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コジキジゲン

痩せ我慢・・・アイは蜃気楼、真夏の逃げ水、走水・・・

2019-08-31 19:54:33 | 古事記字源
 ・・・「バラの名前」は荊(茨・棘)記・・・井原西鶴?

 幼い頃、おふくろが
 「無け無し(なけなし)」の
 お金で買ってくれた
 「三輪車」・・・
 ・・・「三輪」って「みわ・みえ?」
          ・・・「み」+「あ・い・う・え・お」
    「サンわ」、「みつわ」
    「サンジュウ」ともヨムけれど・・・?
 以下、ブログ検索(wikipedia.org/wiki/大和三山・etc)で調べたモノの添付と
 ボクの「・・・?」・・・
 ↓↑
 大和三山(やまとさんざん)
 奈良県(旧・大和国)の奈良盆地南部、飛鳥周辺(橿原市)に
 そびえる三体の山々の総称・・・
 天香久山(あまのかぐやま・あめのかぐやま)
 畝傍山(うねびやま)
 耳成山(みみなしやま)・・・耳(みみ・ジ・ニ)
     ・・・耳梨・耳無・耳為・耳生・・・
     耳=~のみ・~だけ
       たったソレ-ノミ
       たったソレ-ダケ
       限定や強調を表す助字
       配分の過小、分量の過少・寡少な勢力
       ・・・歌唱の力・仮称としてコトバ・河床=川底
 ↓↑
 『古事記・日本書紀』で
 御諸山(みもろやま)、 美和山、三諸岳(みもろだけ)
 ↓↑
 1871年(明治四年)
 神社が奈良県にあてた
 口上書に
 「神ノ山とは三輪山を指す」
 という記述があり
 大神神社の・・・大神(オオミワ)
 神体山として
 三輪山が正式に記録された最初の記録
 ↓↑
  天香久山(あまのかぐやま・あめのかぐやま)
  畝傍山(うねびやま)
  耳成山(みみなしやま)
 ↓↑
 「香具山は
  畝火(うねび)ををしと
  耳成(みみなし)と
  相あらそひき
  神代より
  かくにあるらし
  古昔(いにしへ)も
  然(しか)にあれこそ
  うつせみも
  嬬(つま)を
  あらそふらしき」
 (中大兄皇子、巻1-13)
 中大兄皇子・・・中(駐・注・註・宙・なか=名化)
         大兄(大径・台形・大計・多掲・替系・他意系)
 と    >額田王・・・三角関係?
 大海人皇子・・・大(おほし・ダイ・タイ)
         海人(海女・天・雨・海部・阿毎・阿倍・阿部)
 という説・・・
 ↓↑
 鉄道唱歌(全5集・334番)・37番・・・鉄=金+失(𠂉一人)
 「桜井
  いでて
  わが汽車は
  畝傍(うねび)
  耳無(みみなし)
  香山(かぐやま)の
  鼎(かなえ)に
  似たる
  三山(みつやま)を
  前後に見つゝ
  今ぞ、ゆく」
 桜井線(万葉まほろば線)の
 車窓から見える大和三山の歌
 ↓↑
 大阪の出版社
 「昇文館」を主宰する
 市田元蔵・・・市(いち・シ)
        田(た・だ・デン)
        元(はじめ・もと・ゲン)
        蔵(くら・ゾウ)
 が企画
 大和田建樹
 に作詞
 多梅稚
 と
 上眞行(うえ・さねみち)
 に作曲
 を依頼し
 「鉄道唱歌」が誕生
 「昇文館」経営状態悪化
 1900年(庚子
 ↓↑   明治三十三年・・・参拾参
     皇紀2560年
     清王朝
     光緒二十五年十二月一日・・・弐拾伍
     ~
     光緒二十六年十一月十日・・・弐拾陸
     朝鮮
     大韓帝国
 ↓↑   光武四年・・・光の武の肆のトシ・ネン)
 5月10日
 第1集東海道篇を発売したが
 印刷部数は
 3,000部で
 ほとんど売れなく
 「昇文館」は倒産・・・
 「鉄道唱歌」の版権を
 大阪の
 楽器店(三木楽器)の
 三木佐助
 が買収
 江戸時代
 「往来物」と呼ばれる
 「宿場町」を覚える歌
 鉄道開業後に
 「レールエ節」
 と呼ばれる鉄道沿線を紹介する歌が存在し
 鉄道路線網の沿線を歌った
 書籍の販売・・・
 第1集東海道篇
 1900年
 『地理教育 鉄道唱歌 第一集』
 の
 タイトルで
 三木が再出版
 楽団を乗せた列車を走らせ
 広告戦略効果で大流行
 年末までに第5集までが発表
 詞はいずれも
 大和田建樹・・・大和(やまと)の
         田(た・だ・デン)の
         建(たける・たてる・ケン)の
         樹(き・ジュ)・・・?
 により
 曲は・・・曲(よこしま・まがり・キョク)
 第1集・第2集が
 多梅稚・・・多(おほの・たい・タタ)
       梅(うめ・十八𠂉毋)
       稚(おさない・いといけない・チ)
 上眞行・・・上(うえ・かみ・ジョウ)
       眞(ま・まこと・シン)
       行(いく・ギョウ・コウ)
    ・・・行灯(アンドン・行燈)
 第3集が
 多梅稚
 田村虎蔵・・・田(た・だ・かる・デン)
        村(むら・十八寸)
        虎(とら・コ)
        蔵(くら・ゾウ)
 (奥好義・・・奥(おく・オウ)
        好(すき・コウ・女子)
        義(よし・ギ)
  が
  作曲締め切りに間に合わず
  多梅稚の曲で穴埋め)
 第4集が
 納所辨次郎・・・納(おさめる・糸内)
         所(ところ・戸斤)
         辨(わきまえる・わける
           辛刂辛・弁)
         次(つぎ・冫欠)
         郎(やっこ・良阝・白𧘇阝)
 吉田信太・・・吉(よし・キツ・キチ)
        田(た・だ・かる・デン)
        信(まこと・シン)
        太(おほの・おおい・タイ)
 第5集は
 多梅稚が
 2種といった
 各曲に
 2つずつつけられ
 「鉄道唱歌」書籍の形式で販売
 第1集~第3集
 第5集の曲の1つであった
 多梅稚の曲が
 抒情的な上眞行の曲よりも
 「ヨナ抜き音階」・・・日本固有の・音階(五音音階)
 「四七抜き音階」とも表記
      主音(ド)から
      四つ目のファと
      七つ目のシがない
     (ドレミソラ)
      ヨナ抜き長音階 C, D, E, G, A, C
    呂音階、Cメジャーペンタトニックと同じ
      ヨナ抜き短音階 A, B, C, E, F, A
    陰音階の主音をAに変更
      民謡・童謡は
      ラ(陽音階)かレ(律音階)で終わる曲が多い
 の
 ピョンコ節でメロディーが覚えやすく
 テンポも旅情がそそられ
 広く歌われるようになって
 他の方の曲は
 ほとんど歌われなくなってしまった
 多梅稚
 の作曲に依らない第4集も
 この曲で歌われた
 テンポ良く聞こえるのは
 歌詞が
 7音、5音、7音、5音、7音、5音、7音、5音
 となっているが要因の一つ・・・
 ↓↑
 異説
 最初から三木の企画の説
 無名の一青年の詞を買い取り
 大和田が補筆したとの説・・・
 ↓↑
 「鉄道唱歌」書籍は
 大正初期までの20年間に
 総計2000万部を売った・・・
 ↓↑
 タイトルに「地理教育」と付けられ
 音楽教育の一環として
 歌による知識の習得という方針があり
 本歌の発表直後から
 全国各地で郷土版が多く製作され
 膨大な詞の中に沿線の
 地理や歴史
 民話や伝説
 名産品
 の紹介を織り込んで
 人気となった・・・
 ↓↑
 大和田建樹の直筆書は
 埼玉県さいたま市の
 鉄道博物館に所蔵・・・
 ↓↑
 三輪山
 663年
 「白村江の戦い」敗北
 近江(おうみ⇔合う見・会う見・相見・淡海)
 「大津宮」遷都するとき
 額田王が詠んだ歌が有名・・・歌の本意は?
 額田王 下近江國時 作歌
 ↓↑
 味酒(ウマサケ)
 三輪の山
 あをによし・・・青=あお=白・・・白馬=青馬・・・?
 ↓↑       青馬=白馬・・・白=新羅
           「白馬 (あおうま) の節会」の略
         濃い青みを帯びた黒馬・青毛の馬
         淡青色や淡灰色の馬・あおごま
        「水鳥の鴨の
         羽色の
         白馬を・・・新羅(斯盧)の馬
         今日見る人は
         限りなしといふ」
        〈万・四四九四〉
         年初の節会(せちえ)の「引き馬」とする「白馬」
 ↓↑              または「葦毛(あしげ)の馬」
 奈良の山の
 山の際(マ)に
 い隠るまで 道の隈(クマ)・・・隈本=くまもと=熊本・肥国
 い積もるまでに
 「つばら」・・・委曲=詳(つばら)・」詳しい・十分だ・存分だ
 にも
 見つつ行かむを
 しばしばも
 見放けむ山を
 心なく
 雲の 隠さふべしや
 ↓↑
 反歌
 「三輪山を
  しかも隠すか
  雲だにも
  こころあらなむ
  隠さふべしや」
 (万葉集巻1‐18)
 ↓↑
 右二首歌
 山上憶良大夫の類聚歌林に曰はく
 都を近江國に遷す時に
 三輪山を御覧(ミソナハ)す御歌なり、といふ
 ↓↑
 日本書紀に曰はく
 六年
 丙寅の春の
 三月辛酉の朔(ツキタチ)の
 己卯に
 都を近江に遷す
 ・・・近江遷都反対、放火・・・
 「大物主(大國主?)=新羅(斯盧・秦・隋王朝残党)」
  の鎮座する「三輪山」を捨てる・・・
 ↓↑
 三輪山を
 ナゼ、しかも、このように隠すのか
 雲・・・・出雲・伯耆(箒)・・・?
 だけでも
 心意があってほしい
  隠すべきではない
 ↓↑
 山上憶良
 万葉歌人
 粟田氏の支族
 山上臣の出
 大宝元年(701)
 第七次遣唐使の少録に無位にて任命
 同四年頃
 大唐にて本郷を憶う歌(1-63)を詠む
 和銅七年(714)正月
 従五位下
 霊亀二年(716)四月
 伯耆守
 養老五年(721)
 首皇子(聖武天皇)の侍講に任命
 「類聚歌林」の編纂
 神亀三年(726)
 筑前守に任命、筑紫に下る
 大伴旅人が大宰府に着任
 旅人とともに
 筑紫歌壇を形成
 天平三年末~四年頃、上京
 「子等を思ふ歌」
 「貧窮問答歌」
 「沈痾自哀文」
 ↓↑
 「阿蘇山」は「三重の輪=噴火口+内輪+外輪」
 外輪山と数個の中央火口丘から成り
 外輪山は南北25km、東西18kmに及び
 面積380km2の
 広大な
 カルデラ地形(鍋型)を形成
 中央火口丘群の
 根子岳、高岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳
 の5峰の総称を指すこともある・・・
 ↓↑
 三輪車・・・三つの車輪を持つ乗り物の総称
       トライシクル(英: tricycle)
       トライク(英: trike)
       スリーホイーラー(英: three wheeler)

 日本語では、単に「三輪車」という場合は
       幼児用の乗用玩具
       実用的な自転車は「三輪自転車」
       モーターサイクルは「トライク」
       自動車に近いものは「三輪自動車」
 ↓↑ 
 三輪車の車輪
 車両中心に対して
 左右対称の二等辺三角形に配置
 左右対称に配置されたものは
 前輪が一つのデルタタイプ(delta)
 後輪が一つのオタマジャクシタイプ
      (タッドポールタイプ・tadpole)
 に分けられる

 Tricycleの語源は
 ラテン語の
 「3(tri)」+「輪(cyclus)」に由来
    トリ + ワ
    鶏  + 倭
    鳥  + 和
    酉  + 話
    取  + 把握=掴=扌+国=摑=扌+國
              扌+囗+玉
              扌+囗+王+丶
              カク
              つかむ
              うつ・たたく・手でたたく
              手の指を曲げて、その中に握る
            摑=扌+國
              扌+囗+或
              扌+囗+戈+口+一
 ↓↑
 記録の最初は
 1828年
 三輪馬車・ペダル・蒸気機関・内燃機関
 などと共に発達し
 「trike(トライク)」
 という略称の使用は1883年
 ↓↑
 大人用ペダル式三輪車
 1868年から存在
 ↓↑
 幼児用三輪車
 デルタタイプ
 ペダル、駆動、ステアリングは前輪
 ↓↑
 保護者が立った姿勢のまま
 車体を押して移動させるための
 棒状のハンドルを取り付けたモノ
 ハンドルを介して
 保護者が舵取りを行える
 玩具としての用途と
 乳母車に似た用途を兼ねている
ーーーーー
 ・・・・???・
 ・・サンリン・・・
 サンリン=山林・三厘・産燐・蚕綸・散禀・惨隣・簒倫
      斬林・・・鳥居耀蔵⇔遠山金四郎
      纂臨・散霖・慚凛・・・?
      張作霖・・・霖=ながあめ・三日以上降り続く雨
      吝嗇
 ↓↑
 禀=㐭+示
   亠+回+示
   亠+囗+口+示
 稟=㐭+禾・・・檁=建物で屋根などを受ける横木・桁(けた)
   亠+回+禾
   亠+囗+口+禾
   ヒン
   リン
   うける
   こめぐら
   ふち
   もうす
   受ける・授かる・上から下に与える
   扶持・俸給・俸給としての穀物
   生まれつき・天からさずかった性質
   天稟(てんぴん)
   申す・申し上げる
   こめぐら・食糧
 ↓↑
 綸=糸+侖
   糸+亼+冂+卄
   糸+人+一+冂+卄
   糸+亼+冂+一+丨+丨
   糸+人+一+冂+一+丨+丨
   カン
   リン
   いと
   おさめる
   糸・太い糸・釣り糸
   弦楽器に用いる糸
   治める・つかさどる
   おびひも・青色のおびひも
   天子のことば・天子の命令
 ↓↑
 凛=冫+禀
   冫+㐭+示
   冫+亠+回+示
   冫+亠+囗+口+示
 凜=冫+稟
   冫+㐭+禾
   冫+亠+回+禾
   冫+亠+囗+口+禾
   リン
   さむい
   すさまじい
   さむい・きびしく寒い
   身がひきしまるような寒さ
   すさまじい・りりしいさま
   身がひきしまったさま
 ↓↑
 逃げ水(にげみず・inferior mirage・road mirage)
 風がなく晴れた暑い日に
 アスファルトの道路などで
 遠くに水があるように見える現象
 「地鏡」とも
 近づいてもその場所に水はなく
 さらに遠くに見え、水が逃げていくように見える
 ↓↑
 渇望
 喉の渇き
 渇水⇔洪水・豪雨・氾濫・・・銅鐸の謎・・・地震・津波
 ↓↑
 吝=文+口
   亠+乂+口
    リン
    おしむ
    けち
    しわい
    やぶさか
    しわい・やぶさか
    物惜しみする・けちけちする
    悔やむ・残念に思う・悔やみ
    しぶる・しかねる
    思い切りがわるい・未練がましいさま
    はじ・はじる・恥辱
    いやし・いやしい
    貪吝刻薄
    貪欲吝嗇・・・嗇⇔薔薇
       薔=ショウ
         ショク
         ソウ
         ばら
         みずたで=水蓼
         バラ科の植物の名
         薔薇(ショウビ・ばら)
         みずたで・タデ科の一年草
         茨・荊・棘(いばら)の
        「い」が抜けた語
         イバラ=うばら・うまら・むばら
         イバラもバラもカラタチも
         棘のある落葉低木の総称
         カラタチ、バラ、サルトリイバラ
         などの藪(やぶ)状に繁茂するもの
         荊棘 (ケイキョク)
         英語の「briar・thorn」などと同意
         地名の茨木(いばらき)
            茨城(いばらき)
            原木(ばらき)
            などは同語源
         イバラ(スペイン語: Ibarra)
         エクアドル北部
         インバブーラ県の県都
         正式名称
         サン・ミゲル・デ・イバラ
        (San Miguel de Ibarra)
         インバブーラ火山の麓
         タハンド川の左岸に位置
         首都キトから約70km北東に位置
         ヘラドス・デ・パイラ
        (手作りのアイスクリームや
         シャーベットのようなお菓子)は
         約500年前にイバラ周辺の先住民が
         インバブーラ火山の
         雪や氷を用いて発明
         7月16日に「伝道者」
        (スペイン語
         El Pregon エル・プレゴン)
         パレードと
        「処女カルメン」
       ・・・朱いバラを咥えた
          カルメン
 ↓↑    ↓↑   ↓↑
      第1幕でカルメン
     「ハバネラ(Habanera)」
     「恋は野の鳥
(仏 L'amour est un oiseau rebelle)」
 ↓↑    ↓↑   ↓↑
    1)恋は気紛れな鳥ってネッ
     アンタの網なんかにゃ
     ヒッかからない
     声をかけても振り向かないから
     無駄だって
     アンタなんかは
     願い下げでオコトワリ
  2)どうもしゃァしない
     脅しても、頼んでも
  お喋りな奴か
   無口な奴なら
  アタイのこのみは
    寡黙なオトコ
   オトコの甘い言葉なんかにゃ興味ナシ
3)  ジタン女の情熱を
 だれがしばれるもんか
 アンタがアタイに気がない振りをするなら
 アンタにカマって、て、かも
 アタイに気があるなら
 ご用心
4)静寂(シジマ)な鳥も慌てふためいて
 翼をはばたき、真っ青な空に突き刺さる
 愛は蜃気楼、真夏の逃げ水、走水
 アンタが渇望するなら
  ・・・水はそこにあるハズだけれど
   5)アンタの周りで
 舞い上がって去っていく
    気紛れな女の街風(つむじかぜ)
 アンタとアタイの鬼ごっこ
 アンタから逃れ
    アタイが捕まり
 アンタが逃れれば
 アタイが捕まえる
 ↓↑    ↓↑   ↓↑
        (スペイン語
         Virgen del Carmen
         ビルヘン・デル・カルメン)
         パレードが
         9月の最終週末に
        「湖祭」
        (スペイン語
         Fiesta de los Lagos
         フィエスタ・デ・ロス・ラゴス)
         が開催
        座標:北緯0度21分45.64秒
           西経78度07分50.40秒
        愛称: 白の都市
 ↓↑    ↓↑   ↓↑
 サラサーテ
 カルメン幻想曲
 ・・・「カルメンの歌」って・・・?
 「Kコクジンの手前勝手」な立場・・・?
 「・・・思想」・・・「我侭」な立場らしい・・・?


コメント
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異体字「傮・㯥・曺・𣌼・𣊛・𣍘・漕・𠑤・𤅍」・・・ α+曹・・・?

2019-08-28 19:21:16 | 古事記字源
 2019年8月28日・・・キネンビ
 己亥・壬申・丁酉・・・土の猪・水の猨・火の鶏・・・?
 ↓↑
 フネをコグひと・・・漕ぐ?・・・
 ・・・嘘を扱(こ)く・・・嘘を放(こ)く・・・四五句ヒト・・・
 ・・・ヲトコとオンナの間にはフカくてクロいカワがある・・・?
 ↓↑
 ダウ船(dhow)・・・妥甕?・・・雫雨?
 14世紀半ば以後
 三角帆・四角帆・中国船
 アラビア海やインド洋西海域で
 大型船一般を
 「ダウ・ザウ・ザウゥ」と呼んだ
 16~17世紀以後ヨーロッパに伝わり
 インド洋近海での
 アラブ型三角帆の
 木造帆船と一般化した

 ↓↑
 ドーニー(ディベヒ語Dhoni)
 モルディブで使用されている
 大三角帆やエンジンを持つ多目的帆船
 ↓↑
 ガレー船・・・臥例?
 ↓↑
 クナール(knaar・knarr・knorr・knorr)・・・句名蛙留?
 9世紀のヴァイキング船・・・売金具?・・・葉意、禁句?

 ゴクスタ船(Gokstad ship)・・・語句素多?
 ゴクスタ農地の古墳で発見された9世紀後期のヴァイキング船
 ↓↑
 ガレー船(galley・ポルトガル語gale)
 人力で櫂(かい・オール)を漕いで進む軍艦
 古代に出現
 地中海やバルト海で
 19世紀初頭まで使用
 ↓↑
 コグ船(cogs、cog-built vessels)?
 ↓↑

 ↓↑
 次期法務部長官内定・・・?
 文在寅の側近
 チョグク(曺国・54歳)
 不正・疑惑
 ↓↑
 曺=曹=一+曲+日・・・始のヨコシマのイワク?
  =  𤰔+日
  =  亩+日
  =同義字「司・吏」
  異体字「傮・㯥・曺・𣌼・𣊛・𣍘・漕・𠑤・𤅍」
     α+曹
      漕(こ)ぐ=こぐ=扱ぐ
      船艚(倉)
      地層
      槽(おけ・桶・棺桶・肥桶・風呂桶)
      贈(おく・贈答)る
 ↓↑   ↓↑
      遭遇=遭遇する・偶々遭う
      encounter(問題・不運・危険・反対などに)
      encounter(敵に)
 ↓↑   ↓↑
      曹禺=本名は萬家宝
         清華大学でギリシア悲劇を専攻
        (1910年9月24日~1996年12月13日)
         中国の劇作家
 ↓↑   ↓↑
      槽=集めたものを入れる容器
      糟(かす)=穀物を集め
            醸して酒の元にする
            酵母
      艚=集めたものを運ぶ舟
       「䑩艚=古代の軍船」
 ↓↑  ↓↑
  一層・二層
  尼僧・僧侶・・・曹洞宗
  壱艘・一艚
  曽我(蘇我)
  曾禰・曽根
  味噌・會津
 ↓↑  ↓↑
  曹洞宗
  中国の禅宗
  五家(曹洞、臨済、潙仰、雲門、法眼)の一
  日本の禅宗
 (曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗)の一
  本山は永平寺(福井県)・總持寺(横浜市鶴見区)
 ↓↑  ↓↑
 曺=一+日+丨+日
   異体字「𣍘=東+東+日」
   曰(いわく・ひらび)
   ソウ・ゾウ
   つかさ
   ともがら
   つかさ・役人・役所
   ともがら・やから・なかま
   へや・役所の部局

 ↓↑  ↓↑
 曺国(チョ・グク・1965年4月6日~)  2019
 乙巳(戊庚丙)正財・偏印 長生⇔大運⇔己亥
 庚辰(乙癸戊)比肩・正財  養⇔甲戌⇔壬申
 庚寅(戊丙甲)  ・偏印  絶⇔  ⇔丁酉
  午未空亡午未
 壬午(丙己丁)食神・偏官 沐浴⇔
 ↓↑  ↓↑
 甲戌・・・大運冲戊
 己亥・・・年冲戊
 壬申・・・日冲戊
 丁酉・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・記念日・・・


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「ダメのルール」or 「国家間の守秘義務」・・・?

2019-08-27 23:42:27 | 古事記字源
 ・・・ゴカイ・カンチガイ・オモイコミ・・・恣意的・・・
 往生する「人間」に善人、悪人は存在せず
 生きている「動物・植物」にも善悪で
 生活、生存しているモノはない・・・
 ・・・好き嫌いで存在している・・・???
 人間社会にのみ「善悪」が
 「ダメのルール」として存在するらしい・・・?
  ↓↑
 日韓秘密軍事情報保護協定(GSOMIA・ジーソミア)
 日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA・ジーソミア)
 General Security of Military Information Agreement, =GSOMIA
 General Security Of Military Information Agreement
 軍事情報包括保護協定
 国家間の守秘義務・・・?・・・守られたレキシはナイ・・・?
 「原則は自分にはあてはめない」・・・「原則は他人のモノ」・・・
ーーーーー
 ???・・・「ジーソミア」・・・
 ・・・「爺・示威・自慰・次位・辞意」・・・「素見合・曽観蛙」?
 ・・・「事彙・辞彙・字彙」・・・「ソミア」・・・?
  ↓↑
 G・SO・MI・A
 ・・・「音階」・・・?
 五声   宮    商   角   徴         羽 変宮
 七声   宮    商   角       変徴  徴 羽 変宮
 西洋音階 ド    レ   ミ   ファ  ファ♯  ソ ラ シ

 中国式表記   C   D    E    F   G   A  B
 十二律   黄鐘   太簇  姑洗  仲呂  林鐘 南呂  応鐘
  ↓↑    ↓↑
       黄鐘(コウショウ)
       太簇(タイソウ)
       姑洗(コセン)
       仲呂(チュウリョ)
       林鐘(リンショウ)
       南呂(ナンリョ)
       応鐘(オウショウ)
  ↓↑
 英米式表記 C (スィー)D (ディー)E (イー)F (エフ)G (ジー)A (エイ)B (ビー)
 ↓↑
 ドイツ式表記 C(ツェー) D(デー) E(エー) F (エフ)G(ゲー) A(アー) H(ハー)
        Cis    Dis  Eis   Fis   Gis  Ais   His
        Ces    Des   Es    Fes  Ges    As   B
  ↓↑
 イタリア式表記 Do(ド)  Re(レ) Mi(ミ)  Fa(ファ)Sol(ソ) La(ラ) Si(シ)
  ↓↑
 フランス式表記 Ut (Do) Re   M   Fa  Sol   La   Si
  ↓↑
 スペイン式表記 Do   Re   Mi  Fa   Sol   La   Si
  ↓↑ ↓↑
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韓国夫人 武順(武則天の姉)・・・韓国の夫人・武に順・・・???

2019-08-25 20:48:17 | 古事記字源
 沙和地(素名和地)、海人(阿每訊)の武の后・・・
 照=曌(明+空)=媚娘=女+眉+女+良
 武曌(明+空)・・・暗(日+音)+空⇔闇夜⇔日食・日蝕
 ↓↑

 則天武后
  ・・・厠顛武行(武孝・武考)?
  厠=厂+貝(目ハ)+刂
   =かわや=はばかり=便所
   =手水(ちょうず)
   =東司(トウス)=西浄(セイチン)
   =トイレット (toilet)
  顛=顚=傎=テン
  顛=真+頁
   十+具+頁
   十+目+一+八+頁
 顚=眞+頁
   七+目+乚+八
 傎=イ+眞
   亻+ヒ+具
   亻+ヒ+目+乚+八
   真・眞
   頁(おおがい・いちのかい
     ケツ・ページ)
   テン
   いただき
   くつがえる
   たおれる
   いただき・頭のてっぺん
   物のてっぺん・山の頂上
   はじめ・はじまり・もと
   くつがえる・ひっくりかえる
   たおれる・たおす・つまずく
   おちる・転がりおちる
   正気を失っている・正常ではない
   顛末・天頂
   武の行・・・十一月初旬
   皇后になった武照は
   厠に監禁されていた・・・?
   王氏(前皇后)
   と
   蕭氏(前淑妃)
   を棍杖で百叩きに処し処刑・・・本当カナ・・・?

 ↓↑
 637年
 太宗の後宮に入り
 才人(二十七世婦の一つ・正五品)
 太宗死後
 女性の道士(坤道)となり
 道教寺院(道観)で修行・・・?
 ↓↑      ↓↑
 かわや づめ=厠詰め
 せっちんづめ=雪隠(厠)詰
        将棋で相手の王将を
        盤の隅に追い込んで詰めること
        逃げ場のない所へ追い詰めること
        雪隠(厠)責め・・・仕置き

ーー↓↑ーー
 おしっこ=古語「しと」
 ↓↑  「ゆばり・ゆまり(湯放)」
     粗相の語源は「麁相」・・・
     失禁=オランダ語
       「lekheid(漏れ)」の訳語
        蘭方医が考案
     おしっこ=pee(ピー)・urine(ユリン)
          wee(ウィ)
          piss(ピス)・Don’t piss me off!
     うんこ =poo(プー)・Shit(シット)
          stool(ストゥール)
          Bowel Movement(バウルムーブメント)
          feces(フィーシーズ)
          excrement(エクスクレメント)
 ↓↑        Bullshit(ブーシッ)
 stool(ストゥール)
 stool(スツール)
 背もたれと肘掛けのない椅子
 通例3~4本の脚が付いている
 ひじ掛け・背のない腰掛け
 踏み台・ひざつき台・足台(footstool)
 《園芸》親木・親株・親株から出る若枝
 狩猟で使うおとりの留まり木
 おとり
 トイレ・腰掛け式便器
 ↓↑
 stool pigeon
 椅子の鳩
 密告者・スパイ・犯罪組織のおとり
 An informer or spy.
 情報提供者、スパイ
 木の根元や切株
 ↓↑
 「首まき」
 comforter
 muffler
 neckerchief
 ↓↑
 襟巻き(えりまき)
 首巻き(くびまき)
 マフラー(muffler)
 首の周囲に巻く
 細長い長方形をした厚手の布で、防寒具
 カシミヤの襟巻き
 襟巻きを巻く人
 スカーフ(scarf)
 ↓↑
 首巻
 muffler
 scarf
 肩掛け
 shawl
 stole
 ストール(stole)=肩掛け
 ↓↑
 スティール (steal,steel,steele)
 steal(盗む)
 ↓↑
 steel
 鋼 (steel)=鉄の合金
 スチール線・スチール呼線
 配管内にケーブルを通す場合に使用する通線工具
 スティール・ギター
 still
 スチル写真 (still)
 写真・静止画・・・
 stall=売店・露店・屋台
 ストール
 stalls・stalling・stalled
 ↓↑
 stall=畜舎の1頭用の仕切り
     家畜小屋・馬屋・牛舎
     競馬のスターティングゲート
     トイレ・シャワーなどの1人用個室
 ↓↑
 stall=時間を稼ぐために決断を遅らせる
     何らかの行動をとるのを先に延ばす
 ↓↑
 stall=売店・露店・屋台
     馬・牛を入れる馬屋のひと仕切

ーー↓↑ーー
 則天武后・・・「悪女」だったのか・・・?
 ↓↑
 帝位を継いだ高宗の
 皇后
 王氏
 と
 蕭淑妃
 が対立
 皇后が
 高宗に
 武照の入宮を推薦
 武照は
 昭儀(九嬪の一つ、正二品)として
 後宮に入宮
 ↓↑
 永徽六年(655年)六月
 高宗は武照を
 昭儀から新たに設けた
 宸妃(皇后に次ぐ位)にさせようとし
 宰相の
 韓瑗
 と
 来済の反対
 ↓↑
 同年
 永徽六年(655年)
 中書舎人の
 李義府
 などの側近が
 皇后廃立
 と
 武照擁立の意図を揣摩
 許敬宗
 崔義玄
 袁公瑜
 らの大臣が結託し
 高宗に
 武照立后の上奏文を送った
 高宗は
 王皇后を廃し
 武照を皇后に立てることを
 重臣に下問
 ↓↑
 太宗の
 皇后
 長孫氏の兄で
 高宗の伯父
 長孫無忌
 褚遂良
 于志寧
 李勣
 の4人
 下問に
 長孫無忌
 褚遂良
 は反対
 于志寧は賛成も反対も言わず
 李勣が
 皇后の廃立を容認
 ↓↑
 永徽六年(655年)
 10月13日(11月16日)
 高宗は詔書で
 「陰謀下毒」の罪
 により
 王皇后
 蕭淑妃
 2名を庶民に落とし投獄
 親族は官位剥奪し
 嶺南への流罪を宣告
 7日後
 詔書を発布で
 武照を立后
 諫言した
 褚遂良を
 潭州都督へ左遷
 ↓↑
 潭=氵(水)+覃・・・譚=言+覃
   氵+覀+早
   氵+覀+日+十
     襾・西・覀=ア
    (おおいかんむり・にし・かなめかしら)
   タン
   ふち
   水を深くたたえた所
   潭水・深潭・碧潭
   底深いさま
   潭潭
   タン・ジン・シン・イン
   みぎわ・ふち・ふかい
   水辺・岸・ほとり
 ↓↑
 永徽六年(655年)
 十一月初旬
 皇后になった武照は
 監禁されていた
 王氏(前皇后)
 と
 蕭氏(前淑妃)
 を棍杖で百叩きに処し
 処刑

 ↓↑
 トイレ=雪隠=セッチン
     雪=「雨(丅・冂・::)+彐(彑・∃・⺕)」+「隠す」
          丅(カ)=下(した・ゲ)の
               冂(囲いの穴)を
               ::(水)を濯いで隠す
       「雨=あめ・雨水・::(上水で下水に流す)」
       「彐・彑・∃・⺕=いのこがしら・ケイ・ブタの頭
                (彑頭)、いのこがしら(豕頭)
                手を意味する「⺕」・・・鳥の爪の形象
                鷲摑みの「手=指+爪」、「熊手」
                フォーク=fork・ホーク=hawk
                フォーク=folk folk song・
          フォルクス(ドイツ語 Volks)=国民、大衆の
       「雪=白い有紀」を隠す?・・・接沈をカクス?
 ↓↑      ↓↑
 唐の
 雪竇(セッチョウ)禅師が
 霊隠寺の厠をつかさどった故事?
 唐の禅師
 雪峰義存が厠を掃除して大悟した故事?
 ↓↑
 「ちょっと花を摘みに」
 フランス貴族女性の用足し隠語
 ↓↑
 尿瓶(しびん)
 尿を受けるための瓶状の容器
 尿筒(しとづつ)=完筒・環筒(かんづつ)
 ↓↑

 おまる(御虎子)
 「お 」は接頭語
 「まる」は
 大小便をする動詞
 「まる=放る」
 「御虎子」の当字は「糞便」の丸、渦巻き形象・・・
 「おまる」=木製の浅い桶で小判形
 小判を「虎(とら)の子」・・・?
 ↓↑
 小判の流通は
 慶長六年(1601年)
 徳川家康が
 後藤家に命じて鋳造させた
 慶長小判
 万延元年(1860年)
 万延小判まで10種発行
 ↓↑
 天正十六年 (1588年)
 豊臣秀吉が
 後藤徳乗に命じて鋳造させた
 天正大判
 ↓↑
 金=原子番号79の元素
      第11族元素に属する金属元素
   こがね・くがね
 ↓↑ ↓↑
 武川鎮軍閥(ブセンチングンバツ)
 中国南北朝時代の
 西魏
 北周
 隋・唐
 の支配層を形成していた集団
 関隴集団とも・・・
 ↓↑
 武川鎮は「王気」が聚まる所
 (趙翼の著『二十二史箚記』)
 ↓↑
 「関隴集団」
 貴族集団=論証
 (陳寅恪の『唐代政治史述論稿(1944年)』
 ↓↑
 武川鎮
 北魏前期の首都
 「平城」
 を北の
 柔然から防衛役割の6つの鎮の一
 北魏では
 各国境に
 匈奴・鮮卑系の名族を移り住ませ(鎮民)
 鎮将を置き、当地の軍政を行わせ、防衛を行っていた
 他の地域の鎮は
 北魏の中央集権化が進むと共に廃止
 六鎮のみはそのまま残され
 鎮民たちは
 選民として特別待遇を受けてた
 ↓↑
 北魏の漢化政策で
 六鎮の地位は下落
 孝文帝により
 洛陽遷都で
 六鎮はほとんど
 流刑地になった
 六鎮の者たちは不満を抱き
 六鎮の乱を起こし
 北魏全体を混乱させた
 ↓↑
 乱は
 爾朱栄
 が収めたが
 北魏の混乱は
 軍閥割拠状態となった・・・
 ↓↑
 戦乱を勝ち抜いたのが
 六鎮の一
 懐朔鎮出身
 高歓
 武川鎮出身
 宇文泰
 それぞれ皇帝を擁立し
 北魏は
 高 歓の東魏
 宇文泰の西魏(陝西省・甘粛省)
 に分裂
 武川鎮軍閥=関隴集団(関隴貴族集団)とも
 関=関中(陝西省)
 隴=隴西(甘粛省南東部)
 ↓↑
 宇文泰は
 東魏に対抗するために
 府兵制を創始
 軍を
 十二大将軍・八柱国
 をその指揮官とした
 大将軍・柱国には
 武川鎮出身者を就け
 西魏
 北周
 の支配者集団となった
 北周末期より貴族化が進み
 軍閥と呼ぶのはふさわしくないので、
 関隴集団と呼ぶ・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・
ーー↓↑ーー
 武氏の出身・・・天武天皇の縁戚・・・?
 ↓↑
 父の
 武士彠(ぶしかく)・・・武士のハカリ?
    ・・・彠=尋+蒦(艹+隻)
           蒦=艹+隻
             艹+隹+又
    カク
    はかる・指で長さを測る
    手でとらえる・手に持つ
       彠=クワク・ワク・カク・キャク・ヤク
        はかる・ものさし・のり    
 は
 山西省の
 商人(材木商)で
 隋の煬帝
 唐の高祖
 に仕えた役人
 ↓↑ ↓↑
 武士彠(ブシャク)
 ↓↑
 577年~635年
 字は
 信明
 本貫・・・本を貫く
 は
 并州・・・并(併立・併合)の州
 文水県・・文の水を懸ける
 財産家の
 武華の子・・・武の華の子?
 ↓↑
 隋末に鷹揚府隊正
 唐公
 李淵が
 太原留守となると
 士彠は行軍司鎧参軍
 劉弘基
 長孫順徳
 が
 李淵の命を受けて兵を集め
 副留守の
 王威・・・・王の威(おどす・たけし・威嚇)
         威=戊+一+女・・・権威
 高君雅・・・高の君の雅(からす)・・・加羅州
 らが
 その意図を疑ったが
 士彠は
 「唐公の客である」と誤魔化した
 司兵参軍の
 田徳平・・・田の徳(悳)の平(たいら)
 が募兵の状況を
 王威に訴えようとすると
 士彠は
 田徳平を脅して
 報告を止めさせた
 ↓↑
 李淵が起兵
 士彠は大将軍府鎧曹参軍
 長安の平定に参加した功績により
 光禄大夫となり
 太原郡公・・・太の原の郡の公
 に封ぜられた
 ↓↑
 士彠は
 工部尚書に累進
 応国公に封ぜられ
 利州都督
 荊州都督を歴任
 635年死去
 礼部尚書の位を贈
 諡は「定」・・・さだむ・・・サダム・フセイン?
 ↓↑
 永徽年間
 士彠の次女の
 武照が皇后に上ると
 并州都督・司徒の位を追贈
 周国公に追封
 ↓↑
 咸亨年間
 太尉・太子太師
 の位を加えられ
 太原郡王に追封
 ↓↑
 武照が朝政をみるようになると
 士彠は
 忠孝太皇と追尊
 崇先府が建てられて、属官が置かれ
 五代にさかのぼって
 王位を追贈
 ↓↑
 武周が建てられると
 東都に
 武氏七廟が建てられ
 帝に追冊
 ↓↑
 先天年間・・・睿宗-李旦の治世の元号
        712年~713年・・・古事記(712年)
 士彠の
 帝号が削られ
 太原王とされ
 武氏七廟も廃止された
 ↓↑
 士彠は
 相里氏・・・ 相の里
 を妻とし
 武元慶
 武元爽
 の二男をもうけた
 ↓↑
 後
 楊氏(栄国夫人、楊達の娘)
 を後妻とし
 三女をもうけた
 長女は
 賀蘭越石・・・加賀・和蘭(阿蘭陀)
        越前・越中・越後・石川・・・?
 の夫人となり
 韓国夫人・・・「韓国」の夫人・・・?
 に封ぜられた
 次女の
 武照は
 高宗の皇后、帝位に上った
 三女は
 郭孝慎の夫人・・・「郭務悰」の縁戚・・・?
 ↓↑
 兄に
 武士棱
 武士譲
 武士逸
 がおり
 兄の
 武士譲の子として
 武懐亮(惟良)
 武懐道
 武懐運(弘度)
 ら
 ↓↑ ↓↑
 則天武后
 14歳
 太宗の後宮に入り
 武照・・・「武を照らす持統(字問う)天皇」
 と称す
 ↓↑
 太宗の死後
 尼になったが
 還俗し
 太宗の息子の
 高宗の後宮に入った
 ↓↑
 高宗の皇后となり
 後
 高宗が病弱で・・・???
 「垂簾の政」を執政
 ↓↑
 高宗と
 皇后
 武氏(則天武后)は
 竜門に
 毘盧舎那仏
 の
 大仏造営を発願
 武后は自らの
 脂粉銭(お化粧代)
 二万貫を寄付
 大仏の顔は
 武后に似せて造られた
 ↓↑
 則天武后
 唐の高宗の皇后
 664年に実権を握る・・・
 ↓↑
 唐書・麟徳暦(儀鳳暦)
 665年・・・日蝕
 為入蝕限、望則月食、朔入限、月在裏者、日蝕
 志彙編七 p.2024
ーー↓↑ーー↓↑
 正始八年春二月朔
 西暦247年3月24日の日食
 ・・・???・・・
 天文律暦志にのる日食限の記述の変遷
 ↓↑
 宋書・景初暦
 237年
 入交限数以上者、朔則交會、望則月蝕。
 志彙編六 p.1696
 ↓↑
 隋書・皇極暦
 未施行(604年)
 交限以上者月食、月在[裏]者日食
 志彙編六 p.1957
 ↓↑
 唐書・戊寅元暦
 619年
 交限巳上、望則月食、其朔在内道者、朔則日蝕
 志彙編七 p.1986
 ↓↑
 唐書・麟徳暦(儀鳳暦)
 665年
 為入蝕限、望則月食、朔入限、月在裏者、日蝕
 志彙編七 p.2024
 ↓↑
 唐書・大衍暦
 728年
 望入蝕限、則月食、朔入蝕限、月在陰暦則日蝕
 志彙編七 p.2024
 (古代日食計算における陽暦法の発見)
 by http://www.wagoyomi.info/youreki.html
ーー↓↑ーー↓↑
 夏の第4代
 仲康の時代
 天文官の
 羲氏・・・・・魏志?
 と
 和氏・・・・・倭史・和史?
 が酒色に溺れ
 天文観測をさぼり
 日蝕の予報を出さず
 暦を乱し死罪になった
ーー↓↑ーー↓↑
 53年、158年、247年年、248年
 の4回の皆既日食
ーー↓↑ーー↓↑
 郭 守敬(かく しゅけい)・・・郭・・・郭務悰
 1231年~1316年
 元朝に仕えた
 天文学者、暦学者、水利事業家
 字は若思
 邢台(河北省)出身
 中国暦法の
 「授時暦」を作成
 ↓↑ ↓↑
 ・・・663年は
   「白村江海戦」勝利
 ↓↑ ↓↑
    劉仁軌=(リュウジンキ)
    602年~685年3月2日
    字は正則・楽城文献公・汴州尉氏県の人
    武徳年間
    息州参軍、陳倉尉
    折衝都尉の
    魯寧なる者が横暴で、これを鞭打って殺害
    太宗に詰問されると
   「私が辱められたために殺しました」
    と答え太宗に気に入られ
    咸陽の丞に任ぜられた
    給事中にまで昇るが
    権臣の
    李義府に憎まれ
    青州刺史に左遷
    顕慶五年(660年)
    遼東征伐で
    漕運に失敗した罪を着せられ
    59歳にして一兵卒に落とされ
    蘇定方率いる唐軍が
    百済の都泗沘城を攻め
    配下の
    劉仁願が
    義慈王を捕らえ、百済を滅亡させる
    翌、龍朔元(661年)
    百済の遺臣
    鬼室福信・・・鬼の室の福の信
    らが
    泗沘城の奪還を試み
    劉仁願
    を包囲
    劉仁軌
    は自ら志願し
    検校帯方州刺史を拝して援軍に赴く
    龍朔三年(663年)9月
    百済残党を支援する
    倭の水軍を
    白村江で迎撃
    400余隻の軍船を焼き払って大勝
    百済故地の諸城を平定
    屯田を営み庶民を安心させた
 ↓↑ ↓↑
    麟徳二年(665年)
    高宗が泰山で封禅
    新羅・百済・耽羅・倭
    四国の首領を率いて参加
    大司憲を拝し
    右相兼検校太子左中護に進み
    楽城県男に封ぜられた
    総章元年(668年)
    熊津道
    安撫大使
    兼
    浿江道総管
    李勣に従って
    高句麗平定
    金紫光禄大夫を拝し
    太子左庶子同中書門下三品に進んだ
    咸亨五年(674年・上元元年)
    鶏林道大総管に任ぜられ
    新羅の
    文武王
    を討って(唐・新羅戦争)大勝
    翌年
    左僕射となって朝政に参画
    嗣聖二年一月二十二日(685年3月2日)
    文昌左相同鳳閣鸞台三品
    として在職中に死亡・享年84
    死後
    開府儀同三司并州大都督を贈られ
    高宗の陵墓である
    乾陵に陪葬
    子息
    劉滔
    劉濬
 ↓↑ ↓↑
    劉仁願・・・理由の訊を願う・・・?
 ↓↑ ↓↑
    劉仁願=字は士元・彫陰大斌の人
   「蘇定方」・・・ヨミガエル定の方
               (情報・定法)
    の部下
    百済平定に従軍
    660年(顕慶五年・斉明天皇六年)9月3日
    蘇定方より唐兵1万を預けられ
    武烈王(金春秋)
    の子の
    金仁泰
    の率いる
    新羅兵七千とともに
    百済の
    泗沘城に留鎮
    9月23日
    百済残存兵の急襲に遭い
    外柵まで侵入されたが
    内柵は防衛
    新羅の
    武烈王(金春秋)
    が出陣し
    泗沘南方の柵城を攻撃し
    劉仁願
    らを救援
 ↓↑ ↓↑
    百済残存勢力に悩まされ
    唐本国より派遣された
    帯方刺史
    劉仁軌
    の援軍に助けられた
    この間
    李義府(614年~666年)=李猫?
        瀛州饒陽県の人
        兼修国史・弘文館学士
    に
    劉仁軌
    を殺害するよう打診され
    劉仁願はこれを拒絶・・・???
 ↓↑ ↓↑
    ・・・?
   「李義府」は
    武后と確執
    武后派の
    李勣
    らと対立
    高宗を担ぎ出し
    保身を図ったが
    663年
    唐政を著しく失墜させたと糾弾
    崔州・・・崔=山+隹
           サイ・スイ
           たかい
           まじわる・まじりあう
           いりみだれる
    に配流
    666年死亡・享年53
   「笑いに刀を隠す」
    義府の人柄と行いを言い表したもの
    上辺は柔らかいのに物を害するので
   「李猫」とも・・・
 ↓↑ ↓↑
    663年(龍朔三年、天智天皇二年)9月
    白村江の戦いで
    劉仁軌と別行動
    孫仁師
    新羅の
    文武王とともに陸軍を率いて
    百済州
    柔城を陥落させた
    後
    劉仁軌は
    百済を鎮守したが
    劉仁願は帰国し
    高宗に劉仁軌の功績を報告
    上官儀によって
    劉仁軌
    と共に君子と賞賛
 ↓↑ ↓↑
    後
    劉仁願は
    百済鎮将とし
    熊津都督府に再度来鎮
    664年(麟徳元年)2月
    百済の元太子
    隆・・・
    と
    新羅の王弟
    金仁問・・・金の尋問?
    との
    和親誓盟に立ち会った
    同年(天智天皇三年)5月
    郭務悰・・・
    らを派遣
    667年(乾封二年、天智天皇六年)
    熊津都督府
    熊山(ユウセン)県令
    上柱国
    司馬法聡を派遣し
    坂合部磐積
    らを
    筑紫の大宰府に送還・・・
 ↓↑ ↓↑
   『新唐書』高麗伝
   『資治通鑑』(唐紀17)の
    668年(総章元年)8月条
    卑列道(江原道安辺郡安辺)摠官
    右威衛将軍
    劉仁願は
    李勣による
    高句麗征討戦で
    兵を逗留させたため
    唐に召し返され
    姚州(雲南省)に流罪にされた・・・
 ↓↑ ↓↑
   『三国史記』「新羅本紀(文武王8年条)」
    平壌戦の年(668年)の6月22日
    劉仁願が
    高句麗の
    漢城ほか2郡12城を落とした旨を
    知らせる使者を
    新羅王に派遣し
    王は返礼の使者を立てて祝賀
    「白村江の戦い」まで
    唐兵1万に新羅は衣食を供給し
    劉仁願にはその恩義に報いた
   「新羅本紀」
    文武王十一年条
    新羅王は
    薛仁貴
    への返書の中で
    劉仁願以下兵士に至るまで
    骨皮は漢地(唐)のものだとしても
    血肉は新羅のものであると記す・・・
    その後の
    劉仁願の消息は不明
 ↓↑ ↓↑ ↓↑
 690年に国号を周に改める
 武周
 鳳凰や赤雀などの瑞祥で
 国号を
 「唐」から「周」に改め
 聖神皇帝と称し
 武氏一族を王とした
 ↓↑
 705年死亡
 国号は唐に復された
 ↓↑
 中宗の時
 皇后
 韋后
 が政治を乱し
 則天武后と併せて
 「武韋の禍」
 ↓↑
 高宗の死後
 実子の
 中宗
 睿宗
 を相次いで廃帝
 ↓↑
 690年
 武照は
 皇帝に即位
 聖神皇帝と称し
 国号を周(武周)に改め
 都を
 洛陽として神都と改称
 中国史上、唯一の女帝
 (在位690~705年)
     ・・・705年・乙巳
 ↓↑   ↓↑  ↓↑   ↓↑
     安禄山誕生、大燕国皇帝(~757年)
     不空金剛誕生、密教開祖(~ 774年)
     2月
     張柬之
     らのクーデター
     中宗が復位、唐朝が復活
     日本
     遣新羅使帰還・・・新羅・・・倭国の敵?
    (大使=幡文通)・・・幡の文の通?
     新羅貢調使来朝・・新羅・・・倭国の敵?
    (大使=金儒吉
     副使=金今古)・・・金の今と古?
 ↓↑   ↓↑
     12月16日(神龍元年11月26日)
     武則天(則天武后)死去
 ↓↑   ↓↑
ーーーーー
 正始八年春二月朔
 西暦247年3月24日の日食・・・卑弥呼⇔天照大神の岩戸隠れ
 ・・・???・・・
 天文律暦志に載る日食限の記述の変遷
 ↓↑
 宋書・景初暦
 237年
 入交限数以上者、朔則交會、望則月蝕。
 志彙編六 p.1696
 ↓↑
 隋書・皇極暦
 未施行(604年)
 交限以上者月食、月在[裏]者日食
 志彙編六 p.1957
 ↓↑
 唐書・戊寅元暦
 619年
 交限巳上、望則月食、其朔在内道者、朔則日蝕
 志彙編七 p.1986
 ↓↑
 唐書・麟徳暦(儀鳳暦)
 665年・・・六百六拾五=陸百陸足後?
 為入蝕限、望則月食、朔入限、月在裏者、日蝕
 志彙編七 p.2024
 ↓↑
 唐書・大衍暦
 728年
 望入蝕限、則月食、朔入蝕限、月在陰暦則日蝕
 志彙編七 p.2024
 (古代日食計算における陽暦法の発見)
 by http://www.wagoyomi.info/youreki.html
ーー↓↑ーー↓↑
 夏の第4代
 仲康の時代
 天文官の
 羲氏・・・魏史・・・委(禾女)ねる鬼(おに)の史
 と
 和氏・・・倭史・・・イの禾の女の歴史・・・イは委任された史
 が酒色に溺れ
 天文観測をさぼり
 日蝕の予報を出さず
 暦を乱し死罪になった
 ↓↑
 53年
 158年
 247年3月24日の日食・・・卑弥呼⇔天照大神の岩戸隠れ?
 248年
 の4回の皆既日食
 ↓↑   ↓↑
 武周革命・・・武を周(まわす・まわり)
 漢字を創作
 仏教を崇敬
 官寺を
 大雲寺として保護
 龍門石窟寺院の建造
 ↓↑
 畜類の殺生
 魚の捕獲を禁止
 ↓↑
 「武韋の禍」
 705年以後
 中宗の皇后の
 韋后(イコウ)が
 武后にならって実権を握ろうとし
 710年に
 娘の
 安楽公主と謀って
 中宗を毒殺
 「武后と韋后」の実権を握って
 政治が混乱
 ↓↑
 712年・・・干支=壬子
        和銅五年
        712年3月9日(和銅五年一月二十八日)
        古事記が元明天皇に献上
        唐
        景雲三年、太極元年、延和元年、先天元年・・・?
 中宗の兄の
 睿宗(武后に廃位)の子の
 隆基(玄宗)が
 韋后と安楽公主らを殺害し
 父の
 睿宗を復位させ
 隆基(玄宗)は
 父から譲位されて
 皇帝となった
ーー↓↑ ↓↑ーー
 高宗
 唐の第3代皇帝(在位649~683)
 太宗の第9子
 母は
 鮮卑の
 拓跋氏
 長孫無忌の
 妹の
 長孫皇后=文徳皇后
 ↓↑
 本名は李治
 字は為善
 ↓↑
 第2代
 太宗の第9子
 長兄
 承乾太子が廃され
 外戚
 長孫無忌の後援で
 太子となり
 22歳で即位
 ↓↑
 則天武后を
 新たな皇后とし
 則天武后の一派が以後は要職に就き
 褚遂良は左遷
 長孫無忌を失脚、自殺させた・・・
 ↓↑
 永徽律令
 律疏
 の撰定
 『五経正義』の頒行など
 法律制度の仕上げをなし
 泰山に封禅を行い
 高句麗征服を実現
 ↓↑
 33歳
 「風疾」or「風眩」・・・
 を発病
 以後
 政務一切を
 武后(則天武后)の処断にゆだねた
 ↓↑
 西突厥を大破し滅亡させ
 アラル海にいたる西域を支配下
 新羅と結んで
 高句麗・百済
 を滅ぼす・・・
 ↓↑
 664年
 則天武后の専制に不満を抱き
 高宗は
 彼女が道士を宮中に入れて
 呪いをしていることを理由に廃そうとしたが
 則天武后に計画が漏れ
 高宗に協力していた
 上官儀が処刑
 以後
 高宗は
 国政を
 則天武后により決裁されるようになった
 高宗と則天武后を並べて
 「二聖」と呼ぶ
 674年
 則天武后の発意で
 高宗を「天帝(天皇)」
 則天武后を「天后」
 と呼ぶように改められた
 ↓↑
 高宗の後継者
 最初の皇太子
 李忠は廃され
 次の
 李弘は謎の急死
 次の
 李賢は則天武后に廃され
 高宗崩御の翌年に自殺させられた
 この際
 李賢を何とか許そうと
 高宗は動いたが
 則天武后の意により
 李顕が皇太子になった
 ↓↑
 晩年の高宗は病気が進行
 683年崩御・享年56
 跡を
 李顕が中宗として継いだ
 ↓↑
 663年
 「白村江の戦い」で
 日本・百済連合軍に勝利
 668年
 高句麗を滅ぼす
 新羅を除く
 朝鮮半島を支配下に置いた
 676年
 朝鮮半島から撤退
 ↓↑
 宗室
 ↓↑
 后妃
 王皇后
 則天武后
 蕭淑妃
 徐婕妤(唐太宗賢妃徐恵の妹)
 劉宮人
 鄭宮人
 楊宮人
 ↓↑
 韓国夫人 武順(武則天の姉)
   ・・・韓国の夫人・武に順・・・???
 ↓↑
 魏国夫人 賀蘭氏(武順の娘)
   ・・・魏(委+鬼)の夫人
          武に順の女・・・???
         女=むすめ・おんな=音名
 ↓↑
 男子
 燕王 李忠
 原悼王 李孝
 沢王 李上金
 許王 李素節
 代王 李弘(義宗孝敬皇帝)
 潞王 李賢(章懐太子)
 中宗 李顕
 睿宗 李旦
 ↓↑
 女子
 義陽公主
 高安公主
 安定公主
 太平公主
ーーーーー
 ・・・???・・・
コメント
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瓜子姫・・・天邪鬼の誘拐目的・・・ナニ?

2019-08-22 23:06:20 | 古事記字源
 けしからん=けしからず・・・消し(芥子・罌粟・家司・家子)絡む・・・?

       形容詞「異(け)し」の未然形に
       打ち消しの助動詞「ず」がついた語
      「 ず」の連用形「ぬ」の
       終止法
      「けしからぬ」と変化し
      「けしからん」となった
      「怪しからん・異しからん」
       憤慨、怒りの
      「理屈や道理に外れ、不埒で、ゆるせん」
      「不届き千万」
      「邪(よこしま)な奴で、不埒である」
      「非常識で許し難い」
      図々しい・厚顔無恥・・・
      文の在の寅(1953年1月24日~)
      文の喜の相(1945年3月03日~)
      「不作死就不会死」
 ↓↑    ↓↑
      乙酉(庚 辛)偏財・比肩建禄⇔辛未⇔己亥・偏印
      戊寅(戊丙甲)印綬・正財 胎⇔比肩⇔壬申・食神
      辛未(丁乙己)  ・偏印 衰⇔  ⇔辛卯・比肩
       戌亥
      甲午(丙 丁)正財・偏官 病⇔  ⇔甲午・正財
 ↓↑    ↓↑
      無礼・不敬・横柄・傲慢・理不尽
 ↓↑    ↓↑
      rude(ルゥードゥ)
      ・・・留得烏(鵜)同?
      impolite(インパァラァィトゥ)
        ・・・韻 葉蛙等相 当?
      discourteous (デスコォー(ル)トゥス)
      impertinent(インパァー(ル)タァナァントゥ)
      insolent(インサァラァントゥ)
      impudent(インピュゥドゥントゥ)
 ↓↑    ↓↑
      outrageous(アウト レヂぉす)
      disgraceful(ディィスグレェィスファル)
      shocking(シャキィン(グ)・ショク)
 ↓↑      ↓↑    
       懸念、疑念・・・不可解(深界・深海
               不可甲斐・不可歌意)?
       異様・奇怪
      「異(け)し=異常」
      「怪(あや・け)し=不思議」
     「芥子(ケシ)=鴉片・阿片・ヘロイン」
 ↓↑     ↓↑
       異様・奇怪
       賞賛や感動の・・・???
      「感服、感心」
      「尋常でない・素晴らしい」
      「け-し-から-ん
       け=化・懸(戯⇔戯曲)・嘉・卦
        し=詞・詩・史・誌・志・市・私」
          から=カラ・空・漢・唐・加羅・辛・殻
            む=厶・謀・夢・無・武・務
 ↓↑      ↓↑
 ウリ(瓜・賣・宇理)
 ナル(生・為・鳴・成・奈留)
 ナラ(楢・平城・奈良・名等)
 マル(丸・圓・円・團・団
    真留・眞瑠・馬留・目留・萬留・瑪瑠
    麻呂・虎子)・・・・太安萬侶
    馬屡・・・屢=尸+婁=しばしば
         屡=尸+娄=尸+米+女
               屎=くそ=糞(米+異)=大便
                     米の異化⇔大便⇔代弁
               尿=ゆばり=小便・小水
         屡・屡々・屢次・屢述
         루=己+T=often
         婁=娄(ル・ロウ)・・・蔞・寠(窶)
         ↓↑↓       よもぎ・やつれ
         米=口+十+中
           串+一
           申+口・・・?
           毌+中・・・?
         米 (こめ・こめへん)
         婁県
         上海市に存在した県
         松江区の一部
         1656年(順治十三年)
         清朝により設置
         婁=たたら星・・・雞婁鼓
        挹婁
       「魏志挹婁伝」
        在 夫餘 東北千餘里
        濱 大海 南與 北沃沮 接
        未知 其北所極
        ・・・
        其人不潔 作 溷(厠)在中央
        人圍其表居
        ・・・
        自漢已來 臣屬夫餘
        ・・・
        其國 便乗船 寇盗
        鄰國(北沃沮) 患之
 ↓↑      ↓↑
 婁=娄
   米=十+丷+八
     ベイ・マイ・メ
     こめ
     メートル(M・m)
     よね・稲の実
     脱穀した穀物の実
     「亜米利加(アメリカ)
 ↓↑     ↓↑
      演=氵+寅・・・サンズイのトラ・水のトラ
        氵+宀+一+由+八(捌)
        水・氵・氺(みず・さんずい・したみず)
        エン
        おこなう
        のべる
        述べる・説く・述べ広げる・押し広める
        流れる・水が流れる・長い距離を流れる
        おこなう・人前で芸を行う
        演技・演舞・演劇・演奏・演説
        実習する・実地に行う
       「自作自演」
        被害者と加害者が
        同一人物の狂言誘拐や狂言強盗
        成りすまし行為
       「二の舞を演じる」
        前の人と同じ失敗をしてしまう
       「二の舞」は舞楽で
        安摩という滑稽な舞の次に
        それを真似る舞のこと
ーーーーー
 ・・・???・・・
 「くる病(独語Rachitis・佝僂病・痀瘻病)
  ビタミンD欠乏や代謝異常により生じる骨の石灰化障害
  ギリシャ語の背骨=rhakhisに由来」
 ・・・「ノートルダム・ド・パリ・(Notre-Dame de Paris)」・・・
     ヴィクトル・ユーゴーの小説
    『ノートルダムのせむし男』・1831年出版
 ↓↑      ↓↑
 傴僂(せむし・クル)・・・
 くる病
 佝=イ+句
   コウ・ク
   せむし
   foolish・stopped over
 痀=疒+句
   ク・グ・ウ
   せむし
   crouch・hunchback
 瘻=疒+婁
   ロウ・ル
   せむし・かさ・できもの
   fistula
 軁=身+婁
   ロウ・ル
   せむし
 駝=馬+它
   タ・ダ
   せむし
   hunchback・load
 駞=馬++𠂉+也
   ダ・タ
   せむし
   camel
 ↓↑
 ・・・施(ほどこす・施設)・迤(ななめ・斜・斜視)・・・
 火、水の癲癇・・・巫女・覡(かんなぎ)=神巫・・・神凪
                  ・・・神奈木・神無木
 ↓↑
 「巫(かんなぎ、古くは清音でかむなき)
  神の依り代、または神の憑依
  神との交信をする行為
  その役割を務める人
  巫(フ・みこ・かんなぎ)
  南方熊楠は
 『巫女(いちこ)に関することども』で
  神社に仕える巫女を「かんなぎ」
  歩き巫女の類を「みこ」とする
 (by wikipedia.org/wiki)」
 ↓↑
 「神なぎ(神和ぎ・神薙ぎ・神凪)とも表記」
 ↓↑
 背虫(せむし)・・・施無視・世無私・競無死・・・
 蝉=蟬=せみ・せび=cicada (スケイダ・シカーダ)・・・
   セミ科の昆虫の総称
   「蟬脱」
   うつくしい・つづく・つらなる
   空蟬( うつせみ)・寒蟬(カンセン)・残蟬(ザンセン)
   秋蟬(シュウゼン)・鳴蟬(メイセン)
    蟬のぬけ殻
    空蝉・空蟬・虚蝉・虚蟬=うつしおみ(現人)・うつそみ
   この世の人・生きている人間・現世人
   魂が抜け去った気ぬけな虚脱状態・・・
   巫女の憑依(癲癇)後の状態?
 ↓↑ ↓↑
   「空蝉の身をかへてける木の下に
    なほ
    人がらの
    なつかしきかな・源氏・空蟬」
  ・・・虚蝉
     源氏物語の巻名・第三帖
     伊予介の後妻
     継子である
     紀伊守の邸で
     方違(かたたが)えに来た
     光源氏に身を許すが
     その後は自省し
     源氏の愛を拒み続ける
     夫の死後出家・・・
 ↓↑
 「打蝉(うつせみ)と
  思ひし妹が
  たまかぎる
  ほのかにだにも
  見えなく思へば
  万葉二・二一〇」
 ↓↑
 「宇都世美(ウツセミ)は
  恋を繁みと
  春まけて
  思ひ繁けば
  万葉一九・四一八五」
 ↓↑
 「空蝉のからは
  木ごとにとどむれど
  たまのゆくへを
  みぬぞかなしき
  古今(905‐914)物名・四四八・よみ人しらず」
 ↓↑ ↓↑
 セミ=不完全変態
    卵→幼虫→成虫
 成虫は夏に出現
 春ゼミは春
 朝鮮ケナガニイニイは秋
 鳴く時間帯
 ニイニイゼミは一日中
 クマゼミ
 ミンミンゼミは午前中
 アブラゼミ
 ツクツクボウシは午後
 ヒグラシは朝夕
 ニイニイゼミは
 街灯の明るい所で夜でも鳴く・・・
 セミの尿
 捕えるのに失敗すると
 逃げざまに「尿」をヒッカケル・・・
 セミの尿はほとんどが水
 寿命
 成虫の生存期間
 1~2週間
 研究では
 1か月程度
 幼虫の地下生活期間
 3~17年(アブラゼミは6年)
 幼虫の
 地下生活のうちに
 数回(アブラゼミは4回)の脱皮
 菌類(冬虫夏草)に冒されて死ぬ幼虫もいる
 若い幼虫は全身が白く
 目は退化
 終齢幼虫になると体が褐色になり
 大きな白い複眼ができる・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・せみ=施見・背観・・・?・・・背虫の殻・・・
 「糶実(せみ)⇔糴実(せみ)」・・・?
 糶=出+䊮(から・殻・チョウ、テキ=𥣞=穀物)
   出+米+翟(きじ)=せり
   「穀を出だすなり」、穀を売り出すこと
   売り米=米を貯蔵しておいて
       機を見て売りに出すこと
       その米のことである・・・投機的な米相場のセリ
       競(せ)りのこと(糶り=せり=競)
   糴=入+䊮(テキ)=米を買い入れる
   買い米(よね)で、「糶」と対字
 ↓↑ ↓↑
  翟=羽(はね)+隹
        隹=尾の短い鳥の総称
   タク
   テキ
   雉(きじ)・尾の長い雉
    雉の尾羽・舞楽に用いる
    雉の羽で飾った衣服
    中国の北方の異民族の名
ーーーーー
 ・・・てき・・・キジ・・・記字・紀事・・・
 「雉も鳴かずば撃たれまい」
 無用の発言で自ら災害を招くこと
 「loose lips sink ships」=余計なおしゃべりは災いを呼ぶ
 「no zuo no die」=「作」の中国語の発音「zuo」が英語音訳
 「不作死就不会死」=余計なことをしなければ、酷い目に合わなくて済んだ
 ・・・
 「青山に
  鵺は鳴きぬ
  さ野つ鳥
  雉はとよむ
  庭つ鳥
  鶏は鳴く
  古事記上巻歌謡二」
 ↓↑ ↓↑
 「あおやまに
  ぬえ は なきぬ
  さのつとり
  きじはとよむ
  にわつとり
  にわとりはなく」
 ↓↑ ↓↑
 「阿遠夜麻邇・・・和の厭、拠る真似
  あをやまに
  奴延波那伎奴・・怒の厭、端の義の怒
  ぬえはなきぬ
  佐怒都登理・・・佐渡の宮子の禽
  さぬつとり
  岐藝斯波登與牟・紀の解意の詞の葉、与えム
  きぎしはとよむ
  爾波都登理・・・字葉図採り
  にはつとり
  迦祁波那久・・・書け葉の名の句
  かけはなく
  宇禮多久母・・・得例、他の句を摸す
  うれたくも
  那久那留登理加・奈(奈何)、名の句を留め、採り加える
  なくなるとりか」
 ↓↑ ↓↑
 ・・・?・・・?・・・

 雉子(きじ・きし)と鷲(和詞)、雉子と鷹(多寡)・・・?
       吉士・姓(かばね)、氏の一
       吉志・吉師・企師・吉師・貴志・岸
       渡来人の称号
       姓、氏名となった
       日鷹吉士・難波吉士・調(つき)吉士・三宅吉士
       百済、新羅、唐へ使者として派遣された
       吉志舞=平安時代、大嘗会で
           安倍氏がつかさどって奏した舞
           貞観元年(859)十一月十九日
          「安倍氏吉志舞(三代実録)」
           吉志舞=新羅の服属儀礼を芸能化したモノ

 「桃(百)太郎+犬+猿+雉」・・・・・倭+百済
 (桃を食べたお爺さんお婆さんが若返り桃太郎を出産)
 (犬や鳥、猿が「家来」になったのは明治時代から)
  vs 白村江の海戦(天智二年八月・663 年10月)
 「虎の褌(憤怒史)の鬼(記紀)」・・唐(高宗)+新羅
           おに=わに=あに
           王仁・王爾=新羅・秦羅・和邇・・・?
 大和⇔百済支援と新羅・高句麗遠征(討伐・退治)・・・?
 則天武后(高宗の唐)⇔新羅支援と百済遠征(討伐)・高句麗東征・・・?

 ↓↑
 媚娘→武照(武曌)
 ↓↑
 武周朝「建圀」・諱は「照(曌)」・・・
 ↓↑
 武徳七年 一月二十三日(624年2月17日)
 ~
 神龍元年十一月二十六日(705年12月16日)
 甲申(戊壬庚)比肩・偏官 絶⇔乙巳
 丙寅(戊丙甲)食神・比肩建禄⇔戊子
 甲午(丙己丁)  ・正財 死⇔壬寅
  辰巳
 庚午(丙己丁)偏官・正財 死⇔丙午
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 在位期間 690年10月16日~705年2月22日
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 永徽六年十月二十日(655年11月23日)
 武照を立后
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 垂簾政治
 側近
 狄仁傑・姚崇・宋璟・張説
 姚崇と宋璟は
 後に玄宗の下で朝政を行い
 開元の治
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 顕慶五年(660年)
 新羅の請願で百済討伐、百済を滅ぼした
 倭国・旧百済連合軍
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 663年(龍朔三年・癸亥)
 10月5日(天智天皇二年八月二十八日)
 日本、百済敗戦
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 663年(龍朔三年・癸亥)
 10月13日(天智天皇二年九月七日)
 百済が降伏、人民が日本へ逃亡
 唐が単于都護府を雲中に設置
 劉仁軌率いる唐軍+新羅=白村江の戦い
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 668年(乾封三年、総章元年・戊辰)
 唐、高句麗出兵し滅ぼす
 唐、平壌に安東都護府を設置
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 営州都督
 趙文翽の暴政により
 契丹が反乱し河北へ侵攻
 遼東・遼西は悪化・・・
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 9月 - 新羅使、日本に調を貢進・・・?
 新羅の僧が
 草薙剣(天叢雲剣)を
 国外に持ち出そうとする・・・?
ーーーーー
 ・・・瓜子姫・・・ウリから産まれた瓜子姫・・・天邪鬼の誘拐目的?
   「瓜姫(うりひめ)」
   「瓜子織姫(うりこおりひめ)」
   「瓜姫子(うりひめこ)」
 ・・・姫に成りすまし天邪鬼が輿入れ
 ・・・木に吊るされた姫(殺された姫の骨から化生した小鳥)が
    天邪鬼を告発・・・?・・・海人の横嶋のオニ(あに・わに)・・・

コメント
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