岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

奥田知志さんのお話を聴く。 『絆』プロジェクトについて。

2011-12-17 20:28:01 | 東日本大震災


北九州ホームレス支援機構理事長の奥田牧師の講演をお聴きするのは3回目です。
前2回のお話はもちろんホームレス支援でした。

しかし今回は、やはり震災支援のお話だ。
地域の核となるようなNPOは必ず行動を起こしている。
岡山県医療ソーシャルワーカー協会主催でした。

私は地元のAMDA以外の支援内容については疎い。
それだけに奥田牧師の話を聴きたかった。

壇上から話される支援の内容についてお聴きするうちに自然とAMDAの活動と重ね合わせていた。
ホームレス支援と緊急医療支援のNPOがいかに重なっていくか。
頭を整理しながら書いてみたいと思います。

『絆』

その1:ネットワークと物資供給搬送支援
北九州ホームレス支援機構は仙台にホームレス支援仲間がいた。
ホームレス支援団体の特技はなんといっても炊き出し。震災当日から行動を開始した。
仙台の帰宅難民への支援だ。しかし備蓄物資は3日でなくなるという。
連絡を受けた奥田牧師は、北九州のグリーンコープに掛け合う。旧知の仲だ。
組合員40万人の力が搬送に注がれる。

AMDAの支援の物資調達・搬送を中心的に担ったのは、おかやまコープだった。
おかやまコープはAMDA基金があるほど日頃から密接な関係にある。

その2:行政を巻き込んだ取り組み
奥田牧師は市長に携帯電話から直訴。『絆』プロジェクト計画が立ち上がる。

AMDA菅波理事長が総社市長に現地より電話で支援を要請。借りた電気自動車の活躍がニューヨークタイムス紙に掲載。
市長に「おねだり」できるほどの関係を築いている。

その3:地域住民の代表としてのNPO
地元に全国的ネットワークを持つNPOがあることの意味は大きい。 
今回の大震災募金においては日赤等の募金の分配が公平性を守るがゆえに被災者にはなかなか届かない。
一方、NPOに直接寄付した場合はすぐに支援へと繋がり、その効果も目に見えやすい。
多額の寄付が両NPOに集まり効果的に使われた。また基金として今後も有効利用される。

その4:支援内容が重なっていく
北九州ホームレス支援機構は文字通りホームレス支援が「本業」。一方、AMDAは緊急医療支援が「本業」。
重なりにくいと思われるがそうではないのです。
被災者の方々には失礼な書き方かもしれないが「ホームレス」状態になって避難されたのです。
(ここで余談ですが、奥田牧師は市の有力者に「北九州ホームレス支援機構」の名を使うことは被災者に失礼だ、名前を変えろと言われ情けなくて一晩飲み明かしたと話された。まさにホームレス蔑視です。)
ホームレス支援は炊き出し⇒住宅⇒家財道具⇒就労。そして伴走型支援へと繋がっていく。継続的支援である。

ではAMDAはどうか。緊急医療支援から日常的な慢性病治療、鍼灸師や理学療法士による支援。健康センターの設立。奨学金支援。継続的な支援へと移行して行っている。

この両NPOはともに20年以上の支援経験がある。

奥田牧師のことば。「災害が起きてから準備をしても間に合わない。事前に準備しておくこと」
AMDA菅波代表のことば。「救える命があればどこまでも」

ともに、西日本大震災への準備が始まっている。    
    

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