最初、光輝く澄み渡って綺麗で無垢な心は、歳を重ねる事でその輝きや透明度が変化していく。輝きは落ち、透明度は下がり、白銀の様な色もいつかは、単なる銀色になり、灰色になり、行きつく先は、光沢の無い灰色がかった白に黒を薄く溶かした様な色になる。
歳を重ね行く事は「大人になる」という事にもなる。勿論、ただ歳を重ねるだけで成れる訳ではない。だが、多くを見聞きし体感し経験をしていけば、自然に見たくもない様な醜いものさえ知って行く事になる。哀しみだってあるかもしれない。
そんな中で、心の色模様は変化していき、いつしか、幼い頃にあった力強く輝きと透明度はなくなりゆく、それが1つの「大人になる」という事なのではないかと不意に思う。
そんな心が時に私の行こうする、やろうとする道や事柄を阻止しようとする事がある。駄目が黙認されない時である。
総てを規定通りにやれば、廻せない事があるのが世の常であるが、決してそれは「悪を助長し、認める訳でない」事を先に話しておく。
無垢な心は、常に「規定杓子通り」でしかなく、それは正しい。だが、正しいが故に反感が生まれる私の心は相当に荒んでいる事になる。汚い心の見本ないし汚い大人の見本と言えるだろう。
そんな私に心模様語る資格はないが、大人になるという事は、視野が広がり多くを見聞きし、体験していく中で、「かつて」の心から光沢と透明度をなくしていくのではないかと思ったので話を書いた次第。
支離滅裂な話かも知れない。けれどまとまったのはそんな「支離滅裂」であった。
歳を重ね行く事は「大人になる」という事にもなる。勿論、ただ歳を重ねるだけで成れる訳ではない。だが、多くを見聞きし体感し経験をしていけば、自然に見たくもない様な醜いものさえ知って行く事になる。哀しみだってあるかもしれない。
そんな中で、心の色模様は変化していき、いつしか、幼い頃にあった力強く輝きと透明度はなくなりゆく、それが1つの「大人になる」という事なのではないかと不意に思う。
そんな心が時に私の行こうする、やろうとする道や事柄を阻止しようとする事がある。駄目が黙認されない時である。
総てを規定通りにやれば、廻せない事があるのが世の常であるが、決してそれは「悪を助長し、認める訳でない」事を先に話しておく。
無垢な心は、常に「規定杓子通り」でしかなく、それは正しい。だが、正しいが故に反感が生まれる私の心は相当に荒んでいる事になる。汚い心の見本ないし汚い大人の見本と言えるだろう。
そんな私に心模様語る資格はないが、大人になるという事は、視野が広がり多くを見聞きし、体験していく中で、「かつて」の心から光沢と透明度をなくしていくのではないかと思ったので話を書いた次第。
支離滅裂な話かも知れない。けれどまとまったのはそんな「支離滅裂」であった。