「何もなかった顔でどこまで行けるのだろう…中略…つまらないことがとてもうれしくてやさしい気持ちになれたこと終わらない週末の光の陰で確かめながら」
(篠原美也子『名前の無い週末』 1995年 より引用)
昨日口ずさんだから、と言う訳でもなく、今日が土曜日だからと言う訳でもなく…。
この特別と言える、人々の胸を焦がせ弾ませる週末も、何もなくただひとりで過ごして受け流して生きていけば、そんな風に、本当につまらないなんてことない日になるのだろう。
画像はセルフカバーアルバム“SPIRAL”の歌詞カードだが、オリジナル版に比べると、セルフカバーミックスの『名前の無い週末』は、終わり逝った夏みたいに、オリジナル版の様な華やかさはなくなり、敗けを認め、ため息を1つ、と言う風だが歌詞にこめられた想いは変わらないと信じたい。
オリジナル版の弾けた、勢いある雰囲気と共に起死回生の願いが込められた雰囲気がこの歌であるが、週末乗り越えてもまたやって来るのは苦境の日々しかない。なくし奪われた日々。週末は一時の解放でしかない。