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Mind Feeling0408-2 “Kuki Yomenai ”について

2008年04月08日 11時43分12秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
昨年2007年の流行語大賞にもなった、“KY”。しかし、何故に、こんな言葉が流行ったのだろうか?と考えてしまうあたりからして、私が“KY”な人間であることは言うまでもない。
空気読めない、見つめてみると、実に不思議な言葉だな…と思う。
私が、“KY”という言葉に近い言葉、「空気読め!」というのを見たのは、あるインターネットサイトだった。話の流れをどう考えても逸脱した発言がなされた時に、その言葉が出ていた。ネタ的に書いたのか、あるいは、自分が注目されたいが為に書いたのかは解らない。
 そのような場合はともかくとしまして、そもそも、空気を読めない、それは当たり前なんじゃないか?とも思う。空気は無色透明なものであり、それは見えもしなければ掴めもしないものである。
しかし、世の中の人々、“KY”と口にしつつもどれだけ、口にしている人々は、どれだけ空気を読めるのだろうか?
沈黙は金なり、という言葉があるが、大方これで、何も言わないで始めは傍観者的に騒いでる様子を遠目で見て、

「あいつは“KY”だ」
と誰かが叫んだのに同調しているだけなんじゃないか、と思う。そして、叩かれた誰かをせせら笑う事で、日常のウサを晴らす、というのもありそうだ。 こんな言葉が流行った背景には一体何があるのだろうか?話の流れも読めなくなるくらい、自分の事しか見えなくなる程、生きていく事に手一杯になってしまったのだろうか?我が儘な自己主張したくなってしまったのだろうか?あるいは、状況を飲み込む事や言葉を選ぶという習慣が薄れてしまったのだろうか?私も状況に応じた適切な発言は苦手な方なので説得力にはかけてしまう。いい歳をして何とも情けない話であるけれど、事実としてはそうだ。人生経験がそれだけ浅い事も言える。
自分の話ばかりしても難なのだが、“KY”と気安く使われるのは何だか嫌だ。まるで「差別語」的な感じがする。差別/区別して人は自分が他人よりも勝っている優越感にひたりたがる傾向が強いので、“KY”もまたその1つな気がしてならない。故に、軽々しく使われるのは嫌だ。
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Mind Feeling0408-1 釈迦の日の嵐?

2008年04月08日 07時01分26秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
4月8日、釈迦の日。高校時代に読んだ青海圭著『水色のプレリュード』の主人公、昆布谷 禄一郎の誕生日。些細な事では、決して怒らない心優しい温厚なロックシンガー。そりゃそうだよな、4人だが5人の兄弟の1番上だもんな…とキャラクターの話をしても仕方ない。
日付的には釈迦の日であっても、天候は鬼である。そんなギャップにため息をついてしまうが、人によってはそれを楽しむ…という気さくな方もいらっしゃるよーで。単なる誰かを喜ばす「美辞麗句」いや「虚言」なんじゃないの?と思うが、人の心は解らない。
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