内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

声に出して読む、ということ

2022-07-11 20:41:50 | 雑感

 吉増剛造氏は『詩とは何か』のなかで他の人の作品を引用するとき、それらを声に出して読んでいます。紙面、いや、電子書籍版の画面表示から、その声が聞こえてくるわけではありませんが、声に出すという所作を吉増氏がその都度行っていることは確かです。
 私もそれらの作品を声に出して読んでみます。吉増氏の文章を読んでいるとおのずとそう誘われるのです。それは字面を眼で追うだけの黙読とは別の、もっと生き生きとした作品との接し方です。いえ、接し方というのは適切ではなく、作品の立ち上げ方、とでも言ったらいいでしょうか。
 「声に出す」というのは含蓄のある言い方だとかねてから思っていました。「声を出す」のとは違います。それは、言葉を声が響く音響空間に引き出す、ということです。声に出して読む私もその空間の中にいます。私は私の肉声を私の耳で聴きます。そうすることでしか体感できないことがあります。録音して聴くのも面白い体験ですが、それはまた別の話です。他の人による朗読を聴くのとも違います。
 昨日、夕方から飲み始めて宵の口には眠りに落ちてしまいました。十一時過ぎに目が覚めました。起き出してエミリー・ディキンソンの作品を声に出して読んでみました。フラマリオン社の英仏対訳版全詩集を開き、両語で読んでみました。
 先週から大学を除く公教育機関はすべてヴァカンスに入ったこともあり、あたりは静まりかえっています。物音ひとつしない部屋に自分の声が響きます。英語の原詩、その仏訳、それぞれの言葉と私の身体が共振します。意味がわかるわからないはまた別の話です。紙面に印刷された言葉が声に出されることでおのずから立ち上がって来ます。声に出して読む時の響きの一回性によって言葉がそのときその場で賦活され、その賦活された言葉によって私の身体も(再)活性化されます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


詩の「しぐさ」を聴き取る耳 ― 詩人に導かれて言葉の彼方の「声」に耳を澄ます

2022-07-10 10:19:46 | 読游摘録

 昨日の記事で紹介したエミリー・ディキンソンの二つ目の詩に出て来る「気を失った駒鳥」について吉増氏はこう述べています。

すぐにどなたでもが脳裏に、気を失っているから動かない鳥の温かさを両の手の掌に感じながら、そっと、支えてあげるしぐさが浮かんでくるはずです。それと同時に、掌が感じている、この小さな生き物の鼓動の温かさへの驚き、驚異、生命の驚異というようなものも伝わってくるでしょう。

 吉増氏はこの「しぐさ」に詩が発生してくる「しるし」を見てとっています。
 最終行「私の生きるのは無駄ではない」については、「ほんの少しだけですが、この言葉、駒鳥がいっているようにもわたくしには聞こえてくる」と言っています。
 そして、この言葉の聴き手は誰なのかと問います。この問いに対して、「エミリーの家のすぐ傍か樹々の間に佇んでおられる「一なる神」さまへの伝言(つたえごと)のようだ、そう聞きたいとわたくしは思っています」と答えています。
 「孤独がゆえに立ちあがってくるピュアな、ある意味においては倫理的な「立ち姿」のようなもの」がこれらの詩(昨日の記事で紹介した二つの詩と紹介しなかったもう一つの詩)から感じとられないだろうかと読者に問いかけます。
 昨日の記事で紹介しなかったもう一つの詩は、吉増氏自身が言及されているように、『ソフィーの選択』という映画の中で、アウシュヴィッツで苦難のときを経たポーランド出身のある女性(演じているのはメリル・ストリープ)が、アメリカに逃れてきて英語を覚えるときに、英語の勉強のためにエミリー・ディキンソンの詩に触れ、その詩に引かれていくというシーンで使われています。せっかくですから、その四行二連の詩も読んでみましょう。

Ample make this Bed — 
Make this Bed with Awe — 
In it wait till Judgment break
Excellent and Fair. 

Be its Mattress straight — 
Be its Pillow round — 
Let no Sunrise’ yellow noise
Interrupt this Ground —

死の床を広くつくるがよい
畏れと敬いでつくるがよい
優れて公正な審判の日の始まるまで
そこで待つがよい

褥を真っ直ぐに
枕をふくらませよ
日の出の黄色い騒音から
この場所を守れ

 この詩について吉増氏はこう述べています。

いまわたくしの声にして出して、そしてそれを聞き直してみてもわかりますけれども、思いがけず、ふっと向こう側から、亡くなった遠い御祖(みおや)、女の人がそっと耳元にささやくような、とても細い優しい、しかしであると同時に、神託というか神々しい、途方もなく遠いところからの声でもあるようなもの、そんなものがこの詩からは聞こえてきます。アメリカという存在のずっと奥のほうから、ふっと、……、神々しいといいますか、あるいは神託、神のお告げのようなそういう響きを持っている詩のあらわれを、ここに聞いておりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


エミリー・ディキンソン「気を失った駒鳥を/巣にもどすことができるなら/私の生きるのは無駄ではない

2022-07-09 13:05:16 | 読游摘録

 吉増剛造氏は『詩とは何か』第一章「詩のほんとうの「しぐさ」」の中で、その作品に衝撃を受けた詩人や自分にとても大切な詩人をそれら詩人たちの作品とともに何人か紹介しています。その中のひとりがアメリカ十九世紀の詩人エミリー・ディキンソン(1830-1886、ディキンスンと綴られることもある)です。吉増氏は、今日アメリカで最も偉大な詩人の一人に数えられているディキンソンについて、「詩作の上での大変深い影響を受けるようになりました」と書いています。
 ディキンソンは生涯に一八〇〇に近い詩作品を書いていますが、そのほとんどはノートに手書きで記されて筐底にしまわれたままで、生前発表されたのはわずか数篇に過ぎず、その作品のすべてが広く知られるようになったのは一九五五年に刊行された『全詩集』によってです。彼女自身、自らの作品によって世間に知られたいとは思っておらず、生地であるアマースト(Amherst、マサチューセッツ州の西部コネチカット川バレーのハンプシャー郡に位置する町)の生家にほとんど引きこもったまま生涯を終えました。親しい友だち何人かはときどき彼女を訪ねてきました。膨大な詩作品と友人宛ての手紙が彼女が後世に遺した文学的遺産です。
 吉増氏はまず次の作品を引用します。ディキンソンの作品にはまったくタイトルが付けられておらず、索引で作品を検索するときは各作品の第一行の詩句が使われます。引用する作品は四行二連の短詩です。

This is my letter to the World,
That never wrote to Me –
The simple News that Nature told –
With tender Majesty 

Her Message is committed
To Hands I cannot see –
For love of her – Sweet – countrymen –
Judge tenderly – of Me

これは まだ手紙をもらったことのない
世間の人々にあてた私の手紙です
自然がやさしく厳かに話してくれた
そのままの知らせです

彼女の通信を
私の見ることのない手へと委ねます
どうか親しい皆さん 彼女への愛のためにも
私をやさしく裁いて下さい
(『エミリ・ディキンスン詩集』中島完訳、国文社)

 ディキンソンの詩の特徴として、語頭に大文字を多用することとダッシュを多用することを挙げることができます。それらからも詩の「声」を聴き取る注意深さが読み手に求められます。
 そして、もうひとつ特筆すべきことは、発表を意図してはいなくても、彼女の作品は、会ったこともない見えない未来の読み手に宛てて、読まれる保証もないままに書かれていることです。しかし、まさにそのことが彼女の作品に神秘的とも言えるような奥行を与える要因の一つになっています。
 吉増氏は他にもいくつかの作品を引用していますが、今日のところは、あと一篇だけ引用します。それについての吉増氏のコメントは明日の記事で紹介します。

If I can stop one Heart from breaking,
I shall not live in vain
If I can ease one Life the Aching,
Or cool one Pain,
Or help one fainting Robin
Unto his Nest again
I shall not live in vain.

もし私が一人の心の傷をいやすことができるなら
私が生きるのは無駄ではない
もし私が一人の生命の苦しみをやわらげ
一人の苦痛をさますことができるなら
気を失った駒鳥を
巣にもどすことができるなら
私の生きるのは無駄ではない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


元首相凶弾に斃れる

2022-07-08 14:03:33 | 雑感

 こちらの時間では早朝、日本からとんでもないニュースが飛び込んできた。思わず「えっ」と大きな声が出てしまった。今日は、昨日の記事で予告した話題を取り上げる気にはさすがになれない。
 日本ではすべての報道機関が安倍元首相が凶弾に斃れたニュースを報道し続けていることだろう。こちらのメディアもこぞって取り上げている。
 ネットで見た銃撃直前の映像から推測するかぎり、犯人は元首相の背後すぐ近くにおり、あたりの様子を伺っているが、特に不審な点もなく、SPたちからマークされることもなく、発砲したようだ。それにしても、よくわからないのは、直近からの発砲であったにもかかわらず、外れた一発目の直後にSPが元首相の身の安全をすぐに確保せず、演説が続けられたことである。
 白昼、周りに数百人の一般市民がいる中で起こったこの銃撃事件は衝撃的だ。詳しいことはわからないから臆断は避けたいが、元首相がこのようにいともたやすく凶弾の犠牲になってしまったことの影響は大きいだろう。当然、政府要人の警護は今後強化されるだろうが、選挙運動の真っ最中であり、もし候補者やその応援に駆けつけた政治家が街頭演説を続けるとすれば、模倣犯が出ないともかぎらない。国外への影響も懸念される。
 ネット上の報道によると、今日の奈良での元首相の街頭演説は直前に決まったことだという。だとすれば、どうして犯人はこの機会を捉えることができたのだろう。かねてより周到な準備を進めていたのだろうか。今後の捜査による解明を待つしかない。
 歴代最長政権として歴史に名を刻んだことは間違いない元首相が在任七年余りの間に行った政治にはまったく賛成できなかったが、このような非業の死を遂げられたことはやはり痛ましい。ご冥福をお祈りします。
 ただ、一言、不謹慎な言い方が許されるならば、これで今回の選挙での自民党の圧勝はほぼ間違いないであろう。おそらく、政策論そっちのけで、「弔い合戦」(敵は誰?)とか「民主主義の危機」(誰がその危機を招いた?)とか、不適切な言葉を振り回して選挙戦を戦う自民党議員たちも出て来るであろうし、同情票が集まることも充分に予想される。
 今回の銃撃事件を受けて、言論統制が強化されたり、一般市民の行動が制約されたり、反政府運動が弾圧されたりすることがないとは言えない。それによって今回の銃撃事件の背景にある政治・経済・社会の問題が隠蔽されるようなことがあってはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


吉増剛造『詩とは何か』を読みながら想い出した事ども

2022-07-07 16:13:48 | 読游摘録

 今日は吉増剛造氏の『詩とは何か』(講談社現代新書 2021年)をずっと読んでいた。
 1999年、詩集『オシリス、石ノ神』の仏訳が刊行され、その機会にストラスブールのクレベール広場に面した書店で詩人自身による日本語原文朗読と仏訳朗読(日本学科の当時の上司による)が行われた。それを家族で聴きに行った。激しさと嫋やかさが交錯するその朗読に強烈な印象を受けた。その時購入した仏訳に「どうぞこれからもわたしたちの学びのためにがんばって下さいませ。ありがとうございました。’99 6.18 gozo」と献辞を書いてくださった。その一冊は今も大切にしている。この献辞については、2017年8月20日の記事ですでに触れている。
 翌2000年の2月だったか、前年に刊行された『生涯は夢の中径――折口信夫と歩行』(思潮社)に基づいた講演のためにストラスブールに再度いらっしゃった。そのとき、驚いたことに、ジャン=リュック・ナンシー先生が予告もなしに講演会場の教室に入って来られた。『オシリス、石ノ神』の中のいくつかの詩篇(仏訳初出は P0&SIE 1991年56号)に衝撃を受け、Corpus のなかでそのうちの一篇 « Orihime (Princesse tissandière) »(原詩のタイトルは「織姫」)の最初の四分の一ほどを引用しているナンシー先生は、その衝撃を受けた詩篇を書いた本人に挨拶に来たのだった。詩人と哲学者とのやりとりはほんの数分だったが、それに間近で立ち会うことができたのは幸いであった。
 二人のつながりについては、吉増氏自身が『我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ!』(講談社現代新書 2016年)の中で少し触れている(同書については、2019年6月15日の記事で話題にしている)。
 講演後帰宅した私のところに講演の主催者であった日本学科の上司から電話があり、「席が一つ空いているから、レストランに来い」と吉増氏を囲む夕食会に急遽招かれた。もうどんな話をしたかよく覚えていないが、その年私が担当していた日本語の授業の内容について少しお話した覚えがある。
 その翌年だったか、もう何月のことか覚えていないが、吉増氏と天沢退二郎氏ともう一人の日本人詩人(名前は失礼ながら失念した)の朗読会がパリであった。当時パリ近郊に住み、INALCO で教えていた私は聴きに行った。朗読会の後、一言ご挨拶を申し上げた。覚えていてくださった。
 それからしばらくお目にかかる機会はなかったが、2015年3月にストラスブール大学と CEEJA で三日間に亘って行われた国際シンポジウム「間(ま)と間(あいだ)」の基調講演者としていらっしゃった。講演は短いものだったが、その場で吉本隆明氏の初期詩篇『日時計篇』の筆写の現場を見せてくださった。そのときの氏の姿と言葉から受けた強い印象については2015年8月28日の記事に書いた。
 『詩とは何か』そのものについては明日の記事で話題にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


耳が現実音から解放されたとき、一瞬、「声」が聞こえた

2022-07-06 23:59:59 | 雑感

 私が八年棲んでいる今のアパルトマンは地階にあり、書斎窓前の垣根を境として大きな隣家の広い庭と接している。その庭の垣根近くは樹々で覆われており、春になると早朝から鳥たちがその枝の上でよく囀る。クロウタドリの美声は一際耳に快く響く。
 この住まいは市の北東地区の閑静な住宅街にあり、しかも私の住居は庭側に面しているから、車の音はほとんど聞こえない。初夏を迎えると、夕方、隣家の子どもたちが庭ではしゃぎまわる声がよく聞こえるが、日中は人気さえ感じられず、鳥たちの歌声だけが静けさのなかに響く。
 よく晴れた日中、書斎の窓を開け、微風にわずかに揺れる窓外の緑を眺めながら、鳥たちが交わす歌声だけをじっと聴いていると、その奥にと言えばよいのか、その隙間にと言えばよいのか、もっと遠いところからのほとんど聞き取り難いほどかそけき「声」が一瞬聞こえた。
 それは街の遠くからという遠さ、ではなくて、沈黙の彼方の遠さ、とでも言ったほうがまだしも事柄そのものに近いような遠さである。その「声」は言葉にできない。言葉にしてしまうと、別のものに変質してしまう。
 その「声」は、何かを何かのためにしているときには聞き取れない。耳が「現実」の音に満たされているからだ。
 何もない日、何もしていないとき、耳が現実音から自ずと解放された。そのとき、その「声」が、閃光のように、瞬間、私の耳に到来した。そういうことなのだ思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


何もない日

2022-07-05 18:50:57 | 雑感

 今日と明日に予定されていた会議がキャンセルになり、久しぶりに「何もない日」を過ごすせた。
 この夏、八月一日から五日までの集中講義の準備もあるし、九月上旬のパリの学会での仏語発表原稿、同月半ばと月末がそれぞれ締め切りの仏語論文、九月から新しく担当する授業の準備もあるから、今からそれらの作業を順序立てて効率よく進めていく必要はあるのだが、今日と明日は「何もない日」にすることにした。ただジョギングだけは休まず続ける。
 七月一九日から八月末まで一時帰国する。二年半ぶりの帰国である。東京に滞在する。妹夫婦のところに世話になる。まだコロナ禍が終息したわけではないし、猛暑で自由に出歩くこともできないかも知れないし、上記の作業を休暇中に進めておかなくてはならないから、そうそうのんびりとばかりもしていられないだろうが、自分がそこで生まれ育った場所に帰ることができるのはほんとうに嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


修士論文の口頭審査

2022-07-04 23:59:59 | 雑感

 フランスの大学は、学部が三年で、三年生の最終学期に小論文を選択する学生もいるが、必修ではない。修士が二年で、修了するためには修士論文が必須である。学生たちにとって修士論文が生まれて初めて書く本格的な論文ということになる。これがかなり要求水準が高く、二年で書ける学生はほんのごく一部に過ぎない。三年で書ければ上出来で、四年以上かかる場合もある。それ以上になると、結局放棄してしまう場合が圧倒的に多い。学科としてそれは好ましいことではないが、要求水準を下げることもやはり望ましいことではない。
 ストラスブール大学日本学科では、修士一年と二年の間に、日本の大学への一年間の留学が長年事実上必須とされていたが、これは非公式な内規に過ぎなかった。なぜなら、留学のために留年を強制することになり、これは法的に許されないからである。学生たちは皆日本に留学したがっているから、事実上強制的な留年を拒否する学生は過去にはいなかった。一回目の修士二年への登録を行うだけで、一年間「自主的に」留年していた。こんなことがまかり通っていたのには、修士一年間の登録料が三万数千円程度と安いこともある。過去はもちろんもっと安かった。
 ところが数年前から、経済的な理由から留学が困難な学生は留学しないで卒業することも許容されるようになった。そもそも学生たちには留学せずに修了する権利があるのだから、それまで「強制」留学が問題にならなかったことのほうが驚くべきことだ。それに、二〇二〇年からのコロナ禍で留学を諦めざるを得なくなった学生も多数出た。このような状況下では、留学せずに卒業することを認めざるを得ない。
 とはいえ、留学の主たる目的は修士論文のための一次資料調査・収集であるから、それができないまま論文を書くことは大きなハンディになってしまうのも事実だ。
 今日の午後、私が指導教官だった二人の学生も修士論文の口頭試問があった。この二人のも留学を諦めざるを得なかった。それゆえテーマの変更を強いられた。そのハンディにコロナ禍の中での論文作成作業という困難も加わった。
 口頭審査は指導教官と二人の教員で構成される審査員団によって行われる。二人の審査員の評価はかなり厳しいものだったが、それでも三年間で書き終えたのだから、私はよくやったと褒めてあげたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大したことではないが、うれしかったこと

2022-07-03 23:59:59 | 雑感

 今日、日曜日、日本語能力試験の試験監督で実質八時間近くの拘束だったので、今、ちょっと疲れています。
 他方、まさにその試験中および試験後に、ちょっと、いや、私にとってはかなり、いいことがありました。
 試験中、一言で言えば、「セッション」がうまくいったのです。初対面の試験監督補助員(法学部の学生)と、何にどう対処すればいいのか事前に打ち合わせる時間もなかったのに、それこそ阿吽の呼吸で突発的な事態にうまく対処できました。おかげで試験は滞りなく行われました。
 試験後、受験者の一人で私が指導教官である修士の学生が、「先生、秋までには必ず論文提出します」とわざわざ言いに来たのです。この数ヶ月音沙汰なしで心配していました。そういう状況で挨拶に来るのは、しかも私が試験監督者であることは事前に知りようがない試験の後に来るというのは、かなり勇気がいることだったはずだと思うのですが、来てくれたのです。それだけで「一歩前進だよ」と言ってあげたい。
 それぞれはまったく大したことではありません。でも、そんな小さなことでも明日はもう少し前向きに生きてみようかなという気分にさせてくれるのだということを、つまらんことですぐにイジケてしまう情けない私は実感しました。と同時に、自分がその恩恵をこうむるだけでなく、それくらいのことなら自分も人にしてあげられるはずだとも思えるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ありきたりな、あまりにもありきたりな、しかし身の丈に合った答え

2022-07-02 13:26:25 | 雑感

 月単位で言えば、昨日七月一日から一年の後半が始まったことになりますが、一年三六五日で見ると、今日二日は一八三日目でちょうど一年の中日(なかび)になります。そこで、明日からの一年の後半に向けて気分を切り替えるための「回転軸」とすることにしました。
 といっても、何か特別なことをするわけではありません。今朝もジョギングはいつも通り一〇キロ走りました。ただ、走りながらいつも以上にいろいろ考えました。走りながら考えることの利点は、誰でもそうなのかどうかわかりませんが、私にとっては、自ずと思考が積極的・肯定的になって、あまり否定的・消極的・悲観的なことは考えられなくなることです。
 かと言って、その効果を目的として走っているわけではありません。起床時、日によって気分の浮き沈みは多少ありますが、ジョギングが日課として完全に習慣化しているので、自ずと体がジョギングに出かける準備を始めます。それを止めることの方にむしろ意志の発動を必要とするくらいです。早朝に雨が強く降っている日は小降りになるのを待ちますから、少し一日のリズムを乱されることはありますが、幸いなことに、一日土砂降りということはこの一年余りほとんどありませんでした。
 走ったからといって、当面する事態や置かれている状況が変わるわけではなく、自分の性格が変わるわけではもちろんありませんが、毎日早朝に走ることによって、その日毎に自分をいわば再起動させていると言ったらよいでしょうか。
 今日は、明日からの後半全体を通じて、自分は何に対して何をどうすればよいのか考えながら走りました。だからといって、問題解決の名案が浮かんだわけでも、重大な決断を下したわけでも、なるようにしかならないと開き直ったわけでもありません。ただ、何事に対しても、あまり深刻に考えず、心身の軽快さを保つことを心がけ、変えられるところから変えていこうという、別に走らなくても簡単に得られるであろう、ありきたりな、あまりにもありきたりな答えが得られただけです。
 でも、私にとって、それが身の丈に合った答えなのでしょう。それが得られたということは、今日は善き日だということです。