たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

「しろい七福神」――最後は大黒天様の延命寺です

2021-07-02 11:30:30 | 白井七福神お寺参り
令和3年7月2日 今年の真ん中の日です。雨。「半夏生」
緑風の爽快な季節も「緊急事態」と「蔓延防止」で終わり、
真夏の暑さと「コロナ禍五輪」の7月になりました。



<ヒッソリ閑>たにしの爺は「人出ひとで」は嫌いです。
「人気ひとけ」のない静寂で自由な「ひとり感」が好き。
静謐な雰囲気に満ちた神社仏閣の境内辺りがいいですね。



無病息災、安らぎと健康を求めて、
「しろい七福神」を祀るお寺を巡ってきました。
最後は「大黒天様」を祀る延命寺になりました。



「七福神めぐり」は順番があるのでしょうが、
爺は思いついた日に「一日一寺」で直行直帰。
ナビ無しgoogleマップを記憶して走りました。



6月26日・土曜日、最も遠い延命寺へ。
木下街道に立っている「石尊安夫利神社一の鳥居」の道、
鮮魚街道に入って、白井聖地公園入口の道標を越して、
廃店らしいパン屋さんの脇を右折して集落の中を走りました。



七福神の赤い幟が沢山飾られた立派なお寺が延命寺でした。
本尊は延命地蔵尊。真言宗豊山派、普登山 蓮華院 延命寺。
千葉県白井市平塚939。「しろい七福神」の大黒天様を祀る。



寺伝によると寛弘2年(1005年)に賢澄上人が開山したとされる。
参道を進むと朱塗り山門があり、正面に華麗な本堂があります。
境内は広く明るく、樹木が茂り、紫陽花が咲いていました。



山門を入って左側に千葉県指定の有形文化財である、
禅宗様式の三間堂による建造物の観音堂があります。
ご本尊は「十一面観音像」が祀られていると知る。
寛文8年(1668年)に完成したと考えられるという。







観音堂に対する右手には、鐘撞堂の「鐘楼」がありました。
他にも幾つかの「太子堂」や石塔や石碑が祀られており、
華やかな彩の広い安らぐ境内になっていました。





「大黒天」は本堂の中に安置されていて見られない。
大きな蓮の葉と唐獅子の上に座っているという大黒天は、
数少ない像だとHPに記されています。



大黒天を祀るとすべての暗黒は飲み込まれ、
吉祥をも招く七福神の一神とされています。



これまで訪れた6寺に比べ、
延命寺は新しい建造物を新築中であったり、
財政の豊かさを感じさせる、明るく大きなお寺さんでした。
きっと、信仰厚い、富裕な檀家さんが多いのでしょう。



外出自粛、三密回避の時期でしたが人気を避けて、
「七福神」を祀る七つのお寺さんを回り終えました。
森閑の中の古刹に参り癒された「小さな旅」でした。



東京環状道路16号線、北千葉道路464号線、木下街道、
鮮魚街道、河原子街道、カンナ街道、神々廻・船尾街道、
風間街道など、道路概念図が頭に入りました。

「しろい七福神めぐり」についてのコースなどの案内情報はこちらでご覧ください。

武神「毘沙門天」を祀る秋本寺は木下街道の脇にありました

2021-06-29 11:49:41 | 白井七福神お寺参り
令和3年6月29日 「五輪株」コロナが世界からコンニチハ。
二回目のワクチン接種も済んで、言われるほどの副反応もなかった。
ひっそり閑人の爺は「しろい七福神」を祀るお寺さんを訪ねています。





今日は<戦の神「毘沙門天」>を祀る秋本寺詣での記録です。
秋本寺(しゅうほんじ)は日蓮宗のお寺さんです。
御本尊は「大曼荼羅」ということです。



寺のHPや案内資料によると、弘安年間(1278~1287年)に、
下総国臼井荘在住の秋元太郎左衛門尉勝光という武士が、
下総国中山にて日蓮聖人の説法を聞き感銘をうけ建てた、
法華経堂が寺院化したものが建立起源だということです。





今の本堂は昭和50年(1975年)に現住職により竣工された。
境内には「武神」毘沙門天を安置する番神堂がありました。
扉が閉まっていて、毘沙門天のお姿は見られませんでした。



毘沙門天は武将風の勇ましいお姿だ聞いています。
ガラスの小窓から写真を撮りましたが、
なんだかよく分かりません。
全身像を拝せなくて残念でした。



本堂の外観は日蓮宗らしく色彩で象どられていました。
僅かばかりのお賽銭をあげ、本堂の扉を少し開けて、
堂内の内観を眺めさせていただきました。合掌。





境内には清しいお姿の慈母観音像がすくっと立っていました。
脇に凝った手水鉢がありましたが水は入っていませんでした。
山号は「白井山」、屋根にはカラー字で「秋本寺」







所在地は千葉県白井市白井429。
木下街道を白井から東京環状道路16号との白井交差点を超え、
二つ目の信号河原子街道との丁字路のすぐ先の左側に、
「白井保育園」があり、その脇が境内になっていた。



紅い幟が立っています。木下街道に面していました。
北総線白井駅からレインボーバス「白井保育園前」下車徒歩3分
この辺りは街道が狭くなっており、カーブも多く要注意です。



お昼時になり、蕎麦屋さんでもと探して走りました。
日本蕎麦店はなく、派手な看板のラーメン屋さんがありました。
広い駐車場に一杯駐車しています。



店内は広く換気も良いらしく風が通っていました。
街道の人気店らしくトラックの人たちが多いよう。
大きな器のラーメンを掬っています。



自家製の手打ち麺、メニューも多彩で、
ネギ味噌チャーシュー麺を食しました。
お財布にもリーズナブルでお味もよろしく、
機会があればお勧めです。

静寂の木立に包まれた古寺の趣き、福禄寿を祀る西輪寺

2021-06-22 10:16:41 | 白井七福神お寺参り
令和3年6月22日 昨日は二十四節気の夏至でした。
「しろい七福神」を祀るお寺さん巡りをしています。
5番目に訪れたのは福禄寿を祀る西輪寺です。



急雨山圓乗院西輪寺(きゅううざん えんじょういん さいりんじ)。
天台宗のお寺で、文禄2年(1593年)の開基と伝えられている。
慶安年間(1648年~1651年)に上野寛永寺の僧豪胤が再建したと言われている。



本尊は阿弥陀如来です。境内には太子堂があります。
本尊の木造聖徳太子立像は南北朝時代の制作と考えられ、
白井市指定文化財となっている。(以上は資料による)



所在地は千葉県白井市富塚905。
東京環状道路16号線の脇みたいな山林住宅地帯の、
目印になるものがなくgoogleマップで探しました。



見出しには「静寂」と書きましたが、本当の処は、
失礼ながら「古びた」人気(ひとけ)のない荒れ寺の趣きです。
常住の人は居ないのか「御朱印は隣の来迎寺で」の張り紙がありました。



小ぶりな山門の周りには石碑や石仏がありました。
境内は広くはありませんが、寂さに満ちていました。



正面に本堂、右手に聖徳太子像を祀る太子堂があります。
案内板によりますと太子堂には、
聖観世音菩薩や弁財天などが合祀されているという。





石の福禄寿尊像は太子堂の右手にに祀られていました。
長い頭に美髭、手に如意珠を持ち頭巾を冠って居ました。
幸福・財産・長寿を与える三徳の神として信仰されている。


何を祀っている祠か分かりません。右は福禄寿のとなりにあった石仏。

境内の山門脇に「お掃除小僧」さんの像がありました。
長い箒を持って掃除を修業の一つとして、
毎朝お勤めを果たしているのでしょうか。
それにしては、失礼ながら、ちょっと荒れた境内ですね。



この石像は「お掃除小僧」と言って、
チューラ・パンタカ(周利槃特・しゅりはんど)がモデルです。
たにしの爺が「畏敬していた」僧侶様の法話で、
「お掃除小僧」について伺った記憶があります。
紹介します。お釈迦様の深い教えがあるのです。

「お掃除小僧はお釈迦様の弟子の一人、周利槃特(チューラ・パンタカ)の修行がモデル。他の弟子や兄のマハー・パンタと違い、学問や知識に寄らず、朝から晩まで毎日々々お掃除することで、つまり「専念すること」により、ついにはお釈迦様の教えを会得し、羅漢様になったとされている」という逸話です。



一所懸命に専念するお姿の清しさが浮き彫りされています。
人の気配のない境内でしたが、何かを感じさせる西輪寺でした。

恵比寿様を祀る長楽寺には静謐な鐘楼も

2021-06-12 10:24:54 | 白井七福神お寺参り
令和3年6月12日  関東甲信の梅雨入りはどうなっている?
暑さ厳しく、各地で真夏日、猛暑日になっている。
「しろい七福神」を祀るお寺さん詣でをしています。




石段の脇にある6地蔵

4番目に訪れたのは、恵比寿様を祀る長楽寺です。
天台宗のお寺で、文明年間の開基とされています。
元禄元年に本堂が再建されたと記録されています。
ご本尊は白井市指定文化財の「阿弥陀如来立像」





本堂への石段のアプローチは新しくきれいでした。
石段を上がって境内の道の奥に本堂がありました。
ここにも「しろい七福神」の幟旗がなびいていた。
それほど大きくはありませんがいい雰囲気です。



本堂の右脇に小さな祠があって、
その中に恵比寿様が祀られています。
扉が閉まっていて窓越しに拝謁しました。



恵比寿様は釣り竿と鯛を抱えているように、
漁業の神様であり、福の神とされています。
五穀豊饒、商売繁盛の神様として愛されています。



左脇にも祠があって「三面大黒天」が祀ってありました。
大黒天様と姻戚関係にあり、対をなしています。
大黒天の三面像は大変珍しいことです。

本堂は延暦寺中堂の様式で、
座禅寺の修行道場としても知られている。
(白井市の観光情報で知りました)



本堂脇には鐘撞堂の立派な鐘楼もありました。
巨樹に囲まれて静謐な気配に満ちた鐘楼です。
その先は「宝幼稚園」になっていました。
鐘楼の道を隔てて「大日神社」があります。

神仏幼稚園のトライアルゾーンになっていました。
白井市根1386。西白井駅から七次中学の方向歩いて、
セブンイレブン右折。駅から20分ほど。宝幼稚園の隣り。
曲がりカーブしてる道を右に入り込むよな塩梅です。



「大日神社」については後日報告します。

初めての花「八角蓮」―薬王寺で拝見しました

2021-06-01 11:00:55 | 白井七福神お寺参り
令和3年6月1日 今日から6月、水無月(みなづき)
春の3,4,5月が終わり、6,7,8月は夏になります。
コロナ、五輪、ワクチン、大雨、台風……なんか予感しませんか。

「しろい七福神」を祀るお寺さんを詣でています。
「コロナ鬱」の日常を、しばし忘却できる時間です。
緑の濃い静寂な境内の気配が癒しになります。



清戸弁財天の薬王寺について二回報告しました。
このお寺さんで「八角蓮」という、
たにしの爺は、初めて植物を見ました。



境内を案内くださったお内儀さん、
辞去しようとする爺を「手水舎」の脇に導き、
この「八角蓮」の鉢植えを見せてくれました。



住職さんのお内儀さんと思われる老婦人。
本堂内を案内しながら、
立て替え前には天井から「夜空」が見えましたという。
手作りの吊るし雛やお人形など見せてくださいました。



ありがとうございました。
お陰様でいい時間を過ごすことが出来ました。
晩秋の頃、再訪したいと思ったお寺さんでした。

ゴルフ場の中にある指定史跡―薬王寺伝来の「清戸の泉」

2021-05-30 09:36:56 | 白井七福神お寺参り
令和3年5月30日 五月最後の日曜日は薄曇りです。
前回に続いて清戸弁財天の薬王寺に関する記録です。
船橋カントリークラブにある史蹟「清戸の泉」の見聞です。


森閑の杜に佇む薬王寺の本堂

お寺から頂いた「由緒書」と境内にあった「案内版」によります。
4枚の版木には、薬王寺の縁起として竜神伝説が彫られていて、
清戸の泉とセットで千葉県の文化財に指定されている。


清戸の泉と弁財天宮

「清戸の泉附(つけたり)版木」(文政11年9月の在銘)
千葉県白井市清戸字清戸山602
(船橋カントリークラブ8番ホール左側の窪地)にある池を「清戸の泉」という。
泉の中の島には社が鎮座している。(清戸の弁天)





この泉について薬王寺に伝わる「(青龍山薬王寺並堂作辨財天女縁起)」、
大同年中(806~808)の旱魃で里人が飢餓寸前であったとき、
諸国を巡る僧が来て竜神に雨乞いをし大雨を降らしたので、
この地に一社を建立して竜神を祀り、
相殿に弁財天を祀って池を掘ったという物語がある。





薬王寺で案内して下さったご内儀より情報を得て、
クルマで数分離れた船橋カントリークラブに行きました。
クラブハウスに案内を乞うて、言われる通りに行きました。
要所要所に「清戸の泉」の道標があります。
土曜日とあってプレーをする人も多いです。





樹間の中を案内通りに進むと窪地に沸く泉がありました。
泉の中央には小さな社がありました。
湧き水がサラサラと流れて、枯れることがないようです。



ゴルフ場の中に指定文化史蹟が遺されている。
ゴルフ場と言えばグリーンばかり目に付きますが。
鎮守の杜と泉があって、誰でも入れるなんていいですね。



印旛沼、手賀沼や利根川流域には龍角寺や竜腹寺など、
「雨乞い竜神信仰」に基づく伝承や遺跡が多いが
「清戸の泉」はその代表例であるという。



長々とお付き合い下さりありがとうございます。
次回は薬王寺で初めて拝見した「八角蓮」を紹介します。

森閑の杜に埋る―清戸弁財天ゆかりの青龍山薬王寺

2021-05-27 11:00:03 | 白井七福神お寺参り
令和3年5月27日 昨夜の皆既月食は雲間に薄れていました。 
不要不急な「白井七福神めぐり」のお寺詣でをしています。
コロナ禍の自粛時期「3密にならない」穴場ですよ。



今回は「弁財天様」が祀られている薬王寺です。
天台宗の寺院で山号は青龍山。ご本尊は阿弥陀如来様。
創建は「大同(806年~810年)」年間まで遡ると伝えられている。
平成13年(2001年)3月10日に本堂が新造されたと記録されている。



境内はそれほど広くなく、まさに幽谷深山の趣きです。
手水鉢には「清龍水」の字、青龍の口から水が噴き出ている。
巨木に包まれた本堂は静謐な空気に支配されていました。





本堂に向き合うように、それほど大きくはないが、
巨木の根元に石彫りの「弁財天様」が鎮座していました。



お寺で頂いた由緒書きには、弁天様像が載っていました。
「当山に古きより伝わる弁財天は像高15.8cmの木造八臂で、
天冠台上(頭上)宇賀神(人頭蛇身)を頂く座像である」と、
して、次のように紹介されています。



「弁財天は七福神のうち唯一の女神でルーツはインドの河の神で、
水との縁が大変深く水神として祀られていた。
音楽・芸術・学問・財福を司る守護神として、
崇められております」と記されています。

境内に鎮座する石像の弁財天も、人頭蛇身の宇賀神の冠をかぶり、
八本の腕に武器と宝珠と宝蔵の鍵を持つ、宇賀神弁財天です。



本堂の脇には観音堂があります。
本堂に向かって右手の石垣の上に薬師堂が建っていました。
「清戸の薬師」と呼ばれています。





この薬王寺には「雨乞い竜神伝説」を伝える版木が保存されている。
「清戸の泉附(つけたり)版木」(文政11年9月の在銘)
「清戸の泉」に祀られる弁財天社にまつわる縁起が保存されていて、
千葉県指定の史跡になっている。
「清戸の泉」は船橋カントリークラブにありました。
詳細は次回に報告します。

薬王寺の所在地は千葉県白井市清戸6。
北総線小室駅から歩いて20分。バスの便もある。
なかなか分かりにくい場所です。



白井市役所前から「神々廻・船尾街道」を、
千葉ニュータウンに走り、船橋カントリーゴルフ付近を過ぎ、
薄暗い下り坂道途中に「しろい七福神」の赤旗が立っていました。
崖下に駐車場らしき空き地がありました。



駐車スペースの先に坂になった入口がありましたが、
お寺さんにしては山門らしき建造物がありません。
覗き込んでいたら「ワンちゃん」が盛んに吠えます・
「山門」ならぬ「ワン門」ですかね。



実はこの薬王寺の山門は車を止めた所から、
50メートルほど先から上がる細い階段が山門でした。
近くに行く機会があったら改めて写真に撮りたい。
(この項未完)

万緑の境内に鎮座する「寿老人様」に五月晴れ―佛法寺

2021-05-15 08:29:41 | 白井七福神お寺参り
令和3年5月15日 皐月も中旬になりました。
山里に「青田風」が吹き渡り「たにしの爺」さん、
五月病・鬱も少しは快癒されてきた感じですな。


 


「コロナ蔓延防止」期間中でしたが、風に吹かれて、
不要不急な外出で「白井七福神」寺参りに行きました。
今日は天台宗寺院の「佛法寺」です。



所在地は千葉県白井市復987。白井駅から徒歩10分。
車では、北千葉道路464で成田方面に向かい、
白井駅交差点を過ぎて、すぐ左に入る道があります。



山門の前は田植えが終わったばかりの水田です。
とても清潔な雰囲気に満ちた門前でした。
直ぐに「三尺藤」の藤棚があって、本堂まで直視できます。
山門の左わきに魔除けの元三大師の石像が見守っていました。



境内は、それほど広くはありません。
藤や梅の古木が美しく整えられています。
緑に包まれたお庭には鯉も泳いでいます。





ご案内によると、鎌倉時代13世紀の中ごろに、
制作されたと思われる木造阿弥陀如来坐像が、
本尊として伝わっていると記されています。



本堂脇には白井市の指定文化財となっている、
白井七福神の「寿老人様」が祭られている。
近くには、長身の観音様の石像が建っている。



寿老人は星の化身で、にこやかな微笑みをたたえ、
手には巻物を括り付けた杖、そして団扇や桃などを持ち、
長寿延命、富貴長寿の神として信仰されている。
(この項は、ネットより引用)



山門脇に魔除けのご利益と疫病退散の逸話で知られる、
元三大師(がんざんだいし)が祀られている。
比叡山中興の祖である慈恵大師の良源さんです。



特に今日(こんにち)コロナ禍に悩む日本です。
元三大師の疫病退散のご法益をお願いしたいです。
それにはまず、私たちが善良なる市民になることです。



これで白井七福神を祀るお寺さん、
来迎寺に次いで二寺に参拝しました。
次は何処にするか地図を眺めています。

誰も人が居ないお寺さんには「布袋尊様」がいらっしゃいました―来迎寺

2021-05-04 08:20:27 | 白井七福神お寺参り
令和3年5月4日 「みどりの日」です。
「青葉繁れる」「新緑が滴る」「万緑」とかとか。
「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」(山口素堂)

連休中は近場の自然公園は子連れ家族が増え、
やかましくて、煩いので少し遠出をしました。
白井七福神の一社「布袋尊」の来迎寺に行きました。
来迎寺(らいごうじ)は天台宗延暦寺派の寺院で、
所在地は白井市折立266にあり駅からは遠いです。





風間街道が東京環状道路16号線と交差する白井市冨塚。
16号道路を越えると街道は「鮮魚街道」になります。
交差点からわずか2、3分で、
右折する「来迎寺入口」という細い道があります。





「来迎寺」は開けた場所に、ひっそりというか、
人影は全くなく粛然として存立していました。
周囲は「折立菖蒲園」で、少し咲いていました。



山門はなく二本の石柱が建っていました。
それほど大きな本堂ではありませんが、
気配は静粛に満ちて、いい雰囲気が支配していました。



門柱の間に「可愛いお小蔵さん」が迎えてくれます。
木魚を枕に居眠りの最中です。
その先に、本堂に続く石段があり、左辺の樹々の間に、
石で彫られた見事な「布袋尊様」が鎮座しています。



弥勒菩薩の化身といわれる布袋尊は、笑顔を絶やさず人々に接していた人で、
大きな袋には宝物がいっぱい入っていて、信仰の厚い人に与えられたという。
笑門来福、夫婦円満、子宝の神として信仰が厚い。(ネットより引用)



本堂前の案内板によりますと白井市指定文化財として、
木造阿弥陀如来坐像、木造不動明王、 木造毘沙門天立像、
木造閻魔王坐像、木造奪衣婆(だつえば)坐像が収まっているという。



境内には「火伏せの霊樹」と呼ばれる指定天然記念物、
「来迎寺の公孫樹」として知られる、
巨木で古木の銀杏の樹がありました。





来歴によると、320年前に寺院を含む折立村が火災に遭った際、
焼け残ったため「火伏せの公孫樹」とも呼ばれるようになった。
今も火災の影響で主幹が2つに分離し、炭化箇所が残っている。





境内は花の季節で藤棚をはじめ、
石仏などありいい雰囲気でした。





白井市にはこのような七福神仏閣が点在しているようです。
他の仏閣も訪ねてみたいと思った。