙っているのだ。

ご存じだとは思うが「世界で最も幸せなのは日本人女性と結婚し、アメリカの家に暮らし、中華料理を食べること」との言い習わしがあるほど、我が国の女性は彼らにとっては垂涎の的なのである。解るような気もするが・・・。

更に言い方を変えれば、欧米人の間には「女性と見れば口説かないのは非礼である」のが常識であるとさえ思われているのだ。世界の何処でも、我が国以外では、悪者どもは常にその機会を狙っていると思って警戒していても良いだろう。

それだけではない、我が国では未だに海外旅行でも現金を持ち歩く方が多いのは「カモ」と見なされる大きな原因だろう。それ以外でも他人の目のあるところで、平気で現金を見せてしまう方が多い。これなどは絶対にしてはならないことだし、ホテルでのチェックインの際にクレデイットカードは裏を見せてフロントデスクの上に置くのも常識に近いのだ。その道のプロはナンバーを一目見れば覚えてしまい、偽造出来るとさえ言われている。

上記のような「べからず」集の裏側を見て頂けば、我が国が如何に安全で治安が良いかが解って頂けると思う。2010年にカリフォルニア州で出会った東京駐在中の日系人の若き銀行マンは「日本は最高である。治安が絶対的に良く、女性連れで深夜歩き回っても何らの危険がなく、勿論女性の一人歩きも何ら問題がなく、人は親切で、何処で何を食べても先ず失望することはない。転勤などしたくない」と絶賛していたのだった。

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