たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

晦日です。黄昏て、切なさ沁みる、落葉の道

2021-12-30 10:57:06 | Lyricism
令和3年が終わる 12月30日 今年のブログ納めです。
多事多難な年でした。コロナ禍、東京五輪、ワクチン。
徘徊の日々を過ごした「たにしの爺」生き延びました。



あと一日で、今年のカレンダーの役目は終わりますが、
過ぎた365日は、平々凡々だったけれど足跡が残った。
新しいカレンダーの日々にも、徘徊の足跡を残したい。



虚子の俳句に「去年今年貫く棒の如きもの」という一句があります。
人は「去る年来る年」と時間的区切りの中で生きているが、
「断ち切れない」一本の棒のようなもに支配されている、
という句意でしょうか。



いつもの徘徊逍遙で回る自然公園があります。
lyricism(叙情主義)がテーマの「たにしのブログ」
一年を通して「推し」、いい風情で迎えてくれます。



今日の並べた写真は、自然公園で撮り貯めた
晩秋から冬への「たにしの叙情」です。
すぎゆく今年の「写メ」詩情です。



公園の周回の道で出会う、何人かの「散策・徘徊」仲間がいます。
名前も処もお互い知りませんが、
「今日も来たね」「暖かい日だね」とか、
立ち話の輪ができます。



わしらは「産業廃棄物」だからとか、
「核燃料処理廃棄物」だとか自嘲します。
「捨てるわけにもいかず、困ったものだ」なんて。



現役時代は、社会のエネルギーになった、
企業戦士であり、実業人でした。
寄る年波には逆らえませんな。



「今日は、あの人見えないけれど」
「なんかあったのかな~」
「病院に行く日じゃないの」
案じ合いながら歩きます。



たまには、生まれ故郷の山河の追憶談義になります。
「あんなことして」「こんなことして」遊んだり、
農作業お手伝いの話で盛り上がります。



みんな元気で良い年を迎えてください。
また、新春にも「会えますね」。



今年も来てくれたブロガーの皆さん、
ありがとう。





何もなく 大晦日包丁研ぐ 

出自の地、姻戚の地、風味が届く頂き物

2021-12-26 10:19:15 | 頂き物
令和3年12月26日 今年も最終週になりました。
数年に一度の大雪天気で日本海側は大変です。
当地方は晴天です。雪の気配もありません。
 今年も押し詰まりました。
ここまでまあ、無事に過ごせました。
コロナ、デルタに抗し、ミクロンにご用心。
高齢者にはストレス多い、騒々しい年末年始になります。

 秋から暮れにかけて、地場産品が届きました。
やはり一番うれしいのは「ふるさと」の便りですね。
北関東に庵を構える女流歌人様から、
自作の畑から土の香りとともに「きくいも」です。



「しょうゆ漬け」のレシピも入っていました。
きくいも「しょうゆ漬け」(500グラムの場合)
しょう油 100㏄ 砂糖 70g 酢 50㏄
一回煮立てて、火を止めたところへ、薄く切った「きくいも」を入れる。
一度沸騰させ、すぐ火を止め、タッパーに入れて漬け込む。
↓こんな具合にできました。「さっぱり爽快感」の味でした。



その他、甘酢漬け、みそ漬けなど。
紫大根は薄くスライスして、ラッキョウ酢に漬ける。
紫大根、なんか動き出しそうですな。
家のヤモリと競争しそうです。



久しくご無沙汰していた墓参に際しては、
数々のサポートを賜り、ありがとうございました。
年明けには難局を控えていると伺いました。



大丈夫です。頑張ってください。
あがつまの地酒「貴娘」で快気祝いをしましょう。

 信州は上小、真田の郷、千曲川の味です。
アユの甘露煮、鯉こくの旨煮。





真田の郷のリンゴです。
たにしの爺、小中時代はリンゴ園の子どもでした。



リンゴ畑の隣に同級生の少女の家がありました。
女子高に進学されてから、眩しい存在になりました。
中学卒業後、お話する機会がないまま80歳も過ぎた。



会ってみたい気もするが、どうされているやら、
美しい十代の頃にお会いしたかった。
追憶の慕情は日々に切ない。

過ぐる、ある秋の日、思い募り、
同窓会名簿を頼りにダイアルを回した。
しばらく鳴っていたが「はい」
名乗って、本人かどうかお聞きしました。
「はい、そうです」一気に70年の時間が消えた。

今は「お茶の先生」をされているという。
いらっしてくだされば、
「一服差し上げたいという」

彼の人の淹れるお茶を頂く時空を妄想に浸った。
二人だけのお茶室で、お点前を拝見しながら、
「万感の思い」ひたすらに、懐かしい。



 これは房総の海産物。
上州にお住いの古刹のご住職から。
釣三昧に通った房総の海の話と、
焼酎つながりで、お付き合いさせていただいております。

他にも積み残した産品については、
ブログネタ枯渇の年明けにも並べてみます。

妖怪・モノノケがぞろぞろ――小学館文庫 モノノケ大合戦

2021-12-22 09:55:21 | 本・読書
令和3年12月22日 今日は二十四節気「冬至」です。
一年で一番、夜明けが晩く、入日が早い。昼が短い。
今年の後半から「妖怪変化」本に憑りつかれました。

まず村上元三の「変化もの三部作」でした。
公民館の図書室から借り出した時代小説シリーズ。
リブリオ出版「ポピュラー時代小説全15巻」のうち、
第5巻「村上元三集」に収められている三作品です。

大型活字でまとめて読めて面白かった。
いずれもブログにレビューをアップしました。
①河童将軍(2021-10-19)②天狗田楽(2021-10-30 )③貉と奥平久兵衛(2021-11-10 )

「モノノケ・妖怪」に嵌って次に手にしたのは下に表出の本です。



妖怪文藝 巻之1 小学館文庫、東雅夫編「 モノノケ大合戦」
図書室にはなく、他市の図書館から取り寄せていただいた。
係りの職員様、お手数をおかけしました。



「妖怪、物の怪」物語を集めた選集です。
前半は編者の東雅夫と京極夏彦との対談、
「書物の海から妖怪世界へ」
柳田國男の世界、水木しげる「ゲゲゲの鬼太郎」など中心に、
文豪の作品から現代作家までで「蘊蓄」が語られています。

特集は「モノノケ大合戦」の5作品。
 南條範夫「月は沈みぬ」(ブログでレビュー2021-12-17)
 村上元三「河童将軍」(前出)

 藤原審爾「妖恋魔譚」
山間の僻村に住み着いた流れ者母娘、実は女郎蜘蛛の妖怪だった。
甲斐甲斐しく母に仕える娘に惚れた村長の子息。
求婚し愛し合う、全身が蕩ける絶頂エクスタシー。



母娘の妖しさに気付いた村の修行者。
正体を現した毒蜘蛛母娘と村を挙げてのバトル。
蜘蛛妖怪の娘と純情青年の愛の行方は?

 石川淳「狐の生肝」
春はまぢかといっても、冷えきった夜の底に、星くずの影さえ掠めず、ただ闇、くろぐろと涯なく、もののけはいは絶えて、あたりに人家ありともおぼえないのに、ふっと、ひとのかたちの、二つ三つ五つとつづいて、見るまに十いくつ、そこの草むらに…いや、かたちほの白く浮き出たところが草むらと知れた。



王子稲荷の境内で王子の狐たちの寄り合いが始まった。
伏見稲荷や穴守、笠森の狐らも招かれた。
テーマは江戸市中で流行っている疱瘡の治療薬に、
丹波篠山藩の藩医・柚木桃庵の秘薬として、
狐の生肝を差し出せというお達しに対する対策作戦でした。
桃庵対王子狐の棟梁十郎狐との対決(討論)が火花を散らす。
バトルは意外な結末に導かれて終幕へと……

さすが石川淳、名文の一級文学作品だった。
江戸の狐たちの狐知と人間知の競い合い。
人間になりたかった狐のカップルの末裔は?
意外なファイナルストリー、幕末の著名人が登場します。



 稲垣足穂「荒譚」
タルホ作品のエッセンス。

そして、「文藝妖怪名鑑」です。
古今の妖怪見本市ともいうような、
ダイジェストが知識になりました。



入澤康夫「牛を殺すこと」
土屋北彦「川姫」
龍膽寺旻「小豆洗い」
谷崎潤一郎「覚海上人天狗になる事」
水木しげる「ぬらりひょん」



小田仁二郎「からかさ神」
別役実「すなかけばば」
石川鴻斎「轆轤首」(小倉斉訳)
今江祥智「雪女」
野上豊一郎編「猩猩」
京極夏彦「豆腐小僧」
 妖怪というと、怖いとか恐怖感が語られますが、
とても人間臭い存在ででした。
それというのも要は「妖怪」とは、
人間の深層心理に潜む妬みや恨み、憧れが、
「変化」した姿として日常の隙間に現れた、
影絵のようなものではないでしょうか、
という感じです。

 最後まで拙い妖怪譚をつき合わせまして、
お疲れさんでした。

今年もあと10日、昨年もこんな記事を載せました。

2021-12-20 18:37:31 | 散策の詩
「秋の終わり」と「冬の始まり」を映す「残紅葉」
師走も残り10日余になりました。当地のお天気模様は日替わりで、「晴天と曇天」が続いています。新潟を中心に北陸地方が「大雪」になっています。関東地方は晴れていても風......

人魚姫に魅せられた妖怪たちの恋模様――、南條範夫「月は沈みぬ」

2021-12-17 17:24:33 | 本・読書
令和3年12月17日 明け方から時雨模様でしたが……
昼近くから陽ざしが差し始めました。
オミクロン株、市中に出始めたようですね。

最近読んだ「妖怪譚」についてレビューします。
好奇高齢者のボケ防止は「綴り方」です。
例によって、ネタバレバレの長文です。



「月は沈みぬ――越国妖怪譚」南條範夫
妖怪文藝巻之1、小学館文庫 モノノケ大合戦に所集
著者は「武士道」ものに名作を残す時代小説の大家です。



越後国黒姫山の中腹、仙人崖で質屋を開いているガマ仙人。
喘息持ちで「げーっ、げーっ、ぐっわッ、ぐっわッ」と、
質草を値切るとき叫ぶのが癖になっている。

鉾ヶ岳に棲む太郎天狗が来て、
命から二番目に大事な背中の両の翼を質草に、
80両貸してくとせがむが、ガマ仙人はツレナイ扱い。
太郎天狗これまでにも、
「破れかけた笈、毛の落ちた棕櫚団扇」を質草に、
金を借りたが、利子が払えず質流れになっている。

老獪なガマ仙人、難癖をつけて20両に値切ってしまう。
笈も団扇も両翼もない「みすぼらしい」姿になった太郎天狗、
「くそ仙人、因業爺め」など悪態をついて引き上げる。

太郎天狗が帰ると入れ違いに、放れ山のガゴジ鬼がやってきた。
髪が火の如く赤く、眼が碧い色をして、九尺余の全身が真蒼。
ガゴジも腰に巻いていた虎の皮を外して「10両貸せ」と迫る。
15両で質入れした鉄棒を失くした鬼にとっては、最後の一物だった。

ガマ仙人とガゴジ鬼が言い合いしている洞穴の上の岩から、
山姥が首を出して怒鳴った。
「二股大蛇と蜃(みずち、蛟竜ノ一族、気ヲ吐イテ蜃気楼ヲ作ルト言フ)が大喧嘩して、
淵の中で暴れ回っている。止めてやってくれ。」

「喧嘩の素は何だ。」
「みずちが貯めておいた燕の子を、おろちが食ってしまったと言うのじゃ」
「何だそんなことか」
「みずちがこれまで見たこともない喜見城(蜃気楼)を吐き出して、人魚姫に見せたいと、
食うや飲まずで貯めておいた燕の子を食ってしまったと言うのじゃ。
おろちめが燕の子を食えば、己も蜃気楼を吐き出せると、盗み食いしてしまった」と言うのじゃ。

ガマ仙人「人魚姫以来、みんな気が変になってしまった」ようだ。ぐぇッぐぇッ。
問題の人魚姫が現れたのは、三ヶ月ほど前の満月の夜だった。
西頚城の山仲間の例会で、青海の浜、親不知近くの入り江のほとりで一同、
集まって祝宴を開いて、飲めや歌え、踊り騒いでいた。

太郎天狗も立派な山伏姿で、両の翼も、棕櫚の団扇を持っていた。
ガゴジ鬼も鉄棒を横たえ、本物の虎の皮をしめていた。
ガマ仙人も鳥の皮を内剥にした夜会服を着ていた。
二股おろちは、双頭を機嫌よく振って、酒臭い息を吐き出していた。
みずちも、紅の鬣を美しく垂れ、腰から下の鱗を逆立てて、ほおずきのような腹を見せていた。

一同、盛り上がって、泳ぎだすものも居たが、満月が彼らの頭上にきたころ。
一番の耳さとい鬼が「やッ」と叫んだ。
「妙なーー歌声のようなものが聞こえるぞ」
耳を澄ますと、沖のほうから、可憐な、優しい歌声が、潮騒の合間に、波の上に聞こえてきた。



波間に月の光を受けて輝く異形なものが身体をくねらせたとき、
ほんの一瞬だが、はっきり見えた。「あっッ、人魚だ」
宴会に招じ入れた人魚姫を囲んで一同、
それぞれの得意技を披露して、夢心地のひと時を過ごしたのでした。

その夜以来、天狗の、鬼の、おろちの、みずちの、仙人の、
心の中に、煩悩の焔が、かっかっと燃え出していたのです。
妖怪たちの「恋狂いです」

全く、あの夜以来、どいつもこいつも、少々変になった。
片割月の夜も、まして満月の夜も、皆そわそわ浜辺に集まってくる。
人魚姫が現れて、ひばりの囀りのような歌を聞き、楽しい夜を過ごしていた。
幾夜かの後、皆に切迫した空気が感じられるようになった。
お互い恋敵になっていたのである。

それぞれ皆、得意な技で人魚姫の関心を惹こうと仕掛けてみた。
だが、誰も恋に成功することはできないでいた。
人魚姫の関心を得ることができないでいた。
仙人が思い切って、結婚を申し込んでみた。
これを知った他の者たちも結婚を申し込んだ。

人魚姫「ありがとうございます。でも、
一度に皆さんのお嫁さんにはなれませんわ。
よく考えて、この次の満月の夜、お返事しますわ」と、
恥じらいをふくんだ艶麗な瞳を伏せたのでした。

約束の夜が来た。
一同は希望に胸を膨らませて浜に集まっていた。
花婿になるには一同の風体姿は、
何ともみすぼらしいものになっていた。
質屋のガマ仙人に妖怪たる身包みを質入れして、
手にした金で買い求めたプレゼントを持っていた。

沖のほうから人魚姫の悲鳴に似た声を聞いた。
人魚姫の姿が月光の下、波間に浮き沈みしながら見えてきた。
ピーッ、ピーッと悲鳴を上げながら浜辺の砂に横たわった。

「姫よ、どうした」
「海坊主に追われているのです。助けて下さい」
「前から、妻になれと言い寄られていたのです」
「助けてくださるお方のお嫁になります」と、
人魚姫は哀願するのでした。

「ぴゅーん、ぴゅーん」
大ダコのうなるような響きが浜辺に鳴りわたった。
12本の長い足を震わせながら浜に上がってきた。

大ダコ海坊主、
浜辺では怪物の海坊主と人魚姫の夫を目指して、
妖怪たちはそれぞれの妖怪武器を持って闘った、
と言っても、
武器は質に入れてしまって妖怪術は無力だった。

鼻を折られた天狗と、
腰の抜けた鬼と、
頭を一つ砕かれたおろちと、
腹に大火傷した仙人と、
幻を破られたみずちとーー

みんな一様に、ぽろぽろと涙をこぼしながら、
月が沈んで海も空も、次第に蒼白く静まってゆく海辺に、
いつ迄もいつ迄も、沖を眺めて立っているのでした。

美しい人魚姫を巡って、恋に落ちた妖怪たち、
自らの妖怪術のパワーを源泉になる備品を質に入れ、
プレゼントを揃えて伴侶になる時を待っていた。
そこに強敵ライバル・海坊主が現れ闘いになる。
物ぐるしい妖怪たちも「恋の悲しみ」は切ない。

「武士道とは死ぬことなり」
悲劇的な武士の生きざまを描く南條範夫の作品群。
全く異質な作品があることを初めて知りました。

国内で17人「オミクロン株」の流入を止められないのでしょうか?

2021-12-13 19:28:55 | Journalism
令和3年12月13日 今年もあと半月余り。
オミクロン株侵入に国民は敏感になっている。
「第6波」防止へ神経質な対応努力している。



オミクロン株は外国から持ち込まれる。
海外諸国では感染が急拡大している。
正月帰国で毎日何千人も空港に着く。



とりえず、ホテルに14日間、隔離観測になるが、
費用負担は当該者が払うのか、税金からか?
危険な「オミヤゲ」を持ち込まれる恐れなしとしない年末です。



機内での「濃厚接触者」が全国に広がる年末年始となった。
「帰国・入国」の自粛要請はできないのだろうか。
「水際対策」例外なし入国ストップすべきではないか。



収まってきた国内のコロナ感染も下げ止まり状態だ。
帰国・入国者からバラまかれるのは勘弁してくれ!!
「帰国・入国」完全停止による人権、物権的損失より、
「オミクロン株第6波」の方がはるかに損失は大きい。



ところで、中国で「オミクロン」の発表がない。
「ほんとう??」
ウィルス元祖の国で、冬季五輪があるもんね~
まあ、ヤバい話は好むところでないので、
もう止めます。



甘い実か、苦さか、ピラカンサの赤い誘惑

2021-12-10 11:11:13 | Journalism
令和3年12月10日 師走もあっという間に中旬です。
紅葉期が晩い当地、京葉地方も茶色い山郷になった。
自然公園内の「もみじ山開放」も今日までになった。



風は冷たいけれど日差しは温い。
初冬の枯葉道を徘徊していると、
赤い実が結構、目につきますね。



冬の道すがら急に目立ちだす木があります。
特に圧倒的なボリュウム感で目に入るのは、
真っ赤な実の塊りの「ピラカンサス」です。
日に当たって艶々に光り輝いて豊穣の実り。



薔薇(ばら)科の実植物で、
ギリシャ語の「pyro(炎)+ acantha(刺)」が語源で、
火のような真っ赤な実をつけて、枝には棘が並んでいる。
これに「ス」が付いて「ピラカンサス」となったという。



鳥にも食べられないで、あんなに残っているということは、
よっぽど不味いか、苦いのでしょうね。
それが、春先になると、いつの間にか、すっかりなくなっている。
どこに消えたのか。不思議です??



毒々しい赤い実で小枝には棘がある。
妖しく誘惑の罠が潜んでいるのかな。
それで鳥たちも寄り付かないわけか。



誘惑の果実を齧って、陶酔に身を委ねる。
赤い実を見て妄想に耽る徘徊爺の白日夢。
足元を枯葉が転げていった。もう帰ろう。

●民主主義サミットで学ぶこと――
 権利と自由の保護「決定的課題」

[ワシントン 9日 ロイター]
バイデン米大統領は9日、100カ国・地域以上の首脳らを招き、
オンライン形式の「民主主義サミット」を初めて開催した。
バイデン大統領は、
権威主義が台頭する中で権利と自由を守ることは、
今の時代の「決定的な課題」であるとし、世界の民主主義強化を訴えた。

冒頭演説で、バイデン大統領は「世界の自由」について、
権力拡大や抑圧の正当化などを求める独裁者の脅威にさらされていると指摘。
「われわれは歴史上の変曲点(?爺)に立っている。
権利と民主主義の後退を野放しにし続けるのか。
それともビジョンと勇気を共に持ち、
人類の進歩と自由をもう一度前進させるのか」と問いかけた。

その上で「民主主義は偶然に起こるものではなく、
世代ごとに更新していかなければならない」とし、
「個人的な見解では、これはわれわれの時代の決定的な課題である」と主張した。

ロイターニュースサイトから引用しました。
以下は爺の学びです。

世界史は「二つの世界」--「独裁・国家全体主義」と「自由・民主主義」の抗争です。
「民主主義」とか「自由」というのは面倒くさい事象で、
常に「全体主義の萌芽」台頭が潜んでいます。
世界史はその度に「国家全体主義」を克服してきました。
世界史は決して「中国」「ロシア」の方向ではないです。

(?爺)を付けた「変曲点」とはどういう意味なんでしょうか。

師走の空は晴れ渡り 落ち葉ひらひら「照紅葉」

2021-12-02 14:09:39 | 散策の詩
令和3年12月2日 師走になった。
1日夜半は低気圧の発達で荒れた。
当地の今日は風冷たくも晴天模様。



この時期、徘徊の道は枯葉色のグラデーション。
落葉木立は往く秋を惜しむシンフォニーの舞台。
残り葉が光りを受けてゴールドに輝く「照紅葉」



瑞々しかった緑葉が、色付き、落ちてゆく。
老いて、黄昏てゆく人間は「老残を晒す」。
今年もあと少し何とか無事に終わりそうだ。



徘徊の道野辺を歩くと落ち葉がカサコソ。
自然公園のベンチに座っているとハラり。
梢からユラ、ユラリゆっくり落ちてくる。

風に聞け いづれか先に 散る木の葉 (漱石)