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井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

国王陛下のスピーチ

2014年10月31日 | 歴史・政治

オランダ国王陛下の晩餐会におけるスピーチをめぐって、前の私の文章に関して、コメント欄でいささか論議になっていたので、参考までに国王のスピーチの全文を転載しておく。

ただ12月初旬に出す小説の校正中で、時間がないのでこれに対して
感想を述べる時間はない。

シンプルな英語でしかし格調高く、天皇陛下への礼は尽くしつつ、欠点のない見事な挨拶文である。

むろん、日蘭の政治と歴史に通暁したプロが作成、それにおそらく
文章の手練れが手を入れたと推察される。

心情的に謳い上げるところは謳い上げ、良い仕事をしている。

ただ内容に対しては、もう本当にたくさん言わせていただきたいことが
あるのだが・・・・たとえば歴史を述べるにしてもオランダが日本に
やって来たのは端的に侵略目的であった。

一事が万事で、残りの文言も全て自国の悪辣さは棚に上げ、あくまでも自らは善意の犠牲者の立場に据え、日本をさりげく「悪人」と規定、それも露骨ではなく優雅な手法で、なかなか外交的には立派な文章である。しかし感心してもいられない。加害者としての自らを棚に上げ、被害者として自己を位置づけ、賠償金を取りに来る国は他にもあるが。

一端しか述べる時間がない。

いずれ改めて書くかもしれぬが。

追記

たとえば出島に関するこの記述。

Deshima was the place where we learnt each other's language and studied each other's science and culture.

 

嘘ではないが、事実の一端にしか触れず、日本侵略と奴隷化目的を腹に持っていた根っこはスルー、という華麗な技。

 

更に追記

出島入口に立てられた「制札」にいわく、

 


  禁 制

一、 傾城之外、女入事

出島には遊女以外の女性の出入りは禁止。
 
日本の遊女を抱いていたオランダ人が、韓国の尻馬に乗って慰安婦を問題にするとは笑止。
 
 
 
遊女を選ぶオランダ人。
 
 
白馬事件は個人の事件で処刑含めて、処理済み。これをもって、日本がその件に関して潔白とは金輪際言わぬし、反省も必要だがそれをもってして、毎度毎度永久に外交の席で言われなばならぬ一件ではない。インドネシアではオランダ、お主たち何をしたか・・・・
 
いや書きたいが時間切れ。
 
更に追記 時間を細切れで見つけつつ・・・
 
 
 
1944年4月 軍司令部が4ヵ所の慰安所を閉鎖。 小田島董大佐の勧告による
1948年 オランダのバタヴィア臨時軍法会議にかけられる。 12名のうち11名が有罪、うち1名が死刑。
1990年 対日道義的債務基金(JES)設立。 総額2億5500万円をオランダ人女性に支払い始めた。
2001年 総額2億5500万円を支払い終わる。
 
これで決着。
 
韓国への妥協案で韓国に騙されて出された虚偽に満ちた河野談話を、オランダが引き合いに出すのは筋が違う。いつまでネチネチと言い続ける気か。
 
参考までに。
 
*1810年、オランダが皇帝ナポレオンの率いるフランスに併合され、翌11年にはバタヴィアがイギリスの占領下に置かれたため、1810年から3年間、出島には1隻のオランダ船も入港しなかった。この間、食料品などの必需品は、幕府が無償で提供し、長崎奉行は毎週2、3回、人を遣わして不足品があるかないかを問い合わせていた。その他の支払いについては、長崎会所の立て替えを受けてしのいでいたが、それでも文化9年(1812年)には、その総額が8万200両を超えた。この間、オランダ商館は商館長ドゥーフの所蔵している書籍を売るなどして財政難をしのいだ。その後、1815年にはネーデルランド王国が成立。つまりこの5年間、世界中でオランダ国旗がひるがえっていたのはここ出島だけだった。(Wiki)
 
救けられたことへの感謝無く、ひたすら被害者として責める手口もどこかと同じ。
 
要するに「たかが色付き人種」がインドネシアを開放したことに、恨み骨髄なのである。植民地は今オランダは小さな島しか持ってない。今現在もオンタイムでひしひしと感じる、欠落感と怨念であろう。しかも黄色い猿にしてやられた悔しさ。
 
オランダはインドネシアに謝罪と保障を十分にしたのだろうか?
 
女王陛下が「植民地支配はお互いに恩恵を与えた」と言い放つ国だから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 http://www.koninklijkhuis.nl/globale-paginas/taalrubrieken/english/speeches/speeches-archive/2014/oktober/speech-by-his-majesty-the-king-at-the-state-banquet-on-the-occasion-of-the-state-visit-to-their-majesties-the-emperor-and-empress-of-japan-tokyo/

Speech by His Majesty the King at the state banquet on the occasion of the State Visit to Their Majesties the Emperor and Empress of Japan, Tokyo

29 oktober 2014

29 October 2014

Your Majesty,

It is a great pleasure for my wife and I to be here as your and Empress Michiko's guests. And we are all the more grateful that Crown Prince Naruhito and Princess Masako are here to welcome us too. I have visited your country on many occasions. But this is the first time that I am here as King of the Netherlands. Our first State Visit outside Europe is to your country. A country with which we share a unique history and - we are sure - a successful future.

Let me quote a haiku written in 1679 by the great poet Basho:

Oranda mo
Hana ni kinikeri
Uma ni kura

The Dutchmen too have
come to see the cherry blooms
Saddle my horse!

It is now autumn, not spring. Yet I wanted to bring this poem to mind. It recalls a time when the Dutch were the only Westerners permitted to enter your country.

For over 200 years, the Dutch trading post of Deshima was the only link between Japan and the West. A narrow bridge between two worlds - two civilisations. A bridge which carried not only spices, sugar, textiles and copper, but also books, instruments, artworks,
knowledge and ideas.

The city of Nagasaki deserves praise for the restoration of this historic site and the reconstruction of the bridge. I hope I'll get a chance to walk across it one day.

Deshima was the place where we learnt each other's language and studied each other's science and culture. An important role was played here by Japan's rangakusha, who studied Western learning through Dutch texts. In fact, a man who spoke Dutch - the renowned Fukuzawa Yukichi ­- graces your 10,000 yen notes to this day. It is fascinating to think that for so many years, Japan looked out at the Western world through a small Dutch window.

Your Majesty,
Even when Japan opened up to the rest of the world, the relationship between our countries remained close. For instance in the fields of medical science and water management. The Dutch engineer Johannis de Rijke is still famous in your country.

We realise, though, that even back then, Japan had a long tradition of hydraulic expertise. Deshima, for example, was an engineering triumph. An artificial island in the sea, built on piles, which survived many a typhoon.

We will not forget the history of our forefathers. Their hard work, their creativity, their achievements and their interaction shaped the world in which we now live. Their history will never be 'over'. Its fruits will remain with us - both the sweet and the bitter.

So we will not forget - cannot forget - the experiences of Dutch civilians and soldiers in the Second World War. The wounds inflicted in those years continue to overshadow many people's lives. Grief for the victims endures to this day. Memories of imprisonment, forced labour and humiliation have left scars on the lives of many.

The Japanese people, too, suffered terribly during the war, especially in the final phase, marked by such destructive violence.

Acknowledging the suffering of others provides a foundation for reconciliation. Many in Japan and the Netherlands have actively worked to foster such reconciliation, enabling new trust to grow.

For centuries, a tiny bridge only five metres wide was the only link between our two countries. Today, countless bridges of friendship and partnership connect Japan and the Netherlands. Across the seas, the skies and cyberspace.

Over 450 Japanese businesses are active in the Netherlands. They directly employ over 35,000 Dutch people. In turn, Dutch entrepreneurs and experts are contributing to economic advances in Japan.

We are working closely to find sustainable sources of energy. The Netherlands is also glad to be able to help rebuild the horticulture sector in Miyagi, one of the regions hit so hard by
the tsunami in 2011.

A key issue in both Japan and the Netherlands is how to safeguard prosperity and quality of life in an ageing society. It will take brain power and resolve to ensure sustainable growth in the long term. The reforms that are needed are not simple. But if there are two countries that can inspire one another in this field, they are Japan and the Netherlands. When I look at the dynamic role played by designers, researchers, artists and creative entrepreneurs in our two countries, I think: together we can achieve so much. I hope that our visit will help drive this idea home.

The same applies to our joint commitment to the international legal order, and to peace and security. Japan is dedicated to peace and is examining the best way to foster peace in today's world, with a more proactive contribution. The Netherlands appreciates these efforts and we recall with admiration the humanitarian role played by Japan in Al Mutannah between 2004 and 2006. There, in Iraq, our troops worked side by side.

Your Majesty,
The tone for our cooperation was set over four centuries ago by Shogun Tokugawa Ieyasu. In 1609 he wrote to my ancestor Prince Maurits: 'If two countries strive to achieve the same goal, surely there can be no objection, however far apart they might lie. Your vessels may anchor in every port. Let us from now on deepen our friendship even more.'

That age-old wish is one that we share.

I would like to invite everyone present to raise their glasses to your health, Your Majesty, to the health of Empress Michiko and of the members of your family. May the friendship between Japan and the Netherlands blossom and bear fruit in the years to come!

Thank you.

 

更に追記 時間を盜みながら書いているので、まとまりのつかぬ文章になってしまったが、

概略歴史のおさらいを。

総兵力5万5千人によってわずか10日間の戦闘で、日本軍はインドネシア全域を制圧。

本により、330年にわたって続いたオランダのインドネシア植民地支配が終焉

日本の支援によりインドネシア人による軍隊の結成や官僚の育成、法制度や教育体制の整備などを着々と進めたインドネシア。

本が敗れた2日後の1945年8月17日、スカルノ初代大統領は独立を宣言

「インドネシア人は極めて従順な種族である。日本軍が降伏してしまった現在、我々が上陸すれば、彼らはただちに元どおり従順になるに違いない」とオランダ人は独立宣言を無視、イギリス軍とスラバヤに上陸。

日本人による現地の人々への、誇りを持てという教育を見くびっていたのである。

インドネシア軍はもはや白人に飼われる家畜ではなかった。

日本軍の武器を持ったインドネシアの民衆軍に強襲され、イギリス軍は一個師団が全滅。

白人たちが日本を憎むのは、こうして家畜だった有色人種に、人間であることを日本が教え込んだせいもある。


スラバヤの市街地を占領するのに100日間も費やしたイギリスは軍事制圧を断念、和平交渉に転じる。

スラバヤ戦争で市街地を灰にし、約2万人もの犠牲者を出したことに対してイギリスは何ら謝罪も補償もしていない

イギリス軍は撤退したが、オランダはインドネシアの再植民地化になおも固執する。

1947年7月、オランダは再びインドネシアに対して軍事行動を。

このころ東京裁判では・・・・

オランダは、インドネシア独立を支援した日本の指導者を「侵略戦争」を行った罪で裁いていた

この欺瞞を、日本こそは忘れずにいよう。

外交の席で永遠に持ち出せばよろしい。オランダが、決着のついた事案を延々と

持ち出す気なら。


7 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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私の阿蘭陀の印象 (カツ)
2014-10-31 22:05:35
井沢先生、お久しぶりです。
何故かコメント欄が激論になっているのが不思議なので。
阿蘭陀はチューリップと風車ののどかなイメージですが、実際にアムステルダムに行くと荒廃した場末の印象が強いですよ。
まず飾り窓と呼ばれる売春宿の多さ。
どこの国でも売春婦はいますが阿蘭陀は下品なんですよ。
例えたらポン引きの多い歌舞伎町裏通りが延々と続いている感じでしょうか?
とてもとてもヨーロッパの歴史ある国家では無いですね。
実際歴史上阿蘭陀という国は布教を隠れ蓑に他国を侵略し略奪しという繰り返しをしているところです。
日本史で習う出島というのもそういう怪しい外国人を日本に入国させないための日本の国策ですし。
江戸時代にそういう政策をとれていた日本はなんて素晴らしい国なんだろうと感心しますよね。
彼らの思考は白人優位主義でアジア人など猿以下の奴隷で搾取だけが目的ですから。
インドネシアを植民地にしていた阿蘭陀の歴史を、前のコメント欄に井沢先生への疑義を書いた方にきちんと知って頂きたいと思うのです。
もし彼らに現代の人権思想があればアフリカの黒人が奴隷貿易されたり、アジア諸国が植民地化されて貧困にあえぐ人をどう思うのでしょうかね。
あとマリファナもごく普通に大麻マークのついているティールームで購入出来る奇妙な国でもあります。
世界的に麻薬禁止の方向に向いているのに阿蘭陀のみそれが無いとか。
それについて前記事のコメントの方はどう思われますか?
世界の国との外交交渉は笑顔を作りつつ足蹴りするというのが基本だと思うのです。
自国有利の交渉をするにはそれぐらいで無ければ出来ません。
アメリカなどの大国の外交を見ていれば理解できますよね?
欧州の小国の阿蘭陀がどう外交して血の歴史を作り上げていったのか、まさに平和ボケしている今の日本人は知るべき事だと思うのです。
友好や平和は正しい。
しかし譲歩する友好や平和は公平では無い。
その一言に尽きると思います。
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Unknown (民草)
2014-11-01 00:30:37
もう、此の一週間と言うか、一ヶ月と言うか、反日・隠れ反日・自国毀損のオンパレードで疲れ果てました。
もう十一月になりました。
トンネルの向うが見えれば良いのですが、前に進まねば見える物も見えないままになってしまうので、倦まず弛まず歩き続けようと、気力を奮い起こしております。
返信する
来日直前に韓国愛を表明した国王 (鳩摩羅什)
2014-11-01 02:52:36
http://japanese.joins.com/article/277/191277.html

日本の次の訪問国として、リップサービスは当然と
してここまで絶賛? 韓国を?
「あの」韓国を?

日本のかも感情を考慮したらこれほど手放し絶賛はいかがなものかと。

いや憎い日本を叩きまくっている韓国が
本気で好きだし「仲間」だと思ってるのしょう。

有色人種蔑視の伝統のオランダですが、韓国は
名誉白人なのかもしれないです。
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吐き出させて下さい (たか)
2014-11-01 04:20:15
先日は暴言失礼しました。

オランダ国王陛下には、インドネシアは今でもオランダの持ち物だ、くらい言ってほしいものです。
日本は本当に鏡のような国です。白人国家は日本を真の侵略国家と言い、中韓は日本を野蛮だと言います。
早い者勝ちで有色人種の土地を荒らし回っていたのはどこのどいつらでしょうか?

白人は反省する事などありません。有色人種の移民ラッシュで地獄を見ればいいのだ、とさえ思うようになりました。我ながら醜い心持ちだと思います。
返信する
コピペですみません (一陽)
2014-11-01 08:52:03
日本「歴史を踏まえて友好的になりましょう」
オランダ「俺の植民地のインドネシアに何してくれてんじゃい」
インドネシア「」

この晩餐にインドネシアも参加させろよ

ダッチの国王とかそのワイフが来日してたのか。
ぶっちゃけ、ブータン国王より影薄くね?こいつら

植民地取られて
やめときゃいいのに一人で取り返しに行ったらフルボッコにされて
泣きながら撤退したオランダの黒歴史w

黄色い猿に
兵力三倍だったのに
全くいいところなく
惨敗したのだから
逆恨みしているんだろ

マジ雑魚だったからなオランダ軍は
ドイツ軍にもあっという間に蹴散らされたし
弱いくせにプライドだけ高い奴ほど根に持つんだよ

勝者が正義で敗者は悪になった。ただそれだけ

http://www.logsoku.com/r/poverty/1414720124/810
安倍ちゃんに直接、言うわけにもいかんだろ。だから安倍ちゃん出席の晩餐会でこういう形で牽制する。
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韓国利権と癒着の反日王 (菜の花)
2014-11-01 13:09:49
アレクサンダー国王

「韓国人の情緒と前向きな考え方(forward looking focus)を、いつも尊敬しています」。

彼は、すでにいち早く発展している地域である平昌が2018年冬季オリンピックを成功裏に開催した後には世界の人々が好んで訪ねる新たな冬の旅行先として急浮上すると期待した。アレクサンダー国王は、皇太子時期に計4回韓国を訪れ、2003年にはIOC委員として冬季オリンピック候補地の実態調査のために平昌を訪れたことがある。


物理的にあり得ない、あるべきではない平昌五輪に
噛んでいるところを見ると、この王も韓国利権と
べったりの人ですね。
高円宮をもっとスケール大きくした感じでしょうか。
返信する
Unknown (まなみ)
2014-11-01 13:24:02
何時までも「先の大戦」云々。
今上陛下と皇后陛下は先の大戦の犠牲者、被害者のお立場でしょうに。
いっそ第三次大戦でも起きて米英仏欄側に付いたら収まるのかと下手な考えが湧いてきます。

勝者の言い分が通るならインドネシアは国王に謝罪と損害賠償を韓国並みに請求する権利がありますね(清算済みですか?)

鳩摩羅什さまご指摘の「ハメル漂流記(邦題:朝鮮幽囚記)」を検索、ざっと見たところハメルは韓国で酷い目に遭い日本側の努力で自国へ還った後に書いた記録の様な。
韓国内では不都合な部分は削除して粉飾してるのでしょうか。
朝鮮通信使の中身だって真実を判って無い印象ですもの。
それにしても国王は何処まで中味を咀嚼してこの様な「外交儀礼」を尽くせるのか。
先の大戦では韓国人兵士も居たのに随分と優しい配慮を。
表面上は自然な外交に見えても実情を知る日本国民の目にはコース外れのダッチロール。

前のエントリーの女性の身なりが整っていて美人、位の高い人を選別したのかしら(背の高さは不自然ですが)




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