たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

銀杏並木、立ち止まる前に散る一片

2018-11-30 12:03:50 | 花とつぶやき
11月も今日で終わりですね。
明日から平成最後の師走の12月になります。

来年は1年の間に「二つの年号」を経験することになります。
年号が変わっても「徘徊老人」に恩恵はないです。



昨日、散り銀杏のしなやかな道を歩きながら、
とある50代のご婦人に聞かれました。
「強い人って、どういう人??」

答えて曰く「嘘をついても、平気な人」かな~。
何を言われても、「応えないで耐えられる人」
「強い人」=「いい人」ではないんですよ。



会話の向こうに銀杏の落葉道が広がっていた。
そうだ、国会議事堂の周りも銀杏並木だった。
霞が関界隈に通っていた頃は、歩きに行った。

晩秋の終わりを告げる輝きか黄昏か。
二人の足どりは散り銀杏の前で緩む。

山本周五郎著 小説「日本婦道記」

2018-11-25 10:25:30 | 本・読書

武家の女性の凛とした生きざまを描く短編集。
時代小説にハマっている「好奇高齢者」の80歳の爺です。
お題「読書の秋にオススメの小説は?」に参加しました。

剣豪もの、捕り物、市井・長屋の人情劇など、
時代小説のジャンルにはいろいろあります。
筆者の好きなのは「武家もの」です。

日本人の精神史形成の血筋になっていた「武士道」
そして「武家」に生まれた女性、嫁いだ女性たち。
夫に仕え、義母に仕え、家を守って生きる。



描かれている11篇の女性たちはみな「下級武士」の家筋です。
その女性たちが、貧しくても、禄高は低くとも、
自分を見失わず凛と生きる姿が美しい。



武家の時代に男は命をかけて「主家」に仕える。
男・夫を支えていた妻や女たちも献身的に、ときには、
凛として「犠牲的」生涯をつらぬいた妻子もいた。



本書は「つつましくけなげに生きてきた」
武家の妻女たちの生き様を編んだ短編集です。

現代女性には「えっつ、そんなのな~い」と、
考えられないようなところもあるのですが、
描かれている女性はひたむきで美しいです。



今様の感覚で言えば、
いろいろ「突っ込み」はあるでしょう。
まあ、読んでみてください。

書店に行けば文庫版で廉価で買えます。
筆者の蔵書は配偶者が同居するようになった時、
持っていた昭和33年発行の「新潮文庫」です。

道野辺の徘徊路で出会う「秋野はジュエリーボックス」

2018-11-23 13:13:27 | 散策の詩

日差しは眩しいけれど空気は冷たいです。
師走まであと一週間になりました。
徘徊の足元に日暮れの早さが迫ります。





道野辺の土手や垣根には、
赤や青、黄色に輝く木の実や草の実たち。
秋野を彩る宝石が散らばっていました。





木の実や草の実たち、それは、
自分たちの子孫を残す永劫の営み、
「捨て実の戦略」なんですね。





夏には目立たず小さな花を、ひっそりと付け、
「実(み)力」を徐々につけて秋になると、
艶やかに変身して実を膨らませて輝く。





鳥たちの眼を惹く「捨て実作戦」です。
果実を鳥たちに与え、種を拡散しもらう。





鳥の運んだ実がどこか地上に落ちて芽をふく。
何千年も続いてきた自然の営みですね。





真っ赤な宝石のような実。
小菊や照り輝く蔦の葉など。





ゴールド、ブルー、ブラックからー。
徘徊路は「ジュエリーボックス」のよう。





写真はすべてガラケー携帯で撮ったものです。
名前は間違えるといけませんのでつけませんでした。



まもなく「木枯らし1号」のニュースも聞かれそうです。



徘徊路 おのが影ふむ 秋の暮

晩秋の裏磐梯 桧原湖畔と五色沼自然探勝路を歩く<下>

2018-11-19 12:06:06 | 国内旅行

晩秋の裏磐梯に行ったことについて最終回は、
落ち紅葉に彩られた桧原湖畔探勝路に続いて、
五色沼自然探勝路を歩いたこと書いてみます。

●五色沼を巡る自然探勝路を行く

桧原湖畔探勝路の終わりに近づき、
広い国道に出ました。右手に船着き場がありました。



国道は車の往来も結構激しく、探勝路の出口としては味気ないです。
歩けども歩けども何もない。この道を往くしかないはずですが、
不安になり、戻ってみたり、大きなカーブを右往左往して、
ようやく五色沼入り口の裏磐梯物産館に着きました。



いろいろ見たり、買ったり、食べたかったが、
そんなことより、とにかく休みたかった。
時計は12時15分、拾ってくれるバスの時間は1時50分。
残り1時間30分ほどだ。





途中の休憩やカメラタイムは省略しようということで、
10分休んで、五色沼最初の「柳沼」の前に出ました。





続いて13分ほどで「青沼」です。
すぐに「るり沼」が出現しました。



さらに数分ほどで「弁天沼」でした。
薄曇りで水面のきらめきはなくとも、きれいな湖面でした。







路は幾分下り気味ですが、岩がごつごつ露出していて、
歩きにくいです。それに疲れた足には下りは、
登よりつらいです。膝が笑うってやつですな。



さらに歩くこと20分ほどで「深泥沼」「赤沼」を経て、
五色沼最大の「毘沙門沼」の展望できる高台に出ました。



「毘沙門沼」は5沼の中で唯一ボートもあるようでした。
バスの時間まであと30分、どうやら間に合いそうです。
歩行を弛めて「ビジターセンター」を目指しました。



ガイドマップの注釈によりますと「五色沼」は、
3・6キロ、徒歩約1時間とあります。
水面が色映りする秘密は、
湧出する鉱泉の浮遊物質と太陽光線の関係で、
湖によって色合いが異なるのだとあります。



今回私たちは湖面の色合いを十分眺めたりする余裕もなく、
急ぎ通り抜けたという感じでした。
写真もあまり撮れなくて、お日様もなく残念でした。



磐梯山の姿もすっきり見ることが出来ませんでした。
「もう一度来いよ」という、
裏磐梯のささやきを聞きながら1時30分、
ビジターセンターに到着でした。



休暇村を出たのが9時30分、4時間歩き続けました。
「ビジターセンター」脇から迎いのバスに乗り、
「猪苗代」の駅に向かいました。
長々と、お疲れさんでした。



晩秋の裏磐梯 桧原湖畔と五色沼自然探勝路を歩く<中>

2018-11-16 13:10:50 | 国内旅行

裏磐梯に行ったことを書いています。
2回目は、休暇村裏磐梯に泊った朝のことから始めます。
まず5時半、朝風呂に浸かりました。足先から頭の先まで洗い流して、
「こがねの湯」でゆったり、朝から、ほっこり。

●スタッフと朝の散歩会に参加しました

7時にロビーに集合。参加者は9人ほどでした。
ガイドスタッフが付けている「クマ除けの鈴」が、
カラコロと高原の朝の空気に響きます。



休暇村の近くにも出没するそうです。広い敷地を歩きながら、
地形の解説や磐梯山の噴火による裏磐梯の成り立ちなど、
聞きながら曽原湖岸まで往復しました。



参加しないで寝ていたら聞くことのできなかった、
貴重な裏磐梯の知識でした。
もし、休暇村に泊まることがあったら参加をお勧めします。



散歩会の後はそのまま朝食会場へ。
美味しいモーニングディナーになりました。
この後、最後の入浴タイム。都合4回浸かりました。

●桧原湖畔の東側を巡る探勝路を行く

9時30分、サイトステーション前のから、
桧原湖畔探勝湖3・4キロの歩きに出発しました。





入り組んだ桧原湖の岸に沿った起伏に富んだ径。
最初の入り口付近は車も通る砂利道でしたが、
コースのほとんどは簡易舗装されていて歩きやすい。





足元は散り紅葉に彩られ、重なる葉の弾力もあり、
鮮やかなジュータンの上を踏んでいるようなところもありました。





目線を上げれば枝先に残っている紅葉や赤い実。
葉が落ちて視界が開けた先に檜原湖の水面が輝いています。
吊り橋まで来ました。





この付近は特に檜原湖の岸が複雑に入り込んで、
きれいな景観で記憶に残る探勝ステージでした。
吊り橋は11月20日から閉鎖され通り抜けできなくなります。





探勝路全体についていえば、高低はあまりなく歩きやすく、
小雨でしたが濡れるほどではなく、樹々の間に陽が差しました。





落ち葉がが敷き詰められて踏みしめる音や風の音など、
この時期ならではのいい時間を楽しみました。





ただ、途中にはワカサギ釣りの営業所やキャンプ場。
使われなくなったバンガローが放置されていて、
リゾート開発の残骸がかなり目につきました。
折角の景観が汚され、残念なことです。


<未完>

晩秋の裏磐梯 桧原湖畔と五色沼自然探勝路を歩く<上>

2018-11-14 09:47:45 | 国内旅行

2018年11月8、9日にPC友と2人、裏磐梯の晩秋の道を歩いてきました。
天気予報では曇と雨のはずでしたが、二人とも「晴れ男」のパワーを発揮して、
幸いにも晴れ間の多い2日間でした。
往路は交通費を節約して、5回乗り換え4時間55分のお楽しみでした。

●在来線を乗り継いで猪苗代駅まで4時間55分

松戸駅を7時24分の快速、久しぶりの朝の常磐線。
通勤時間帯と重なって超満員。上野駅着7時44分。

上野駅発7時57分の宇都宮行き快速ラビット6番線。
1時間30分乗車し宇都宮駅7番ホームに9時27分着。
8番ホームから9時31分発の黒磯行きに乗り換え。





乗車50分、黒磯駅10時21分着、車内は空いている。
黒磯駅10時26分発東北本線新白河行きに乗り換え。



乗車24分、晴れ、新白河駅10時50分着。
新白河駅10:53発、郡山行きに乗り換え。



乗車39分、11時32分に郡山駅に到着です。通過したことはありますが下車は初めて。
駅前通りをぶらぶらウォッチングをして、親子丼とうどん「増量」セットのランチ。
どちらも味もよく美味しくて満足でした。





磐越西線・郡山駅発13時48分、会津若松行き快速に乗車。
盛りを過ぎたとはいえ紅葉シーズン、車内は満席状態で、
なんとか2人分の席を確保することが出来ました。ホッ?



猪苗代駅着14時23分。初めて降りた野口英世生誕の地です。
改札脇にモニュメントの写真撮影スポットが出来ています。



今宵の宿とした休暇村裏磐梯お迎えのバスが待っていました。
雨はなく、周囲の山々の紅葉が午後の夕日に染まって美しい。
走ること30分。標高が上がるにつれ紅葉が茶色になり始めた。

●静寂な空間に「休暇村裏磐梯」は建っていた



「休暇村裏磐梯」は磐梯朝日国立公園内にあって、
廻りには何もない高原の中に位置していました。
11月末には雪が降る冬を迎える気配が感じます。



早速、荷物を部屋に放り込んで散策に出かけました。
周囲に裏磐梯湖沼群の池がいくつも点在しています。







レンゲ沼、中瀬沼、乙女沼の探勝路を歩き、山影も濃く陽が落ち始めた残照の中を行く、
整備された木道には落ち葉が敷き詰められ、少し残っている紅葉と湖沼の照りが魅せる。







夕食は会津の地酒付き裏磐梯四季のバイキング。
選べる地酒は「写楽」と「ゆり」を選択しました。
会津漆器の片口器で注ぎ飲み比べて酔い心地良し。
会津の郷土料理や美味しい小料理を楽しみました。



鉄分を含む茶色の自家源泉露天「こがねの湯」は、
程よい温度で、ホカホカと、長湯になってしまう。
しとしと雨に濡れる晩秋の裏磐梯の初日でした。
<未完>

鎌ケ谷の街をワクワクさせるJCI・一社鎌ケ谷青年会議所

2018-11-11 19:28:10 | Journalism

市内の情熱を持った若者の皆さんで構成される、
「一般社団法人鎌ケ谷青年会議所」――、
豊かな街づくりと産業振興に寄与する、
さまざまなイベントを企画しています。





10日の土曜日には、新鎌ヶ谷駅前の「しんかまにぎわい広場」で、
多くの国の食を味わってもらう「食」をテーマに、
「鎌ケ谷WAKU×WAKUワールドフェスタ」
を開催していました。





トルコのケバブ、中国の春巻き、スペインのパエリア、
韓国のチーズドッグ、メキシコのタコス・ナチョス、
ジャマイカのジャークチキンの屋台が並んでいました。





多くの市民がお目当てのフード屋台の前に並んでいました。
スペイン大好きの筆者も「パエリア」を頂きながら、
ペルーダンスの「マリネラ」を鑑賞しました。





かつて2年間スペイン語を学んだ先生(スペイン出身)にも、
パエリアの鍋の前で久しぶりにお会いできました。
ジャマイカのバンドなど多国籍なシーンが展開されていました。





●消防団の火報器PR活動も

さらにイオンの市役所側のスペースでは、
市消防団による住宅用火災警報器更新の促進PR活動も開かれ、
お買い物客にパンフを配布していました。



北総鉄道・京成電鉄・新京成電鉄・東武鉄道の、、
3路線の乗換駅「新鎌ケ谷駅」の周りは、人と情報、
異文化が行き交うワクワク・タウンになっています。



この日は、たにしの爺、市の中心エリアまで、
徘徊の足を延ばして見聞を広めました。、



徘徊路の点景 老木が根こそぎ倒れている

2018-11-07 09:41:06 | ガラケー写真

今秋は強風台風が通過しました。
いつもの徘徊路で目にしました。
老木がぱったり横たわっていた。



見られたくなかった「下半身」。
根こそぎ姿をあらわにしていた。
今も残る台風惨禍の記録でした。



ガラケー携帯に残っていた写真。
なんか、爺の終末も、こんな姿で、
下半身を露わに曝す日が来るのか。



切なさが身に染む寂しい点景ですな。
ナウ、雨雲空に青空が空けてきました。
明日から、裏磐梯に行く予定ですが……

葉室麟「散り椿」小説と映画と「時代劇」を堪能

2018-11-02 09:58:31 | 劇場映画

「春になれば椿の花が楽しみでございます」
「散り椿か」男はため息をついた。
ふたりが居る京の一条通り西大路東入ル、
地蔵院の本堂脇にある椿は花が落ちず、
花弁が一片ずつ散っていく、このため、
――散り椿、と呼ばれていた。



ふたりが地蔵院の庫裡に住むようになって三年になる。
「もう一度、故郷の散り椿が見て見たい」妻がつぶやいた。
「そうか」男はうなずいた。
妻の生家にも散り椿があった。



妻がまた咳き込んだ。「苦しいのか」男は妻の背をなでた。
妻は懸命に呼吸を整えて、「あなたに、お願いがあります。していただきたいことがあるのです」
ふたりがともに過ごして十八年になる。
「故郷にお戻りくださいますようお頼みいたしたいのでございます」
妻は、永年、胸に秘めてきた想いを話した。

――小説の始まりを要約すれば、こんな具合です。
映画もこのシーンから始まります。



葉室麟さんの小説「散り椿」を読んで、映画を見ました。

武士の瓜生新兵衛は、妻である篠と京都の寺に身を寄せていた。
18年前、新兵衛は藩の不祥事を追及し、逆に故郷を追放されていた。
妻を野辺に送ってから半年後、新兵衛は妻の願いどおり、
故郷の扇野藩に戻った。

かつて扇野藩の一刀流平山道場には、
「四天王」と呼ばれていた4人の男が居た。
・瓜生新兵衛(映画では)岡田准一
「鬼の新兵衛」といわれた剣豪で、扇野藩の勘定方を勤めていた。
上役の不正を訴えたが、かえって咎めを受けて藩から追放された。



・榊原采女(映画では)西島秀俊
新兵衛の親友だった。篠と心を寄せ合っていたが‥‥。
妻を持たぬまま「四天王」で一番の出世。側用人となり、
いずれは家老にまで昇りつめるだろうと見込まれている。

・篠原三右衞門(映画では)緒形直人
「四天王」の一人で馬廻役。新兵衛の追われた事情や、
采女の養父・榊原平蔵が切られて死んだ真相やなど、
不正事件の真実を知っている。

・坂下源之進(映画では)駿河太郎
扇野藩の勘定方で坂下家の当主だったが、横領の罪を着せられ切腹に追い込まれる。



・瓜生篠
新兵衛の妻(映画では)麻生久美子
新兵衛と采女とは生まれ育った屋敷が坂下家とも垣根越しに並んでいた。

・坂下里美(映画では)黒木華
篠の妹で切腹した源之進の妻だった。
坂下家を継いでいる藤吾の母で、新兵衛は義兄になる。

・坂下藤吾(映画では)池松壮亮
自決した父・坂下源之進の嫡男、母の華と暮らす。
父の後を継いで坂下家の当主となった。
家禄を取り戻そうと出世に意欲を燃やしている
浪人者の新兵衛が寄食することが出世の妨げになると嫌っていたが‥‥。

映画では篠と里美と藤吾は兄弟で、藤吾は、
新兵衛の義弟という設定になっている。



・榊原平蔵(映画では監督の)木村大作
采女の養父。扇野藩の勘定組頭を勤め。
新兵衛が不正を訴えた相手。何者かに斬殺される。
切ったのは誰かが小説の主要なテーマになっている。
切り口は「四天王」の蜻蛉切りだとされている。

・榊原滋(映画では)富司純子
采女の養母。采女と篠の結婚を反対し破談させた。

・篠原美鈴(映画では)芳根京子
三右衞門の娘で藤吾の許嫁。

・石田玄蕃(映画のキャストでは)奥田瑛二
藩の城代家老。采女の政敵。病弱の藩主を蔑ろにして、
紙問屋商人の田中屋惣兵衛(映画は石橋蓮司)と組んで、
藩を私物化しようとしている。

18年ぶりに亡き妻の篠との約束を果たすため、
扇野藩に戻ってきた新兵衛は、篠の妹の里美のいる坂下家に身を寄せる。

坂下家は藤吾が家督を継いでいた。
新兵衛の帰郷により藩内では再び不穏な空気に包まれ、
江戸表から新藩主のお国入り絡む抗争が巻き起こるのだった。



第42回モントリオール世界映画祭で、
「絵画のような映画」と評判になり最高賞に次ぐ、
審査員特別グランプリを受賞した「散り椿」。

木村大作監督にとっては初の時代劇作品で自ら撮影にも関わっている。
「美しい時代劇」へのこだわりが半端なく生かされており、
オールロケで撮られた美しいシーンが印象的でした。

新兵衛を演じる岡田准一が自ら工夫したという「殺陣」。
雨中で雪の中で切り結ぶ静と動の場面が、
緊迫感を持って切り替わる「殺陣シーン」が美的でした。



原作では采女の「葛藤」にウェイトがあるように読みましたが、
映画では浪人姿の岡田准一の新兵衛がかっこよく、
采女や藤吾、三右衛門らの月代をそった裃をつけた侍姿が、
なんとなく弱く見えていました。

それと、四季を彩る美しい山河の映像とチェロの低音奏でる旋律が、
静謐なシーンの背景を一層、感銘深くしていました。

小説も映画も終幕を迎えて、
家老の石田玄蕃を自ら誅する覚悟を決めた采女と新兵衛が、
「散り椿」の咲き誇る前で、ついに対決するときが来た。
「ただ、愛のために――」



「故郷にお戻りくださいますようお頼みいたしたいのでございます」
死を悟った篠が新兵衛に託した願いの真実は、果たして‥‥

采女の死に方が原作と映画ではかなり違っていて、
新兵衛の凄まじい「殺陣」に比べて、
采女のそれは、あまりにもあっけない。



時代劇の「凄さ」と「美しさを」魅せてくれた、
木村監督を始め、スタッフの皆さんに敬意を表します。
映画「散り椿」公式サイト