暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

金襴と銀欄に逢う

2020年04月29日 | 暮らし

     (新緑が美しい散歩道)

 

歩きすぎたのでしょうか? 4月半ばに歩行がつらいほど右膝が急に痛くなりました。

・・・それで散歩に行けず、足(膝)や上半身(肩)のストレッチを心がけて過ごしました。

1週間たつと嘘のように右膝の痛みが消えて、また散歩へ出掛けています。

 

   (濃紫の花房が美しいアケビ)

 

我が家の近くには雑木林の茂る里山や畑があります。足を延ばすと緑の色濃い丘陵や谷戸が点在していて、人にほとんど会わずに散歩ができる、横浜の貴重な田舎です。

今日はツレが知人から聞いたという場所に「金襴と銀欄」を探しにいきました。

「金襴と銀欄」は山野草の一つで、春になると黄色と白の綺麗な花が咲き、黄花は「金襴」、白花は「銀欄」と呼ばれています。

 

       (かわいらしい金襴)

        (清楚な銀欄)

時々通る散歩道に咲いているのを発見!

2週間前にもそのコースを通ったのですが、まだ咲いていなかったのと、まさか「金襴と銀欄」が身近なところに残っているとは・・・思ってもみませんでした。一昔前までは里山のどこにでも「金襴と銀欄」が咲いていたそうですが、今は幻の山野草と思っていました。

いつまでもその里山で咲いてほしいと願っています。

 

    (こちらはホウチャクソウです)

今日は1時間15分ほどの散歩コースでしたが、100段の階段があったのでひと汗かきました。でも、確実に筋力がついてきたのを実感しています。 

おっくうがらずに日々の散歩を頑張りたいです。 

 

 


「夜長姫と耳男」を読む

2020年04月27日 | 暮らし

   (稲荷社の丘から見るしだれ桜・・・3月24日に遍路道Dにて)

 

少し前の話になりますが、3月になると、新型コロナウイルスを身近に感じるようになりました。その疫病の正体がつかめず、得体の知れない魔物がじわじわと迫ってきます。

不条理の恐怖・・・戦争やナチスのように逃げ場のない恐怖を本能的に感じるようになりました。

・・・そんな時になぜか、坂口安吾の小説「夜長姫と耳男」(岩波文庫「桜の森の満開の下・白痴」に収録)を読み返してみたくなりました。

それは、最初はホーソー(疱瘡、天然痘)で村人の5分の1が亡くなった。やっとホーソー神が去ったと思うと、50日もたたないうちにホーソーより恐ろしい疫病がやってきて、村中に蔓延し、人がキリキリと死んでいった。そんな極限状態で展開される、夜長姫と耳男の凄まじくも美しい愛と死の物語だからです。

「桜の森の満開の下」とともに、坂口安吾の小説の中で大好きな一編です。

 

 

     (村の入口にまつられた青面金剛庚申塔)

あらすじは、

耳男(ミミオ)という若い飛騨の仏師が、長者の一人娘・夜長姫の16歳の誕生日までに姫の今生後生を守るミロクボサツを彫るように依頼され、長者の屋敷内に小屋を建て、3年かけて仏を彫り始めます。

夜長姫は、光り輝くような美しい姫だが、恐ろしいほどの残虐性を持っていて、一目で夜長姫の虜になってしまった耳男の心を苦しめる。

姫のあどけない笑顔と血の匂いが立ち込める残虐さに立ち向かうため、耳男は蛇を殺し、生き血を呑みながら、心身を賭してミロクボサツを彫り上げます。

耳男以外の誰も彫れない気迫のあふれたホトケはミロクボサツとはかけ離れた仏像(悪魔逃散のためのバケモノのような仏像)でしたが、夜長姫の気に入り、耳男は引き続き屋敷にとどまって、姫の顔を写したホトケを刻ませてもらうことになった。

そのころ、ホーソーがはやり、あの村でもこの里でも死ぬ者がキリもなかった。夜長姫は耳男の彫ったバケモノの仏像を屋敷の門前に据えさせ、自らは高楼に上り、村はずれの森へ死者が運ばれていくのを、満ち足りた様子で見ていた。そんな姫に耳男は底知れない恐ろしさを感じるのだった。

やっとホーソー神が去って行って安堵したのも束の間、50日も経たないうちにもっと恐ろしい疫病が村に蔓延し始めた。耳男の彫ったバケモノのような仏像も全く歯がたたない。それでも、その仏像の祠にすがって死ぬ人を、畑で鍬を持ったまま死ぬ人を、姫は高楼からニコニコと見ているのだ。

姫は耳男に蛇をたくさん取ってくるように命じ、蛇の生き血を呑んで、死骸を高覧の天井に吊るさせた。耳男は夜長姫の命令に従い、蛇をとっては殺し、蛇の死骸を天井に吊るし続けた。

高楼から村人たちが疫病でキリキリ舞いをしながら息絶える様子を笑いながら見ている姫に、「ヒメが村の人間をみな殺しにしてしまう」「このヒメを殺さないとチャチな人間世界はもたないのだ」と耳男は思った。

心がきまると、耳男はためらわず、強い力に押されるようにヒメの胸にキリを打ち込んだ。

ヒメは耳男の手をとり、ニッコリとささやいた。

「好きなものは呪うか殺すか争うかしなければならないのよ。お前のミロクがダメなのもそのせいだし、お前のバケモノがすばらしいのもそのためなのよ。いつも天井に蛇を吊して、いま私を殺したように立派な仕事をして・・・・」

ヒメの目が笑って、閉じた。

オレ(耳男)はヒメを抱いたまま気を失って倒れてしまった。  (終)

 

  (春の木神社の密経塚(横浜市旭区東希望が丘))

(江戸時代中期この地に疫病が流行り、死者の家財や衣類を焼いた灰を埋め、弔った塚という)

  (密経塚のタブノキの大木)

(クスノキ科の常緑樹で、名前の由来には諸説あるが、神事との関連が深く、「霊(たま)が宿る木」を意味する「タマノキ」から転訛したという説がある)

 

「夜長姫と耳男」を何度も読み直しています。

正体不明の恐ろしい疫病はまるでコロナウイルスみたいです。疫病が蔓延していく中、夜長姫も耳男も追い詰められていくのですが、その表現がヒメの笑顔であり、たくさんの蛇を殺して天井に吊るすことであり、それに狂ったように専念する2人の姿でした。

そんな極限状態の中で研ぎ澄まされ、やがてヒメの死へと浄化されていく二人の情念がうらやましくも美しくも感じられるのは私だけではないと思う。

夜長姫の最後の言葉がいつまでも心に響いています・・・。 

 


ベランダに颯々の風が・・・

2020年04月25日 | 暮らし

   (枝折戸のアーチのジャスミンが咲き始めました)

 

2週間前、立礼の会のAIさんから次のようなメールが届きました。

 暁庵先生へ

4月28日にお伺いします。卯の花も雪点前もお点前は忘れてしまいましたが、可愛く楽しかったような、宜しくご指導願います。

ところで、お稽古用ですが朝鮮風炉があり、灰はありませんが、もしよろしければ先生に使って頂ければ嬉しく思います。釜の方は、今日手入れに出したところで、1か月程かかるそうです。

両方揃ってから、と思いましたが、20年程そのままでしたので風炉だけでも見て頂ければ、と思います。先生のご都合宜しい時をお知らせ頂ければ車で玄関まで持っていきます。

まことに不躾な申し出ですが、宜しくお願いします。

コロナもなかなか収まらず、どうぞご自愛くださいませ。  AIより

 

   (小判草とアケビを簗篭にいけました)

 AIさまへ

ありがとうございます。是非ぜひ朝鮮風炉を使わせてください。

実は今日(10日頃)、今日庵のお家元からハガキが届きました。

「緊急事態宣言に該当する地域はもとより該当しない地域も含め、稽古場の封鎖の検討をお願いします」という内容です。

・・・それで、先ほどお知らせした4月28日のお稽古は中止にします。朝令暮改でごめんなさい。お稽古はしませんが、よろしければ朝鮮風炉を見せてくださいませんか。

風が心地よいベランダで、茶箱・雪点前にて薄茶を差し上げたいと思います。くれぐれもお稽古ではありませんので・・・。     暁庵より

 

 (時々ベランダでツレと一服しています・・・)

  (三密を避けてベランダ席を設えました)

 

立礼の稽古を始めたものの、なかなか朝鮮風炉を用意できずにいたのでした・・・。

AIさんのお心遣いが嬉しく、玄関で荷物を受け取ると、早速ベランダ席へご案内しました。

颯々の風が通るベランダに2mの間を取って、三密(密集、密接、密閉)にならぬように席を設えました。

若葉が一番美しい時期なので、庭が良く見える位置に椅子を置き、点前座は対面にならないように気遣います。ポット使用、笊盆に替茶碗2個と茶巾皿に茶巾2枚を用意しました。

四国遍路を思い出しながら茶箱雪点前で薄茶をお点てしました。

替茶碗は「北欧デザイナーによる茶碗」、松ぼっくりとレースフラワーがそれぞれデザインされています。小ぶりだし、北欧の自然をモチーフにしているので茶箱や野点にピッタリです。

お菓子は「古鏡」、山形県鶴岡市の大好きな名菓です。

 

 

もう一つの対策、お話しが弾むのでは・・・と思い、マスク使用をお願いしました。

「あっ!いけない。マスクをしたままではお茶は頂けませんね 

いつもながらユーモラスなAIさんのお話に大笑いしならお茶を頂き、近況をお話していると、免疫力がぐんと上がる気がします。

「また当分頑張りましょう!」というエールを交わし、短い時間でしたがたくさんの元気をもらいました。

今度会えるのは連休明けでしょうか? 無事に元気で会えますように・・・

 

 


「在釜」と門扉アート

2020年04月22日 | 暮らし

   (展示中の「猫」の絵です・・・4月18日撮影)

 

(「木蓮」(鏑木清方画)・・・3月29日の雪の日に撮影)

 

直島(香川県香川町)を訪れた時のことです。

家々の窓辺や玄関や家壁に飾られている絵や花や創作アートに出会いました。直島に散りばめられた芸術作品の一つとして、住む方のそれぞれの感性で楽しんでいる町角アートが心に残りました。

・・・そんなことを思いだしながら、30数年を経た我が家の門扉に絵を飾って門扉アートを楽しんでいます。

絵の入っている額縁は、金具が付いた古箪笥をリメイクした壁掛けです。もう7年ほど前になりますか、京都・知恩寺の手づくり市で購入したもので、金具がすっかり錆びていい感じになっています。

最初は「在釜(ざいふ)」をお知らせするためでした。

「在釜」とは、「今、釜をかけています」という意味です。茶会や月釜の入口に紙が貼られたり、木札が掛けられているのを見かけた方もいらっしゃることでしょう。

我が家の「在釜」は、お稽古やお茶事にいらっしゃる方に「今、釜がかかっていますので、どうぞお入りください」という意味で掛けています。

もちろん、「茶会をしているのでしょうか?」「お稽古を見学してもよろしいですか?」とノックがあれば、喜んで薄茶一服を差し上げる心づもりでいます。残念ながらそのようなお茶好きの勇者は未だ現れませんが・・・。

 

     (先週まではこちら・・・「朧月夜と瀧櫻」(千住博画))

 

絵葉書サイズがピッタリなので、頂戴した絵葉書、美術館で買い求めた絵葉書、他にも本や雑誌の切り抜きなど、展示できそうなものをいろいろ集めています。

町角アートのように、社中の方や通りがかりの人がちらっと見て楽しんでくれると嬉しいです・・・。

 

 (久しぶりの「在釜」・・・下の植物は大好きな「雪の下」)

 

このような折ですが、昨日、お茶関係のお客さまが来られ、久しぶりに「在釜」が掛けられました。詳しくは次回に続きます。    

 

 


本占い・・・「主人公」

2020年04月18日 | 暮らし

  (土佐水木と岩根絞り(最後の蕾です)、花器は小代焼)

 

   (ベランダ席・・・丸いテーブルにしてみました)

 

皆さま、新型コロナウイルス対策で外出自粛の折、家の中でどのように過ごしていらっしゃいますか?

一人遊びはしていますか? 片づけ物ははかどりましたか? ・・・とっても興味があります。

暁庵は生来の怠け者で、掃除や片づけ物が苦手です。

それでも、この機会に本を半分に減らしたいと重い腰をあげました。

2階にある書斎の本棚は既に飽和状態で、重量的にも床が持つか心配になっています。

本棚の一段を選び、A(処分)とB(お茶関係で処分)の2つの段ボールに分けてみました(先ずはウォーミングアップから・・・)。

2日目は段ボールの数を増やし、ツレも動員し、いらない本をどんどん選んでいきました。

ツレは再点検して、残す本、廃棄する本、売れそうな本、寄付する本、文庫本、漫画などに分類して紐で縛っていきます。

 

  (今、茶室に段ボールと本があふれています)

 

愛読書で捨てられなかった本や大好きな漫画(ベル薔薇・・)も思い切って捨てました。それでも、呆れられながら「ガラスの仮面」は残しました・・・。

お茶関係の本や雑誌はなかなか捨てられず、占有率が多くなってしまいそう・・・もう一日増やして、お茶関係の本を整理する予定です。

いつものことですが、読みたい本や読んでいなかった本がたくさん見つかり、手元に積んであります。

その中に「心が晴れる禅の言葉」(赤根祥道著、中経の文庫)がありました。いつ買ったのか、自分で買ったのかも定かでありません。

大昔、高校生だった時、ハチこと村田先生(お河童頭のユニークな先生だった・・・)に教えて頂いた聖書占い(違う言葉だったかも?)を思い出しました。

一日一回、または迷い行き詰まった時、聖書を無作為に開くと、その頁にその時に必要な言葉や背中を押してくれる言葉が書かれている・・・と。

バスの中だったけれど、先生は実際に聖書を開いて、その頁に書かれていることを噛み砕いてお話してくださったことが鮮明に思い出されます。

新型コロナウイルスとの戦いが続く中、聖書占いのように何か啓示が欲しいと願いながら、「心が晴れる禅の言葉」を開けてみました。すると・・・。

 

人公惺惺着(しゅじんこう せいせいじゃく)也」 河野太通師筆

 

そこには「主人公」・・・本来の自分を覚ましつづける   出典「無門関」

人は、本当に自分自身の主人公でいるかどうか、きわめて疑わしい。

他人のちょっとした批判を気にして、その言葉に引っかかり、何日も何日もこだわり続けている。自分の主人公は、他人になっていて、本当の自分はどこかへ置き忘れてしまっているのだ。・・・(中略)・・・

人は真の主体性をもつことが何よりも大切だ。

 

ウ~ン・・・ざっくりと心に突き刺す禅語でした。自分を見失って、おろおろしている自分を、まるで映画のように見るようでした。それに時々、自分で自分がわかっていない・・・と思うことがあるからです。

今日は、「主人公」の色紙を掛けて、その意味するところをじっくり考えてみることにしましょう。