内的自己対話-川の畔のささめごと

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1923年夏学期のフライブルクでの最後の講義に示されていたハイデガーの哲学的企図

2023-11-29 14:02:44 | 哲学

 ハイデガーの『存在と時間』を読むとき、フランス語で書かれた二つの詳細をきわめた懇切丁寧な注解書が大切な導きの糸となる。Jean Greisch, Ontologie et temporalité. Esquisse d’une interprétation intégrale de Sein und Zeit, PUF, coll. « Épiméthée », 1994 と Marlène Zarader, Lire Être et Temps de Heidegger. Un commentaire de la première section, Vrin, 2012 である。後者は前者を絶賛しているが、それだけに前者とははっきりと違った読解方針を打ち出している。前者は、『存在と時間』そのものの注解を同書の成立史の中に位置づけているのに対して、後者は『存在と時間』のなかで同書以後にハイデガー自身によって展開される論点あるいは放棄される論点への言及が多く織り込まれている。つまり、前者が『存在と時間』の出版に至るまでのハイデガーの思索の歩み全体を示そうとしているのに対して、後者は『存在と時間』をそれ以降の思索の展望の起点として読もうとしている。その他にも重要な違いがあるのだが今日は言及しない。一言で言えば、この二冊の浩瀚な注解書は相補的な関係にあり、フランス語圏で『存在と時間』を読もうとする者にとって必携ガイドである。
 明日の発表ではもっぱらジャン・グレッシュの注解書にのみ言及する。なぜなら、三木清のハイデガー理解を問題にするとき、『存在と時間』出版以前のハイデガーの講義が特に重要な鍵を提供してくれるからである。
 三木がマールブルクで聴いたハイデガーの二つの講義にはパスカルへの言及はない。しかし、ハイデガーがマールブルク大に任命される直前の夏学期にフライブルク大で行った講義「存在論―事実性の解釈学」には三箇所パスカルへの言及があり、特に、その冒頭に『パンセ』からフランス語のまま引用されている断章が置かれている補遺六「人間の本性」は、ハイデガーの解釈学的方法を理解する上で重要である。

Quand tout se remue également, rien ne se remue en apparence, comme en un vaisseau. Quand tous vont vers le débordement, nul n’y semble aller : celui qui s’arrête fait remarquer l’emportement des autres, comme un point fixe. (S577, L699, B382)

すべてが一様に動いているときには、何も動いているようには見えない。ちょうど船の中でのように。万人が放埒に走るときには、誰もそうしているようには見えない。立ち止まっている者だけが、固定した一点のように、他の人々の行き過ぎを明らかにする。(岩波文庫、塩川徹也訳)

 この断章はデカルトの『哲学原理』の第二部一三節と同第二部二四節を念頭に置いている。この断章をハイデガーが引用しているのは、グレッシュが指摘しているように、生の運動をいかにその動きを裏切らずに記述できるかという難問に答えるための手がかりとしてである。
 船上でじっとしている記述対象と同じ船上にいる記述主体とは一様に動いている。この立場にとどまるかぎり、船ととともに移動しつつある記述対象の動きは動きとして捉え得ない。立ち止まってある固定点から動いている船を見るときにはじめて、その船とともに動くものがどの方向に向かおうとしているのかが見える。
 このような動きが事実性であり、その本性を裏切らずに捉えるためには固定点の構築が必要であり、その固定点がハイデガーのいう「カテゴリー」である。このカテゴリーを用いて行われるのが「解釈」である。このカテゴリーは、しかし、生の外部から恣意的に導入される概念ではない。それは生そのもののうちにある。それを引き出すのが解釈学である。
 「生のひとつの現われとしての哲学の意味を理解するためには哲学が生の裡から発生する過程の存在論的必然性が解釈されなければならぬ。哲学は[…]人間の存在にとって必然的なるひとつの存在の仕方である。」(『パスカルにおける人間の研究』、岩波文庫、42頁)
 1923年の時点でハイデガーが構想していた哲学的企図を三木がよく理解していたことがわかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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