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コジキジゲン

豆=燭台・高い台のつい た坏形の食器・まめ・穀物の一・壹=士+冖+豆=壱

2020-03-31 20:57:38 | 古事記字源
 テイチョウの同音異字カンジ・・・ころな・コロナ・来呂納・・・
 ↓↑
 「先端実験体性の国家」・・・「日本」・・・「国防=鎖国・防疫」・・・
 ↓↑
 テイ-チョウ・・・綴-調・・・綴-帖・・・
 低調・丁重・艇長・鄭重・低潮・低張・堤長・堤頂・底長・貞長
 徐(おもむ)ろに・鄭重に、丁寧に・・・長い堤(つつみ)・・・
 ↓↑
 邇邇芸(藝)命=瓊瓊杵尊=瓊瓊杵尊
     =天 饒石国 饒石 天津彦火 瓊瓊杵尊
       ⛩饒石(にぎし)神社
        滋賀県 近江 八幡市
        饒=食+堯
          食+垚+兀
          食+土+一+儿
          ゆたか・おおい・あまる・ありあまる
          たくさんある・十分にある
          ゆるす・大目にみる・豊かな心で許す
 降臨時
 天の        八衢(やちまた・八辻道)
 に立って
 高天原~葦原中国
 までを照らす神の
 ↓↑
 鼻の長さ      七咫(ななあた)
 背(そびら)の長さ 七尺(ななさか)
 目が        八咫鏡(やたのかがみ)
 のよう
 赤酸醤(あかかがち)=「ほおずき(酸漿)」の古名
 のように照り輝いていた
 猿田毘古神の故郷
 伊勢国
 五十鈴川
 川上
 ↓↑
 猿田毘古 神・・・阿倍比羅夫(比良夫)に殺された?
          袁傳(円伝)贋(鴈・頑・含)?
          袁世凱?
 伊勢
 阿邪訶(あざか・一志郡阿坂村・松阪市)
  ・・・阿(おもねる)の・・・阝(阜)+可(ロ丁)
     邪(よこしま)の・・・牙   +阝(邑)
     訶(どなる)・・・・・言   +可(ロ丁)
     訶=言+可
       言(亠二口)+口+丁
       あざか=字化・痣火・火傷・疱瘡・痘痕・BGM
           悝(あざ-ける)化・鮮(あざ-やか)華?
     カ
     しかる(叱る)
     せめる(責める)
     大声で怒鳴る=呵
 の海で
 比良夫貝(ひらふがい)
 ↓↑・・・阿部比良夫・・・比較、良夫=白+𧘇+二+人
         「𧘇(ấy=あれ、それ以外のこと)越南語?」
         旅=方+𠂉+𧘇=捛=扌+呂
                    呂=背骨の接続連続
                    呂=圀ノ國・国を繋ぐ
           𧘇=「从・人人・众・𠈌」の変形
            =衣から亠(音の略字・鍋蓋)を省いた漢字
             亠=人人が被る帽子・笠・冃・頭巾・被り物?
          =いくさ・戦争=旅=軍事旅団
           たくさんの人々
          「易(六十四卦)の一
           おるべき所におらないさま」
           ・・・変移・移動・位置、居場所の変動?
          =「一旅」は五百人の兵士
           「逆旅」は旅館や宿
    (阿部 引田(ひけた) 比羅夫)
            ・・・比較・Latin(羅典)譜
        新羅・辰韓・新刊・新患?
        引け他・曳け多・退却・音傳・日ヶ田
     斉明天皇時代
     阿倍引田臣(ひけたのおみ)
       引田=香川県東端
       三方を山で囲まれ
       馬宿(うまやど)川
       流域を占め
       播磨灘に臨む地域
       南海道の宿場町
       生駒氏の引田城跡・・・?
     阿倍氏支族の出身
     658年(斉明天皇四)
     船師180艘を率いて
     蝦夷を討ち
     齶田(あぎた・秋田)
     渟代(ぬしろ・能代)
     2郡の蝦夷を従わせ
     渟代、津軽2郡の郡領を定め
     渡嶋(わたりのしま・北海道)蝦夷を饗(あえ)した
     二度粛慎(みしはせ)国を討ち
     後方羊蹄(しりべし)を
     政所(まつりどころ)とした
     660年三度目の粛慎征伐
     夷(えびす)50余人を献じた
     662年(天智天皇一)
     百済救援
     663年
     春
     白村江で
     2万7000人の兵を率い
     唐軍と戦い敗北
 ↓↑   ↓↑
     安曇比良夫=阿曇山背
     斉明天皇七年(661年)
     高句麗を唐が攻撃
     百済救援の将軍となり、百済に渡った
     662年
     人質の百済王子
     豊璋に王位を継がせようと
     水軍170隻を率いて
     倭國から
     王子と共に百済に渡った
     大錦中に任じられた
     天智天皇二年(663年)
     八月二十七~二十八日
    「白村江の戦い」
     で戦死
 ↓↑  ↓↑
 猿田彦は
 比良夫貝(ひらふがい)
 に手を挟まれ、溺れた
 海に沈んで
 「底度久  御魂(そこどく みたま)」
 吐いた息の泡が
 「都夫多都 御魂(つぶたつ みたま)」
 泡が水面で弾ける時
 「阿和佐久 御魂(あわさく みたま)」
 の神が生まれ
 泡の三柱の神は
 阿射加神社(三重県・松阪市
       大阿坂・小阿坂に存在)
 に鎮座

 ↓↑
 『倭姫命世記(神道五部書の一)』
 倭姫命が
 天照大神を祀る地を求めて
 諸国を巡っていたとき
 猿田彦の子孫である
 大田命(おおたのみこと)・・・大田田根子
 が
 倭姫命を先導し
 五十鈴川の川上一帯を献上した
 大田命の子孫は
 宇治土公(うじのつちぎみ)
 と称し代々
 伊勢神宮の
 玉串大内人
 に任じられた
 ↓↑
 猿田彦命の御陵
 椿大神社(三重県鈴鹿市)社伝
 伊勢の
 阿邪訶
 で溺れ
 後に同神社の
 高山
 土公神御陵に葬られた
 ↓↑
 二見興玉神社(三重県伊勢市二見町)
 由緒書
 同神社の境内の海中に位置する
 興玉神石は
 天孫降臨の際に
 猿田彦が降り立たれた神跡
ー↓↑ーーー
 祖-孤独(ソコドク)・・・底度久・・・提督・・・?
 ↓↑
 独孤 信(ドッコシン)
     ・・・長孫無忌
 ↓↑   開皇十五(595)年頃~顕慶四(659)年七月
     黔州・唐初の重臣
     鮮卑系貴族出身
     妹は
     唐の太宗の
     文徳皇后
     長孫皇后の兄
     唐朝の外戚
     字  輔機
 ↓↑   本貫 河南郡 洛陽県
     隋 右驍衛将軍
     長孫晟(長孫熾の弟)の子
     長孫氏
     献帝(拓跋鄰)のときに
     兄を拔拔氏とし
     後に漢化して
     長孫氏に改めた・・・?
    ・・・「長孫の姓名」が
 ↓↑     「漢化」とは思えないが・・・
 独孤 信
 502年~557年
 本名 如願
 字  期弥頭
 本貫 雲中郡
 父  独孤庫者(独孤俟尼須の子)
 と
 母  費連氏
 ↓↑
 中国の西魏の
 匈奴系軍人
 武川鎮
 軍閥の 重鎮
 娘たちはこの軍閥から出て
 宇文氏(北周)、楊氏(隋)、李氏(唐)
 関隴集団系
 拓跋国家を樹立
 ↓↑
 北周の 宇文泰
 隋 の 楊堅
 唐 の 李淵
 各王朝の創始者は
 武川鎮の有力者一族出身
 ↓↑
 北魏の
 孝武(コウブ) 帝
 将軍・独狐信の支持で
 長安に都
 ↓↑
 六鎮(リクチン)の乱
 北魏末期の
 523年(正光四年)
 に発生した反乱
 六鎮
 懐朔鎮
 武川鎮・・・武川=モンゴル語の「青い山崖」の意
 撫冥鎮
 柔玄鎮
 沃野鎮
 懐荒鎮
 ↓↑
 六鎮設置
 北魏は
 自らと
 同じ
 北方の民族の侵入を防ぐため
 都の
 平城(山西省 大同市 平城区)
 の北方の守りを重要視
 鮮卑
 匈奴
 の有力豪族を選んで
 六鎮に
 北方警備の
 鎮民として移住政策
 鎮民たちは
 望族(名族)として特権を与えられた
 ↓↑
 孝文帝の
 漢化政策によって
 都が
 平城より
 洛陽に遷都
 鎮民は冷遇され
 望族(名族)の出身であったが
 「府戸」に編制され
 中央から赴任してきた長官
 都大将に搾取され
 不平不満が増大
 523年
 沃野鎮民の挙兵
 破六韓抜陵を首領とし
 反乱兵たちは
 鎮将を殺害
 その他の諸鎮に伝播
 530年(永安三年)
 将軍
 爾朱栄
 らにより鎮圧
 その間に
 北魏に
 梁の軍隊の侵攻
 国内では
 爾朱氏の専横
 北魏が東西に分裂して滅亡・・・
 六鎮の乱を経て
 懐朔鎮出身で
 東魏の実権を掌握し
 北斉の基となった
 高歓
 武川鎮出身は
 武川鎮軍閥と呼ばれ
 西魏、北周、隋、唐
 変遷の
 各王朝の権力集団として君臨
 北周の宇文泰
 隋の楊堅
 唐の李淵
 はいずれも
 武川鎮の有力者一族出身
 ↓↑
 重臣の
 宇文泰(ウブンタイ)に実権を奪われ
 宇文覚(ウブンカク)が
 北周を建国した
ーー↓↑ーーー
  寧=寍+丁
    寧=寍=安らか
    ・・・宀=鍋の蓋
    心=心臓
    罒=網の目
    丁=火のト・炏・炎・弱火・焚火
    灯火=燈火
    丁=登=癶+豆・・・?
    豆=燭台
    たかつき・供え物をのせる器
    高坏=高杯
    高い台のつい た坏形の食器
    高坏形の土器
    まめ・穀物の一・・・壹=士+冖+豆=壱
ーー↓↑ーー
  丁=登=癶+豆
    ↓↑
  登=癶+豆・・・のぼる
    ↓↑撥ねて高槻に登る
      高槻=たかつき
         高く茂った槻の木・槻の大木
       槻=木(十八)+規=楡(ニレ)科の落葉高木
           拾い捌く  木+兪(俞)
                  兪=俞=ユ・しかり
                  癒える・安らぐ・やわらぐ
                  兪=亼(△形の刃物)?
                    人の一・・・亼=合
                  +月(舟)
                  +巜(刂)=小川・刃物
                 丸木舟
       欅(ケヤキ)=木(十八)+擧(挙)の一種
                拾い捌(さば)く
      「樊槻(ハンキ)」=とねりこ(梣)
      「戸に塗る粉」
       樹皮は「秦皮(シンピ)」といい
       眼の病気や痛風の薬草
       キク(菊)亜綱
       ゴマのハグサ(胡麻の葉草)目
       モクセイ科の落葉樹
       モクセイ(木犀)科の落葉
       高木
       別名は
      「サト トネリコ
       枝に介殻虫(かいがらむし)がつき
       白蝋(はくろう)を分泌し
       この蝋を「トネリ」といい
       戸の溝に塗ると戸滑りがよくなる
       トヌリキ(戸塗木)より転じ
       トネリキ・トネリコ
       皮を秦皮、その浸出液は眼病薬
       トネリコの名の由来
       ・・・舎人(寫人・写人)記・虚だろう・・・
       とねり=譯音理記・綴音理紀?
      「神農本草経」に
       トネリコの樹皮を乾燥した、秦皮(しんぴ)は
      「久しく服すると頭髪は白くならず、不老」
       他に
      「田面木(タモのキ・タモ)」
    ↓↑ 刈った稲を干す稲架木(はさぎ)として植栽
   「癶」・・・發=癶+弓+殳
         発=癶+兀+一
           癶+二+儿
           通仮字「廢」
           簡体字「发」
           異体字「𤼦 ・𤼲・𤼵・発・彂」
           蕟廢癈潑撥墢
  ↓↑ ↓↑
 「癶=ハツ=𣥠=𣥂+止」
    両足を開く・歩く・はねる=撥ねる
  癶=𣥠=止部
  ↓↑  ↓↑
  「〝+𠆢+〞」・「〝+人+〞」・・・「〝 〞」はナニ?
  「〝+ノ+丶+〞」
  「〝ノ乀〞」・「〝ノ丶〞」・「〝丿ヽ〞」
  「炎」・「火+火」・「灬+ㇵ」
  「ㅛ+ㅛ」・「䒑+䒑」
  ↓↑  ↓↑
  ↓↑そむく・出発する・行く
   「足、剌癶(ラツパツ)たるなり
    止𣥂に從ふ
    讀みて撥の若くす(説文解字)」
  「百姓一揆(イッキ)」・・・揆
  「百姓」は「西洋農民(peasant)」と同じではない・・・
   古代中国社会の
   族集団名の「姓」を持つ「卿士大夫層」ではなく
   社会秩序を維持する「族長階層」を示す語・・・?
  「家族名の氏」
  「卿士大夫層の姓」
  が混同され
  「百姓」の語は「天下万民・民衆一般」の表意語となった
  「老百姓=一般庶民」
  「百姓=支配者層が在地社会において直接把握の対象とした社会階層」
  「百姓=農業、林業、漁業、商業、手工業などの経営者も包括した概100念」
 ・・・なんで「百・100・陌・佰」なんだか?
 ・・・「百足=蜈蚣」、「百舌=百舌鳥・鵙・万代・鴃・鶪」・・・
    「百=一+白=一+ノ+曰=丆+曰」・・・「百の済」・・・?
  ↓↑    ↓↑
       揆=扌+癸
         扌+癶+天
         扌+癶+一+大
         キ
         つかさ
         はかりごと
         はかる
         みち
         長さをはかる・みつもる
         計画・計略
         手段・方法
         つかさ・宰相
  ↓↑        ↓↑
           癸=癶+天
             癶+一+大
             癶+二+人
             キ
             はかる
             みずのと=水のト(弟)
             十干の十番目・五行は水・方位は北

  ↓↑
 撥(ばち)
 弦楽器の弦を
 はじく(引っ掛けて離す、または打つ)
 棒状の道具
 桴・枹(ばち・フ・Percussion mallet)
 打楽器を叩く棒
 枹と桴は音も意味も同じ漢字だが
 撥(バチ)は音も意味も異なる漢字
 「撥(ばち)
 弦楽器の弦を
 はじく(引っ掛けて離す、または打つ)
 棒状の道具
 桴・枹(ばち・フ・Percussion mallet)
 打楽器を叩く棒
 枹と桴は音も意味も同じ漢字だが
 撥(バチ)は音も意味も異なる漢字」
  ↓↑ ↓↑
    癶=𣥠=𣥂+止
      止と𣥂はどちらも足趾の象形
      𣥂は止を左右反転した字
      癶=𣥠=𣥂+止
      癶=止+𣥂=左右両足の並ぶ形
        止+𣥂=歩=左右両足の片方を上げた形
    𣥠=篆文を楷書にした字
    癶=隷書
    癶=𠇿=丱+人・・・「五音集韻の古文」?
        丱=カン・ケン
          あげまき
          おさない
          総角
          髪の毛を左右でたばねて
          巻き上げた子どもの髪型
          幼い子ども
          癶≠𠇿・・・
    寧・・・・・丁寧・叮嚀・・・寧、願詞也
    ネイ・・・・同音は「𦺝・𧕝」
          草亂貌也・薺薴は藥草名
          石薺薴は山石の閒に生じる
          蛻蛇蟬所解皮繭(説文解字)
          繭蠶衣也・説文解字. 勱勉力也
    デイ
    ニョウ
    いずくんぞ
    なんぞ
    ねんごろ
    むしろ
    やすい
    やすらか・落ち着いている
    やすんじる・安心させる・落ち着かせる
    帰寧(キネイ)
    嫁いだ女性が
    里帰りして親を安心させること
    心がこもっている
    むしろ
    どちらかといえば~のほうがよい
    いっそ~のほうがよい
    と比較選択の意
    いずくんぞ・なんぞ
   「どうして~か」
   「どうして~であろうか」
    反語の意
  ↓↑
  寧=宀+心+皿+丁
    宀(蓋)⇔天蓋=盦=アン
           食物を盛る蓋のある器
           蓋(ふた)
           草ぶき屋根の小屋=庵(いほり)
     +心(心臓)
     +皿(皿器)⇔罒=網
     +丁(丅・台)⇔火のト
   「臺(台・高坏)の上に載せられた
    皿に盛られた心臓に被せられた蓋」
    供物の載せられた高坏の皿に被せられた蓋?
  ↓↑
  α+寧・・・寧=宁
    ・・・心の罒(網)=血管・毛細血管?
  ↓↑
  儜=亻+寧=よわい・弱々しい
        なやむ・なやみ苦しむ
  獰=犭+寧=狞・・・貯=貝+宁
            寧=宁
        わるい・にくにくしい
        獰猛・凶悪・凶暴
  㣷=彳+寧=㣸
        歩く・walking・行貌
  嚀=口+寧=ねんごろ・念入りにたのむ
        心がこもっている
       「叮嚀(テイネイ)」
  懧=忄+寧=懦=忄+雨+而
        気がよわい
        考えや態度などが曖昧
  嬣=女+寧=𪥰=女+宁
        からだのさま・しずか
  擰=扌+寧=拧
        ドウ・ひねる・ねじる
        ひねって回す
        間違う・間違える
        ひねくれた性格
  濘=氵+寧=澝=氵+甯=氵+宀+心+用
        ネイ・どろ(泥)
        ぬかる・ぬかるみ
        泥でみちがぬかる
        小さな流れ・小川
  薴=艹+寧=乱れる・散乱する・草が乱れる
        薺薴(セイネイ)=シソ科の薬草類
  㲰=寧+毛=犬多毛謂之㲰
        hairy dog
  檸=木+寧=檸檬(ネイモウ・ドウモウ)
        レモン=lemon
        ミカン科の常緑低木
  矃=目+寧=見る・じっと見る
        見極める・目を見開く
  聹=耳+寧=聍
       「耵聹(テイネイ)=耳垢」
  䗿=虫+寧=似蛙・𧑗
        螻蛄(おけら)
        mole cricket=クリケット=コオロギ
                     松葉杖
        mole=モール=石の防波堤・突堤
               ほくろ=黒子
               あざ=痣・・・字・嘲・鮮
               土竜・もぐら=鼢・鼴
               二重スパイ
               ショッピングモール(複合商業施設)
               shopping mall(モル・マル)
                      漏・丸・円・麿
               木陰のある散歩道・木陰道
               遊歩道のある商店街
  鑏=金+寧=刃柄
  䭢=食+寧=强食也
  鬡=髟+寧=𩫿鬡(ソウノウ)
        髪が乱れるさま
        髪を振り乱すさま
  鸋=寧+鳥=鸋鴂(ネイケツ)
        みそさざい
        ミソサザイ科の鳥

ーーーーー
 蘇我=そが
    ・・・蘇=艹+魚+禾⇔蘚=艹+魚+羊
         穌(ソ)⇔鮮(セン)
         鮇(いわな・ビ・国字)
         鮭(サケ)科
         岩魚(イワナ)属の淡水魚
         川魚の名
         イワナ(岩魚・嘉魚・𩸶・鮇)
   =曾我
    曾=八+口+小+日・・・會津=会津=㑹津
      八+口+亅+ㇵ+日
      八+口+小(⺍・⺌)+日
      八+日+丷+日
     =曽=丷+田+日
        ・・・曾(曽)≠會(会)
    ゾ・ソウ・ゾウ
    かさなる
    かつて
    すなわち
    ます(増す)・・・ます=舛・桝・升・枡・鱒
    かつて・これまで・以前に
    かさなる・幾重にもかさなる
    ます・ふえる・ふやす=増
   「すなわち・ところが」
   「なんと・いったいぜんたい」
    などの意
    ↓↑
   =會=亼+口+Ⅲ(⺍・⺌)+日
      人+一+口+Ⅲ(⺍・⺌)+日
      エ・カイ
      亼
      通仮字「劌」
      簡体字「会」
      異体字「𠃐・㞧・㣛・𣥈
          𣌭・㑹・鄶・会」
      同訓異義「たまたま・偶會適」
 ↓↑    
 ちそ=紫蘇=しそ(紫蘇)
    青紫蘇(大葉)・赤紫蘇
    シソ科の一年草
    茎は四角柱
    葉は広卵形で暗紫色
    淡紫色の唇形の小花を総状につける
    強い香り
    アカジソ・アオジソ・カタメンジソ
    など
    梅干しの着色に使用
    実は塩漬け
    葉は「解熱・鎮痛・健胃薬」に薬用
    ちそ
ーーーーー
 ・・・チソ・・・???・・・地租改正・・・
 1873年(明治六年)・・・陸奥宗光・・・租税頭に就任・・・
             理句憶奏効?
 明治政府の租税制度改革・・・
 土地の私有財産権(所有権)としての国の徴税制・・・

コメント
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「大安寺」・・・「太安」万侶の「字・事・時・爾・辞・地・児」・・・?

2020-03-29 21:57:35 | 古事記字源
 「巧言 令 色鮮 仁」・・・コロナ祀り・・・
 再三の思考・・・モウソウ・・・giraffe(ジラァフ)=qilin=Kirin・・・希臨?
 麒麟(きりん)=首長鹿・・・主調の詞歌(化)

 ↓↑
 英語=ジラフ  =giraffe・・・字等附?
 獨語=ギラッフェ=Giraffe・・・戯玀通歩柄?
 仏語=ジラフ  =girafe・・・時等附?
 伊語=ジラッファ=giraffa・・・時等通附蛙?
 西語=ヒラーファ=Jirafa・・・比良蛙附鴉?
 葡語=ジラーファ=Girafa・・・字等蛙附倦?
ー↓↑ーーーー

 鮮卑(センピ・拼音:Xiānbēi)
  鮮=魚+羊・・・あざやか・新鮮
          痣やか・字やか
  鮮・・・論語の
     「巧言令色鮮仁」
        ↓↑
        色(いろ)を
        令(よ)くす
        鮮(少なし)・・・?
      ・・・「巧言」とは
      ・・色=⺈+巴=象(elephants)
          の形象の
         「顔・頭」に出っ張った
          長い鼻(はな)は 
         「巴=巳(蛇)」の
          蜷局、丸まった形象
          ↓↑
          巴=𠃜・・・象の鼻の形象?
      see the elephant・・現実を見る
      see pink elephants・・幻覚を見る
        white elephant・・無用の長物
      elephant in the room・知らんふり
          ↓↑
          𠃜=尸・𨻰也・・・陳述
              敶、列也
              尸=屍
          象臥之形
          臥下 曰 伏也
          此字 象 首俯
             而 曲背之形・・・?
               長鼻だろう・・・
          (說文)
          ↓↑
          尸=舒
          のばす
          巻いたもの
          かたまったモノを
          のばし広げる
          横にのびる
          心中の思いをのべる
          ↓↑
          骨節解舒
          不能復自勝斂也
          (釋名)
          ↓↑
          公尸來燕來寧
          (大雅)

          ↓↑
          眉=𠃜+目
          睂=仌+丨+厂+目
            仌+丨+丆+目
            人+丨+厂+目
            人+丨+一+丿+目
          ↓↑
           肩=𠪃=𠂆+眉=𠂆+𠃜+月
          ↓↑
          声=士+𠃜
          異体字「𡔜・聲・磬
              䃘・殸・硁
              硜・𥑒・𥓕
              𡔝=士+ノ+吅
                士+ノ+コ+口」
          磬=ケイ・石、玉製打楽器の音
           ↓↑
         色=五感の認識対象の
           色彩をおびた形象の
           すべてのモノ
           モノ色・色彩
            ↓↑
         「鮮=あざやか」に
         「仁」を
         「令(をさせしむ)」
          令=亼+龴
            亽+龴
            人+一+龴
            人+丶+龴
            レイ
            リョウ
            いいつけ
            おさ
            よい
            いいつけ
            上の者からの指示
            おさ・長官
            よい・すぐれた・立派な
            相手の親族を
            敬っていうことば
            のり・おきて
            決まり・法律
            ~しむ・~せしむ
           「令甲乙~」
           「甲をして乙せしむ」
          、「甲に乙をさせる」
        仁=ジン
          ニ
          ニン
          いつくしみ
          おもいやり・したしみ
          ひと=人
          ひとの心・人道
          さね・果実の種
       ↓↑
     「剛毅木訥(ゴウキボクトツ)
      仁(ジン)に近(ちか)し」
        論語(子路)・・・音の呂?
     「朝(みつぎもの)鮮(すくなし)」
      鮮=稀(まれ)・時々
        たまあに=偶(たまァ)に
        たまさか・適さか・適々
        時偶・適適・たまたま・珍しく
       ↓↑
      『論語』「学而(ガクジ)
           陽貨(ヨウカ)
           陽虎の別名
           陽虎と孔子の容貌は
           似ていた)」・・・?
       ↓↑
      『論語』「公冶長(コウヤチョウ)
           孔子は公冶長に
           自分の娘を嫁がせた)」
          「公冶長は鳥と会話が出来た
           その能力で死体の場所を
           知ることができたが
           殺人犯と疑われ獄中に
           入れられたが
           雀の言葉を理解できることを
           実証し釈放された」
       ↓↑
     「巧言令色 足恭(スウキョウ)」
     「足恭=慇懃丁寧
         便辟の貌(さま)」
         便辟=媚び諂(諛)
            こびへつらい
         弁舌だけウワベだけの追従者


     「仁=人+二(弐・貳・貮・亨)」
         は人が「フタリ」で
         二人の間の約束・ルール
         夫婦、男女の間のルールだろう
         発情期
         求愛、承諾、セックス
         出産、養育、子育て
         この期間の衣食住確保の約束
  ↓↑
 鮮=魚+羊・・・痒(かゆ)い=疒+羊
           掻(か)く =扌+蚤(叉虫)
      ・・・共通項は赤(あか)+桃+色
  =⺈+田+灬+羊
   セン
   あざ(やか)
   あたら(しい)
   すく(ない)
   さかな・生き魚・生(なま)魚
   魚のなます
   あたらしい・生き生きとしている
   あざやか・はっきりしている・明らか
   よい・美しい・みめよい・あでやか
   すくない
   まれ(稀)である
 ↓↑
 蘚=艹+魚+羊・・・・・蘇=艹+魚+禾
   セン・こけ(コケ)=苔
      こけ=鱗(うろこ・リン)
   ヒカリゴケ(光苔)=光鱗・・・隣
   洞窟のような暗所で
   金緑色(エメラルド色)に光る
   luminous moss
   ルミナス モス
   ・・・発光体・反射体
   ・・・鱗=うろこ
   隣=阝+粦
     阝+米+舛・・・そむく=背・叛・迕
            背反・背信
     阝+米+タ+ヰ(ゐ)
     旧字体「鄰」
     厸
     邻
     舛=夕+㐄
      「僢」の異体字
       セン
       いりまじる
       そむく
       たがう・たがえる・食い違う
       入り混じる・乱れる
       ます=升
     粦=米+舛・・・アメリカ(米国)の
             背反、裏切り・・・
       当然にも「大日本帝国」に対する
       裏切り、背反である・・・
       第一次大戦後の
      「ウィルソン」の
      「国際連盟(League of Nations)のウラギリ」・・・
       そして、
      「ルーズベルト」
      「ハル」ょッ、コイ、である・・・
ーーーーー
 舛+α
 桝=木+舛・・・舛添・・・朝まで何某の奴?
 磔=石+桀・・・磔刑
 傑=イ+桀・・・怪傑
 瞬=目+桀・・・瞬時
 隣=阝+粦・・・鄰人
 鄰=粦+阝・・・隣人
 舞=𠂉+卌+一+舛・・・舞台
 舞=𠂉+卌+一+舛・・・舞踊


 㘶荈桝桀曻粦椉嵥滐亃
 傑舜䑝㷠㔂㻧榤搩僲舞
 粼僢噒獜僯嫾鄰疄撛䑞
 嶙潾辚隣暽磔橓䢬膦憐
 蕣橉燐謋㵲儛斴甐遴璘
 䗲䢯繗瞵翷磷瞬䚏蹸䚬
 轔䮪鳞䒉躌
ーー↓↑ーー
  麟 徳 殿・・・麟=鹿+粦(米舛)
 (リントクデン) 
 麒=鹿+其・・・鹿=覇王の象徴
 麟=鹿+粦
   广+比+米+舛
   广+比+米+夕+㐄
   リン
   きりん
  「麒麟(きりん)」・想像上の動物
   聖人が世に現れたときに姿をみせる
  「麒」が雄
  「麟」が雌。
  「麟麟(りんりん)」=光りかがやくさま
 則天武后(623?~725年)
 ↓↑
 701年
 「大宝度の遣唐使」
 が
 中国皇帝に渡した文書とは相違
 初めて
 国名として
 「日本」
 と記録
 ↓↑
 長安三年(703年)
  粟 田 朝臣 真人
 (あわたのあそんまひと)
 唐朝に国の産物を献上
 朝臣真人=中国の戸部尚書
        (トブショウショ)
  進 徳 冠
 (シントクカン)
 をかぶっていた
 冠の頂は花形
 四枚の花は びてなびらが
 四方に垂れるつくり
 身には紫色の上衣を着用
 白絹の帯をしめていた
 真人は
 経書や史書を好んで読み
 文章をつづることもでき
 ものごしは穏やかで
 雅(みやび)ていた
 ↓↑
 則天武后は
  麟 徳 殿・・・麟=鹿+粦(米舛)
 (リントクデン)
 に彼を招いて宴を催し
  司膳 卿
 (シゼンケイ)の官を授け
 留めおくことなく
 本国に帰還させた
 ↓↑
 粦(米舛)+α・・・隣舜遴粼斴鄰
 ↓↑
 則天武后(623?~725年)
 皇后時代
 百済征討(660年)
 白村江の戦い(663年)
 唐・新羅連合軍で
 倭国・旧百済連合軍を撃破
 ↓↑
 玄宗
 開元年間(713~741年)
 玄宗は
  四門 助 教
 (シモンジョキョウ)
 の
  趙  玄 黙
 (チョウゲンモク)
 に命じ
  鴻 臚寺
 (コウロジ)
 に呼んで教えさせた
 日本の使者は
 玄黙に
 広幅の布を贈って入門料とした
 布には
 「白亀(ハクキ)元年の調布」
 と書きつけてあった
 唐人は
 日本で調として布を
 納める制度があろうなどとは
 嘘だと疑った
 使者は
 もらった贈り物のすべてを投じ
 書籍を購入し
 海を渡って帰っていった
 ↓↑
 その時の副使の
 朝臣仲満(なかまろ)は
 中国の国ぶりを慕って
 そのまま帰国せずに留まり
 姓名を
 朝衡(チョウコウ)
 と改め
 唐朝に仕えて
 佐補闕(サホケツ)
 儀王璲(ギオウスイ)の
 学友を暦任
 衡は都に留まること五十年
 書物を愛し
 自由を与えて
 故国に帰らせようとしても
 留まって去ろうとしなかった・・・?
 ↓↑
 玄宗
 天宝十二年(753年)
 日本はまた使者を遣わし貢物を献上
 ↓↑
 粛宗(シュクソウ)
 上元年間(760~762年)
 朝衡を抜擢
  左散 騎常  侍
 (ササンキジョウジ)
  鎮 南 都護
 (チンナントゴ)
 に任じた
 ↓↑
 徳宗(トクソウ)
 貞元二十年(804年)
 日本からの使者来朝
 学生の
  橘    逸 勢
 (たちばなのはやなり)
 と学問僧の
 空海
 を中国に滞在させた
 ↓↑
 元和元年(806年)
 日本国 使判官
  高 階  真人
 (たかしなのまひと)
 が日本国帰国願の奏上
 帝は許可
 ↓↑
 文宗
 開成四年(839年)
 日本は使者を遣わし
 貢物を朝廷に献上
 ↓↑
 701年
 「大宝度の遣唐使」
 が
 中国皇帝に渡した文書とは相違
 初めて
 国名として
 「日本」
 と書いてあった
ーーーーー
 701年
 文武天皇から
 節刀を授けられた
 粟田真人
 を
 執節使(大使より上位)
 として任じられるが
 暴風雨で渡海できず
 702年6月
 に出立
 高橋笠間
 は別の任(大安寺造営)に充てられ
 渡航せず
 参議の
 粟田真人を大使として出立
 楚州に到着
 唐は
 武則天(則天武后)の
 周王朝となっていたことを知らず
 混乱
 ↓↑
 対外的に
 「日本」の国号を使用し
 首都を藤原京と定め
 大宝律令を制定
 白村江の戦い以来の
 正式な国交回復を目的
 ↓↑
 大宝三年(703年)
 長安に到着
 武則天
 に謁見
 唐人からは
 「好く経史を読み
  属文を解し
  容止温雅なり」
 と評された・・・
 武則天からは
 「司膳員外郎」・・・司は膳の員
 に任ぜられた
 ↓↑
 粟田真人
 慶雲元年(704年)7月
 白村江の戦いで
 捕虜になっていた者を連れて
 五島列島
 福江島
 に漂着帰国
 副使
 巨勢邑治
 は残留し
 707年3月
 帰国
 大使
 坂合部大分
 も残留し
 次の遣唐使の帰国船に同行
 この遣唐使が
 唐の実運用されている
 律令制や都市作り実見
 大宝律令の修正
 貨幣鋳造(和同開珎)
 などの
 「慶雲の改革」
 平城京遷都の下敷きとなった
 粟田真人
 の乗船「佐伯」に対し
 従五位下の位が授けられた
 ↓↑
 養老元年(717年)
 ↓↑
 養老二年(718年)
 多治比縣守(押使)
 大伴山守(大使)
 藤原馬養(藤原宇合・副使)
 残留
 阿倍仲麻呂
 吉備真備
 玄昉
 井真成
 羽栗吉麻呂(阿部仲麻呂の従者)
 総勢557人
 ↓↑
 霊亀二年(716年)八月
 縣守が
 押使に任命
 ↓↑
 翌霊亀三年(717年)三月
 節刀を授けられ
 出発
 南路を選択
 716年9月
 阿倍安麻呂
 に代えて
 大伴山守
 が
 遣唐大使
 ↓↑
 養老元年(717年)十月一日
 長安着
 残留留学生を除き
 翌年
 養老二年(718年)十月
 使節は全員
 大宰府に帰還
 道慈
 も帰国
 十二月
 県守
 は朝廷に復命
 翌
 養老三年年正月十日
 一同が
 唐で与えられた朝服で
 天皇に拝謁
 藤原馬養
 唐滞在中に
 「宇合」・・・宇宙を合わせる?
        宇=宀+于(二+亅・亏亐)
        合=亼(𠆢一)+口
 と漢字を改名
 ↓↑
 天平五年(733年)
 天平六年(734年)
 多治比広成(大使)
 中臣名代 (副使)
 平群広成 (判官)
 秦朝元  (判官)
 田口養年富(判官)
 紀馬主  (判官)
 大伴古麻呂(留学生)
 秦大麻呂 (請益)
 栄叡
 普照
 ↓↑
 多治比広成
 前回押使の弟
 4隻の船で
 難波津を4月に出帆
 往路は4隻無時で
 蘇州到着
 734年4月
 唐朝に拝謁
 大伴古麻呂
 は帰国にあたって
 唐人
 の陳延昌に託された
 大乗仏典を日本にもたらした
 帰路
 734年10月
 同時に出航
 各船遭難
 第1船の
 多治比広成
 は
 11月
 種子島
 に帰着
 吉備真備・玄昉帰国
 羽栗吉麻呂・翼・翔親子も帰国
 3月
 節刀返上
 第2船の
 中臣名代
 は唐に流し戻され
 735年3月
 長安に戻された
 唐の援助で船を修復し
 11月
 唐人
 ペルシャ人
 らを連れて帰国
 736年8月
 都に帰還
 第3船
 平群広成は難破
 崑崙国(チャンパ王国、南ベトナム)
 に漂着
 襲撃を受けて
 100余名が4人となり
 抑留されるが脱出
 唐に滞在していた
 阿倍仲麻呂
 により
 唐から海路
 渤海国に入り
 天平十一年(739年)五月
 渤海大使
 胥要徳
 と共に
 渤海船2隻で日本海を渡るが
 1隻が転覆
 胥要徳ら40人が死亡
 1隻は
 平群広成
 渤海副使の将軍
 己珎蒙
 と共に
 7月
 出羽国へ到着
 10月27日
 帰京
 第4船は行方不明
ーーーーー
 筑紫
 鴻臚館
 筑紫(福岡県西部)
 の外交施設
 魏志倭人伝の
 糸島半島の
 伊都国・・・
 筑紫館
 磐井の乱(527年~528年)後
 宣化元年(536年)
 那津のほとりに
 「那津官家(なのつのみやけ)」
 を設置
 ↓↑
 推古十七年(609年)
  筑 紫 大 宰
 (つくしのおほみこともちのつかさ)
 白村江の戦いの翌年(664年)
 行政機能は内陸の
 大宰府(太宰府市)に移転
 那津のほとりに
 大宰府の機関の分所として
 海外交流
 国防の拠点施設が残された
 ↓↑
  筑 紫 館
 (つくしのむろつみ)
 唐・新羅・渤海
 の使節を迎える
 迎賓館兼宿泊所として機能
 海外使節は
 鴻臚館に入館し
 大宰府や都へ上ることとなっていた
 ↓↑
 持統二年(688年)
 筑紫館で
 新羅国使
 全霜林を饗した
 ↓↑
 天平八年(736年)
 新羅派遣の
 遣新羅使が
 筑紫館で詠んだ歌が
 『万葉集』に収録・・・
 律令制で
 治部省
 玄蕃寮の管轄
 筑紫館は
 外国商人らの
 検問・接待・交易などに用いられた
ーーーーー
 大宰
 鴻臚館・・・
 鴻臚は入唐留学僧
 円仁
 『入唐求法巡礼行記』
 承和四年(837年)の記述に初見
 承和五年(838年)
 第19回
 遣唐使の副使
 小野篁
 が唐人
 沈道古
 大宰
 鴻臚館にて詩を唱和
 承和九年(842年)
 太政官符にも鴻臚館の名が記載
 嘉祥二年(849年)
 唐商人53人の来訪
 大宰府から朝廷へ報告
 ↓↑
 天安二年(858年)
 留学僧
 円珍・・・円の珍(うず)
 が商人
 李延孝・・・李(木之子)を
       延す
       孝(ツチノコ)
 の船で帰朝
 鴻臚館
 北館門楼で歓迎の宴
 貞観三年(861年)
 貞観七年(865年)
 李延孝
 が再び鴻臚館を訪問
 寛平六年(894年)
 菅原道真の
 遣唐使が廃止されたのちに強まった・・・
 ↓↑
 鴻臚館
 での通商は官営
 商船の到着が
 大宰府に通達され
 大宰府から朝廷へ急使
 朝廷から
 唐物使(からものつかい)の
 役人が派遣され
 経巻
 仏像仏具
 薬品
 香料
 などの中央貴族の要望商品を買い上げ
 残った商品を地方豪族や有力寺社が購入
 商人は到着から通商までの
 3か月から半年間を
 鴻臚館内で滞在
 宿泊所や食事は
 鴻臚館側が供出
 延喜三年(903年)
 太政官符には
 朝廷による
 買上前の貿易が厳禁されており
 貿易が官営から私営に移行
 延喜九年(909年)
 唐物使に代わって
 大宰府の役人に
 交易の実務・・・
 ↓↑
 貞観十一年(869年)
 「新羅の入寇」後
 警固所として
 鴻臚
 中島館を建設し
 大宰府の兵や武具を移した
 1019年
 「刀伊の入寇」後
 山を背にした地に防備を固めた
 ↓↑
 北宋・高麗・遼の商人とも交易
 11世紀には
 聖福寺・承天寺・筥崎宮・住吉神社
 ら有力寺社や有力貴族による
 私貿易が盛ん
 博多から箱崎の海岸が貿易の中心
 大宋国商客宿坊と名を変えた
 鴻臚館での貿易は衰退
 永承二年(1047年)
 放火
 寛治五年(1091年)
 宋商人
 李居簡
 が鴻臚館で写経した記述を最後に
 文献上から消えた
 ↓↑
 難波の鴻臚館は
 難波津(渡辺津)にあった
 ↓↑
 古墳時代
 難波津に外交施設として
  難 波  館
 (なにわのむろつみ)
 があり
 継体六年(512年)十二月
 百済
 武寧王
 の使者が調を貢献
 任那四県の
 割譲を求めて館に留まった・・・
 ↓↑
 欽明二十二年(561年)
  難 波 大 郡
 (なにわのおおごおり)
 で
 百済と新羅の使者を接待
 推古十六年(608年)四月
 隋 煬帝
 の使者
 裴世清が来訪
 筑紫に滞在させ
 その間に
 「高麗館(こまのむろつみ)
  の上に新館を造る」
 ことで歓迎の準備
 斉明六年(660年)五月八日
 高句麗使
 賀取文
 が難波館に到着
 ↓↑
 承和十一年(844年)十月戊子条
 難波の鴻臚館が
 摂津国国府の政庁に転用され廃止
 ↓↑
 道慈律師
 (ドウジリッシ)
 大安寺
 伽藍の造営を勾当した
 大和国
 添下郡
 額田氏の出自
 大宝二年
 遣唐船で入唐
 粟田真人
 山上憶良
 などが使節として同乗
 南海路を取り
 揚州から入唐
 ↓↑
 長安の
 西明寺に留まり
 十六年間学ぶ
 西明寺は迎賓館の性格名刹
 道慈はその伽藍を模して
 大安寺を造営
 後に大安寺に住した
 弘法大師空海は
 「大安寺は是兜卒の構え
  祇園精舎の業なり云々」
 賞賛
 ↓↑
 養老二年(718年)
 帰国
 在唐中、経典を渉覧し研鑚
 三論に精通、工巧にすぐれた
 金光明最勝王経
 虚空蔵菩薩求聞持法
 をもたらした・・・
 天平元年(729年)
 律師
 数年後
 凶作
 疫病
 藤原四兄弟死亡
 道慈は
 大般若経を転読
 大安寺における恒例の
 大般若会が開始
 「続日本紀」編纂に参加
 天平十六年(744年)
 竹渓山寺に隠棲
 死亡
 大安寺は
 インド僧
 菩提僊那
 ベトナム僧
 仏哲
 唐僧
 道セン
 などが住し
 仏教教学の中心となった・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・「大安寺」・・・
 「太安」万侶の「字・事・時・爾・辞・地・児」?
ーー↓↑ーー
 廯=广+魚+羊
   セン
 ↓↑
 㶍=氵+魚+羊
   セン
   水・川・小川・水路・細流
   stream
 ↓↑
 䇁=宀+魚+羊
   セン
   cave・hole
   穴也
   又水名
   出趙國,襄國,東入湡
   水厓爲䇁
 ↓↑
 䇁=穴+鮮
   宀+八+魚+羊
   洞窟の光苔=光蘇?
 ↓↑
 癬=疒+魚+羊
   セン
   たむし
   ひぜん・・・イッチング=itching・・・蚤の市?
   かゆみを伴う皮膚病の一種
   乾癬=肌が少し盛り上り
       赤い発疹上に
       銀白色の垢が付いて
       ポロポロとはがれ落ちる病気
   疥癬(カイセン・かいせん・scabies)
   痒い(かゆい)・掻く(かく)・・・カクカクしかじか・・・
   itchy・itching=イチイング
 ↓↑
 䉳=竹+魚+羊
   セン
   ダマサイル=domicile=住居・本籍
   竹名・今人 戸版籍也
ーーーーーー
 ・・・再思考・・・再モウソウ・・・

コメント
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「鮮」・光蘚=ひかりごけ=光苔・「光鱗(ひかりごけ)」・・・の、つづき・・・?

2020-03-27 17:37:20 | 古事記字源
 ナゼ、「鮮=魚の羊」なのか?・鮮血、血小板・・・結晶判?
 前回の
 ナゼ、「あざやか(鮮やか)なのか?」・・・鮮血、血小板・・・結晶判?
 「鮮」・・・光蘚=ひかりごけ=光苔・・・「光鱗(ひかりごけ)」・・・
 の、つづき・・・

ー↓↑ーーーー
 Casablanca(卡薩布蘭加)
       ↓↑
       卡=卡=上+卜=ト+下
         卡=ト+一+卜・・・上爻・下爻?
         ↓↑
         ソウ・・・想・創?
         ゾウ・・・像・造?
         カ・・・・化?
         サ・・・・差?
         関所・・・・国境検察検問所
         検問所・・・税関・出入国管理検問所
         はさむ’(挟む)・はさまれる
         Sandwich・・・酸(惨)度一致・・・スッパイ?
                 簒度位置・・・盗作改竄のキキ?
         卡片(カード=card)
         卡路里(カロリー=calory)
         「音訳」に用いる
         道がせまくけわしい
         南粤地方の方言
         南粤=前漢代前期に嶺南地方の
            漢人趙氏を王とする越人(越族)の国家
            秦末の混乱に乗じて南海郡尉 の
            趙佗(チョウタ)が
            番禺(広州市)を首都に建国(前207)
       薩=艹+隡=蕯=艹+隆
        =艹+阝+㚅
       薩=艹+隡 = 艹+阝+夂+一+生
         艹+阝+產
         艹+阝+産
         艹+阝+文+厂+生
         艹+阝+产+生
         艹+阝+亠+乂+厂+生
         艹+阝+亠+丷+厂+生
         サツ
         梵語(ボンゴ)の音訳字
        「菩薩・観音菩薩」
        「薩摩(さつま)」の略
       布=ナ+巾
         フ
         ホ
         ぬの
         麻や葛(くず)などで織ったきれ
         しく・ひろげる・広く行き渡らせる
         貨幣・古代の貨幣
        ー↓↑ーーーー
         季布一諾(きふのいちだく
        「記譜」の
        「壹・壱・位置」
        「拿句・駄句・蛇句・濁」?)
         確実に果たしてもらえると信じられる約束
        「季布」は人の名前・・・ノギのネのナはハバ’(ぬの)?
         楚=林+疋・・・・・はやしヒク
          =木+木+疋・・・キキひく
          =木+木+⺂(乛)+ト+人
              乛=横にした引っかき棒(亅)=カギ・トビ
              鳶口(とびぐち)=トビのくちばしの様な
              形状の鉤を棒の先に取り付けた器具
         の季布は一度約束を交わすと
         確実にそれを果たしたという故事・・・日韓関係の日?
        「季布」と略して用いることもある
          『史記』「楚策」
            ・・・楚=木木を疋(ひく)
                 記紀を「疋=乛+ト+人」
                 乛=⺂⇔亅(かぎ=鈎・コマ)     
         ↓↑
         荊釵布裙(けいさいふくん=掲載附訓?)
         慎ましく質素な女性の服装のたとえ
         「荊釵」は荊の「かんざし」
          荊=艹+刑・・・「久坂・日下・草加・孔舎衙」の刑?
          釵=金+叉・・・「金武」の三叉(三俣・銛)
         「布裙」は布の「もすそ(裳裾)」のこと
         梁鴻の妻の
        「孟光」は
         節約のために「荊のカンザシ・かみさし」と
         布のもすそをいつも身につけていた故事から
          『太平御覧』「七一八引皇甫謐『列女伝』」
         孟=子+皿
           一+了+皿(さら・ベイ)
           ボウ・マン・モウ
           はじめ
           かしら
           兄弟の最年長者
           年齢の順に上から
          「孟・仲・季」
          「伯・仲・叔・季」
           季節のはじめ・時代のはじめ
           四季の
           春夏秋冬それぞれの最初の月
           つとめる・努力する
           大きい・勇ましい
ー↓↑ーーーーーーーーー↓↑ーー↓↑ーーー
 孟=子+皿
   一+了+皿(さら・ベイ)
   ボウ
   マン
   モウ
   はじめ
   かしら
   兄弟の最年長者
   年齢の順に上から
  「孟・仲・季」
  「伯・仲・叔・季」
   季節のはじめ・時代のはじめ
   一年を四季の分けた
   春夏秋冬それぞれの最初の月
   つとめる・努力する
   大きい・勇ましい
  「孟子(モウシ)」
   勐掹猛䓝䁅锰艋蜢錳鯭
 ↓↑

 漢字形象から考える
 前方後円墳・・・側面=スフインクス?

 ↓↑
 ⚱️・壺・壷・臺・坩・瓶・壜・罎・🏺
 🍄=木ノ子=李
 🌄=日出=△☉△= ▷ ◒ ◁
 👡=沓・靴=側面の形状くつ=👠・👞
 ❓ ❔=鍵穴=✒・✑=万年筆
 ↓↑
 亠+口+子=享=亯=亠+口+日
      子=日
   子=了+一=乛+亅+一
       =囗+一=日
      「囗=〇」⇔「日=◎☉」
   ◯+☖=⏺+⦿
      ◒+△=◓+▲
 ↓↑
 亯=亠+口+日=享
   亠+〇+☉
 ↓↑
 享=亠+口+子
   亠+☉◎+子
   亠+☉◎+一+了
   キョウ
   あたる
   うける
   すすめる・もてなす・たてまつる
   まつる
   供える・供え物をする
   受けとる・受け入れる
   あたる・あてはまる・かなう
 ↓↑
 京=亠+口+小
   亠+口+亅+ㇵ
   亠+口+ノ+亅+丶
 ↓↑
 亰=亠+日+小
   亠+日+亅+ㇵ
   亠+日+ノ+亅+丶
 ↓↑
 京=亰
 口=日
 〇=◎
 いろは歌の最後
 「す」の次につける語
 「京の夢 大坂の夢」
 いろは歌
 仮名を重複させずに
 作られた47字の誦文(ずもん)
 ↓↑
 いろはにほへと
 色 は匂 へど
 ↓↑
 ちりぬるを
 散りぬるを
 ↓↑
 わかよたれそ
 我が世誰 ぞ
 ↓↑
 つねならむ
 常 ならむ
 ↓↑
 うゐのおくやま
 有為の奥 山
 ↓↑
 けふこえて
 今日越えて
 ↓↑
 あさきゆめみし
 浅 き夢 見じ
 ↓↑
 ゑひもせす
 酔ひもせず
 ↓↑
 京
 名のり
 あつ・おさむ・たかし・ちか・ひろし
 ↓↑
 数の単位
 兆の1万倍・・・兆(きざ)しの一萬倍
 10の16乗
 古くは兆の10倍・・・壱拾 掛ける 兆⇔桃
 ↓↑
 京(キョウ・ケイ・みやこ)
 京師・都・首都・都市
 都城
 京都の別名(キョウ・みやこ)
 1868年まで日本の首都
 ↓↑
 東京の略称(キョウ・ケイ)
 京都の略称(キョウ・ケイ)
 北京の略称(キョウ・ケイ・キン・チン)
 南京の略称
 長安の略称
 京城の略称(ソ-ウル)
 ↓↑
 キョウ・ケイ・キョン
 京 (数)(ケイ・キョウ)=数字の単位・兆の1万倍
 京(キョウ)=いろはかるたの最後の文字
 京=亠+口+小
   亠(音)+口(くち)+亅(鈎・齣)+ㇵ(葉)
 ↓↑
 キン族(京族)は、ベトナム(越南)の主要民族
 ↓↑
 万葉仮名
 みやこ・ビヤコ
 美夜古(『万葉集』巻5、806番)
 弥夜古(同843番)
 ↓↑
 都城制が成立する以前から
 大王の住む「みや」
 その所在地である「みやこ」
 ↓↑
 律令制・都城制で
 「宮=寓」、「京」、「都」
  宮=宀+呂     都=者+邑            
  寓=宀+甲+冂+ム  者=十+一+ノ+日
            邑=口+巴
 という漢字があてられた
 ↓↑
 「さと(里)」+「み(美)」=「みさと」
 和訓があった
 ↓↑
 caster(カストロ)
 ↓↑
 「城牆(じょうしょう)」
 城壁の内側(内城)を「城」
 城壁の外側(外城)「郭」
 ↓↑
 中国の城壁
 城門が多重構造
 甕城(オウジョウ)
 城門は
 二重、三重の城壁で守られていた
 南京と西安の城壁
 ↓↑
 石山本願寺=大阪城建設地
 石山=ピラミッド=金字塔
 石狛=スフインクス=人面獅子象

 ↓↑
 日本の「城」
 英 castle
 仏 chateau
 西 caster(カストロ)
 独 Burg(バーグ)=Schloss
 封建領主の居館を兼ねた軍事施設
 城塞(citadel)
 城館
 防衛施設の堀や柵や土塁を指して
 「城」と呼ぶ例もある
ー↓↑ーーーーーーーーー孟=子+皿
            一+了+皿(さら・ベイ)
          「孟子(モウシ)」
           ・・・孟=皿(サラ)の上の子=イサク
           イサクの燔祭(生贄のマナ息子)
           イサク(Isaac・アイザック・yits-khawk' イツハク
               ギリシア語: Ισαάκ (Isaak)
               アラビア語: اسحاق‎ (ʾIsḥāq イスハーク)
              「彼は笑う」の意)
           勐掹猛䓝䁅・锰(マンガン)
           艋蜢錳鯭
         ハガルの子=イシュマエル=石前留(舞える)?
               (「主は聞きいれる」の意)
         ↓↑
         公孫布被(こうそんふひ=「皇孫・神尊・幸村」附意?)
         高い地位にあるが
         質素な生活をすること
         うわべだけの節約のこと
         「布被」は
         麻や木綿のつつましい掛け布団
         売名のために
         わざとらしく
         質素な生活を
         見せびらかすことをいう
         中国の前漢の高官の
         公孫弘は・・・・公孫の弘・・・弘文天皇=大友皇子?
         臣下は節約すべきといい
         麻の布団で寝て
         質素な食事をしていたが
         汲黯・・・汲=氵が及ぶ
              黯=黒い音・・・刻音・更音
              更=一夜(日没から日の出まで)を
              五等分した時間の単位
              更の時刻
              初更・二更・三更・四更・五更?
         が偽善的だと言った
          『史記』「平津公伝」
         ↓↑
         尺布斗粟(しゃくふとぞく=釈附譯続?)
         兄弟の仲が悪いこと
         「尺布」の「尺」は長さの単位
         一尺の布
         少しの衣服のたとえ
         「斗粟」の「斗」は容量の単位
         一斗の粟
         少しの食べ物のたとえ
         ↓↑
         漢の淮南王と文帝は
         腹違いの兄弟で
         文帝はおごり昂って
         法に背く行いをしたために
         淮南王に王位を奪われ流罪にされた
         その道中で
         文帝は悶え苦しみ
         食を断って死んだ
         人々は
         一尺の布でも
         一斗の粟でも分け合えば
         互いに寒さと飢えをしのげるのに
         何故
         仲良くできなかったのかと歌った
          『史記』「淮南レイ(厲)王長伝」
           厲=厂+萬
           厂+艹+禺
           レイ
           ライ
           えやみ
           といし
           とぐ
           はげしい
           はげむ
           やむ(病む)
           わざわい(災い)
           といし(砥石)・刃物をみがく道具
           とぐ・
           きびしい
           はげます=励
           やむ=えやみ=疫病
           わざわい・たたり
           ハンセン病
           勵=励・牡蠣
           萬=万
           癘邁贎躉蠆蠇勱
           噧燤㒖䊪䖁䜕䘍澫
           勵巁櫔濿犡礪曞
           矋爄蠣禲糲鱱䘈
         ↓↑
         青鞋布韈(せいあいふべつ=清愛不別?
                      所為相附別?)
         旅をするときに着る服装
         「青鞋」はわらじ
         「布韈」は脛を保護するために
              巻く布製の脚半のこと
         ↓↑
         星羅雲布(せいらうんぷ=西羅云部?)
         たくさんのものが
         連なっている様子のたとえ
         「星羅」は星のように連なっていること
         「雲布」は雲のように広範囲に敷き詰めること
         元は
         軍隊の陣形が
         大きく
         華々しいことを言い表す言葉
         「星のごとく羅なり雲のごとく布く」
          『文選』班固「西都腑」
          星羅棋布(せいらきふ)
         ↓↑
         宣戦布告(せんせんふこく=宣選布告?
                   =本居宣長の布告?)
         戦争を始めることを
         相手の国に宣言すること
         「宣戦」は
         戦争を始めるという意思を示すこと
         「布告」は
         国家としての意思を国内外に示すこと
         ↓↑
         斗粟尺布(とぞくしゃくふ)=尺布斗粟
         兄弟の仲が悪いこと
         「斗粟」の「斗」は容量の単位
         一斗の粟
         少しの食べ物のたとえ
         「尺布」の「尺」は長さの単位
         一尺の布
         少しの衣服のたとえ
      ー↓↑ーーーー
       蘭=艹+闌
         艹+䦨
         艹+門+柬
         艹+門+東
         ラン
         あららぎ
         ふじばかま
         ラン科の多年草の総称
         あららぎ
         植物名、ノビル(蒜)
             ギョウジャニンニク(行者大蒜・葫)
         など野生の「ネギ(葱)属植物」を指した古称
         植物名で「イチイ」の別称
              ・・・イチイ(一位・櫟・ yew)
              おんこ(櫟?音鼓?)
              クネニ(アイヌ語・弓の木)
              蘇芳(スオウ)
              笏の木( シャクノキ)
              種の中の成分は猛毒
         和蘭(オランダ)の略
         アララギ=明治末期~昭和にかけて
         歌壇の主流にあった短歌 雑誌の一
         『阿羅々木』
         正岡子規を信奉する
         アララギ派=短歌雑誌「アララギ」に拠る一派
         伊藤左千夫・島木赤彦・斎藤茂吉・ 土屋文明・五味保義
         らを中心とし、同人の歌壇
         ・・・写実的、生活密着的歌風・・・?
         ↓↑
         『白樺』
         ・・・1910年
         武者小路実篤・長与善郎・志賀直哉
         などに
         創刊された
         雑誌「白樺」
         自然主義・耽美主義
         に対立した
        「大正文学」の主流
         個性の尊重・・・?
         自我の確立・・・?
         生命の想像力・・・?
         をうたい
         人道主義・個人主義を追求・・・?
         1923年に廃刊
         ↓↑
       加=力+口
         カ
         くわえる
         くわわる・足す・増やす・多くする
         仲間にする・仲間になる
         影響を与える・施す
         くわえて・その上に
         足し算・加法
         加奈陀(カナダ)の略
ー↓↑ーーーー
 歴史
 元謀・藍田・北京原人
 神話伝説(三皇五帝)
 黄河・長江・遼河文明
 夏
 殷
 周   西周
 東周  春秋
 戦国
 ↓↑
 秦
 ↓↑
 漢   前漢
 新
 後漢
 ↓↑
 三国  魏 呉 蜀
 ↓↑
 晋   西晋
 東晋  十六国
 ↓↑
 南北朝 宋 北魏
 斉
 梁  西魏 東魏
 陳  北周 北斉
 隋
 唐
 周
 ↓↑
 五代十国
 宋 北宋 遼 西夏
 南宋 金
 元
 明  北元
 後金
 ↓↑
 清
 ↓↑
 満洲 中華民国
 ↓↑
 中華人民共和国 中華民国(台湾)
ー↓↑ーーーー
 鮮卑(センピ・拼音:Xiānbēi)
  鮮=魚+羊・・・あざやか・新鮮
          痣やか・字やか
  鮮・・・論語の「巧言令色鮮仁」の鮮(少なし)
      「朝(みつぎもの)鮮(すくなし)」
  ↓↑
 鮮=魚+羊・・・痒(かゆ)い=疒+羊
           掻(か)く =扌+蚤(叉虫)
      ・・・共通項は赤(あか)+桃+色
  =⺈+田+灬+羊
   セン
   あざ(やか)
   あたら(しい)
   すく(ない)
   さかな・生き魚・生(なま)魚
   魚のなます
   あたらしい・生き生きとしている
   あざやか・はっきりしている・明らか
   よい・美しい・みめよい・あでやか
   すくない
   まれ(稀)である
 ↓↑
 蘚=艹+魚+羊・・・・・蘇=艹+魚+禾
   セン・こけ(コケ)=苔
      こけ=鱗(うろこ・リン)
   ヒカリゴケ(光苔)
   洞窟のような暗所で
   金緑色(エメラルド色)に光る
   luminous moss
   ルミナス モス・・・発光体・反射体・・・鱗=うろこ
 ↓↑
 廯=广+魚+羊
   セン
 ↓↑
 㶍=氵+魚+羊
   セン
   水・川・小川・水路・細流
   stream
 ↓↑
 䇁=宀+魚+羊
   セン
   cave・hole
   穴也
   又水名
   出趙國,襄國,東入湡
   水厓爲䇁
 ↓↑
 䇁=穴+鮮
   宀+八+魚+羊
   洞窟の光苔=光蘇?
 ↓↑
 癬=疒+魚+羊
   セン
   たむし
   ひぜん・・・イッチング=
   かゆみを伴う皮膚病の一種
   乾癬=肌が少し盛り上り
       赤い発疹上に
       銀白色の垢が付いて
       ポロポロとはがれ落ちる病気
   疥癬(カイセン・かいせん・scabies)
   痒い(かゆい)・掻く(かく)
   itchy・itching=イチイング
 ↓↑
 䉳=竹+魚+羊
   セン
   ダマサイル=domicile=住居・本籍
   竹名・今人 戸版籍也
 ↓↑
 鮮卑
 紀元前3世紀~6世紀
 中国北部に存在した
 遊牧騎馬民族
 五胡十六国時代・南北朝時代に
 南下して
 中国に
 北魏などの王朝を建国
 首都 大鮮卑山→弾汗山、啜仇水の畔
        大人(たいじん)
   ?~? 檀石槐
   ?~235年 軻比能
 220年~277年 拓跋力微
 285年~333年 慕容廆
 ↓↑
 東胡の滅亡により
 建国    紀元前209年
 檀石槐による統一 2世紀
 北魏の建国    386年
ーー↓↑ーーー
 「方丈記」
  鴨長明
  ↓↑
 行く川のながれは
 絶えずして
 しかも 本の水にあらず。
 よどみに浮ぶうたかたは
 かつ消え
 かつ結びて
 久しくとゞまることなし。
 世の中にある人とすみかと
 また かくの如し。
 玉しきの都の中に
 むねを
 ならべ
 いらかをあらそへる
 たかき いやしき人のすまひは
 代々を經て盡きせぬものなれど
 これを まことか と尋ぬれば
 昔ありし家は まれなり。
 或は こぞ破れ(やけイ)て
 ことしは造り、
 あるは
 大家ほろびて
 小家となる。
 住む人も これに おなじ。
 所も かはらず
 人も多かれど
 いにしへ見し人は
 二三十人が中に
 わづかに
 ひとり ふたりなり。
 あしたに死し
 ゆふべに生るゝならひ
 たゞ 水の泡にぞ 似たりける。
 知らず、生れ死ぬる人
 いづかたより來りて
 いづかたへか去る。
 又 知らず、かりのやどり
 誰が爲に心を惱まし
 何によりてか
 目を よろこばしむる。
 その あるじと すみかと
 無常をあらそひ去るさま
 いはゞ
 朝顏の露に ことならず。
 或は 露おちて花のこれり。
 のこると いへども朝日に枯れぬ。
 或は花は しぼみて
 露なほ消えず。
 消えずと いへども
 ゆふべを待つことなし。
 およそ物の心を知れりしよりこのかた
 四十あまりの春秋をおくれる間に
 世のふしぎを見ること
 やゝ たびたびに なりぬ。
 ↓↑
 1212年(建暦二年)三月末日に記録
 最古の写本
 大福光寺(京都府京丹波町)が所蔵する
 大福光寺本
 ↓↑
 漢字と仮名の
 和漢混淆文で記述
 詠嘆表現
 対句表現
 漢文の語法
 歌語
 仏教用語
 を織り交ぜる
 慶滋保胤『池亭記』を手本・・・?
 偽書説・・・
 「ゆく河の流れは絶えずして
  しかももとの水にあらず。
  よどみに浮かぶうたかたは
  かつ消えかつ結びて
  久しくとどまりたるためしなし」
ーー↓↑ーーー
 「平家物語」
 祇園精舎の鐘の声
 諸行無常の響あり
 娑沙羅双樹の花の色
 盛者必衰のことはりをあらはす。
 おごれる人も久しからず
 只春の夜の夢のごとし。
 たけき者も遂にはほろびぬ
 偏に風の前の塵に同じ
 ↓↑
 題名は当初は「治承物語」・・・
 仁治元年(1240年)
 藤原定家によって書写された
 『兵範記』(平信範の日記)の
 紙背文書に
 「治承物語六巻号平家候間、書写候也」
 とある
 延慶二年(1309年)以前には成立
 「方丈記」執筆の
 建暦二年(1212年)以後に成立
ーー↓↑ーーー
 「徒然草」
 「心に移りゆくよしなしごと」
  ↓↑
 鎌倉時代末期
 1330年8月~1331年9月頃
 兼好が著した・・・
 1349年頃にまとめた・・・説
 ↓↑
 序段
 「つれづれなるままに」書いた・・・
 兼好が仁和寺がある
 双が丘(ならびがおか)に居を構えていた
 仁和寺に関する説話が多い
  ↓↑
 『徒然草』序段
 つれづれなるまゝ ↓↑に・・・連れ擦れなる・・・
 日くらし
 硯に・・・・・・・・硯(すずり)=石見=摩衝る?
 向かひて
 心にうつりゆく・・・心象動画・・・?
 よしなしごとを・・・由無し事(よしなしごと)?
 そこはかとなく
 書き付くれば
 あやしうこそ
 物狂
 ほしけれ。
ーーーーー
 ほしけれ・・・干し蹴れ・星気霊・・・???・・・
 「其処(そこ) は彼(か) と」・・・?
 底は 火 土・・・
 多 濊 藻 ない・・・
 トリ とめ も ない・・・屋根の上の「風見鶏」?
 酉=とり=鳥・・・鳥止め(开⇔鳥居⇔干干・一卄・一廾)も無い
          取留め   开=開く・カイ・開門、閉門の横木?
 非言語的認識思考も 判断もできない・・・夢的な揺らめく映像???

コメント
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英和対訳 袖珍 辞書・・・謹一郎・・・文の化の壱拾參撚 壹拾壱解通 壱拾壹比

2020-03-26 22:42:26 | 古事記字源
 あやしうこそ物狂ほしけれ・・・Casablanca(卡薩布蘭加)
 ↓↑
 邪推~・詞や綏~・歯牙血出倦留・・・?

 ↓↑
 Casablanca(卡薩布蘭加)・・・太陽の暈(かさ)はアメがフル兆し・・・?
 陽=阝(阜)+旦+勿
   阝(阜)=こざとへん=小里遍・悧辺=連なった丘陵
    旦=あした・タン=元旦
      勿=なかれ・モチ・ブツ
   阝+日+一+勹+〃・・・〃=にじ・リャン・two(ツウ)?
   阝+日+一+勹+丿+丿・・・丿=ひく・ヘッ・ヘチ
         丿丿=二本の上から下への払棒
        刁=狡・悪・チョウ・鐘の中の舌(棒)
          銅鑼と鍋の兼用の軍用道具
        勿=彡+𠃌
          彡(サン・セン)=刷毛跡・爪痕・引掻き傷
            𠃌=かぎの先端の逆さのとがり
              カン・ケン・コン
        勿=勹(口)の中の二本(〃)の牙(棒)?
          犬歯・八重歯は犬歯が外側に飛び出した状態
 ↓↑
 昜=旦+勿
   日+一+勹+丿+丿
   ヨウ
   あがる
   ひらく
   あがる・太陽がのぼる
   太陽
   開放する・とびあがる
 ↓↑
 昜≠易
  ↓↑
 易=日+勹+丿+丿
   日+勿(彡+𠃌)・・・𠃌=包丁・鉈・斧・刃物の刃
   イ
   エキ
   やさしい
   あなどる
   かえる・・・・蛙・蜥蜴(とかげ)
   かわる
   やすい
   あらためる
   あらたまる・・・蛙の子・蜥蜴(とかげ)の尻尾
   トリかえる・・・とり=録・「鳥・鶏」・・・調系留意を替える?
   変化する
   占い
   やすいた・やすい・やさしい・・・簡単=easy=云意「隋」?
                   simple=新布留?
   やすい~・しやすい~・しがちである・・・tend to・apt to
              apt to be whited sepulcher=セパルカァ
              white-dominated society⇔白人社会・白祁
              斯蘆・新羅=668~900年
              660年 に百済、668年に高句麗を滅ぼし
              676年に唐軍を撃退して半島を統一
              ↓↑
              九百年・・・竹取の翁(たけとりのおきな)
                  かぐや姫⇔輝夜秘め・
                平安時代
                延暦十三年(794年)~文治元年(1185年)
              ↓↑        建久三年(1192年)頃
              干支 庚申
                 ・・・金の兄はサル?
                 ・・・金鶏・筋系・近景・近経
                 謹啓
             『英 和対 訳 袖  珍 辞書』
             (えいわたいやくしゅうちんじしょ
               A Pocket Dictionary
              of the English and Japanese Language)
ー↓↑ーーーーー↓↑ーーーーーーー↓↑ーー
  古賀  謹  一  郎・・・ポケット(pocket)辞典
 (こが  キン イチ ろう)
 文化十三年十一月十一日・・・文化13年11月11日・・・
 (1816年12月29日)     文の化の壱拾參撚 壹拾壱解通 壱拾壹比
 ~
 明治十七年
 (1884年10月31日)
            1879年5月(62歳)~1889年
                  丁未劫財
 丙┏子(壬 癸)比肩・正官 胎⇔甲申 偏印
 庚┏子(壬 癸)偏財・正官 胎⇔甲戌 偏印
 丙┗辰(乙癸戊)  ・食神冠帯⇔甲寅 偏印
 甲 午(丙 丁)偏印・劫財帝旺⇔庚午 偏財
   子丑空亡
 儒学者・官僚
 本姓は劉
 諱は増(まさる)
 官途は筑後守
 字は如川
 号は謹堂・茶渓・沙蟲老人
 昌平坂学問所の教官
 同僚に
 佐藤一斎
 林復斎
 安積艮斎
 昌平黌
 家塾久敬舎で教えた儒学上の門人
 阪谷朗廬、重野安繹、原伍軒(市之進)
 大野右仲、秋月悌次郎
 河井継之助
 白洲退蔵
 平田東助
 ら
 ↓↑
 嘉永六年(1853年)
 ロシアから派遣された
 プチャーチン艦隊の来航に際し
 応接掛
 目付
 筒井政憲
 川路聖謨
 に随行して長崎でロシア使節との交渉
 翌年ロシア艦再来日の際
 伊豆下田での交渉
 日露和親条約の締結
 ↓↑
 老中
 阿部正弘に対して建白書を提出
 洋学所設立
 外国領事館設置
 沿海測量許可
 などの開明策を求めた
 ↓↑
 蕃書調所の設立
 安政二年(1855年)八月三十日
 謹一郎は
 阿部より
 直々に
 洋学所頭取(校長)に任命
 蘭書翻訳・教育機関の構想を
 勝麟太郎らとともに草案作成
 同年九月
 蕃書調所設立案を提出
 安政四年(1857年)正月
 蕃書調所が正式開設
 ↓↑
 謹一郎は
 蕃書調所頭取(校長)
 として
 国内の著名な学者を招聘
 蘭学者の
 箕作阮甫を教授
 教授見習として
 三田藩の
 川本幸民
 周防出身の
 手塚律蔵
 村田蔵六(大村益次郎・当時は宇和島藩出仕)
 薩摩藩の
 松木弘庵(寺島宗則)
 西周助(西周)
 津田真一郎(津田真道)
 箕作秋坪
 中村敬輔(中村敬宇)
 加藤弘之
 らを採用
 ↓↑
 蕃書調所
 当初、蘭書の翻訳を目的
 英語・フランス語・ドイツ語
 の教授も行わせた
 入獄中であった
 堀達之助
 を
 謹一郎が便宜を図って出獄させ
 日本最初の英和辞典
 『英和対訳袖珍辞書』
 を作らせた
 ↓↑
 文久二年(1862年)五月
 御留守居番就任に伴い
 蕃書調所
 (この年「洋書調所」と改称
  さらに「開成所」と改称)
 頭取を解任
 以後4年間は失職
 慶応二年(1866年)
 製鉄所奉行
 翌年に目付
 筑後守に補任
 江華島を巡る
 フランス
 と
 李氏朝鮮
 の紛争の仲介任務を託されるが
 未遂
 同年
 緒方洪庵の墓碑銘を記す
 慶応三年(1867年)十月
 大政奉還
 滝川具挙
 などと共に上京の命
 ↓↑
 明治維新後
 大学校(昌平黌、蕃書調所の後身)教授
 として新政府から招聘されたが
 徳川家の駿府転封に伴い、静岡へ移住
 中村敬宇(正直)
 と漢詩で親交を深め
 中村の
 『西国立志編』
 (サミュエル・スマイルズの訳書)
 に序文を寄稿
 リンネの植物学書などの洋書をまとめた
 『蕈説』
 (キノコの言説をまとめた書)
 を著作
 ↓↑
 明治六年(1873年)
 東京に戻る
 明治十七年(1884年)8月20日
 高畠五郎が
 暑中見舞いに訪れ
 長茄子
 南瓜
 球形の白甜瓜
 などを持参
 10月末
 胃管狭窄
 67歳で死去
 吉田賢輔
 (福澤諭吉の盟友・慶應義塾長
  海外の新聞を口訳するのを
  筆記方が筆記したのちに出版する
  新聞起源の創始者
  『大日本貨幣史』著者
  啓蒙書を多数執筆)
 が枕元で最期を看取った
ー↓↑ーーーーー↓↑ーーーーーーー↓↑ーーー↓↑ー 
 ↓↑           九百年・・・竹取の翁(たけとりのおきな)
                 かぐや姫⇔輝夜秘め
                 平安時代
               延暦十三年(794年)~文治元年(1185年)
              ↓↑         建久三年(1192年)頃
              干支 庚申
               ・・・金(キン)の兄(ケイ)がサル?
               ・・・金鶏・筋系・近景・近経
                  謹啓(キンケイ)
              ↓↑
              日本 昌泰三年・・・消退・正体・招待の簒撚?
              唐  光化三年・・・光の化の簒念?
              南詔 中興四年
              朝鮮
              後百済 正開元年
            that historically has been white-male dominated
           say a word often enough 同じ語を何度も言う
           always・sometimes・often・usually

           ルキアノス・ギリシャ人
          (サモサタのルキアノス、ルーキアーノス
           Lucianos=Lucian of Samosata(ルシアン)?
           祖父と叔父が石工職人
          「本当の話=本當の話」で月への旅行譚
ー↓↑ーーーーー↓↑ーーーーーーー↓↑ーーー↓↑ー
 易=日+勹+丿+丿
   日+勿(彡+𠃌)・・・𠃌=包丁・鉈・斧・刃物の刃
   イ
   エキ
   やさしい
   あなどる
   かえる・・・・蛙・蜥蜴(とかげ)
   たいら・高低やでこぼこがない
   ↓↑
   あなどる(侮=人+毎)・軽くみる・見下す
   穴取る・孔録る・阿奈採る・蛙(鴉・丫・吾)納綴留・・・?
 ↓↑
 勿+α
 物・忽・吻・刎・匆・昜・笏・芴・虝・昒
 㫚・曶・歾・匢・伆・囫・圽・岉・朆・沕
 粅・肳・覅・魩・䀛・䀜・䝆・䴯・㬟・䥼
 ↓↑
 㑥・剔・埸・惕・㛫・掦・㻛・晹・䓪・焬
 逷・惖・赐・敡・痬・裼・睗・锡・蜴・緆
 舓・賜・踢・䞶・錫・儩・瀃・鬄・䯜
 鯣=鯣・鰑・寿留女(するめ)
 鶍=イスカ(交喙・鶪=鳥+狊の誤字)
   物事が食い違うことを「イスカの嘴(はし)」
   十字架の基督を
   貼り付けにしている釘を引き抜こうとしたので
   嘴(くちばし・ㇱ)が曲がった・・・
       ↓↑
       卡=卡=上+卜=ト+下
         卡=ト+一+卜・・・上爻・下爻?
 ↓↑       ↓↑
ー↓↑ーーーー
 爻(コウ)=易の卦を構成する基本記号=メ+乂
 ↓↑   長い横棒(⚊)=陽=阝+易
      真ん中が途切れた
      2つの短い横棒(⚋)=陰
      の2種類
      経では
      前者を剛
      後者を柔と呼ぶ
      伝では
      陽乂
      陰
      これらを3つ組み合わせた
      三爻により・・・2×2×2
      八卦ができ
      六爻により・・・2×2×2×2×2×2
      六十四卦
      が作られる
       ↓↑
      爻を2つ組み合わせて
      四象
      太陽(⚌)
      少陰(⚍)
      少陽(⚎)
      太陰(⚏)
      ↓↑
      卦
      爻の記号を3つ組み合わた三爻
      爻には
      ⚊陽(剛)
      ⚋陰(柔)
      組み合わせて
      八卦ができる
      ↓↑
      ☰(乾)
      ☱(兌)
      ☲(離)
      ☳(震)
      ☴(巽)
      ☵(坎)
      ☶(艮)
      ☷(坤)
      ↓↑
      八爻の順位は下から上で
      下爻・中爻・上爻の順
      八卦を2つずつ組み合わせ
      六十四卦
      が作られる
       ↓↑
      先天八卦
     「乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤」
       ↓↑
      後天八卦
     「乾・坤・震・巽・坎・離・艮・兌」
      アマはナニ、ィッテンだか・・・?
      一点・一転・一天・一巓・一顛・一典・顛末

ー↓↑ーーーー
 顚=傎
 顛=真+頁=顚=眞+頁(ページ・page)
   十+具+頁
   十+目+一+八+頁
   テン
   いただき・・・いただきます・頂戴いたします?
   くつがえる・・・覆=くつガエル=靴蛙(クツがえる)?
           あぁした天気になぁ~レッ?
   たおれる・・・・多緒(尾)例留?
   いただき
   頭のてっぺん
   物のてっぺん
   山の頂上・・・簒帳のカミ・ウエ?
   顛末
   はじめ・はじまり・もと
   くつがえる・ひっくりかえる
   たおれる・たおす・つまずく
   おちる・転がりおちる
   正気を失っている・正常ではない
   ↓↑
   巔=山+顛
     いただき・山の一番高い所・山頂
   攧=手+顛
   㰜=木+顛
   ↓↑
   癲=疒+顚
     疒+眞+頁
     疒+匕+目+八+頁
     テン
     くるう
     狂う・気がふれる
     精神に異常をきたす
        ・・・紀元34年頃・・・
        キリキア
        の州都
        タルソス
        生まれのユダヤ人
        ダマスコ・ダマッカス近郊で
        イエスの幻を見て
        馬から転げ落ちた       
        サウル=パウロ?
       「サウロの目から
        鱗=うろこ=癬
        のようなものが落ち
        ↓↑  蘚=艹+魚+羊
           蘚⇔蘇=艹+魚+禾
           セン・こけ(コケ)=苔
           こけ=鱗(うろこ・リン)・・・
        ↓↑  ヒカリゴケ
          (光苔=光蘚=光を反射する鱗=雲母状の反射)
        ↓↑
        目が見えるようになった」
        癲癇=テンカン=転換・・・転落・顛落・落馬
        発熱・・・回心・改心
     癲癇
     発作的にひきつけを起こし
     意識を失う病

ー↓↑ーーーー
 ナゼ、「あざやか(鮮やか)なのか?」・・・鮮血、血小板・・・結晶判?
 「鮮」・・・光蘚=ひかりごけ=光苔・・・「光鱗(ひかりごけ)」・・・
 つづく・・・

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怪しいアメフリの「古事記・乞食・コジキ」・・・あず たい夢 ごゥす 唄(バイ)・・・

2020-03-23 19:23:12 | 古事記字源
 「アメの訪問者」・・・「マルレーヌ・ジョベール」・・・
 (フランス語原題 Le passager de la pluie
  英題 Rider on the Rain)
 ↓↑
 かさぶらんか=6~8月に咲くユリ・・・as time goes by
 ↓↑
 「アンファ」は
    ・・・「案付蛙」?・・・「編む符蛙(ア・かえる)」・・・
        暗怖鴉? 
 海賊の港だったが
 ポルトガル(葡萄牙)に
 「アンファ」が焼き払われ
 カサブランカ(Casablanca・ad-dār al-bayḍāʼ)
        笠(傘・嵩・暈・量・瘡・套・葢・加佐) 振らんか
 ↓↑      化作部覧歌
 「白い家」となった・・・笠  沙    御前
            (かさ  さ  の みさき)
             リュウ サ    ゴゼン
             笠  狭 ( かささ ) の岬
             笠  紗  之 御前而
             鷑  咲
             鷑鳩
           鷑鳩一名 鵧鷑郭 云小黑鳥 鳴自呼江東名為烏鵙
                   小さな黒い鳥
            尾羽は長く、二股に分かれている
            口、足、目は黒・巻き尾
            若い鳥には白い模様のある灰色の腹
            江東省ではカササギを「呉鳥」と呼んだ・・・
            江東省での名は「武進・無錫」
            呉秋の「巻き尾」・黒オマキザル
           「ワシとクロウタドリを突き」
            古代人は誤ってチドリ科の猛禽類だと思っていた
            カラスより小さいが他の鳥に攻撃的に遂撃
 ・・・「カサブランカ(Casa Blanca)は6~8月に咲くユリ科の花」

 ↓↑ 
 1515年
 ポルトガル人によって町が再建
 町を
 「Casablanca」と名付けた
 1755年
 リスボン大地震後
 ポルトガルは
 カサブランカを撤退
 1912年
 モロッコは
 フランスと保護領条約を締結
 ↓↑
 カサ  ブ   ラン  カは
 笠・傘 歩・巫 乱・覧 科 ?
 量   分   等無  化 ?
 ↓↑
 フランスの保護領となった・・・
 ・・・Play it, Sam. Play 'As Time Goes By.・・・
 「 as time goes by
  アズ・タイム・ゴーズ・バイ
  明日 他意ム 語得亠 唄 ?
  as time goes by
   (時の過ぎ行くままに?) 」
 「Here's looking at you, kid.」
  ↓↑
 「随」
 「随時(ヅイジ・ズイジ)」
 「成り行きにまかせる」
 「その都度」
 「毎時・毎回」
  ↓↑
 「逐」
 「逐時(チクジ)」
 一定の期間ごと
 毎時間・毎時
 逐時経過・逐時観察
 「逐次(チクジ)」
 その都度、毎回
 「逐字(チクジ)」
 原文の文字を
 一字一字追っていくこと
 「逐語」
 順を追って
 次ぎ次ぎに行われるさま
 順次
  ↓↑
 「逐一(チクイチ)」
 「一つ一つ順を追うこと」
 「いちいち詳細に」
 「逐」
 「順を追って進む」
 「逐撃」
  ↓↑
 「都度」
 「そのたびごとに」
 「毎回」
  ↓↑
 都=者+阝=都
   耂+日+阝
 都=者+阝
   者+丶+阝
   耂+日+丶+阝
   ツ
   ト
   みやこ
   すべて・・・都合
   天子の宮城のある地
   みやこする・都を定める
   大きな町
   みやびやか・上品で美しい
   集まる・集める
   統べる。
   すべて=全て・みな=皆
   ああ・感嘆の声
 度=广+廿+又
     廿=卄+-
       廾(にじゅうあし・こまぬき)
  ジュウ
       にじゅう
       二十・十の二倍 
   ド
   タク
   ト
   たび
   のり
   はかる
   めもり
   わたる
   ものさし
   長さをはかるための基準
   決まり・規則・法則
   たび・回数
   角度や温度などの
   程度を示すもの
   心の広さ・器の大きさ
   度胸
   わたす=渡
   出家する・仏門にはいる
   長さをはかる・みつもる
   おしはかる・推測する
   たい
  「~したい」
   と願い望む意の助動詞
 ↓↑    ↓↑
 随時・・・隋時・隋字・隋児
      随⇔髄・・・真髄・神髄・心髄・・・真瑞・信瑞
      隨・・・・・蕊・蘂・ヅイ
      随喜=ズイキ=芋茎
         ・・・糸瓜・天糸瓜(へちま)・瓜(うり)
            絲瓜(シカ)
            成熟した果実は強い繊維性の網状組織が発達
            へちま水
            去痰作用・咳止め効能
            タワシ(束子)
            芋茎=サトイモやハスイモなどの葉柄
 ↓↑
 隋王朝
 楊 堅(文帝)・・・文綴?
 541年7月21日
 ~
 604年8月13日
    大運596年6月(54歳)~606年
                 己┏丑 偏官・
 辛 酉(庚 辛)偏印・偏印 病⇔甲┏子
 乙┏未(丁乙己)食神・偏官 墓⇔壬┗申
┏癸┗丑(癸辛己)  ・偏官冠帯⇔丁┏未
┗戊┗午(丙 丁)正官・偏官 絶⇔
   寅卯空亡
 ↓↑
 隋の初代皇帝
 在位
 581年3月4日~604年8月13日
 小名 那羅延
 諡  文皇帝
 廟号 高祖
 父  楊忠
 母  呂苦桃・・・呂の苦の桃(もも)
 后妃 独孤皇后・・・父は独孤 信(どっこ しん、502年 - 557年)
           西魏の匈奴系軍人・武川鎮軍閥の重鎮
           娘たちはこの軍閥から出て
           関隴集団系
           拓跋国家を樹立した
           宇文氏(北周)
           楊氏(隋)
           李氏(唐)
           のいずれにも嫁いだ
           本名は如願
           字は期弥頭
           本貫は雲中郡
 第2代皇帝
 煬帝の父
 男子
 廃太子 楊勇(房陵王)
 晋王 楊広(煬帝)
・・・在位604年8月21日 ~618年4月11日
      煬帝は唐王朝による追諡
      名  楊広
      別名 英
      小字 「阿麼」・・・アマ・アメ
麼=麻+幺=麽=嚒
        广+林+幺
        广+木+木+幺
        バ
        マ
        モ
        かすか・小さい・細かい
        か・や
        疑問をあらわす助字
        接尾語
        疑問詞
        などの後につけて語調を整える
        么=幺
        簒=簒奪・么=幺・・・公の丶が欠ける
        纂=編纂・糸=幺+丿+亅+丶
       「么=丿+ム=幺」≠「糸=幺+小」
 秦王 楊俊・・・秦孝王
         字は「阿祗」
         祗=示+氐
        礻+氐
        示+氏+一
        示+氏+丶
        礻+氏+一
        礻+氏+丶
        シ
        ただ
        つつしむ・うやまう
        ただ・まさに
        限定の意
     楊堅と
     独孤伽羅・・・独孤 伽羅(から)
     の間の子
 蜀王 楊秀(庶民に落とされた)
 漢王 楊諒(庶民に落とされた)
   諒=言+京
      言+亠+口+亅+ㇵ
 女子
 楽平公主 楊麗華(北周宣帝の皇后)
 襄国公主(李長雅の妻)
 広平公主(宇文静礼の妻)
 蘭陵公主(字は阿五、柳述の妻)
        阿悟、留述
           柳=やなぎ=邪(耶)名義? 
 ↓↑
 楊堅
 「那羅延」・・・ナラエン=「奈良」に「延」ばす?
           延=廴+丿+止(卜丄)
 という
 鮮卑風の・・・鮮の卑
 小字
 を持っていた
 楊氏
 元々は
 鮮卑
 の出身で
 本来の姓が
 普六茹・・・普六茹(ふりくじょ)=鮮卑語の柳・楊
       普(あまねし・フ・ホ)=並+日
       六=亠+ㇵ=陸
       茹(ゆでる・ジョ・ニョ)=艹+女+口
 で
 北魏の
 漢化政策の際に付けられた姓が
 楊
 である・・・
 ↓↑
 ・・・隋王朝の時
 ・・・「俀王 姓 阿毎 字 多利思北孤 號 阿輩雞彌」
 随=阝+迶=隨
   阝+辶+有
   阝+辶+ナ+月
 隨=阝+辶+左+月
   阝+辶+ナ+工+月
   ズイ
   したがう
   ついていく・よりそう
   成り行きにまかせる
   易(エキ)の六十四卦の一
  ↓↑
  迶=辶+有
    辶+ナ+月
    ユウ
    歩くさま・行くさま
 ↓↑
 有+α
 賄・・・賄賂
 鮪=まぐろ
 郁=イク
   かぐわしい
   さかん
   ふみ
   香気漂ようさま
   あたたかい
   文化のさかんなさま
 肴=さかな・酒菜・魚
   ・・・佐仮名 ?
      差仮名 ?
 宥=ユウ
   なだめる
   ゆるす
   責めない・とがめない
   大目にみる
   気持ちをやわらげ静める
   宥恕・宥免・宥和
   恩宥・寛宥・赦宥
 侑=ウ
   ユウ
   すすめる
   たすける
   むくいる
   ゆるす
   料理やお酒などをすすめる
   かばってたすける=佑
   お礼をする。
   罪などをゆるす
 囿=ユウ
   その
   苑(その)
   鳥や動物などを放し飼いにする庭
   畑・菜園
   物事が多く集まっている所
   とらわれる=因われる
   こだわる・見識が狭い
 陏=タ・ダ
   ズイ
   うり=瓜・うりの実
   古代中国の地名
 䳑=ユウ
   あじ
   鳥の名・きじ(雉)の類
   あじ・あじがも
   鳥の名・カモ科の鳥
   ともえがもの古名
 蛕=回虫(かいちゅう)
   人や動物の消化器官の寄生虫
 姷=女+ナ+月
 栯=イク
   栯李(いくり)=バラ科の落葉低木
   庭梅(にわうめ)
 㤢=心+有
 戫=有+或
   月+戈+口+一
   イク・ヨク
   模様が美しい・あやのあるさま
   非常に速い
 䨖=雨+有=霽=雨+齋
   雨+月
   サイ・セイ
   はれる・空が晴れる
   気持ちがすっきりする
 䆜=穴+有
   宀+八+月
 賄=貝+有
   貝+月
   ワイ
   カイ
   まかなう
   まいなう
   宝・財貨
   まいなう
   まいない。贈り物。わいろ。
   まかなう
   食事の世話をする
   きりもりする・やりくりする
 痏=殴られるなどしてできた傷
 酭=ユウ
   報いる・杯する
   酒食を相手に勧める
 銪=ユウ
   化学元素の一・ユウロピウム
 龓=有+龍
   有+龍+龙
   ロウ・ル・イウ・ウ
 ↓↑
 哊峟洧
 烠珛絠
 詴㤫㬼
 䀁䒴䞥
 䵋
 ↓↑
 意到筆随
 (いとうひつずい=伊藤比通随?)
  文章を作るときに、思ったままに筆が進むこと
  文章を書きたいと思う気持ちのままに筆が進む
 「意至りて筆随う」とも
   『春渚紀聞』「東坡事実・文章快意」
   類義語 意到心髄(伊藤 真髄)
 ↓↑
 嫁鶏随鶏
 (かけいずいけい=家系図医系・異系?)
  妻が夫に従うことのたとえ
  雌の鶏が雄の鶏に従うという意味
 「嫁鶏鶏に従う」とも
 ↓↑
 管仲随馬
 (かんちゅうずいば=漢注随話?)
  聖人の知恵を借りること
  昔の人の経験を尊重すること
 「管仲」・・・管 夷吾(カンイゴ)
        春秋時代の
       「斉国」の政治家
        ・・・日本思想の原点=管仲?
        桓公に仕え、覇者に 押し上げた
        親友は「鮑叔」・・・アワビの叔父
        叔=兄弟の三番目
        年齢の順に上から「伯・仲・叔・季」
        末の世
 「随」は従う
  春秋時代、名宰相の管仲は
  戦いから帰るときに道に迷い
  馬を放ち、馬の後についていくと
  帰ることができた
 「管仲馬に随う」とも
 ↓↑
 銜尾相随
 (かんびそうずい=完備総随?)
  一列に連なって、切れ目なく進む様子
  「銜尾」は後ろの馬が
   前の馬の尾をくわえること
  「相随」は前のものについていくこと
   狭く険しい山道などで
   前の馬の尾を後ろの馬が加え
   一列になって
   前についていくという意味
  「銜尾相随う」とも
   『漢書』「匈奴伝」
   類義語 銜尾相属(巻尾相続?)
 ↓↑
 形影相随
 (けいえいそうずい=継泳・経営・桂栄総随?)
  心の善悪が行動に出ること
 「形影」は姿形と影
  影は体の動きと
  同じ動きをするということ
 「形影相随う」とも
   『列子』「説符」
 ↓↑
 彩鳳随鴉
 (さいほうずいあ=西法随蛙?)
  女性が身分の劣る男性に嫁に行かされること
  そのことに不満を持つこと
  美しい鳳が
  鴉に嫁ぐというたとえ
  妻が夫のことをいい加減に扱うこと
  劉将孫「沁園春」
 ↓↑
 水随方円
 (すいずいほうえん=推隋法縁?)
   民の善悪は政治を行うものによって感化される
   人は環境や人間関係次第で
   善悪のどちらにも感化される
  「随」は従うこと
  「方円」は四角いものと円いもの
   水は容器の形に従って
   四角にでも円にでもなる
   『韓非子』「外儲説・左上」
 ↓↑
 随鴉彩鳳=彩鳳随鴉
 (ずいあさいほう=随蛙西法?)
 劉将孫「沁園春」
 ↓↑
 随縁放曠
 (ずいえんほうこう=隋援奉公?)
   どんな因縁にも縛られることなく
   気の向くまま自由に振舞うこと
   因縁に任せて物事にこだわらず
   のびのびとしていること
  「随縁」は縁に従って物が生まれて変化すること
  「放曠」はなにものにも縛られず心が自由なこと
 ↓↑
 意到りて筆随う
 (いいたりてふでしたがう)
 思いのままに筆が動いて文章が書けること
 自分が書く気になれば
 筆がひとりでに随ってくるという意
 『春渚紀聞』
 ↓↑
 影の形に随うが如し
 (かげのかたちにしたがうがごとし)
 いつもいっしょにいて離れないこと
 ↓↑
 随徳寺をきめる
 (ずいとくじをきめる)
 後先かまわずに一目散に逃げ出すこと
 「ずいと出て行く」をしゃれで
 寺の名に仕立てた
 「一目散」を山号になぞらえて
 「一目山隋徳寺」とも
 ↓↑
 善悪の報いは影の形に随うが如し
 (ぜんあくのむくいは
  かげのかたちにしたがうがごとし)
 ↓↑
 水は方円の器に随う
 (みずはほうえんのうつわにしたがう)
ーー↓↑ーー
 紀元前333年
 ローマ暦年
 ローマ建国
 紀元421年
 干支 戊子
 日本
 皇紀328年
 孝安天皇六十年
 中国
 周=顕王三十六年
 秦=恵文君五年
 楚=威王七年
 斉=威王二十四年
 燕=文公二十九年
 趙=粛侯十七年
 魏=恵王後元二年
 韓=昭侯三十年
 ↓↑
 マケドニア王国
 アレクサンドロス3世
 小アジア西部を攻撃
 リュキア
 ピシディア
 を征服
 ↓↑
 アケメネス朝
 ペルシア
 ダレイオス3世
 ペルシアに亡命していた
 ギリシア人傭兵隊長
 カリデーモスを
 イッソスの戦いへの準備をしたとし処刑
 ↓↑
 アレクサンドロス3世
 キリキアでの
 イッソスの戦いで
 ペルシア軍に大勝
 ダレイオス3世は
 妻
 2人の娘
 母の
 シシュガンビス
 多くの財宝を残して逃亡
 家族は
 アレクサンドロス3世
 に捕らえられたが、厚遇
 ↓↑
 アレクサンドロス3世
 将軍ネアルコスを
 新しく得た
 リュキア
 パンフィリアの
 サトラップに
 将軍
 アンティゴノス1世を
 フリギアの
 サトラップにした
 ↓↑
 ペルシア軍を拠点から孤立させるため
 イッソスから南の
 シリアとフェニキア
 まで進軍
 ビブロス
 サイダ
 を得ると
 ティルス
 を包囲攻撃
 ダレイオス3世からの
 和平を求める手紙の返事として
 アレクサンドロス3世は
 ダレイオス3世の
 無条件降伏を要求
 ↓↑
 中国
 楚が
 斉を攻撃
 斉軍を破り
 徐州を包囲
 斉の
 田嬰が
 張丑を派遣し
 楚の
 威王を説得すると
 楚は軍を返した
ー↓↑ーーー
 紀元前133年
 干支 戊申
 日本
 開化天皇二十五年
 皇紀528年
 中国
 前漢 元光二年
 ↓↑
 ローマ
 執政官
 ルキウス・カルプルニウス・ピソ・フルギ
 と
 プブリウス・ムキウス・スカエウォラ
 ヌマンティア戦争
 スキピオ・アエミリアヌス
 率いるローマ軍により
 ヌマンティアが陥落
 ティベリウス・グラックスが
 護民官
 無産市民救済のための
 「センプロニウス農地法」を提出
 元老院支持者によって殺害
 ティベリウスの死を契機に
 ローマは
 「内乱の一世紀」へ突入
 アッタロス朝
 (ペルガモン王国)の
 国王アッタロス3世が死去
 遺言により
 王国がローマへ遺贈
 ↓↑
 中国
 六月
 李広
 らが率いる30万の前漢軍が
 朔州で
 匈奴軍を迎撃した
 (馬邑の役)
ー↓↑ーーー
 紀元前33年
 干支 戊子
 日本
 崇神天皇六十五年
 皇紀628年
 中国
 前漢 竟寧元年
 朝鮮
 高句麗 東明聖王五年
 新羅 赫居世二十五年
 檀紀2301年
 仏滅紀元 511年
 ↓↑
 アレクサンダー・ヘリオスが
 メディア王国の
 イオタパ姫と結婚
 アウグストゥスが
 2度目の執政官
 もう1人は
 ルキウス・ウォルカキウス・トゥッルス
ー↓↑ーーー
 紀元前3年
 干支 戊午
 日本
 垂仁天皇二十七年
 皇紀658年
 中国
 前漢 建平四年
 朝鮮
 高句麗 瑠璃明王十七年
 新羅 赫居世五十五年
 百済 温祚王十六年
 ↓↑
 前漢建平四年、正月
 大規模旱害
 西王母騒動
 民衆は
 西王母を祀り踊り
 各地に伝わり
 秋に収束
ー↓↑ーーー
 3年
 干支 癸亥
 日本
 垂仁天皇三十二年
 皇紀663年
 中国
 前漢 元始三年
 朝鮮
 高句麗 瑠璃明王二十二年
 新羅 赫居世六十年
 百済 温祚王二十一年
 ↓↑
 前漢元始三年
 王莽
 礼制・学制の改革開始
 帝舅衛氏
 何武・・・何の武?
 鮑宣
 の漢の忠臣を殺害
 ↓↑
 高句麗
 瑠璃明王
 卒本城から
 丸都城に遷都
 ↓↑
 垂仁天皇の皇后
 日葉酢媛命が崩御
 野見宿禰
 が
 埴輪を考案
 ↓↑
 誕生
 パウロ、キリスト教の伝道者
 『新約聖書』の著者の一人(~67年頃)
ー↓↑ーーー
 13年
 干支 癸酉
 日本
 垂仁天皇四十二年
 皇紀673年
 中国
 新 始建国五年
 朝鮮
 高句麗 瑠璃明王三十二年
 新羅 南解王十年
 百済 温祚王三十一年
 ↓↑
 アブガルス5世
 オスロエネ(エデッサ)王に復位
 ティベリウス
 ゲルマニアからローマに凱旋
 ストラボン
 地球の形状に関する本を出版
 オウィディウス
 Epistulae ex Pontoの1~3巻を出版
 ↓↑
 死去
 王政君=元帝(劉奭)の皇后(紀元前71年)
ー↓↑ーーー
 33年
 干支 癸巳
 日本
 垂仁天皇六十二年
 皇紀693年
 中国
 後漢 建武九年
 隗囂 漢復十一年・・・
 公孫述 龍興九年
 朝鮮
 高句麗 大武神王十六年
 新羅 儒理王十年
 百済 多婁王六年
 ↓↑
 ガルバ
 ローマ執政官
 ローマで金融危機
 ティベリウス帝
 貸付銀行設立
 ↓↑
 後漢
 建武九年
 光武帝
 隴西を平定
 隗囂
 病死
 八月
 その子
 隗純を追撃し
 来援した
 公孫述・・・
 の将
 田弇
 趙匡
 を撃破
 匈奴が
 北部国境を襲撃
 対策として呉漢らを派遣
 百済
 多婁王
 初めて
 稲田(陸稲)を作らせる
 ↓↑
 死去
 十月十八日
 大アグリッピナ
 初代ローマ皇帝
 アウグストゥスの孫娘(紀元前14年)
ー↓↑ーーー
 133年
 干支 癸酉
 日本
 成務天皇三年
 皇紀793年
 中国
 後漢 陽嘉二年
 朝鮮
 高句麗 太祖王八十一年
 新羅 祇摩王二十二年
 百済 蓋婁王六年
ー↓↑ーーー
 233年
 干支 癸丑
 日本
 神功皇后摂政三十三年
 皇紀893年
 中国
 魏 太和七年、青龍元年
 蜀 建興十一年
 呉 嘉禾二年
 朝鮮
 高句麗 東川王七年
 新羅 助賁王四年
 百済 仇首王二十年
 ↓↑
 237~238~239
    卑弥呼 使者を魏に派遣
ー↓↑ーーー
 333年
 干支 癸巳
 日本
 仁徳天皇二十一年
 皇紀993年
 中国
 東晋 咸和八年
 後趙 建平四年
 成漢 玉衡二十三年
 前涼 建興二十一年(西晋元号を継続使用)
 代 烈皇帝(拓跋翳槐)五年
 朝鮮
 高句麗 故国原王三年
 百済 比流王三十年・・・比較、王の流れ
 新羅 訖解王二十四年
ー↓↑ーーー
 干支 癸酉
 日本
 允恭天皇二十二年
 皇紀1093年
 中国
 宋 元嘉十年
 北魏 延和二年
 北涼 義和三年、承和元年
 北燕 太興三年
 朝鮮
 高句麗 長寿王二十一年
 百済 毗有王七年
 新羅 訥祇王十七年
ー↓↑ーーー
 1333年
 4月9日
 (正慶二年=元弘三年閏二月二十四日)
 後醍醐天皇
 配流先の
 隠岐を脱出して京へ向かう
 ↓↑
 1334年
 干支 甲戌
 日本
 元弘四年、建武元年一月二十九日~
 皇紀 1994年
 中国
 元 元統二年
 朝鮮
 高麗 忠粛王(重祚)三年
ー↓↑ーーー
 1333年
 干支 癸酉
 日本
 後醍醐天皇 元弘三年
 光厳天皇 正慶二年(五月二十五日まで)
 皇紀 1993年
 中国
 元 至順四年、元統元年十月八日~
 朝鮮
 高麗 忠粛王(重祚)二年
ー↓↑ーーーー
 現存『古事記』の写本
 「伊勢本系統」の
 1371年
 南朝 建徳二年
 北朝 応安四年
 ~
 1372年
 南朝 文中元年
 北朝 応安五年
 真福寺の僧
 賢瑜によって写された
 真福寺本『古事記』三帖(国宝)
 奥書
 祖本は
 上・下巻が
 大中臣定世 本
 中巻が
 藤原通雅 本
 ↓↑
 道果本
 上巻の前半のみ
 南朝 弘和元年
 北朝 永徳元年
 1381年 写
 ↓↑
 道祥本
 上巻のみ
 応永三十一年
 1424年 写
 ↓↑
 春瑜本
 上巻のみ
 応永三十三年
 1426年 写
 ↓↑
 の
 道果本系
 三本は
 真福寺本に近く
 伊勢本系統
 ↓↑
 矢田部 公望
 (やたべ の きんもち)
 平安時代中期の官人・学者
 矢田部稲吉
 あるいは
 大内記
 矢田部名実
 の子
 官位
 外従五位下・文章博士
 ↓↑
 延喜四年(904年)
 日本紀講筵に
 尚復として参加
 『日本書紀私記』の一つである
 『延喜公望私記』を著
 ↓↑
 左少史・権少外記を経て
 承平二年(932年)
 外従五位下・大外記に叙任
 承平3年(933年)
 阿波介・・・
 に任ぜられた
 承平6年(936年)
 日本紀講筵で
 文章博士として講師
 ↓↑
 『日本書紀私記』の一つである
 『延喜公望私記』は
 父
 または
 兄弟とされる
 矢田部名実
 の残した
 『元慶私記』に
 公望が自説を加えることで成立・・・
 散逸、逸文として
 『釈日本紀』
 『和名抄』
 等に伝わっている
 『先代旧事本紀』の作者・・・
 ↓↑
 矢田部公望は
 「古事記」を
 編年体でないことで低く評価
 『先代旧事本紀』の方が
 より古い史書と主張・・・
 ↓↑
 不慮=思いがけないこと・不意・意外
 ↓↑
 度会 家行
 (わたらい いえゆき)
 康元元年(1256年)
 ~
 正平六年
 観応二年
 1351年・・・?
 伊勢神宮の
 外宮(豊受大神宮)の神官
 伊勢神道の大成者
 没年は
 正平十七年
 貞治元年
 1362年・・・?
 という説もある・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・怪しい「古事記・乞食・コジキ」・・・
 あず たい夢 ごゥす 唄(バイ)・・・

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