新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

オリンピック開催まで後30数日

2021-06-21 09:29:48 | コラム
「やってみなはれ」という鳥井家の家訓を思い出した:

私はオリンピックが「上手く行く」(成功する)か否かなどは、四の五の言わずにやってみなければ分からない状態にあると思っている。

そこで思い当たったことがあった。それは、壽屋の故鳥井信次郎氏は常に「やってみなはれ」と言っておられたそうで、それをサントリーの佐治敬三氏も継承されたとかだ。現在の東京オリンピックの開催を巡っては、言うなればおよそ考え得るあらゆる構想が唱えられて、未だに観客を入れるか入れないか、数を制限するかすらも決まっていない状態だ。一方では分科会長が「頼んでいないよ」と言われても提言をされるなど、傍目にも混沌としているように見える。

私は以前から理屈でも理論でもなく単なる「閃き」で、開催されている画が見えていた。だが、余りにも余計な意見が出すぎた感もあるし、我が国と言うべきか政府にも組織委員会にも中止や延期の権限がないにも拘わらず、野党は辞めろと唱えるし、マスコミは無用な世論調査をして「反対が過半数」などと喚いている始末だ。中止や延期の権限はIOCにしかないのは、彼ら報道機関自身が何度も報じていたではないか。

だが、既に「オリンピックの炎」のリレーは最終段階近づき、少なくとも3ヶ国の選手団が事前合宿を張り始めている。この期に及んでも選手団やスタッフとやらがやってくれば、それが原因で感染が拡大するという議論がまかり通っている。私はこれなどは明らかに「だろう話」の類いであり、実際に競技が始まって選手団や随員の移動が始まらなければ分からないことだと思っている。プレーブックとやらの第2版が出来したと聞くが、確たることは知らないがIOCが製作して英語のようだ。それでは、読めないか読んだ振りをする国の人が出るのではないかなどと考えてしまう。

私が見るところでは、開催するに当たって色々な方法や手段や提案が出ているようだが、それらは全て実際に競技が始まってみないことには効果を発揮したか、とんだ見当違いだったかなど判定できないと思う。兎に角、バブル方式だのとか、プレーブックが出来てしまった以上「これで行こう」と割り切ってやってみる他に手がないように思えるのだ。即ち、「やってみなはれ」ではないのか。

「やってみた」上で、修正可能な事案かプレーブックに訂正を要する箇所があれば、臨機応変に「やってみようか」と、対応するしかないのではないのだろう。IOCはもしかして、その権威と権限でプレーブックの通りに選手たちと選手団の行動を規制できると考えているかも知れない。だが、15,000人もの血気盛んな若者たちをどうやって統制できるのだろうか。私は矢張りこの際は「やってみなはれ」の気構えで開催して、どのように展開するかを見るようにするしかないと思うのだ。

文化も文明も異なる数多くの國からやってくる選手たちを、スマートフォンのGPS機能だけで律することが出来れば良いので、ここでも「やってみなはれ」と言っておきたい気がする。要するに、オリンピックそのものが「やってみなはれ」なのではないかと考えている。私は少なくとも、心から「我が国の為」に成功を祈っている。その「上手く行くかどうか」にしたところで、やってみなければ、無事に終えるかどうかは予測出来ないのではないか。