新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

切りたい世相:

2014-03-31 16:22:40 | コラム
帰京後の31日に僅か4日振りであるが、「敢えて」けだるさを抑えてこの近所を散歩してみた。未だ八ヶ岳周辺の高地にいた感覚が拭いきれずにダウンジャケットを着込んで出かけて汗をかいてしまった。「敢えて」とした理由は先週に古き良き紙流通業界の仲間から「高齢化した者の介護を施設に委ねると自分から動かなくなる嫌いがあって、2ヶ月もすると歩行もままならなくなる危険性がある」と聞かされていたので、3日間も山に籠もって散歩もしていなかったので、足の衰えを懸念したためである。

果たせるかな、現実は想像以上に厳しいものがあって足は重かった。あーあ、だから言われたじゃないか。しかも「3日見ぬ間の桜かな」で、隣接する区立の運動場の桜並木は美しくも満開だった。

巨人阪神の開幕戦でSMAPが国歌を:
そういう噂を報道で承知をしていたが、YM氏とともに当然観戦そのものを見送ったので、あの連中が歌って国歌を貶めるのを聞かずに済んだ。彼等、特に中居のは歌うという動詞を使えないほど酷い。読売は何に迎合してジャニーズ如きを使ったのだろう。怒る前に情けなかった。なお、あの阪神のだらしなさは彼等が駄目すぎるのであって、巨人が強いからではないと思っている。

なお、重症を負った西岡は気の毒だと同情はする。だが、彼は生まれながらに星がない選手だと読めなかった阪神の首脳の罪は深いと思う。巨人には内野手が余っているから誰かを割愛して貰えばどうかすら思う。

大島優子の卒業:
特に驚く数字ではないが、30日に雨風のために国立競技場での公演を中止したと知った。その公演に集まったファンなる者が7万人と報じられて呆れた。国立競技場にはそれほどの収容能力はないはずだから、立錐の余地もないほど詰め込んだのだろう。勿論当方にはAKB何とやらをそこまでの人気者にした立てた秋元康の妙な手腕に敬意を表する勇気など持ち合わせはない。

だが、それほどまでに我が国民を幼児化させた上に、嘗て大宅壮一が指摘した「一億総はくち化」に貢献した実績にはウンザリするだけ。その秋元を東京オリンピックの委員に選んだ何処かの誰かの見識にも恐れ入っている。まさか、オリンピックの開会式にもAKBとやらを使おうという魂胆ではないかと疑いたくなった。

浅田真央の「ハーフハーフ」:
山の中で浅田が優勝する演技の終わりだけ見た。嘗てないほどの迫力があった。兎に角何が何でも世界と付く大会で優勝したことは賞賛に値するだろう。私は浅田は極言すれば「運動神経優れ型」のスケーターであって、荒川静香が優勝したオリンピックで残念ながら4位になった村主章枝の如何にも女性的な優雅さというか妖艶さがない気がするのだが、如何なものだろう。

浅田は昨夜も「ハーフハーフ」を繰り返していたが、細かいことを言えば矢張り間に"and"が入っている方が聞きやすいのではないかな。今後の身の振り方に迷っているのは解るが、「もっと続けて欲しい」などと要らぬ圧力をかけない方が良いと思ってみている。彼女の人生である。他人が介入は無用だと思っている。

それにしても我が国のスポーツ界もマスコミも何で何かと言えば「引退」という言葉を使うのだろう。私は「大きな大会には出ないことにして、これから先は趣味ないしはリクリエーションとして楽しみたい」ないしは「後進を育ててみたい」と考えているようだと言えば良いのにと思っている。それに荒川が選んだショーの世界もあるではないか。

カタカナ語の面白さを:
最後はまたかと思われるだろうが、この話題を。マスコミは30何年か続いたタモリの「笑っていいとも」のグランドフィナーレで持ちきっりだ。グランドは明らかに英語だと思うが、フィナーレはイタリア語らしい。テーマミュージックなどの同類だと思う。私はこういう彼等の融通無碍なところには恐れ入るが、何故ただ単に「最終回」ではいけないのだろう。浅薄だな-!

昨30日に帰京いたしました

2014-03-31 08:34:12 | コラム
休養してきました:

昨日、強風で山手線が止まっていたとは知らずに帰って参りました。正味三日間の山籠もりは50年以上の友人である博学多識のYM氏と語り合う絶好の機会であったと同時に、十分な休養になりました。しかし、山梨県北杜市に到着と同時に全く予想もしていなかった花粉症の如き鼻詰まりと空咳に襲われて、正体不明の不安に晒されるという副作用も経験してしまいました。実は以前に医師からは私には花粉症はないとの診断を貰っていましたので、意外な苦しみでした。

YM氏との会話には個人的な回顧談も多々ありましたが、多くの興味深い話題もありましたので、この疑似花粉症から脱却出来次第に纏めてみる所存です。個人的には非常に印象的だったのは彼が築き上げたハーヴァード大学の人脈の凄さでした。これは巷間夙に語れていることですが、実態に触れるとその迫力をあらためて知りました。また、彼とともに慨嘆せざるを得なかったことがありました。それは確かBSフジのPrime Newsに日本オーストラリア・ニュージーランド商工会議所のメラニー・ブロック(Melanie Brock)女史とともに登場した自民党の西川公也でした。

彼が得々として語った「肉関」と称した「輸入牛肉に賦課する関税を国内の畜産農家の保護に使っているので、オーストラリアとのEPAで要求されている18.5%への引き下げは到底呑めない」には呆れるだけでした。彼は農家の保護政策の負の効果を全く認識出来ていないと知りました。それを根拠にオーストラリア政府に妥協せよと迫るのが使命だと認識しているようでした。

それだけではなく、TPPの大命題である重要語品目関税率引き下げに関しても彼は「アメリカやオーストラリアとの個別の交渉ではなく参加する全ての国が一堂に会する席で話し合えば解り合える」と自信のほどを披瀝したのです。

「話し合えば解る」というのは我が国だけに通じる迷信であり、諸外国、特に欧米の国では如何にして相手を屈服させるかしか考えておらず、その上に万一の場合に備えて交渉の第二第三の矢を準備して勝つことだけしか眼中にないことを未だに認識出来ていないのは、ある意味で当然でしょうが、この程度の人物が自民党内でTPP担当の要職にあるのでは先が思いやられます。

また、ブロック女史の綺麗で且つ丁寧な日本語にも驚かされましたが、YM氏も事日本語力に関しては「外国人と見て侮ってはならない。最近のアメリカ連邦政府以外でも日本語を巧みに操る者が非常に増えてきた」と語っていました。この件についての私の考えは「我が国の外国語教育、就中英語、の改革」でした。これは今までにも繰り返し指摘したことですが、「アメリカの州立大学で2年学んだだけの日本語で、我が国の大学に留学して何ら問題なく講義について行けた」という例があり、これは別に例学的な話しではないということです。

取りあえず、多くの話題の中から思い付くものだけを採り上げました。

私の音楽の好み

2014-03-26 14:11:03 | コラム
私の好む音楽の始まりはクラシカルだった:

頂門の一針の主宰者渡部亮次郎氏に私の音楽の好みを指摘されたので、ここでそもそも私が如何なる音楽から聞き始めたかを回顧してみる。

クラシカル:
昭和20年4月13日の空襲で焼かれてしまった家には昭和16年の小学校3年まで住んでいた。藤沢の鵠沼には腺病質だった私の転地療養と疎開をかねて引っ越した。その家には昭和12年12月に交通事故の被害で亡くなった父なのか、あるいは母だったのものかは知らないが、クラシック音楽のSPの文字通りのアルバムが数多くあって、時折それらを蓄音機で聞いていたものだった。

覚えているだけでもビゼー(Bizet)のカルメン、ヴェルディー(Verdi)の椿姫等のオペラやかイタリア人の大歌手・ルソー(Caruso)、ベートーヴェンのものもあって、未だに有名なアリアの記憶に残っている。ただそれだけのことで、特にクラシカル音楽のファンになれた訳ではなかった。

ハワイアン:
後に、進駐軍に学校制度をいじられて高校生とやらにされてしまった頃に、鵠沼では慶応の学生が中心になって当時としては時代の先端を行っていたかの感があったハワイアンの5人組のバンドが幾組か現れて格好良い音楽を聴かせてくれたものだった。その中に直ぐ近所に住んでおられた2年上の鳥山親雄さんが後には有名な寺部頼幸とココナッツアイランダースのメンバーのギターとヴォーカルを担当されるプロになってしまわれた。

ジャズ:
私はその鳥山さんに手ほどきを受けてハワイアンだけではなくジャズも興味を持って聴くようになって行った。そこに高校の同級生のT君が「実は俺もジャズファンなのだ」と当世風に言えばカミングアウトして同好の士となった。彼は慶応大学工学部に進学したほどの機械好きで、レコードプレーヤー(彼は飽くまでも再生装置と称したが)を組み立てるようになって、当方の隣家に住んでおられた当時日本コロムビアの営業部長さんだった方にお願いして、輸入発売されたばかりのベニー・グッドマンの2枚組の伝説的カーネギーホール・コンサートのアルバムを手に入れ、2人で何度も何度も繰り返し聞いては感激していた。

その後はどうやって小遣いを工面したかの記憶は一切ないが、2人は交替でジャズのレコードを買っては、サッカー部と野球部の練習と学業の合間にT君の家の自作の蓄音機でSPがすり切れそうになるまで聴いたいた。因みに、T君は野球部員で昭和24年に我が母校がたった一度だけ出て優勝した時の外野の補欠の一員だった。なお、当方も昭和23年の国体の決勝で負けてしまった蹴球部員だった。

T君とは進学した大学も異なったこともあってともにジャズを聴く機会も減ったが、その頃華々しく出てきたジョン・コルトレーンのテナーサックスの前衛的というか聞き辛いシート・オブ・サウンドとやらに辟易となって、「ジャズも今やこれまで」とほとんど見切ってしまった。

その後の長い空白期間を経て、アメリカの会社に思いもかけず転進した私は、本当に偶にアメリカでも?ジャズを聴く機会があって、矢張り捨てたものでもないと見直すようになった。そして、1967年=昭和42年に借金を積み重ねて新築した藤沢市の家の装飾にでもと購入したステレオ・プレーヤーのために何と言うこともなく買ってしまったのが、1953年に懐かしき日劇で聴いたJATPのピアニスト、オスカー・ピーターソンの後の名演"The Trio"だった。

それから購読し始めた、今では廃刊になったジャズの専門誌"Swing Journal"の紹介する新盤を買い求めるようになり、更に有名なジャズ専門店の新宿駅西口のオザワレオードで勧められるままにこれという名盤・名演奏を買い続けた。1990年に業界の専門誌にエッセーの連載を始めされて貰った頃にはいっぱしの評論家を気取るまで聴き込んでいた。

しかし、何時のことかも記憶がないが、アメリカ出張から戻って勇んで西口に赴くと、何としたことがオザワが廃業していた。オザワではCDが出始めた頃に「もうアナログのレコードの時代が終わって、我々の商売は生き残れなくなる日は遠くない」との悲観的な見通しをきかせてくれていた。しかし、それほど素早く廃業するとは夢にも思わなかった。買う場を失って意欲がなくなった。

私は渡部亮次郎氏が指摘されたように確かに演歌は好みではない。だが、それとは異なった次元で毛嫌いするのが、所謂フォークソングというのだろうか井上陽水であるとかその同類項の「何とか色の手ぬぐいを巻いて・・・」だの何のという、当時の若者に圧倒的に受けた魂が抜けたように聞こえる軟弱な歌である。批判も反論も出ると覚悟して言えば、戦後の我が国の若者を腑抜けにしたのがあの手の自分で作詞作曲をして歌う連中であるとさえ考えている。

また、何を作って同じ節回しで狭い音域の歌でしかない小室某や、桑田佳祐如きを崇拝する風潮には感心出来ない。それ以外では妙に反戦意識を盛り込んだ加藤登紀子や森山良子も願い下げだ。

クラシカルへの回帰:
話変わってクラシカルである。2006年1月に第1回目の心筋梗塞で入院した際に、専門誌の編集長さんにモーツアルトの10枚組CD(何とAVEXの発行である)をお見舞いに頂戴した。身体を動かして良いと許可が出てからは連日連夜聴きまくった。これは重病と闘っていた私に心の平安というか安らぎもたらしくくれた。非常に安定した心理状態で治療を受けさせて貰えた。何と言って編集長さんとモーツアルトに感謝すべきか解らない。

退院後も医師の許可もあって執筆というか翻訳業を再開した際に、これまでは60分程度の演奏時間があるジャズのCDを使って計っていた時間を、モーツアルトに何気なく切り替えてみた。すると、これが入院中と同じで素晴らしい効果を挙げた。即ち、英語表記の中国や南米の地名や人名を漢字ないしは方かなに訳す際の苛々が発生しなくなったのである。心静かに検索なり何なりを続けて訳し終えるのだった。そこで、ジャズをBGMには使わなくなったのだった。

しかし、ジャズを全く聞かないのではなく、クラシカルとともに仕事を離れた時間帯にかけては聴いている。これは長年の習慣で、好みの音楽を聴くことで心が安まって何も書き物用の発想が湧いてくるだけではなく、色々と物思う絶好の時間となるのである。モーツアルト以外には陳腐だがベートーヴェン、ショパン、シューベルト、リスト等の他には多くの名ピアニストのピアノ演奏を静かに聴いている。因みに、今、かかっているのはモーツアルトだが。

テレ朝のTVタックルの見方

2014-03-25 08:14:11 | コラム
3月31日から午後11:15からに変更になるそうで:

11:15からでは私にはとても見ていられる時刻ではないのでこれが最後かと思って、昨24日は3時間もの長時間番組を気楽に見ていた。テレ朝が如何なる意図でかの元外務省条約局長の孫崎某や、東海大学金准教授と中国人の新聞社社長の韓女史を呼んだのか知る由もない。だが、このお三方が番組を阿川佐和子が例えば金慶珠を「貴方一人が・・・」と皮肉ったのを始めてとして、無意味に引き延ば混乱させていた感があった。

確かに異なった分野から多くの人を出席させて話題も豊富だったし議論も白熱した。しかし、この番組の特徴である他人の発言中に不作法に発言する金准教授のような人物も含めて喚き散らす者が多く、何を討論しているのか聞き取れなくなる時間が長すぎた。その中で私にとって最も不快だったのが金と韓両女史の中国と韓国の代表者の如きである発言を要約すると、「我が国と我こそが世界の中心に位置する正論であり、それに逆らう議論は認めない」という姿勢に徹し、他者の主張や意見には一切耳を貸さず、意見交換をしないことだった。

換言すれば、彼女らは「我が国こそが世界の指導者である」と言うに等しい暴論を吐き続ける言わば中華思想の持ち主で、特に中国の韓女史は「アメリカも日本も世界最大の経済大国となりつつある我が国にひれ伏せば良い時代が、直ぐそこに来ている」というように解釈も出来ることを拙い日本語で言い募ったのが印象的だった。一方の金准教授は「日本の言うこと為すこと全て誤っている」と、韓国独自の視点から非難し続けた辺りには、朴大統領の代弁者かとすら思わせてくれた頑迷振りを感じずにはいられなかった。

私が怖れることはこのように物事の歴史を知りもせず理解もしていない辺りに始まって、他者の意見を聞くにも聞かないにも全く謙虚に討論する姿勢を見せずに自己の一方的な主張を延々と続け、しかもそれを何ら恥じることなく世界に向けて発信していき、XX婦問題とは無縁なはずのアメリカにまで出向いてその像を建ててしまうような韓国の外交姿勢を金准教授が示したことだ。

彼女は東大の大学院を経て東海大学で教えていることを忘れてはならない。我が国の国費を使って学んだ経歴がある韓国人である。一方の韓女史が我が国が中国に提供したODAに感謝していると謝意を表したのは誠に意外だったし、その真意が那辺にあるのかと瞬間的に考え込まされてしまった。

このような日韓の間の問題の正しい内容を知らない米欧の諸国では、「嘘で百編言い続ければ真実になる」という我が国にとって負の効果が生まれつつある。その虚言を「絶好の場を与えられた」とでも思っているのか、金准教授は滔々と大声で繰り返し強調していた。あの態度の場面は編集してでも流すべきではないだろう。もし、流すことがテレ朝の狙いだったならば、「矢張り朝日だな」というしかないと思って見ていた。

金准教授は断言は避けたが、今や世界は「2G」の時代だと言いたかったようだったし、韓女史も「中国とアメリカの間に挟まれて彷徨うのが日本と韓国だ」とでも言いたいようだった。また、山本一太大臣もロシアのクリミア併合問題で我が国が如何なる姿勢を採るかを問われて「難しい問題」などと困ったような表情を瞬間的にでも見せていたのには、些か落胆させられた。私はあの即答を避けた裏に何かがあったのだろうと希望的に考えることにしたのだが。