岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

【日本で】米国の若者  石井十次その七

2005-02-12 06:52:58 | 石井十次
旭川の京橋を少し下ったあたり、貧しい人々の住居が建て込んで
いた。その街の路地を長身の女性がさっそうと歩いている。
中国地方の小都市に米国人はまだまだ珍しい。
ブラウンの長い髪を束ねた碧眼のこの女性に奇異の目が
注がれる。しかし、彼女は気にする素振りもなく、
子どもたちに話しかけていく。
このような街にどんどん入っていくことが、当時の彼らの
使命ともいえた。

この女性が、アリス・ペティー・アダムス。
1891年(明治24)にアメリカはニューハンプシャー州から
日本を目指した宣教師である。
この年、24歳。ラストサムライのオールグレン大尉が日本に
きた15年後である。日本の状況が想像できるのではない
だろうか。

アダムスは、十次の近くで活動をしながらも彼女独自の方法で
社会事業活動を行っていく。
そして彼女の事業は、時を超えて現代にも「岡山博愛会」として
受け継がれている。その建物の前にある銅像は、なぜかアダムス
ではなく十次の像ではあるが。

彼女の事業は、都市型セツルメントといえるものだった。
セツルメント運動は1884年にロンドンで始まり、米国には
1886年ニューヨーク、1889年にはシカゴで定着する。

アダムスはこのことを知っていただろう。
そしてシカゴにハルハウスが建てられてから、わずか2年で、
日本にセツルメント運動を持ちこんだ人物という栄誉が、
彼女にあたえられてしかるべきだと思う。※
(シカゴのハルハウスを創設した女性もアダムスという名で、
ノーベル賞を受賞しているが、岡山のアダムスとは無関係)

また、先に書いた「救世軍の創始者ウイリアム・ブースの著作」
を軍平が訳したのは、1892年のことだから、もしかすると、
アダムスのボストンバッグに詰められ日本に持ち込まれたのかも
しれない。その本が十次に渡り、翌年十次から軍平に渡った。
そしてそこから日本の救世軍が始まった。ドラマである。
私はこの可能性はあると思う。

ウイリアム・ブースの「「最暗黒の英国と出路」は、1890年に
英国で出版されている。1年余りで日本で翻訳されたことになる。
3年後に会った救世軍の宣教師たちは、軍平がすでにこの本を
読んでいることに驚いたのではないだろうか。
彼がその1年後に救世軍の士官に登用された理由がわかる気が
する。

ドラマはこのようになっていたのだろう。

「十次は痔疾で4週間ほど入院せざるをえなかった。
病院は結構たいくつなものだ。できることといえば読書くらい
である。十次が入院することを知ったアダムスは、手元の本を、
『最近出版されたばかりのこの本をぜひ読んでください。
私も非常に感銘を受けました』と手渡した。
しかし学業を中途放棄した十次に英語の本はつらい。
入院する病院は京都の同志社病院になった。
そうだ、京都には旧知の軍平いる。彼なら翻訳できる。
頼んでみよう」

アダムスの業績を簡単に記しておきます。
1.尋常小学校
2.施療事業
3.裁縫学校
4.幼稚園
の設立などなど。
十次が孤児救済なら、アダムスは貧児救済へ、当時の岡山で
車の両輪のように活躍していたのではないだろうか。

※岡山博愛会については、吉田久一「日本社会事業の歴史」
p98で1行程度ふれられています。
アダムスの名は書かれていない。

※参考資料『岡山孤児院物語 石井十次の足跡』 山陽新聞社編

☆コメントをいただいた「ゾウとトット」さん、TOMさん、
リヨさん、ありがとうございます。
励みにさせていただきます。ご活躍をお祈りします。

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
アリス・アダムスについて調べています (もる)
2005-09-02 05:39:24
初めまして。

アリス・アダムスについて調べているうち、同時代に同じ岡山で孤児救済活動をした石井十次のことを知り、こちらにたどり着きました。



アリス・アダムスについては資料がほとんどなく、今度岡山に行き、図書館や岡山博愛会で調べる予定なのですが、現段階では石井十次とどのような関わりがあったのか疑問に思っております。



大変恐縮ですが、何かご存知のことがあればお教えいただけませんでしょうか?

あるいは、どのような資料を調べればよいかお教えいただければ幸いです。



もる

返信する
アダムスについて (岩清水)
2005-09-02 07:06:19
コメントありがとうござます。

アダムスについては、私自身、詳しくは

調べていませんが、お考えのように

岡山県立図書館で、郷土資料を探すのが

一番と思います。

ネット検索では

館内利用できる書籍は

「アダムス女史一夕和 1933年」

があります。

また、十次の日誌を読まれることを

薦めます。

ぜひ、岡山に行ってください。

彼女が働いた地区を歩くことで

100年前の彼女の行動の片鱗を

感じることができます。

得られることは多いと思います。

そして、研究結果をぜひネットで

公開してください。

期待しています。
返信する
ありがとうございました (もる)
2005-09-03 08:19:21
岩清水様、いろいろ教えていただいてどうもありがとうございました。



実は私は岡山出身で18歳まで岡山で暮らしたのですが、今年の5月にふとしたきっかけでアリス・アダムスのことを知るまで、まったく彼女のことを知りませんでした。

資料も、郷土史として岡山にわずかに残っている程度で、

歴史に埋もれた人物のようです。



そこで、おっしゃるとおり実際に岡山に行って、図書館で資料を調べたり、関係者からお話を伺ったりして彼女の足跡をたどり、いずれ文章にまとめたいと考えています。



また、成果をご報告しに伺いますね。

本当にどうもありがとうございました。



もる
返信する
期待しています。 (岩清水)
2005-09-03 13:15:42
もる さま



アリス・アダムスは、ご存知のように

ミドルネームがペティです。

石井十治の岡山孤児院の中に、ペティ牧師館が

あります。この牧師はアメリカンボードから

派遣されています。

アリスの親戚(正確は関係は?)にあたります。

このことを考慮すれば、アリスと十治は親交が

あったのではないでしょうか。



詳しい調査をお願いします。
返信する
岡山四聖人 (JYURI)
2009-11-10 01:03:24
はじめまして。
アリス・ペティ・アダムスの記事を探していてこちらのブログに参りました。
素晴らしいブログですね。他の記事もいくつか拝見させていただきましたが,そのどれもが充実した内容で,とても感動しました。
石井十次さんも昔から尊敬している方なので,是非また拝見しに参りたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
返信する
コメントありがとうございます。 (岩清水)
2009-11-10 21:20:20
JYURIさん。
コメントありがとうございます。
わたしたちも、四聖人のこころざしに学んでいかなくてはなりませんね。
また訪問してください。お持ちしています。
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