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井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

美しい日本

2013年05月25日 | ドラマ
たまに、どこかで自由題で講演を頼まれると、わりにするのが
日本論みたいなもので、仕事柄日本語に託して語ることが多い。

私の持論だが、日本語を成り立たせている三要素は
「姿」「響き」「調べ」だと思っている。

姿は見た目。漢字草書体と、それは漢文でもそうだが日本語には
それにひらがなとカタカナが混在して、流麗。漢字だけでは
ものやわらかな、日本語のあの書き文字の味わいはない。

響きは俳句に如実で、芭蕉の「秋深き隣はなにをする人ぞ」の一句だが
「秋深き」を「秋深し」と覚えこんでいる人がいて、
しかし、深き、と「き」だからこそ、鋭い響きで
秋特有の鋭く澄んだ硬質の大気を想起させ、そういう
雰囲気の中の「隣は」であり「何をする人ぞ」なのだ。
秋深しで「し」になると、その緊張感が一気にゆるむ。
また、「し」といったん言い切るとそこで気分が途切れ、
「き」で敢えて半端に切った余韻が消失する。

調べは歌舞伎やポスターに見られる七五調や、和歌や俳句の
やはり七と五の組み合わせが作るあの、メロディである。

脚本を書くさいに、調べや響きはさりげなく
意識しているが、人がそれと気づくほど書き込んでも
不自然なので、耳に心地よいせりふということでの
響きや調べは、リアリティを損なわぬほどには
意識している。そこを破ってあえてゴツゴツした
せりふにすることは、むろんある。
総じてラジオを書いた経験者のセリフが
聴覚に心地よい。向田邦子さんや、倉本聰さんだ。
(並べるのもおこがましいが、私もラジオの経験者だ)

誰も気づかぬだろうと思っていると、ごくまれに
それを言ってくれる人がいる。

それと「外科医 有森冴子」で文部大臣の個人賞を頂いたが、
その授賞理由の一つが「歯切れのいいせりふ」だった。
これは、嬉しかった。

美しい日本を語るとき、サミュエル・ハンチントンの
世界の七大文明を引用し、日本が単独で一つの文明圏を
形成していることを伝えるのだが、それについては
いずれ書いてみたい。日本文化を語るとき、わりに
あげられるサンプルなので、ご承知の人も
多いかと思うが。