暁庵の茶事クロスロード

新たなご縁、主客の織り成すドラマ、茶事の持つ無限の可能性に魅了されて茶事を楽しんでいます

能 「野宮」

2011年08月25日 | 歌舞伎・能など
                        ( 黒木の鳥居   野宮神社 )
8月21日(日)、横浜能楽堂特別公演 「野宮(ののみや)」を
小雨の中、観に行きました。
能は3月6日の「花軍(はないくさ)」以来です。

この日のプログラムは
  狂言 「無布施経」 (和泉流)
    シテ(出家) 野村 萬  アド(施主) 野村扇丞

  能  「野宮」  (喜多流)
    シテ(里女、六条御息所の霊) 塩津 哲生(しおつ あきお)
    ワキ(旅僧) 宝生 閑    
    アイ(里人) 野村 万蔵
    笛  一噌 仙幸  小鼓 大倉源次郎  大鼓  柿原 崇志  

源氏物語第十帖「賢木(さかき)」を題材につくられた「野宮」は、
以前から観たい・・と思っていた演目でした。

あらすじは、
   旅の僧が京都・嵯峨野の野宮を訪れます。
   小柴垣に囲まれ、黒木の鳥居が立つ秋の暮の野宮は、昔と変わらない風景です。
   そこに一人の里女が現れ
   「今日は九月七日、光源氏がここを訪れ、六条御息所(ろくじょう みやすんどころ)と
    最後の別れをした日である」と告げます。

   御息所は、光源氏への思いを断ち切るため、娘が伊勢の斎宮に選ばれたので
   一緒に野宮に籠り、伊勢に下ったことなどを語ります。
   そして自らが六条御息所であると明かし、鳥居の陰に消えていきました。

   僧が夜もすがら御息所を弔っていると、御息所が牛車に乗って現れます。
   光源氏の正妻・葵上との車争いで受けた屈辱を述べ、
   そして、昔を偲び、光源氏への思いを胸にゆったりと舞う(序之舞)うちに
   抑えがたいほど思いが昂り、涙を抑えて舞います(破之舞)。

   御息所は再び車へ乗り、去って行きましたが、
   果たして迷いの世界から解脱できたのでしょうか・・・。

                 
                  (榊  季節の花300提供)

里女(前シテ)が左手に榊の小枝を持って登場しました。
最初から、かなり長い時間、その榊は小刻みに震えています。
足元の動きは寸分の乱れも感じられないので、
榊の震えは緊張から来るものとわかりました。

数々の賞を受賞している能楽師・塩津哲生の緊張感が伝わってきて、
動きの少ない感情表現の舞台を固唾をのんで見守ることになりました。

後半の解説に「六条御息所が牛車に乗って登場します」とあり、
興味津々で待ちかねていると、
六条御息所(後シテ)が「一声」の囃子で登場します。

牛車の登場はなく、なんと車に乗った形で舞台下手(常座)に立って、
しずかに懐旧の思いを詠います。
はかなくも美しく、高貴な御息所の魂までもが表現されていて、心に残りました。
面は増(ぞう)。

衣裳もまた素敵でした。
薄黄の長絹(ちょうけん)には菊や桐の色模様が品良く織り込まれ、
露は緋色で引き締まり、袴は高貴なる薄紫。
感動のあまり、その姿をスケッチしてしまいました・・・。

終了後、出店の本屋で「源氏物語」(円地文子 世界文化社)を買っていると、
同じ思いの女性二人と出会いました。
「あのシーンの写真(プロマイド)が欲しいわね」
俗世に生きる私たちは意気投合し、気炎をあげました。

                
                         ( 席から見た能舞台 )

さてさて、舞台では昔を偲んで、月の光のもと袖を翻して、
美しくもはかない御息所の舞が続きます。
仕舞の約束事はわかりませんが、動作が遅い分、
諸々の表現が難しいことだろう・・・と想像しています。

深遠な人間の業とそれから逃れられない人の哀しさが
能「野宮」から沸き立つように感じられ、忘れ難い一期一会の舞台でした。

                           


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能・狂言に潜む中世人の精神  花

2011年03月17日 | 歌舞伎・能など
3月6日(日)は横浜能楽堂特別企画
「能・狂言に潜む中世人の精神」の第4回「花」でした。
東北関東大震災が起こり、ブログ掲載が後回しになっていました。
3月6日が遥か遠い日に思えますが、四回に渡るこのシリーズも{花」で終了です。
しばし、お付き合いください。

1月8日から約2か月の間に四回も能を観るのは初めてのことで
「えっ、もう〜」でした。
でも、行けば毎回、不思議な能の世界に魅せられて帰ってくるのでした。。
シリーズ最終回でもあり、「花」という華やぎのあるテーマでしたので
はりきって着物で出かけました。会場も着物の方が多かったです。

この日のプログラムは
  講演  池坊由紀 (華道家元池坊次期家元)
  狂言 「真奪」   山本泰太郎(狂言方大蔵流)
  能  「花軍」   金剛永謹(シテ方金剛流)   でした。

池坊由紀さんの講演でとても印象に残っていることがあります。
それは中世という時代と日本文化のことです。一部ご紹介します。
              
   中世とは、一言で語るとしたら「混沌の時代」です。
   天皇を中心とする体系が崩れ、武士が政権を担う鎌倉時代ととなります。
   都が京都と鎌倉に分かれ、鎌倉幕府が潤びると天皇家が南北に分かれる
   南北朝時代を経て、足利氏が室町幕府を開きます。
   室町時代になって京都を中心に貴族と武家の文化が融合していきますが
   幕府の基盤が不安定で、応仁の乱を経て戦国時代へ入っていきます。

   中世という「混沌の時代」に禅、能、立花、茶の湯、建築などが
   生まれ育ちました。「混沌の時代」だからこそ、日本人の本質が
   むき出しになって新しい日本文化が生まれてきたのです。
   「混沌の時代」を逞しくテコにして、能、花を含めいろいろな文化は交流し、
   フィードバックしていったのではないでしょうか。
              
   「立花(りっか)」は季節に咲く美しいものとしてだけでなく、
   花を強く意識し、花をたてることによって
   日本人の心に残る確実な存在になっていきました。

3月11日の東北関東大震災以来、原発事故の拡大、災害地の困窮、
エネルギー不足など、混沌とした事態が続いています。
まさに「混沌の時代」の中世のようです。
中世人が求め好んだ、「茶の湯」が何かのお役にたてたら・・・
と、つい考えてしまいます。

              
   
さて、能「花軍」(はないくさ)は、
江戸から大正にかけて何度か上演されたそうですが
金剛流では大正8年に金剛謹之輔(金剛永謹の曾祖父)が演じて以来、
上演が途絶えていて、約一世紀ぶりの上演だそうです。

「花軍」のあらすじは、
都に住む男が流行の立花の会に使用する草花を求めて
伏見の深草を訪れます。
そこに里の女が現れて、伏見の花は「翁草」と呼ばれる白菊が名草であるが、
花の在り処を案内しようと言います。

そして、先ず女郎花を手折るように勧めますが、
不審に思った男は白菊を手折ろうとします。
女は夢に現れ、花の位を争う花軍の有様を見せようと言い残し、消え失せます。
女郎花、牡丹、杜若、白菊、黄菊の花の精が現れ、華やかに花軍を始めます。

橋掛かりに五人の花の精が並び、やがて舞台で花軍が繰り広げられます。
能面の美女が手に持つ花を打ち合う様はスペクタクル画面のようで、
華麗で迫力がありました。

やがて「翁草」(白菊の精)が現れ、争いを止め、和睦します。
「翁草」が舞(中之舞)を舞ううちに、夜は明け、夢は覚めるのでした。

能「花軍」について記載されている本は(謡本も)ほとんどないそうで、
横浜能楽堂では特別に能「花軍」詞章を印刷して配布してくれました。
そのおかげで、今回は構成、筋書がとてもわかりやすかったのですが、
能は本からではなく五感を通して鑑賞するもの・・・
という思いも強く持ちました。

珍しい「花軍」は春爛漫の先駆けでしょうか。

     (第3回 仏教へ)      (第1回 歌へ)
                                    

                
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能・狂言に潜む中世人の精神  仏教

2011年02月16日 | 歌舞伎・能など
2月12日(土)は横浜能楽堂特別企画
「能・狂言に潜む中世人の精神」の第3回「仏教」です。

前日の雪がまだ残り、今にも雪か雨が降ってきそうな寒い寒い日でした。
全四回のこのシリーズは着物で・・と張り切っていたのですが、
横浜能楽堂へは紅葉坂があるので洋服で出かけました。

この日のプログラムは
  講演  有馬頼底 (臨済宗相国寺派管長)
  狂言 「博打十王」 野村萬斎(狂言方和泉流)
  能  「江口」   梅若玄祥(シテ方観世流)   でした。

野村萬斎さんが出演されたので人気があり、正面席がとれずに二階席でした。
心配していましたが、二階席は本舞台、橋がかり、垂幕、さらに
舞台全体の動きがよく見渡せて好かったです。

                   

最初に30分ほど有馬頼底氏の講演がありました。
能と仏教、特に相国寺(しょうこくじ)との関係について話されたのですが、
能も相国寺も知識がないので、とても難しかったです。
お話の中でポイントらしいのですが全く理解できず、それ故、最も興味を持ったのが
「観音懺法(かんのんせんぽう」でした。

能の庇護者であった室町足利家と相国寺はとても密接な関係があって、
「観音懺法」は足利家では毎月18日、相国寺では毎月17日に行われていたたそうです。

「観音懺法」とは、相国寺で現在に至るまで毎年6月17日に催される、
美しい梵唄(声明)で知られる儀式です。
「観音懺法(せんぽう)とは?」と講演の最後までわかりませんで、
帰ってから相国寺のHPを開き、抜粋してみました

    私たちは生まれながらにして仏性、仏の心を持っているのですが、
    知らず知らずのうちに限りない罪を犯しています。
    世俗の社会では法律によって裁かれることになりますが、
    私たちはそれとは別に心の世界をもっています。

    ここでいう罪とは、日常心の上において犯す罪であり、宗教上の罪であります。
    罪を悔いあらため、懺悔の力によって仏の心を取り戻そうとするのが、
    懺法という儀式なのです。

    観世音菩薩は大慈大悲を御心とし、
    抜苦与楽を与えてくださる有難い菩薩なので、
    観世音菩薩に自分の罪を懺悔するのです。
    観世音菩薩をお迎えし、その前で懺悔する儀式作法を、
    観音懺法(せんぽう)といいいます。

               
能「江口」にも白象に乗った普賢菩薩が登場します。
仏にもいろいろあって、菩薩は仏陀になる前の悟りを求める者で、
ここでは慈悲を司るものとして登場します。

                   

あらすじは、
旅の僧が淀川のほとりにある江口の里へ立ち寄ります。
里人に遊女・江口の君の旧跡について教えられた僧が旧跡を訪れます。

西行法師が江口の君に雨宿りを断られた際に読んだ歌、
「世の中を厭ふまでこそ難からめ 仮の宿りを惜しむ君かな」
を口ずさんでいると、
里の女(梅若玄祥)が現れ、
「世を厭ふ人とし聞けば仮の宿に 心とむなと思ふばかりぞ」
という江口の君の返歌を引いて
「宿を貸すのを惜しんだのではなく、世捨人である西行のことを
思って泊めなかったのです」と語ります。
里の女は江口の君の亡霊でした。

ここで間が入り、里人(石田幸雄)が
「くわしくは知らないけれど 大方語られている物語をつかまつろう・・・」
と、語り始めます。

やがて月の澄み渡る川面に遊女たちの舟遊びの光景が見えてきます。
舟が橋がかりへ運び出され、シテの江口の君とツレの遊女二人が舟に乗り、
「秋の水 漲(みなぎ)り落ちて去る舟の 月も影さす棹の歌」
と三人で吟じます。
謡の文句はきちんと聞き取れませんでしたが、
「まるで声明みたい・・・」
一番印象に残る場面であり、心を揺さぶる謡でした。

江口の君は遊女の身のはかなさや、世の無常を述べ、舞います。
「花よ紅葉よ 月雪の古事も あらよしなや。」
やがて、遊女の姿は普賢菩薩となり、西の空へ去ってゆくのでした。

「白象にのりて西の空へゆきたもう
 有難くこそ覚ゆれ 有難くこそ覚ゆれ 」

有馬氏が最後に曰く
「能は悲劇で終わらずハッピーエンドになっている。
 仏の力で救われ、成仏する・・・日本の文化の精神に仏教がある」と。

       (第2回 神道へ)     (第4回 花へ)

                                 のち 

写真は上から 「梅林」 (季節の花300提供)
          「舞台・・二階席より」
          「国宝普賢菩薩像」 (東京国立博物館蔵 ポストカード撮影)


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能・狂言に潜む中世人の精神  神道

2011年02月06日 | 歌舞伎・能など
1月29日(土)に横浜能楽堂特別企画
「能・狂言に潜む中世人の精神」の第2回「神道」へ出かけました。

「中世人の精神とは?」という難解なテーマに何故か惹きつけられて
能の素養がないまま、毎回私にも理解できるだろうか? ついていけるだろうか?
と思いながら参加しています。

この日のプログラムは
  講演  花山院弘匡 (春日大社宮司)
  狂言 「夷毘沙門」(大蔵流)山本則孝
  能  「春日龍神」(観世流)浅見真州    でした。

春日大社宮司・花山院さんのお話は興味深いものでしたが、
神道については難しかったです。

               

   能舞台は春日大社の境内そのものを表わしていて、
   橋掛かりが参道、揚幕が一の鳥居で、西の結界にあたります。
   本舞台の鏡板には松が描かれていますが、「影向(ようごう)の松」といい、
   神の気配、姿があらわれる松だそうです。

   横浜能楽堂の本舞台は、明治8年(1875年)に東京根岸の
   旧加賀藩主・前田斎泰邸に建てられたものを移築しています。
   鏡板には松だけでなく白梅も描かれています。
   能舞台の説明板によると、白梅の絵はとても珍しいもので
   前田家の祖・菅公(菅原道真)の梅にちなんだものとされています。

                              

   能「春日龍神」の舞台である春日大社は、藤原氏の氏神であり、
   氏寺の興福寺とともに平城京を守り、国家鎮護を願うために祀られた神社です。

   春日大社のすぐ後に神域・御蓋山 (三笠山)があります。
   この山は平城京から見ると東方にあたり、東は春の方位を表わし、
   命がめばえ、月が出れば月の力がみなぎると考えられています。
   水は命の源ですが、山は水を蓄える所でもあります。

   三笠山そのものが神であり、神は山(自然)の中におはします。
   山(自然)の中に命を見る、これが神道なのです。

   春日龍神の地謡にもあるように
   「三笠の森乃草木の。三笠の森乃草木乃。風も吹かぬに枝を垂れ。・・・」
   三笠山に風が吹くと、木が一本一本そよぐ時があります。
   そんな時、神の気配を感じます・・と花山院さんは話してくださいました。

                

春日龍神を初めて観る私は、神が宿るという松が描かれた舞台で演じられた、
この世とあの世の境を漂う幽玄の世界へのめりこんでいきました。

あらすじは、
明恵上人が唐・天竺へ渡り仏跡を訪ねる志をたて、暇乞いに春日大社へ詣でます。
宮守(浅見真州)に唐・天竺に渡ることは神慮に背くことだと止められます。
宮守の説得に明恵上人は渡航を思い止まります。
すると、宮守は釈迦の誕生から入滅までの様子を見せようと言って姿を消します。

末社の神(山本則重)が現れ、唐から天竺までの旅、釈迦の一生、
春日大社の歴史を朗々と語ります。
「町積」という狂言方が立ったままで長大なせりふを語る、演出だそうですが、
迫力満点、客席を飽きさせずに見事でした。

魂に響く笛の音色、囃子に誘われるように
揚幕から小面をつけた龍女が優雅に現れ、気品あふれる「龍女之舞」を舞います。
次に大龍の冠をつけた龍神が現れ、勇壮な「龍神之舞」を舞いました。
笛、大鼓、小鼓、太鼓の囃子と呼応して、さっそうと舞う龍神の躍動感。
舞い終わると龍神と龍女は静かに猿沢の池へ戻って行きました。

一番前の良席だったこともあって、自分自身が舞っているような臨場感を味わいました。
この経験は初めてのことで、やみつきになりそうです・・・。

      (第1回 歌 へ)         (第3回 仏教へ)               
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能・狂言に潜む中世人の精神  歌

2011年01月13日 | 歌舞伎・能など
1月8日に横浜能楽堂特別企画
「能・狂言に潜む中世人の精神」の第1回「歌」へ出かけました。

世阿弥が能の骨格を作り上げた中世の精神から、
「歌(うた)」「神道(かみ)」「仏教(ほとけ}「花(はな)」
のテーマに沿って講演、狂言、能が全4回催されます。

この日のプログラムは
講演 馬場あき子(歌人)
狂言 「連歌盗人」(大蔵流)山本東次郎
能  「雨月」(観世流)大槻文蔵    でした。

「中世の精神とは?」「歌の持つ力とは?」
馬場あき子さんの講演が面白く、興味をもちました。
  
中世といえば、鎌倉時代から南北朝を経て室町時代、戦国時代まで入るのでしょうか。
貴族に代って武士が権力を得て、政権を担っていく時代ですが、
戦乱が絶えなかった乱世でもあります。

そんな中世の美意識は「清貧の思想」に基づいているそうです。
簡素な生活の中に高尚な精神の内在を追及する「清貧の思想」は、
西行、徒然草の兼好法師、良寛の生き様を思い起こしました。
何も要らない、自然のありようを愛でる風流は日本文化の伝統でもあります。

中世において、婆沙羅大名として名高い佐々木道誉は、
木の周りに銀の壺を並べて、桜の大樹をあたかも立花のように見せて、愛でたという。
さらに、香炉を並べて香を焚き、猿楽師や白拍子を呼んで芸能三昧を愉しんだという。

「清貧の思想」と一見対称的な道誉のバサラぶりには
「巨万の財を無に帰する」という美意識があり、
「無に帰する」ことこそが中世という時代が求める美学であり、
幽玄の境地へ導くものでした。
それは後世、侘び、寂び、萎れ(しおれ)となって、
その精神は脈々と現代へ(そして茶の湯へも)受け継がれています。

                 

能「雨月」は、和歌の神として信仰を集めていた住吉明神に参詣した西行(ワキ)の前に
住吉明神(シテ)を登場させて、和歌の徳を描こうとした能です。
馬場さんによると、和歌(うた)は神や鬼に通じる言葉であり、
歌の持つ力(徳)があるそうです。

老夫婦(実は和歌の神、住吉明神の化身)が、雨音を聞くために屋根を葺くか、
月を鑑賞したいがために葺かないかを言い争っているところに、
西行(ワキ)が通りかかり、
「月は漏れ雨はたまれととにかくに 賎が軒端を葺きぞわづらふ」
と上の句をつけて詠んだので一夜の宿を許されます。

夢枕に末社の神が現れ、老夫婦が住吉明神の化身であったことを告げます。
やがて、住吉明神が宮守の老人に乗り移って現れ、
西行の歌を褒め称えて舞い(真の序の舞、または、簡略した立ち廻り)、
神は去り、老人は元の宮守となって帰っていくのでした。

最後のクライマックスの真の序の舞について馬場さんは、
西行に歌の極意を授けるために住吉明神が再び現れ、
静かに雅に真の序の舞を舞う。
舞を舞う気持、歌を詠う気持、共に内なる気持の表現である。
全ては自然(宇宙)の表れであり、心を澄ませば神の声を聞くことができる
・・・と。

私めは、素晴らしい先導者のお話を聞きながら、
極限まで抑えたシテ(大槻文蔵)の所作に驚きながらも
途中いつものごとく、うつらうつら・・・気持ちよくまどろみました。
それでも、大鼓(柿原崇志)の音に「ハッ」と目覚め、
後半のクライマックスを観れたのは神のご加護かもしれません。

次回は、1月29日(土)「神道」です。
どんなことになるやら楽しみです。

      (第2回 神道 へ)                  
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