岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

大統領たちのデモ行進に思う。

2015-01-12 08:31:15 | 世界のなかま
権力行使者がデモをするとは奇異なことと思われるかもしれない。
私たちには、デモといえば市民が行うものという思いがある。

デモに関する考えは国(市民)によってさまざまかもしれない。

今回のデモが訴えていることは何か。
言論の自由が脅かされていることに対して断固たる抗議をするということだろう。
言論の自由は、人間の自由の中でももっとも大切にされなければならないという市民の思いがある。

欧州では絶対王政から市民の国に代わる時に血まみれになりながら手にしたのが「言論の自由」だ。
20世紀に入ってからも何度も危機に瀕した。
ナチスや東欧諸国などだ。
世界に目を転じると「言論の自由」はもっと不自由になっている。
これらは、権力行使者と市民の関係においてである。

しかし、今回のフランスのデモは、
権力行使者も市民も並列的に行進する。

「言論の自由」のために市民(国民)が行進する。
もちろん、その「表現の自由」を脅かすテロ集団(この用語も難しい)への固い決意表明である。
神の前に、権力行使者も市民も同列なように、脅威に対しては同列であるという表明である。

一方、9.11にみるように、市民の怒りは権力行使者に利用されることもある。
そのことは、もう懸念されている。

人間には克服できる壁しか用意されていないという考えがある。
私には「願い、願望」と思えてしまう。

立ち向かうべく行う懸命な努力の末は、だれにもわからない。
だからとって行動を起こさなければ自らの存在を証明することはできない。
自らの存在証明とは、「歴史的個人」のことである。
個人は、個人であって個人ではない。

連綿と続く個人の歴史の中で先人が継承してきた(血と汗で)ものを渡すわけにはいかない。

その意味で、在戦場は、身の回りにある。

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