新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私が河野太郎氏を忌避した理由(ワケ)

2021-09-30 08:43:53 | コラム
「人となり」に疑問を感じていたから:

昨29日のPrime Newsでは、田崎史郎氏は「彼は冷遇されて冷や飯を食う経験をする必要がある。だが、岸田文雄新総裁が『党内の然るべき地位に起用する』と言っておられたので、その機会もなくなるだろうことが遺憾である」と、いみじくも指摘していた。要するに「挫折を味わった方が・・・」と言われたと聞いた。「菅首相に冷遇されたことが岸田文雄氏を成長させた」とまで言われた。

私は既に「ABT」と表現して、河野氏の当選は望ましくないと述べてあった。彼には確かにマスコミが言う「突破力」であるとか「実行力」のような気配はあると思う。だが、私の目から見れば人格としては未熟の嫌いが濃厚だし、自己過信の感は拭いきれない。また、彼の派手というか誇大宣伝に近いような発言は一般人には魅力的に見えるようで、その結果が人気投票じゃなかった世論調査の高い比率に表れていると思う。

私は理屈も理論も何も無視して、河野氏を評価しない理由は「あの記者会見等で見せる無礼なとでも言いたい俗っぽい表現を使えば『ぶっきらぼう』な答え方」である。例えば、好ましくないか、痛い所を衝かれた質問に対しては全く無視して「次の質問をどうぞ」を連発するとか、週刊文春に録音で暴かれたような官僚の説明に対して「日本語が解る奴を出せよ」なと言うことなどは、思い上がりも極まれりと感じた。彼がこのような態度を無礼と思っていないのであれば、それこそ「人となり」の問題であろう。

昨日も、総裁戦後の記者会見で「発起人が90人を超えていながら、実際には86票だったことは」と訊かれて「総裁選挙は終わりました。これからは前を向いて進んでいきます」と、木で鼻を括ったようなことを答え、次の厳しい質問にも同様な答え方をしていた。これを見せられては「このような未熟で礼節を知らない人物に国政を委ねようと思わなかった、自民党の議員たちの良識(派閥や2・3位連合などは忘れて)を評価したいと痛感した。

この河野氏の至らなさに輪をかけて失望させて貰えたのが、Prime Newsに登場した、麻生派代表というのか、河野氏支持というのか知らないが鈴木馨祐氏だった。反町が「総裁選挙は終わりました云々の答え方をどう思うか」と突っ込まれて、遂に「宜しくない」とは答えず河野氏紛いの質問に直接答えていないことをペラペラと喋っただけで、河野氏擁護の姿勢に終始した点だった。

ズバリと言って情けなかった。東大→大蔵省という輝かしき経歴を引っ提げて国会議員となって、これほど情けないことを恥も外聞も無く言うとは、どれほど河野氏に(まさか麻生太郎氏にではあるまいな)言い含められて出てきたのか」と疑わずにはいられなかった。私だったならば、「田崎氏と貴殿の貴重なご意見を持ち帰って、河野に伝えて反省材料にさせる」と言っただろう。

お仕舞いに、ほんの一寸だけ岸田文雄新総裁に言っておこうと思う事がある。それは「ノーサイド」と「全員野球」という比喩(なのだろう)を使われた事だ。「ノーサイド」(“no side”)とはラグビーの用語で「試合が終了したら敵も味方もなく健闘を労い合う」との美しい精神の表れであると、マスコミに尊ばれてきた。だが、聞くところでは、今やこの表現はラグビー発祥のUKでは使われていないそうで、言わば我が国独自のカタカナ語と化したとの説を聞いている。ラグビーの用語が重用されるのは、サッカー出身者としては遺憾である。

また「全員野球」と言われたのは、開成高校では野球部に所属しておられた「よすが」であろうとは思う。だが、およそ如何なる団体競技でも「全員が一丸となる」のは当然のことだと思う。言われたいことの意味は十分に解るし、時節柄そうあった欲しいとは思う。だが、サッカー出身者はここでも残念に思う偏見(?)の感ありだった。ここまでは、「決して岸田文雄新総裁を腐そうとしているのではない、期待しているのであるから陳腐なことを言って頂きたくないのだ」と言って終わる。


9月29日 その2 自由民主党総裁選挙が終わって

2021-09-29 16:22:01 | コラム
一先ず安心出来た:

兎に角、河野太郎氏は余り好ましくないと見ていたので、岸田文雄氏の当選でホッと一息ついたところだ。

本日は体調が思わしくなくて朝から寝そべっていたので、その気になってテレビの中継を見た時には、決選投票の開票中だった。偶々日テレにチャンネルが合っていたのだが、そこに展開されていたことは、宮根が恰も岸田氏が勝利したという前提に立って話を進めていたのだった。それならば良かったのではないのかと、私は密かに安堵したのだった。

何故河野太郎氏を忌避するかと言えば、彼の英語力は兎も角、外務大臣・防衛大臣・改革担当大臣(ワクチン担当)の職歴の間に示した無軌道なというか、手前勝手な決定と行動から見れば、一国の総理大臣と第一党の総裁に相応しい力量があるのか、それだけの器量がある人物なのかと疑っていたからだ。また、昨日辺りから複数のテレビ局で彼が「私がワクチンで示した結果を見れば、私がそれに相応しいと解るでしょう」との思い上がった発言を流しているのを聞いて「これは駄目だ」とダメ押しをさせられたのだった。

先ほど、岸田文雄氏が選ばれるところを見ていて感じたことがあった。それは「河野太郎氏では困る」とばかり考えていたが、「では、岸田文雄氏だったら何処が良いのか。彼のどの辺りを評価し期待するするのか。彼が選挙運動中に唱えていた政策のどれが良いというのか」と尋ねられたら、答えに窮するだろう。それは、既に広言したことで「選挙運動中に何を言われるかには関心はない。実際の総理・総裁になってから何を国家と我々国民の為にしてくれるのか」が最大の関心事なのだから。

岸田氏は以前から極力安全運転を心掛けておられたようで、本当の心の内であるとか「イザとなったら何をやってみせるから見ていろ」というような積極的な発言はされず、微妙な事柄を質問されれば「差し控える」という類いの無味乾燥なことしか言われない嫌いがあった。だが、今回は二階幹事長忌避論をぶち上げてからは「随分と無理をされているな」と感じさせるような精一杯の積極的なことを言われるような変身を遂げられたが、それでも河野氏と比較すれば極めて遠慮がちで地味な言い方に聞こえた。

しかし、次期総理大臣となられてからは、安全運転や控え目な発言をして済むような立場ではないと十分にお解りだろうと期待したいのだ。政治家は何かと言えば「現在のような未だ嘗て無い困難な時期を何としても乗り切る」というようなことを言うが、彼らが直面していることは常に国家として深刻な難局に直面しているものなのであり、楽勝できる事態などない」のである。

しかも、岸田氏が引き受ける事態はと言えば「またもや、首相が1年で退陣した後のこと」なのだ。1年などという控え目なことではなく「安倍晋三前(元?)総理の長期政権を上回ってみせる」くらいの情熱と意気込みで臨んで欲しいのだ。

過剰となろうと何だろうと、何が何でも岸田文雄氏に目一杯期待しよう。


「昨日は皆様はさぞ驚かれたことでしょう」

2021-09-29 08:15:01 | コラム
私は全く驚かなかったが:

件名に掲げたのは、今朝のテレ朝のグッドモーニングでの女性アナウンサーの第一声だった。私は「確か自民党総裁選挙戦からTK候補が離脱したとは聞いていないが、そんなことでもあったのか」と、一瞬喜んでしまった。しかしながら、残念ながら(TKさん、失礼)そういう問題ではなく、ジャニーズの櫻井翔と相葉雅紀とやらいう嵐の者が結婚を発表したということらしかった。そう言われて見れば、昨日からそんなことでテレビ局どもが騒ぎ立てていたようだったと思い出した。ではあっても、相葉何とかが嵐とやらの一員だったことを知り得たのは収穫だった。

今更嘆いても何の意味のないことだが、私は我が国の報道機関は視聴者や読者を、そういう程度にある者たちだと認識して、その水準に合わせて番組を編成し、記事を書いていると認識しているのだから、「なるほど、そういう事だったか」と、再確認できただけのことだった。それにしても情けなかったのは、各局の女性のアナウンサーたちがあのガキどもの成れの果てのご結婚を心から祝福しているような口調だったことだ。一流の大学から優秀な成績で入社したのだろう彼女たちは、そもそもミーハーなのか、勤務先でミーハーに仕立てられたのかなとウンザリだった。

ここまででも十分に嘆かわしいのだが、その後で結婚した相手を例によって「一般人」と表現したことには、毎度の事ながら苛立たされた。と言うのは、私にはこの言葉遣いは「彼らは芸人の世界にいる者が上であって、正常な世界に暮らしている人たちを見下しているか」のように響くからだ。そこで「一般人とは」を広辞苑で調べてみた。それは「特別の地位・身分を有しない人。またはある事に特に関係のない人。普通人」とあった。それならば、私は「普通人」の方を採りたい。私は飽くまでも彼らよりも普通の世界に生まれ育ったと自覚しているから言うのだ。

何度も引用してきた事だが、その昔に大宅壮一氏がいみじくも指摘した「一億総白痴化」は、低俗なテレビ局、広告宣伝会社、新聞も含めて良いだろうが、蔓延ることによって、益々その傾向が顕著になってきたと慨嘆している今日この頃であり、昭和一桁の超後期高齢者なのである。


9月28日 その2 「アパートじゃありませんマンションです」

2021-09-28 14:31:08 | コラム
すは百人町の再活性化か:

我が故中曽根首相が計画された「民活」で元はと言えば戸山練兵場だった跡地アメリカ軍キャンプを国が買い上げて、25階建てのアパート3棟が完成して入居が開始されたが1988年4月だった。この地域は建ぺい率か容積率か高さの制限か知らないが、通常は11~12階建てしか認められていないのに、半官半民の事業で25階を建てられたと知らされていた。その後暫くは大久保通りから600 mほど離れたこの地区は、静かで穏やかな住宅地帯だった。Koreatownもイスラム横丁など影も形もなかった。

それでも、気が付けば我が家から10分弱ほど歩けば道幅が広い静かな道路が南北に走っていて、そこにはクレハの研究所や日本マクドナルドの分室等が入った低層ビルもあるし、その反対側には大型の東京都衛生健康研究所だったかもある。また昨年春にはそれに並んでいたなんやら博物館の跡地に、桜美林大学の経済学群のキャンパスが出来た。幸か不幸か、大学には大勢の学生が登校する前にオンライン講義となったようで、全く学生群に出会ったことはないのだ。その為か、静かな環境にさほど変化はなかった。

ところがである。前記のクレハの建物が解体され始め白い囲いで隔離されてしまった。私は勝手に同社が建て直すのだと推察して、特に気にはしていなかった。その場所を本日午前中のバス待ちの時間にふらりと訪れてみた。すると、通行口に2~3名が脚立を立てて何かの看板を貼り付けていた。見ると「長谷工」とあった。そこで、これはクレハの建て直しではあるまい感じて、警備員に「クレハじゃなくてアパートですか」と尋ねるとキッパリと「アパートじゃありません。マンションです」と告げられた。なるほど、三井不動産レジデンシャルの掲示も出ていた。

そこに建設される「マンション」の詳細は掲示されていなかったが、あれほどの面積の土地に仮に12階しか建たないとしても、少なくとも2棟は建つだろう。これは大変なことになると思わざるを得なかった。それは、この辺りはそもそも住宅地であり、その長谷工の建築中の場所からは新大久保駅でも高田馬場駅でも徒歩10分以上は要するし、その間にスーパーマーケットもなければ、ちゃんとした食事会も出来るようなレストランも食堂も、サンパークホテル2階の楠とGALOIS HOTELのGAZEBOだけしかないのだ。

新大久保駅に出ようと思えば否が応でもイスラム横丁を通過する道しかない。高田馬場駅では戸山口が最寄りであり、駅舎に行くには更に数分歩かねばならない。優れた点はある。それは東京山でメデイカルセンター、大久保病院、国立国際医療研究センター病院、東京女子医大病院等が近いし、区内には他に慶応大学病院、東京医大病院棟の大病院が揃っている辺りだ。長谷工は何処まで近隣の事情を調査したのだろう。

しかも、マンションが出来れば駐車場も出来て車の往来も増えるだろう。一寸憂うつになる。今でも、近くにある大規模な区営住宅群の方角から、何故か白人ではない外国人が数多く歩いてくるようになってしまっている。我がアパート群にも時々異邦人が出入りする様を見かける。何年先のことか知らないが、この地区には買い物難民と外食難民で溢れかえるかも知れないのだ。その時まで生存できるように精々NCGMの主治医に褒めて頂いた「ストイックな生活態度を維持して長生きてこの地区の将来を見届けよう」と決意を新たにしたのだった。


アメリカの大学の優等生

2021-09-28 09:03:53 | コラム
小室圭氏の帰国に際して調べてみた:

何処のテレビ局だったかは定かではないが、小室圭氏が就職されたという大手の法律事務所(Lowenstein Sandler)が彼の経歴を紹介する箇所を報じたのがチラリと見えたのだが、Kei KomuroはLaw Clerkであり、その学歴はフォーダム大学のLaw Schoolを“cum laude”で卒業とあった。これを見て一瞬「優等生だったのか。偉いものだ」と思った。

学業成績優秀者の表彰:
私はアメリカの会社の在籍している間に半ばは興味と関心から、方々でアメリカの大学事情の話を聞いては、自分でも時間の許す限り調べてみた。そこで知り得たことの一つが、学業成績優秀者の(表彰の基準だと思っていた)三段階だった。だが、そういう区別があるとは知ったが、それ以上は突っ込んで調べたこともなかった。また、我が社の中には何人かの表彰者(?)がいたとは知り得ていた。

その三段階とは下から“cum laude“、 “Magna cum Laude”、 ”Summa cum laude“だった。何れもラテン語なので、意味まで追求する気などなかったが、今となって英辞郎で調べてみるとcumがwithであり、laudeはpraiseとあった。言ってみれば「賞賛される成績を伴って」とでもなるだろうか。

そこで、小室圭氏のcum laudeであるが、フォーダム大学Law Schoolでは上位25%に入ったのだから立派なものだという賞賛もある一方で、ある大学では上位50%に入っただけでという評価の情報もあった。因みに、Wikipediaによればcum laudeは上位30%位内となるようだった。

私は小室氏はこれから総勢350名という大きな専門の事務所に就職されたということは、法律に関する学問的知識は備えておられるだろうし、Schoolでも実習を経験されただろうから、業務はこなされるだろうと思う。また、経歴書には“Kei is fluent in Japanese”と、何とも当たり前の紹介がされていた。何れにせよ、彼はこれから先はfluent in Englishというnative speaker乃至はそれに準ずる同僚たちとの生存競争を挑んで行かれるのだから、生易しい事ではないのではないと思う。そこまでを読み切って挑まれたのだろうか。

人員を整理する基準は:
そこで、参考までに私の場合を振り返れば、本部から我が国の市場に派遣された単独のマネージャーであり、誰とも競合する訳もなければ、英語力は兎も角「日本語力に優れております」などと標榜する必要などなかった。振り返れば、今でこそ偉そうに英語論などを語っているが、在職中に絶対に無理とは承知していても「何時の日にかnative speaker並みの英語力を達成してみよう」と懸命だった。だが、決してそれを「夢」だなとと思って狙ってはいなかった。単なる業務達成上の必須の能力の強化だけのこと。

正直なところ、彼ら支配階層の管理職の指揮下に入ってみれば、口語体や慣用句などの知識は全く不十分だったし、テクニカルタームや業務用の用語や表現にも知らないものはこれでもかいうほど出会った。だが、これは「解らない」とは言えないので、想像や当てずっぽうで何とか凌いでから覚え、口語や慣用句は外国人である点を活かして「それは何という意味か、何を表すのか」と堂々と尋ねて表現力を強化した。だが、小室氏の立場で、万が一にも「それ何の事」と尋ねる訳に行かない職業を選択されたのではないのかと思っている。

80年代に入ってからだったか、本社のアメリカ全土でも有名な経済調査部(M&ER)にICUを経てUCLAでMBAを取得した同胞の俊英が在籍していた。当時の我が社は目覚ましく成長・発展中で、その間に何度かの「不採算部門の整理人員削減」(=「リストラ」)を繰り返していた。その何度目かのリストラの最中に、本社で彼と出会った。彼は「M&ERでは2人の整理が発表され、自分がその候補者であり、もう一人はアメリカ人だ。能力の点では負けない自信はあるが、英語力では劣っているので間違いなく切られるだろう」と語っていた。現実にはその通りとなった。