内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

忘却のエチカ、失われた理想を求めて ― 夏休み日記(15)

2015-08-16 08:07:53 | 哲学

 何もかもいつまでも記憶していることができれば、それがつねに人間にとって理想的なことなのであろうか。自らが犯した罪を、他者によって犯された罪を、いつまでも忘れないでいることが最も正しい生き方なのであろうか。そのための努力を怠らないことが最も優れた倫理的態度なのであろうか。
 戦争の記憶は、人類の罪として、少なくとも人類が滅亡するまでは、人類自身によって想起され続けるべきだろうと私も考える。そして、「フクシマ」もまた...
 しかし、私たちの心がすっかり罪の記憶で満たされ、そのことが私たちに「理想」を語ることを忘却させている、そうすることを妨げている、あるいは、せいぜい何か恥ずかしげにこっそりと聞き取れないような声でそうするしかなくなっているとすれば、どうであろうか。
 記憶の次世代への継承は、無論、現在の私たちの責務であろう。しかし、過去の罪を忘れず、二度と過ちを繰り返さないと誓い、そのために常に細心の注意を払うだけで、「未来」を切り開くことができるのだろうか。
 いつまでも過去にしがみつかず、過ぎ去ったことは「水に流し」、未来に向かって体を伸ばせ、などと、無責任な激励を推奨したいのではない。
 過去の「忘却」を現在の自己の権力意志や物質的欲望のために利用する狡猾な悪霊たちは常に世界を跋扈している。悪の商人たちばかりではない。その国を代表する大企業の中に公然と大量殺人兵器を開発・生産・輸出する企業が名を連ねている先進諸国が一つや二つではないことを私たちは知っている。
 二十世紀が人類史上最も多くの人間が人間によって殺された世紀になるかどうか、二十一世紀をまだ十五年ほどしか生きていない私たちは予測することさえできない。戦争ばかりが大量に人を殺すわけではないことを私たちはもうよく知っている。
 空疎な大言壮語を慎み、偽問題に惑わされずに、真に解決すべき問題を順序立てて一つ一つ黙々と解決していく誠実さと謙虚さが日々の exercice spirituel には必要であろう。
 しかし、忘れ去るにはあまりにも重大な罪にもかからわず、その重みにほとんど押し潰されそうになりながら、未来に実現されるべき「理想」を再び見出し、それを次世代に託すべく語り続ける「理想主義的」態度を保持し続けることもまた、同じくらい大切な exercice spirituel であると私は考える。
 そのような「理想主義」の再構築に没頭することによって過去を「忘却」することは、かつて確かにあったことをなかったことにする否認主義とは違う。それは、何があってもあくまでも〈善〉を探求し続ける、一つのエチカである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
“Nuclear Disaster” の時代に。 (franoma=あ*)
2017-03-17 16:19:31
古い話で恐縮ですが、
2015年の8月16日、
先生のアメブロでのブログ記事にコメントできませんでした。
http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12062396943.html
そんな変なことは書いていないのに…と今更、思うので、
すみませんが、今更、こちらに投稿します。

コメントタイトル:
「子育て」=「人類存続」のエチカ
コメント内容:
万人が罪人(=原罪から逃れ得ない人間)であろうとも、人間である限りは「人格の尊厳」があるので、「正当防衛」または「逃散」の権利を有すると私は考えます。「正当防衛」または「逃散」、そして「セルフネグレクトの強要」を受容しないで自分の人生を組み立てる「基本的人権」が「世界人権宣言」で保障されています。

「空疎な大言壮語を慎み、偽問題に惑わされずに、真に解決すべき問題を順序立てて一つ一つ黙々と解決していく誠実さと謙虚さが日々の exercice spirituel には必要」という点に同感です。水源を守って生態系を守って、生態系の一部である人間もサバイバルをするというのも「真に解決すべき問題」です。
http://ameblo.jp/sannriku/entry-12062119604.html

「忘れ去るにはあまりにも重大な罪にもかからわず、その重みにほとんど押し潰されそうになりながら、未来に実現されるべき「理想」を再び見出し、それを次世代に託すべく語り続ける「理想主義的」態度を保持し続けることもまた、同じくらい大切な exercice spirituel」というのは、「"nuclear disaster" を起こすような人こそ真っ先に滅んでしまえ、自滅しろ、自殺しろ」という声に対して、「すべての学問は人類の福祉のために」と理想を掲げて、"nuclear disaster" の後片付けを放棄しないでサバイバルすることがその一例だと子どもにも言います。

それが「子育て」=「人類存続」のエチカではないでしょうか。
===コメント内容おわり===

後日、追記した部分は、以下のとおりです。
http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-12061899345.html
に庶民による記事とコメントのやり取りあり。

原発事故後は特に、原発作業員さんを使い潰したら日本滅亡というだけではなく、地球の北半球も終わりだという現実から目をそらさないことが大事ではないかと思います。問題が深刻かつ重大であればあるほど目をそらしたい「逃避」や日本の科学技術なら原発事故何のそのと大言壮語に陥る「躁的否認」などPTSD症状が出て、現場でも解離性不注意
http://bit.ly/fuanDisorder
が蔓延して破局を招きやすいということがあると思われます。

追記:
http://ameblo.jp/sannriku/entry-12062264468.html
原発にかぎらず被曝作業を行う人や、汚染地にいて吸引被曝をする住民は、セシウムの自然排出に任せてはダメだということです。

http://ameblo.jp/sannriku/
予防原則に立ち戻り、予防治療が必要です。
訂正です。 (franoma=あ*)
2017-03-17 17:23:26
(誤)「忘れ去るにはあまりにも重大な罪にもかからわず」
_↓
(正)「忘れ去るにはあまりにも重大な罪にもかかわらず」

謹んで訂正します。

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