新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

トヨタグループよ、お前もか

2024-01-31 07:07:33 | コラム
我が国の企業の劣化か?

トヨタグループを代表するトヨタ自動車の豊田章男会長が、自社のグループ内の豊田自動織機、日野自動車、ダイハツにおける検査等の不正を謝罪された。率直に言って“Better late than never.”だと受け止めた。このところ、我が国の製造会社での製品の質の問題ではなくて、製品の検査の手続き等における誤魔化しや不正行為があったのは、大いに問題であると危機感を覚えていた。

それは「劣悪な製品を市場に送り出すような技術や労働力が劣化したのではなく、簡単に言えば仕上がりの検査等でインチキをして通過させた製品を知らん顔で市場に供給していた非道徳的な行為だったから」である。これまでに、この種の不正が行われていたのは三菱系でもあったし、他にも先例があったので、これらは例外的かと思えば、そうでもなかったのは大いに遺憾である。

我が国の製造業ではモラル(と敢えてカタカナにするが)を失いつつあるのかという危機感である。そういう行為が何処かの後進国で行われたのではなく、歴とした世界の経済大国である我が国での怪しからん事件なのだ。

実務を担当する者たちが(上からの?)プレッシャーに圧されたの、なんのという言い訳もあったようだが、そうであれば製造現場の劣化ではなく、経営の実務を担当する会社側の連中の質の問題だろう。そんな事態が発生している事を、経営者たちが把握せず看過した責任は重大ではないのか。トヨタ自動車の佐藤社長や豊田会長が記者会見で頭を下げれば解決する問題とは思えないのだ。トヨタ内部で責任者を処分されたのだろうか。

現在の全世界の経済情勢は容易ならざるものがあると思う。だからと言って、生存競争を勝ち抜いて企業を存続させていく為には、不正な手段を採っても良いと経営陣が暗黙の了解でもしているのだろうかと疑いたくなる。もしそうならば、彼らは自社さえ良ければと考えて、需要家や消費者の為に物作りをしようとは考えていない事になる。そんな連中を許して良いのだろうか。そうではあるまい。

技術陣の質が低下したとか、製造現場の作業員たちの質も悪化して、質が悪い製品を作ったのであれば改善の余地があるだろう。だが、上に立つ者たちの道徳心が劣化していたのでは、問題の質が違う。

アメリカのように職能別組合の組合員たちの質に問題があって製品の品質管理が不行き届きで、世界の市場での地位を失っていったのとは問題の性質が違う。再教育されるべきは経営陣であり、会社の管理職なのではないか。

競争の激化だの、エネルギーコストの上昇だの、人件費の高騰だの、原材料費の値上がりだの、輸送コストの上昇等々の圧力に負けて、不正をしてまで競争を切り抜けて生存していこうとでも考えていたのであれば、それは道徳心の問題ではないのか。

最終製品を値上げしなければ会社として成り立たないというのであれば、需要家や消費者に納得して貰うような解りやすい説明をして正々堂々と値上げを試みていくべきではないのか。

街場のラーメン店ではないのだから「うちだけが値上げをすれば、お客様を同業に持って行かれる」などと考えて不正の挙に出たのであれば、経営者としての認識に欠け、責任を取ろうとの信念が薄弱だったのではなかったのかと非難したい。

私は「世界がどう受け止めるか」などは気にせずとも良いと考えているが「今回のトヨタの一件は事がトヨタだけに世界がどう受け止めるか」には大いに気懸かりなのだ。


1月30日 その2 岸田内閣が国会で攻めまくられているが

2024-01-30 13:16:38 | コラム
岸田総理は動じていないように見えるのだが:

何とか一部だけ国会中継を見た。衆参両院では野党の岸田内閣と自民党攻撃を専門にしているかのような野党議員たちが、ここを先途と厳しいとは思わせる質問の連発で岸田総理を攻め(責め?)まくっていた。

私が岸田総理の答弁から受けた印象は「岸田総理はそれほど動揺していない様子だったのは、質問の内容にさして目新しい事実もなく、予想してあった範囲内だったので、苦労しておられない模様」だった。それだけではなく、岸田総理は何時も通りに質問に直接答える事なく、抽象的というか具体性に乏しい事を言っておられただけ」だった。換言すれば「何も具体的に確約はしなかった」のだった。

国会での論戦からは外れるが、私が安倍派の五人衆の無責任振りにはあらためて「何とも救いようがない連中で、彼ら如きを信じて任せてきた私をも含めて多くの国民にも責任があるのでは」と落胆していた。それは彼らが「お詫びする、それは自分自身の監督不行き届きで、秘書を信頼して任せていたのが悪かった」と、見事な程全員一致して「秘書(事務方)が悪い」と責任逃れしか言わないのだった。

特に、西村康稔は新型コロナウイルス担当の時から責任回避の姿勢を貫き、何か問題が生じれば全て尾身茂氏に任せて、苟も一国の大臣たるものが逃げ回っていた狡賢い姿勢には呆れ返っていたので見放していた。故に、今回の逃げ口上を聞かされても「こういう輩が次期総理の座を狙う位置にまで上がっていたとは、自民党も人材不足なのだな」と再認識できていた。

私は収支報告書不記載や、政治何とか費の使途不明だとかを悲憤慷慨する前の事で、こんな程度の責任感しか持ち合わせていない者が5名もいて、政権与党を牛耳っていた事には、我が国の政治の危機感を見出しているのだ。その連中の上に立って、解決すべき難問山積の現在に「政権維持に汲々となっている岸田総理にも反省して貰いたい」と考えている。

この様子では「一将功成って万骨枯る」ではなく「一将功成る前に万骨枯る」となってしまうのではないかと、危惧している。国も国民も苦境に立たされてしまはないかという危機感だ。岸田総理には何卒「皇国の興廃現在の我が振る舞いにかかる」とばかりに奮起されて、雑音に動じる事なく「一将功成って万骨が栄える」ようご努力願いたいのだ、切れるものならば責任逃れの衆らを切り捨てても。


2023年12月の東京都新宿区の人口

2024-01-30 09:32:45 | コラム
23年12月の新宿区の人口は△150人の微減だった:

ここ新宿区百人町の外れと雖もオーバーツーリズムの恩恵?に浴しているようなのだ。昨日の昼前のことで、我が家の直ぐ近所の小さな古いアパートから英語を話す若い男女が3名、大きなトローリーケースを引きずって新大久保駅に向かっていく所に出会って「あれつ。ここはホテルではなかったはずだが」と思わせられた。近頃はこのような民宿のような光景を見かける事が増えてきた。

そういう違反行為(なのだろう)をする輩がいるのを「怪しからん」と責めるよりも、「そうまでして我が国を訪れようとしてくれる外国の若者がいる事に感謝していれば良いのではないか」と大らかにと言うか、大目に見ておこうかと思うに至った。何しろ、国を挙げて?インバウンド様たちを歓迎している時代なのだから。ではあっても、あの3人は宿泊の費用から節約しようとしていた。

27日には山手線の内回りに御徒町辺りから乗ってきた、超大型のトローリーケースを2箇ずつ抱えた3人の白人の男女たちが乗降口近くに立ち塞がってしまったので、彼らが池袋で降りるまでの間は乗降客に取っては大迷惑だった。彼らがそういう我が国の礼儀作法を知らないのは不思議ではないが、旅行のガイドブックにはそういう事も記載しておいたらどうかと思わせられた事態だった。

12月には新宿区の人口が対前月に続いての微減の△150人で349,226人となっていた。その内訳は日本人が△1780人で305.329人、外国人は△128人で43,897人となっていた。私が常に注目している外国人は、全人口に占める比率が12.57%と11月の12.55%との対比ではほぼ横ばいだった。因みに、10月も12.54%だったので、実質的には変動がなかったようだ。

ここで、昨日から報道されている「レイシャル・プロファイリング」を採り上げてみよう。それはWikipediaによれば「レイシャル・プロファイリング (racial profiling) とは、警察官や保安官といった法の執行者が特定の人種や肌の色、民族、宗教、国籍、言語といった属性にもとづいて個人を捜査の対象とすること。」とある。我が国でもその職務質問を繰り返された人たちが不当だと訴えたという事態だ。

ここ百人町/大久保界隈では、何年か前までは大久保通りで私服警官が「はい、警察。外国人登録証を」とか「一寸手荷物検査を」と一見アジア人風の者たちに職務質問をかけていたのは普通の現象だった。だが、今やその質問をかけるべき異邦人の方が我々日本人よりも圧倒的に多いのだから、レイシャル・プロファイリングなどが発生する余地などあり得ない状態。

私は今や我々を圧倒する程増えたイスラム国系やアジア系の人たちが、どのようにして物価上昇を克服して我が国で悠々と生活していられるのかと何時も不思議に思えてならないのだ。中には乗用車や電動アシスト付き自転車を乗り回している者もいるのだ。乳幼児をベビーカー(おかしなカタカナ語だが)に乗せて買い物に来る異邦人の家族も見かける。彼らには日本国が治安状態に心配も無く安心して生活出来る楽園かと疑っている。

毎回のように行政を非難しておきたい事がある。それは「インバウンドの誘致に努めれば、訪れてくる者たちの質が玉石混交となるのは当然だろう。行政はその中の貧困国の中でも低層を占める連中が我が国で方々に居着いてしまう事まで計算できていたのか」という問題なのだ。その「石」に相当する多くの階層がこの地区に定着してしまって、我が国を食い物にして帰国しようとはしないのではないのか。

その悪影響がここ新宿区百人町/大久保界隈に顕著に表れて、日本人向けの蕎麦屋のような料理屋、八百屋、魚屋、惣菜屋のような小売店/商店が続々と廃業してしまって商店街が消滅した上に、銀行の支店もなくなってしまったのである。この負の流れを阻止できなかったのは行政の手落ちではなかったかと私は見ている。

ここでは「皆様、是非一度山手線新大久保駅で降りて、改札口を通過して外に出て見て下さい」と毎月のように同じ事を言おう。構内の外国人の大混雑で移動できずに「ここは外国か?」か「何でここまでになってしまったのか」と憤慨したくなる事請け合いだ。年がら年中、それほど多くの外国人と老若女が出入りしているのだ。改札口の外側には待ち合わせの者共の大群が立ち塞がるので、反対側の我が家の方角への移動が困難なのだ。

このようなハラルフードを買いに来るイスラム教徒とKorea townに押し寄せる我が国の老若女があれほど多い事態が、経済的にも何にも良い事なのかどうか、為政者に是非とも実地検証して欲しいと思う。彼ら外国人が何の目的で、如何なる「メリット」(「アドヴァンテージ」の意味だろう)があって、この混雑を極める界隈に押しかけてくるのかを実地検証して貰いたいのだ。

参考資料:新宿区広報24年1月25日号

「もしトラ」から「もし」が取れる時がくる

2024-01-29 07:15:34 | コラム
ドナルド・トランプ氏論:

当方は今日までドナルド・トランプ氏の問題点、就中この世にある物事に通じておられない点を取り上げて批判してきた。同時に、アメリカ全体で見れば「ごく少数のMBA等の高学歴のインテリ階層、支配階層、経営者層に極めて不人気である」と指摘し続けてきた。

そして、トランプ氏はその階層には全く歩み寄ろうとはせずに、working classと彼自身が呼んだ階層とそれ以下の少数民族等の取り込みに集中し、その効果は歴然として上がっていた。

このような事を言い続ければ、如何にも反トランプ派の如くに思われそうだが、そうではないのだ。我が国の専門家や有識者やジャーナリストの方々が中々指摘されなかったような事で、トランプ氏がアメリカの上記のような階層に嫌われようとも、労働者階級以下の支持を確実に取り付けてあれば、退任後も人気が衰えていない点を取り上げていたのだ。現に繰り返して私の元の上司や同僚やアメリカの友人知人にトランプ氏の支持者は皆無であると述べてきてあった。

そのトランプ氏支持層がどれ程彼の再戦を期待しているかという辺りは、すでに2州での予備選挙でも明らかに現れている。「もしトラ」の段階が終わって「もし」が取れつつあるのだろう。

当方はズッとトランプ氏のアメリカの産業界などの実態についての無知振りを批判してきたが、その業績の中の一例を挙げてみよう。それは、合法/不法を問わず南アメリカからの移民を強制的に送り返した事がある。これなどは大いに歓迎した階層があった。また、中国に露骨に対抗意識を示して高率の関税をかけるなど、大向こう受けを狙う策も打たれた。彼以前の大統領には到底着手できなかった強硬策である。

我が国では故安倍晋三元総理がトランプ氏と親交を結ばれて、揺るぎなき日米の好関係を確立されたし、世界でただ一人の「トランプ大統領の相談役」を果たされた。その良き関係はバイデン大統領になっても引き継がれているだろうから、トランプ氏が再任されても心配になるような材料はないと思って間違いないと考えている。

何方かがトランプ大統領が退陣させられそうな時に言っていたが「トランプ大統領が消えて喜ぶのは習近平で、困るのが金正恩である」と。今でも、これが当て嵌まると思っている。今やドナルド・トランプ氏の思想・信条が変わっていない事を願っている。


国を思う心情から一言

2024-01-28 08:01:00 | コラム
政治は現状のままで良いのだろうか:

去る26日までの半年足らずの間に、JRの在来線で東京と熱海の間を三往復して湯治に行ってきた。前回のように3度目ともなれば、1980年頃まで1951年から慣れ親しんできた、湘南電車の両側の景色を観察できるようになっていた。そこに見えた景観は誇張して言えば異常としか言いようがない変化だった。特に、東戸塚から戸塚の間で車窓から見える大中小の低層から中層のアパートと戸建て住宅の超過密振りには驚き且つ呆れていた。

特に凄まじいというか酷いと驚愕したのが東戸塚から戸塚の間で「立錐の余地もなく」という言い方では表現しきれないのではないかとすら思わせられた。その景色に目が慣れるまでは電車が何処を走っているのか見当も付かない状態だった。兎に角見渡す限り住宅ばかりなのだ。この有様では恐らく人が多すぎて、何処に行っても人また人で息苦しいのではないかと思いながら眺めていた。

そこで、「なる程、知り合いの戸塚に住んでいた商社マンがお嬢さんの嫁ぎ先である千葉県のK市に移転した訳だ」と漸く認識できた。住宅地の開発や再開発も都市計画上は良い事なのかも知れないが、程度の問題も考慮する必要があるのではと思わせられた程のすさまじさが印象に残った。

さらに思いが至った事は「あれだけ無制限に近い状態で住宅を増やせば、東京都心で高層ビルを林立させて電力の消費量を野放図に増大させている以上に、電力等のエネルギー需要が増大して供給量不足に拍車がかかるだろうと考えていた。また、横浜市当局は生活排水の処理にも苦労するのではと、他人の疝気を気に病んでいた。我が方が藤沢市に住んでいたのは1988年春までだから、想像もしていなかったような発展と変化だと見えた。

この変化と発展も大船までで、藤沢に来るとその駅付近の景色は昔ながらの素朴な田舎都市。ここを過ぎてからその再開発振りに感嘆させられたのが辻堂の駅の北側。元はと言えば旧住友金属系列の関東特殊製鋼の工場があった場所。立派に再開発されて大規模なショッピングモールが出来ていたし、駐車場と見える建物もあった。1945年から長閑な辻堂に慣れてきた身にとって「辻堂にそれほど多くの人が住んでいたのか」と疑いたくなってしまう。

回顧談になるが、この嘗ての関東特殊製鋼では湘南のサッカー部とクラス会の仲間のS君の父親が社長で、彼は住友金属に就職し、また同じクラス会の住友君は関東特殊製鋼に就職していた。S君は私立の灘中学(現灘高)を卒業後に県立の湘南高校に転入してきた珍しい学歴。残念ながら昨年亡くなってしまったが、往年は慶応のキャプテンで、ポイントゲッターとして大活躍していた。彼は辻堂に住んでいたというのが思い出。

熱海では行く度に有り難い事に所謂「オーシャンビュー」の部屋に泊まれていた。その部屋から青と言うよりも紺色に近い水平線までの広がっている海を眺め、ご来光まで仰げたのは感動ものだった。そこで初めて気が付いた事があった。それは、昭和16年(1941年)から海水浴や砂浜野球で慣れ親しんでいた鵠沼海岸での同一平面から見えた、何となく茶色っぽい海の色とは違うというか、こういう色なのだったかと印象深かったのだ。

3軒のホテルで「なる程、矢張りこういうことになっているのか」と実感できたのが「マスコミ風にカタカナ語を使えば、宿泊部門でも食堂でもフロントデスクでも、至る所でスタッフには外国人への依存度が極めて高い事」だった。一軒だけでは、ベッドメイキングに来た屈強な若者に風呂場で再会したので「何処の国の人」と尋ねてみれば、ネパール人だったという具合。最早、彼らに依存しなければ、営業は成り立たないだろうと思わせられた。

彼らのような外国人労働者の時間給や福利厚生等がどのような仕組みに設定されているのかなどは想像も出来ない。だが、彼らが無理をしても我が国に職を求めてやって来て満足させられるだけの額を支払う事を、現在の我が国の経済情勢が易々と許すのだろうかと不安になる。彼らは、他の業種か他国の賃金に魅力を感じれば、さっさと転職して行ってしまうのではないか。

それどころか、我が国を見切って来なくなる事までも想定しておく必要がありはしないのか。何度か湯治に出かけホテルに泊まり、JRの在来線を利用して、物思わせられた次第だった。それは「政治という事は、収支報告書不記載で資金を作ったり、刷新したり、政権維持の為に派閥を解散する事も重要な仕事かも知れないが、こういう現場にまで細かく神経を使って全ての国民が幸せな日常を過ごせるように腐心するのも重要な仕事なのではないか」なのだ。