新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカの資本主義 #8

2008-03-26 10:12:45 | 200803

末期的ではないか?<o:p></o:p>


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 今回も紙業タイムス誌の07102号に載せて頂いた自分のアメリカ旅行記の引用から始めよう。<o:p></o:p>


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>引用<o:p></o:p>


ファンド:リストラの背景には複雑な事情が多々あるだろうが、このようなファンドの存在もあったとは、浅学非才な身には想像が及ばなかった。矢張りアメリカに来れば高齢化しても勉強になるものだと有り難く承ってきた次第。<o:p></o:p>


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景気:些か論旨の飛躍があると承知で言えば、アメリカの景気が良いとは言えないと思う。その理由は単純で「景気のバロメーターは住宅着工と自動車産業の成績如何にある」と教えられてきた身には「シアトルの市内ではアメリカ車も走っている」と感じさせられる状況であった。因みに我が元副社長の上司はリタイヤーしているがMercedes、元Managerは長年の好みのAudiだった。16日に自宅に招待してくれた退役将校はトヨタだった。そこに「住宅着工の不振で製材業が不調でチップの出が悪い」と来れば、悪いと断ぜざるを得ないではないか!それに、実際に見た限りではNordstromMacys(旧Bon Marche)も、客の入り具合は精々新宿の小田急や京王百貨店程度で、伊勢丹には遠く及ばない状況であった。街を歩く人の数が激増したことで13年以前よりは活気がある気がするが、それと景気の動向とは別問題だろう。何人かの元上司や友人に景気が良いか悪いか、その先行きはと尋ねてみたが、良い返事が返ってこなかったのは不安材料だった。<o:p></o:p>


>引用終わり<o:p></o:p>


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 些か手前味噌だが「景気がよいとは言えないと思う」のような”understatement”をしたことを悔いている。実は「これはダメだな」と感じていたのだが、断定する勇気がなかったのであった。何しろ私はエコノミストではないのだから。<o:p></o:p>


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 そこであらためて何故ダメになったかを考えてみる。勿論製造業の衰退が一大原因である。そこに同時発生的に空洞化となった。皮肉を込めて考えれば、アメリカの経営者たちは自国か自社か知らないが、その労働力の質の低さを先刻承知で生産拠点を海外に移したのだろう。恰もカーラ・ヒルズ大使が承知していたように。<o:p></o:p>


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 アメリカ出て海外に行けば、そこの労働力の質が高いという保証があるかという疑問がでるだろう。心配ないと思う。それは海外では一所懸命に技能を習得して働けば「職の安全」=”Job security”に繋がるからである。向上心があると見ている。法律で保護されているUnionとは違うだろうと思うので、そう言うのだ。<o:p></o:p>


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 空洞化は即輸入の増加、即双子の赤字増大と進むのだが、ここまでは大したことではない。大したことは別にあったと、あるメーカーの有名なアナリストが言った。それは「製造業の没落と沈下につれてその周囲を取り囲んで棲息してきたサーヴィス産業、ないしは第三次産業=”Tertiary industry”も、製造業の渦巻き現象に巻き込まれて沈んでいってしまったこと」であるそうだ。私は第三次産業が何であるかを特定はしない。だが、地方の主要都市に行ってみれば解ること。そこにある大きなビルの所有者ないしは店子は金融・証券・損保生保ばかりではないか。それは日本の経済は未だアメリカほど末期的ではないということか?<o:p></o:p>


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 サブプライムの悪影響は我々紙パルプ産業に身を置いたものから見れば凄まじいものがあると思う。兎に角家が建たないのである。アメリカの個人住宅=一戸建て=”Single family home”は木造である。木造住宅を建てるためには木を伐らねばならない。だが、需要がなければ誰も伐らない。伐らないと、円い立木から角材を切り出した残りのチップが出てこない。出てこなければ値が上がる。製紙会社の原料コストが上がるという具合だ。<o:p></o:p>


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 それだけで終わるなら良いのだが、現在は石化燃料も高騰しバイオマスがどうのこうのという騒ぎになったほどで、エネルギー・コストと輸送費も急騰している。これでは何も紙パだけではなくどの製造業もコスト上昇に苛まれている。<o:p></o:p>


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 紙パの場合にはそこにITかの普及で紙媒体・印刷媒体の不振に遭遇して需要減退となった。これがどれだけ深刻かは新聞の衰退が十分に示している。<o:p></o:p>


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 自動車もGMがトヨタに負けなかったことがニュースになるほどだ。自動車が売れないと、内装に使われているものの需要も低迷するというスパイラル現象が起きる仕組みである。ある友人が「国のためを考えて自動車を買う奴がいるか。自分の好みの車を買ったら、それが偶々日本車だっただけだ」と言いきった。これが個人単位の国で起きることである。なお、家が建たないと家具調度一式の需要もスパイラルに巻き込まれるので、内需不振となるのである。<o:p></o:p>


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 これではアメリカの経済は八方塞がりではないか!強いて言い訳をすれば、旅行記はアメリカ経済を論ずるためのものではないので、つい遠慮してここまで論じなかったのだが。<o:p></o:p>


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 それにしても、次の大統領になる方は経済再建という大変な重荷を就任する前から背負っていることになりはしないか?<o:p></o:p>




アメリカの資本主義 #7

2008-03-25 18:37:34 | 200803

知にいて乱を忘れず、乱にいてユーモアを忘れず<o:p></o:p>


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アメリカのビジネス・パーソンたちは常にユーモアを忘れない。それが会議の集中力維持の手段であり、堅苦しい対外折衝の場の雰囲気を和ませる方法でもあるからだ。だが、悲しいかな、これが謹厳実直な日本のビジネスマンには容易に受け入れられないのだ。勿論、不謹慎ないしは不真面目と見なされるからだ。<o:p></o:p>


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彼らはひたすらに肩の力を抜こう、気楽にやろうとする生き物たちである。着席するやいなや直ちに上着を脱いで、ワイシャツの袖をまくり上げて「さー、行こう」という積極的な姿勢を示そうとする。悪いことではあるまい。そして、中には何気なく脚を組んで、何となく反っくり返っているかの如く見える形で座る。これらは皆日本では受けないとは知らない。所属する事業部は違うが、私の同僚で商社時代に海外駐在経験豊富な人物がいた。彼は所属する事業部の本社の人たちに日本に来た場合の礼儀作法を厳しく仕込んでいた。彼は特に足を組んで座ることを嫌っていた。<o:p></o:p>


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ところがある日ある時、百日の説法何とやらで、アメリカ人は長い足を持てあまして、つい彼に教訓を忘れてしまった。彼は明らかに苛立っていた。そして対話の進行中に立ち上がって、長い足に手をかけて引きずり降ろした。そして言った「何度言ったら解るんだ。お客様はお前の汚い靴の底を見るために出てきて頂いたのではないのだぞ」と。一瞬、勿論座は白けた。でも、彼は満足だった、「お客様はきっと俺の誠意を解ってくださっているだろうから」と信じているから。<o:p></o:p>


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私もこう言って上着は脱がせなかった。「上着は日本のビジネスマンにとっては武士の鎧も同様な正式の装いだ。貴方たちがそれを脱いで対座することはあり得ない非礼であると認識せよ。先方がお勧めになるまで鎧は脱ぐな」と言い聞かせていた。<o:p></o:p>


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これだけの説明で、この辺りのものの考え方の違いを、ご理解願えただろうか?彼らは常に「リラックスしようと」と考えているのである。それが彼らの集中法である。<o:p></o:p>


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彼らのユーモアには往々にしてきつすぎるものがある。中には私でさえ、やりすぎだと嘆くものがある。先ずは酷い例から。上智大学・経済学部の緒田原教授の著書「大いなるアメリカ病」にも似たような例があったと記憶するが、その引用は後ほど。<o:p></o:p>


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アメリカから輸入する紙には巻取が多い。ある日、ある時、最も神経質なお客様の工場を本社のマネージャーと共に”courtesy call”=表敬訪問していた。すると、現場から苦情が発生した。直ちに駆け付けた。すると巻取の真の中の紙管から”candy bar”=細長いチョコレートビスケットが出てきたと怒っておられた。正直なところ紙には何の損傷もなかった。だが、現場も工場の幹部も「注意不足で管理能力を疑う」と厳しく我々を叱責された。<o:p></o:p>


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「謝らないアメリカ」を卒業していた我がマネージャーは陳謝して言った「誠に申し訳なかった。帰国次第厳重に工場に反省を促しておく。だが、ご安心願いたい。我が社は決してキャンディー・バーの分は請求しないつもりであるから」と。ご推察のように、これは全く受けなかった。火に油を注ぐ効果しかなかった。<o:p></o:p>


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その1年後だったかに、同じマネージャーとこのお客様の別の地域の工場に伺った時のことだった。また不良品が1枚見付かった。1?の紙から約28,000枚もできる容器である。今度はカートンの表面に、ポリエチレンラミネートの下に、製紙に工程をくぐり抜けた直径1mmにも満たない樹皮の滓が1個乗っていたのであった。工場側からは「今後はスクリーンを洗浄してこのような異物を混入させないで欲しい」と厳しく要望された。お断りして置くが、樹皮そのものは完全に無毒でしかもポリエチレンの皮膜で覆われている。だが、見た目には黒くて印象は良くない。勿論マネージャーは陳謝した。工場には厳重注意せよと厳しく言うと誓った。工場側からはこういう不良品が発生したら補償して貰いたいと言われた。<o:p></o:p>


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すると、止せばよいのに、その場の空気を和ませようとしたのかマネージャーが「ところで、その容器の販売価格はおいくらですか?」と尋ねた。工場側から「10円見当です」と答えて頂けた。するとマネージャーはポケットから10円玉を取り出して「どーぞ」と言ってテーブルの上に置いた。彼のユーモアのセンスは見事に誤解された、いや、日本側に正しく理解された。ここでもまた激怒されてしまった。中には解っておられる方が約1名おられて何とか「えらいさん」を取りなして頂いて、何とかその場を切り抜けた。<o:p></o:p>


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一緒にいたものからすれば、滅多に出ないような問題が、時と場所を選んで同じ人がアメリカから来た時を選んで発生したのかと、何処の誰を恨んだらよいのかと嘆いていた。<o:p></o:p>


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お願いしたいことは、こういうユーモアのセンスを「不謹慎である」とか「場所柄を弁えない奴」などとお思いにならずに、面白い奴だと笑って済ますような広いお心で、対米折衝をして頂ければ願っているのだ。<o:p></o:p>


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最後に折角だから、少し長くなるが緒田原教授の「大いなるアメリカ病」から。アメリカに駐在された方がアメリカ製の新車を購入された。運転に慣れた頃にドアの付近で何か「コロコロ」と音がするので気になり始めた。方々調べてみたが解らなかった。しまいには諦めてディーラーに持っていって苦情を言った。ディーラーも解らず、ドアを取り外したくらいでは何も発見できず、ついにはドアを分解することになった。すると中からコーラの空き缶が出てきた。それが原因だった。ところが、缶の中で未だ音がするのだった。缶の中を探ったらメモ用紙が出てきた。そこには「やっと見付けたか」と書いてあったというのだが。これは冗談が過ぎると、この私ですら思う。<o:p></o:p>




NHKは反省せよ

2008-03-25 15:28:43 | 200803
 つい先日高校のトーナメント方式の全国大会を廃止せよと主張したばかりだ。ここではその方法を述べる。

 責任はNHKの無定見にあるのだ。NHKを改革すれば済む簡単なことだ。彼らは未だに戦前の中等学校野球の殻を引きずって中継放送をしている。何とも時代感覚に乏しい。何が純真な高校球児だ。

 全国中継されるものだから、母校(ではない、在学中である、念のため)と郷党の名誉をかさに着て、全校応援などと戯けたことをする。学校の中のたかが一運動部のために何でそこまでやるのか?それに応援団等という奇妙なものもで出してくる。あの奇妙な仕草は野球のスタンド用に上を向いて動くようにできているから、平地でやると極めて珍妙なものになる。だが、良いじゃないか。甲子園でやれば全国中継だ。

 応援部だかは如何なる競技にでも出て行くのか?学校側はどのような規定を設けているのか?

 応援はどうでも良い、NHK論だった。どういう権利の割り振りかは知らぬが、高校サッカーは巨人命の読売系で、ラグビーはTBSのようだ。だが、NHKを除けば全国中継どころか、数えるほどの試合数しか中継しないか、録画かである。これだけでも「民主的ではない」、間違い「平等ではない」だった。

 NHKに尋ねたいことは「貴協会は公共放送を標榜していなかったか?」である。答えが「ハイ」ならば、何で野球だけなのかを答えて貰いたい。まさか読売とTBSに気兼ねしているわけでもあるまい。私はおかしいと思う。

 こんな偏ったことをしているから、野球に子供たちを引き込めるのだ。そして、一旦プロにでもなってしまった後の苦難の道が待っていることなど知らせようともしない。プロで使って貰えなかったら場合には、野球しか知らない高卒が辞めた後でどんな目に遭うのかを明らかにするべきだ。

 サッカーの場合はJリーグは優れた指導者の下に年金制も導入されているし、プロとアマの奇妙な対立など、何処かの運動のように存在しない。

 NHKは毒にも薬にもならぬ説明者じゃなかった解説者に褒めるだけのコメントをさせる暇があったら、そういうこともキチンと(キッチリではない、念のため)解説させてはどうだ。公平さと民主主義のために。高校には他にも多数の運動部があるはずだ。全国大会もあるはずだ。それを何で無視するのだ。野球だけが国民的娯楽だった時代はアナウンサーたちが生まれる前に終わってはいなかったか?


また品格か

2008-03-25 06:48:03 | 200803
 またぞろ朝青龍の品格がどうのと騒ぎ始めた。放っておけばよいのだ。未だご存知でない方に申し上げて置くが、私の持論は

「相撲は一般社会に住む人たちとは全く異なる文化(=ある集団なりグループなりの言語・風俗・習慣・しきたりのことで、文明ではない)を持つ集団であるから、外から何のかんのと介入するのは無意味であり、彼らも迷惑だと思っているだろう」

なのである。
 
 それに元アナウンサーの評論家だか何だ知らない方が登場されてしたり顔で蘊蓄を披露される。しかも誰が何処で誰に諮って決めたのか知らないが相撲は国技なのだそうだ。だから横綱には品格が求められるのだそうだ。
 
 結構じゃないか、求めていればよいのだ。我々にも押しつける問題か?だが、良い歳をした偉そうな人が集まって審議している。
 
 私に言わせれば品格を求めるべき相手が違うと思うが、どうだろう。

 最近の民主党に品格があると思うか?山岡何とかいう国対委員長の顔つきに品格があるか?民主党だけ批判するのは民主的ではないというならば、国会議員に求められる、あるべき品格を備えている連中が何人いるか?そこを批判・非難すべきではないか!

 朝青龍の品格問題などはスポーツ新聞にでも任せておけばよいことではないか?国民を妙な話題に引きずり込まないで貰いたい。優先順位を良く考えて貰いたい。


ジャズって良いな

2008-03-25 06:28:46 | 200803

自慢だが1940年代からジャズを聴いている。いわば、ファンであるが、よくある話で良い音楽ならば何でも、という姿勢をとってクラシカルもハワイアンも聴いたが、国産の流行歌だけは願い下げの態度を維持していた。<o:p></o:p>


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数えたことはないがアナログだったら2,000枚近く持っているし、CD時代になってからは200枚も買っただろうか。1990年代には好きな音源を選んでソファーに寝ながら聴いていると不思議に色々なアイディアが浮かんできたものだった。<o:p></o:p>


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1995年頃からワープロで原稿を書くようになり、目が疲れてくるのを防止するために極力60分に近い演奏時間のものを選んで、それが終わったら休憩するようにしていた。この頃はジャズに限定していた。リズム感がキーを叩くのに適したBGMになると信じていたから。そのためには余り深刻なジャズよりも、粟村政昭氏が言う偉大なる通俗小説作家のようなオスカー・ピーターソン(Oscar Peterson)のピアノが最適だった。<o:p></o:p>


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話は変わるが、ジャズという音楽は不思議なもので、店頭で試聴して良いと思って買った物でも、いざ自宅で聴いてみるとそれほど良くないと感じることが多い。しかも良いか悪いかの感覚が日によって変わるのだから始末に困る。だが、街を歩いていて何処からともなく聞こえてくる有線放送のジャズなどは、譬え自分が持っているアルバムであっても、つい聞き惚れる程良いのである。<o:p></o:p>


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先週も鹿児島の土産物屋さんで流れていた有線放送が、先ずトランペットのリー・モーガン(Lee Morgan)、次が何とビリー・ホリデー(Billie Holiday)の名唱”Lover man”であった。何とも言えない素晴らしさだった。矢張りジャズは良いなと心の底から感じてその店に感謝したが、何も買わずに集合時間が迫ったバスに向かった。<o:p></o:p>


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これほどのジャズ愛好家でありながら、20061月の入院の際にお見舞いで頂いたモーツアルトにすっかり心惹かれて、今や原稿打ち(物理的には書くのではなく打っている)のバックには完全にモーツアルトが主体となっている有様である。<o:p></o:p>


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だが、先週は2003年からPCに転向する切掛けとなった紙パルプ業界の海外ニュースの翻訳の仕事が急に忙しくなり、多少眼精疲労気味となってきた。そこで、久し振りにカウチ・ジャズ(?)を決め込んで休憩して気分転換を図った。嘗ての?愛聴盤の一つだったトミー・フラナガン(Tommy Flanagan)の”Plays the Music of Harold Arlen”を引っ張り出して聴いてみた。しかし何故か眠気を催してきた。そこで、入院中にも聴いていたオイゲン・キケロ(Eugen Cicero)の”Classics in Rhythm”に替えてみた。何故か、クラシカルの名曲をジャズ風に編曲したこのアルバムの方が快適なのである。何処かで一度このアルバムを街中で通りすがりで聴いたみたいと思いながら聴いていた。<o:p></o:p>


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因みに、今週の海外ニュースは個人感情としては好ましくないのだが、今年のアメリカの紙パルプ業界の十大ニュースのトップになるかも知れないような話題だった。<o:p></o:p>