井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

皇室とは何か・・・

2013年05月24日 | ドラマ
昨日、秋篠宮殿下と紀子さまのことを書いたら、知人から幾つかの質問を受けた。
十分答えられたとも思わぬし、知識不足は否めないが、思いつくまま書いてみる。

まず皇室不要論者の意見は意見として聞く耳は持つし、皇室がなければ
国家は存在しないかといえば、それはない。
ただ、歴史を眺めるに、古来よりこの日本が保ってきたある美しさ、築き上げてきた
世界に比類の無い文化の高さ、精神性というものは、皇室の存在によるところ大きいとは言える。
国民の結束力の高さの要にも、常に天皇の存在があった。

国家というものは、何かの縛りがないと瓦解してしまうものである。
それが国旗や国歌に象徴される帰属意識であることもあり、
韓国や北朝鮮、中国のようにある国への敵対心、恐怖感、憎しみを
煽ることで一つにまとめている国もある。
日本では実に端的に、皇室が日本国を一つに束ねてきた。

日本国の高い精神性を護り保たれる方として天皇がいた。天皇は常にこの国
至高の神官、祭祀者であった。

私は現在いかなる特定の宗教団体にも属していないが、
キリスト教、仏教における顕教密教、ヒンズー教、神道、スピリチュアルといわれるものを
渡り歩き渉猟して、実に浅い恥ずかしい勉強でしかなかったけれど、わずかに
霊的なことは解る。

そういうことを学ばなくても多少、霊的な感性を持っているなら、鳥居をくぐり神域に近づくときの、あの何とも言えない心地良い緊張感は分かるであろうし、神気の強い
神社では、正中線(参道の中央ライン)をまっすぐ清らかな気が
貫いているのを感じる。理屈ではない、神秘の力はそこに、歴然とある。
国の神秘を司り護るのが爾来、天皇陛下と皇后陛下の御役目であった。
禁裡というぐらいで、国民の目には触れぬが、宮中祭祀こそは天皇皇后の
最大のお務めなのであり、払暁に起床なさり、おん身を清められ古代の装束に身を固められ、
何時間も正座なさって、時に数時間に及ぶお務めをされる。
被災地にいらしたとか、どこをご訪問されたとかご高齢による激務を言われるが、
本当に大変なのは宮中祭祀のほうなのである。

秋篠宮が、お嬢様方がまだ小さい頃から先帝の御陵に伴われたり、
皇祖神を祀る伊勢神宮へ赴かれたり、お嬢様であるからいずれ
外に出られるお身の上なのに、それでも皇族であるということが
どういうものであるのか、無言のうちに教えているようで好もしく
拝見していた。皇祖神へのご挨拶と、常なる対話。
悠仁さまもまだお小さいのに、御陵にも伊勢神宮にも
早速伴われ、無言の帝王学を始められたな、と拝見している。
こうなると、お姉さまお二人が神事にご関心を向けられているということが
悠仁さまにも、更にいい環境となり、女児であっても神事に
お連れになった秋篠宮さまのご教育が、よい成果を見せているようだ。
イギリス王室の例を出して、なぜ女系ではいけないのか、女性天皇ではだめなのかと、
問われたが、まず宮中祭祀を上げたい。
一般に思われている以上に祭祀への皇后の参与は多いのだが、
しかし祭祀の基幹は男子たる天皇陛下の御役目であって、これは古来そうなのだというしかない。

ただ・・・神社で装束、烏帽子に身を固め木沓で歩く神官たちを見ていると、
理屈ではなく神事は男子のものであると体感する。
男子特有の清潔感・・・というと差別的で叱られそうだが、感覚的なことである。
白木の神社には、男子なのだ。かつて大相撲の土俵に女性をあげよとごてた
文部大臣がいるが、それは違う。相撲も神事なのである。女人禁制という
禁欲空間が必要なのだ。女性に生理のあることをもって穢れをいう人もあり、
また業の深さを指摘する人もいるけれど、私はそこには触れない。
どんどん「差別」の隘路に迷い込み叱られそうで。
差別ではなく区別であろうかと心得ているけれど。
手っ取り早く言えば、ふんどし一丁で、時に全裸で極寒期に滝行をやる覚悟と清涼感は、
やはり男のものであろうというごとき、本当に感覚的なことに
過ぎない。神道が必ず滝行をするわけでもないのだが「禊」の感覚が男性性に属するもの
ではないか、ということを言いたかった。

あるいは言葉を変えれば出産を伴う女子は極めて具象であるが、男子は抽象性が高く、
神の領域には入りやすいという言い方も出来るかもしれない。
しかし、霊感で秀でているのはどちらかというと女性なので、この言い方が
正しいかどうかわからない。


なぜ男子でなければいけないのか、というとこれは神話にも関わって来る。
神武天皇を実在と捉えても、神話の人物と捉えても、そこはどちらでもよい。
日本民族が、共有できる一つの神話=価値観の存在が大事なのだ。
同じ遺伝子で途切れず、連綿と連なる一家というのは世界でも類例がなく、
それゆえに稀種であり、貴種なのだ。
儀式には幾つもの約束事が伴い、それゆえ一つの「格式」が生ずる。
約束事は「縛り」でもある。皇室もひとつの大いなる儀式なのであって、万世一系も
その約束事の一つである。
男子で2600年間つながってきた、というそのこと自体がひとつの奇跡なのであって、
皇室には奇跡が必要なのだ。奇跡の体現者であるから、世界も敬意を払う。
一つの家系で連ねる困難さは、王室も戦の多かった西欧ではなお、身に沁みて分かるだろう。
王室には奇跡も神話も要らない。要るのは力と富である。

また王室は「人間的」であることが許されるが、皇室は「無私」が建前で、
そういう意味では厳しい場でもある。姓も戸籍も持たぬ、神に仕え、
国の弥栄、民の幸せを神につながり祈念する存在であって、日本国憲法によれば、

【天皇自身は日本民族ではあっても日本国憲法に定める日本国民の外部に置かれた(よって第3章を根拠に国民に保障される人権は有せず、同時に義務も課されない)存在】Wiki

姓無く戸籍持たず、人権すら有しないというこの特殊性こそが皇室なのだ。
実のところ捨てるもの多く、手放すものは大きく自己犠牲の必要な
ご存在である。本来そのお覚悟のある方が天皇となられ、皇后となられ国専一、民大事と
一生を捧げられるゆえに、民もまた仰ぎ見るのである。

万世一系は日本人独特の神話に貫かれた「美意識」でもあり、ここも理屈の通る領域ではない。

ヨーロッパの王室が戦いと富の累積により存在しているのに比べて、
我が国の皇室というのは、神道というアニミズムが生んだ
自然発生の貴種であるという言い方が妥当かどうか、私の個人的
感覚が捉える皇室というものはそうである。

そもそも神道というものが、世界の宗教の概念には必ずしもあてはまらない。
戒律は極度に少なく、本尊、教典、教祖もなく、神道そのものが宗教というよりは
日本の精神性ではないかと思いなしている。
仰ぎ見る日輪がアマテラスであり、陽は万物に注ぐので、八百万の神となる。
一神教の頑なさも激越さもない。穏やかに晴朗である。
そして、これが代々の天皇が体現してきた精神性なのだ。
砂漠に生まれた神の残酷さとも無縁である。
四方を海の要塞で守られ、水の質高く豊富、海の幸、山の幸、川の幸、野の幸。
本来、どこに頼らずとも穏やかに自立できる格別な国であり、そこに
生まれた神道も、穢れを忌むだけで、大らかである。

四季に恵まれ、それも日本人の心に陰影をつけ深くしてくれた。
俳句も和歌も、日本の美意識が凝ってできた芸術であり、皇居に
おける歌会の雅も西欧の王室にはない。

俳句には季語と字数の約束事、和歌には字数の制限があり、しかし決め事という
縛りがあるからこそ、天地が広がるパラドックスを古来より日本人は
察知していた。皇室もまた決め事が多いゆえに、ひとつの天地を創りだす。
最大の決め事が、宮中祭祀であり、万世一系の男子がそれを行うこと。

あらましそういうことだが、そこを理解していらっしゃるのが秋篠宮ではないかと、
拝察している。悠仁さまに、どうぞご無事に皇統をつないでいただきたい。
小さなお肩にすでに将来担う日本国の重さを見るようで、時に
切なくもあり、母上である紀子様はなおさら、不憫と思し召しのこともあろうか。
私が親なら、誇らしくもありながら、しかし、いたわしさに時として涙すると思う。
我が子でありながら、通常一般の親子であることは、生まれ落ちた時から許されていない。
抱き上げる腕から離れた時から、すでに別離が始まっているような親と子の関係でもある。
しかし、拝するに悠仁さまはお立場をすでに解っていらっしゃるようだ。
自分は普通の子ではない、と少しずつ魂に刻みつけてお育ちになられるのだろう。

秋篠宮も紀子さまも、私的なことをあげつらう人がいるが、真偽は知らないし
関心もない。皇室の本義を理解され、なさるべきことを
身を捧げておやりになっている。それで十分である。

私は特定の宗教は持たぬが、海外に出てあなたの宗教はと聞かれたら、
「神道です」ときっと答える。そして「でもそれは、宗教というよりは日本人の
精神性なんですよ。そして精神性の要にいるのがエンペラーなのです」と付け加えよう。




3 コメント

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Unknown (くおん)
2013-05-24 19:03:20
 初めまして。
 記事を読んで、改めて、日本に生まれてきたことの有り難みを感じます。
 明治維新後の教育、特に昭和の戦後の教育において、「皇室とは何か」について国民の理解と認識が大きく歪められた結果が、今の日本です。
 他に類をみない希少で奇跡の存在である陛下が、折々に、国の安寧をひたすらに祈って下さっているということを知らない国民がなんと多いことか、嘆かわしい時代です。建国の成り立ちさえ知らない民族は、国際的には嘲笑を受けて信頼されることもないでしょう。
 皇室典範の改正と、教育改革は急務。個人的には、宮中祭祀を軽んじているとしか思えない方が日嗣の御子であらせられることに、大きな不安を禁じ得ません。ご皇室のことは、ご皇族の方々で決めて頂ける世になることを願っています。
はじめまして (井沢満)
2013-05-24 21:07:13
くおんさん

>折々に、国の安寧をひたすらに祈って下さっているということを知らない国民がなんと多いことか

これこそが天皇皇后両陛下の最大の御役目なのに、ニュースに出るのは表向きのご公務ばかりで、勘違いしている人が多いですね。

昔は国の休日が総て、宮中内の祭祀と結びついていました。だから国民もそのことを意識して、軒先には日の丸が翻ったわけです。
日本国の五穀豊穣を祈る「新嘗祭」が「勤労感謝の日」では、何が何だか判らず、無意味なネーミングです。

いつか記事に書いたほうがいいのかもしれないですが、興味のある人いるのかなあ・・・・。

宮中祭祀が途絶える危険性があるのは、国民の無関心にも原因があると思われます。
連投ですいません (イチゴ)
2016-05-13 11:47:40
>女性に生理のあることをもって穢れをいう人もあり

先日、市が主催するチャリティ古本市で本を買いました。
ずっと前から読みたかったハードカバーが100円だったので、思わず買ってしまいました。
手に取った時から背の部分にかなりシミがあるなとは気づいていたのですが、帰宅してよく見たらどうも血痕のようで…しかもあちこちに飛び散っていて…。
なんだかすごく気持ち悪くなり、読まずに捨ててしまいました。

血が付着したもの=気持ち悪い(=汚れている)…この感覚、日本人なら理解していただけると思います。

神域は最も穢れを避忌する場です。
そうなると、やはり女性天皇は無理ではないでしょうか。
(かつて女性皇族には伊勢斎宮という職がありましたから、決して性差別ではありません。
男女それぞれに合った勤めが決められていただけです)

皇位継承については、国の内外からいろいろ言う団体がいますが、日本が世界的に評価される「清潔を好む文化」は、その根底にこうした穢れを厭う共通認識があってこそ成り立っているのです。
そこを無視して、無責任なことを言わないでほしいです。