気温はサムけれど
朝から「眩(まぶ)」しい・・・
大日如来(廬舎那仏)の
ヒカリを遮る薄雲の「まばゆさ」・・・
↓↑
まぶ
[名・形動]《近世語》
仕事などがうまくいくこと
美しいこと
真実であること・本物であること
↓↑
ま+「ば・び・ぶ・べ・ぼ」
まば=間庭・馬庭・麻場・稀・・・疎ら・踈
まび=真備・・・・・・・・・・・吉備真備
まぶ=間歩・間夫・目部・・・・・目蓋・瞼
まべ=間部・間辺・馬部・真部
・・間部(間鍋) 詮房
(まなべ あきふさ)
父 西田清貞
母 阿部忠秋の家臣
小河次郎右衛門の娘
「猿楽師・喜多七太夫」の弟子
田楽・狂言・古事記語り
・・・猿女の君=宇受女?
猿田彦?
貞享元年(1684年)
綱豊の小姓に抜擢
「間鍋」氏を綱豊の命によって
「間部」と改姓
相模 厚木藩主
上野 高崎藩主
西丸奥番頭
(書院番頭格)
越後 村上藩
間部氏初代藩主
側用人・老中格
徳川家宣・家継
の2代にわたり
将軍の側近
新井白石・・・伊太利亜人シドッチ尋問
と
「正徳の治」の盟友
まぼ=眞保・馬母・万歩・交模・魔姥
・・・まぼろし
↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑
まほろば=真秀(まほろ)場
まほらば
まほらま
まほら=交法螺・瞞し(まやかし)
欺瞞
倭建命が故郷を思って歌った
↓↑ ↓↑
「古事記(712)中・歌謡」
夜麻登波 倭やまとは
久爾能 國の
麻本呂婆 まほろば
多多那豆久 たたなづく
阿袁加岐 青垣
夜麻碁母禮流 山隱ごもれる
夜麻登志 倭し
宇流波斯 美うるはし
↓↑ ↓↑
大和は
久爾能(クニノ) ・・・・・公事・久慈・籤・九児
麻本呂婆(マホロバ) ・・・麻(あさ)の本(ほん)
畳なづく
青垣
山籠れる
大和しうるわし
↓↑ ↓↑
「倭(やまと)は・・・・・・大和(ダイカ)は
国の真秀(まほ)ろば・・・久爾(クジ)のヨク
マ本は呂(腰骨)の
曲がって接った婆のイ
たたなづく・・・・・・・・多多名付句
青垣(あをかき)・・・・・正解・西遠・採証・齋正
山籠(やまごも)れる・・・サンロウ・纂労・耶摩過誤
倭し・・・・・・・・・・・倭(濊=和=カ・わ)の歴史
麗(うるは)し・・・・・・宇流波斯=有留和史
齋正
齋=斎=斋=㪰=夈=䬩
サイ
いつく
つつしむ
とき
ものいみ
斎王=斎皇女
いつきのみこ
いつきのみや
意調 之観埜
の=埜=野=壄=㙒
ヤ・ショ
の
いなかや(田舎家)
いやしい(卑しい)
野原・広々とした平地・広がった大地
町外れ・郊外・田舎
政府に対して、民間
飾り気のない・ありのままの
いなかびた・下品な
区域・領域・範囲・分野・原野
荒っぽい・勝手な
自然であるさま・野生の
うとい(疎い)
未開の・文化が開けていない
↓↑
マブ(Mab)
天王星の第26衛星
1986年にボイジャー2号に撮影されたが気付かれず
2003年にハッブル宇宙望遠鏡で発見
名の由来
シェークスピア「ロミオとジュリエット」の登場人物?
大きさは分かっていないが直径が10キロ前後
↓↑
ロ+ミ-オ・・・鸕三尾・侶壬生・賂水脈?
ラ+ミ-オ
リ+ミ-オ
ル+ミ-オ
レ+ミ-オ
ロ+ミ-オ
↓↑
ジ =字・辭・時・地・而・自・事・・・
ュリ=有理・百合・由梨・由利・・・・・
エッ=悦・謁・閲・曰・粤・越・柄付・・
ト =途・斗・兎・都・止・十・・・・・
↓↑
クイーン・マッブ
クイーン・マブ
女王マブ(Queen Mab)
ウィリアム・シェイクスピアの戯曲
『ロミオとジュリエット』等で言及されている
妖精(妖精の女王)
古代からケルト等の
西欧神話で
「夢を司る妖精」
「妖精の助産師」
↓↑
妖精(英語 fairy・faery・仏語 fee)
神話や伝説に登場する超自然的な存在
人間と神の中間的な存在の総称
性格と行動は、気まぐれ
ラテン語の「fata(運命)」に由来
↓↑
メイヴ
メーヴ
メズヴ(英: Maeve・Medb)
ケルト神話に登場する
コナハトの女王
コナハト=意味は「酩酊」
英語では
Maeve=Medb =メイヴ [meɪv] と読む
アイルランド語では
Meabh (メーヴ [meːv] )
古期アイルランド語では
Medb
中期アイルランド語では
Meḋḃ・Meaḋḃ
ゲール語には他にもさまざまな綴り・発音がある
↓↑
日本カタカナ表記が似るため
シェークスピアの
『ロミオとジュリエット』
で歌われる妖精の女王
「マッブ (Mab)」
と混同される事が多い
「メイブ(Medb, Meadhbh)」の意味は
アイルランド語で
「 intoxicates(酩酊させるもの)」
「マッブ」の意味は
16世紀の英語では名詞・動詞の
「汚れ・だらしない女」などを意味
シェークスピアによる
マッブもまたそのように描かれている
シェークスピアが
「メイブ」
を想定して名付けたかはどうかは定かではない・・・?
ーー↓↑ーー
で、
「Bingさん」に訊いてみた
↓↑
「マブ 」という
「ロミオとジュリエット」
の登場人物の役を知りたいのですが
↓↑
Bing
マブは
シェイクスピアの戯曲
「ロミオとジュリエット」に登場する
「妖精」です
物語の序盤
ロミオと
エスカラス大公・・・エス--カラス・・・からす?
の遠縁にあたる
マキューシオの会話に出てきます
ロミオがマキューシオに夢について話すと
マキューシオは夢は
妖精のいたずらが見せたものだと言います
妖精の最高の支配者〈マブ〉が
小粒ほどの馬車を引きながら
眠る人間の鼻先を通ると・・・ハナサキ?
人は夢を見るそうです
ーー↓↑ーー
「鼻(はな)」からは「須佐之男命=素戔嗚尊」
↓↑
「花(はな)」の名前なら
全名 木花之佐久夜毘売
(このはなのさくやびめ)
此の噺(はなし)作与留比目(比女・秘)
小野話作埜備愛? 秘=禾+必=祕=示+必
禾=のぎ・のき=退き?
必=心+ノ
別名 木花咲弥姫命
神阿多都比売=豊吾田津媛命=神吾田鹿草津姫命
許乃波奈佐久夜比売命=木花咲夜姫=木華開耶姫
木花之開耶姫=木花開耶媛命=神阿多都比売
神吾田津姫=神吾田鹿葦津姫=鹿葦津姫
桜大刀自神=身島姫神=酒解子神
ーー↓↑ーー
序(ついで)に
エクトル・ベルリオーズについて教えてください
↓↑
Bing
エクトル・ベルリオーズ
1803年12月11日
~
1869年3月8日
フランスの作曲家
ロマン派音楽の作曲家
『幻想交響曲』が有名
『死者のための大ミサ曲』(レクイエム、1837年)
で楽器編成の大規模な拡張や色彩的な管弦楽法によって
ロマン派音楽の動向を先取りしました
↓↑
ベルリオーズの
生涯について教えて
↓↑
Bing
フランス南部イゼール県
ラ・コート=サンタンドレに生まれました
6人兄弟の長男
父親は開業医
6歳から神学校に入学
18歳まで父親による家庭教育
ラテン語、文学、歴史、地理、数学、音楽(初歩程度)を習いました
1821年
18歳の時に
グルノーブルで行われた
バカロレア(大学入学資格試験)に合格
家業を継ぐ名目でパリに行き、医科大学に入学
解剖学を学んでいる途中で気がひるんでしまい
次第に医学から音楽へ興味が移り
オペラ座に通うようになりました
1822年
父親の反対にもかかわらず
医学の道を捨て、音楽を学び始めました
1823年
パリ音楽院に入学
音楽院の教授
ジャン=フランソワ・ル・シュウール
にオペラと作曲を学びました
フランスのロマン主義運動に一体感を持つようになり
アレクサンドル・デュマ
ヴィクトル・ユーゴー
オノレ・ド・バルザック
らと親交を結びました
1827年
ローマ賞に挑戦
1830年4月に4度目の挑戦として
カンタータ『サルダナパールの死』を作曲
ローマ賞を受賞
1831年
ローマに到着した直後
婚約者マリー・モークの母親から手紙が届き
ピアノ製作者
イグナツ・プレイエルの長男
カミーユ・プレイエルと結婚するという報告で
彼を落胆させました
↓↑
ありがとう
ーー↓↑ーー
アレキサンダー・ポープ
(Alexander Pope)
1688年5月21日
~
1744年5月30日)
イギリスの詩人
父はカトリック教徒の
リンネル商
独学で古典に親しみ、幼少の頃から詩作を試みた
詩集
『牧歌』(Pastorals, 1709年)
16歳の時の作
『批評論』(An essay on criticism, 1711年)
簡潔な格言風の韻文で書かれた詩論
ホメロスの
『イーリアス』
を1715年~1720年
『オデュッセイア』
を1725年~1726年にかけて翻訳
予約者が訳者に
6ギニーずつを支払って
出版業者が
無償で本を作者に提供し
作者がそれを予約者に渡すという販売法で
ポープは経済上の独立
1725年
『シェイクスピア全集』を出版
序文では作品をゴシック建築に比して
古典主義法則に拘束されずに評価
技巧と絶えざる彫琢を旨とする
古典主義詩人の典型
簡潔かつ流麗な
ヒロイック・カプレット
(heroic couplet, 弱強五歩格二行聯句)を完成
ポープの本領は諷刺詩(Satire)にあり
『髪盗人』
はその傑作
『アーバスノットに与える書』
『エピローグ』
『ホラティウスに倣いて』
評論
『愚物列伝』(The Dunciad, 1728年 - 1742年)
『人間論』(An essay on man, 1732年 - 1734年)
は友人
ボリングブルックから学んだ理神論を韻文にしたもの
ポープはイギリス詩人の伝統を
チョーサー、スペンサー、ジョン・ダン、ドライデン
のような人々の流れとして理解していた
その列に
シェークスピア
ミルトン
が欠けている
↓↑
まぶ(間夫)
情夫・まおとこ
遊女の情夫・・・密夫・姦夫・間男・女敵
↓↑
まぶ=間府・間分・間歩
鉱山で、鉱石を取るために掘った穴 ・坑道 ・
↓↑
まぶ=真・美・眩
佳良-真実-正確
ほくち
関西では金貨のことをいふ
佳良・真実
金側時計
正確なること等を云ふ
真物(「諸分店颪」という本の中に
「金山の掘り口をまぶと云う」)
金銀鉱山の熟語から出たもので
金山の掘口の下には
真物の金がある
間夫(男)=同様初めは金になる客のことを意味したが
後、金も力もない色男の情人を呼ぶようになつた
「切られ与三郎」
美しい=はくい=まぶ
まぶ=間夫
情夫・遊廓の隠語
人妻が館に情夫をこしらへること
マチトコともいふ
情夫・情人のこと
↓↑
まぶ
もと、芝居者、てきや、盗人仲間の隠語
仕事などが、うまくいくこと
上々(じょうじょう)であること
上首尾 ・好都合
浄瑠璃・姫小松子日の遊(1757)
「『仕事はどふぢゃ』『お頭(かしら)、気遣いなさるるなまぶまぶ』」
勝れていること・良いこと・美しいこと
真実であること ・本物であること
語の成り立ち
「間府(まぶ)」がもとで、金の出てくる道などの連想から
人のまわり合わせ、運などを意味する
↓↑
「まん(間)」
+
「ふ(符)」
などとする説
↓↑
まぶ=名・形動《近世語》
仕事などがうまくいくこと
美しいこと
真実であること・本物であること
↓↑
まぶた=𥇥・瞼・目蓋
脊椎動物の
魚類を除く多くの種にある
顔の皮膚から連続して
眼球(目玉)を上下から
覆い保持する不透明で開閉式の器官
↓↑
塗す(まぶす)=動サ五(四)
粉などを全体に付着させる
一面に塗りつける
まぶる・まぶせる
↓↑
眩(まぶ)しい=形
光が強すぎて、まともに見にくい
まばゆい
まともに見ることがためらわれるほど美しい、尊い
↓↑
安楽寺(まぶ湯)
静岡県伊豆市土肥709
金鉱の中より湧き出した
土肥温泉発祥の湯
曹洞宗の古刹(こさつ)
安楽寺の境内にあり
別名 医王泉
釈迦如来を本尊とする
四国八十八ヶ所巡礼を模した
伊豆八十八ヶ所霊場巡りの
八十六番札所
子宝祈願にご利益の
夫婦神社があり、女性自身を形どった、御神体を祀る
境内奥の坑道に
金山採掘中の坑道より温泉が湧出
入浴したところ病気平癒した故事が残される
土肥温泉発祥の湯となっている
「まぶゆ」がある
浴槽の脇に湯かけ地蔵が祀られており
病気平癒を祈念しつつ願う部位と同じ地蔵のその部位に
温泉をかけると霊験ある
ーーーーー
・・・???
↓↑ ↓↑
エメラルドブルーの謎 (碧き眼の人形伝説) 奈井江 五郎
↓↑ ↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
+
(表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
↓↑
干支歴
↓↑
追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
↓↑
メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8
↓↑
モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
↓↑
モウ君の総合目次
↓↑
コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
↓↑
古事記と虎関師錬
夏癸殷辛(カキインシン)・・・夏季殷賑・下記音信
夏の癸(水の音)・殷の辛(歌の音)・・・?
↓↑
ハルのツギはナツ・・・葉留の通義は名附・・・?
ナツのツギはイン・・・名通の通義は音・・・・・?
インのツギはシュウ・・意務の通義は習・・・・・?
↓↑
シュウのツギはシュンジュウ・・習の通義は諏務重・・・?
シュンジュウはセンゴク・・・・・諏務重は撰語句・・・・・?
センゴクのツギはシン・・・・・・撰語句の通義は晋・・・・?
↓↑
万葉集原文
春過而・・・・・春過ぎて
夏来良之・・・・夏来たるらし
白妙能・・・・・白妙(しろたへ)の
衣乾有・・・・・衣(ころも)干(ほ)したり
天之香来山・・・天(あま)の香具山(かぐやま)
↓↑
万葉集 百人一首
春過ぎて夏 来たるらし・・・・・・春過ぎて夏来にけらし
白妙(しろたへ)の・・・・・・・・白妙(「しろたへ)の
衣(ころも)干(ほ)したり・・・・衣(ころも)干(ほ)すてふ
天(あま)の香具山(かぐやま)・・天(あま)の香具山(かぐやま)
↓↑
しろたへ =白栲・白妙・白い・白色
たえ・・・耐え・堪える・絶え・・・
多重・多依・・・太安万侶・多治比」
↓↑
史路・斯蘆・新羅・白木・新良貴・素木
斯蘆=しろ
朝鮮語=サロ
漢字上古音=シラ
日本語=新羅(しらぎ)
奈良時代=しらき
万葉集=新羅奇(しらき)
出雲風土記=志羅紀(しらき)
新羅城=新羅の主邑
朝鮮半島南東部の
辰韓十二国の一
↓↑
梁の時代
「職貢図」
斯羅國
本
東夷
辰韓之小國也。
魏時曰
新羅
宋時曰
斯羅
其實一也。
或屬韓
或屬倭
國王
不能自通使聘。
普通二年
其王名
募秦
始
使
隨
百濟奉表献方物。
其國有城
號曰健年。
其俗
與
高麗相類。
無文字
刻木為範
言語待
百濟而
後通焉
↓↑
斯羅國は元は東夷の辰韓の小国。
魏の時代では新羅
劉宋の時代には斯羅
同一の国
或るとき韓に属
或るとき倭に属
したため国王は使者を派遣できなかった
普通二年(521年)
募秦王(法興王)が
百済に随伴して初めて朝貢
斯羅国に
健年城あり
習俗は
高麗(高句麗)と類似
文字はなく
木を刻んで範とした(木簡)
百済の通訳で
梁と会話
↓↑
しろたへに・・・・・こうぞ(楮)類の樹皮から
とった繊維(栲)で織った白い布
匂(にほ)ふ
信土(まつち)の・・信土山=真土山
山川(やまがは)に
↓↑
白栲尓・・・白栲(しろたへ)に・・・栲=木+考
丹保布・・・匂(にほ)ふ・・・・・・匂=勹+ヒ
信土之・・・信土(まつち)の
山川尓・・・山川に・・・サンセンに=纂撰似(邇・爾)
吾馬難家・・わが馬なづむ家・・・難=むずかしい
戀良下・・・恋ふらしも・・・・・戀=䜌+心
糸+言+糸+心
䜌=ラン
乱れる・もつれる
治める・もつれを解く
絶え間なく続くさま
途切れずに続くさま
↓↑
夏=丆+目+夂=夓
・・・丆+α=面・石・而・両・百・頁
靣・・・不=丆+ト
一+自+夂
夓=⺽+一+自+儿+夂
⺽+一+自+八+夂
⋿+頁+ヨ+夂
⋿+丆+見+ヨ+夂
⋿+丆+目+儿(ハ・八)+ヨ+夂
カ
ゲ
なつ
四季の一
立夏~立秋までの期間
六月~から八月頃
陰暦四月~六月
漢民族が自国を称したことば
中国最古とされる伝説上の王朝の名
大きいさま・盛んなさま
↓↑
夏癸殷辛(カキインシン)・・・夏季殷賑・下記音信
かきいんしん=柿木隠新(秦・臣・辛・神・審)
暴君のたとえ
夏王朝の
桀王・・・「癸」は桀王の名
と
殷王朝の
紂王・・・「辛」は紂王の名
出典 張衡「東京賦」・・・東京の賦(貝+武=改部)
↓↑
α+夏
厦=厂+夏=廈
カ・いえ・大きな家・邸宅
廈=厦
嗄=口+夏
サ
かれる・しゃがれる・しわがれる
声がかすれる・声がかれる
空き家で声嗄らす=徒労
楽屋で声を嗄らす=無駄な努力
声を嗄らす(こえをからす)
榎=木+夏
カ・えのき
ひさぎ(楸)
のうぜんかつら(凌霄花)科の落葉高木
楸 (きささげ)
木大角豆・木豇豆
ニレ(楡)科の落葉高木
古名 ノウセウ(陵苕)・ノセウ・訛ってノウゼン
蔓が他の木に絡み
攀じ登るため「カズラ」の名がついた
別名 「まかやき(陵苕)」
凌霄(リヨウショウ)
朝鮮読み「ヌンソ」
凌霄花=「霄(そら)を凌ぐ花」
高いところに攀じ登ること
漢詩では他物に絡むため
愛の象徴
中国語で「紫葳(zǐ wēi)」
花の形がトランペットに似て
英語では「トランペット・ヴァイン(trumpet vine)」
「トランペット・クリーパー(trumpet creep)」
「トランペット・フラワー(trumpet flower)」
蔓は長さ3mから10mほどまで成長
他のものに吸着する付着根を出して這い登る
幹はフジと同じように太くなる
樹勢が非常に強く丈夫な花木
地下茎を延ばし
蘖を周囲に芽生えさせ、繁殖する
葉は奇数羽状複葉で対生
小葉は2~6対、5~13枚
長さは3-7cmで表裏面ともに無毛
幅は2~4cm
縁には粗い鋸歯
柄は無柄
側小葉は卵形ないし広卵形または楕円形
表面は濃緑色で光沢があり
裏面は帯白緑色
先端は鋭頭または鋭尖頭で
基部は広い楔形
側脈は5~7対
↓↑ ↓↑
枝先に円錐花序を萌出し
直径6~7cmの橙黄色の花を対生
花房は垂下し
花冠は広い漏斗型
先端は5裂し平開
雄蕊は4本のうち2本が長い
花は暖地では晩夏から秋にかけ大量に形成
落花すると、蜜がたれ周りを湿らし
その蜜にメジロや蜂が集まってくる
長雨で蕾が落ちやすい
漢方薬では利尿や通経
鳥媒花で
ハチドリが空中をホバリングしながら
嘴を花の中にさし込んで蜜を吸う
無毒だが
猛毒の
キダチチョウセンアサガオ
との混同・・・
ウゼンカズラもドウダンツツジも無毒だが
1970代頃まで
古い物図鑑や百科事典などで
有毒と記されていた・・・
↓↑
甘夏(あまなつ)
夏季(カキ)
夏期(カキ)
夏眠(カミン)
季夏(カキ)
夏安居(げあんご)
僧侶が夏の一定期間外出せず
室内にこもって修行
陰暦四月十六日~七月十五日まで
夏至
消夏・銷夏(ショウカ)
初夏
戎夏(ジュウカ)
盛夏
仲夏
常夏(とこなつ)
夏帯(なつおび)
夏掛け・夏掛(なつがけ)
夏枯れ(なつがれ)
夏着(なつぎ)
夏草(なつくさ)
夏木立(なつこだち)
夏蚕(なつご)
夏衣(なつごろも)
夏作(なつさく)
夏座敷(なつざしき)
夏時間(なつじかん)
夏空(なつぞら)
夏便り(なつだより)
夏隣(なつどなり)
夏鳥(なつどり)
夏場(なつば)
夏羽織(なつばおり)
↓↑
夏雲奇峰(カウンキホウ)=夏に発生する入道雲が作り出す
珍しい峰の形
出典 顧愷之「神情詩」
夏下冬上(カカトウジョウ)=種火は夏には炭の下に置き
冬には上に置くとよい
夏癸殷辛(カキインシン)=
夏侯拾芥(カコウシュウカイ)=夏侯、芥(あくた)を拾う
夏虫疑氷(カチュウギヒョウ)=夏虫、氷を疑う
夏鑪冬扇(カロトウセン)=時期が合っていないために、役に立たないもの
役に立たない意見や才能
九夏三伏(キュウカサンプク)=夏至以降の
三回目の庚の日を初伏
四回目の庚の日を中伏
立秋の後の最初の庚の日を末伏
春夏秋冬
冬溫夏凊(トウオンカセイ)=親孝行をすること
冬夏青青(トウカセイセイ)=変わらない固い信念
一年中緑色の葉をつける常緑樹にたとえた
戴く物は夏も小袖
(いただくものはなつもこそで)
仕事幽霊飯弁慶
その癖夏痩せ寒細り
たまたま肥ゆれば腫れ病
(怠け者の大食漢の多病をあざけった)
天地、夏冬、雪と墨
(テンチ、なつふゆ、ゆきとすみ)
飛んで火に入る夏の虫
夏歌う者は冬泣く・・・キリギリスとアリ
↓↑
夏布子 の寒帷子
(なつぬのこのかんかたびら)
夏の風邪は犬も食わぬ
夏の小袖(こそで)
夏の虫、氷を知らず
夏の虫、氷を笑う
夏は 日向を行け、冬は 日陰を行け
(なつはひなたをいけ、ふゆはひかげをいけ)
冬編笠 に 夏頭巾
(ふゆあみがさに なつずきん)
貰う物は夏も小袖(こそで)
ーーーーー
・・・???
↓↑ ↓↑
エメラルドブルーの謎 (碧き眼の人形伝説) 奈井江 五郎
↓↑ ↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
+
(表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
↓↑
干支歴
↓↑
追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
↓↑
メリキリの - YouTube
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↓↑
モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
↓↑
モウ君の総合目次
↓↑
コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
↓↑
古事記と虎関師錬
雪解けに選挙カァー・・・
溜め息をしながら悴(かじか)む手で薪を割る
既に遅しワレが所為・・・
↓↑
溜め息をすれば親の寿命が縮む
子どもがため息をつけば
親は寿命が縮むほど心配するから
親にそんな態度を見せてはいけない
↓↑
・・・心配してくれたママは既に逝ってしまった・・・
↓↑
鉄腕アトム
第26話「十字架島(原題:十字架大陸)」
1958年01月号(付録)
02~04月号(本誌)少年
↓↑
また
Bingさんに訊いてみた・・・「金三角」を・・・
↓↑
手塚先生の「鉄腕アトム」の連載漫画で
「サンカク金」の意味を教えて
↓↑
Bingさん
「サンカク金」は
手塚治虫の作品に登場するキャラクターの一人です。
彼は「金三角」とも呼ばれます。
彼は、手塚治虫の小学校時代の親友である
石原氏をモデルにしたキャラクターで
手塚マンガの中でも異彩を放つ悪役スターとなりました。
しかし、
彼は悪役ながらも憎めない役を演じ続けます。
それでは、他に何かお手伝いできることがありますか?
詳細情報:
1. tezukaosamu.net
2. tezukaosamu.net
3. ja.wikipedia.org
+1 その他
↓↑
俳優は「ハムエッグ」でしたか?
↓↑
Bingさん
ハム・エッグは、手塚治虫の作品に登場する別のキャラクターです。
彼は、手塚治虫の様々な作品に登場する悪役で
詐欺師や泥棒として描かれることが多いです。
それでは、他に何かお手伝いできることがありますか?
↓↑
じゃぁ、「ランプ」でしたか?
↓↑
Bingさん
「ランプ」と言えば
手塚治虫の作品に登場する
「アセチレン・ランプ」というキャラクターがいます。
彼は、手塚治虫のスター・システムを代表する「俳優」の一人で
中肉中背で
角ばった顔と大きな目の中年男性として描かれます。
また後頭部にはくぼみがあり
何かの拍子にそこへ火のついたろうそくが立つ描写があります。
これが彼の最大の特徴であり
「ランプ」という芸名の由来にもなっています。
それでは、他に何かお手伝いできることがありますか?
詳細情報:
1. ja.wikipedia.org
2. tezukaosamu.net
3. ja.wikipedia.org
+1 その他
↓↑
三角金は別なキャラクターでしたか?
↓↑
Bingさん
はい、
「三角金」は
「金三角」とも呼ばれる
手塚治虫の作品に登場するキャラクターです。
彼は、手塚治虫の小学校時代の親友である
石原氏をモデルにしたキャラクターで
手塚マンガの中でも異彩を放つ悪役スターとなりました。
彼は悪役ながらも憎めない役を演じ続けます。
それでは、他に何かお手伝いできることがありますか?
↓↑
彼の「顔」が思い出せないのですが
↓↑
Bingさん
「金三角」は
手塚治虫の作品に登場するキャラクターですが
彼の顔の詳細な描写については
私の知る限りではありません。
ただし、彼は
「まん丸の顔にまん丸の黒眼鏡」
という風貌で描かれることが多いようです。
それでは、他に何かお手伝いできることがありますか?
↓↑
ありがとう!!・・・
↓↑
Bingさん
どういたしまして!
↓↑
ボクの記憶違いの払拭(拂拭)・・・
「金三角」だった・・・「鉄腕アトム」の単行本を持っているのに・・・
<iframe src="https://richlink.blogsys.jp/embed/15b81278-02d4-33a8-8bda-80faf2559075" frameborder="0" scrolling="no"></iframe>
https://tezukaosamu.net/jp/character/917.html
で、忘れていた彼の「顔」を思い出したけれど・・・
「1958年鉄腕アトム /十字架島」
あれって、「変身ロボット・プーク」のハナシだったけ?
「十字架島」って日本領土で貴重な鉱石、原石産出の島だった
最近、日本国領海の島々と海底で
発見されている資源のニュースを見るたびに
「鉄腕アトム・十字架島」と「プーク」を思い出していたが
「金三角」の名前は記憶にあるのに
「彼の顔」を思い出せなかった・・・
確かに
「Bing」さんが教えてくれた
「まん丸の顔にまん丸の黒眼鏡」
で、アイツだったのを確認しながら思い出した・・・
↓↑
↓↑
・・・むかし、手塚先生の「鉄腕アトム」の連載漫画で
「サンカク金」の役を
「ハムエッグ」が演じて登場してきたが・・・これは記憶違いで
「金三角」本人
↓↑
ボクはその
「サンカク金」
の名前の意味が理解デキなかった・・・が・・・
毎度、お世話になっている
「漢字辞典(ONLINE)=漢字辞典オンライン」さん
https://kotowhttps://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/3677.php
からの「ことわざ辞典」から検索添付・・・
↓↑
「金は三欠(か)く」に溜まる
義理と人情と交際の
三つを欠くぐらいでなければ
金はたまらない
金持ちと灰吹きは溜まるほど汚い
金持ちは
財産を増やそうとしたり、減らすまいとしてけちになり
心が卑しくなる
灰吹き=たばこの吸い殻を入れる竹筒
↓↑
食い溜め寝溜めは何にもならぬ
窪(くぼ)い所に水溜まる
人や物も集まるべきところに自然に寄り集まってくる
吝(しわ)ん坊と灰吹きは溜まるほど汚い
↓↑
寿=壽=ことぶき・シュ・シュウ・ジュ・ス)・ことぶき=ことほぎ
寿司
尋(たず)ねる壽(ことほぎ=言祝ぎ)
祝言・祝詞(のりと)・寿詞(よごと)・家讃め・国讃め・予祝芸
↓↑
春=「𡗗+日」=旾「屯+日」=萅=「芚+日」
↓↑
舂(つく・シュ・ショウ)
舂=三+人+臼=臼搗(うすづ)く
=㫪=三+人+旧
三+人+丨+日
ショウ
うすづく
つく・うつ=衝
太陽が没する・日が沈む
↓↑
春=𡗗+日
三+人+日
三+丿+乀+日
丯(丰)+乀+日
シュン
はる
四季の一
立春~立夏まで
三月~五月頃
陰暦の一月~三月
年始・正月
色情・男女間の情欲
性的な欲望・春情
としごろ
青年期・青春
とし・としつき
春秋
↓↑
春
↓↑
萅=艹+旾=春
芚+日
艹+屯+日
艹+丿+凵+乚+日
旾=屯+日=春
丿+凵+乚+日
↓↑
α+𡗗+β
↓↑
秦=𡗗+禾=𣜈=𥠼=𥢮=𥣠=䄅=䅈
三+人+禾
一+人+禾
シン・ジン
はた
異体字「𣜈・𥠼・𥢮・𥣠・䄅・䅈」
・・・挙手・暴挙・拳闘・拳(こぶし)・選挙
䅈≠拳=龹+手= 拳=挙=擧=举
丷+二+人+手
八+二+人+手
丷+一+人+手
八+一+人+手
ケン・ゲン
こぶし・にぎりこぶし
あげる
こぞって
全員が同一の行動を起こす様子
5本の指を折り曲げ
握った状態の手
握り拳・拳骨(ゲンコツ)
素手の武術
けん・ジャンケン
手指の形を変えて勝負を争う遊び
䅈≠桊=龹+木
丷+二+人+十+八
八+二+人+十+八
ケン
牛の鼻に通す木製または鉄製の鼻輪
木を曲げて作った器
↓↑
秦=𡗗+禾=𣜈=𥠼=𥢮=𥣠=䄅=䅈
𡗗=杵を両手で掲げる
禾=稲穂・稲
戦国時代の七雄の一
陝西(センセイ)省を領有
始皇帝が中国全土を統一
(紀元前778年~紀元前206年)
都 咸陽(カンヨウ)
三代十五年で
漢の高祖に滅ぼされた
↓↑
前秦(351年~394年)=大秦
五胡十六国の1つ
晋の時に
苻健が建国
大秦
都 長安
↓↑
後秦 (384年~417年)
五胡十六国の一
姚萇(ヨウチョウ)
が前秦を滅ぼし建国
↓↑
西秦(385年~431年)
五胡十六国の一
乞伏国仁(キツブクコクジン)
が後秦から 独立して建国
都 苑川(エンセン)
↓↑
甘粛省(カンシュクショウ)の古名
陝西省の別名
↓↑
日本
秦=はた・太秦(うずまさ)
応神天皇の時代
帰化した子孫の名字=姓氏の一
↓↑
朝秦暮楚(チョウシンボソ)
一定の場所に生活の拠点をもたず
ふらふらと放浪すること
信念や主義などがすぐに変わる人
朝には秦の国にいたのに
夕方には楚の国にいる
出典 晁補之「北渚亭賦」
↓↑
莋秦(さくしん)古代中国の県名
莋碓(さくたい)山の名
莋都(さくと)漢代の国の名
莋馬(さくば)莋都で産まれた馬
↓↑
臻=至+秦
至+𡗗+禾
一+厶+十+一+三+人+ノ+十+八
シン
いたる
おおい
きたる
とどく・およぶ・よりあつまる
↓↑
蓁=艹+秦=シン
しげみ
草木や葉が盛んにしげるさま
草むら・多く集まっているさま
↓↑
嫀=女+秦=シン・ジン
女性の字(あざな)
↓↑
搸=扌+秦=シン
集まる
琴瑟(キンシツ)の音
↓↑
溱=氵+秦=シン
溱溱(シンシン)=多いさま・盛んなさま
↓↑
獉=犭+秦=シン
嗪=口+秦=シン
↓↑
榛=木+秦=シン
はしばみ
はり(梁)
カバ(樺)ノキ科の落葉低木
草や木が生い茂った場所
はり(梁)
はりのき・はんのき
カバノキ科の落葉高木
・・・榛名・羽留奈・・・
↓↑
瑧=王+秦=シン
玉の名
↓↑
殝=歹+秦=シン
尽きる
死ぬ
↓↑
螓=虫+秦=シン
昆虫の名
蝉(せみ)の一種
額が広く四角い蝉
↓↑
縥=糸+秦=シン
水の流れがはやいさま・急流
↓↑
轃=車+秦=シン
大きな車の床に敷くすのこ(簀の子)
到着する・行き着く・いたる
ーーーーー
・・・???
↓↑ ↓↑
エメラルドブルーの謎 (碧き眼の人形伝説) 奈井江 五郎
↓↑ ↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
+
(表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
↓↑
干支歴
↓↑
追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
↓↑
メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8
↓↑
モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
↓↑
モウ君の総合目次
↓↑
コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
↓↑
古事記と虎関師錬
「あるじぇ」の「たたかい」の「はかせ」のイイブン
「盾(楯)突く=たてつく=点て付く・立て付く・建て付く」
ヒトの矛盾・・・
確信犯の矛盾
パラドックス(paradox)
抱薪救火(ホウシンキュウカ)・・・?
首相へのテロを「捨て身」と「盾」で防御したオマワリさん
↓↑
ご先祖様達が生きる為に
アンナにスゴイものを作っていたのに・・・
石斧は
「木」を切り倒し・・・「栗(くり)の木(き)」
家の
「柱」や
「屋根の梁」
「壁の板」を作り、そして
「薪割り」に使用し・・・
「薪(たきぎ・まき)」にして燃やして
煮炊き、灯かり、土偶製造の乾燥熱とした・・・
↓↑
薪=艹+新
艹+亲+斤
艹+立+木+斤
・・・草や立ち木を斧で伐(切る・切断)る
シン
たきぎ
まき
燃料にするための木
↓↑
臥薪嘗胆(ガシンショウタン)=目的を果たすために
苦難に耐えて機会を待つこと
曲突徙薪(キョクトツシシン)=未然に災難を防ぐこと
採薪汲水(サイシンキュウスイ)=自然の中で質素な生活
採薪之憂(サイシンのうれい)=病気を患っていることを
謙(へりくだ)って云う
病気で薪を採りにいくことすらできない
洒掃薪水(サイソウシンスイ)=家事仕事・灑掃薪水
座薪懸胆(ザシンケンタン)=目的を果たすために
苦難に耐えて機会を待つこと
薪尽火滅(シンジンカメツ)=釈迦入滅のこと・人の死をいう
薪水之労(シンスイのロウ)=人に仕えて、怠けず懸命に働くこと
積薪之嘆(セキシンのタン)=後から来た人が重用されて
先にいた人が
下の立場になって苦労する悩み
古い薪の上に新しい薪が積み重ねられ
古い薪は下のままになっている
積薪之歎
噬指棄薪(ゼイシキシン)=母と子の気持ちがお互いに通じること
戴封積薪(タイホウセキシン)=後漢の戴封が
雨降りの祈祷をささげたが雨は降らず
薪の上に座り自分を燃やして
生贄にしようとしたところ大雨が降り始めた
抽薪止沸(チュウシンシフツ)=問題を根元から解決すること
薪を抽(ぬ)きて
沸(たぎり)を止(とど)む
杯水車薪(ハイスイシャシン)=少なすぎて役に立たないこと
負薪汲水(フシンキュウスイ)=自然の中で質素な生活をすること
負薪之憂(フシンのうれい)=自分の病気を謙遜していう言葉
負薪之病(フシンのヘイ)=自分の病気を謙遜していう言葉
釜底抽薪(フテイチュウシン)=根本原因を取り除かなければ
問題を解決することはできない
釜底(フテイ)薪(たきぎ)を抽(ぬ)く
米珠薪桂(ベイシュシンケイ)=生活必需品が非常に高価なことのたとえ
抱薪救火(ホウシンキュウカ)=害を取り除こうとして
逆に被害が大きくなること
薪を抱えたまま火を消そうとする
薪を抱きて火を救う
薪に花=姿は上品ではなくても、内にはやさしさや風雅の
心を秘めていることのたとえ
薪を採る山人が、積んだ薪に野山の花を添えるの意
↓↑
噺=口+新
口+亲+斤
口+立+木+斤
はなし
物語・おはなし・御伽噺
国字
㜪=新+女
亲+斤+女
立+木+斤+女
↓↑
楯築=たてづき
楯築墳丘墓
別名 片岡山古墳
所在地 岡山県
倉敷市 矢部
形状 双方中円形墳丘墓
規模 両端72m 墳丘直径50m
出土品 鉄剣・首飾・ガラス玉・小管玉
築造時期 2世紀後半~3世紀前半・・・
↓↑
香坂山(こうさかやま)遺跡
長野県
佐久市
香坂山遺跡
3万6800年前の
旧石器時代の石器「大型石刃」
石刃として国内最古のもの
↓↑
「盾突く=たてつく=楯突く・点て付く・立て付く・建て付く」
たて‐つ・く=盾突く・楯突く
目上 の人に対して 逆らう
従わずに 文句 を言って反 抗する
歯向かう=刃向かう=ハむかう・口答えする
戸や障子などがすき間なく,ぴったりと閉まる
↓↑
ゴシップ(gossip)=god(神)+sibb(親族)=名付け 親
ゴッドファザー=Godfather
代父・教父・マフィアの首領(ドン・Don)
洗礼式の教母・名づけ親の女性
ゴッドマザー=Godmother・・・moth=ガ(蛾)
イガ(衣蛾)・衣服の虫食い
god-mother⇔motor
破壊者 (『ホ セ ア』5,12)
堕落(『マタイ』6,19)
寄食者
他人の金で暮らす怠け者(女性)
(『コリオレーナス』・『 オ セ ロ 』
Like a moth to a flame
飛んで火にいる夏の虫
flame=燃え上がる火炎・燃焼時の白熱と赤熱
急速な燃焼において熱を持ち明るい領域
カトリックで子供の洗礼式に立ち会って
名を与え
霊魂上の親として保護する役割を担う
実親でない成人信者の女性
代母・女性の後見人
ルーマー(rumor)= 噂・真偽が定かでなく出どころも不明な情報
口伝(くちづて・review・口コミ・comment)で拡散
レピュテーション(reputation)=世評・評判・評価
アセスメント(assessmen)=世評・評判・評価
査定・分析
利用者に関する情報を収集・分析し
日常生活を営むために
解決すべき課題を把握すること
↓↑
スキャンダル (scandal) =地位を利用した汚職、金銭トラブル
情事などでの不祥事、醜聞
不正事件に対し
当事者が
世間から反感を買い
物議をかもし
世間体や面目を損ない
恥を晒すような事柄
↓↑
スキャンダル=実際の不肖(不祥)な出来事・・・
不詳・不承・普照・富商・父称・賦唱
ゴシップ =スキャンダルの情報・興味本位の噂話
噺=口+新
口+亲+斤
口+立+木+斤
はなし
物語・おはなし・御伽噺
国字
↓↑
㜪=新+女
亲+斤+女
立+木+斤+女
異体字「𡣎・姺・嫀」
疑姓也。嫌姺是國名、故曰疑。疑者不定之䛐也
姺从女、葢以姓爲國名
商有姺邳
↓↑
娒=女+毎
ボ・モ・ブ・ム
女子に礼儀や学問などを教育する婦人=「姆」
侮(あなど)る、相手を軽(かろ)んずる
「嫚娒(マンブ)」
↓↑
婘=女+巻
ケン/]
可愛らしいさま=孉
親族、血筋の繋がっている一族=眷・眷族
↓↑
㛺=女+音
アン・オン
志が不浄な女
「㛺贜」=手が汚れているさま
↓↑
媂=女+帝
テイ・タイ
女性名用字
厠(かわや)の神の名
圊室神名
↓↑
𡜹=邪+女
↓↑
娿=阿+女
ア
=婀=妸
「娿娜(アダ)」=しなやかで美しいさま、嫋(たお)やかで美しいさま
「媕娿(アンア)」=決断できないさま
↓↑
𡡗=女+𤔔
ラン
慕(した)う、恋い慕う=孌
𤔔が乱れる
亂が治める意の字
のち亂に𤔔の訓を加え
「乱る」「治む」の両義
「𤔔」=「縺(もつ)れた糸」
「乙(乚)」=「骨篦(べら)」
「骨べら=乙・乚」で
「縺(もつ)れた糸を解く・故におさめる意(字通)」
「亂の左の部分(𤔔)は
糸を上下から手で引っぱるさま(受・冂・ム・又)
右の部分は乙(乚篦)で押さえるさま」
「乙=乚」の字形は
「杼(ひ)や筬(おさ)」
と呼ばれる道具・・・
「予は杼の初文、
杼は織物の横糸を通す道具・・・・杼
これで糸を送ることを抒・・・・・抒
その送る糸を紓という・・・・・・紓
紐を井中に深くのばして、
井水を挹(く)むことも抒・・・・抒
杼(ひ)=機(はた)の横糸をのばし出す、糸巻き
予(説文解字)
その末端に糸のあらわれている形(字通)
予=口印をひっぱってずらしたさま
糸をのばして出す木製の糸巻き(漢字源) 」
「杼(ひ)=1本の棒に
緯糸(たていと)を巻いて用いていた」・・・
↓↑
覶=𤔔+見=覼
爫+龴+冂+厶+又+見
=楽しげに見る・悦覧・閲覧・観覧
見(みる)
ラ
事細かいさま・詳しいさま=覼=爾+見
順序だてる・順序だてて述べる
・・・何を楽しげに観るんだかは
「亂・蘭・藍」ではなく
「漢字」自体である・・・
「辞=辭・𤔲・𨐲・𦧦・辝・𨾱
=シ・ジ・ことば・やめる」・・・
「辭=𤔔(爪+マ+冂+ム+又)
+
辛(立+十=つらい・からい
入墨、刺青、黥、文身の針・鍼)」・・・
・・・「ハリ」の同音異義のカンジ・・・ガラス=玻璃
葉の理は・・・ワンサカ跋扈・・・
この時期、ガラスも黄砂でクモルかな・・・
窓の外は雪がチラついている今現在・・・
ーーーーー
・・・???
↓↑ ↓↑
エメラルドブルーの謎 (碧き眼の人形伝説) 奈井江 五郎
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古事記と虎関師錬
森の石松(?~1860年7月18日(万延元年六月一日)
清水次郎長の子分
出身地
三州半原村(愛知県新城市富岡)
or
遠州森町村(静岡県周智郡森町)
とも・・・
浪曲では「福田屋という宿屋の倅」・・・
二代目
廣澤虎造=広沢 虎造(ひろさわ とらぞう)
1899年〈明治三十二年〉5月18日
~
1964年〈昭和三十九年〉12月29日)
大運1963年4月(63歳)⇔壬戌偏官
己┏亥(戊甲壬)傷官・偏印 絶⇔甲辰偏印
己┗巳(戊庚丙)傷官・偏財建禄⇔丙子比肩
丙 戌(辛丁戊) ・劫財 墓⇔壬子偏官
己 丑(癸辛己)傷官・正財 養⇔辛丑傷官
午未空亡
↓↑
浪曲師・俳優
東京府東京市芝区白金(港区白金)出身
本名 山田 信一
旧姓 金田 信一
↓↑
三角形=triangle・・・纂佳句経?
正方形=square・・・西方経?
円 =circle・・・・延→直線=チョクセン=勅撰?
↓↑
円周=エンシュウ=演習=遠刕=遠州
円周(circumference)=円の周囲・周長
サァ(ル)カァンファラァンス・サカムファレンス
作有留化案附蛙覧務素・佐賀務附蛙聯(連)州???
円周率 π=円周の直径に対する比率
「殷」の勃興と終焉・・・「音楽の終焉」?
↓↑
殷=アン・イン・オン・エン
殷(オン)
殷(エン)
殷(イン)
殷(アン)
殷(かゆた)か
殷(ねんご)ろ
殷(やかにぎ)やか
殷(さか)ん
殷(おお)い
殷(あか)い
10種の読み方
↓↑
周王朝の勃興と終焉
円周
円周率・・・終焉の無い無限の「パイ(π・Π)」
几帳・机
円周卒(ソツ=卛・率・䘚・卆)
↓↑
䘚=衣+十
=卆
=卒
=率
=卛
↓↑
ソツ・シュツ
おえる(終)
おわる(終)
しもべ(僕)
ついに(終に)
にわかに(俄かに)
しもべ(従僕・僮)・召し使い
突然・にわかに・急に
級の低い兵士
百人の軍隊
終える・終わる
ついに
結局は・最後には・行きつくところは
死ぬ
高い身分の人が死ぬ
卛=䜌+十=卒・卆・・・枠
一兵卒
率先
卒業・・・親鸞・戀愛・恋慕
↓↑
卛=糸+言+糸+十
幺+小+言+十
リツ・ソツ
シュツ・スイ
ひきいる
おおむね
かしら
したがう
わりあい
ひきいる・導く
したがう・つきしたがう・従いまもる
おおむね・すべて・大体・大方
あっさりしている・かざりけのない
かしら・おさ・ひきいる者
わりあい・歩合・程度
きまり・規則・のり
↓↑
周王
四人の王
共王・・・「共」和国?
懿王・・・「懿」徳天皇?
孝王・・・「孝」明天皇?
夷王・・・蘇我蝦「夷」?
↓↑
・・・「中大兄皇子」・・・「中のお柄の往時」?
名賀・那賀・長・永
那加・那珂・名嘉・中
↓↑
「ナ」+「が・ぎ・ぐ・げ・ご」
「ナ」+「が」=長野・長居・奈雅井
「ナ」+「ぎ」=凪・薙ぎ・和ぎ・椥
「ナ」+「ぐ」=和ぐ・殴る
「ナ」+「げ」=嘆・歎
「ナ」+「ご」=名護・長太・名古・奈胡
↓↑
二課・仁賀・苦
「二」+「が・ぎ・ぐ・げ・ご」
「二」+「が」=苦い・煮貝
「二」+「ぎ」=二義・握・賑合い
「二」+「ぐ」=似具・邇具
「二+「げ」=逃げ・逃げる
「二」+「ご」=濁る
↓↑
糠・額・奴賀・額賀・怒賀
「ヌ」+「が・ぎ・ぐ・げ・ご」
「ヌ」+「が」=怒賀・奴賀
「ヌ」+「ぎ」=脱ぎ・塗木
「ヌ」+「ぐ」=脱ぐ・拭
「ヌ」+「げ」=脱げ・貫け・抜け
「ヌ」+「ご」=脱誤・怒誤
↓↑
nega
「ネ」+「が・ぎ・ぐ・げ・ご」
「ネ」+「が」=願い
「ネ」+「ぎ」=葱・禰宜・根木・根來
「ネ」+「ぐ」=塒鵜・根倉
「ネ」+「げ」=根毛・音化
「ネ」+「ご」=根後・音語
↓↑
野賀・逃・佚・迯・遁
「ノ」+「が・ぎ・ぐ・げ・ご」
「ノ」+「が」=遁る・逃・佚・竄=改竄
「ノ」+「ぎ」=禾・乃木・能義・埜木
「ノ」+「ぐ」=野具
「ノ」+「げ」=禾・野下
「ノ」+「ご」=廼語・盧語
↓↑
太伯 (曹)
太伯(タイハク)
西周の諸侯
曹の第2代の君主
姓は姫
名は脾・・・「脾=月(肉)+卑」・「脾臓」
「曹 叔 振鐸」の子として生まれた
「曹 叔 振鐸」の後をうけて
曹国の君主となった
「仲君」の父
『史記』管蔡世家第五
「叔振鐸 卒,子 太伯 脾立。
太伯 卒,子 仲君 平立。」
↓↑
紀元前12世紀・紀元前11世紀頃の人物
太伯(タイハク)
虞仲(グチュウ)
周王朝の
古公亶父の子で兄弟
后稷を始祖
周王朝の祖である
后稷の母
姜嫄の
「姜=羌」
周は元々
羊の遊牧文化を持つ
非定住農耕民であったという説・・・
↓↑
姓は姫(キ)
二人とも
「季歴」の兄
「文王」の伯父
↓↑
「太伯=泰伯」は長男
呉(句呉)の祖
「虞仲=名は雍・呉仲」
↓↑
古公亶父
長男の太伯
次男の虞仲
末子の季歴
↓↑
季歴の子の
昌(文王)が優れた子で
あったので
「古公亶父」は
「わが家を興すのは昌であろうか」
と言っていた
↓↑
父の意を量った
太伯と虞仲は
季歴に後を継がせるため
荊蛮の地へと自ら出奔
後
周の者が二人を迎えに来たが
二人は
髪を切り
全身に刺青を彫って
中華へ帰るに相応しくない人物として
これを断った
↓↑
太伯
号 句呉(コウゴ)
呉国を建国
荊蛮の多くが従った
太伯没後
弟の
虞仲(仲雍)
が跡を継いだ
↓↑
武王は
虞仲の曾孫の
周章を改めて
呉に封じ
その弟の
虞仲(同名の別人)を
北方の虞に封じた
これにより
太伯・虞仲は
呉
と
虞
の二カ国の祖となった
↓↑
髪を短く切るのは
海の中で邪魔にならないための処置
刺青をするのは魚に対する威嚇
二つの風習は
呉地方の素潜りをして魚を採る民族
中国の史書で
「倭」
に関する記述で
同じような風習を行っていると記録
↓↑
『翰苑』巻30
『魏略』逸文
『晋書』東夷伝
『梁書』東夷伝
などに
「倭」について
「自謂 太伯之後(自ら太伯の後と謂う)」
南宋の
『通鑑前編』
李氏朝鮮の
『海東諸国紀』
や
『日東壮遊歌』
等にもある
「呉の太伯の末裔説」
の初出は
3世紀後期の
『魏略』で
「呉の滅亡」は
紀元前473年
↓↑
南北朝時代の禅僧
「中巌円月」
が
日本を太伯の末裔だと論じた
北畠親房の
『神皇正統記』応神天皇条は
「異朝ノ一書」に
「日本ハ呉ノ太伯ガ後也ト云」
とあるのを批判
室町時代の
一条兼良も
『日本書紀纂疏』巻一で
太伯末裔説を批判
イエズス会宣教師
ジョアン・ロドリゲスの
『日本教会史』には
神武天皇は
太伯の2番目の弟
季歴(虞仲と季歴を混同?)
の第6代の子孫であるとしている
江戸時代
儒学者
林羅山
が
『神武天皇論』で
神武天皇の
太伯末裔説を肯定
↓↑
九州
宮崎県
諸塚山
句呉の太伯が
生前に住んでいて
死後に葬られたという伝承
鹿児島神宮(大隅国隅正八幡)
全国の神社で
唯一
太伯が祭られている
『新撰姓氏録』で
松野連(まつののむらじ)は
呉王
夫差
の後とある・・・
↓↑
孟子
『孟子』で
「舜は
諸馮に生まれて
負夏に移り
鳴條で亡くなった
東夷の人である。
文王は
岐周に生まれ
畢郢に死した
西夷の人だ」
と述べている
↓↑
季歴の息子
姫昌(文王)
が周国を繁栄させ
殷から
「西伯」の地位を賜る
殷の紂王は暴君だったため
諸侯は姫昌に頼って
革命を期待したが
姫昌は
紂王の臣下であり続けた
姫昌の死後
姫発(武王)
は
周公旦
太公望
召公奭
らの補佐のもと
前1046年
「革命戦争(牧野の戦い)」
武王は
紂王に打ち克ち(克殷)
周王朝を創始
↓↑
成康の治
武王の後を継いだ
成王(在位前1042年~前1021年)
は未だ幼少で
殷の残存勢力には侮れないものがあり
周公旦が摂政とした(周公旦即位説)
殷の遺民たちを治めさせていた
武庚禄父
と
周公旦の兄弟であるが
周公旦が政権を握ることに不満を持つ
管叔鮮
蔡叔度
が共謀して乱(三監の乱)
周公旦はこれを鎮圧
後7年して成王が成長した後
周公は一臣下に戻った
成王は
周公旦
召公奭
を左右に政務に取り組み
東夷
を討った
↓↑
成王の後
康王(在位前1020年~前996年)
召公奭
畢公高
を左右にし
40年にわたり刑罰がなかった(成康の治)
↓↑
4代目
昭王(在位前995年~前977年)
南方への遠征失敗し
周は軍事的に攻勢から守勢に転じた
5代目
穆王(在位前976年~前922年)
以降
王の親征が無くなり
祭祀王として
祭祀儀礼を行うことで
軍事的に弱まった王の権威を補っていく
↓↑
6代目
共王(在位前922年~前900年)
7代目
懿王(在位前899年~前892年)
8代目
孝王(在位前891年~前886年)
9代目
夷王(在位前885年~前878年)
までの時期に
礼制が改められ
王が臣下を職務に任命する
冊命儀礼
などを通じて周王室への求心力の維持を図り安定
夷王
は
紀侯
靖公の讒言を信じ
斉の
哀公を
「釜茹での刑(烹)」
に処し
諸侯に対する
暴虐・暗愚さが次代の
厲王
らへと受け継がれていった
↓↑
10代目
厲王(在位前877年~前841年)
大反乱で辺境に逃亡
周定公
召穆公
の2人の大臣が
合議制で
「共に和して」政治
英語の
「republic=共和制」
の故事由来
実際は
「共に和して」ではなく
「共伯和」という名の人物
が執政したので
それを略して
「共和」と呼んだ・・・
「和」という名の人物・・・説
↓↑
11代目
太子
静(宣王・在位前827~前782)
を立てて輔政し
宣王中興と呼ばれた
↓↑
12代目
幽王(在位前781年~前771年)
申から迎えていた皇后を廃し
褒姒を皇后とし
申侯の怒りを買い
申は
犬戎
を伴い王都へと攻め込んで
幽王を殺し
褒姒の子の
伯服(伯盤)も殺された(申侯の乱)
↓↑
13代目
携王(在位前770年~前750年)
即位
これに反対する諸侯は
東の洛邑(王城・成周・河南省洛陽市付近)
へ
王子
宜臼
を擁して移り
平王(在位前771年~前720年)
として立てて対立
周は東西に分裂
東の平王が勝利し
周は
東周と呼ばれ
春秋時代に移行
↓↑
春秋戦国時代
平王の孫
桓王
は王権の再強化を図ったが
「繻葛の戦い(前707年)」
で一諸侯に過ぎない
鄭に敗れ
諸侯に対する統制力を喪失
洛邑(王城・成周)周辺のみの小国となった
湖北省
随州市付近の
曽
の春秋時代の侯の墓に納められていた
青銅器の銘文に
「周室既卑(シュウシツ すでに ひくく)」
と記録
西周以来の伝統と権威を強調することで
祭祀を主催する立場の維持を図った
↓↑
春秋時代
秦の
景公
の墓の出土品の銘文で
秦の君主を本来
周王の称号であったはずの
「天子」と称され
孔子の
西周の時代を理想化した
礼制の整備が
代目
儒家や諸侯によって行われていくが
周王室は主導権を失い
祭祀を主催する立場すら失っていた
↓↑
戦国時代
覇者
晋
太公望の子孫
斉(姜斉)
といった
周王室と結びつきが強い諸侯が滅び
権威や存在意義が更に低下
魏の
惠王
は「夏王・天子」を称し
東周
23代目の王
顕王は
秦に対して
春秋時代に覇者に対して
行っていた儀礼を行うことで
秦の保護を受けようとしたが
既に天子を称していた
秦の
恵文王は
王を称し
七雄の諸侯のみならず
小国の宋
や北辺の中山国の君主までもが
王を称するようになった
秦の
昭襄王
と
田斉の
湣王に至っては
「西帝」
「東帝」
と帝号を称した
周王室の影響力はわずかに
王畿(洛陽附近)に限定
末期には
貞定王の末子
掲(桓公)を始祖とする
西周公(武公)
とそこから分裂した
東周君(昭文君)
の勢力によって分裂
周王朝最後の王
赧王
は
西周の武公を頼って
西周(河南)に遷都
元の成周は
東周君が支配
↓↑
赧王の在位
59年に及んだが紀
元前256年
西周
は諸侯と通じて
韓
と交戦中の
秦軍
を妨害し
秦の将軍
楊摎の攻撃を受けた
西周の
文公(武公の子)は
秦へ謝罪しその領土を秦に献上
赧王は秦の保護下に入ったが崩御し
西周の
文公も死去
その民は東周へ逃亡
秦は
九鼎と周王室の宝物を接収
文公の子を移した
秦が
王畿を占拠し
西周と周王室本家は滅亡
↓↑
東周
昭文君
は7年間存続したが
紀元前249年
秦の
呂不韋によって攻め滅ぼされた
『史記』秦本紀
昭文君は殺されたと伝えられているが
東周君に土地を与えて
周の祭祀を続けさせたとも記録・・・
昭文君の子が封じられた・・・
↓↑
前漢
武帝以降
儒学が尊重され
周王室の子孫も尊重され
姫嘉
という人物が
周子南君に封じられた
姫嘉の子孫は
元帝の時代に
周承休侯へ昇格され
平帝の時には
鄭公に
後漢の
光武帝の時代には
衛公に封じられた
↓↑
周の官制
金文によると周には
卿事寮(ケイジリョウ)
太史寮(タイリョウ)
2つの組織
卿事寮の長官は
太保
太師
の2つがあり、のちに太師だけになる
下に
司馬(軍事担当)
司土(司徒、土地管理担当)
司工(司空)
の職があり、各諸侯の下にも同じ職があった
太史寮の長官を
太史と呼び
歴史の編纂・各種儀礼・祭祀などを行った
↓↑
身分制度
『春秋左氏伝』
王の下に諸侯
その下に
大夫(タイフ)
と呼ばれる貴族層
その下に
士
と呼ばれる層
その下が
庶民
取引対象の
奴隷階層があった
↓↑
殷周の文化
王国維
は
「殷周制度論」
において
殷と周の間で諸制度の大変革があり
周の制度は
周公によって定められたと主張したが
実際は
周王朝は
殷王朝の礼制を踏襲し
その基礎の元に発展させていった
礼制に変革が起こったのは
西周後半期
↓↑
周と十干諡号
殷は
十干
で祖先を呼ぶ
十干諡号を使用
河南省
平頂山市応国墓地
八号墓で出土した
「05応公鼎」の銘文に
応公の号として
「珷帝日丁」
『春秋左氏伝』僖公二十四年の記述に
応国の君は
武王の子孫とされ
「珷帝日丁」とは
武王のことを指し
周が殷と同様に
十干諡号を有していた
↓↑
山東省
高青県
陳荘村で
西周
斉国の貴族の墓群が発掘
18号墓からは
「祖甲斉公」
という銘文が記された青銅器が発見
斉の国君は
2代目の丁公
~
4代目の癸公まで
十干諡号を用いた
↓↑
青銅器には
占卜の結果を鋳込んである
金文
殷代と比べて
周代は文が非常に長いものとなっている
↓↑
殷では
祖先に対する
崇拝と畏れが非常に強く
祭祀を怠ったりすれば
すぐにでも祟られるという考えを持っていた
↓↑
建築
周に入ってからそれまでの
茅葺きから
瓦が一般的になった
↓↑
投壺(トウコ)が始まった
壺(金属製)に向かって
矢(木の棒)を投げ入れる遊戯(ゲーム)
ーーーーー
・・・???
↓↑ ↓↑
エメラルドブルーの謎 (碧き眼の人形伝説) 奈井江 五郎
↓↑ ↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
+
(表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
↓↑
干支歴
↓↑
追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
↓↑
メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8
↓↑
モモちゃん
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モウ君の総合目次
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コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
↓↑
古事記と虎関師錬