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コジキジゲン

臍(月齊⇔肉齊)=へそ=毘(ビ)のアル・・・カエル・蝦蟇・・・甲斐=カイ=蝦夷

2019-04-29 00:54:09 | 古事記字源
 今朝(4/28)、庭を掃除していて左腰をイタメてしまった・・・
 眔(カン)である、イタミに耐え切れず、目から涙を流す・・・
 眔=罒(目)+氺(水)=涙をながす(眔・鰥・褱)・・・
 鰥夫=妻のない男・妻をなくした老いた男・男やもめ・・・
 ↓↑
 祭=タ+丶+又+示=月+又+示⇔肉+右手+示
   𠂊+冫(〻・ニ)+又+二+亅+八
   まつり・サイ・・・眞(馬・萬・魔)通理・差異
       斉=文+α=亠+乂+α
       斎=文+α=亠+乂+α
       齋=亠+Y+α
       齊=亠+Y+α
   ・・・文(亠+乂)⇔亠+Y=亠+V+|
      亠(音)が乂(かさなる)⇔亠(音)を二又(Y・ア)で採る
      亠(音)はⅩ(エックス・カイ)?
      亠(音)はY(ワイ)、V(ヴィ)、|(アイor小文字のエル)?
      倭意・部位・尾意・備意・毘意=臍・愛・合・選る
ーーーーー
 臍(月齊⇔肉齊)=へそ=毘(ビ)・・・甲斐=カイ=蝦夷
 ↓↑
 斉=齐+二
   文+丿+一+一+丨
   亠+乂+丿+一+一+丨
   齊(旧字体)
   亠+Y+刀+𠂎(氏)
   異体字「斊・亝」
   ととのえる
   ひとしい
   ものいみ
   ととのう
   きちんとそろう
   みな
   中国の王朝名
   まぜあわせる・調合する・整える
   神仏を祭るとき
   飲食や行動を慎んで
   心身を清める=斎
   もすそ・裳のすそ・衣服のすそ

 亝=厽+二
   厽+一+一
   厶+厸+二
   厶+厸+一+一

 斊=文+耳
   亠+乂+耳

 斎=齐+示
   文+丿+丿+二+小+丨
   亠+乂+丿+二+亅+八+丨
   齋(旧字体)=亠+丫+刀+ノ+レ+丿+二+小+丨
          亠+丫+刀+ノ+レ+丿+示+丨
   斋(異体字)=文+而
          亠+乂+而
   いつく
   つつしむ
   とき
   ものいみ
   つつしむ・ものいみ
   神仏を祭るとき
   飲食や行動を慎んで、心身を清める
   ものいみのための部屋
   学問などのための部屋
   とき
   僧の食事・仏事の食事
   いつく・いつき
   心身を清めて神につかえる

 齊=亠+刀+丫+𠂎+丿+一+一+丨
   亠+刀+丫+𠂎+丿+二+丨

 齌=齊+火
   セイ
   火を起こして煮炊きする

 齍=齊+皿
   シ
   神前に供える穀物
   穀物を入れる器

 齎=齊+貝
   サイ
   シ
   セイ
   ああ
   たから
   もたらす
   もちもの
   もたらす
   持ってくる
   持って行く
   人に与える
   もちもの
   たから
   必要な物・金品

 齏=齊+韭
   セイ・サイ
   なます・あえもの・あえる・くだく
   異体字「韲・虀・䪡」

 儕・剤(劑)・嚌・済(濟)・臍
ーーーーー
   炙=異体字「𦜡・𦠁・熫・𤐬・𤒗・䏑」
     シャ
     セキ
     あぶる・やく
     火で焼く・あぶり肉・焼き肉
     近づく・親しむ・教えを受ける
     燔炙(はんしゃ・はんせき)
     膾炙(かいしゃ)
     近づき親しむ
     親炙
  祭   
   異体字「𨢵=酉+祭」
   まつる・まつり・サイ
   神や死者の霊をまつる
   祭礼・大祭
   にぎやかな催し
  ↓↑
 「祀り」「祭り」「奉り」「政り」
  ↓↑
  冠婚喪祭
  冠婚葬祭
  冠昏喪祭
  冠昏葬祭
 (かんこんそうさい)
 祝いと弔いの儀式の総称
 「冠」=成人式
 「婚」=結婚式
 「葬」=葬式
 「祭」=法事や盆などの祖先の祭礼
 ↓↑
 「婚」=「昏」
 「葬」=「喪」
  とも
 ↓↑
 「魚菽之祭(ぎょしゅくのまつり)」
 粗末な祭りのこと
 「菽」=豆類の食べ物
     魚や豆類などの
     普段食べている
     食べ物を供える祭り
 ↓↑
 広隆寺の「太秦牛祭」
 ペルシャ語の「ファルシィ」の音訳として
 「波斯」という漢字が用いられ
 「波斯寺(はしでら)・波斯経寺(はしキョウ)」
 と名付けられた
 ↓↑
 然=肰(ぜん)+火(灬・烈火)
   肉+犬+灬
   火=灬 (ひ・ひへん・れっか・れんが)
   ゼン・ネン
   しかし
   しかして
   しかも
   しからば
   しかり
   もえる
   しかるに
   しかれども
   逆接の意
   その上・なおかつ
   燃える・燃やす
 ↓↑ ↓↑
 仮借(假借)
 漢字の造字法、用字法を説明する六書の一
 その語を表す字がないため
 既存の同音、類似音をもつ字を借りて表記
 当て字の一種
 特に一字で表記し、定着して後まで伝わった
 「我」は、矛の一種を表す字であったが
 仮借により「われ」を表すようになった
 六書のうち
 他の象形・指事・会意・形声が
 字の成り立ちをいうのと異なり
 仮借は既にある漢字の
 運用方法に関する原則を表した
 ↓↑
 仮借による字義が
 本来の字義を圧倒して
 使われるようになった場合
 もとの本義に対して
 偏などの意符がつけられ
 形声字にすることが多い
 ↓↑
 「求=一+丶+氺=冫+†+′+ト(⺊)」は
 「かわごろも(革衣・皮衣)」で・・・?
        裘・・・袋
 ↓↑
 交易で「求めるモノ」は「毛皮(裘)」
 交易で「求めるモノ」は「石球(珠・翡翠・黒曜石)」
 交易で「求めるモノ」は「好逑(配偶者)」
     逑=辶+求
       あう
       あつめる
       つれあい
       あつまる・あつめる
       合う
       つれあい・夫婦の一方・配偶者
 ↓↑
 仮借によって
 「もとめる」の意味に使われ・・・?
    ・・・「求(もとめる)」は仮借なのか?
 本来の「かわごろも」・・・
    「求=一(はじめ)の
       丶(灯火・ともしび)
       氺(みず・水・液体=水滴・雨粒)」
 を指す時には
 「衣」がつけられ
 「裘」と書かれるようになった
 「其」が「箕(みの)=竹+其」に
 「然」が「燃(もえる)=火+然」に
 「者」が「煮(にる)=者+灬」になった・・・
 象形が仮借され・・・これらは象形の仮借なのか?
 部首が付けられた・・・部首は素材、状況、事情だろう?
 ↓↑
 休・名・微・盟の
 字義を
 甲骨文字で解釈せず・・・甲骨文字の「字形」
 後代の
 字形から判断して誤っている・・・?
 ・・・現代の「日本語漢字」の解釈は
   「旧(舊=艹+隹+臼)字体」も含め
 ・・・誤っていると、理解するのは
   「字形も音声仮借」も
   「甲骨文字」
   「金文文字(青銅器銘文・鐘鼎文)」を
    始原として解釈するからである・・・
 ・・・「字形」の形象の意味、
        象形の意味こそが
        メインではあるが・・・
 今現在の「漢字の意味」とは
 「楷書文字漢字」である・・・
 「古代文字・考古学的文字」の解釈ではない・・・
 勝手ながらボクの
 「漢字解釈」は
 既に
 「秦」代に
 既成化され
 統一楷書文字として
 存在した
 「漢字」に対する
 現代まで継続使用されてきた
 「字形変化」の少ない
 「字形の象形」を中心としたモノで
 次に
 「音読変化」、
 「方言音声の異音」
 が激しい
 「漢字音声」の解釈である・・・
 ・・・「漢字構成」とは
    「字形・象形」である
    「丨」と「一」と「丶」と
    「丿・乁・)・(」からの部品から成り
 ・・・「漢字分析」とは
    これらの部品分解であり、
    その意味による本質概念の認識である・・・
ーーーーー
 休=イ+木
   木は禾・軍門の表木
   金文=禾
   甲骨文=木 
 名=タ+口
   タは祭肉
   タ=月・夜間の祭祀
 微=彳+山+兀+𠂉+乂
   長髪の巫女を殴って、その呪能を失わせる・・・?
   旁(攵・夂)はもと又(右手)で
   手で老人を支え、ゆっくり進む意
   攵=たたく・打つ・ボク・ホク=攴の略
   夂=おくれる・チ=遅れて行く
 盟=日+月+皿=「𥁰=囧(冏一)+皿」の古字
         =「冂+儿+口+一+皿(网+一?)」
           明の正字=朙・メイ・ミョウ
           朙=囧+月=明・・・日=囧
             冂+儿+囗+月
           囧=四+口=肆(列ねる)+口
             あきら・キョウ・ケイ
             異体字「冏」
             あき・あく・すき間・・・天井窓?
             あかす・あきらかにする
             あかるみに出す
             あかす・夜をあかす
           皿=さら・バイ・ミョウ
           罒=あみ・罔・網=罓=网
   太陽+月+食物をもる皿
   神明の前で牲血をすすって誓う・・・?
   祭祀名で、誓うという意味は無い・・・?
   盟神探湯(くかたち)=古代日本の神明裁判
   ・・・皿の上のモノを明らかにする・・・
   異体字「𥂗・𢄾・𥁰
       𧖸=囧+血
       𧖽=明+血」
   ・・・血の上で明らかにする・・・
   本字は𧖸(説文解字)
   「周禮に曰く、
    『國に疑ひ有れば則ち盟(ちか)ふ』と
     (説文・巻七)
    諸侯再び相ひ與(とも)に會す
    十二歲にして一たび𥁰(ちか)ふ。
    北面して天の司愼、司命に詔ぐ。
    𥁰は、牲を殺し血を歃ぎ、朱盤玉敦
    以て牛耳を立つ。囧に從ひ血に從ふ」
    「盟」は俗字・・・
 族=氏族=旗の下で誓った族人・・・?
   矢は「誓う」・・・?
   ・・・「矢は刺し貫くモノ・的を射抜くモノ」・・・
   ・・・「矢=𠂉(カミさし)の下の
         𠂉(カミさし)の
         一(ひとつ)の
          (束の)
         人(ひと)」
   族=方(丶+万)と𠂉と矢=一族・血族
       丶=灯火・主
 ↓↑ ↓↑
 一義的な字形解釈
 九・旬・雲
 九=丿+乙・・ヘツのオト(イツ)
 旬=勹+日・・包まれた日(太陽)
 雲=雨+云・・アメのコトバ・・・
 「甲骨文・金文で
  口の形を口
  耳の口と解せるものは一字もない」
 というのも無理(鳴など)・・・?
ーーーーー
 祀=示+巳
   神に祈ること、その儀式
   神との交信の占い
   祈願祈念すること
 祭=肉+又+示
   魂・霊・御霊を慰めるもの
   先祖崇拝が、仏教と習合(神仏習合)し
   お盆(仏教行事・盂蘭盆)がある
   先祖崇拝の祭り
   鯨祭り=捕鯨で命を落としたクジラの慰霊
   熊祭り=殺した熊の命を慰霊
 奉=献上や召し上げる・上に見る
   朝廷や公家に対する行為
   神に供物(海の幸山の幸)を
   奉げる
   漁(いさり)・狩(かり)の
   得物(えもの・道具・武器)
   獲物の一部を神々の取り分として還した
   地鎮祭や上棟式で
   御神酒(おみき)、御米(おこめ)
   が大地に還された
 政=祭祀を司る者と政治を司る者は、同じ
   祭政一致
 まつり=イベント・催事・・・?
ーーーー
 ・・・???・・・
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「スズメ蜂」=「虎(寅)頭蜂=熊ん蜂(くまんばち)」・・・?

2019-04-26 22:17:43 | 古事記字源
 寅頭蜂の誤算・・・倭蜂の専守防衛ムシごろし・・・?
 ↓↑ ↓↑
 水=みず・みづ(ミヅ・ミツ・水・氵・氺)
        (⠨亅⠨)・(冫亅〻)
        (⠃亅⠃)(⠨亅⠨)(⢈亅⢈)
         川・巛・ㄍ
        (亻亅卜)(ㇷ亅<)(亅)
        (ㄍ亅ㄍ)(〃亅〃)(‥亅‥)

   壬(ミズのヱ)
   癸(ミヅのト)
 ↓↑ ↓↑
 壬=「壬(ジン)=ノ+士(シ)」・十干の一
   「𡈼(テイ)=ノ+土(ド)」は別字・・・?
 ↓↑  ↓↑
    𡈼(テイ)=人がまっすぐ立ち(千)
          脛(すね・はぎ・足の膝から下
            臑)を(一)で示した
          脛=月+巠=月+一+巛+工(𡈼)
          踵(かかと)を伸ばして
          大地(一)に立つ
          つきでる、のびる
          まっすぐたつ
          まっすぐのびるさま
         ・・・
         「ノ」は「十=10」〜「一=1」
         ・・・
         「壬」とは別字
          左はらい(ノ)の下が「土」
          テイ・タイ・チョウ・ジョウ
          ↓↑
         「壬」は「ノ+士」・・・「士」=十+一
         「𡈼」は「ノ+土」・・・「土」=十+一
          ↓↑
          呈=口+𡈼(テイ)・・・呈出・呈(提)供
            しめす・テイ
            公平の意
            𡈼=千+一
             「千⇔干」+「一」
              イ+二
              ノ+土=𡈼=ノ+十+一
           聖=耳+口+𡈼(テイ)
             ひじり・セイ
          ↓↑
          巠(一巛工)=𡿱(一巛壬)
         「水脈・川の一の下に在るに從ふ
          一は地なり・𡈼の省聲(説文解字)」
          地下の水脈
         「𡈼」の「𡿱」
         「巛=織物の縦糸・工=糸巻き
            経(たていと、經)」
 ↓↑
 壬(みずのえ)・・・イ+エ=ィ+ェ・・・異体字「汢・𣲅⇔汚」
        ・・・江=水(氵)+エ
        ・・・水の工事・水のたくみ
           灌漑工事された入江
           治水された河川 
           大河・川の総称・「江湖」
           長江・揚子江(ヨウスコウ)
          「江漢」
           え(江)・入江(いりえ)
           海や湖が陸地に入りこんでいる所・・・
           「工」=玉などに穴を貫くことで
               穿ち通す・貫いて穿つの意
               江は大地を川が貫いている様
               水の入りこんだ地形
                長江=「穿通水(センツウスイ)」
           江河=長江(南)と黄河(北)の
              長、黄の一字省略し合わせた別称
              朝鮮半島の河川名の漢字は、全て「江」
              鴨緑江・漢江(ハンガン)
              臨津江(イムジンガン)
              洛東江(ナクトンガン)・錦江(クムガン)
              江には「ガン」の音が無い
              河=氵+可=カ・ガ
                異体字「𢀎」⇔「白+巛・白+巛・白+巛」
                        ミルキイ-ウエイ
                       milkyway=銀河・天の川
           穿通枝=脳細胞に血液を供給する非常に細い動脈
               脳の主幹動脈から直接分枝し
               深部の組織に入り、酸素と栄養分を供給
 十干の第九位・五行は水・陰陽は陽
 海・大河の象徴
 自由・放浪・体験・学習・創造を意味
 ・・・?・・・任那・・・?
 ↓↑
 壬=妊(女+壬)と通じ「孕む」
   易に曰く『龍、野に戰ふ』と・戰は接する意
   人の褢妊の形
   亥・壬を承くるに子を以ってするは
   生の敘なり
   巫と同じ意
   壬は辛を承け、人の脛に象る
   脛は、體を任ふもの
   妊娠の象形で妊の
  「はらむ・ふくらむ」
   鍛冶に使う台の形の象形
   糸巻きの中央が膨らんでいる象形・・・
   ふくらむ・になう・みずのえ
   ジン・ニン
   「任・妊
    紝=機織りの糸・機を織る
    衽=衣服のえり・おくみ
      衣服の前えり〜裾までにつける小幅な布
      ちぎり
      板と板とをつなぎ合わせる釘の代わりとなるもの
      しとね・寝床
    飪=食べ物を煮る
      柔らかくなるまで煮て
      食べられるようにする」
 ↓↑
 癸=癶+天・・・發
   癶+一+大
   癶+二+人
   みずのと・はかる
   キ
   癶 (はつがしら)
     ・・・ヲ+䒑=フ+ヽ+乀+ノノ
            ツ+乀+〃
             ヲ+〵+〃
            冫+ノ+〵+´-
            冫+八+´-
            冫+𠆢+´-
 ・・・屋根の上で撥ねる雨粒(;;)?
   ハツ
   両足を外に向ける
   両足を左右に開く
   左右の足をぱたぱたさせる
   両足を開く・歩く・はねる
   足踏み
   そむく・・・北・・・背任
   一揆
 ↓↑
   癸巳町奔美唄 (北海道美唄市)
   きしちょうぽんびばい
 ↓↑
   葵=艹+癶+天
   あおい・草の名・あおい科の植物
   松平、徳川家の紋所
 ↓↑
   癶 (はつがしら)
   發=癶+弓+殳・・・「発」の旧字体
     癶+弓+几+又
     あばく
     たつ
     はなつ
     ひらく
     ハツ・ホツ
     はなつ・矢を放つ・鉄砲を撃つ
     あばく・明らかにする
     あらわす・あらわれる
     たつ・出かける・出発する・進む
     ひらく・あける
     のびる・のばす
     盛んになる・成長する
     つかわす
     おこる・おこす
     やる・生じる・致す
     安發=あわ・あは
 ↓↑
 溌=氵+発
   氵+癶+二+儿
   そそぐ・はねる
   ハツ
   そそぐ・水を注ぐ・水をまく
   水が飛び散る・水がはね散る
   勢いのよいさま・元気のよいさま
   生き生きしているさま
 ↓↑
 元気溌剌
 「溌溌」=水の上に魚が跳ねること
 ↓↑
 登=癶(はつがしら)+豆
   のぼる
   ト・トウ
   あがる・高い所にあがる・上にのる
   みのる・成熟する・穀物が熟する
   成す・成る・出来上がる・成しとげる
   今・たちどころに・すぐに
 ↓↑ ↓↑
  「反行両登(ハンコウリョウトウ)」
   いつもとは逆のことを行って
   一度に二つの利益を得る方法
  「反行」は正反対の行動をとること
  「両登」は二つの利益を同時に得ること
   秦の商鞅が行った計略
   戦争で損害を与える代わりに
   国境付近の
   敵の国民に未開拓の土地を開拓させ
   敵の国の人口を奪いつつ
   食料を生産させることができる・・・
  『商子・(徠民)』
   一挙両得・一石二鳥
   一度に複数の利益を得る
   労力以上の利益を得る
ーーーーー
 「H」=水素記号・・・「H₂O」=水
         ・・・H⇔「工(たくみ・コウ)」字の横倒し
         ・・・H=エッチ・ヱィッチ
             =「エッ致・ヱ一致」
                   愛知・愛智
                   愛ヒメ=愛媛
                    一眼=比目=肥女
                      =球磨女=熊本女
                   錦江(クムガン)=白村江
         熊川(ウンチョン)倭城
         1592年加藤清正が築城
         1593年小西行長が陣を構えた
         日本軍の第2の基地
         1593年12月28日
         スペイン出身
         アクセスペアデス神父が宗教活動
           熊川(ウンチョン)
           熊川=錦江の別名
           熊川=百済の都の名・忠清南道公州市⇒熊津
              慶尚南道熊川郡
              忠清南道保寧市の地名
         ・・・O=オゥ=王=エ+丄
         ・・・O=まる・○●○・たま=玉・球・珠・魂・霊
                    多摩・多磨・田間・弾丸
         ・・・O=ゼロ・レイ=是呂・是賂・零・例・令・鈴
                 麗・礼=禮(ライ)
                    =示+豐(丰+山+丰+豆)
                 豆=たかつきの源字
                  =高杯・高坏・鐙・籩
                   食物を盛る脚の高い台
 ギリシャ語 hydro-
 hydro-=water・水
 水=みず・スイ
   透明な液体・液体
   河川
   沼(ぬま)=渟=氵+亭
           異体字「汀」
           とどまる・とどめる・とめる
           水がたまる
           茅渟=ちぬ
           渟名井=ぬない
           茅渟海=ちぬ-の-うみ
           天渟中原瀛真人天皇=天武天皇
   湖(みずうみ)=水(氵)+胡(えびす)
             胡(恵比寿・夷・戎・蛭子)
              =古+月=十+口+月(肉・冂仌)
               ・・・古い肉?・・・燻製?・・・訓所為
             異体字「衚=彳+胡+亍」=行+胡
              =西方の異民族(ソグド人)
               なんぞ・いずくんぞ
               (疑問・反語。どうして〜か)
               胡散(ウサン)臭い
             胡人⇔匈奴・烏桓・鮮卑・女真族
               胡蜂(すずめばち)=雀蜂
               虎頭蜂
               ・・・日本密蜂は専守防衛・武器は蜂球・・・
               蜂球形成(beeball formation)
               蜂球の中に捕食者のスズメバチを
               包み込み蜂球内で熱殺・・・蒸し殺し・・・
               ・・・西洋ミツバチは
                  胡蜂(すずめばち)=雀蜂の攻撃に弱い
             胡=顎鬚(あごひげ)が長い人
               胡瓜=キュウリ=究理・窮理
              「陳の遺民」が名乗った「姓」
              「胡」姓
               霊太后の父、「胡国珍」
               北宋の儒者「胡安国」
               中国共産党総書記の「胡錦濤」
               ベトナムの
               ホー・チ・ミン「胡志明」
           湖沼・湖畔
           中国では、特に洞庭湖・・・同定拠?
   海(わた)=ワタツミ・ワダツミ(海神・綿津見)
         海の神・海・海原
         上津綿津見神の子の
         宇都志日「金 析  命」
         ウツシヒ ガナサクのミコト
         =穂高見命=安曇野市穂高・穂高神社の主祭神
          顕  日 金 拆  尊
         (うつしひ かなさくのみこと)
          写 史比「仮名の索の見事(名)」・・・?
         が九州北部の海人族の
         阿曇連(阿曇氏)の祖神
   水を汲(く)む・・・柄杓(ヒシャク)=水汲み器
   水仕事をする
   方位は北、十二支=子
   色は黒
   水曜日・七曜の一
   みず・邪魔する=「水をさす」
            ・・・火の勢いを抑えるからだろうが
            石炭に少々の水をカケルと火勢が増す・・・
   すゐえん=水煙
ーーーーー
 ・・・???・・・虎蜂からの攻撃・・・日本蜂の防衛・・・蜂球・・・

 蜂社会の攻防と人間社会の攻防・・・国家の維持興亡・・・
 なんで、「スズメ蜂」=「虎(寅)頭蜂=熊ん蜂(くまんばち)」・・・
 「雀ほどもある大きさ」、「巣の模様が雀の模様に似ている」・・・?

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移風易俗・・・金を易(かえる)水(みず・氵=さんずい)の原(はら)・・・言易行難

2019-04-25 21:00:25 | 古事記字源
 錫(すず)の源(みなもと)・・・
 金を易(かえる)水(みず・氵=さんずい)の原(はら)?
   ↓↑
 易=日+勿
  =日+勹+ノノ(〃)
  =日+勹+丿+丿
  =口+一+勹+丿+丿 
   やさしい(易しい)⇔優しい・誮
   あなどる(侮る)⇔穴取る
   かえる(替える・変える・代える・換える)⇔蛙
   かわる(変わる)⇔川流・革留・皮婁
   やすい(易い)⇔安い
    イ・エキ⇔意・訳・譯・釈
   かえる・・・蛙
   かわる
   あらためる・あらたまる
   とりかえる・・・鳥帰る
   変化する
   占い
   やすい・たやすい・やさしい
   ~しやすい・~しがちである
   たいら。高低やでこぼこがない
   あなどる・軽くみる・見下す・軽蔑
   かえる・かわる・とりかえる
   改易・交易・不易
   うらない
   易学・易占・易断
   儒教の経典・五経の一
   やさしい・やすい・てがる・やすらか
   易易・簡易・容易
   あなどる
   慢易
 ↓↑
 易往易行(イオウイギョウ)=南無阿弥陀仏の念仏唱で極楽往生
      言おう異形
      医王 医業
 易如反掌(イジョハンショウ)=手の平を返すは至極簡単
      異所 反 証
 移風易俗(イフウエキゾク)=習慣や風俗をよりよく変える
      異風 奕 族
 以暴易暴(イボウエキボウ)=暴力によって暴力をおさえる
      異貌 恵奇謀
      威望 役 望
      意望 訳 望
 易簀之際(エキサクのサイ)=人が死ぬ間際の分相応の扱い
     得鬼 作之 差異
 易姓革命(エキセイカクメイ)=王朝交代=姓が変わる
      役 正 確 名
      恵喜声 鶴 鳴
 改弦易轍(カイゲンエキテツ)=法律や制度を変える
      戒 厳 役 綴
      改 元 益 照通
 改絃易轍(カイゲンエキテツ)=
 革命易姓(カクメイエキセイ)=
 冠履倒易(カンリトウエキ)=価値や秩序が乱れている
      管理 等 益  本末転倒
 言易行難(ゲンイコウナン)=言うは易し行うは難し
      原意 硬 軟
 左建外易(サケンガイエキ)=不正に自身の勢力を拡大
      差圏 外 益  地方での反旗を翻す
      作建 臥異訳
 截髪易酒(セッパツエキシュ)=誠意を持って客を接待
      説葉通 訳 主  断髪して酒代にする
 千古不易(センコフエキ)=永遠に変わらないこと
      撰古 付訳  永久不変
 通功易事(ツウコウエキジ)=「通・易」は交換
      通行  訳字  「功・事」は物や品の生産
              分業で生産効率をあげる
 蕩佚簡易(トウイツカンイ)=簡便、簡単、自由、寛大
      統一  漢意
      藤逸  冠位
 万古不易(バンコフエキ)=百世不磨、永久不変
      萬古 付譯
 万世不易(バンセイフエキ)=いつまでも変わらない
      萬 制 付譯
 万代不易(バンダイフエキ)=いつまでも変わらない
      萬 代 付譯
 不易流行(フエキリュウコウ)=一時流行
      付譯 隆興    世々に流行る一時的新しさ
 ↓↑
 以下
 by (https://ja.wikipedia.org/wiki/金錫源)
 ↓↑
 金 錫源(キム・ソグォン)
 1893年9月29日~1978年8月6日
 大日本帝国陸軍
 及び
 大韓民国陸軍の軍人
 教育家、政治家
 日本名は
 金山錫源(かねやま しゃくげん)
 日本統治下の朝鮮出身の日本陸軍軍人
 王公族軍人を除き
 洪思翊中将(陸軍大学校卒業者)に次ぐ
 高い階級
 現在の韓国では
 親日反民族行為者に認定されている
 ↓↑
 金尚吉の二男として生まれた。
 1909年
 大韓帝国陸軍の
 陸軍武官学校に在学中に同校廃校
 大日本帝国陸軍の陸軍幼年学校に編入
 1915年5月25日
 陸軍士官学校を卒業
 (27期。卒業成績は466人中432位)
 12月25日
 陸軍歩兵少尉に任官
 2年後には歩兵中尉に進級
 ↓↑
 1931年
 満州事変が勃発
 機関銃隊長(大尉)
 700ウォンの賞金を受け
 城南高等学校の設立に使われた
 朝鮮総督府に許可を求めたが
 当時私立学校は独立運動の震源地となっていたので
 設立許可は出されなかった
 日中戦争が勃発し出征命令を受け
 直接
 南次郎総督を訪ねて学校設立を要望
 承諾された
 日中戦争で
 歩兵大隊長(少佐)として
 北支戦線へ従軍
 翌年2月
 山西省東苑で2個中隊をもって
 中央軍第86師を撃退
 功三級
 金鵄勲章を授与
 華北派遣軍司令官名義の感状が部隊に与えられた
 『金部隊長奮戦記』
 『金錫源部隊激戦期』
 『戦塵余談』
 金を称える記事が連日メディアにおいて発表
 崔南善の作詞で
 『金少佐を思う』という歌が作られた
 ↓↑
 後、1年間は黄河流域まで転戦
 中国軍では
 「金錫源部隊と戦うより逃げろ」と言われていた・・・
 1939年3月
 戦地から帰還、全国巡回講演
 1941年
 太平洋戦争が勃発
 1944年
 大佐に昇進
 太平洋戦争終戦時は
 平壌兵事部課長
 ↓↑
 1948年8月
 大韓民国が成立
 大韓民国国軍
 高級将校が不足し
 国防力強化に
 外国軍出身の高級将校に決起が呼びかけられ
 1949年1月
 大佐として入隊
 第1旅団長に任ぜられ
 1949年4月
 准将、第1師団長
 しかし
 南北朝鮮の交易に端を発する
 南北交易事件で
 当時の参謀総長であった
 蔡秉徳少将(日本陸士49期)ら
 軍上層部と対立し
 李承晩大統領に直言する事も憚らなかった
 李承晩大統領の怒りを買い
 蔡ともども予備役に編入された
 ↓↑
 北朝鮮の不穏な情勢を察し
 「目標38度線」を唱え
 大田で義勇軍を組織して訓練を続けた
 1950年6月
 朝鮮戦争が勃発
 軍部の要請で
 7月6日
 首都師団長として現役に復帰
 金 錫源の下に
 「元日本兵である韓国人」が
 全国から集結
 北朝鮮軍は
 金錫源を最も恐れていた
 鎮川で交戦した
 第2師団長の
 崔賢は
 「ああ、いかん。やつとぶつかった」
 と嘆いた・・・
 8月8日
 釜山橋頭堡の戦いの最中に
 第3師団に着任
 第3師団は
 7月17日以来
 盈徳をめぐり
 北朝鮮軍第5師団との戦闘が続いていた
 10日
 敵が興海に侵入し、師団の退路が遮断された
 師団の態勢は
 南北11キロの長蛇の陣になって
 砲兵と艦砲の猛射によって戦線を維持
 第8軍は海上撤退を決心
 戦車揚陸艦を派遣
 8月16日夜から17日朝にかけ
 将兵9000人(負傷者125人)
 警察隊1200人
 地方公務員や労務者、避難民等の1000人余
 及び一切の車両や需品を積み終え
 仔牛までも乗船させて離岸(長沙洞撤収作戦)
 金は一兵も残すことなく
 困難な海上撤退を成功させた
 8月19日
 閔支隊と交代し
 再び
 北朝鮮第5師団と交戦
 9月1日
 病気と疲労のため師団長を解任され
 戦時特命検閲部に就任
 1951年
 陸軍本部付
 1956年
 予備役に編入した後
 城南高等学校の理事長を務め
 国会議員も1期(第5代)務めた
 ↓↑
 2002年
 「民族の精気を立てる国会議員の集い」
 が発表した
 親日派708人名簿と
 2005年
 民族問題研究所で
 親日人名辞書に収録する為に整理した
 親日人名辞書収録予定者1次名簿に
 長男の
 金泳秀と共に選定
 2002年
 親日派708人名簿に掲載
 城南高等学校の敷地内にある
 金 錫源の銅像の
 撤去活動が起こり
 2003年
 撤去された
 ↓↑
 長男の
 金泳秀陸軍大尉(陸士57期)は
 1945年にフィリピン戦線で戦死
 靖国神社に合祀
 ↓↑
 1937年6月
 恵山間三峰で
 金日成の率いる
 朝鮮人民革命軍が
 第74連隊を中心に編成された討伐部隊を
 敗退させ、
 指揮官であった
 金錫源も負傷し敗走した
 と北朝鮮では称揚・・・
 しかし実際の指揮官は
 金仁旭であり
 北朝鮮が
 金錫源に変えた理由は
 「金仁旭」より有名な
 「金錫源」
 を負かしたとする宣伝に利用された・・・
 ↓↑
 以下「産経デジタル・iza(イザ)」から
 by(https://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/)
 ↓↑
 2個中隊で1個師団を撃退
 金錫源(キム・ソグォン)
 韓国軍での最終階級は
 少将
 (1893~1978年)
 ↓↑
 金錫源
 李氏朝鮮の
 両班(リャンバン)=貴族の家に生まれた
 大日本帝國に“留学”し
 幼年学校に入校
 陸軍士官学校(27期、最終階級は帝國陸軍大佐)
 卒業時の成績は466人中432位
 ↓↑
 支那事変(1937~41年)
 2個中隊で
 中華民国(中国国民党)軍1個師団を撃退
 功三級金鵄勲章を天皇陛下より賜った
 ↓↑
 大東亜戦争(1941~45年)
 終結し
 大韓民国が成立(1948年)
 国軍創設
 金錫源
 大佐(後に准将)として迎え入れられた
 ↓↑
 不正を許さず政府・軍上層部と対立したが
 李承晩・大統領(1875~1965年)
 により予備役に編入されたが
 李承晩・大統領は
 金准将の軍人としての才気を理解しなかった・・・
 ↓↑
 朝鮮国連軍は
 朝鮮半島最南端・釜山に追い詰め
 首都ソウルを見捨て、逃亡した
 日本嫌いの
 李大統領は
 禁じていた
 日本帝國陸軍の教育を受けた
 韓国人に限った部隊編成を裁可
 「金錫源准将」
 も強い意見具申を続け
 日本帝國陸軍出身の
 韓国人将兵のみの
 師団編成を認めさせた
 ↓↑
 「金錫源准将」の指揮する突貫に
 朝鮮人民軍は退却
 後
 「金錫源准将」師団は謎の撤退を実施・・・ 
 これをみた
 朝鮮人民軍は追撃
 重装甲のソ連製戦車で
 金師団に迫ったが
 朝鮮人民軍戦車部隊が
 海岸線に出たところで
 沖合に待機する
 米海軍艦隊の猛烈な艦砲射撃が行われ
 朝鮮人民軍戦車部隊を粉砕
 ↓↑
 「金錫源准将」は事前に
 連絡将校を米海軍艦隊に送り
 自らが囮になるので
 砲撃してほしいと要請
 砲撃地点を明示
 艦砲射撃で
 朝鮮人民軍戦車部隊を壊滅する作戦成功・・・
 ↓↑
 「金錫源」軍歴
 ↓↑
 1909年9月 陸軍幼年学校編入
 1913年5月 陸軍幼年学校卒業
 1915年5月 陸軍士官学校卒業
 1915年
 12月25日 少尉任官、歩兵第61連隊附
 1918年  歩兵第78連隊附
 1919年4月 中尉に昇進
 1925年
 8月7日  任陸軍歩兵大尉
 1927年
 7月26日  歩兵第78連隊中隊長
 1929年
 3月16日  歩兵第78連隊機関銃隊長
 1932年
 5月1日  歩兵第78連隊附
 1934年
 3月1日  任陸軍歩兵少佐
 1936年
 8月1日  歩兵第78連隊大隊長
 1939年3月 中佐に昇進、歩兵第78連隊補充隊附
 1939年
 12月   歩兵第41連隊補充隊附
 1941年3月 独立混成第16旅団司令部附
 1943年8月 平壌兵事部課長
 1944年8月 大佐に昇進
 1945年9月 予備役編入
 1948年  韓国陸軍入隊、任大佐(軍番12444番)
 1949年1月 第1旅団長
 1949年4月 准将に昇進
 1949年5月 師団に昇格し第1師団長
 1949年
 10月   予備役編入
 1950年7月 現役に復帰し首都師団長
 1950年8月 第3師団長
 1950年9月 戦時特命検閲部長
 1951年  陸軍本部附
 1956年6月 少将で予備役編入
      栄典
      功三級金鵄勲章
 by (https://ja.wikipedia.org/wiki/金錫源)
ーーーーー
 ・・・???・・・
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群書類従=同じ種類のものは、その種類に従って分類⇔訓処累重・・・

2019-04-24 18:36:19 | 古事記字源
 塙 保己一(はなわ ほきいち)
 延享三年五月五日(1746年6月23日)
 ~
 文政四年九月十二日( 1821年10月7日)
 江戸時代の国学者
 幼名は「丙寅」にちなみ
 寅之助(とらのすけ)
 失明後に
 辰之助(たつのすけ)
 多聞房(たもんぼう)
 千弥(せんや)
 保木野一(ほきのいち)
 保己一(ほきいち)
 などと改名
 ↓↑
 武州
 児玉郡
 保木野村(埼玉県本庄市児玉町保木野)
 生まれ
 塙は師の
 雨富須賀一・・・雨(あま)の
 ↓↑       富(とみ)の
         須賀(すが)の
         一(はじめ)
         常陸国の生まれ・妙観派・坊主・雨谷寸一
         宝暦六年(1756)十二月十三日権成
         天明四 年(1784)歿
         塙保己一の師
         本姓は塙氏
         四谷の西念寺横丁で按摩や音曲を教えていた
         茨城県笠間市(中市原山下三十三番三百三十四)
 ↓↑       常陸国茨城郡市原村の人
 の本姓を用いたもの
 荻野(おぎの)氏の出自
 父は宇兵衛
 母は加美郡
   木戸村(上里町藤木戸)の名主
 斎藤理左衛門家の娘
 きよ
 弟は
 卯右衛門(うえもん)
 息子は
 塙忠宝(ただとみ)
 (塙忠宝は
  伊藤博文と
  山尾庸三・・・盲聾唖教育の先駆者
 ↓↑       山口藩士の子
         文久3 ( 1863) 年
         伊藤博文、井上聞多らと
         密出国し
         イギリスで工業技術,造船技術を習得
         明治元年(1868年)に帰国
         明治政府に出仕し
         横須賀製鉄所担当権大丞
         工部権大丞・工部少輔、工部大輔
         工部卿・宮中顧問官・法制局長官
          山尾 庸三       (大正六年)
        (1837年11月5日)~    1917年12月22日
         丁酉(庚 辛)正財・印綬・沐浴⇔丁巳
         庚戌(辛丁戊)偏印・偏官・冠帯⇔壬子
         壬子(壬 癸)  ・劫財・帝旺⇔戊戌
 ↓↑        寅卯=空亡
  に殺されたと
  渋沢栄一が述懐)
 春畝公追頌會編『伊藤博文傳』
 ヘレンケラーの崇拝者
 ↓↑
 華輪・鼻輪・・・・・・・・・塙(はなわ)
 ・・・葉名倭(人委)・・・「群書類従(全530巻666冊)」
       委=禾+女   前後世(纂重)観三陸のサツ(刷・札)?
   ゆだねる「ノキのオンナ」?
       ・・・『群書類従』署名由来
          『三国志』、『魏志』
           応召伝の一文にある
          「五経群書、以類相従」 による
          「以類 相従(類をもって、相従う)」
          「同じ種類のものは、その種類に従って分類」
          「中国のそれを継承しながら
           和学の識見を織り込んで諸文献を集大成した」
          「正続編とも25部門に分類
           中国の史書にならい
           神祇・帝王・補任・系譜・官職などに分類
           正編
           1779~1819年刊
           続編
           1150巻1185冊(1822年編)」
          「文久二年(1862年)
           塙忠宝(ただとみ)が風評により暗殺され
           その長男忠韶(ただつぐ)が業を継いだ」
 ↓↑
 畢=二十八宿の一・西方の第五宿
   牡牛座の顔部分の七星
   あめふりぼし・畢宿
 ↓↑
 羋 戎(ビ ジュウ)
 紀元前332年~紀元前262年
 中国戦国時代末期の
 楚の公族で
 秦の政治家
 秦の昭襄王の生母の
 宣太后(恵文君夫人)の弟
 秦の昭襄王の時代に
 華陽君の号を与えられ仕えた
 羋戎は楚にいた頃に罪を犯し
 東周へ逃れた
 ↓↑
 羋=卝+丨+二+丨・・・高野長英=陸奥生・
            通称、悦三郎
            諱は譲、長英
            号は瑞皐(ズイコウ⇔随行・隋考?)
            ・・・皐=白+=+十+=
               皐=さわ・さつき
                 五月・皐月
              驚夢山人
 羋=卝+丨+一+一+丨
   ビ
   羊の鳴く声の形容
 ↓↑
 畢=田+𠦒・・・・・𠦒・・・糸車?
  =田+𠀎+十(✝)
  =田+龷+キ
  =冂+十+一+丑+十
  =甲+龷+十+一
   𠦒=ハン=𠦒
       =廾+丰
       =井+二+丨
       =井+キ
       =井++++
   異体字「𠦆・籓・藩」
   𠦆=日+十=申+一
   あみ・あみする・おわる・ことごとく
   ヒツ
   終わる・終える・完全に・みな・全て
   網・柄のついたあみ
   田罔(デンモウ)なり、𠦒(ハン)に従ひ
   畢形に象る、微なり、或いは曰く、甶を聲とす
 ↓↑
 畢・蓽・㻫・襅・篳・蹕・䟆・饆・鞸・韠・滭・驆
 㮿・嗶・罼・㓖・䬛・熚・鏎・魓・彃・㪤・縪・鷝
 ↓↑
 魓=鬼+畢・・・膽魓
         膽=きも・胆嚢・内臓の一
           六腑の一
   北斗七星の名前の一「魁・𩵄・䰢・魓・𩳐・魒」
   王真人氣訣=「肺魁、肝𩲃、心𩵄、脾䰢
          膽魓、左腎𩳐、右腎魒」
 蓽=艹+畢
   艹+甲+龷+十
  =艸(艹)+畢・・・畢んぬ=をはんぬ(おわんぬ・終わった)
               畢=ことごとく
               畢竟=つまるところ・煎じつめれば
                  要するに
                  終わりを意味する名詞、副詞
                  名詞は最終、究極、必竟であること
                  副詞では、結局・したがって
                 「最終的な結論としては」
                 「畢竟依=究極の拠り所=仏の教え」
               就中=なかんづく・とりわけ・特に
   まめ=豆
   いばら=茨・荊棘・井原
   まがき=曲木・間垣・禍忌・馬掛・籬
   ヒツ
   垣根
ーーーーー
 ・・・華=はな=花・端名・鼻・葉菜・端・洟・葉名・・・塙保己一・・・

コメント
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枸橘(からたち)=枳殻(きこく)=Orange jasmine・・・辛夷(こぶし)を握る・・・

2019-04-22 22:20:27 | 古事記字源
 娫=女+延・・・オンナがノビる・・・「くノ一」?
         音鳴が延びる?
         女=「<=弓」+「ノ=弦」+「一=矢」?
  =女+廴+丿+止・・・
     廴=𠄎+乀=引く・長く引きのばす
     ↓↑ 及=𠄎+人=およぶ・・・・和(緒)呼ぶ
       乃=𠄎+丿=すなわち・・・砂(沙)和地・素名倭地
     ↓↑  ↓↑   鳥取琴ヶ浜砂丘=鳴り砂、泣き砂
            陸奥猿ヶ森砂丘=青森県東通村
                    尻労(しつかり)~小田野沢
                    沼には「ひめまりも」の生息地
                    砂丘には
                    ヒバ(檜葉)・檜木、椹
                    翌檜(アスナロ)の埋没林地
                    ミサイル発射実験地
          ・・・ゴビ( Govi)砂漠・・・瀚海沙漠・・・
             大漠
             戈壁(カヘキ・英語Gobi)
             古くから
             匈奴、柔然、突厥、回鶻
             モンゴル帝国
             などの活躍の場
         ↓↑・・・シルクロード⇔知留句賂得土?
         ↓↑・・・語尾・語備・・・「呉(宋)の備」?・・海軍
        「乃」は
         弓の弦をはずして
         緩く垂れた形
         弦が外れた状態の意
         ・・・「𠄎」は「弓の形象」で
            「丿」は「弦(つる)の糸」?
            「つる=弦・絃・鉉・蔓・鶴・鸖・靎・靍」
     ↓↑      「つる=吊・釣・攣・痙」
   娫・・・延=のばす・のびる・ひろがる
         ひく・ひきいれる・まねく
         のべ
         延見・延長・延命・蔓延
         時間や期日がのびて遅れる
         延期・延滞・順延
         同一のものの重複を含めて数えること
         重複しているものもしていないものも
         それぞれを一つと数えて合計したもの
 「娫」
 ・・・古女子人名用字・・・文字は老婆の名・・・?
 ・・・(生活・理想・思い出・前途などの抽象的事物が
     人に好ましい印象を与え)
     美しい,麗しい,すばらしい,輝かしい
     見た目が美しく愛らしいと感じること・・・
 中国語
 我想变成振翅飞翔的鸟儿=羽ばたく鳥になりたい
 变成美好 的社会=良い社会になる
 变成一片废墟=一面の廃墟と化した
 看样子会变成最糟糕的情况=最悪そうになります
 为什么变成这样?=どうしてこうなるの?
ーーーーー
 昔の「時代劇映画の女優」の「娫」?
 千原しのぶ
 丘さとみ
 桜町弘子
 花園ひろみ
 佐久間良子
 高千穂ひづる
 北条きく子
 渡辺美佐子・・・霧隠才蔵
 范文雀(はんぶんじゃく)・・・ジュン・サンダース
 ↓↑
 悪役俳優
 伊藤雄之助・・・百地三太夫
 月形龍之介・・・水戸黄門
 進藤英太郎
 山形勲
 安部徹
 平幹二朗・・・原田甲斐
 南原宏治
 佐藤慶・・・財前教授
ーーーーー
 453年・癸巳
 日本
 允恭天皇四十二年
 皇紀1113年
 中国
 宋  元嘉三十年
    太初元年(2~4月の間のみ
           4月に再び元嘉に戻された)?
 北魏  興安二年
 北涼  承平十一年
 朝鮮
 高句麗 長寿王四十一年
 百済  毗有王二十七年
 新羅  訥祇王三十七年
 ↓↑
 「453年没」
 2月8日(允恭天皇42年1月14日)
     允恭天皇、第19代天皇(376年?~)
 3月16日(元嘉30年2月21日)
     文帝・・・文綴?
     南朝-宋の第3代皇帝(407年~)
     文帝の治世は
    「元嘉の治」の時世中に
     范 曄(ハンヨウ)が・・・范=艹+氵+㔾
                (㔾=異体字「卩・己・巳 ・𢎘」)
                   災厄・厄日・厄年
                  曄=日+華(艹+
                       华・蕐・花)
                     華・崋・蓽・畢
    「後漢書」を編纂
     劉劭、文帝の長子、元凶劭(426年~)
 ↓↑
 范 曄(ハンヨウ)
 ↓↑
 范=艹+氵+㔾
 ハン
 いがた(鋳型)
 かた
 のり
 草の名
 虫の名・蜂
 かた・鋳型・鋳造の型
 のり・法則・規範
 ↓↑
 氾=氵+㔾
 ハン
 あふれる
 ひろがる
 ひろがる・あふれる
 水がひろがる
 氾濫・洪水
 広い・広くひろがる・ゆきわたる・あまねく・・・海女音句?
 うかぶ・ただよう・ただよいゆれる
 ↓↑
 犯
 ハン
 おかす・よこしま
 犯罪
 ↓↑
 范文(ハンブン・」生年不詳~ 349年)
 チャンパ王国(林邑国)第2王朝の
 初代国王(在位336年~349年)
 『隋書』では
 範文(ベトナム語: Phạm Văn)と記録
 ↓↑
 曄=日+華(艹+花)・・・中国(支那)系日本人?
 ヨウ
 あきらか
 かがやく
 さかん
 ひかりかがやく
 さかんなさま
 ↓↑
 華=艹+一+十+十+一+十=華
            ・・・「艹」を省いた漢字は「糸車」?
 ↓↑
 垂=異体字「埀」⇔「𠂹+土」・・・丅に从从を吊るす十一
   垂桜=シダリザクラ
   垂簾=スイレン=垂簾の政(まつりごと)
     (宋史・礼志)
     (旧唐書・高宗紀下・則天武后)
 ↓↑
 乗=乘(旧字体)
   乗=「一+十+十+一+禾」
    =「馬車・牛車」の函、輿の中の座台
   乘=「一+北+一+禾」の函、輿の中の座台
      乗車・大乗・小乗
 ↓↑
 華=艹+華輪+茎
  =艹+一+龷+十
  =艹+𠀎+十
     𠀎
  =艹+丨+≡+丨+十
  =艹+丨+≡+丨+十
  =艹+三+11+十
  =艹+卅+二+十
  =艹+丑+十
     丑=うし・チウ・チユ・シウ・シユ
       牛・十二支の第二位
       うしの時・午前二時
       子と寅との閒の方角・艮・北東の閒
       むすぶ(結・紐)
       つかぬ(束・たば・束ねる・握る・拳)
       てがせ(手械)=杻
       戲劇、シバヰの脚色の一
       粉墨を面に塗りて
       出づるもの「生・旦・淨・丑」・・・?
       文稿注釈に加筆修正したもの・・・?
 =𦰗=艹+世(三十・丗・卅・卋)+十
  はな   垚・㸚・龷
       溝・冓=𠀎+冉・塞
           井+再
           井+一+冉
           二+丿+丨+再
  華は
  しろい・・・白い花
 ↓↑   ・・・鈴蘭・アカシヤ・・・
        枸橘(からたち)=枳殻(きこく)=Orange jasmine
        泰山木(たいさんぼく)は
        大きい白い
       「おわん」形の花
        辛夷(こぶし)
        四手辛夷(しでこぶし)は
        握りこぶしに似ている
        別名
       「田打桜(たうちざくら)」
        コブシが咲く頃に
        田植えを始めた
        3月24日の誕生花(辛夷)
 ↓↑     花言葉は「信頼(辛夷)」
  草木の白い花の総称
  はなが咲く・はなさく
  はなやか・美しい・さかえる・立派
  いろ・いろどり
  白い・白髪・おしろい・白い粉・・・?
  中国の自称
  山の名=崋山
 ↓↑
  樺=白樺
  樺太
 ↓↑
 華・・・崋・・・渡辺崋山
 異体字「樺・花・𠌶・𠫫・崋・𧮉
    𡸓・𡼀・𡼙・𡾀・䅿・𦰗
    䔢・蕐・𦾓・譁・𦻏・㯉
    华・桦・檴・𣛛・𣛲・𧪮」
 ↓↑
 垂=壬+二+11・・・水車の輪・環?
   たれる・たらす・スイ
   しだれる・しで・なんなんとする
 ↓↑
 偏(ヘン)・旁(つくり)・冠(かんむり)
 脚(あし)
 垂(たれ)・繞(にょう)・構(かまえ)
ーー↓↑ーー
 406年~453年
 ↓↑
 アッティラ
 アッティラ帝国を築き上げた
 フン族の大王(406年?~453年)
 ↓↑
 アッティラ
 フン族とその諸侯の王
 中世ドイツの
 『ニーベルンゲンの歌』などの叙事詩に
 エツェル(Etzel)の名で登場
 現在のロシア・東欧・ドイツ
 を結ぶ大帝国を築き上げ
 西方世界の「大王」を自称
 ローマ帝政末期
 キリスト教の信者からは
 「神の災い」や「神の鞭」と恐れられた
 ↓↑
 アッティラ(Attila、406年?~453年)
 フン族とその諸侯の王
 アッティラ=アティッラ (ハンガリー語: Attila, Atilla)
 もともとは「フン族」の王の名を由来
 現在は
 ハンガリーを中心に
 ブルガリア
 トルコ
 の男性名
 ↓↑
 アティッラ (衣服)
ーーーーー
  フン族の大王
         (406年?~453年)
  倭国の宋への朝貢 ↓↑   ↓↑
         (413年~502年)
 ↓↑   ↓↑
 ・・・
 倭の五王
 古代中国の歴史書に登場する
 倭国の五人の王
 讃・珍・済・興・武
 5世紀初頭から末葉まで、
 南朝の
 宋
 (420 年~479年)・・・478年
 に朝貢・・・
 年表
 413年~502年
 倭の五王、外交年表
 西暦 中国王朝 中国元号 倭王 用件
413年 東晋 義熙九  讃  高句麗・倭国及び
                 西南夷の銅頭大師が
                 安帝に貢物を献ずる
               (『晋書』安帝紀
                『太平御覧』)
 421年 宋    永初二  讃  宋に朝献
                 武帝から除授の詔
                「安東将軍倭国王」
               (『宋書』夷蛮伝)
 425年 宋    元嘉二  讃  司馬の曹達を遣わし
                 宋の文帝に貢物
               (『宋書』夷蛮伝)
 430年 宋    元嘉七  讃? 1月、宋に使いを遣わし
                 貢物を献
               (『宋書』文帝紀)
 438年 宋    元嘉十五 珍  倭王讃没し、弟珍立つ
                 宋に朝献し、
                 自ら
                「使持節都督
                 倭 ・百済
                 新羅・任那
                 秦韓・慕韓
                 六国諸軍事
                 安東大将軍倭国王」と称し
                 正式の任命を求める
               (『宋書』夷蛮伝)
                 4月
                 宋文帝
                 珍を
                「安東将軍倭国王」とする
               (『宋書』文帝紀)
                 珍はまた
                 倭隋ら13人を
                 平西・征虜・冠軍・輔国将軍
                 に求め、許される
               (『宋書』夷蛮伝)
 443年 宋   元嘉二十  済  宋・文帝に朝献し
                「安東将軍倭国王」とされる
               (『宋書』夷蛮伝)
 451年 宋   元嘉二十八 済  宋・文帝から
                「使持節都督
                 倭・新羅・任那
                 加羅・秦韓・慕韓
                 六国諸軍事」を加号
                 安東将軍はもとのまま
               (『宋書』倭国伝)
                 7月
                「安東大将軍」に進号
               (『宋書』文帝紀)
                 上った23人も
                 宋朝から
                 将軍号・郡太守号
                 を与えられる
               (『宋書』夷蛮伝)
 460年 宋   大明四 済?   12月
                 孝武帝へ遣使して貢物
 462年 宋   大明六 興    3月
                 宋・孝武帝
                 済の世子の
                 興を
                「安東将軍倭国王」とする
               (『宋書』孝武帝紀、倭国伝)
 477年 宋   昇明一 興(武) 11月、遣使して貢物
               (『宋書』順帝紀)
                 興没して弟の武、立つ
                 武は自ら
                「使持節都督
                 倭・百済・新羅
                 任那・加羅・秦韓・慕韓
                 七国諸軍事安東大将軍
                 倭国王」と称する
               (『宋書』夷蛮伝)
 478年 宋   昇明二 武    上表し、自ら
                「開府儀同三司」と称し
                 叙正を求める
                 順帝、武を
                「使持節都督
                 倭・新羅・任那
                 加羅・秦韓・慕韓
                 六国諸軍事安東大将軍
                 倭王」とする
               (『宋書』順帝紀)
               (「武」の明記は初めて)
 479年 南斉  建元一 武    南斉の
                 高帝、王朝樹立
                 倭王の武を
                「鎮東大将軍(征東将軍)」
                 に進号
               (『南斉書』倭国伝)
 502年 梁   天監一 武    4月
                 梁の武帝、王朝樹立
                 倭王武を
                「征東大将軍」に進号
               (『梁書』武帝紀)
ーー↓↑ーーーーーー↓↑ーーーーーーーーー↓↑ーー
 賛(421・425年)  彌(珍・438年)
 済(443・451年)
 興(462年)     武(478年)・・・479年 南斉 建元一年
                     ・・・建の元の一年?
          雄略天皇二十三年・・・弐拾参⇔念纂・似を拾う纂
              八月七日⇔捌解通漆比
          「娜毘騰耶皤麼珥」⇔「なひとやはまに」?

ーー↓↑ーーーーーー↓↑ーー
        神功皇后
     在位 神功皇后元年10月 2日=201年11月14日
        仲哀天皇 9年 2月 6日=200年 3月 8日
        神功皇后69年 4月17日=269年 6月 3日
         丨
       15 応神
         (誉田別)
仲哀天皇9年12月14日~応神天皇41年2月15日
         201年 1月 5日~310年3月31日
         丨
       16 仁徳
        (大鷦鷯)
     (在位 仁徳天皇元年1月 3日=313年2月14日
            ~
           同87年1月16日=399年2月 7日
    丨       丨       丨
17 履中      18 反正    19 允恭
(去来穂別)     (瑞歯別)     (雄朝津間稚子宿禰)
400年3月12日            丨      丨
405年4月29日             丨      丨
                 20 安康     21 雄略
                   (穴穂)     (大泊瀬幼武)
                          456年12月25日
                          479年 9月 8日
ーー↓↑ーー
 雄略
 8年2月
 日本府軍が高句麗を破り
 9年5月
 新羅に攻め込む
 将軍の
 紀小弓が戦死し敗走
 20年
 高句麗が倭国と友好関係にあった
 百済を攻め滅ぼした
 21年
 雄略は
 任那から
 久麻那利の地を百済に与えて復興させた
 23年4月
 百済の
 三斤王が死亡
 入質していた
 昆支王の次子
 未多王に
 筑紫の兵500人をつけて帰国させ
 東城王として即位させ
 安致臣・馬飼臣
 らは
 水軍を率いて高句麗を討った
 この他
 呉国(宋)から
 才伎(てひと、手工業者)の
 漢織(あやはとり)
 呉織(くれはとり)
 らを招来
 分散していた
 秦民(秦氏の後裔)の統率を強化し
 養蚕業を奨励
 『書紀』
 雄略が信頼して寵愛したのは
 史部(書記官)である渡来系の
 身狭村主青(むさのすぐりあお)
 檜隈民使博徳(ひのくまのたみのつかいはかとこ)
 であった
 この二人は
 8年
 12年
 に大陸への使者として派遣
 ↓↑
 雄略
 22年1月1日
 白髪皇子(22代清寧天皇)を皇太子とし
 23年8月
 病いのため崩御
 雄略23年=479年
 『古事記』
 己巳年(489年)=享年124歳で崩御
 『梁書』
 武帝は
 502年に
 雄略に比定される
 倭王武を
 征東将軍に進号
 没年は記紀による年代よりも
 後であったとする見解
 「雄略天皇=倭王武」の
 比定が誤っている・・・見解説・・・
 ↓↑
 有徳天皇
 (おむおむしくましますすめらみこと)
 という異名
 『書紀』
 4年2月条
 葛城山で
 一言主神と邂逅し
 雄略が神と共に猟を楽しみ
 帰りは
 来米水(高取川)まで送られた
 その豪胆さに感嘆した百姓達は
 「有徳天皇」と讃えた
 ↓↑
 雄略元年は西暦456年or西暦458年・・・
 ↓↑
 『古事記』
 一言主の威を畏れた雄略が
 弓と矢を捨て衣服まで脱いで伏し拝んだ
 雄略天皇と葛城の関係
 『古事記』
 葛城の猪(猪は神様)の話
 雄略天皇が葛城山を登っていくと
 大猪・・・伊吹山の「白い猪」は「日本建」に遭遇・・・
 が現れ
 天皇は鏑矢で猪を射ようとしたが
 猪が怒り突進してき
 天皇が
 榛(シン・はしばみ・はり・はんのき・はり
   榛名神社=群馬県高崎市
   榛名山の中腹にある榛名神社
   第31代用明天皇(585~587)の時代に創建
   赤城山・妙義山と共に
   上毛三山の一つ
   榛名山の神を祀る神社
   主祭神は火の神・火産霊神
       土の神・埴山姫神
   水分神・高靇神・闇靇神
   大山祇神・大物主神
   木花開耶姫神
   を合わせ祀る)
 の木に逃げ登った・・・
 ↓↑
 葛城の
 一言主大神の話
 雄略天皇が正装し臣下と
 葛城山を登っている時に
 同じ装いをした一行と出会い
 天皇が名を告げるように言うと
 相手は
 葛城の一言主大神と名乗り
 天皇は謝罪し
 弓矢や臣下の衣を神に奉納
 一言主大神・・・「一の言の主」⇔「初めにコトバありき」
         「新約聖書・ヨハネによる福音書・第1章」
          創世は神の言葉(ロゴス)
          すなわち神のコトバで始った」
         「言葉は神と共にあり、言葉は神であった」
         「ヨハネによる福音書・1章 2-3節
          初めに神と共にあった
          万物は
          カミの
          言によって成った・・・「万葉集」?
          カミの
          言によらずに
          成らなかったモノは何一つなかった
          言の内に命があった
          命は人間を照らす光であった」
     ・・・「はじめにモノが存りキ
         モノを知る
         言葉は
         人間(ヒト)とともにあり
         言葉は
         人間(ヒト)の
         モノ、ヒトとのあり方を
         認識思惟する道具なり
         感知した
         万物(よろずのもの)に
         コトバを与え
         コレによりて認識記憶とし
         技能、技術によって
         万物にニセたるモノ
         新たな構造物を造形する」・・・
 はそれを受け取り
 葛城山を下りて
 天皇の宮近くまで見送った
 ↓↑
 雄略天皇と「伊勢の国の三重の采女」
 宴会で天皇に捧げる盃に
 「木の葉」が入っているのに気付かず
 酒を注ぎ、天皇の怒りをかって殺されそうになった
 「采女」は
 天皇を讃え、繁栄を祈った歌を即興で詠み
 その歌に天皇は感心し、命拾いをした
 ↓↑
 纏向(まきむく)の
     日代(ひしろ)の宮は
 朝日の 日照(ひでる)宮
 夕日の 日翔(ひがける)宮
 竹の根の根足(ねだる)宮
 木(こ)の根の
     根這(ねばふ)宮
 八百土(やほに)よし
     い杵築(きづき)の宮
 真木(まき)さく
     檜(ひ)の御門(みかど)
 新嘗屋(にひなへや)に
     生(お)ひ立(だて)る
 百足(ももだる)
     槻(つき)が枝(え)は
 上(ほつ)枝(え)は
   天(あめ)を覆(おへ)り
 中つ枝(え)は
   東(あづま)を覆(おへ)り
 下枝(しづえ)は
   鄙(ひな)を覆(おへ)り
 上(ほつ)枝(え)の
      枝(え)の末葉(うらば)は
 中つ枝(え)に
      落ち触(ふら)ばへ
 中つ枝(え)の
      枝(え)の末葉(うらば)は
 下(しもつ)枝(え)に
      落ち触(ふら)ばへ
 下枝(しづえ)の
      枝(え)の末葉(うらば)は
 鮮衣(ありきぬ)の
      三重(みへ)の子が
 捧(ささが)せる
      瑞玉盃(みづたまうき)に
 浮きし脂 落ちなづさひ
 水(みな)こをろ こをろに
 是こしも あやに畏(かしこ)し
 高光る 日の御子(みこ)
 事の語り言もこをば
 ↓↑
 纏向の日代の宮
 景行天皇の宮
 纏向は奈良県桜井市穴師(旧纏向村)
 古事記では宴会が行なわれたのは
 泊瀬(長谷)とあり、説話と歌とで齟齬あり
 ↓↑
 夕日の日がける宮
 「日がける」「日翔る」「日陰る」
 「鄙」=西北方向の地方
 「皇都をさかりたる地をなべていふ名にはあらずして
  方土につきていひし名なり
  その方土に就ていひしとは
  畿内近國をさかりたる
  西方北方の國を
  比那といひ
  東方の國をば
  阿豆麻といひしことにぞありける」
  (『万葉集古義』)
 ↓↑
 鮮衣(ありきぬ)の
 三重の子
 「ありきぬの」は「三重」の枕詞
 「三重の子」は「三重の采女」
 「水こをろこをろ」に
 古事記の伊邪那岐・伊邪那美の国生み神話に
 「鹽をこをろこをろに」・・・
 盃に浮いた葉を
 国土草創期の浮き脂に見立て
 宮を誉め讃える寿詞に転じた
 雄略天皇が
 三重采女の不始末を許したのは
 彼女のこのような機転を好しとしたから・・・
 ↓↑
 雄略天皇は
 泊瀬の大きなケヤキの木の下で宴会を催した
 伊勢の国の
 三重の采女が
 盃を捧げようとした時
 ケヤキの葉が落ちて
 盃に浮かんだが
 采女は知らずに
 御酒(みき)を献った。
 天皇はその葉を見て怒り
 采女を打ち据えて
 刀を抜き
 切っ先を
 采女の首に当て
 まさに斬ろうとした時
 三重の采女は
 「どうか命をお救いください
  申すべきことがございます」
 と言って歌を詠んだ
 天皇はこれを聞き
 采女の罪を赦した・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・
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