新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月30日 その3 貴乃花対相撲協会

2018-09-30 11:12:23 | コラム
異文化の世界の出来事:

私は相撲界をズーッと以前から「一般人の世界の文化と常識とは全く異なる文化圏だから、外部からの批判や意見は全然通用しない」と指摘してきた。そこに今回の貴乃花の引退騒ぎである。論ずる気にもならないが、一言だけ述べておけば「相撲協会もどれほど貴乃花が気にくわなくても自分から辞めると言いだしたのだから、役所以上の書式が云々などという揚げ足取りは好い加減にして、さっさと厄介払いすれば良いじゃないか」なのだ。

マスコミ報道も矢張り「判官贔屓」にした方が受けそうではあっても、協会に睨まれても気を遣っているだけでは何が言いたいのか解らない伝え方で連日五月蠅いだけ。テレビもこんな何らの価値もない一件をさもニュースのように取り上げるのを辞めろ。


9月30日 その2 電気自動車を考える

2018-09-30 10:45:58 | コラム
電気自動車(Electric vehicle→EV)の時代が来るのか:

私はほぼ毎回、何故かテレビ東京が流す「出川哲朗の充電させてください」という番組を興味深く見ている。何に興味があるかと言えば、充電している時に必ず「2時間の充電で20 km走れて電気代¥14」と出ることだ。あんなに小型で軽量に見える電動バイクを走らせるのに2時間の充電で20 kmしか走れないのでは、1台で100 km走らせようと思えば5台の電池が必要で、充電には単純に計算すれば10時間もかかってしまうのだ。

ましてや、重量が1 ton 以上もあるEVともなれば走っている時よりも充電の方が長時間になりはしないかと、自動車の運転の仕方も知らず当然免許もなく、一家の男子3人が揃って事故に遭った者(父は昭和12年に貰い事故で死亡)が何らの自動車に関する知識もないままに心配してあげている。アメリカでイーロン・マスクのテスラが一向に成功しないのが、肝心要の電池を沢山乗せただけだということと電池の供給者の選択を誤っただけだと某電器会社の元副社長も指摘されたし、そのいう問題があるとも報じられていると聞いている

そういう簡単なようで重要で難し問題ばかりのEVだけの製造を何年先だったからに認めるとEUだったかで決めたというし、マスコミや識者の論調は「これからはEVの時代」で一致しているかのように見える。現に私は「アメリカでトランプ大統領の強硬な貿易赤字作戦に従ってハリブリッド車の工場をアメリカに新設すれば、その工場が稼働を開始する頃にはEVの時代が到来していて、とんだ時代遅れの投資と工場になっていないか」と先日論じて見せたばかりだ。

確かにEVの時代となればハイブリッド車よりも排気ガスの問題を心配せずに済むだろう。だが、4月に箱根湯本の旅館で見た駐車場には1基の充電用の設備があった。だが、2台が同時に充電させろとなったら大変だろうなと、余り前後の事情を考えずに心配していた。これは将来というか現在でも通用しそうな充電設備の問題であろうと思う。

ここに、少しだけカタカナ語の問題に触れて置くが我が国では英語の gas station を「ガソリンスタンド」にしてしまった。そうなると電気の場合は「電気スタンド」とせざるをないのではないかと密かに案じている。充電の設備が英語がどうなっているか知らないが、我が国では「電気ステーション」か「充電スタンド」とでもせねばなるまいと思うのだ。

こういう単なる充電だけを考えてもEVの時代にするのは容易ではないと思う。現に数千万台(なのかな?)のガソリン及びハイブリッド車が走っている我が国では、それでなくともガソリンスタンドが廃業に追い込まれている時代である。彼らを電気スタンドに改変させるのか、それとも新規に電気ステーションを日本全国津々浦々に新設するというのか。その資金を誰が負担するのか。それも既に上記したように1基だけでは何にもならないのではと、ずぶの素人であり門外漢が懸念している。

そう考えて「EV」で検索してみたところ、国債投資アナリスト・大原浩氏の興味ある論文に出会ったのその一部を引用してみる。

>引用開始
そもそも、燃料のガソリンの安定供給が長期に見込めるのに、電気自動車が脚光を浴びた理由は何か。
説明するまでもなく地球温暖化が世界的な問題として急浮上し、ガソリン自動車は二酸化炭素排出の元凶としてやり玉に挙がったからだ。確かに電気自動車そのものは二酸化炭素を排出しないかもしれないが、いまだ発電所は化石燃料を燃やす方式が主流を占めているしかも、化石燃料を直接内燃機関で燃やす方式より、発電所から長い距離を送電し充電してからの使用となり、その間、相当なエネルギー損失が発生する。つまり電気自動車は、化石燃料の効率悪い使い方に過ぎない。結局、環境を破壊しているのである。
世界の発電を見れば、石炭火力が約40%、天然ガスが約20%、水力発電が約17%、原子力が約11%。原子力を含めれば、自称環境保護運動家が主張する環境にやさしくない発電が7割以上を占めているのだ。
しかも、今後、電気自動車が普及すれば今以上に莫大な量の電気が必要になるから、環境を破壊する発電所を新規に大量に建設しなければならなくなる。日本だけでも自動車は8000万台もあるのだ。

<引用終わる

「なるほど」とも思わせられて読んだ。自動車では一時水素を燃料としようという議論が湧き起こり、何処だったか都内で「水素スタンド」を1箇所見たことがあった。先見の明かた単なる先走りかは解らなかった。だが、今回はマスコミのEV、EVという大合唱が押している。私は遺憾ながら自動車のことは解らないので「そう言う時代かな」とは思わせられたが、出川哲朗の番組を見て難問が多いのではないかなとボンヤリと考えつつ、「出川がここまで売れるとは」と驚いていただけ。

例によってマスコミ批判をして締め括れば、如何にも時代の流れのような報道の仕方をせずに「EVを伸ばしていく為にはどれほどの利点があるかを述べるのは当然としても、その前には如何なる障害(ハードルなどと言うな)があるか正面から述べておくべき」だ。何も考えずにマスコミ報道だけを頼りにしていれば、EVではやや出遅れた感があるトヨタには経営上の問題があるように思わせる。私は絶対にそうではないとまで言えないが、電気スタンド?等々のインフラの整備の心配をしてから論ずべきだと思っている。


八つ当たり

2018-09-30 08:16:41 | コラム
見当違いかも:

7月から今日の9月の終わりまで「雲一つなき快晴」と言える日が何日あったか。兎に角、雨が降らないまでも低気圧で高温と低温の日が入れ替わり立ち替わり襲ってきた上に、湿度の変化にも悩まされた。その為かどうか私自身には医学的には解らなかったが、気象病(に起因すると思わせる)自律神経失調症に苦しめられる日が続いた。本日は昨日受けたブロック注射の効果で気分も良く、指の動きも滑らかにこのPCを動かしている。

しかしながら、目の前の台風に襲われる前の雨降りを見ていれば、この長引く異常気象の原因は矢張り地球温暖化にあるのだろうかと考えさせられる。そうならば、私は「我が国では3.11の際の地上(史上ではないと言いたい)最悪の総理大臣が決断した原子力発電を止めて二酸化炭素を排出している火力発電に切り替えさせた左翼と大衆に迎合した政治が為せる業で、環境を著しく悪化させたのだ」と固く信じている。それが偏見と言われようと何だろうとそう考えている。民主党に政権を与えた自民党政治の大失態だとも言えると思っている。

その結果が85歳になってから生き生きと楽しんで余生を送らせて貰える日が激減したのも何も、全て民主党政権、就中菅直人のせいだと言いたい。その為に昨年は折角軽井沢で安価で買い求めた度付きでありレンズも5色に変えられるサングラスを使える日がほとんどなかった。今年は昨年度よりは幾らかマシだったが、9月に入ってからは5~6日しかなかった。ブロック注射も毎週のように受けないと迂闊に寝床で首を回して時計を見ることも出来ない状態が続いている。

こういう私的な不満も兎も角、我が国全体に異常気象が与えた災害は大きすぎた。政府と地方自治体の復旧・復興への動きも甚だ鈍いようだ。東北には3.11以外の被害が生じているし、被災地の中には未だに仮設住宅の入居のくじ引きをやっていると聞くところまである。私は我が国はもう少し機敏且つ敏速に動く政治が行き届いていると思っていた。予算の何と言うが、その中でボーイング747が古物化したといって政府専用機を買い換える予算はあるようだ。私は総理の思い違いだと思っている。だからと言うか何と言うか「八つ当たり」と題したし、「見当違いかも」という副題にした。

何時だったかある政治家(小池都知事だったかな?)を「Priority(=優先順位)の付け方を誤っている」と非難したことがあった。安倍総理も優先順位の付け方に最大限の注意を払って、慎重に対処していただかねばならない案件を無数に抱え込んでおられる。トランプ大統領がライトハイザーUSTR代表を使って要求されている案件の中には「自国の至らなさ」を忘れたか無視した案件が多過ぎると見ている。無理筋で不当だと思えば即刻反論すべきだし「落としどころ」を探るような交渉をしてはならない20年以上も対日交渉を担当した私が言うのだ。

ライトハイザー氏へのトランプ大統領からの指令書(そういうものが、もしあればだが)「間違っても妥協は許さない」と記されているはずだ。それがアメリカ式の上意下達の文化だから。そのような命令書があるのだったら、彼が諦めて紙飛行機に折って飛ばさせてしまうまでの断固たる姿勢を見せるべきだ。「悔しかったら右ハンドルの自動車を造ってPrius並かそれ以下の値段で輸出して見せろ」くらい言って、我が国が何か失うか。


9月29日 その2 カタカナ語排斥論者は言う

2018-09-29 16:42:29 | コラム
テレビ局がカタカナ語の氾濫させている:

私がカタカナ語排斥論者として常に非常に気になっていることがある。それは各テレビ局が率先して奇妙なカタカナ語を使っていることだ。即ち、彼らがカタカナ語及びこれらと日本語を組み合わせた表現を余りにも濫用しているのだ。この傾向を助長している大きな要素に、テレビに登場する無知蒙昧なタレント(これだってカタカナ語だ)のみならず、所謂有識者や専門家と紹介される教養が方々までもが何ら躊躇うことなくこの類いの表現を使っていることがあると思っている。

それを聞かされた罪なき一般大衆というか視聴者は「あのような権威者も使っておらるのだから、我々も真似しても良いだろう」となってしまうので、一層カタカナ語の普及が促進されていると思っている。

しかし、今日のようにカタカナ語の氾濫がここまで来てしまうと、私は彼らの中には衒ってカタカナ語を使って語るのではなく、あの類いの言葉を日本語だと思い込んで使っているタレントや俳優の連中が多いのだと見做す方が正しいではないのかと思うに到った。そうでなければ、彼らは十分に国語の教育を受けていなかった為に、「漢字」とその熟語を使えるだけの国語の知識がないのではと考えても良いのだとすら考えるようになった。

それに加えて、これも私の年来の持論である「言葉は耳から入るものが最も影響力が強く、普及しやすいこと」があるので、テレビが流しているおかしなカタカナ語交じりの日本語が無知蒙昧な輩に強くて悪い影響を与えているのも、これまた事実だと思う。しかも、困ったことに、カタカナ語化された外国語は多くの場合に本来の意味と違っているか誤って解釈されているので、それでなくとも効果が上がっていない我が国の英語教育に好ましからぬ影響すら与えていることもあるだろうと思っている。

そこで、思いつくままにそういう好ましからぬ外来語(英語としても良いだろう)がカタカナ語化された例を挙げていこう。

「~ゲットする」、「~をスタートさせる」、「~をオープンする」、「~のトラブル」、「~をコンパクトに」、「~のインパクトが」:
これらカタ
カナ語混じりの表現はウンザリするほど多用されている。私は順番に本当の日本語に直していけば「~を入手した」、「~を始めた」、「~を開店または開業して」、「~の事故、故障、もめ事、心配、苦労」、「~を圧縮する、凝縮する、固める、簡潔にする」、「~の影響が」とするのが本当の日本語だと考えている。他に私が見る問題点は「ゲットする」などは既に過去のことなので、英語ならば「ガット」であるべきだ。こういう時制を無視している点にカタカナ語の問題点があると指摘しておく。

シーン
これはけっして物音がたたずに「シーンとなった」という日本語ではない。私は長い間この屡々用いられている「シーン」が英語では scene 、即ち、「場面」、「現場」、「場所」、「現実の出来事」だとは気が付かなかった。仮名書きすれば「スイーン」の方が元の英語に近いと思う。

リベンジ:
これは松坂大輔が使い始めたので、何となく格好が良いカタカナ語として普及してしまった。困ったことは、revengeは目的語を伴うべき動詞なので、「誰に仕返しをするのか」を明らかにすべきなのだ。ここまで言えば、「リベンジ」が誤って使われていると解るだろう。私は「報復」ならば retaliation 方が良いと思うが、松坂の語彙はそこまでに入らなかったか。

ベテラン:
スポーツの世界でも何処でも一寸経験がある者は全てこの veteran で括るようだ。この言葉の本来の意味は「古参兵、老練乃至は歴戦の兵士」という意味であるし、アメリカでは「退役軍人」を意味するのだ。私は文語だと思っているし、アメリカ人たちとの会話の中でも何でも使った記憶はない。こう言う場合に「古参の選手、老練乃至は歴戦の選手、練達熟練の選手」と何故言わないのだろうか。矢張り国語教育の至らなさか。

コミュニケーションをとる」:
おかしな表現だ。これは思うに「意思の疎通を図る」と言いたくて使われているのだと思う。だが、私の長年の英語の世界暮らしの経験の範囲内では、そう言いたくて(書く時にも)“communicate”という言葉が使われた記憶も経験もない。Oxfordには“to exchange information, news, etc. with ~”が出てくるが、その通りだろう。語り合うのならば“talk to”もあれば“speak to”もあるし「一寸話をしよう」であれば会話体で、“Let’s sit down to have a chat.”等と言って話しかける。

アップするまたはダウンする:
先ず言っておくべきことは up も down も名詞ではないことだ。これらの後に安易に「する」を付けて「上げる、または上がる」か「下げる、または下がる」と言いたくて使うのは邪道だ。これらの言葉は「前置詞」か「副詞」なのだ。カタカナ語の世界では恰も動詞の如き捉え方をしているのは良くない。英語にはそういう使い方がないと知った上で使え。

故に、「イメージアップ」だの「レベルアップ」などは論外なのだ。広辞苑にも「和製語」とされている。プログレッシブ和英には「イメージアップ」は improve the image と出ている。因みに、「レベルアップ」は例文として raise the level of a soccer team とある。私は「もう一つやな」と思う。

こういうおかしなカタカナ語及びカタカナ語交じりの例は未だ未だいくらでもあるが、この辺りで打ち止めにしてまたの機会に譲りたい。


また低気圧が

2018-09-29 16:36:11 | コラム
気象病が続く:

もう9月も終わりと言って良いだろうが、今月に入って日記帳兼予定表兼出納帳にその日の天候を「晴」と記入した日が5日くらいはあっただろうか。遺憾ながら、これ即ち「本日は気分爽快。何かやってやろうか」などと積極的になれた日などは極めて少なかったということ。昨28日は気持ちが悪い(はおかしいかな)ほどの雲一つない好天に恵まれたが、出来たことと言えば精々ジムに行って予定通りに体を動かせた程度のこと。

そこに本日から台風24号とやらの影響で低気圧・高温・高湿度と三拍子が揃っては肩こりと筋肉痛で朝から気分は冴えず、8時30分に毎週の行事である掛かりつけのSクリニックに雨がパラパラと降り出したのをものともして向かった。それでも8時40分に到着して3番目という状態。待つこと40分で順番が回ってきた。S先生は慎重に診察されて「大丈夫」の一言で、これも言わば決まり切った治療であるブロック注射で終わった。

帰宅後は凝りや痛みはほぼ解消したが、この薄暗い陰気な天気では気分も冴えず、余り何かする気にもなれずにテレビをボンヤリと眺めているだけ。女子の日本オープンというゴルフをやっていたが、三連覇を目指すというアメリカ帰りの畑岡奈沙が1位に上がったり2位に落ちたりと一応健闘している様子なので、何とかなれば良いがと思っていた。これで明日は台風が日本を縦断するという予報では、日曜日も気分爽快に過ごせる望みがなくなってウンザリである。この陽気は何とかならないものだろうか。