新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

美空ひばりとデユーク・エリントンと英語の話

2021-06-06 14:17:31 | コラム
テレビ東京の「日本歌手協会歌謡祭」のビデオから:

先週まで何度かテレビ東京が、戦後間もなくの頃からの歌謡曲の歌手たちの録画の歌を流していた。私は偶然にチャンネルが合っただけだが、灰田勝彦が出てくるとあったので懐かしさに釣られて聴いていた。今時、灰田勝彦などと言って何人の人が知っているかと思うのだが、私はこの人が歌っていた「鈴掛の径」などは何故か好き好んで聴いていた。また、英語で話すことを教えて頂いたハワイ出身のGHQの秘書の方は、灰田勝彦は知り合いであると言っておられたのも忘れられなかった。

その連夜の放映の中には、私か以前から褒めていた美空ひばりが歌うジャズも出てきたし、江利チエミも登場した。日野皓正が嘗ては「美空ひばりが英語で歌うのを聴けば誰しもがnative speakerだと思うだろうほど英語が上手い」と褒めた話も採り上げてあった。そのひばりが歌うジャズを久し振りに聴いたと、畏メル友RS氏に伝えたところ、折り返して彼女か歌ったDuke Ellington楽団のテーマ曲”Take the A Train”を送って貰えた。

早速聴いた。なるほど、その上手さはそんじょそこらの現代の歌手たちの遠く及ばない次元に達していて、今更ながら感動させられた。英語も確かに本当に歌詞の意味まで解って歌っているとしか思えないほど自然の流れになっていた。だが、良く聴いていなくても不自然だと思わせられる発音があった。それは一般的に我々日本人には難物とされている「エル」即ち”L“と「アール」即ち”R”の発音だった。美空ひばりは「R」であるべき所が、難しいとされている「L」の音になっていたのだった。私には”hurry, hurry ,hurry. Take the A Train”のところが”hully”となっていると聞こえた。

検索の名手であるRS氏はその”Take the A Train“を機械にかけてみたのだそうだ。するとどうだろう、”holly, holly, holly”となって出てきたのだったそうだ。機械は正確に聞き分けていたのには恐れ入った。ここから先は余談だが、“holly”とは「モチノキ」のことで、お馴染みのHollywoodの綴りの一部だ。私はこれよりも「神聖な」の意味の“holy”に聞こえる方が自然かなと思った。

更に次なる余談に行くが、holyという単語は意外にもというか何と言うべきか、余りお薦めしないような表現の部類に入るswearwordにも使われているのだ。それは“holy shit“であって、意味は「あれまー、驚いた」か「なんてこった」や「何をやっていることか」といったような驚きを表すときに使われている。故に、教養ある人たちは絶対と言って良いほど使わない言葉だ。ところが、これには類語が沢山あって“holy smoke”、“holy mackerel”、“holy cow”、“holy crap”があるのだ。全部同じような使われ方がされている。

1990年代であれば、こういう「汚い言葉」の言葉遣いをされても「如何なる意味か」などは簡単に調べられなかったと思う。俗語だって同じで、何度か採り上げた例に「それは本社の赤ん坊である」という表現が翻訳の本に出ていたのを発見し、直ぐに“baby“の誤訳だと解った。俗語的な言い方では「誰それの仕事」か「誰がやるべき事か」という意味になってしまうのだ。現代では検索してWeblioか英辞郎を見れば直ぐに解ってしまうのだ。そこを考えると、20世紀に翻訳をしておられた方はさぞかしご苦労が多かっただろうなと思えてくるのだ。将に“Holy smoke!だっただろう。


橋下徹氏が吠えた

2021-06-06 10:48:10 | コラム
「バッハ会長とコーツ副会長は呼ぶな」と:

本日のフジテレビの朝7時30分からのThe Primeは、思いがけない体調の不備があって途切れ途切れにしか聞けなかった。だが、オリンピック関連の討論の終わり頃だったかに橋下徹氏が「OF(オリンピック・ファミリーのことだと思うが)が大挙してやってくる中で、バッハ会長とコーツ副会長は断ってくれないと国民感情が許すまい」といった趣旨のことを言われて、司会の松山を慌てさせていたのが印象的だった。

如何にも橋下氏らしい極論のような表現ではあるが、国民の一人として大いに賛成したいと思って聞いていた。理由をここにあらためてクドクドと申し述べる必要もあるまいと思うほど、私はこれまでに繰り返してバッハ会長傲慢振りと無教養振りとを批判してきたし、コーツ副会長程度の人物に偉そうにされるのは腹に据えかねると主張してきた。この見方に余り賛同者が現れていなかったのは残念だが、橋下氏があそこまで言われたのには快哉を叫びたくなった。

ワシントンポスト紙がトーマス・バッハ氏を「ぼったくり男爵事バッハ会長」と書いたのは、流石にアメリカのメディアには思ったことを普通にそのまま言ってしまうのだなと、あらためて再認識していた。私は何度も指摘したが、我が国ではIOCを恰も冒すベからざる神聖な団体の如くに崇め奉って、彼らが言うことを無批判に畏まって忠実に受け入れているのが歯痒くてならなかった。彼らは何様のつもりでいるのかと、特権階級のつもりなのかと腹立たしかった。

これは週刊誌だったかの記事の受け売りだが、IOCからは拒否できない条項として「OFが開催都市に滞在する際にはその國の最上級のホテル(我が国であれば御三家か外資系の超高級ホテルのスイートルーム)を確保することと決められていて、IOCはその室料の4万円分だけ負担する」となっているそうだ。私は今日の御三家のスイートルームが何百万円するか知識はないが、現職時には何度か事業部として利用していたので、90年代でも50~60万円だったと承知していた。21世紀の今日ではその倍になっていても驚かない。

そのスイートルームに宿泊させろとIOCが要求するのは、それが彼らのステータスを象徴するのだろうし、そういう慣習がこれまで受け入れられてきたのだろうから、新型コロナウイするが世界的に蔓延し、世界の各国が財政的にも経済的にも苦境に立たされていても、The international Olympic Committeeは「当然の権利」であるとばかりに意に介さないのだろう。そこに意識が行ったのかどうか不明だが、バッハ会長は先日「我々も犠牲を払わねば」と曰っておられたのは、もしかしてこういう事なのかと、ふと感じた。

私は「我が政府と組織委員会は神聖にして冒すベからざるIOC様が仰ることだから、開催都市にご指名くださったことに感謝してお言いつけ通りにする必要が少しはある」とは思う。だが、この現下のご時世で我が国も財政的に苦境に立たされている。「その最中に数百人か数千人か知らないが、我が国民を見下すが如くに4万円で超豪華ホテルのスイートルームに2週間以上もお泊まり願うのかと一般国民が騒ぎ立てでもしたら、どうやって説明する気か」と、橋下徹氏が問いかけているのかと思って聞いた。

私はOFの全員にスイートルームにお泊まり頂くのではなく、人数を絞るとか、ここまで来て頂く方の人数を制限して頂きたいくらいのことをIOCに申し上げても、バチは当たらないと思うのだ。私が思う問題点は「こういう申し入れというかお願いを誰がバッハ様かコーツ様に申告に行くかと、こういうことを説得力がある英語(かフランス語か)で突きつけるか」だと思う。永年の国際的交渉を経験してきた者として言うが、英語力の問題もさることながら、それはそれは恐ろしいことなのだ。恐怖すら感じる交渉事なのだ。

橋下徹氏は何時も「コメンテーターだから好き勝手なことが言える」と言っているが、確かにその通りだろう。そこで私も吠えてみせるのだが、私は何もIOCに逆らえと言っているのではない。時節柄、国民感情に受け入れられないような事柄や、我が国に過剰な物心両面の負担になる事を改善して頂きたいと申し入れて、何を失うだろうかと言っているのだ。バッハ氏とても鬼でも蛇でもないのだろうから、我が国から何らの申し入れがない限り、何らかの譲歩には踏み切らないだろう。彼は「我々も犠牲を払わねば」とまで、尊大な彼としては最大限の譲歩をして見せたではないか。