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コジキジゲン

楫=木+咠(口耳)・・・囁く楫取 美和子(かとり みわこ)

2023-10-31 12:46:01 | 古事記字源

 従容就義(ショウヨウシュウギ)・・・縦容就義・・・ムリ
 「就中(なかんづく)=その中でも・トリわけ」・・・シュウチュウ
      名換 付く
 ・・・「核の傘」・・・
    「茸=艹+耳=きのこ=木之子」の傘・・・?
 楫=木+咠(口耳)
    シュウ・ショウ
    かい・かじ
    かじ(舵)・かい(櫂)・舟をすすめる道具
    こぐ(漕ぐ)・舟をこぐ(漕ぐ) 
    ↓↑   
    咠=口+耳
      シュウ・ユウ
      ささやく(囁く)・耳もとでささやく(囁く)
      「ささ=支(シ・き)=篠=笹」譯(訳)?
    ↓↑
    支=シ・・・万葉仮名の発音「き」
      ささえる
      かう
      つかえる
      ささえる・もちこたえる・ふみこたえる
      わかれる・はなれる・枝分かれする
      えだ・木のえだ=枝
      てあし・人間や動物の手足=肢
      はらう・しはらう・わけ与える
      「十二支」
         干支=カンシ=冠詞・漢詩・環視・監視
        ブンシ=分枝=分枝・分子・分詞・分祀
            旻氏・文枝・文士・文司・文司・文志
            旻~日+文
            旻(みん・?~白雉四年(653年)六月
            飛鳥時代の学僧
            推古天皇十六年(608年)
            遣隋使
            小野妹子に従って
            高向玄理
            南淵請安らとともに
            隋へ渡り
            24年間にわたり同地で
            仏教のほか易学を学び
            舒明天皇四年(632年)八月日本に帰国           
            その後
            蘇我入鹿・藤原鎌足らに「周易」を講じた
            舒明天皇九年(637年)
            流星が現れた時には天狗の吠え声と主張
            舒明天皇十一年(639年)
            彗星が現れ飢饉を予告
            皇極天皇四年(645年)
            「乙巳の変」の後に
            高向玄理とともに
            国博士に任じられ
            大化五年(649年)
            高向玄理と
            八省百官の制を立案
            大化六年(650年)
            穴戸(長門)国司
            草壁醜経から
            白い雉が献上され
            祥瑞を説明し
            白雉と改元
            白雉四年(653年)五月
            孝徳天皇の見舞いを受けたが
            翌月死没
    支=つかえる・ふさがる
      つかえる・さしつかえる

 楫=木+咠(口耳)
 楫取 美和子(かとり みわこ)
 天保十四年(1843年)月日?~1921年(大正十年)9月7日)
 吉田松陰の妹
 禁門の変で
 夫
 久坂玄瑞が自害して未亡人
 後に実姉の元夫
 群馬県令・貴族院議員を歴任した男爵
 楫取素彦と再婚
 旧姓名
 杉 文(すぎ ふみ)・・・木に附いた爪痕(彡)の文?
             記紀      纂 
 ↓↑
 円満成就(エンマンジョウジュ)
 去華就実(キョカシュウジツ)・・・外見よりも中味
              ・・・外見も中身も不味い(拙い・稚拙)
                   中華よりも大和(大倭・大輪)
 将錯就錯(ショウサクシュウサク)
 従容就義(ショウヨウシュウギ)・・・縦容就義・・・ムリ
 心願成就(シンガンジョウジュ)・・・就中、ムリ
 進退去就(シンタイキョシュウ)
 日就月将(ジツシュウゲッショウ)・・・老化
 大願成就(タイガンジョウジュ)・・・・佛のサトリ
 半推半就(ハンスイハンシュウ)・・・・中途半端
 ・・・就寝時間・・・床に就くデス・・・
 ↓↑
 蕐=華・・・中華・華僑・・・樺太
   畢・・・畢竟=必竟=ヒッキョウ
       究極、至極、最終
       さまざまな経過を経ても
       最終的な結論としては
       つまるところ・結局
       とどのつまり
   ヒツ
   おわる・終わる・終える
   ことごとく
   完全に・みな・全て
   あみ・柄のついたあみ(網・罒)
   二十八宿の一つ
   あめふりぼし=雨降り星
   α+畢+β
   𠌫㓖彃嗶滭蓽㪤㮿㻫熚
   襅罼縪篳蹕䟆鏎䬛饆鞸
   魓韠驆鷝
   畢=ヒ・ビイ・ヒツ
   畢竟(ヒッキョウ)
   畢生(ヒッセイ)
   能事畢矣(ノウジヒツイ)
   畢竟寂滅(ヒッキョウジャクメツ)
   能事畢る(ノウジおわる)
 ↓↑
 傘=人+仌+十
   人+仌+十
   𠆢+人+人+十
     仌=人が人に重なる?
   ↓↑
  =仐=𠆢+十=𠆢+拾(足・充分)
     𠆢(人)が
     文字構成の冠に位置するとき
     「ひとやね・ひとがしら」・・・?
       𠆢=屋根=樑
       人=人頭
       仐=𠆢+一(梁)+丨(柱)
      樑=はり・うつばり=梁=屋根を支える横木
     亼=人+一=「会合・集合」
   ↓↑
  =伞=𠆢+丷+十
    =𠆢+ハ+十
  =𠆢+仌+干+仌
   サン
   かさ
   からかさ(唐傘・唐笠)=トウサン
   あめがさ(雨傘・雨笠)=ウサン
   ひ がさ(日傘・日笠)=ジツサン・ニチサン
        日=囸=囗+正
        正=「下+丄=上」
        正=丅(下)+-(丶)+丄(上)
  ↓↑
  仌=ヒョウ
    こおる・こおり=冰=冫・・・?
    仌=人と人が縦に重なる
      👯
  从=従=ジュウ・ショウ・したがう・・・随行
   =人と人が横に並(なら)ぶ・並列
  ↓↑
  人=丿+丶=亻=ノ+丨
  𠆢 =丿+乀・・・亼=𠆢+一=集合
  入=ノ+乀=入行
  ⺈=ノ+フ
    シアン
    人々が崖の上に立つ
    非常に高い
    頭頂・生物の頭(⺈)の部分
  ↓↑
  人(ひと・ジン・ニン)≠ 𠆢 (屋根の垂木)
  仐=𠆢(垂木)
    ✛
    十=一(棟木)+丨(柱)
 ↓↑
 蕐=艹+一+仌+十+仌+一
   艹+一+仌+十+仌
   艹+一+人+人+十+人+人+一
   カ・ケ・ゲ
   はな
   しろい
   草木の花の総称
   はなが咲く・はなさく
   はなやか・美しい・さかえる・立派
   いろ・いろどり
   白い・白髪・おしろい
   大陸中国の自称
   山の名
  =華=华=花
 ↓↑
ーーーーー

 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・

 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?

 ↓↑
 モウ君の総合目次
 ↓↑
  コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
 ↓↑
 古事記と虎関師錬
 ↓↑
鉄腕アトムのロボット法を
思い出して
これを
貼り付けてみたけれど・・・
AIの記憶・・・まだ、若いみたい・・・

オジタリアンと「鉄腕あとむ」の「ポ

コメント
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欠漏=闕漏=缺漏(ケツロウ)・・・「名を闕(もら)せり」とは?

2023-10-29 19:43:34 | 古事記字源

 突厥・・・抜粋、頭出し・・・芦名・蘆名・蘆品・葦名
 突厥
 出典 ウィキペディア(Wikipedia)

 突厥(トッケツ・テュルク=Turuk)可汗国
 ↓546年~582年↓
 丁零(テイレイ・Dīngling)
 紀元前3世紀~紀元5世紀に
 バイカル湖南方~セレンゲ川流域の
 モンゴル高原北部や
 南シベリアに住んでいた
 丁令=丁霊=勅勒(チョクロク)
 5世紀~6世紀では
 高車
 6世紀~8世紀では
 鉄勒(テツロク)とも呼ばれた

 柔然(ジュウゼン=Rouran)
 5世紀~6世紀
 モンゴル高原を支配した遊牧国家
 『魏書』『北史』『南史』などでは
 「蠕蠕(ゼンゼン)」
 『宋書』『南斉書』『梁書』などでは
 「芮芮(ゼイゼイ)」
 『周書』『隋書』などでは
 「茹茹(ジョジョ)」
 『晋書』では
 「蝚蠕(ジュウゼン)」と表記
 ↓↑
 蠕蠕(ゼンゼン)=虫など小さいものがうごめくさま
         〔史記索隠‐匈奴伝〕
 ↓↑
 エフタル(英語 Hephthalite・パシュトー語)
 5世紀~6世紀
 中央アジアに存在した遊牧国家
 名称は史料によって異なる
 インド フーナ (Hūna),シュヴェータ・フーナ (白いフン)
 サーサーン朝 スペード・フヨーン(白いフン)
       ヘテル (Hetel)
       ヘプタル (Heptal)
 東ローマ帝国 エフタリテス (Ephtalites)
 アラブ    ハイタール (Haital)
 アルメニア  ヘプタル (Hephtal)・イダル (Idal)
       テダル (Thedal)
 中国史書  嚈噠(ヨウタツ・Yandā)
       挹怛(ユウタツ・Yida)
       挹闐(ユウテン・Yitian)
       白匈奴=白いフン
 西突厥 →突厥の位置
 6世紀、突厥の最大版図
 ↑エフタル 546年~582年 東突厥↑
 公用語 ソグド語、古テュルク語
 首都 ウテュケン山
 可汗
 546年~ 552年 伊利 可汗
 553年~ 572年 木汗 可汗
 587年~ 599年 都藍 可汗
 建国 552年
 分裂 582年
 突厥(トッケツ・テュルク
    トルコ語: Gokturkーギョクテュルク)
    中央ユーラシアに存在した
    テュルク系遊牧国家
 ジュンガル盆地北部~トルファン北方の山麓
 テュルク系部族と考えられ
 柔然に隷属
 柔然の命令で
 アルタイ山脈の南麓へ移住
 鍛鉄奴隷として鉄工に従事
 ↓↑
 552年
 柔然から独立
 部族連合国家
 突厥可汗国(突厥帝国)を建国
 中央ユーラシアの覇者となった
 ↓↑
 582年
 東西に分裂した
 東突厥・西突厥
 ↓↑
 民族自身は「テュルク」と自称
 「テュルク=強力な(もの)」とする説
 ↓↑
 テュルクは漢字を用いていなかった
 中国語の漢字表記
 突=穴+大=突=穴+犬
   宀+八+一+八
   曲突徙薪(キョクトツシシン)
   孔席墨突(コウセキボクトツ)
   豬突豨勇(チョットツキキュ)
   猪突猛進(チョットツモウシン)
   唐突千万(トウトツセンバン)
   突怒偃蹇(トツドエンケン)
 厥=厂+欮
   厂+屰+欠
   厂+䒑+屮+丿+乛+人
   厂+丷+一+凵+丨+丿+乛+人
   クツ・ケツ
   その・それ
   ほる・石を掘る
   まげる・くぼむ・・・曲げる・窪む・凹
   ぬかずく・丁寧にお辞儀する
   のぼせる・嘔吐する・そのような病気
   トルコ系の遊牧国家の
   突厥(トックツ・トッケツ)
   欮(ケツ・のぼせる・逆流する)
   瘚(ケツ・血液が頭にのぼる、のぼせ・冷えの症状)
   闕(ケツ・かく・かける・のぞく=欠=缺=缶+夬
     足りない・不足する・・・足=あし=脚・蘆=葦・芦
                 足=👣=たり=拾
     とりのぞく・・・「鷄・鶏・鵻・とり」覗(のぞ)く
     あやまち・過失
     もん=宮殿の門
     宮殿・宮城・天子のいる所)
     ↓↑
     拾遺補闕(シュウイホケツ)・・・
     誤りを見つけて正し補うこと
     ↓↑
     欠字=闕字=缺字(ケツジ)
     欠文=闕文=缺文(ケツブン)
     欠漏=闕漏=缺漏(ケツロウ)・・・名を闕(もら)せり
     夬=ユ+人
       カイ・ケツ
       き(決)める
       ゆがけ
       わける
       きめる・区別する・決断する
       易(エキ)の六十四卦の一
       弓掛=ゆがけ・指にはめる道具

    蕨=艹+厥
      艹+厂+欮
      ケツ・わらび・・・珍敷塚古墳の蕨手文
 ↓↑
 突厥
 漢字の意味
 『周書』異域伝・『隋書』北狄伝では
 「彼らが住んでいた金山(アルタイ山脈)の形が
  兜鍪(トウボウ・かぶと)の形に似ていたことから
  突厥を部族名とした」
 と記述
 ↓↑
 突厥の起源
 「西丁零」
 で原住地はイェニセイ川上流域
 鉄鉱石が豊富な地で
 突厥が
 「鍛奴(鍛鉄奴隷)」
 と呼ばれた
 匈奴支配時期に製鉄技術を学び
 3世紀には鉄器の使用が普及
 「阿史那」氏の
 「突厥」部は
 南のアルタイ山脈を越え
 トルファン西北のボグダ山
 天山山脈に移り住むと
 鍛鉄技術をもって急速に発展し
 テュルク系諸族の中での最強部族となった
  ↓↑
 『周書』
 「突厥人は
  匈奴の別種で
  姓は
  阿史那氏
  阿史那の始祖は狼
  子孫は繁栄し数百家となった
  数世代を経て
  茹茹(柔然)に臣従した
  彼らは金山(アルタイ山脈)の南側に住み
  茹茹の鉄工となった
  金山の形が
  兜鍪に似ており
  俗に兜鍪を
  突厥と言うため、それを号とした
  或いは
  突厥の祖先は
  索国の出で、匈奴の北に在った
  その部落大人(たいじん:部族長)は
  阿謗歩といい兄弟が17人いた
  阿謗歩らは愚かなため、国を滅ぼした
  兄弟の一人である
  伊質泥師都は
  狼から生まれ・・・・おおかみ=大神?
  風雨を呼び寄せる能力を持ち
  夏神の娘と
  冬神の娘の2人を娶り
  四つ子を生んだ
  その一人である
  大児は
  踐斯処折施山に住み
  山上にある
  阿謗歩の一族を
  寒露から助けたため
  主(あるじ)に推戴され
  訥都六設となり
  突厥と号した
  訥都六設には10人の妻がいて
  全ての子は皆母方の一族の姓を名乗り
  阿史那は愛妻の子である
  訥都六設が死ぬと
  10人の母は子の中から一人を選ぶべき
  大樹の下に集り
  木へ最も高く飛べた者を・・・高木の神?
  立てると誓った
  阿史那の子は幼かったが
  最も高く跳んだので
  諸子から長に推戴され
  阿賢設と号した
  ↓↑
 『隋書』・・・随処・随筆・随分・随従・・・
 「突厥の先祖は平涼の
  雑胡で
  姓は阿史那氏
  後魏(北魏)の
  太武帝が
  沮渠氏を滅ぼしたため
  阿史那は五百家をもって
  茹茹(柔然)に走り
  代々金山に住んで鉄工に従事した
  その金山の形状が
  兜鍪のようであり
  俗に兜鍪を突厥と呼ぶため
  突厥を号とした
  或いは
  その先祖は西海の北に国があったが
  隣国に滅ぼされ、老若男女尽く殺された
  一児のみは殺すのに忍びず
  足の筋と腕を切断して大沢の中に棄てた
  一頭の牝狼が・・・女の大神=天照大神?
  毎日そこで肉を与え
  死なずに済んだ
  後、男児は狼と交わりを遂げ、狼は身篭った
  隣国の人間は再び人に命じて男児を殺させると
  その側に雌狼が居た
  派遣された者は殺そうとしたが
  雌狼は神によって
  忽然として海東へ至り、山上に止まった
  その山は高昌の西北に在り
  下ると洞穴があった・・・岩戸隠れの洞窟?
  雌狼が中に入ると
  方200余里の草の茂る平坦地に出た。
  後、雌狼は10の男子を生み
  その中の一姓が
  阿史那氏で、最も賢く、君長となった
  故に牙門には狼頭の飾りを設け、
  本源を忘れていないことを示す」
 ↓↑
 モンゴルの歴史
 モンゴル高原
 獫狁 葷粥 山戎
 戎狄
 月氏 匈奴 東胡
 南匈奴
 丁零 鮮卑
 高車 柔然
 鉄勒 突厥
  東突厥
 回鶻
 黠戛斯    達靼    契丹
 ナイマン  ケレイト 大遼
(乃蛮)  (客烈亦)  モンゴル
 ↓↑
 モンゴル帝国
 大元(嶺北行省)
 ドチン・ドルベン
 (ハルハ・オイラト)
 大清(外藩・外蒙古)
 大モンゴル国
 モンゴル人民共和国
 モンゴル国
 ↓↑
 勃興
 訥都六設(ナテュルク・シャド)の孫
 吐務(トム)
 は
 大葉護(だいヤブグ)と号し、柔然の臣下
 彼には2人の子がおり
 長男は土門(ブミン・カガン)
 次男は室點蜜(イステミ・カガン)
 吐務が死ぬと
 土門が後を継いだ
 5世紀後半は
 柔然隷属下の
 奴役部族が
 逃亡・反抗を繰り返していたが
 487年
 高車諸部族10万人が
 30年に及ぶ大規模な反乱を起こすと
 力が衰えた
 柔然の
 突厥部への統制は緩和され
 制約を脱すると
 畜産品や鍛鉄による手工芸品を生産
 西魏や西域との貿易を行い
 6世紀初頭には
 西魏との間に正式な通商が結ばれた
 ↓↑
 西魏の
 大統十二年(546年)
 北の
 鉄勒が
 柔然を攻撃してきたため
 土門は
 突厥部を率いて迎撃
 5万余を降伏させた
 土門はこれに乗じて
 柔然に求婚
 柔然可汗の
 阿那瓌(在位:520年~552年)は
 突厥が
 鍛鉄奴隷の身分なので激怒
 土門はその使者を斬り
 柔然の支配から離脱し
 西魏に遣使を送って朝貢し、西魏に求婚した
 大統十七年(551年)六月
 土門は西魏の
 長楽公主を娶って妻とした
 西魏の文帝が崩御したので
 土門は遣使を送って弔問し、馬200匹を贈った
 廃帝元年(552年)一月
 土門は柔然を撃ち、懐荒の北にて大破
 阿那瓌は自殺し
 その子の
 菴羅辰は北斉へ逃れ
 柔然の余衆は
 阿那瓌の叔父である
 鄧叔子を立てて可汗とした
 土門は
 伊利 可汗・・・
 イリ=崇神天皇=ミマキ「イリ」ヒコイニエ
    垂仁天皇=イクメ「イリ」ヒコイサチ
    崇神天皇の子
    トヨキ「イリ」ヒコ・トヨキ「イリ」ヒメ
 と号して独立し
 突厥可汗国を建国
 ↓↑
 北周・北斉・陳・後梁と突厥
 伊利 可汗が亡くなると
 子の
 乙息記 可汗(在位:552年~553年)
 が継いだが、まもなく亡くなったため
 その弟である
 木汗 可汗
 (ムカン・カガン・在位:553年~572年)
 が後を継いだ
 木汗 可汗は即位し
 柔然を撃ち滅ぼし
 柔然の残部は北斉に亡命
 北斉は突厥を征討し突厥が敗れる
 木汗 可汗は
 西の嚈噠(挹怛・エフタル)を破り
 東の契丹を敗走させ
 北の契骨(キルギズ)を併合
 突厥の版図は
 東が遼海(渤海?)以西
 西が西海(アラル海)に至り
 南は沙漠(ゴビ砂漠)以北
 北は北海(バイカル湖)に至る
 大帝国となった
 木汗 可汗は
 西魏に
 鄧叔子の誅殺を請願
 西魏の
 宇文泰はこれを許可し
 鄧叔子を青門外で殺した
 北朝と好を結び
 互いに姻戚関係
 初めは北周と北斉の両方から求婚されていたが
 木汗可汗は北周を選び
 保定三年(563年)~保定四年(564年)
 北斉討伐に参加
 突厥と北周の関係は良好
 ↓↑
 次の
 他鉢 可汗(在位:572年~581年)
 577年に滅んだ北斉の残党と組むようになり
 北周の北辺を侵した
 北周は何度か突厥と交渉し
 大象二年(580年)
 北斉の残党である
 高紹義を連行
 ↓↑
 581年
 他鉢 可汗が病死
 子の
 菴羅が即位したが
 木汗 可汗の子の
 大邏便
 が心服せず、制御できなかったので
 大可汗位を
 爾伏 可汗(ニワル・カガン)
 であった
 摂図に譲った
 国人たちも
 「四可汗
 (乙息記可汗・木汗可汗・他鉢可汗・褥但可汗)」
 の子の中では
 摂図が最も賢い」とし
 摂図は正式に即位して
 沙鉢略可汗(イシュバラ・カガン)と号し
 都斤山(鬱督軍山、ウテュケン山)を都とした
 摂図(沙鉢略可汗)は
 大邏便が今まで
 官位をもったことがないので
 阿波可汗(アパ・カガン)・・・淡路島?
 という称号を与えた
 2月
 北周の
 静帝が
 楊堅に禅譲し
 隋が建国
 北斉の営州刺史だった
 高保寧
 が北方民族と結託して反乱を起こした
 沙鉢略可汗はこれと合流し
 臨渝鎮を攻め落とした
 その後も
 反乱軍は
 隋軍に勝利し
 隋の北辺を侵した
 ↓↑
 開皇二年(582年)冬
 隋の
 文帝
 楊堅は
 河間王楊弘・上柱国の
 豆盧勣・竇栄定
 左僕射の
 高熲・右僕射の
 虞慶則
 を元帥とし
 長城を出て反撃
 沙鉢略 可汗は
 阿波 可汗
 貪汗 可汗
 らを率いて迎撃するが、敗走し
 飢えと疫病に悩まされ撤退した
 沙鉢略 可汗は
 阿波可汗
 の気性が荒いのを危惧し、先に
 阿波可汗
 の領地へ向かい
 その部落を襲撃し
 阿波 可汗
 の母を殺した
 阿波可汗は
 西の
 達頭 可汗(タルドゥ・カガン)のもとへ亡命
 達頭 可汗は
 阿波 可汗に兵をつけて
 沙鉢略 可汗を攻撃させた
 貪汗可汗
 や
 沙鉢略可汗
 の従弟の
 地勤察などが離反し
 阿波 可汗に附いた(これが西突厥となる)
 ↓↑
 沙鉢略可汗
 西の
 達頭可汗に悩まされ
 東の
 契丹を畏れたので
 隋に救援を求め
 白道川内に移り住むことを許された
 後
 沙鉢略可汗は
 晋王楊広より補給をもらい
 これにより
 阿波可汗を攻撃して捕えることができた
 ↓↑
 開皇七年(587年)一月
 沙鉢略 可汗は
 子を遣わして朝貢
 沙鉢略 可汗の牙帳が火事になったため火傷を負った
 その数カ月後、沙鉢略可汗は死去
 遺言により弟の
 処羅侯
 が立つが
 甥の
 雍虞閭
 に譲ろうとして
 両者譲り合いをした結果・・・似ている事項
 ↓↑      ↓↑
    顕宗天皇 第23代天皇
    諱  弘計
       来目稚子
    別称 弘計天皇
       袁祁王
       袁祁之石巣別命
       袁奚天皇
    市辺押磐皇子の第三子
    母は葛城蟻臣(ありのおみ)の女の
    荑媛(はえひめ)
    同母姉に飯豊女王
    同母兄に億計天皇(仁賢天皇)
    ↓↑
    仁賢天皇 第24代天皇
    諱  大脚
       大為
       億計
    別称 億計天皇
       大石尊
       意祁命
       意富祁王
 ↓↑
 結局遺言どおり
 処羅侯が
 葉護 可汗(ヤブグ・カガン)として即位
 雍虞閭は
 葉護(ヤブグ:大臣)となった
 即位後まもなくの
 第一次ペルソ・テュルク戦争で
 葉護 可汗が流れ矢にあたって死去
 ↓↑
 国人たちは
 雍虞閭を立てて
 都藍 可汗(在位:587年~599年)
 都藍 可汗は
 隋に朝貢
 開皇十二年(592年)
 大義公主は
 西突厥の
 泥利 可汗と謀反を起こし
 都藍 可汗は
 大義公主を斬首
 都藍 可汗は
 達頭 可汗と敵対
 文帝はこれを和解させ、双方は兵を引いた
 ↓↑
 隋による離間策
 開皇17年(597年)
 沙鉢略 可汗の子の
 染干は
 突利 可汗と号して
 勝手に隋と関係をもったことから
 大可汗の
 都藍 可汗は激怒し
 隋と国交を断絶し、たびたび辺境を侵した
 開皇十九年(599年)
 隋は
 漢王の
 楊諒を元帥として
 都藍 可汗を撃たせた
 都藍 可汗は
 達頭 可汗と組んで
 突利 可汗を攻撃し
 その兄弟子姪を殺した
 突利 可汗は
 長孫晟
 と隋に逃亡
 六月
 高熲・楊素は
 達頭 可汗を撃ち大破
 文帝は
 突利 可汗を拝して
 意利珍豆啓民 可汗(在位:587年~609年)
 とし
 義成公主を娶らせた
 なおも
 都藍 可汗が
 啓民 可汗を攻撃し
 隋の辺境を侵すので
 越国の
 公楊素
 行軍総管の
 韓僧寿
 太平公の
 史万歳
 大将軍の
 姚辯の軍勢は
 都藍 可汗を攻撃
 十二月
 都藍 可汗
 が部下に殺され
 達頭 可汗は
 歩迦 可汗となって
 啓民 可汗と対立
 隋と組んだ
 啓民 可汗の方が優位となった

 仁寿元年(601年)
 啓民 可汗に付属していた
 鉄勒の
 斛薛(こくせつ)部などの諸部が叛いたので
 文帝は詔で
 楊素を雲州道行軍元帥とし
 啓民可汗を率いて北征させた
 歩迦 可汗はふたたび
 啓民 可汗を攻めたが敗北し
 吐谷渾に奔走
 ↓↑
 東突厥
 ↓↑
 7世紀初め
 東西突厥可汗国
 ↓↑
 啓民 可汗の代
 毎年数回は隋に朝貢
 子の
 始畢 可汗(在位:609年~619年)
 の代になると
 隋朝の衰えに乗じて中国に侵入
 朝貢を行わなくなった
 大業十三年(617年)五月
 唐公の
 李淵
 より援軍の要請があり
 始畢 可汗は
 2千騎の援軍を派遣して
 隋朝打倒に協力し
 翌年(618年)
 隋が滅んで
 唐が建国された
 始畢 可汗は
 唐に使者を送って入朝させたが
 武徳二年(619年)
 梁師都
 劉武周
 とともに中国侵入を謀ったが
 始畢 可汗はその年に死亡

 頡利 可汗(在位:620年~630年)
 東突厥は頻繁に中国へ侵入略奪
 唐は東突厥を撃退するが手を焼いていた
 貞観元年(627年)
 薛延陀部
 鉄勒諸部が
 東突厥に叛き
 東突厥に臣従していた諸民族が離反
 貞観三年(629年)
 唐の太宗は大規模な東突厥討伐を行い
 小可汗の
 突利 可汗(テリス・カガン)
 らを投降させる
 翌年(630年)には
 大可汗の
 頡利 可汗
 が捕えられ
 東突厥は一時滅んで
 唐の羈縻支配下に入る
 ↓↑
 永淳元年(682年)
 阿史那骨咄禄が
 イルティリシュ・カガン(古テュルク語: - İltiriš-qaγan)
 ↓↑ ↓↑   ↓↑
 伊利氐 里主  化頑(玩・嵓・岩・元・丸)・・・
 イリ=崇神天皇=ミマキ「イリ」ヒコイニエ
     垂仁天皇=イクメ「イリ」ヒコイサチ
    崇神天皇の子
    トヨキ「イリ」ヒコ・トヨキ「イリ」ヒメ
 ↓↑
 と号して
 唐の
 羈縻支配を脱し
 独立(突厥第二可汗国)
 阿史那
 骨咄禄は
 武則天政権の唐にたびたび侵入・略奪
 唐朝は武則天の帝位簒奪で
 周王朝が建てられる(690年)
 ↓↑
 東突厥の
 キュル・テギン
 阿史那
 骨咄禄が死亡し
 弟の
 阿史那
 默啜(古テュルク語: - Qapγan-qaγan - カプガン・カガン)
 初めは周朝に入朝したが
 唐朝を復活させようと中国侵攻
 武則天は唐の
 廬陵王
 を皇太子とすることで
 東突厥の中国侵攻を防いだ
 神龍元年(705年)
 武則天が
 廬陵王に譲位して・・・中宗=廃帝以降は廬陵王
 唐復活
 阿史那
 默啜
 西方攻略、鉄勒討伐中に戦死
 阿史那
 骨咄禄の子
 默棘連
 は阿史那 默啜の一族を殺し
 毘伽可汗・・・・毘古?
 (Bilga Qaγan - ビルゲ・カガン・在位:716年~734年)
 となり
 闕特勤(古テュルク語: - Kul Tigin - キュル・テギン)
 や
 暾欲谷(古テュルク語: 𐱃𐰆𐰪𐰸𐰸 - Tonyuquq - トニュクク・阿史徳元珍)
 とともに国政し
 唐に対しても友好的外交
 ↓↑
 毘伽可汗の死後は東突厥内部で争いが頻発し
 短命な可汗が交代するようになる
 この衰えに乗じた
 回紇(ウイグル)
 葛邏禄(カルルク)
 抜悉蜜(バシュミル)
 の3部族によって
 東突厥の可汗が殺され、東突厥は滅亡
 ↓↑
 西突厥
 統葉護 可汗(在位:619年頃~628年)
 が最盛期
 統葉護可汗の死後は内部分裂を繰り返し
 二可汗並立の時代が続く
 太宗の崩御に乗じて
 阿史那
 賀魯
 が一時的に勢いを盛り返すが
 高宗の討伐軍に敗れ
 阿史那
 賀魯が捕えられ
 西突厥も
 唐の羈縻支配下
 ↓↑
 羈縻政策下
 阿史那
 賀魯
 征討に功のあった
 阿史那 弥射
 阿史那 歩真
 の二人によって
 西突厥諸部が統括
 両家が代々可汗位を襲名し
 唐の反乱鎮圧などに参加
 ↓↑
 長寿年間(692年~694年)
 弥射家の
 興昔亡 可汗
 が途絶え
 741年頃
 歩真家の
 十姓可汗の
 阿史那昕
 が
 突騎施(テュルギシュ)の
 莫賀達干(バガ・タルカン)に殺され
 西突厥の
 阿史那氏可汗が滅亡
 西突厥で
 突騎施部が台頭
 以後
 突騎施部は
 黄姓・・・虎=寅=北東
 黒姓・・・玄武=亀+蛇=子=北
 に分かれて互いに争った

 大暦年間(766年~79年)後
 葛邏禄(カルルク)族が隆盛
 黄姓と黒姓の
 突騎施二姓は
 葛邏禄に臣従
 その他は
 回鶻(ウイグル)に属し
 西突厥は滅亡
 ↓↑
 碑文(6世紀-8世紀ころ)
 テュルク(突厥)は
 匈奴や柔然などと同様、遊牧民
 氊帳(穹廬)に住み
 水草を追って移動し
 牧畜と狩猟を生業とした
 老人を賤しみ
 壮健な者を貴び
 戦で死ぬのを重きとし
 病で死ぬのを恥とした
 食事は
 肉を主食に酪(らく:ヨーグルトの類)を飲み
 葡萄酒は作らず
 馬乳酒を作って飲む
 可汗は
 金銀の食器と
 黄金の家具を使用
 遊牧国家同様
 婚姻において
 夫に先立たれた妻は
 夫の兄弟の妻となる
 レビラト婚形式・・・
 刑法
 謀反を起こした場合
 殺人及び姦人の婦
 馬を盗んだ場合は
 皆死罪
 葬儀は
 死者をまず帳に留めて
 近親の男女と羊馬を殺して帳前に陳列し、祭り
 弔問者は
 7回顔に傷をつけて血と涙を流した後
 死者を馬具や副葬品と一緒に火葬
 毎年諸貴人を率いて
 先祖が生まれたとされる洞窟を祭り
 五月中旬に
 川の畔に人を集めて
 羊馬を殺して
 天神を祭った
 鬼神を敬い・・・卑弥呼の鬼道
 巫覡(フゲキ・かんなぎ)を信じた
 ↓↑
 突厥は
 東は中国
 西は東ローマ帝国・ペルシャと
   中央アジアのシルクロードを利用し
   東西交易
 ↓↑
 テュルク(突厥)の言語はテュルク語
 支配民族であるテュルク系の遊牧民のみが使用し
 可汗国全体の公用語は
 ソグド語を使用
 ソグド人が
 シルクロード交易において優越的な立場で
 中央アジアから中国に至るまでの地域で
 ソグド語が広く使用されていたため
 ↓↑
 突厥文字
 5世紀に独自の文字を持った
 1889年以後に
 モンゴル高原で
 数々の突厥碑文が発見
 東アジアにおいて
 漢民族以外で独自文字を持った
 初めのうち(第一可汗国期)の公用語では
 ソグド文字
 や
 ブラーフミー文字
 を使用
 ↓↑
 突厥碑文
 『ビルゲ・カガン碑文』
 「ホルホン碑文」
 初めはソグド文字=ソグド語で記した碑文であったが
 第二可汗国時代
 突厥文字を用いて、自らの言語(テュルク語)を記した
 ↓↑
 第一可汗国時代の碑文
 『ブグト碑文』
  第4代
  他鉢 可汗(タトパル・カガン、在位:572年~581年)
  ソグド文字=ソグド語
  裏面は
  ブラーフミー文字=サンスクリット語
  で記された
 ↓↑
 第二可汗国時代の碑文
 『オンギン碑文』 突厥文字=テュルク語
 『イフ・ホショト(キュリ・チョル)碑文』
  突厥文字=テュルク語
 『チョイレン銘文』 突厥文字=テュルク語
 『バイン・ツォクト(トニュクク)碑文』
  突厥文字=テュルク語・裏面は漢字=漢語
 『ホショ・ツァイダム碑文』
 (ビルゲ・カガン碑文・キュル・テギン碑文)
 突厥文字=テュルク語・裏面は漢字=漢語
 ↓↑
 遊牧国家同様
 突厥もシャーマニズムを信仰
 他鉢可汗(タトパルカガン・在位:572年~581年)時代
 仏教に帰依した
 ↓↑
 貨幣(679年以降)
 戦争業・牧畜業・製鉄業・農業・手工業
 人々は武芸を修練し戦争に参加
 多くの奴隷を抱える奴隷制社会
 供給源は犯罪者・戦争捕虜・略奪による拉致
 征服部族は奴隷使役
 奴隷や隷属部族は
 苦役を課され反乱が絶えなかった
 ↓↑
 政治体制
 君主は
 カガン(Qaγan・可汗)
 柔然と同様で皇帝
 皇后はカガトゥン(Qaγatun・可賀敦)・・・詘・加賀・歌雅?
 親族が名乗る
 テギン(Tagin・特勤)
 ↓↑
 以下の順の官職
 ヤブグ(Yabγu、葉護)
 可汗国の西部(タルドゥシュ:Tarduš)を統括する高官
 阿史那氏の中から任命
 シャド(Šad、設)
 可汗国の東部(テリス:Tolis)を統括する高官
 阿史那氏の中から任命
 東突厥の始畢可汗以降は小可汗の代わりとして機能
 チュル(Čur・啜)
 イルキン(Irkin・俟斤)
 被支配部族の部族長(匐・ベグ・bag)に与えられる称号
 イルテベル(Iltabar、頡利発=俟利発)
 被支配部族でも
 有力部族の部族長ベグ(bag・匐)に与えられる称号
 トゥドゥン(Tudun・吐屯)
 中央から派遣され
 被支配諸族の監視・徴税をおこなう官職
 アパ(Apa・阿波)・・・阿波・安房・泡・沫・粟・淡路島?
 タルカン(Tarqan・達干)
 閻洪達
 ブイルク(Buiruq・梅録)
 「指揮官」の意・護雅夫=「命令する=buyur」
 「命ずるもの」の意
 およそ28の官職・・・二十八宿宿曜
 官職は代々世襲
 父兄が死ぬと子弟が後を継いだ
 権限の範囲がはっきりとせず、定員も無かった・・・
 ↓↑
 首都
 ウテュケン山(Utukan yiš、鬱督軍山)
 牙帳は
 東側を入口とし
 「日の出」を敬った・・・日の丸「日本=倭」
 ↓↑
 君主=カガン
 大可汗
 国家(イル:el)の最高権力者・・・伊利?
 即位の際は国の有力者たちの協議によって
 テュルクの中心氏族
 阿史那氏の中から選出
 基本は父子相続
 木汗 可汗(在位:553年~572年)以降
 兄弟相続の傾向
 協議の決定は
 先代の遺言や
 母親の尊卑に左右
 ↓↑
 小可汗=大可汗によって選ばれ、基本的には東西に1人ずつ置かれる
 可汗の即位
 近侍重臣らは新たに即位する者を
 フェルトで担ぎ
 太陽のまわる方向に
 9回まわし、1回ごとに臣下が拝礼
 拝礼後
 新可汗を馬に乗せ
 絹の布切れで気絶寸前まで首を絞める
 ゆるめたら
 「おまえは何年可汗になっていれるか?」
 と問う
 意識が乱れている新可汗は
 年数を明確に考えることができない
 臣下らはその答えた年数で
 可汗の在位年を計る・・・
 ↓↑
 歴代君主
 突厥部
 訥都六設(大児)
  伊質泥師都の子
 阿賢設…訥都六設の子
 大葉護(吐務)
  都六設の孫
 伊利 可汗(土門)
  大葉護の長子
 ↓↑
 突厥可汗国
 伊利 可汗(イリグ・カガン、土門、ブミン・カガン)
 (552年~ 553年)
 柔然から独立し
 突厥可汗国を開く
 乙息記 可汗(科羅、逸可汗)
  (553年)
  伊利 可汗の子(『隋書』では弟)
 木汗可汗(ムカン・カガン、俟斤、燕都)
 (553年 - 572年)
  乙息記 可汗の弟
  柔然を滅ぼし
  中央アジアの
  エフタルを攻略して最盛期を築く
 他鉢 可汗(タトパル・カガン)
 (572年~581年)
  木汗 可汗の弟
 阿史那菴羅(581年)
 他鉢 可汗の子
 沙鉢略 可汗(イシュバラ・カガン・摂図)
 (581年~587年)
  乙息記 可汗の子
 阿波 可汗(大邏便)・・・阿波
 (581年~587年)
  木汗 可汗の子
 葉護 可汗(ヤブグ・カガン、処羅侯)
 (587年)
 摂図の弟
 頡伽施多那都藍 可汗(雍虞閭)
 (587年~599年)
  摂図の子
 ↓↑
 東突厥
 啓民 可汗(染干)
 (587年~609年)
  沙鉢略 可汗の子、都藍 可汗の弟
 始畢 可汗(咄吉世)
 (609年~619年)
  啓民 可汗の長男
 隋に攻め入り朝貢を停止する
 処羅 可汗(俟利弗設)
 (619年~620年)
  啓民 可汗の次男
 頡利 可汗(イリグ・カガン、咄苾)
 (620年~ 630年)
  啓民 可汗の三男、唐に降伏し、東突厥は一時滅ぶ
 突利 可汗(テリス・カガン、什鉢苾)
 (620年~631年)
  始畢 可汗の子
 ↓↑
 羈縻(きび)政策下
 乙弥泥孰俟利苾 可汗(思摩)・・・しま
 (639年~644年)
  頡利 可汗の族人
 乙注車鼻 可汗(斛勃)
 (?~ 650年)
 ↓↑
 突厥別部
 阿史那 泥孰匐
 (679年~680年)
 阿史那 伏念
 (680年~681年)
  頡利 可汗の従兄の子
 ↓↑
 突厥第二可汗国
 阿史 骨咄禄(クトゥルグ、イルティリシュ・カガン)
 (682年~690年頃)
  頡利可汗の疏属、唐から独立して東突厥を再興させる
 阿史那 默啜(カプガン・カガン)
 (690年頃~716年殺)
  骨咄禄の弟
 毘伽 可汗(ビルゲ・カガン、默棘連)
 (716年~734年殺)
  骨咄禄の子
 伊然 可汗(イネル・カガン)
 (734年)
  毘伽 可汗の子
 登利 可汗(テングリ・カガン)
 (734年~741年殺)
  伊然 可汗の弟
 骨咄葉護(クトゥ・ヤブグ)
 (741年~742年殺)
 頡跌伊施 可汗(イルティリシュ・カガン)
 (742年~744年殺)
  抜悉蜜部の長
 烏蘇米施可汗(オズミシュ・カガン)
 (742年頃~744年殺)
  判闕特勤の子
 白眉可汗(鶻隴匐)
 (744年~745年殺)
  烏蘇米施可汗の弟
 (745年、ウイグルによって東突厥滅ぶ)
 ↓↑
 西面 可汗
 室點密 可汗(室点蜜・瑟帝米・イステミ、シルジブロス、ディザブロス)
  (562年~576年)
  大葉護の子、伊利 可汗の弟
 達頭 可汗(玷厥、歩迦 可汗、タルドゥシュ・カガン)
  (576年~603年)
  室点蜜の子
 ↓↑
 西突厥
 阿波 可汗(大邏便、アパ・カガン)
 (581年~587年)
  木汗 可汗の子
 泥利 可汗(ニリ・カガン)
 (587年)
  鞅素特勤の子、木汗 可汗の孫
 泥撅処羅 可汗(達漫、曷薩那可汗)
 (587年~611年)
  泥利 可汗の子
 射匱 可汗
 (612年頃~619年)
  達頭 可汗の孫、泥撅処羅 可汗の叔父
 統葉護 可汗 (トン・ヤブグ・カガン)
 (619年~628年)
  射匱 可汗の弟
 莫賀咄侯屈利俟毗 可汗
 (628年~630年)
  統葉護 可汗の伯父
 肆葉護 可汗(咥力特勤)
 (628年~632年)
  統葉護 可汗の子
 咄陸 可汗(泥孰莫賀設、大渡 可汗、奚利邲、テュルク・カガン)
 (632年~634年)
  族人により擁立される
 沙鉢羅咥利失 可汗(同娥設、イシュバラ・テリシュ・カガン)
 (634年~639年)
  咄陸 可汗の弟
 乙毗咄陸 可汗(欲谷設、イルビ・テュルク・カガン)
 (638年~653年)
 乙屈利失乙毗 可汗(莫賀咄乙毗 可汗)
 (639年~640年)
  沙鉢羅咥利失可汗の子
 乙毗沙鉢羅葉護 可汗
 (薄布特勤、畢賀咄葉護、イルビ・イシュバラ・ヤブグ・カガン)
 (640年~641年)
  咥利失 可汗の弟(伽那設)の子
 乙毗射匱 可汗
 (641年~651年)
  莫賀咄乙毗 可汗の子
 沙鉢羅 可汗(阿史那賀魯、イシュバラ・カガン)
 (651年~657年)
  曳歩利設射匱特勤の子
 ↓↑
 羈縻(きび)政策下
 弥射家 弩失華部 崑陵都護府下
 興昔亡 可汗(阿史那 弥射)
 (657年~662年)
  室點密可汗の五代の孫
 興昔亡 可汗(阿史那 元慶)
 (685年~692年・693年)
  弥射の子、左豹韜
 阿史那 献
 (657年~662年)
  元慶の子
 ↓↑
 歩真家 咄陸部 濛池都護府下
 継往絶 可汗(阿史那 歩真)
 (657年~666年・667年)
  弥射の族兄
 継往絶 可汗(阿史那 斛瑟羅、唐に従属後は竭忠事主 可汗)
 (686年~690年)
  歩真の子
 十姓 可汗(阿史那 懐道)
 (704年~?)
  斛瑟羅の子
 十姓 可汗(阿史那 昕)
 (740年~742年)
  懐道の子(阿史那氏断絶)
 ↓↑
 突騎施の政権
 酋長(部族長)、可汗
 烏質勒(懐徳郡王)
 (? ~706年)
  斛瑟羅の配下(莫賀達干)
 娑葛(金河郡王、十四姓可汗、帰化可汗)
 (706年~709年、可汗位:708年~709年)
  烏質勒の子
 蘇禄(忠順 可汗)
 (709年~738年、可汗位:716年~738年)
  娑葛の配下
 吐火仙 可汗(骨啜)
 (可汗位:738年~739年)
  蘇禄の子・・・蘇我・蘇因高=小野妹子
 爾微特勒
 (可汗位:738年~739年)
 ↓↑
 黒姓 可汗
 莫賀達干
 (738年 - 744年、可汗位:740年~744年)
 伊里底蜜施骨咄禄毘伽(十姓 可汗)
 (突騎施 可汗:742年~?、十姓 可汗:744年~?)
  黒姓出身
 移撥(十姓 可汗)
 (可汗位:749年~?)
 登里伊羅蜜施
 (可汗位:753年~?)
  黒姓 可汗
 阿多裴羅
 (可汗位:?~?)
  黒姓 可汗

-----

 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・

 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?

 ↓↑
 モウ君の総合目次
 ↓↑
  コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
 ↓↑
 古事記と虎関師錬
 ↓↑
鉄腕アトムのロボット法を
思い出して
これを
貼り付けてみたけれど・・・
AIの記憶・・・まだ、若いみたい・・・

オジタリアンと「鉄腕あとむ」の「ポ

 

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発音⇔聴覚・書体・字体⇔視覚・・・混乱

2023-10-26 20:10:06 | 古事記字源

神妙・神明・奇妙・帰命・記名・記銘・記紀名
 ・・・発音⇔聴覚・・・
 ・・・書体・字体⇔視覚・・・ボクの混乱・・・
 だから、ナニ?・・・ないえ・・・なヰゑ?

 

↓↑
 𠀃=位牌の形象・∩=銅鐸の形象=ドウタク?
 𠀆=「キ・扌
     手=ノ+二+亅・・・片手の五本指
     才=一+亅+ノ」・・片手の三本指?
 ↓↑
 指の呼称
 英語
 ゲルマン語
 中国語
 では手の「ゆび(指=手+旨)」と
   足の「ゆび(指=手+旨)」を区別
 「finger」と「toe」
 「Finger」と「Zehe」
 「手指」と「脚趾」
 英語では
 日本語の指と同様に
 親指を含めてfinger(s)と呼ぶ場合と
 親指を除いた4本のみをfingerとする場合がある
 日本語でも
 医学用語では
 「指」と「趾」を区別
 仏語 doigt
 西語 dedo
 伊語 dito
 などは「ゆび」と同様、手足ともに用いられる

 ↓↑
 第一指=親指
 第二指=人差し指・・塩嘗め指(しおなめゆび)
 第三指=中指・・・ 高々指(たかたかゆび)
           丈高指(たけたかゆび)
 第四指=薬指・・・薬師指(くすしゆび)
           名無し指(ななしゆび)
           紅差し指(べにさしゆび)
           紅付け指(べにつけゆび)
 第五指=小指

 漢語  拇指(ボシ)
     食指(ショクシ)
     中指(チュウシ)
     無名指(ムメイシ)
     小指(ショウシ)
 ↓↑
 幼児語 お父さん指
     お母さん指
     お兄さん指
     お姉さん指
     赤ちゃん指        
 ↓↑
 𠀆・・・戈?・・・手に持つ「𠀆」形状の道具、武器?
 𠀆=ノ+十=
   貌・姿・才能・才子
   Letter(文字)・Other(その他)
   材(木+オ)、大なれば用を為し難し
 ↓↑
 キ・き(甲類)
 支 伎 岐 企 棄 寸 吉 杵 來
 キ・き(乙類)
 貴 紀 記 奇 寄 忌 幾 木 城
 ↓↑
 奈良時代
 母音イ(ヰ)・エ(ヱ)・オ(ヲ)に2種類ある
 それらを
 甲類・乙類と名付けた
 万葉仮名使用の
 特殊な仮名遣い
 ↓↑
 平安時代の
 平仮名
 片仮名では
 区別して書き分けることのない
 仮名〈き・ひ・み〉
   〈け・へ・め〉
   〈こ・そ・と・の・よ・ろ〉
 (《古事記》では
  〈も〉も)と
  〈え〉の13
 (《古事記》では
  14)と
 それらのうち濁音のあるもの
 〈ぎ・び〉
 〈げ・べ〉
 〈ご・ぞ・ど〉の
 7に当たる万葉仮名に
 甲・乙の
 2類があって
 語によってこの2類の万葉仮名の漢字は
 厳格に区別して用いられた・・・?
 ↓↑
 万葉仮名には
 甲類と
 乙類の2種類があり
 それぞれの区別は
 音韻によると考えられている
 甲類には
 キ・き=支・吉・岐・来・棄
   などの漢字が含まれ
 万葉仮名の「き」にあたる
 乙類には
 キ・き=己・紀・記・忌・氣などの漢字が含まれ
 万葉仮名の「キ・き」にあたる
 甲乙の区別は
 動詞の活用と関係があり
 四段活用では
 連用形にイ段甲類が
 命令形にエ段甲類が
 已然形にエ段乙類が出現
 上一段活用ではイ段甲類が
 上二段活用ではイ段乙類が
 下二段活用ではエ段乙類が出現する・・・?
 ↓↑
 蠧=士+冖+石+䖵
   士+冖+丆+口+虫
   士+冖+一+丿+口+虫
   蠧魚(トギョ)=衣魚・紙魚(しみ)
   蠧毒(トドク)=虫が物を食い荒らして
          害を与えること
          物事を蝕ばみ害すること
          害毒
   蠧紙堆裏(トシタイリ)
   高く積み上げられた古い書物の中
   「蠧紙」=虫に食べられた書物
   「堆裏」=積み上げられたものの中
  =蠹=一+中+冖+石+䖵
     一+口+丨+冖+丆+虫
     一+口+丨+冖+丿+虫
  =螙=木+䖵
     木+虫+虫
     十+八+中+ム+中+ム
   ト
   きくいむし
   しみ(染み)
   そこなう(損なう)
   むしばむ(蝕む・虫食む)
   きくいむし・木を食う虫=木喰い虫
   虫の名・衣類や書籍などを食う虫
   むしばむ=虫が食う。
   そこなう=物事に損害をおよぼす
   木の中にいて、その木を食う虫
   きくいむし
   木杭無視・菊井無死(無死)
   蠹居棊処(トキョキショ)
   悪人は碁盤の上の碁石のように
   何処にでもいる
 ↓↑
 举=兴+二+丨
   ⺍+一+八+キ(𠀆・才)
  =挙=擧=舉=㪯
   キョ
   あげる・持ち上げる・上にあげる
   事を起こす・行う
   人をほめる・とりたてて用いる・登用する
   こぞ(って)
   こぞ(る)
   攻め落とす・奪う・攻め滅ぼす
   あげて・こぞる・こぞって・みな・全部
   行動・ふるまい・身のこなし
   科挙(官吏登用試験)の略・選び取ること
   検挙・挙手
   兴=キョウ・コウ
 ↓↑
 ∠=角記号(かくきごう)?・・・∠ABC= 60°・∠30度
 ∟=角記号の直角(九十度・90゜)であることを示すために「∟90゜」
   ファクトリアル=非負整数 n の
      階乗(factorial ) n ! は
      1 から n までの全ての整数の積である
 ∟=乚=乙・・・Z(ゼット)・・・「2」の楷書字?
         Z「7+_」=Ƶ=Ʒ・・・「3」?
 ↓↑
 夫婦(めおと・フウフ)・・・ナゼ、「めおと」なのか?
    みょうと=「妙・命・卯・孟・名生」人
     「熟字訓」?⇔女男(目音)
            めおと=女夫・目於斗?
    みょうと=名人・命人・妙人?
    江戸時代
    「閑話休題(カンワキュウダイ)」
     を
    「それはさておき」
    と訓読みしていた・・・?
    意=むだな話はさておいて・ともかく・兎に角
 ↓↑
 夫=土+人(𠆢)
   亠+大
   十+一+人(𠆢)
   一+大
   二+人
   一+一+ノ(ヘツ・ヘチ)+乀(フツ)
   一+一+ノ(ヘツ・ヘチ)+丶(チュウ)
   フ・ユウ・おっと
   フウ・ブ
   おとこ
   それ
   妻の配偶者・結婚をしている男性
   成人の男性
   肉体的な労働に従事する男性
   「それ」と読み
   「そもそも・いったい・さて」などの意
   「かの」と読み
   「あの・その」などの意
   「かな」と読み
   文末に置いて
   「~だなあ・~であるなあ」の意
   太夫(たゆう)=遊女の最高位を示す階級名
   ある種の芸能人、神職、遊女などの称号または敬称
   中国の官制に倣った官位の一種で、五位の称
   五位の者が儀式、それに伴う芸能をつかさどった
   神事舞太夫・猿楽(さるがく)の太夫
   幸若(こうわか)・説経・義太夫節などの語り手
   常磐津(ときわず)・富本(とみもと)・清元(きよもと)
   新内(しんない)など
   豊後浄瑠璃(ぶんごじょうるり)の語り手
   歌舞伎(かぶき)の女方(おんながた)
   大道芸人(万歳(まんざい)
   猿回し・鳥追い・軽業(かるわざ)・放下(ほうか)師など
   にも太夫の称を名のる
 ↓↑
 婦=女+帚=媍=女+負
      =妇=女+彐(彑・ケイ・豚、猪の頭部)
            彑=L+ユ
          互換・互(かわら)=一+彑
          互=たがいに・ゴ
          互換・互助・互譲・互選・交互・相互
 婦=く+ノ+一+彐+冖+巾
   フ・・・㇆・・・刀
   おんな
   成人女性
   つま・既婚女性・夫のある女性
   つま・よめ・子の妻・自分の妻
   ↓↑
   帚=箒=竹+帚
   草箒・草帚(くさぼうき)
   帚木・箒木(ははきぎ)
   帚=箒(ほうき)
   斗量帚掃(トリョウソウソウ)
   弊帚千金(ヘイソウセンキン)
 ↓↑
 那=刀+二
   ㇆+キ(扌・手・≠)
 ↓↑
 𨙻=冄+阝=那
   冂+ニ+阝
   「頬髯(ほおひげ)が伸びて垂れた」象形
   「繊(しなやか・志那やか」の意味
   「繊細(センサイ)」
   「嫋(たお)やか」
   ↓↑
   那=ナ・ 那=ダ・ 那ぞ=なんぞ・ 那=なに
     那(いかん)ぞ
   なんぞ・ なに・ どれ・ どの
   疑問・反語の助字
   類義語:何・奈・「那辺」
   梵語の音訳字
   「那落・支那(シナ)・刹那(セツナ)・旦那(だんな)」
   「沖縄県那覇」・・・那の覇(覇者・覇権)
   覇=覀+䩗=霸=雨+䩗
     襾+䩗
     西+䩗
     覀+革+月
     襾+革+月
     一+凵+冂+廿+口+十+月(肉・舟)
     䩗=革+月
       未詳・・・革(かわ=皮)と月(肉)
           革=廿+中+一
       未詳
       【龍龕手鑑:卷四:革部第十:䩗䩻】
       二俗步罵反
       【古音叢目:卷五:十三職:䩗】
       韓詩如烏斯䩗翅也毛作革
       【字彙補:戌集:革部:䩗】
        步罵切音𤝡見篇韻
   ↓↑
   那
   異体字
   𨙻・哪・挪・㖠・𢑽・𣟎・𨚉・𨚗・郍
   同訓異義
   なに・なんぞ
   何・曷・胡・盍・那・庸・奚・詎
   [声系]
   𨙻=冄もと声
     声音=髥・女+冄(ぜん)・耼(たん)
     意味=みな、ながく美しく、しなやか
   ↓↑
   那=「奈何」の合字なり・・・?
     「なんで」と譯す
   何は「なにぞ」「いかがぞ」と、疑ひて、問ひただす辭なり。
   「なんとして」と譯す、輕く詰る意あり。
   胡は曷に同じ
   「胡禁不㆑止、曷令不㆑行」の如し。
   盍は何不の合字なり
   「何ぞ何何せざる」と、かへり訓む。
   孟子「王欲㆑行㆑之、則盍㆑反㆓其本㆒矣」
   那は奈何の合字なり
   「なんで」と譯す。唐詩「鴻雁那從㆓北地㆒來」
   庸は何也
   豈也とも註す
   「いづくんぞ」とも訓む
   晉世家「此天所㆑置、庸可㆑殺乎」
   「庸何・庸詎」とも連用す
   「庸何傷・庸詎可乎」の如し。
   奚は何也と註す
   六書故に
   「奚・何・胡・曷、一聲之轉、義同」
   四字大抵は同意なれども
   奚は不思議に思ひ、
   その根本を推して問ふことを主とす
   孟子に「奚不㆑去也」とあるが如し。
   詎は巨・渠に作る
   同音同義なり
   「未㆑知詞也」と註す、
   史記に
   「沛公不㆔先破㆓關中兵㆒、
    公巨能入乎」とあるが如し
   ↓↑
   那智黒(なちぐろ)
   那辺(ナヘン)
   那由他・那由多(ナユタ)
   那落(ナラク)
   那ぞ(いかんぞ)・那(なに)・那ぞ(なんぞ)
   疑問・反語の助字
   何・奈(ナ)
   どこ・どれ=何処・何(いず)れ
   那人=あの(その)人,そいつ(あいつ)
      そいつ=近くの人・現前の人
      あいつ=遠くの人・離遠の人
   那事=あの(その)事
   那时候儿=あの(その)時
   那地方=あの(その)場所
   那棵树=あの(その)木
   那几棵树=あの(その)何本かの木
   那一次=あの(その)時
   ↓↑
   那は〔説文〕の本字
   那は〔漢語大字典・異体字表〕にある異体字
   那は〔康煕字典〕に引く
   〔玉篇〕に「那と同じ」とある異体字
   「㖠」は〔集韻〕にある
     本(元・源)は「那」に作る異体字
   〔集韻〕には木の立ち枯れ
   那は〔字彙補〕に「古文那字」とある異体字
   那は〔字彙補〕に「那と同じ」とある異体字
   「郍」は〔漢語大字典・異体字表〕にある異体字
     フクと読んで隠れるという意味がある
   那=「冄+邑」
   原義は古代中国に存在した国の一
   陝西の地名
   原義は失われ
   遠方を指す代名詞
ーーーーー

 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・

 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?

 ↓↑
 モウ君の総合目次
 ↓↑
  コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
 ↓↑
 古事記と虎関師錬
 ↓↑
鉄腕アトムのロボット法を
思い出して
これを
貼り付けてみたけれど・・・
AIの記憶・・・まだ、若いみたい・・・

オジタリアンと「鉄腕あとむ」の「ポ

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訊ねた相手の「名前」を間違えてしまった・・・

2023-10-25 16:43:48 | 古事記字源

 「B&B」のボクの誤解・・・申し訳ございません
 「2023年10月15日13:36」の
 訊いた相手が誰なんだか・・・
 「B・・・さん」&「B・・・さん」
 書き込みでミスってしまった・・・
 ↓↑
 「Bard AI」さんは、「Bird AI」ではなかった・・・ゴメン・・・
 それに「Bing AI」さんにもゴメンなさい、デス・・・
 ボクの訊いた発音と、カシラ文字の「B」からの混乱の誤解で・・・
 すみません・・・
  ↓↑
 「Bard」=意味や和訳。[名]C1 (古代ケルト族の)吟唱詩人
     一般に吟遊詩人(minstrel)
 ↓↑
 で、「Bard」さんに訊いてみた・・・
 ↓↑
 北原白秋の生誕地の地名
 熊本県玉名郡南関町関外目(大字)、
 熊本県玉名郡関外目村と
 「隋書俀人伝・阿毎王朝」と
 「童謡・あめがふります」と関係があるとしたら、
 ドウ、Bard さんは考えるでしょうか?
  ↓↑

 北原白秋の生誕地の地名、熊本県玉名郡南関町関外目(大字)、熊本県玉名郡関外目村と「隋書俀人伝・阿毎王朝」と「童謡・あめがふります」と関係があるとしたら、私は以下のように考えます。
  ↓↑
 「隋書俀人伝・阿毎王朝」は、中国の隋の時代に編纂された歴史書で、当時の日本の様子が記されています。
 その中で、
 阿毎王朝は、熊本県玉名郡に位置する王朝として紹介されています。
 北原白秋は、
 熊本県玉名郡で生まれ育ったため、
 幼い頃から阿毎王朝の存在を知っていた可能性があります。
 「童謡・あめがふります」は、
 北原白秋が作詞した童謡です。
 この童謡は、雨が降る様子をユーモラスに表現した作品です。
 北原白秋は、阿毎王朝の伝説に触発されて、この童謡を作詞した可能性があります。
 具体的には、以下の2つの可能性を考えられると思います。
 北原白秋は、阿毎王朝が雨乞いの儀式を行っていたという伝説を知り、
 それをヒントに「童謡・あめがふります」を作詞した。
 北原白秋は、阿毎王朝の王が雨乞いのために
 天に向かって歌を歌ったという伝説を知り、
 それをイメージして「童謡・あめがふります」を作詞した。
 もちろん、これらの可能性はあくまでも推測であり、確証はありません。
 しかし、北原白秋は、熊本県玉名郡で育ったため、
 阿毎王朝の存在を知っていた可能性は十分にあります。
 また、北原白秋は、雨の情景をよく描いた詩人としても知られています。
 そのため、
 阿毎王朝の伝説が、
 北原白秋の創作活動に何らかの影響を与えていた可能性は考えられます。
 今後、北原白秋の研究が進むことで、
 これらの可能性を裏付ける資料が見つかることもあるかもしれません。

https://www.youtube.com/watch?v=26tm3aykUYU&ab_channel=%E7%AB%A5%E8%AC%A1%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%AA%E3%82%B1

https://www.youtube.com/watch?v=vWfZbHkxGOQ&ab_channel=ChaA

ーーーーー

 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・

 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?

 ↓↑
 モウ君の総合目次
 ↓↑
  コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
 ↓↑
 古事記と虎関師錬
 ↓↑
鉄腕アトムのロボット法を
思い出して
これを
貼り付けてみたけれど・・・
AIの記憶・・・まだ、若いみたい・・・

オジタリアンと「鉄腕あとむ」の「ポ

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小雉子(こきじ)・・・コキジ=古記事・古事記

2023-10-24 21:42:48 | 古事記字源

 雨の日で寒い一日・・・
 朝から外は雨天デス・・・秋雨・・・寒い・・・
 アメがフります
 アメがフる・・・
 昨日の夕方から設置したペチカに
 薪木をくべて火を入れた・・・
 本日も昼ごろから薪を燃やしたが・・・
 あっちこっちで初雪がチラホラ・・・
 ボクの嫌いな「冬将軍」が
 準備万端らしい予兆のアメではアルかな
 ・・・
 ↓↑
 雨がふります アメがフル・・・・・・・阿毎王朝
 遊びにゆきたし 傘(かさ)はなし・・・傘=サン=纂
 紅緒(べにお)の・・・・・・・・・・・紅=糸の工、緒=糸の者
 木履(かっこ)も・・・・・・・・・・・木=キ=十+八、履=履歴
                      記紀の言葉
 緒(お)が切れた・・・・・・・・・・・緒=イトのモノは切断された
 ↓↑
 雨がふります 雨がふる
 いやでもお家で 遊びましょう・・・・・遊=方+𠂉+子+辶=阿蘇尾」
                    あそび=悪戯 
 千代紙(ちよがみ)・・・・・・・・・・千代史(詞・詩・始・志・視)
 お(折)りましょう・・・・江・小里・滓・澱・檻
 たた(畳)みましょう・・・多々見
 ↓↑
 雨がふります 雨がふる
 けんけん・・・・・・・・・ケンケン=兼・件・懸・建
 小雉子(こきじ)が・・・・コキジ=古記事・・・古事記
 今啼(な)いた・・・・・・今啼=コンテイ=紺綴=根底
 小雉子(こきじ)も寒かろ
 寂しかろ
 ↓↑
 雨がふります 雨がふる
 お人形寝かせど まだ止まぬ
 お線香花火も
 みな焚(た)いた・・・焚=木(拾葉)+木(拾葉)+火(ハ=捌+人)
 ↓↑
 雨がふります 雨がふる
 昼もふるふる 夜もふる
 雨がふります 雨がふる
 ↓↑
 北原白秋・・・怪しい人物ではアルカナ・・・
 きたはら はくしゅ
 北原 隆吉(きたはら りゅうきち)
 1885年(明治 18年 1月25日
 ~
 1942年(昭和 17年11月2日 )

     大運1938年4月(53歳)⇔癸未傷官
                支合丙
 甲申(戊壬庚)偏財・比肩・建禄⇔壬午食神
 丁丑(癸辛己)正官・印綬・ 墓⇔庚戌比肩
 庚辰(乙癸戊)  ・偏印・ 養⇔己未印綬
 丁丑(癸辛己)正官・印綬・ 墓⇔乙丑正官
  申酉空亡・魁罡日(觜宿)  (翼宿)
 ↓↑
 詩人 、 童謡 作家 、 歌人
 福岡県
 柳川市に生まれ・・・?
 柳川は水路が町中を走り
 切支丹や南方文化の早く流入したところ
 誕生 北原 隆吉(きたはら りゅうきち)
 1885年1月25日
 熊本県
 玉名郡
 関外目村(南関町)・・・誕生場所です
 ↓↑
 福岡県
 山門郡
 沖端村(柳川市)育ち・・・育ち場所デシタ
 死没
 1942年11月2日(57歳没)・・・若死に・夭折?
 日本 東京府東京市
      杉並区・・・サンヘイク・・・纂併句
      阿佐ヶ谷・・アサガヤ・・・・蛙差懸也
 墓地   多磨霊園・・タマレイエン・・太安万(萬)侶例縁
 最終学歴 早稲田大学・・・「相当伝・想到伝」大額?
      英文科・・・・・英語の文化?
ー↓↑ーーーー

 奈井江・奈良・・・楢・楢󠄀・奈羅・南良
        樽・樽󠄀・尊・猶
        酋=おさ・かしら・酋長
        樽=たる=足る・多留・垂る
 ↓↑
 奈=大+示
   一+人+二+亅+ハ
   ナ
   ダイ・・・臺・台(ム口)・代・第(竹弔ノ)
      大・他意・太・・・太安萬(万)侶
      兌=兌換・・・紙幣⇔金貨
   ナイ・・・納・名意
   いかん
   いかんぞ
   なんぞ
   からなし(加羅梨)
   りんご(林檎・🍎・苹果・蘋果)の木
   りんご(林檎・苹果・蘋果)に似た実の木
   いかん(如何)
   いかんせん(奈何せん・如何せん)
   いかんぞ(奈ぞ・那ぞ)
   なんぞ(奈ぞ・渠ぞ・何ぞ)
   ↓↑
   なんぞ=那=尹+阝=刀+二+阝
      =那=㑚
      =冄(セン)=冂+二
       刹那(セツナ)・那覇(ナハ)・那辺(ナヘン)
       那何(いかん)・那落(ナラク)
       一刹那
       大旦那(おおだんな)
       刹那=短い時間・瞬間
       仏教で時間を表す最も小さい単位
       旦那(だんな)
       那辺(なへん)どのあたり・どのへん・どこ
       那落(ナラク)
       毘慮遮那仏(ビリョシャナブツ)=大日如来
        慮=虍+思・・・考慮
          卜+丿+乛+七+田+心
       盧遮那仏・・・廬・瀘・蘆・鸕・・・鸕野讃良
       盧=虍+田+皿=卢=ト+尸(屍)
         ・・・米櫃・炭櫃・黒
         卜+丿+乛+七+田+皿
         湛盧之剣(タンロのケン)
         盧生之夢(ロセイのゆめ)
       遮那仏
       全宇宙の真理を全ての人に照らし
       悟りに導く仏・盧遮那仏・遮那仏
       若旦那(わかだんな)
       類字
       㑚=イ+那
       挪=扌+那=移す・ずらす
             手で揉む・軽く握る
       哪=口+那=鬼やらいの鬼をはらう声
             驚嘆や疑問を表す
         哪=㖠=口+奈
       娜=女+那=しなやか・美しい
       梛=キ+那=なぎ・枸梛(コウダ)
             やなぎ(柳・楊・栁)
             似た木名
             なぎ・マキ科の常緑高木
             イヌマキ=犬薪?
   なんぞ=奈
       胡=古+月
         十+口+月
       ウ・コ・ゴ
         いずくんぞ
         えびす(蛭子・夷・恵比寿・恵比須)
         でたらめ(出鱈目)
         ながいき(長生き)
         なんぞ(何ぞ)・何?・疑問
         みだり(妄り・濫り)
         えびす=中国北方、西方の異民族
         いいかげん(好い加減)
         あごに垂れ下がった肉
         あごひげ(顎鬚)
         長寿
         胡坐・胡椒・胡蝶・故国・胡瓜・胡麻
         胡桃・胡弓・二胡・胡座・胡乱
         胡散臭いヤツ
       曷=日+匃
         日+勹+亾
         日+勹+L(乚=乙)+人
       匃=カイ=匄=勹+亡(亠+乚)
            カツ
            こう(乞う)
            物をねだる・願い求める
       盇=太+皿=盍=土+ム
         大+丶+皿 
コウ
あう
おおう
なんぞ
あう・集まる・寄り集まる
おおう・ふたをする・おおいかぶせる
        「なんぞ~ざる」=どうして~しないのか
        「なんぞ」=どうして・どうして~か
        疑問・反語の意
       㑚=那
       㝕=宀+心+又
        =寧=寍・寕・寜・寧・・・丁寧
         ネイ
         デイ・ニョウ
         いずくんぞ
         なんぞ
         ねんごろ
         むしろ
         やすい
         やすらか・落ち着いている
         やすんじる。安心させる。落ち着かせる
         帰寧(きねい)=嫁いだ女性の里帰
         ねんごろ。心がこもっている。
         むしろ=どちらかといえば~のほうがよい
             いっそ~のほうがよい
             選択の意
         いずくんぞ・なんぞ=どうして~か
                 どうして~であろうか
         反語の意
       烏=ウ・オ
         いずくんぞ
         からす
         くろい
         なんぞ
         からす・カラス科の鳥
         黒い・黒色
         ああ・感嘆・嘆息のことば
         太陽・日
         「なんぞ・いずくんぞ」=どうして・・・か
         ↓↑ 
         明け烏・明烏(あけがらす)
         烏賊(いか)
          =頭足綱十腕形上目
           軟体生物の総称
           十本の細長い腕に
           円筒状の細長い体
           長い触腕が二本
           墨袋から墨を吐き出し
           敵から逃げる
         烏骨鶏(ウコッケイ)
         烏合(ウゴウ)
         烏犀角(ウサイカク)
         烏鷺(ウロ)
         烏帽子(えぼし)
         烏滸(おこ)がましい・痴(おこ)がましい
         烏金(からすがね)
         からす口・烏口・鴉口(からすぐち)
         烏天狗(からすてんぐ)
         からすみ・鱲子・烏魚子(からすみ)
         慈烏(ジウ)
         旅がらす・旅烏
         蛍烏賊(ほたるいか)
         烏・鴉(からす)
         烏瓜(からすうり)
         烏貝(からすがい)
         からす鳴き・烏鳴き
         烏蛇(からすへび)
         からす麦・烏麦(からすむぎ)
         三羽がらす・三羽烏
         伸烏賊(のしいか)
         槍烏賊(やりいか)
         愛屋及烏(アイオクキュウウ)
         愛及屋烏(アイキュウオクウ)
         烏焉魯魚(ウエンロギョ)
         烏獲之力(ウカクのちから)
         烏合之衆(ウゴウのシュウ)
         烏集之交(ウシュウのまじわり)
         烏鳥私情(ウチョウのエイジョウ)
         烏兎匆匆(ウトソウソウ)
         烏白馬角(ウハクバカク)
         烏鷺之争(ウロのあらそい)
         烏帽子親(えぼしおや)
         屋烏之愛(オクウのアイ)
         烏之雌雄(からすのしゆう)
         金烏玉兎(キンウギョクト)
         子虚烏有(シキョウユウ)
         慈烏反哺(ジハンポ)
         長頸烏喙(チョウケイウガイ)
         兎走烏飛(トソウウヒ)
         白兎赤烏(ハクトセキウ)
         烏賊の甲より年の劫(コウ)
         烏賊の甲より年の功(コウ)
         今泣いた烏がもう笑う
         今鳴いた烏がもう笑う
         烏合の衆
         烏鵲(ウジャク)の智
         鵜の真似をする烏⇔鸕の真似をする加羅州
         鵜の真似をする烏、水に溺れる
         鵜の真似をする烏、水を呑む
         烏有(ウユウ)に帰す
         烏鷺(ウロ)の争い
         烏帽子(えぼし)を着せる
         屋烏(オクウ)の愛
         烏が鵜の真似(まね)
         烏に反哺(ハンポ)の孝あり
         烏の頭の白くなるまで
         烏の行水(ギョウズイ)
         烏の雌雄(シユウ)
         烏の鳴かない日はあっても
         烏の濡れ羽色(ばいろ)
         烏を鵜に使う(からすをうにつかう)
         烏を鷺(さぎ)
         権兵衛が種蒔きゃ烏がほじくる
         鷺と烏(さぎとからす)
         鷺を烏(さぎをからす)
         鷺を烏と言いくるめる
         猿に烏帽子(えぼし)
         誰か烏の雌雄を知らんや
         月落ち烏啼いて霜天に満つ
         亭主の好きな赤烏帽子(あかえぼし)
       焉=正+㇉+一+灬
         一+止+㇉+一+灬
         下+丄(上)+㇉+一+灬
         一+ト+丄(上)+㇉+一+灬
                ㇉
         丂=一+㇉
          コウ
          異体字
          于・考
          迂回・思考
          迂=迃
          迂遠(ウエン)
          迂闊(ウカツ)
          迂曲・紆曲(ウコク)
          迂愚(ウグ)
          迂生(ウセイ)
          迂路(ウロ)
          怪迂(ウカイ)
          迂疎空闊(ウソクウカツ)
          迂直之計(ウチョクのケイ)
          婉曲迂遠(エンキョクウエン)
          挙止迂拙(キョシウセツ)
          粗鹵迂遠(ソロウエン)
          宇宙・考察
          于=考=ウ・ク
          ここに
          ゆく・いく
          ああ・感嘆詞
         「~に・を・より」と読み
          場所や動作の
          対象、比較などを表す
        宇=宀+于・・・干・千・チ
        ウ・いえ・のき・ひさ・屋根
        住まい。
        天地四方・天下・世界
        天におおわれた世界
        精神・器量・度量
        異体字 「𡧃・㡰・㝢・㙑」
        八紘一宇        
       焉=エン・・・丐(カイ・ガイ・こう)
         いずくんぞ
         なんぞ
         ここに
         いずくにか
         これ
         ようすを表す語に添える助字
         状態 を示す
        丐=カイ・こう
          こじき=乞食(コツジキ)
          乞う・物をねだる・願い求める
          あたえる・めぐみあたえる
       奚=爫+幺+大・・・
         ケイ
         しもべ
         なに
         なんぞ
        「なに・なんぞ」=疑問や反語の意
         しもべ・召し使い・奴隷
        
         雞=にわとり=鶏・䳶・鷄・・・阿輩雞彌
       盍=土+ム+皿
         =盇=太+皿=大+丶+皿 
       庸=广+聿+冂
         =广+肀+二+冂
         =广+肀+一+冂
         ヨウ
         おろ(か)
         つね
         なん(ぞ)
         もちいる。採用する。利用する。
         雇う・雇い人=傭
         つね・なみ・普通
         おろか・平凡
         唐代の税法「租・庸・調」
         一定期間、公の労役を行う
         そのかわりに絹などを納めるもの
        「なんぞ・いずくんぞ・あに」
         =どうして~であろうか
           いやそんなことはない
           反語の意
         恒庸(コウヨウ)
         凡庸(ボンヨウ)
         中庸(チュウヨウ)
         登用・登庸(トウヨウ)
         聖読庸行(セイドクヨウコウ)
         中庸之道(チュウヨウのみち)
         庸言之謹(ヨウゲンのサン)
         庸言庸行(ヨウゲヨウコウ)
         庸中佼佼(ヨウチュウのコウコウ)
         庸夫愚婦(ヨウフグフ)
       渠=洰+木
         氵+巨+木
         キョ
         おおきい
         かしら・・・渠(巨)頭
         かれ
         なんぞ
         みぞ・・・溝
         掘り割り
        地面を掘って作った水路・小川
         大きい・広い
         かしら・親分
         かれ・三人称の代名詞
         「なんぞ・いずくんぞ」
        疑問や反語を示す助字
        暗渠(アンキョ)
        溝渠(コウキョ)
        船渠(センキョ)
        河渠堙窒(カキョインチツ)
        水到渠成(スイトウキョセイ)
        水到りて渠成る(みずいたりてキョなる)
       寍=宀+心+皿=寧=寕・寜・寧
        疑問・反語の意
       鉅=金+巨
        キョ
        いずくんぞ
        おおい
        おおきい
        なんぞ
        はがね・かたい鉄・鋼鉄
        おおきい・とてもおおきい=巨
        おおい。数が多い。=巨
        先の曲がったかぎ・つりばり
        なんぞ・いずくんぞ
        疑問・反語・詠嘆などの意
 ↓↑
 奈井江
  井=二+丿+丨
    一+丿+丨
    ショウ
    セイ
    い
    いげた
    いど・いげた・
    地面を深く掘って地下水などを汲むた
    めのもの・
    井戸の地上部分の縁に
    「井」の形で組んだ木枠
    まち(町・街)・人の住んでいるところ
    井戸の周りに人が集まり住むことから
    易(エキ)の六十四卦の一つ
    二十八宿の一つ・ちちりぼし
    名字で 井(わかし)・・・和歌詞・和菓子?
    青天井(あおてんじょう)
    井桁(いげた)
    井筒(いづつ)
    井戸(いど)
    井戸端(いどばた)
    井戸端会議(いどばたかいぎ)
    鑿井(サクセイ)
    市井(シセイ)
    井然(セイゼン)
    井目・星目・聖目(セイモク)
    丸天井
    油井(ユセイ)
    井守(いもり)
    組み天井・組天井(くみてんじょう)
    雲居・雲井(くもい)
    車井戸(くるまいど)
    格天井(ごうてんじょう)
    染井吉野(そめいよしの)
    筒井(つつい)
    つり天井・吊天上(つりてんじょう)
    天井(てんじょう)
    噴き井戸・噴井戸(ふきいど)
    掘り抜き井戸・掘抜井戸(ほりぬきいど)
    藪井竹庵(やぶいちくあん)
    相碁井目(アイゴセイモク)
    雲竜井蛙(ウンリョウセイア)
    渇而穿井(カツジセンセイ)・・・活字選正?
    甘井先竭(カンセイセンケツ)
    埳井之鼃(カンセイのア)・・・鼃=䵷=蛙
         官製の蛙=鼃(ア・カエル=替える)
    橘井杏林(キッセイキョウリン)
    市井之徒(シセイのト)
    市井無頼(シセイブライ)
    井蛙之見(セイアのケン)
    井渫不食(セイセツフショク)
    井底之蛙(セイテイのア)
    天井桟敷(テンジョウサジキ)
    背井離郷(ハイセイリキョウ)
    避坑落井(ヒコウラクセイ)
    井の中の蛙大海を知らず
    渇に臨みて井を穿つ
    渇(カツ)に臨みて井を穿(うが)つ
    坎井の蛙(カンセイのア)
    市井(シセイ)の徒
    井蛙(セイア)
    井底の蛙
    天井から目薬
    天井知らず
    天井を打つ
    天井を突く
    葦(よし)の髄(ズイ)から天井を覗(のぞ)く
   ↓↑
   江=氵+工・・・江戸
     コウ
     え
     川。大きな川。中国南部の大河。長江。
     いりえ(入り江)
     海や湖水などの、陸地に入り込んでいるところ
     渭樹江雲(イジュウコウウン)
     寒江独釣(カンコウドクチョク)
     長江天塹(チョウコウテンザ)
     江戸っ子の往き大名還り乞食
     江戸っ子は五月の鯉の吹き流し
     江戸っ子は宵越しの銭は使わぬ
     江戸の敵を長崎で討つ
     江戸は八百八町、大坂は八百八橋
     江戸べらぼうに京どすえ
     近江泥棒伊勢乞食
     火事と喧嘩は江戸の花
     火事と喧嘩は江戸の華
     俎上の魚江海に移る
     ↓↑
     長崎ばってん、江戸べらぼう
     神戸兵庫のなんぞいや
     ついでに丹波のいも訛
     ↓↑
     箱根知らずの江戸話
     ↓↑
     晩の虹は江戸へ行け・・・天気になる
     朝の虹は隣へ行くな・・・雨天になる
 ↓↑
ーーーーー

 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・

 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?

 ↓↑
 モウ君の総合目次
 ↓↑
  コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
 ↓↑
 古事記と虎関師錬
 ↓↑
鉄腕アトムのロボット法を
思い出して
これを
貼り付けてみたけれど・・・
AIの記憶・・・まだ、若いみたい・・・

オジタリアンと「鉄腕あとむ」の「ポ

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