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コジキジゲン

4000グラムの子供を産んだ戦場のオンナ兵士の末路→国家名誉勲章

2013-04-23 22:47:54 | 古事記字源
 ・・・いい加減にスレョなッ、「習う近い平ら」・・・「領海侵犯」で挑発し、大陸中国内の「国内暴動」、「煤煙」、「鳥疫病」、「大地震」の目を逸らして「対日戦争の局地戦」を模索している?・・・「朴の巫女王」も・・・「国家民族主義者」=「前近代的な帝国主義者」だろうッ・・・双方「国家指導者」の本質は「北の王朝主義」と何等お変わりなしの「排外国家主義者」・・・「領土」?ダレのモノでもない。「地球人と自然動植物の生存領域」である・・・何処に「共産主義」、「民主主義」がアルのか、「拝金のゴリ民族主義者」が、ッ・・・「資本主義ニッポン政治屋連中」も同列・・・
 以下はボクが観た北海道のTV番組の「国家とは何か?」を問いかける映画でした・・・

ーー

 4月14日の

 13:00コールドケース5

 封筒

 第11話(全18話)

ーー

 4月21日の

 14:00日曜イベントアワー

 「戦火の勇気」

 <1996年/アメリカ>

【監督】エドワード・ズウィック

【出演】デンゼル・ワシントン

ーー

 習近平(シー・ジンピン・1953年6月1日?)

ー↓?

年干支・・・癸 巳(戊・庚・丙)

年天干変通 比肩・↓地支蔵干変通    12運

年蔵干・・・・・巳(正官・印綬・正財)・胎

月干支・・・丁 巳(戊・庚・丙)

月天干変通?正財・↓地支蔵干変通    12運

月蔵干・・・・・巳・(正官・印綬・正財)・胎

           格式変通・正財格

日干支・・・癸 未(丁・乙・己)申酉←空亡

日天干変通 比肩・↓地支蔵干変通     12運

日蔵干・・・・・未(偏財・食神・偏官)・墓

ー↓

 中華人民共和国の政治家

 2012年

 第5代

 中国共産党中央委員会・・・拝金民族主義

 総書記・・・・・・・・・・記録係

 第6代

 中国共産党中央

 軍事委員会主席・・・・・・匪賊

 2013年

 第7代

 中華人民

 共和国主席・・・・・・・・強我国

 第4代

 中華人民

 共和国

 中央軍事委員会主席

 太子党・・・・・・・・・・「卑俗党」

 父

 習仲勲(元国務院副総理)

 生年月日

 1953年6月15日?←ウイッキペデアによる?

 清華大学・・・・・・・・軍学独占企業員養成大学

ー↓?

年干支・・・癸 巳(戊・庚・丙)

年天干変通 偏官・↓地支蔵干変通    12運

年蔵干・・・・・巳(傷官・正財・劫財)・帝旺

月干支・・・戊 午(丙・ ・丁)

月天干変通 食神・↓地支蔵干変通    12運

月蔵干・・・・・午(劫財・  ・比肩)・建禄

          格式変通・比肩建禄格 

日干支・・・丁 酉(庚・ ・辛)辰巳←空亡

日天干変通 比肩・・・↓地支蔵干変通  12運

日蔵干・・・・・酉(正財・  ・偏財)・長生

ーーー

ーーーーー

 枕草子

 (九段)

 よろこび

 奏するこそ

 をかしけれ。

 後を

 まかせて、

 笏とりて、

 御前の方に

 向ひてたてるを。

 拜し

 舞踏し

 さわ

 ぐよ。

ーーーーー

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ヤスキぶし、イト、おかし・・・「伊都」って?

2013-04-23 18:56:52 | 古事記字源
 「国際関係・国家間関係」がドウのコウの、と言っているうちに諸国家の「国内問題」が「自然災害・鳥インフルエンザ・地震」、「工場煤煙」、「自国内国籍者のテロ、爆弾銃撃」、「飼料工場の大規模爆発」・・・それに大規模な「製粉機内の密輸麻薬」・・・「北のミサイル」なんかは吹っ飛んじゃっている・・・10キログラム3000円以下の米は農協にもスーパーにも無い・・・昨日はTVが映ったのに今日は「E202」で「受信できません」の画面・・・世界は「事件」で人が死ぬ数よりも、「交通事故」で人が死ぬ数がダントツで、「餓え」で死ぬ子供の数はそれ以上にダンダントツ・・・月日の「同数字」が重なる日をニホンでは「おまつり」とするのは「女の子の健康祈願」だが、ナゼ、「女の子」なのか?・・・「男の子」は、多分、ドウでもヨカッタんじゃぁナカろうか・・・?
 「節句」・・・事典、ブログ記事を調べても「節季・節気」からの説明と、それらの「モノガタリ由来」があるが、「節句」そのものの「漢字の語源説明」が「漢字の意味」からは無いようだ・・・「節(ふし・ぶし・セツ)-句(ク)」とは、まさに「文章上の節と句」であろう・・・

 「ウイッキペデア」には「節」とは、

 多くの場合「節目(ふしめ)」とも言う

 変化する箇所や時期など

 節(ふし、せつ)

 竹や樹木など、植物の節(ふし)

 ・・・「文法」として通常は、

 複文のなかで

 主節に対してそれを

 修飾したり、

 内部に含まれたりする

 従(属)節のことをいう

 節 (文法)では

 記事や

 文章における

 構成単位

 ・・・とある・・・

 「安来節」は「泥鰌すくいの謡(うた)い」で、元々は「砂金(砂鉄?→蹉跌?)の洗浄、選別のウタイ」だった・・・

 「津軽ジョンがラブし」は「じょんがら」であるのだが・・・

 「ジョン イズ ラヴ」・・・?・・・

 「津軽三味線」はナゼ、激しく「三味線」を叩くようになったのか?・・・「シンナイ流し」の緩慢な「都都逸」の伴奏とは遥かに異質で「イト、おかし」・・・

 弦楽器(琵琶)の発祥は中東らしく、インド、

 中国南部において「三絃」が成立。

 この「三絃」が

 沖縄を経て

 畿内に持ち込まれ(異説あり)、

 江戸時代中期に日本独特の三味線となった。

 以降、三味線は日本各地の

 土着芸能と融合して様々に発達し、

 当時日本最北端であった

 津軽地方において津軽三味線となる。

 津軽三味線の楽曲の原型は、

 新潟地方の

 瞽女(ごぜ)の三味線

 北前船によって日本海側各地の音楽が

 津軽に伝わり、

 津軽民謡は独特の発達をした。

 津軽地方においては

 ボサマと言われる

 男性

 視覚障害者の・・・「盲目・めくら←差別用語ではなく、歴史的概念として読んでください」・・・

 門付け芸として

 長く蔑まれていた・・・らしい・・・

 「コブシをマワス」・・・って?

ーー↓

 慶長二年(一五九七年)

 二月

 二十日

 浅石城主・・・浅+石→浅井+大石→忠臣蔵?

 十一代の

 千徳

 安芸之助政保が、・・・安芸→安岐→安来→安城

 西根賀田の城主

 大浦為信の大軍に攻められ、

 十日間悪戦苦闘を続け

 二十八日の早朝、

 城後にまわった敵将

 森岡金吾、

 木村越後等の

 一隊に火をかけられ、

 城主政保は

 近侍

 十五名と共に討死し

 家中五百余軒、

 農家八百軒の浅石城は

 仁治元年(一二四〇年)

 千徳

 伊予守・・・愛媛伊予→重秘め異与

       伊予蜜柑・伊予カン・異予感(余寒)

 行重・・・・行が重なる?

 以来

 十一代、

 約三百五十余年間、

 東の

 山根に・・・纂今

 繁栄した

 千徳家は・・・チトク→知徳・知説く・知匿

     ・・・セントク→撰説く・宣徳・宣説→本居宣長

 減亡

 この落城の哀話として

 「じょんから節」が発祥した

 浅石城下には

 天台宗の

 神宗寺外に

 真言宗の

 高賀山大善院、

 法華宗の

 妙経寺等があり、

 その一坊として

 辻堂があった。

 辻堂は

 石名坂道への

 別れ道になっていた。

 慶長二年

 二月

 二十八日

 役僧の

 常椽(じょうえん)和尚は

 大浦勢に攻められ

 山伏姿となり薙刀をもって奮戦したが最期には

 白岩の断崖の頂上から

 浅瀬石川に飛込んで死んだ

 その数年後に川原の砂の中から遺体が発見され、

 その場所に

 「常椽の墓」を造った

 そこを

 「常椽川原(じょうえんかわら)」と称した。

 毎年お盆になると村人はこの墓所に集って供養をなし、

 千徳家全盛時代の昔を偲び、

 城主をはじめ先祖代々の霊を慰める盆踊りを行った。

 これが「じょんから節」である・・・そうだが・・・

 常椽川原(じょうえんかわら)」

     「じょ  んか ら」・・・「うえ」と「わ」が端折られた?・・・訛った?と言うことか?

 「じょんから節」は「くどき(口説き→句解き?)節」の一種であるそうだが・・・「功徳節?」・・・

ーーー↓

「じょんから節」

一 ハアーさぁさこれから読み上げまする

  津軽浅瀬石じょんから節よ

  さてもあわれな落城のはなし

二 ハアー今は昔の七百年前

  南部行重城主となりて

  伝えつたえて十代あまり

三 ハアー頃は慶長二年の春に

  大浦為信大軍率い

  城主政保討死いたす

四 ハアー時に辻堂常椽和尚

  先祖代々位牌を背負い

  高い崖から濁流めがけ

五 ハアーゃがて春過ぎ真夏となりて

  村の子供等水浴びすれば

  砂の中からあわれな姿

六 ハアー村の人達手厚く葬り

  盆の供養をすました後は

  昔しのんでじょんから節よ

七 ハァー春は城山りんごの花よ

  秋の田の面は黄金の波コ

  村は繁昌て家内の笑顔

ーー↓

 では

 「句」とは、

句(く、英語:phrase)とは、文あるいは節を統語論的に分析した際の単位となるもので、機能的に語と等価であるが複数の語からなるものをいう。

英語などでは、文に相当する単位(主語と述語動詞)を含む節とは明確に区別できるが、日本語では必ずしも明確ではない。

 国語文法では

 節に近いものを

 句と呼ぶ場合もある。

 たとえば "the house at the end of the street"(1) は句であって、名詞と同じように機能する。さらにこれは "at the end of the street"(2) という句を含み、これは "the house" を修飾する形容詞と同じように機能する。句(2)は形容詞 "white" で置き換えて、 "the white house" という句に変えることができる。またさらに句(2)は名詞のように機能する句 "the end of the street"(3) を含む。これはたとえば "the cross-roads" で置き換えて "the house at the cross-roads" という句にできる。日本語の場合も、語順の違いなどはあるがほぼ同じように分析できる。

 句は、それを文のほかの部分につなぐ語を含み、これを主要部または主辞 (head) という。英語では主要部は句の最初の単語であることが多い。日本語では普通最後の単語が主要部になる。

 句はその主要部のタイプによって分類できる。

 すなわち句はその主要部に由来する

 統語的性質を有する

 統語的構造である。

 前置詞句 (prepositional phrase: PP)

 前置詞を主要部とする(in love, over the rainbow など)。

 日本語など後置詞(助詞)をもつ言語では代わりに

 後置詞句(postpositional phrase: PP)となる。

 両方合わせて接置詞句ともいう。

 名詞句 (noun phrase: NP)

 名詞を主要部とする句である(the black cat, a cat on the mat など)。

 動詞句 (verb phrase: VP)

 動詞を主要部とする(eat cheese, jump up and down など、動詞に目的語・補語・副詞をつけたもの)。

 形容詞句 (adjectival phrase: AP)

 形容詞を主要部とし、名詞句を修飾する(full of toys など)。

 日本語でこれに対応するのは連体詞句である。

 副詞句 (adverbial phrase: AdvP)

 副詞を主要部とし、動詞句を修飾する(very carefully など)。

ーーー↓

 「重陽(9月9日)の節句」を「くんち」では平仮名表記の「(お)くんち」を正式名称として使っているが、語源の説により「(御)九日」、「(御)供日」「(御)宮日」と幾つかの漢字表記がある。

 九日説

 旧暦の9月9日、重陽の節句に行われた祭であることから「九日(くんち)」という呼び名が定着したという説。

 長崎など、この説を有力としている地区は多いが、九日は通常「ここのか」や「ここんか」と発声される。9月19日、9月29日を含めた日程で三九日(さんくにち、みくにち)としての祭礼を行っている地域もあり、これが元ともいわれる。

 供日説

 収穫した作物を神に供える日、「供日(くにち)」から転じて「くんち」になったとする説。漢字表記がされる場合にはこの表記が使われていることも多いが、後から当て字として考えられたものともいわれる。

 宮日説

 お宮に対して祭を行うため「宮日」ということだが、くんちの呼称が秋祭りに限られることが説明しにくいため、後から当て字として考えられたものともいわれる。

ーーー

 日本の五節句

 人日(じんじつ)/陰暦正月七日「七草がゆ」

 上巳(じょうし)/陰暦3月3 日「桃の節句」

 端午(たんご)/陰暦5月5日「端午の節句」

 七夕(たなばた)/陰暦7月7 日「七夕祭り」

 重陽(ちょうよう) /陰暦9月9日「菊の節句」

 「端午の節句」は「女の子の行事」だった

 中国の「端午」の行事とは

 五月の

 最初の

 「午(うま・ゴ→馬・宇摩)の日」の行事

 日本においては、男性が戸外に出払い、女性だけが家の中に閉じこもって、田植えの前に穢れを祓い身を清める儀式を行う五月忌み(さつきいみ)という風習があり、これが中国から伝わった端午と結び付けられた。

 すなわち、

 端午は元々

 「女性の節句」だった。

 また、

 5月4日の夜から5月5日にかけてを

 「女天下」と称し、

 家の畳の半畳分ずつ

 あるいは

 家全体を

 女性が取り仕切る日とする慣習

 そこから

 5月5日を

 女の家(おんなのいえ)と

 称する風習が

 中部地方や

 四国地方の一部にみられる

 端午の日には

 粽(ちまき)や

 柏餅(かしわもち)を食べる風習

 ちまき(粽)を食べるのは、中国戦国時代の

 楚の詩人

 屈原の命日である

 5月5日に彼を慕う人々が彼が身を投げた

 汨羅江(べきらこう)にちまきを投げ入れて供養したこと、また、

 屈原の亡骸を

 魚が食らわないよう

 魚のえさとしたものが

 ちまきの由来とされる。

 柏餅を食べる風習は

 日本独自のもので、

 柏は新芽が出るまで

 古い葉が落ちないことから

 「家系が絶えない」縁起物として広まっていった。

 中国語圏では、現在も屈原を助けるために船を出した故事にちなみ、

 「龍船節」として

 「手漕舟(龍船あるいはドラゴンボート)」の競漕が行われる。

 ヨモギ(蓬、中国語=艾(アイ)・艾蒿(アイハオ)の束を

 魔よけとして戸口に飾る風習も、広く行なわれている。

    ↑

 ・・・以上の参考参照原文は「スベテウイッキペデア事典」からです・・・

ーーーーー

 枕草子

 (八段)

 正月一日、

 三月三日は、

 いとうららかなる。

 五月五日は

 曇りくらしたる。

 七月七日は

 曇り、夕がたは晴れたる空に

 月いとあかく、

 星のすがた見えたる。

 九月九日は、

 曉がたより

 雨少し降りて、

 菊の露も

 こちたく

 そぼち、

 おほひたる

 綿なども

 いたくぬれ、

 うつしの

 香も

 もて

 はやされたる。

 つとめては

 止みにたれど、

 なほ

 曇りて、

 ややもすれば、

 降り

 落ちぬべく

 見えたるも

 をかし。

ーーーーー

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