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コジキジゲン

横島炭坑・ヨコシマの探考(単行・単項・単向)⇒会稽

2019-02-28 20:46:36 | 古事記字源
 「炭鉱で栄えるも突然海底に・・・
 「横島」の調査開始 長崎沖
  NHK TV
  2019年2月26日 18時18分」
 ↓↑
 北緯33度22分23.0秒
 東経129度51分19.7秒
 長崎県
 松浦市(まつうらし)・・・松浦武四郎=松浦竹四郎
              諱は弘・雅号は北海道人(ほっかいどうじん)
 福島町(ふくしまちょう)・・・同名の東北の福島県
                福島県1876年(明治9年)8月21日
                会津の前身にあたる若松県
                中通りの前身にあたる福島県(1876年以前)
                浜通りの前身にあたる
               「磐前(いわさき)」県
                  ・・・岩崎 弥太郎
                     天保5年12月11日~明治18年
                    (1835年1月9日)~(1885年2月7日)
                      甲午・正財正官⇔乙酉
                      丁丑・偏官食神⇔戊寅
                      辛丑・  食神⇔癸巳
                      辰巳=空亡

                     三菱財閥の創業者で初代総帥

                の合併によって
                福島県が成立
                県名の福島は3県合併によって
                県庁所在地となった福島町(福島市)から採った
               「福島」の名は、福島城から
                浜通りには、広大な面積を持ち
                かつては「炭鉱」都市であった
 喜内瀬-免(きないせ-めん)
 横穴式石室古墳
 場所 横島古墳
 長崎県松浦市の福島の古墳
 ↓↑
 北緯32度41分16.4秒
 東経129度48分35.5秒
 横島は
 長崎県長崎市
 香焼(こうやぎ)町にある・・・香焼(コウショウ=考証)
 無人島
 長崎市の沖合にあり
 炭鉱の島として栄えた
 昭和40年ごろ
 突然、大部分が沈んでしまった
 ↓↑
 長崎県の横島・・・よこしま=奸・邪・侫・左・姦・辟・違・慝・䜛・讒
               犯・冒・姦・菅・横嶌・ム(私)・己・横縞
 地下炭鉱が発見され
 1897年に採掘がスタート
 1902年に廃坑
 ↓↑
 横 島 炭 坑・・・ヨコシマの探考(単行・単項・単向)?・・・会稽
 端島
 明治23年8月11日継承)より遅く
 明治27年6月5日に
 三菱に継承
 閉山は
 明治35年1月
 「閉山後、島を支えていた
  石垣は取りはずされ
  端島方面に運ばれた
  埋め立てた土砂は
  残らず流失し岩礁と化す」
 ↓↑
 炭鉱で栄えるも突然海底に海没した横島
 2019年2月26日 18時18分 NHK・TV
 ↓↑
 長崎市の沖合にあり炭鉱の島として栄え
 昭和40年ごろ突然、大部分が沈んでしまった
 沈んだ原因を探ろうと調査
 長崎市
 香焼町の沖合およそ600メートルにある
 「横島」は
 明治30年代「軍艦島」の名前の
 端島などと同じ炭鉱の島として栄えた
 ↓↑
 閉山後の昭和40年ごろ島の大部分が海底に沈没
 今は2つの岩礁が残るのみ・・・
 京都大学の研究チームが
 島が沈んだ原因を探る調査を26日から開始
 ↓↑
 横島(よこしま)は
 長崎県長崎市香焼町にある島(無人島)
 香焼町安保(あぼ)の南西約700m沖に位置
 ↓↑
 明治時代中期に炭鉱として島全体が開発
 炭鉱自体は短期間で閉山
 昭和時代中期から島の沈下崩壊が進み
 ほとんどが水没し
 岩礁が東西2つに分かれ残存
 ↓↑
 明治時代初期
 東西330m、南北61mの島
 本島の南西にある
 高島で高島炭鉱の採掘を行っていた
 三菱合資会社が
 1894年(明治27年)より
 本島においても炭鉱開発に着手
 1895年(明治28年)
 立坑入気坑(80m)排気坑(67m)を掘った
 1897年(明治30年)に
 島の周囲の埋め立て
 1898年(明治31年)より出炭を開始
 島内には発電所が設置
 香焼村で初めて通電地域となった
 島の人口は約700人
 香焼村の総人口の約3分の1を占めた
 島内には、住宅のほかに病院や小学校が設置
 1902年(明治35年)
 閉山
 閉山後
 埋立のために築かれた石垣は撤去され
 三菱社が運営する端島などで再利用
 昭和40年代
 地盤沈下によって徐々に島は海没
 小さな2つの岩礁が残存しているのみ
 ↓↑
 横島炭鉱(よこしまたんこう)
 長崎県長崎市
 香焼町安保(あぼ)の
 南西約700m沖に位置する無人島
 横島に位置
 ↓↑
 地圧によって坑道が盤ぶくれを起こし
 操業を断念
 1902年(明治35年)に閉山
 ↓↑
 明治25年
 長崎の尾上栄文と峯眞興が五尺層を発見
 明治27年6月5日
 三菱が鉱区を譲受ける
 明治30年2月
 出炭開始
 明治34年6月
 西部で断層突破出来ず起業工事を中止
 東部も断層に阻まれる
 明治35年1月
 廃坑
 ↓↑
 磐膨れ・・・岩石が湿気を含んだり
       両側の重圧のため
       坑道の下磐がふくれ上がること
 下磐・・・・炭層のすぐ下部にある岩磐
 磐打ち・・・下磐のふくれ上つた時
       また車道を下げる時に
       下磐を掘り下げる作業
 ↓↑
 横島
 国土地理院ウェブサイト
 伊能大図彩色図(肥前 長崎)
 に記載
 伊能大図彩色図の香焼嶋は
 白く塗られてい
 同じ地図に記載の
 端島も同様に白く塗られ
 横島は海面の色と同じで
 線により示されているだけ
 横島は
 一つの島(瀬)ではなく
 複数に分かれている・・・
ーーーーー
 「よこしま」です・・・


現存・古事記・漢字源の世界(1)・再三考
http://book.geocities.jp/kiriyatomeri/kiriwake5/kirikoji1.html

現存・古事記・漢字源の世界(2)・再三考
http://book.geocities.jp/kiriyatomeri/kiriwake5/kirikoji2b.html

現存・古事記・漢字源の世界(2のb)・再三考
http://book.geocities.jp/kiriyatomeri/kiriwake5/kirikoji2b.html

古事記・漢字源の世界(3)
http://book.geocities.jp/kiriyatomeri/kiriwake5/kirikoji3.html

古事記・漢字源の世界(4)
http://book.geocities.jp/kiriyatomeri/kiriwake5/kirikoji4.html

 ↓↑ ↓↑
 ヱ=ア+エ=発音記号「a=a+e」
      =「了+一」=終始
      =「乛(一・オウ)+丄(上・ジョウ)」
 ↓↑ ↓↑    ↓↑ ↓↑
 母音
ɪ e a ɒ
ʌ ʊ iː ɑː
ɔː uː ɜ: ə
eɪ aɪ ɔi aʊ
əʊ ɪə eə ʊə
 子音
p b t d
k g f v
θ d s z
ʃʒ h t ʃ
dʒ m n ŋ
l r j w
 ↓↑ ↓↑    ↓↑ ↓↑
 わ行 ワヰ ヱヲ
    ン ヴ
    わゐ ゑを
  ん ぶ
    「ゐ=為」の草体・「居・為・井」
    「ヰ=井」
    「ゐ・ゑ・ヰ・ヱ」
 「ヸ(ヴィ)、ヹ(ヴェ)」
 「ヸ」は「イ」と「ギ」の中間
 「ヹ」は「エ」と「ゲ」の中間・・・
 ↓↑ ↓↑    ↓↑ ↓↑
 「やいゆえよ」・・冶意故(結え)余(世・代・與・予)?
 「やゐゆゑよ」・・矢亥遊重世?
 ↓↑ ↓↑    ↓↑ ↓↑
 和(わ)遠(を)无(ん)=一 +尢=二+丿+乚=無
 和は  遠くて無い
 和(倭・葉)音
 話は  雄(尾)の夢(武)
 わおん=把闇・倭遠・我恩
   ん=ゥぐ=ム=私=よこしま=己=吾=我
         「无=無=𣠮」
          𣠮=𡘲+亡+林
           =一+人+廿+廿+亠+乚+林
           =一+人+廿+廿+亡+林
           =𣠮=𡘲+林
          異体字「無」
          異体字「無・无・𣟒」
          無=𠂉+廿+廿+灬
           =𠂉+共+共
            灬=火・烈火
            灬⇔心=異体字「忄・㣺」
                心呂=心臓・股肱の臣
                呂=声や楽器の低音域
                  背骨
 ↓↑ ↓↑    ↓↑ ↓↑
         『説文解字』に無、豐也
         「从𡘲从林。大+𠦜、數之積也。
          林者、木之多也。
          𠦜與庶同意『書・洪範』庶草蕃橆。
         『唐韻』隷省作無、今借爲有無字。
         『字彙』橆、古文蕃橆字。
             有無之無、則用无字。
          秦以橆作无、李斯又改作無、後因之。
         『正韻』繁橆、『今文尚書』作廡。
          橆、廡義同。
 ↓↑ ↓↑    ↓↑ ↓↑
          無、亡也。从亡、無聲。
         「無=消去」、「亡」を要素、発音は「無」。
         「林」部の「無」
         「無、豐也。从林、𡘲。
          𡘲、或説規模字。从大、𠦜。
          𠦜、數之積也=林者、木之多也。
          無與庶同意。『商書』曰=「庶草繁無」
         「無」とは豊か
         「林」と「𡘲」とが要素
         「𡘲」=規模の「模」と同じ
         「𡘲」=「大」と「𠦜」とを要素し
         「𠦜」=数が多く積み重なっていること
         「林」とは木が多いこと
         「無」と「庶」=多いと意味が同じ
         『尚書』商書に「庶草繁無」
         「段玉裁」は
         「無という字は、元々草木が茂るの意味
          隸書で、有無の無で
          亡ではない「無」を代用し
          草木が茂る漢字には、
         「廡」や「蕪」を用いた」・・・
         「無」は植物が多いこと
         「無」は物の存亡

          無=袖に呪飾をつけて舞う人
            下に両足「舛」を加えて「舞」
            人の舞う形で、舞の初文
            卜文に無を舞雩(ぶう)の字に用い
            ときに雨に従う形に作る
            有無の無の意に用いるのは仮借
            のちもっぱらその仮借義に用いる(字通)
            原字は、
            人が両手に飾りを持って舞うさま
            のちの舞(ブ・ム)の原字
            無は亡(ない)+音符の舞(ブ・ム)
            の略体(漢字源)・字通
         
          通仮字「亡・妄」
          異体字「无・𠑶・𠘩・𤀢・𡙻・𣑨・𣚨
              橆・𣟒・𣠮・𤍍・㷻・蕪・𣞤・芜」
         

 by 検索 ツール
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=mcafeess1&p=%F0%A1%98%B2+%E6%BC%A2%E5%AD%97
 ↓↑ ↓↑    ↓↑ ↓↑
 あいうえお=安きは以て宇(そら)の衣(ころも)でおおう
 かきくけこ=幾を加え久く己(よこしま)を計る
 さしすせそ=左(ひだり)の之を寸(はかる)世のかさね
 たちつてと=太(おほの)知る川を天に止める
 なにぬねの=奈(なんぞ)仁の奴の禰の乃(すなわち)
 はひふへほ=波(なみ)比べ部を保てず
 まみむめも=末美武女の毛(髪)
 やゐゆゑよ=也為す由恵与
 らりるれろ=良い利留める禮(礼)

 安(あ)以(い)宇(う)衣(え)於(お)
 加(か)幾(き)幾(く)計(け)己(こ)
 左(さ)之(し)寸(す)世(せ)曽(そ)
 太(た)知(ち)川(つ)天(て)止(と)
 奈(な)仁(に)奴(ぬ)称(ね)乃(の)
 波(は)比(ひ)不(ふ)部(へ)保(ほ)
 末(ま)美(み)武(む)女(め)毛(も)
 也(や)為(ゐ)由(ゆ)恵(ゑ)与(よ)
 良(ら)利(り)留(る)礼(れ)呂(ろ)

 安加左太奈波末也良・・・案を加え作る、おほの(太)の名は未だ良きナリ
 以幾之知仁比美為利・・・
 宇幾寸川奴不武由留・・・
 衣計世天称部女恵礼・・・
 於己曽止乃保毛与呂・・・

 良(ら)也(や)末(ま)波(は)奈(な)太(た)左(さ)加(か)安(あ)

 利(り)為(ゐ)美(み)比(ひ)仁(に)知(ち)之(し)幾(き)以(い)

 留(る)由(ゆ)武(む)不(ふ)奴(ぬ)川(つ)寸(す)久(く)宇(う)

 礼(れ)恵(ゑ)女(め)部(へ)称(ね)天(て)世(せ)計(け)衣(え)

 呂(ろ)与(よ)毛(も)保(ほ)乃(の)止(と)曽(そ)己(こ)於(お)

 ア行 阿 安 英 足
 カ行 可 何 加 架 香 蚊 迦
 サ行 左 佐 沙 作 者 柴 紗 草 散
 タ行 太 多 他 丹 駄 田 手 立
 ナ行 那 男 奈 南 寧 難 七 名 魚 菜
 ハ行 八 方 芳 房 半 伴 倍 泊 波 婆
    破 薄 播 幡 羽 早 者 速 葉 歯
 マ行 万 末 馬 麻 摩 磨 満 前 真 間 鬼
 ヤ行 也 移 夜 楊 耶 野 八 矢 屋
 ラ行 良 浪 郎 楽 羅 等
 ワ行 和 丸 輪
 ガ行 我 何 賀
 ザ行 社 射 謝 耶 奢 装 蔵
 ダ行 陀 太 大 嚢
 バ行 伐 婆 磨 魔
ーーーーーー
 ・・・

コメント
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多蒋敷=太安万侶の祖父・豊璋の妻は多蒋敷の妹?

2019-02-26 23:27:23 | 古事記字源

 女帝達の時代・・・女に課せられた義務ではなく、女が序列で得た独裁権利・・・
 則天武后の時代の倭国・高句麗・百済・新羅・・・
 新羅・第二十七代王・善徳女王(在位632~647年)・姓は金、諱は徳曼
 新羅・第二十八代王・真徳女王(在位647~654年)・姓は金、諱は勝曼
 日本・第四十一代 ・持統天皇(在位690年2月14日
               ~697年8月22日)・諱は鸕野讚良
ーーーーー
 則天武后
 在位期間 690年10月16日~705年2月22日
 都    洛陽
 姓・諱  媚娘→武照(武曌)
 諡号   則天大聖皇帝
      則天順聖皇后
 生年   武徳七年1月23日
      (624年2月17日)・・・645年(大化の改新)
 没年   神龍元年11月26日・・・ 660年(百済滅亡)・663年(白村江の戦)
      (705年12月16日)・・ 703年1月13日(大宝二年十二月二十二日
               持統天皇死没・大宝三年・12月17日の火葬?)

                  大宝二年(702年)12月13日に発病
                  12月22日崩御・1年間の殯(もがり)の後
                  大宝三年(703年)
                  火葬され天武天皇陵に合葬
                  天皇の火葬はこれが初
 父    武士彠         
 母    楊夫人
ーーーーー
 景龍四年(710年)・・・・・・・・710年
 干支=庚戌
 日本
 和銅三年
 皇紀1370年
 中国
 唐 景龍四年
 唐 隆元年
   景雲元年
 四月十三日(和銅三年三月十日)
 元明天皇
 藤原京~平城京に遷都
 唐で、安西節度使が設置
 劉知幾、『史通』を撰述
  ↓↑
 死去
 1月28日(和銅2年12月20日)
 下毛野古麻呂、飛鳥時代の貴族
 11月9日(和銅3年10月14日)
 黄書大伴、飛鳥時代の守
 安楽公主、唐の中宗の娘(684年~)
 韋皇后、唐の中宗の皇后
 実叉難陀、唐代の訳経僧(652年~)
 僧伽、唐代の僧(628年~)
 中宗、唐の第4代皇帝(656年~)
 李重福、唐の皇族、中宗の庶長子(680年~)
  ↓↑
 711年
 干支 辛亥
 日本
 和銅四年
 皇紀1371年
 中国
 唐 景雲二年
  ↓↑
 伏見稲荷建立。
 上野国に多胡郡設置
 (日本三大古碑の一・多胡碑建立)
 万廻(マンエ・萬迴)
 632年・貞観六年~711年・景雲二年)
 唐代の神異・風狂の僧
 号は法雲公
 『宋高僧伝』巻十八
 「唐-虢州-閿郷-萬迴伝」の記録
  ↓↑
 712年
 干支 壬子
 日本
 和銅五年
 皇紀1372年
 中国
 唐 景雲三年、太極元年、延和元年、先天元年
 3月9日(和銅五年一月二十八日)
 「古事記」完成、元明天皇に献上
 出羽国を新たに設置
 誕生
 杜甫、唐の詩人(詩聖)
 (~770年)
 770年
 干支 庚戌
 日本
 神護景雲四年、宝亀元年
 皇紀1430年
 中国
 唐 大暦五年
 8月
 弓削道鏡が失脚、下野に配流
 9月
 和気清麻呂らを召還
 10月23日(神護景雲四年十月一日)
 瑞亀献上により改元
 10月23日(宝亀元年十月一日)
 白壁王即位
 第四十九代
 光仁天皇
  ↓↑
 8月28日(神護景雲四年八月四日)
 正徳・孝謙天皇(阿部皇女)・・・阿部
 第46・48代天皇(718年~)
  ↓↑
 10月31日 (宝亀元年十月九日)
 文室浄三 (693年~)
 阿倍仲麻呂・・・・・・・・・・・阿部
 奈良時代の遣唐留学生(698年~)
 中国名
 朝衡=晁衡
 筑紫大宰帥・阿倍比羅夫の孫
 中務大輔・阿倍船守の長男
 弟は阿倍帯麻呂
 唐王朝
 玄宗皇帝の
 図書館長
 秘書監・衛尉卿
 左散騎常侍(従三品)
 鎮南都護・安南節度使(正三品)
 ベトナム総督
 天平宝字五年(761年)から
 神護景雲元年(767年)まで6年間
 ハノイの安南都護府に在任
 天平神護二年(766年)
 安南節度使を授けられた
 最後は潞州大都督(従二品)
  ↓↑
 岑参、唐の詩人 (715年~)
 杜甫、唐の詩人、詩聖(712年~)
ーーーーー
 650年2月15日
 孝徳天皇
 白雉改元・・・白雉=しろキジ
          =白 記事・白生地
          =斯盧黄地・新羅木地
 白雉献上の儀式に
 豊璋が出席
 豊璋は日本の百済人質
 太安万侶の一族の
 多蒋敷・・・多蒋敷(おほのこもしき)
  ↓↑   「出自謚神武皇子神八井耳命」
       『古事記』中巻
       『日本書紀』巻第四綏靖天皇即位前紀に
       『和州五郡神社神名帳大略注解』所引の
       久安五年(1149年)の
       「多神社注進状」に
       「蒋敷は太安万侶の祖父」とされている
       『日本書紀』巻第二十七
       天智天皇即位前紀
       斉明天皇七年(661年)
       同母妹を
       百済王族の
       扶余豊璋の妻とした
  ↓↑   豊璋には織冠が授けられた
 の妹を
 豊璋に娶わせていた・・・
 倭兵5000と
 軍船170艘で
 百済へ30年ぶりに帰国
  ↓↑
 663年8月27、28日
 倭国水軍は唐-新羅軍と
 白村江(白江、白馬江)で衝突し
 大敗
 豊璋は数人の従者と共に高句麗に逃亡
 高句麗も
 668年
 に唐に滅ぼされ
 豊璋は高句麗王族らと
 唐都に連行
 高句麗王の
 宝蔵王らは許され唐の官爵を授けられ
 豊璋は嶺南地方に流刑
  ↓↑
 「日本書紀(推古三十五年・627年)」
 「夏五月、蝿有り、聚集れり
  その凝り累なること十丈ばかり
  虚に浮かびて以て信濃坂を越ゆ。
  鳴く音雷の如し。
  すなわち東のかた上野国に至て散りぬ」
 「蝿の群れ」=蜜蜂?
  ↓↑
 「日本書紀(皇極二年・643年)」
 「百済の太子余豊、
  蜜蜂の房四枚をもって三輪山に放ち、養う。
  しかれどもついに蕃息(うまわ)らず」
 養蜂の初め
  ↓↑
 奈良時代
 三韓からの蜂蜜献上
 天平十一年(739年)
 渤海国から
 「文王致聖武天皇書」に添え
 「大虫皮、羆皮各七張
  豹皮六張、人参三十斤
  蜜三斤」
 と記録
 天平宝字四年(760年)
 五大寺に使を遺わし
 毎寺雑薬二櫃と
 蜜缶1口とを施す
 と記録
  ↓↑
 平安時代
 「延喜式(905~927年)」
 「蜜、
  甲斐国一升
  相模国一升
  信濃国一升
  能登国一升五合
  越後国一升五合
  備中国一升
  備後国二升」
 別の箇所に
 「摂津国蜂房七両
  伊勢国蜂房一1斤十二両」
 を献上と記録
  ↓↑
 柞=木+乍
   ははそ=コナラの別名
   クヌギ(櫟・国木・歴木・樟・椚木)
   ↓↑  ↓ ↑  ↓  ↑  ↓
   句抜き(櫟=木+楽・國+木・木+章・木+門+木)
   ↓↑    ↓    ↑ ↓   ↑ 
         記紀  記紀 記紀 記紀 記紀
         楽学  古句  章  文 聞
   ↓↑       
   ミズナラ(水楢)などを含めて呼んだ・・・
   観事奈良(名等・あすか=飛鳥・明日香)
   ↓↑
   誤って
   カシワ(柏=記紀+新羅
       栢=記紀+百済
       槲=記紀+斛(コク=國・ゴク=語句)
         斛=角+斗
           ます・ますめ
           桝・舛・枡・升
           斗斛⇔北斗七星
              小熊座⇔大熊座=大隈座
                  大隈重信?
              柄杓(ヒシャク)
           容量の単位・十斗
           斗斛(トコク)・万斛(バンコク)
           訳古句・都國   萬古句・萬國
       神集=神代・記紀上記
          示し申す隹
             (舊とり・旧とり・古とり
              尾短の鳥
              毘胆・尾譚・備譚

              短尾の鳥
             「耽美・嘆美・歎美」
          舊とり=舊字體=舊漢字
          篩(ふるい・sieve)
       郡柏=君阜(岐阜)・紀伯・記紀新羅
       膳=肉(ジク・にく)+善
           字句・似句 羊(筆字)が晋
        =かしわで=柏手=膳部=高橋
       可士和)
   ↓↑      
   をいうこともある・・・
   (季 秋⇔記 安芸・阿記)
   語頭の
   2音が同音(はは・ハハ)で
   母の意にかけて用いる・・・双葉
  ↓↑
 「いかにせん
  結ぶ木の実を・・・・掬ぶ
            記紀の
            實
           (拾・日・昵・暱・字通)
  待たずして・・・・・眞多事史(詞・氏)照(弖・氐))
  秋の・・・・・・・・安芸・亜紀
  ははそ(柞)に・・・母祖・葉把素(蘇・會・措)
  落つる・・・・・・・乙津留
  山風」・・・・・・・纂(サン=簒・篹・籑・算)
            封(附得・符有)          
 ↓↑ 
 海道記=かいどうき・カイダウキ
 鎌倉時代の紀行・一巻・作者未詳・・・時代もんかどうか?
 貞応二年(1223)・・・・・・・帝王(綴負似撚)?
 京都と鎌倉間の
 東海道を往復した際の紀行・・・
 文体は漢文脈の濃い和漢混交文
 仏教思想の影響が強い
  ↓↑
 「膳夫」の長官を「膳臣」
 『日本書紀』・『高橋氏文』によると
 「大彦命の孫
  磐鹿六鴈(いわかむつかり)命が
  景行天皇53年10月の東国巡幸の際に
  供膳の功績で
  膳臣(かしわでのおみ)の姓と
  膳大伴部を賜った・・・」
 「武蔵国造や
  安房国造の名前に
  膳大伴部
  膳大伴直」
 「膳臣」の
  若狭国造も存在した
  これらの集団は
  海産物を掌握する
  安曇連配下の
  海部(あまべ)とともに
  大王(天皇)への食料供給を担当
  養老令制で
  膳部が品部として所属し
  宮内省
  大膳職が160人
  内膳職が40人
  東宮主膳監が60人とある
  このほか
  大神社にも
  膳夫が設置された
  ↓↑
  天武天皇十三年(684年)十一月1日条
  膳氏は「朝臣」の姓を与えられた
  膳朝臣はのちに氏名を
 「高橋」に改めた
  平安時代
  高橋氏
  と
  安曇氏
  が膳部を担当し
  内膳司長官の奉膳職を世襲した
  ↓↑
 貞応二年(1223)・・・1+2+2+3=8
 干支=癸未
 日本
 貞応二年
 皇紀1883年・・・1+8+8+3=20⇔2+0=弐・似・仁
 中国
 南宋  嘉定十六年
 金   元光二年
 大真国 天泰九年
 中国周辺
 西夏   光定13年、乾定元年旧12月~
 モンゴル 太祖(チンギス・ハーン)十八年
 大理国  天開十九年
 朝鮮
 高麗   高宗十年
 ↓↑
 誕生
 一条 実経 は、鎌倉時代の公卿
 従一位、摂政 関白、左大臣
 五摂家の一・一条家の祖
 号に円明寺殿、後一条入道関白
 法名に行雅、行雄、行祚
 通称は円明寺関白
 死没
 宣宗、金の第8代皇帝(~1163年)
 ↓↑
 1222年
 干支 壬午
 日本
 承久四年、貞応元年四月十三日~
 皇紀1882年・・・1+8+8+2=19・・・1+9=10
 中国
 南宋  嘉定十五年
 金   興定六年、元光元年8月9日~
 大真国:天泰八年
 中国周辺
 西夏  光定十二年
 モンゴル帝国
 太祖(チンギス・ハーン)十七年
 大理国 天開十八年
 朝鮮
 高麗  高宗九年
 ↓↑
 誕生
 3月30日(貞応元年二月十六日)
 日蓮
 鎌倉時代の僧
 日蓮宗開祖(~1282年)
 唯円、鎌倉時代の浄土真宗の僧(~1289年)
 ↓↑
 死亡
 6月29日(貞応元年五月十九日)
 河野通信
 平安時代、鎌倉時代の武将(1156年~)
 伊予水軍の将 時宗開祖
 一遍の祖父・・・「自修改組一変」?
ーーーーー
 ・・・???・・・

コメント
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多胡=おほのえびす・たこ=鮹・章魚・蛸・おくとぱす?

2019-02-25 23:02:37 | 古事記字源

 作史三長・・・錯視三帳(纂調・簒貼・算重)?
 作史三長(サクシのサンチョウ)
 歴史書を
 著作・編集するのに
 歴史家に必要な三つの長所
  才知・学問・識見
 (『唐書(劉知幾伝)』・『新唐書(劉知幾伝)』)
  ↓↑   劉 知幾(リュウチキ)
      661年(龍朔元年)~721年(開元九年)
      唐代の歴史家
      字は子玄
      名の「知幾」と
      玄宗の諱である「隆基」の同音を避け
      字の劉子玄=リュウシゲンで知られる
      徐州彭城郡(江蘇省徐州市)の人
      史学批判および体系史学理論の
      歴史書編纂の大要を記した
      最初の書
      景龍四年(710年)の・・・ 和銅三年・元明天皇
      隆元年               藤原京~平城京遷都
      景雲元年・・万廻(マンエ )=萬廻
       ↓↑    632年(貞観六年)~711年(景雲二年)死亡
       ↓↑    唐代の未来予知・予言・神異・風狂の僧
       ↓↑    号は法雲公         
       ↓↑景雲二年(711年)和銅四年・上野国に「多胡」郡設置
            多胡=おほのえびす・たこ=鮹・章魚・蛸
            タコは八本肢(Octopus)
             octo =ラテン語「8」=8本足のタコ(octopus)
            October=10月なのに「Octo(8)」 の理由は
            古代ローマ歴で3月が年始(正月・最初の月)で
                   3 月から数えて8番目の10月だった
            1・2・3・4・5・6・7・8・9・10
               1・2・3・4・5・6・7・8
       ↓↑kite(カイト)=凧=たこ=octopus(オクトパス)
       ↓↑  甲斐都・蝦夷都        奥 都八州               
       ↓↑景雲三年(712年)太極元年、延和元年、先天元年
       ↓↑    (712年)和銅五年・古事記
       ↓↑
     「史通・二十巻」を著作
      長男の
     「劉貺」・・・貺=貝+兄=目+ハ+口+儿
              カイのアニ
            通仮字
           「況」=氵+兄=いわんや
              =様子・状態
            比較する・譬える・益す
            ますます・まして・いわんや
            ここに・(貺と通じて)賜う
           「況」の
            異体字「𧵙・贶・𣍦・𧵦・𧵮」
            たまう(賜う)・キョウ・コウ
            主人が部下・使用人に物や位などを与える
      の罪に連坐し
      安州
      別駕
      の地方の属官に降格左遷
      61歳で病死
      前漢の
      楚の元王の
      劉交・・・交=亠+ハ+乂
      あるいは
      宣帝の子である
      楚の孝王の
      劉囂・・・囂=口口+頁+口口
           かまびすしい・やかましい・わずらわしい
           ゴウ・キョウ
           さわがしい
           囂囂・囂然・喧喧囂囂 (ケンケンゴウゴウ)
      の末裔
      父は侍御史の
      劉蔵器(リュウゾウキ)
        ・・・劉の蔵器
        ・・・龍 造記・・・景山 龍造?
           龍造寺 隆信
           肥前の戦国大名・龍造寺家19代当主で周家の子
           龍造寺家の中でも本家村中龍造寺家ではなく
           分家水ケ江龍造寺家の出身・「肥前の熊」と呼ばれた
  ↓↑
   サイチ=齋(歳・祭・差異)智・差位置(差位地)
   ガクモン=諤(額=客の頁)文・樂文・顎分・鰐文
   シキケン=私記(始期・屍鬼・死期・厶記・己記)懸(建)・・・?
  ↓↑
 作文三上(サクブンサンジョウ)
 文章を作る工夫をするのに、適した三つの場所
 馬上(馬に乗っているとき)
 枕上(寝床に入っているとき)
 厠上(便所にいるとき)
 三上=馬上・枕上・厠上
 (宋の欧陽脩・『帰田録』)
  ↓↑
 作礼而去(サライニコ・さらいにこ)
      讃良意似拠・拐 意爾拠?
 礼を作して去りにき
 仏の説法を聞き終えた大衆が
 仏を礼拝して去っていったこと
  ↓↑
 作物所(つくも-どころ)
 ↓↑・・・九十九・津雲・津久茂・津久毛?
     「つくも(付喪・九十九)=妖怪の名
      九十九年目に器物、道具に
      とり憑く妖怪・物の怪(もののけ)
 ↓↑    ↓↑
      百鬼夜行
     「百済=久太良=百残」の
      最期一年前(九拾九=玖拾苦)?
      660-1=659 or 663-1=662
      鬼室福信・・・
      百済の
      鬼の室の福の信が
      物の怪(もののけ)になった?
      扶余豊璋は・・・扶余豐璋=百済-義慈王(在位641年~660年)
                   の王子
           650年2月15日
           孝徳天皇
           白雉改元
        ・・・白雉=しろキジ
             =白 記事・白生地
             =斯盧黄地・新羅木地
           白雉献上の儀式に
           豊璋が出席
           豊璋は日本の百済人質
           太安万侶の一族の
           多蒋敷(おほ の こもしき)
              「出自謚神武皇子神八井耳命」
              『古事記』中巻
              『日本書紀』巻第四
              「綏靖天皇即位前紀」に
              『和州五郡神社神名帳大略注解』所引の
              久安五年(1149年)の
              「多神社注進状」に
              「蒋敷は
               太安万侶の祖父」とされている
              『日本書紀』巻第二十七
               天智天皇即位前紀
               斉明天皇七年(661年)
               多蒋敷(おほ の こもしき)の
               同母妹を
               百済王族の
               扶余豊璋の妻とし
               豊璋には織冠が授けられた・・・
 ↓↑    ↓↑
      多蒋敷(太安万侶の祖父)の妹を
      豊璋に娶わせていた・・・
 ↓↑    ↓↑
      豊璋は
      倭兵5000と
      軍船170艘で
      百済へ30年ぶりに帰国
 ↓↑    ↓↑
      663年8月27、28日
      倭国水軍は唐-新羅軍と
      白村江(白江、白馬江)で衝突し
      大敗
      豊璋は数人の従者と共に高句麗に逃亡
      高句麗も
      668年
      に唐に滅ぼされ
      豊璋は高句麗王族らと
      唐都に連行
      高句麗王の
      宝蔵王らは許され唐の官爵を授けられ
      豊璋は嶺南地方に流刑
 ↓↑    ↓↑
 「日本書紀(推古三十五年・627年)」
 「夏五月、蝿有り、聚集れり
  その凝り累なること十丈ばかり
  虚に浮かびて以て信濃坂を越ゆ。
  鳴く音雷の如し。
  すなわち東のかた上野国に至て散りぬ」
 「蝿の群れ」=蜜蜂?・・・「蠅=はえ」・・・銀ばえ
  蝿伊呂泥  =意富夜麻登久邇阿札比売
 (ハエイロネ)(オホヤマトクニアレヒメノミ)
  別名
  絚某姉   =倭国香媛
 (ハエイロネ)(ヤマトノクニカヒメ)
 ↓↑    ↓↑
 「日本書紀(皇極二年・643年)」
 「百済の太子余豊、
  蜜蜂の房四枚をもって三輪山に放ち、養う
  しかれどもついに蕃息(うまわ)らず」
 養蜂の初め・・・
 蜂子皇子(はちこのおうじ・波知乃子王)
 法名を弘海
 欽明天皇二十三年?(562年?)
  ~
 舒明天皇十三年十 月二十日?(641年11月28日?)
 崇峻天皇の第三皇子・聖徳太子の従弟
 父の崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺され
 山形に逃亡
 羽黒山、月山
 出羽三山を開基し
 能除仙(のうじょせん)
 能除大師、能除太子(のうじょたいし)
 などと呼ばれる
 ↓↑    ↓↑
 奈良時代
 三韓からの蜂蜜献上
 天平十一年(739年)
 渤海国から
 「文王致聖武天皇書」に添え
 「大虫皮、羆皮各七張
  豹皮六張、人参三十斤
  蜜三斤」
 と記録
 天平宝字四年(760年)
 五大寺に使を遺わし
 毎寺雑薬二櫃と
 蜜缶1口とを施す
 と記録
 ↓↑
 平安時代
 「延喜式(905~927年)」
 「蜜、
  甲斐国一升
  相模国一升
  信濃国一升
  能登国一升五合
  越後国一升五合
  備中国一升
  備後国二升」
 別の箇所に
 「摂津国蜂房七両
  伊勢国蜂房一1斤十二両」
 を献上と記録
 ↓↑    ↓↑
      扶余豊璋は
      662年5月に百済に入国し
      鬼室福信は
      豊璋を王とし迎え国政を委ね
      倭国は
      鬼室福信あてに軍需物資を送り
      鬼室福信も捕虜の唐人の
     「続守言(持統朝で帰化し音博士)」・・・続を守る言?・音博士
      らを倭国に送った
      663年6月
      百済王となった豊璋は
      鬼室福信の謀反を疑って捕らえ
      扶余豊(扶余豊璋)は
      663年7月
      鬼室を殺害
      首を塩漬けにした・・・・高橋景保も塩漬け
      倭国は水軍を朝鮮半島へ派兵
      天智天皇2年 8月27日~ 8月28日
         663年10月 4日~10月 5日
      白村江(白馬江)で
      劉 仁軌
     (唐の武将・字は正則・楽城文献公・汴州尉氏県の人)
      の唐軍
      文武王
      の新羅軍連合に敗北
 ↓↑    ↓↑
      鬼室集斯(鬼室福信の子、縁者
        集(隹+木)の斯(其+斤)
           百済における官位は達率
           日本亡命帰化後の
           官位は小錦下・学職頭)・・・学の職の頭
 ↓↑    ↓↑
  作物所(つくも-どころ)
      つくも (福井市) - 福井県福井市の地名
      つくも (長崎市) - 長崎県長崎市の地名
      つくも町 - 広島県安芸郡海田町の地名
      石川県鳳珠郡能登町付近にある九十九湾
       かつて運行されていた列車名」     
     「九十九髪(つくもがみ)」の略」
     「植物フトイ(太藺・莞)の古名・抽水性多年草(和名抄)」
     「八十八(やそや)」
 ↓↑    ↓↑
 作物所(つくも-どころ)
 作物所
 平安時代に成立した天皇の家政機関の1つ
 天皇・皇后・東宮などが
 宮中で用いる調度品(銀器・木器など)を
 製作する「所」
 令外官の一つ
 職員には
 別当・預 ( あずかり)・内竪 (ないじゅ)・冶師
 蔵人頭を別当に補す
 作物司 (つくもづかさ)
    ・九十九・津雲・津久茂・津久毛
  ↓↑    ↓↑
  雑=杂(卆八・九十八)+隹
      九拾・・・杂⇔染⇔そめる=涅・初・襲
             色を襲(かさねる・龍+衣)
              踏襲=継=繼=蹈襲
 雜=卒(亠人人十)+八+隹=雜
      音人々乂(交)捌 舊鳥(短尾の鳥)
   まじる・まぜる・ザツ・ゾウ
   卆=卒=襟元
   乱雑・粗雑・煩雑・雑炊・雑念・雑文
 ↓↑    ↓↑
 難=「𦰩=廿+中+夫」+「隹」
 ↓↑ ↓↑↓↑
  「𦰩=動物を火で炙ってカタク燻製にする」
   +
  「隹=鳥」
 ↓↑ ↓↑
  「鳥を火で炙る・火で炙られるような辛さ」
  「𦰩=火矢の意で、鳥を火矢で射る儀式や呪い」
 ↓↑ ↓↑
  「𦰩=火矢」・・・?
  「𦰩=缶(廿=凵+一⇔棺・柩)の中に
       閉じ込められた夫=死骸・屍骸」
       の
      「短尾の小鳥の
       囀り(嘆き・歎き)」だろう・・・
       廿=十十=音読み ジュウ
            訓読み にじゅう
            意 味 二十・十の二倍・20=念
  「𦰩」⇔「嘆=口+𦰩」
  「嘆=かなしむ・嘆願・嘆息・悲嘆
     たたえる・ほめる・感心する
     嘆賞・感嘆
     永嘆・詠嘆・慨嘆・驚嘆・賛嘆・賞嘆
     長嘆・悲嘆
     嘆息・感嘆
  「𦰩」⇔「歎=𦰩+欠」
  「歎=災難で声をたてる、なげく」
  「𦰩+欠」=通仮字「嘆」
        異体字「嘆・𣥁=𦰩+鳥+欠
              𪇽=𦰩+欠+鳥=歎+鳥」
     悲歎・感歎・歎賞・賛歎
        簡体字「叹=口+又」
  「歎」の熟語「歎喟(タンキ)=溜息ついて歎く」
 ↓↑ ↓↑
  「𦰩=廿(念)の中の夫(二人)」
   が
  「災いに祈る
   巫女(みこ)
   巫覡(フゲキ)
  (かんなぎ=神巫・神和ぎ・神薙ぎ・神凪)」
   ・・・?
 ↓↑      ↓↑
 難=「𦰩+隹」・・・焼鳥の燻製
        ・・・象徴の君制(訓所為)?
   かたい・むずかしい・にくい・ナン・ダン
   むずかしい・かたい・たやすくない
   しがたい=し難い
   欠点
   わざわい・せ(責)める・とがめる
   なじる
   いくさ・争い・戦乱
 ↓↑    ↓↑
   難解・難関・至難・難儀・災難
   難詰・非難・批難・避難・無難
   一難(イチナン)・万難(バンナン)
   海難(カイナン)・遭難(ソウナン)
   艱難(カンナン)・危難(キナン)
   救難(キュウナン)・苦難(クナン)
   国難(コクナン)・困難(コンナン)
   災難(サイナン)・受難(ジュナン)
   殉難(ジュンナン)・多難(タナン)
   七難・盗難
   ・・・難字⇔漢字・・・難⇔難
   難=「艹+口+夫」+隹
    =「艹+口+二+人」+隹
    =「艹+口+一+一+人」+隹
 ↓↑    ↓↑
 難い・難易・難行苦行(ナンギョウクギョウ)
 難局・難癖(ナンくせ)・難航
 難攻不落・難産・難治・難渋・難所
 難色・難船・難題・難聴
 難点・難破船・難平(ナンピン)
 難物(ナンブツ)
 難民・難問
 難い(にくい)
 難しい(むずかしい)
 ・・・なるほど、「灘(なだ)=水の難」
         「儺(おにやらい)=鬼遣・人の難」
 ・・・水と魂魄は「焼き鳥(火葬)」にするのは難しい・・・
 ↓↑
 漢=氵(水)+𦰩(棺、柩の中の夫)・・・水槽(水葬)の夫
   漢人=河川に水槽の夫を水葬する
      孀(ソウ)=女+霜=夫に死に別れた女性
      喙息(カイソク)=喙(くちばし)と呼吸
 ↓↑    ↓↑
     淮河の源流は
     河南省の
     桐柏山・老鴉叉
     淮河(ワイガ)=淮水
      黄河と長江の南北間を東西に流れ
      下流の
      江蘇省の
      洪沢湖
      で二手に分かれ
      放水路は黄海に注ぎ
      本流は
      三江営で
      長江に流入しつながる
      下流は平坦な低地で
      流路が複雑で
      洪水が起こりやすく
      治水が難しい
      異名は
     「壊河(Huai He)」・・・
      淮河(ワイガ)は
      華北(小麦)
      と
      華南(水稲)
      の境界線で
      運搬流通手段も
     「南船北馬」である
      准水・淮水
     『淮南子(エナンジ・ワイナンシ・Huainanzǐ)』
      前漢の武帝時代
      前漢の高祖の孫
      淮南王
      劉安(紀元前179年~紀元前122年)
      が学者を集めて編纂させた思想書
      呉音で「ヱナンジ」と読む
     『淮南鴻烈(ワイナンコウレツ)』
      とも
      劉安・蘇非・李尚・伍被らが著作
     『漢書』芸文志に
     「内二十一篇、外三十三篇」とあるが
     「内二十一篇」しか伝わっていない
      道家思想を中心に
      儒家・法家・陰陽家の思想を交え
     「雑家の書」に分類される・・・
      巻一 原道訓
      巻二 俶真訓
      巻三 天文訓
      巻四 墬形訓
     (地形訓とも・「墬=阝+彖+土=地」に同じ
            「墜(墜落)・堕(堕落)」
            とは別字
      彖=エン・タン・テン=彖・𧰺・𢑡
        太って腹の垂れた豚・たれさがる
        にげて物かげに隠れる
        猪の子・猪の口ばし
        易では大川を渉るに利あり)
      古代の地理観を記す。36の異国の記載
      巻五 時則訓
      巻六 覧冥訓
      巻七 精神訓・・・・精神
      巻八 本経訓・・・・本の経
      巻九 主術訓
      巻十 繆称訓
      巻十一 斉俗訓・・・斉の俗
      巻十二 道応訓
      巻十三 氾論訓
      巻十四 詮言訓
      巻十五 兵略訓
      巻十六 説山訓
      巻十七 説林訓
      巻十八 人間訓
      巻十九 修務訓
      巻二十 泰族訓・・・泰の族
      巻二十一 要略
ーーーーー

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過ぎ去った昔・昨日・昨週・昨月・昨年・・・苦事解く乍

2019-02-23 17:42:57 | 古事記字源

 昨=日+乍
   過ぎ去った日・むかし(昔)・きのう(昨日・サクジツ)
   一昨日(おとつい)・・・昨年も・・・
 ジシン
 2019/2/21/21/22
 己 亥(戊・甲・壬)
 丙 寅(己・丙・甲)
 己 丑(癸・辛・己)午未=空亡
 乙 亥(戊・甲・壬)

 フジサンもソロソロ・・・

 ↓↑
 竹(たけ)材の家、竹林に囲まれた家屋は
 地震があっても倒壊しにくい・・・竹の根は網のように根張る
 竹=ノ+丅+𠂉+亅=个+𠂉+亅
   イネ科の多年草植物
   竹管で作られた楽器・管楽器
   八音(金・石・糸・竹・匏・土・革・木)の一つ
   竹の札(ふだ)・竹簡・書物・・・
   竹頭木屑・胸中成竹・垂名竹帛・束皙竹簡
   竹苞松茂(チクホウショウモ)
    ・・・「竹苞」は竹の根のようにしっかりとした下部構造
   竹林七賢=「王戎・ケイ康・阮咸・阮籍・山濤・向秀・劉伶」
   破竹之勢=最初の節を割くと、後の節は滑らかに割くことができる
 ↓↑   ↓↑
 乍・・・左右上下に連動し
     樹木の小枝を
     削ぎとる、掃いとる「道具=鋸の刃=乍」で
     丸太、材木にする道具の形象・・・だろう
     or
    「𠂉+ᚭ」=「𠂉(髪挿し)」+「ᚭ(櫛で髪梳く)」
     櫛(くし)で髪(かみ)を
     梳(と)かして整える形象だろう・・・
     くしの歯(the teeth of a comb)
     くしを入れる(comb one's hair)
     くしを入れてない(uncombeddisheveled)
             (unkempt)
     くしを差す(wear a comb in one's hair).)
 作=イ+乍=人のやること、イソがしく長柄で多忙に何かを製作・・・
 柞=木+乍=ははそ・ブナ科コナラ属の総称
       きる・草木を切る
       柞木田(たらきだ)
       柞原(ほそはら)
        柞原(くばら)
        柞田(くにた)
        信楽町-柞原(ほそはら)
       芦田町-柞磨(たるま)・・・丸太(まるた⇔たるま)
 笮=竹+乍=すのこ・屋根瓦と垂木の間にしく
       えびら・矢を入れる竹製のかご
       せまる・圧迫する
       竹で編んだ綱や縄
       しぼる・水分をしぼりとる
      通仮字「筰・措」
      異体字「筰・柞・䇥・𥬚・𥬛・𥯧・窄」
 阼=阝+乍=きざはし・庭から家にあがる階段
       きざはし=「階・陛・陖・墑・墀・段」
 怎=乍+心=(方法を尋ねる)どう・どのように・どんな風に
       どうしたら・いかに
       (原因を尋ねる)なぜ
 秨=禾+乍=秨=サク・ザク=丿+木+乍(𠂉+F)・・・秨序⇔秩序?
         異体字「祚=示+乍=礻+乍」
            践祚(センソ)=天子の位を受け継ぐこと=践阼
            先帝の崩御、譲位によって行われる
            「践=位に就くこと」、「阼=天子の位」
         秨序・秨順(日本語?)
 迮=辶+乍=異体字「𨓕・窄・𨕠」
             窄=狭い
             せまい・せばまる・すぼむ・つぼむ
 齚=齒+乍=止+凵+从+一+从+乍
       止+凵+人+人+一+从+乍
       止+凵+从+一+人+人+乍
       かむ・かじる・サク
       齰=かむ=噛・咬⇔(櫛・くし=comb=コォム・カァム)???
 咋=口+乍=「あっちこっち・・・右往左往」で騒動恣意・・・?
 炸=火+乍=爆発する・はじける・炸薬・炸裂
 胙=月 (肉)+乍=ひもろぎ・ソ
          神に供える肉・そなえもの・胙余
          さいわい・さいわいする・祭胙(サイソ)
 飵=食+乍=異体字「𩜅」・招待、訪問者人に出す
       飽きるほどの麦飯、麦の粥
 窄=宀+儿+乍=丶+㓁+儿+乍
        狭い・「せまい・せばまる・すぼむ・つぼむ」
 搾=扌+窄=搾取・搾(しぼ)る
 酢=酉+乍=す、醋、酸とも・Vinegar)
 怍=忄+乍=はじる・サク・ザク・サ・ジャ
 祚=示+乍= 祚=さいわい・ くらい・とし・ソ
         しあわせ
         天祚・くらい・天子の位
         皇祚
         とし(年)・年祚
         践祚(センソ)・天祚(テンソ)・福祚(フクソ)
 詐=言+乍=詐称・詐欺・詐偽
 鮓=魚+乍=寿司=鮨・すし
   「魚+乍」は魚の身を「乍」で
   「サク(裂く・割く)」だろう・・・
   「魚=まな=真名仮名=漢字」の形象構造を分解し
    その構造全体の本質を概念規定する・・・
    鯖=魚+靑(主+円)・・・青(主月=主肉)
      ・・・丹青(靑=主+円)=赤と青・丹碧
         絵の具・彩色
        「丹青の妙を尽くす」・絵の具で描くこと
             「青=あお=蒼・碧」
      サバをヨム・・・「佐波・佐和・茶話・狭話」をヨム・・・
      さわ=多=おほの=太=大⇔さわ=澤・沢⇔澤山・沢山
 ↓↑    ↓↑
      日本書紀 巻第六
      垂仁天皇二年二月己卯条・・・己(よこしま)を卯(叩き割る)
     「佐波遅比売(サワジヒメ)=沙本毘売命(サホビメ命)」
      の叛逆(反逆)
 ↓↑    ↓↑
      狹穗姬 (日本書紀)
      沙本毘賣命 (古事記)
      沙本毘売命
      佐波遅比売(さわじひめ・さはぢひめ・古事記)
      佐波遲比賣命(古事記)
      佐波遅比売命・沙本毘賣(さほびめ・古事記)・沙本姬命
 ↓↑    ↓↑
      譽津別命
      譽津別王
      譽津別皇子(日本書紀)
      品牟都和氣命
      本牟智和氣御子(古事記)
      譽津別王子(先代旧事本紀)
 ↓↑
 ムラが或る?・・・斑がアル・・・
 村・邑(くに・国・六合)・邨・党・群・羣・黨
 閭・闒・閭・邨・村・茽
 ↓↑
 咋=口+乍
   くう・くらう・かむ・サ・サク
   大声・大きな声でさわがしくしゃべる
   たちまち・急に・さっと・ふと
 ↓↑ ↓↑
   乍=𠂉+丨+=
     ノ+一+丨+=
     𠂉+ᚭ
     たちまち・ながら・サ
     急に・さっと・ふと
     ~したり~したり
     ~したかと思うと~する
     ながら
     ~ではあるが・~にもかかわらず
     ~しつつ
ーーーーー
 魏志倭人伝
 ↓↑
 普平陽侯相 陳寿 撰
 ↓↑
 倭人在帶方東南大海之中
 依山㠀為國邑 舊百餘國
 漢時有朝見者
 今使譯所通三十國
 ↓↑
 從郡至倭 循海岸水行
 歴韓国
 乍南乍東
 到其北岸 狗邪韓國 七千餘里
 (注 梁書倭伝
    「乍開乍閉」=開いたり閉じたり)
 乍南乍東=南へ行ったり、東へ行ったり
 ・・・「誠に勝手ながら=勝手乍ら」・・・
 ・・・お店の張り紙でよくみる
    「乍(なが)ら」は「作(つく・サク)ら」って・・・?
 ・・・「餃子(ギョウザ)」は「鮫子(さめこ)」って・・・?
 ・・・「お肌」は「お股」って・・・?
 ・・・「イ(ひと)」+「乍(ながら・たちまち)」が
     ナゼ、「作(つくる・サク)」になるんだか・・・?
 ↓↑
 作=つくる・つくりだす・つくられたもの
   たがやす・なす・なる・する・行う・はたらく
   おこす・ふるまい・うごき
   make・manufacture・produce・turn out・create
 ↓↑ ↓↑
   作文・著作・農耕・ 耕作・豊作・作為
   作業・造作・作興・作法・動作
   美作国・作州
 ↓↑
 「作」の熟語
 稲作・裏作・表作・改作・佳作・寡作・合作
 贋作・偽作・凶作・劇作・戯作・傑作・原作
 工作・耕作・小作・試作・自作・秀作・習作
 制作・製作・創作・造作・多作・駄作・著作
 盗作・農作・畑作・不作・米作・発作・満作
 名作・力作・輪作・連作・労作
 作為・作意・作柄・作詞・作事
 作史三長
 作成・作製・作戦・作付け・作風
 作文三上
 作物・作家・作況・作興・作動・作法
 作務衣
 作用・作礼而去(サライニコ)
 作物所(つくもどころ)
 作る・作(なす)
ーーーーー
 乍南乍東・乍開乍閉
 ・・・「乍」は「異なった目的の同時的行為、動作の連続性」と言うことか・・・
 ↓↑
 其大官日 卑の狗
 副  日 卑の奴 母の離⇔卑の奴 母から離別した
 ↓↑      奴=女+又(右手)
    離=离+隹
    通仮字「犂」
    異体字「离・䅻・𨾫・𩀌」
    簡体字「离」・・・离=亠+乂+凵+ム+冂
             离(チ・リ)=大蛇?・離れる
             离(リ・チ)
             禸(禺)部=ぐうのあし
             獣の頭(甲)+禸(動物のうしろ足、ム=尻尾)」
             甲(木の兄)+冂(境構・牧構・湾)の内のム(横嶋)?
             山の神・頭とうしろ足が離れているから
             山の神獣・魑(チ)と同じ
                  魑魅魍魎(チミモウリョウ)
                       地味茂雨量?・治巳網漁(猟)?
             はなれる・離(リ)と同じ
      はなす=話す・放す・華州
      はなれる・はなす・へだてる
      わかれる・かる・つく・リ
      離縁・離散・距離
      つく・ならぶ・かかる
      ひっかかる・とりつく
      易の八卦の一=火・南
      乖離・隔離・距離・支離チミ
      剝離・分離・別離
      離縁・離間・離宮
      離群索居
      離合集散
      離恨・離婚・離散・離礁・離職
      離州・離洲・離脱・離党・離乳
      離反・離叛・離別
      離弁花
      離離・離陸
 ↓↑  α+隹
    雞=奚+隹・・・「隋書俀国伝・唐の魏徴撰」
 ↓↑       ↓↑ ↓↑   「開皇二十年 俀王
                      姓 阿毎
                      字 多利思北孤
                      號 阿輩雞彌・・・アワ「雞彌」
                        遣使詣闕」
               「王妻    號 雞彌・・・・・「雞彌」
                後宮有女六七百人
                      名 太子 為 利歌彌-多弗利」
 ↓↑       ↓↑ ↓↑      ↓↑
        ・・・隹=ことり・とり・ふるとり・スイ・サイ
             尾の短い鳥の総称
             ふるとり(舊(旧・ふる)鳥)
             舊=隹+臼
             尾を振る小トリ?
         ・・・ルビを振って称を採る・・・
 ↓↑       ↓↑
    鶏=爪+夫+鳥
    鷄=奚+鳥
      奚=爪+幺+大(一+人)
    ↓↑ 
    雅・霍・雁・雇・雑・雌・雀
    集・隼・雋・雎・雖・雛・隻
    雉・雕・難・雄・雍・擁・離
 ↓↑  ↓↑
    トリに直接関係ない「α+隹」の漢字?
    雇用・推理・雑用・難問・灘・儺
    擁護・隻眼
    雍=ふさぐ・やわらぐ ・ヨウ・ユウ
      やんわりとつつんださま・なごやかに保つ・ ふさぐ
    雖(いえども)=逆接の確定条件または仮定条件を表す
            ・・・だけれど・たとい・・・でも・・・
    雋(隹+凹)=隽(隹+乃)=すぐれる・シュン・セン
        抜きんでている・肥える・肥えた鳥の肉・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・
 乍南乍東・乍北乍西・乍左乍右・乍上乍下・乍前乍後・乍開乍閉・・・
 もっぱら勝手乍(ながら)にゴメンなすって・・・おくんなさい・・・
 長柄の鍬と鋤、大鎌、小鎌、鉞、斧と鉈、鋸と鉋を捨て
 長指しのダンビラ(段平)さして、抜いたり、振り回したり・・・
 オテントウさま、あぁッ、イヤな渡世だなぁ~・・・

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島津亜矢さんが「Bohemian Rhapsody」を歌った!!

2019-02-21 18:06:29 | 古事記字源

 何時から「国家」と言うコトバが出来ちゃったんだろ・・・
 共同体の指導者の出現の契機・・・自然災害、人造災害・・・
 「家族」である集団のリーダーは
 家族構成員を食わせ、養い、外的から守る父か母である・・・
 父母が健康上に障害、あるいは欠落した場合は
 子供の兄弟姉妹のダレかである・・・
 その時のリーダーは
 男女の性別、
 歳の長短のいずれかは問わなかっただろう・・・
 家族のリーダーシップを摂る人間は
 飢えからの回避する為の
 知力、体力、行動力、
 外敵からからの暴力に対抗する為の
 統率能力を有する者で
 その時の家族構成の事情、状況によっただろう・・・
 家族生活、社会生活をする
 スベテの生物の生活のあり方は
 つくづく「ダーウインが来た」の
 観察映像で知らされてきた・・・
 生物の生命生活とは
 食うために
 生産活動で採取し
 狩猟活動で攻撃、捕獲し
 外的から身を守る為に
 個々としても、組織員としても
 防衛活動をする
 人間も含めて
 生命活動の限界枠内で
 基本的な生き方は「お変り無し」でアル・・・
 饑饉・飢饉・飢餓
  ↓↑
 「餓死(starvation)=食物の摂取を絶たれ
            栄養失調から死に至ること」
 「人間の餓死=ヒトは、理論上は水分の補給さえあれば
        絶食状態で2~3ヶ月程度生存が可能
        この限界を越えれば餓死に至る」
        (by 「wikipedia.org/wiki/餓死」)・・・
 「72000kcal(体内蓄積脂肪10kg) ÷ 2000kcal(1日消費熱量) = 36日」
(by 「知恵袋」)
 どっちにしても結構、しぶとく生きるコトが出来るらしい・・・
 「絶食状態で2~3ヶ月程度生存」とは驚きだが・・・
  ↓↑
 ・・・「子供が保護者から虐待を受け食事を与えられずに餓死」
 ・・・「拒食症での餓死」
 ・・・「国民防衛軍事件=朝鮮戦争中の1951年1月
     韓国の国民防衛軍司令部の幹部らが
     国民防衛軍に供給された
     軍事物資や兵糧米などを横領し
     横領により
     9万名余りの韓国軍兵士が餓死した
     事件の黒幕は
     申性模・・・「申(サル)の性(サガ)を模(モス)」
     韓国
     国防部長官が・・・
     不正に兵糧物資を処分・着服したのが原因」
     by (wikipedia.org/wiki/国民防衛軍事件)
 ・・・「尖閣諸島戦時遭難事件・1945年7月3日午後2時頃
     アメリカ軍機が日本の疎開船団を攻撃撃沈
     生存者は尖閣諸島に漂着
     戦闘と飢餓などにより50人以上が死亡・・・
    (乗船者180人余のうち死亡75人・沖縄県史)
     尖閣諸島戦時遭難事件について
     生存者の多くが口を閉ざし
     明らかになったのは1974年
     日本政府は、犠牲者は恩給対象外とし
     特別支出をすべき事情も無い、としている」
    by (wikipedia.org/wiki/尖閣諸島戦時遭難事件)
ーーーーー
 「飢え・飢饉=饑饉・食糧不足」の対策には・・・
 「備蓄された剰余食料」の「管理」人と
 その「提供」の「協力」人と、
 その「公平配分」する「分配」人が必要だ
 「社会主義組織」とは
 「上下関係のヒエラルキー」
 ↓↑  ・・・ヒエラルキー
      (独語 Hierarchie、ヒエラルヒー
       卑重(稗)羅留比意?
       日枝羅留日出
       日枝神社=山王信仰の比叡山麓(滋賀県大津市)の
       日吉大社より勧請を受けた神社の社号
       788年(延曆七年)
       最澄が地主神として
       天台宗・延暦寺の守護神とし
       寺の周囲に結界を定め
       その地主神を比叡山の
      「諸山王」として
       比叡山延暦寺
       東塔に
       比叡社の
       山王=「大物主神(おほものぬしのかみ)」
       を「山王」とし祀った
  ↓↑    ↓↑
       英語 hierarchy、ハイァラーキ)
       葉意鴉羅阿記?
       拝アラー記?
       825年(天長二年)
       天台宗の第二代座主
       圓澄=円澄が
       延暦寺の西塔に
       八王子山の磐座の神である
       大山咋神が勧請し
       小比叡峯に
       小比叡神として
       山王=「大山咋神(おほやまくいのかみ)」
       とし祀った
 ↓↑     ↓↑
       「山王」は東塔と西塔で二極化し
       円珍に夢で入唐を勧めた
       「山王明神」を、自身の坊に祀って
       大比叡神(東塔)
       小比叡神(西塔)
       比叡山王(山王明神)
       の「両所三聖」が成立した
 ↓↑     ↓↑
       968年(康保五年)
       972年(天禄三年)
       延暦寺の第十八代座主
       比叡山中興の祖
       良源により
       大比叡神(東塔)
       小比叡神(西塔)
       聖真子(横川)の
       「地主三聖」が成立し
       山門派・寺門派の分裂の切っ掛けとなった・・・
 ↓↑     ↓↑
 ↓↑  ・・・ヒエラルキー
       =階層制や階級制
        ピラミッド形に上下に序列化された
 ↓↑      位階制の秩序や組織
 で
 組織化された「武装組織」である
 ・・・軍隊アリ(蟻)・・・白 アリ(蟻)
 アリ(蟻、螘)・・・蟻=虫+義(羊の我)
           螘=虫+豈(山の豆)
                ・・・豆の形態=勾玉⇔胎児
                 御玉杓子=カエル(蛙)の子
                      未成魚
                      稚魚・幼魚
                幼生⇒仔魚⇒稚魚⇒幼魚(未成魚)⇒成魚
                   壹與=「十一冖豆」をアタエル
                豆=脚付き、ふた付きの食器
                  黒灰色の土器で,、竜山文化以降つくられ
                  青銅製もつくられた
                  日本の高坏 (たかつき)
                  中国では礼器
 ・・・蜜 バチ(蜂)・・・蜂蜜⇔密教
              ・・・密=日曜=太陽=大日=摩訶毘盧遮那如来
              肢長ハチ(蜂)
              雀 バチ(蜂)=胡蜂
              端赤雀蜂・端黒雀蜂
              ハエ類、ミツバチ類、トンボ類を捕食
              攻撃性は高く、巣に近づいたものは執拗に追跡
 ・・・「サムライ(侍・武士)アリ」の種族・・・
    戦闘と支配に特化した、奴隷狩りをする
    サムライアリに支配される
    クロヤマアリ(黒山蟻)
 ↓↑  ↓↑
    サムライアリ(侍蟻)・学名 Polyergus samurai
    ハチ目(膜翅目)・アリ科・ヤマアリ亜科
    クロヤマアリ(黒山蟻・Formica japonica)
    などの巣を襲って
    働きアリやその蛹を攫い
    「奴隷」として働かせる
    サムライアリの新女王は
    クロヤマアリの巣に単身で侵入し
    その巣の女王を殺して巣を乗っ取る
 ↓↑  ↓↑ ↓↑
    奴隷アリ=テムノトラックス・ロンギスピノスス
         サムライアリの幼虫の養育放棄
         時に積極的にサムライアリの幼虫を殺す
         反乱を起こし
         集団で主人のサムライアリを襲う
         だがサムライアリの武力で
         反乱した奴隷アリは鎮圧され皆殺し
         反乱で棄命する奴隷アリと
         奴隷に甘んじる奴隷アリは
         ・・・奴隷刈りされる一族の絶滅を防ぐ・・・?
         by 「asahi2nd.blogspot.com/2017/12/4.html
            アリは本来自由であった」・・・?
 ・・・ハキリアリ(葉切蟻)=Leaf-cutter ant・Leaf-cutting ant
               女王アリ
               大型兵隊アリ、大型働きアリ
               中型兵隊アリ、中型働きアリ
               小型兵隊アリ、小型働きアリ
               繁殖に生まれるオスアリ
               分業形態の四肢で
               農業国家(巣)を守る
               葉っぱを切って集め
               集めた葉っぱを培地、肥料にして
               アリタケ(蟻茸)
               キノコ(茸・菌・木の子)を栽培
 アリマキ(蟻牧)・・・アリに外敵から守ってもらい
           共棲(共生)するアブラムシ(油虫)
              ・・・強請・矯正・恐喝?
           蟻に「牧虫」されるアリマキ・・・
           アリマキの師管液には大量の糖分が含まれ
           アリはこれを食料としている
           アブラムシは
           虫癭(チュウエイ・虫瘤=むしこぶ・gall
              寄生による植物組織にできるコブ状の突起)
           を形成する
ーー↓↑ーー
 食べ物を得る・食い物を得る・・・
 働かなくちゃぁ~・・・
 自分の為の食い物を得る前に・・・カネがぁ~・・・
 他人の為に働かなくちゃぁ~・・・カネがぁ~
 ↓↑
 物々交換の市場での「交換媒介物=金銭・貨幣・紙幣」の登場・・・
 ・・・「富の源泉」・・・「交換価値物」の蓄積の多寡・・・
 「交換価値」物(貨幣)としての
 「使用価値」の交換格差・・・インフレ⇔デフレ・・・為替変動
       「好感・交換・交歓・交感・巷間」の
       「質量」の格差・・・?
 ・・・「詐欺・搾取」・・・「ぬすむ」って?
 単純な「足し算」と「引き算」の算数
 「会稽=会計」・・・ナゼ、「会稽=會稽」
 ↓↑・・「計其道里,當在會稽、東冶之東(魏志倭人伝)」
    「三國志・卷三十
      魏志・烏丸・鮮卑・東夷傳
      第三十 倭人傳.
      撰者
西晉(晋)朝
陳壽(寿)
計其道里 當在-會𥡴-東冶之東. (会稽-東治之東) 」
冶=冫+ム+口
       異体字「𠘦=冫+䖝+䖵+皿」
       とける・いる・なまめかしい・ヤ
       熔かす・鋳る・金属を精錬する
       冶金(ヤキン)・鍛冶(タンヤ・かじ)
       なまめく・なまめかしい
       艶冶(エンヤ)
       李冶(1192年~1279年)=李𠘦
       金末から元初にかけての数学者の名
      「天元術=代数学の問題の解法」を発展させた
       字は仁卿、号は敬斎・真定
       欒城の出身
       金の1230年に進士・河南・鈞州の知事
       1232 年にモンゴル軍の侵入で鈞州を脱出し隠退
 ↓↑ 治=氵+ム+口
        おさめる・おさまる・なおる・なおす
       チ・ジ
       はる=治
         多治比県守(たじひのあがたもり)
         多治比県守(おほのハルヒあがた守)?
         720年
         征夷大将軍として初見の人物・・・
         天智天皇7年(668年)
         ~
         天平9年6月23日(737年7月25日)
         多治比氏(多治、丹治、丹比、丹治比)
 ↓↑     ↓↑ ↓↑
         第28代
         宣化天皇・・・父=継体天皇
                母ー尾張目子媛(尾張連草香女)
                皇后, 橘仲皇女
                子女, 石姫皇女
                   小石姫皇女倉稚綾姫皇女
                   上殖葉皇子
 ↓↑     ↓↑ ↓↑      ↓↑
                勅旨をのべ伝える・宣旨文書
                宣(のたまい)を化す
                建小広国押楯命(古事記)
                武小広国押盾天皇(日本書紀)
 ↓↑     ↓↑ ↓↑      ↓↑
         上殖葉皇子(かみつうえはのみこ・かみつうゑはのみこ)
 ↓↑     ↓↑ ↓↑
         十市王・・・十市姫=弘文天皇(大友=伊賀の皇子)の妃
         ↓↑         天武天皇(大海人皇子)と額田王の娘
               「鮒の包み焼きに密書を隠して
                父親(大海人皇子)に
                夫側(大友=伊賀の皇子)の情報を流した」?
                高知県長岡郡
               「十市村」・・・「拾・足」のイチ?
                 「村=むら=閭・闒・閭・邨・茽
                       邑・党・群・羣・黨」
                  村=木+寸
                  異体字「榯・屯・𡵭・邨」
                    ・・・駐屯・屯田兵・・・
 ↓↑     ↓↑ ↓↑
         多治比彦王・・・多(おほの)治比彦(はるびこ)?
 ↓↑     ↓↑ ↓↑
         多治比嶋=多治志摩(624」~701)
         妻=家原音那・・・加減の音名?
         兄弟=三宅麻呂、(丹治真人家範 ?)
         682(天武朝)年宮廷で活躍、多治比氏の地歩
         「公姓」を改め
         「眞人姓」を授かる
 ↓↑     ↓↑  ↓↑
          ・・・真人=眞人=七+県+人
               =佐賀の七賢人?
                鍋島直正=弘道館・好生館・種痘普及
                     反射炉の設立・大砲の鋳造
                大隈重信=立憲改進党・憲政党・内閣総理大臣
                     早稲田大学
                副島種臣=外務卿・樺太境界線・中国人奴隷解放
                江藤新平=司法卿、廃藩置県、三権分立、議会の開催
                島 義勇=蝦夷・樺太探検・北海道開拓判事
                大木喬任=東京府知事・民部、文部、司法卿
                     文部卿・学制・学校令・教育勅語
                佐野常民=パリ万国博覧会視察・赤十字
                     博愛社(日本赤十字社)創設
                     人道博愛精神
             女真(眞人)⇔天渟中原瀛(眞人)
             by プラトンの七賢人
              クレオブロス・ペリアンドロス・ピッタコス
              ビアス・タレス・キロン・ソロン
 ↓↑     ↓↑ ↓↑
         690(持統朝)年右大臣・太政大臣=高市皇子
         701年42文武朝正二位、左大臣・藤原不比等=大納言
 ↓↑     ↓↑ ↓↑
         多治比県守
         717年~718年
         養老の遣唐使で遣唐押使を務めた
         720年・・・日本書紀
         按察使、征夷将軍などを歴任
         729年
         長屋王の変で臨時の参議
         後、中納言、正三位
 ↓↑     ↓↑ ↓↑
       治癒
        世の中をおさめる・政治・治水・治療
        病気をなおす・病気がなおる
        灸治(キュウジ)・湯治・難治・不治・療治・主治医
 ↓↑     ↓↑ ↓↑
 ↓↑     手塚治虫=目医者・眼科医・「鉄腕アトム」
 が出来る人間の必然的な登場である
  ↓↑
 「武力(暴力)で支配した
  領域に住む人々に対する
  命令と
  収奪
  生殺与奪権を
  有すると主張した
  人間(族長)組織
  あるいは
  その組織を支配する族長の独裁組織」
  ↓↑
 「国家」=「みかど・ミカド・帝(天皇)・御門」
      「朝庭(みかど・おほば)」
 「天皇の居所=大殿にあった大門⇒御門(みかど)」
 「その前庭を朝庭(みかど)」
 「遠(とほ)の朝庭(みかど)」
        =都から遠く離れた行政官庁(大宰府や国府)
         そこへ派遣される官人
        「大君の遠の朝廷」
         あるいは
        「スメロキの遠の朝廷」
        「天皇の領知する遠方の世界」
    原文 by 「万葉神事語辞典」
 「the mikado=みかど=昔、外国人が日本の天皇に対して用いた敬称」
 「天下を治める最高君主」
  ↓↑
 国家(こっか)
 国境線で区切られた国の領土に成立する政治組織
 その地域に居住する人々に対して
 統治機構を備えるもの
 領域と人民に対して
 排他的な統治権を有する
 (生殺与奪の権利を独占する)
 政治団体もしくは
 政治的共同体である
 政治機能により
 異なる利害を調整し
 社会の秩序と安定を
 維持していくことを
 目的にし社会の組織化をする
 またその地域の住民は国家組織から
 「国民」
 あるいは
 「公民」
 と定義される
 by 「wikipedia.org/wiki/国家」
  ↓↑
 国(くに、こく)
 住民・領土・主権
 及び
 外交能力(他国からの承認)を備えた
 地球上の地域のこと
 ほとんどの国が憲法を成文法で作成し
 自国の権利や能力を他国に表明している
 by 「wikipedia.org/wiki/国」
  ↓↑
 国家
 一定の領土と国民と
 排他的な統治組織とをもつ政治共同体
 また一定の地域 (領土) を基礎に
 固有の統治権によって
 統治される継続的な公組織的共同社会
 by 「kotobank.jp/word/国家」
  ↓↑
 国家の「消滅」・・・「196か国を消滅」させる・・・
 「国家」をどのように考えるか?(3)
http://haa98940.wixsite.com/mysite/single-post/2018/07/12/「国家」をどのように考えるか?
http://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/page/1
ーー↓↑ーー
 邑=口+巴
   くに・みやこ・むら・うれえる・・・唈える
             ・・・邑える?・卹・憂える・愁える・戚える
   ユウ・オウ
   領地・食邑・邑落
   忿邑
   於邑(オユウ)・村邑(ソンユウ)・都邑(トユウ)
 邑=囗+巴
   囗=村の囲い
   巴=跪(ひざまず)いている人
     合わせて「邑=村・都」
   邑犬群吠(ユウケングンバイ)
   小人がこぞって集まり
   人の噂さなどを盛んに言い合うこと
   小人が多く賢人を非難するたとえ
   愚者が賢者を非難する喩え
   村里にすむ犬が群がって吠えるの意
   『楚辞』九章
   屈原(B.C.343~B.C.277)の作った
   「懐沙(カイサ)の賦(フ)」
   「誰が清潔の身に汚れた垢など受けようか
    揚子江の流れに身を投げて
    魚の腹中に葬られた方がましだ
    節操を守り、義に死するだけである」
   屈=尸+出
   異体字「𡕜・𡲒・𡲗・𡲬・𡲶・𣮈・詘・诎・𧬲」
     かがむ・かがめる・ちぢむ・おれまがる
     屈曲・屈折
     くじける・負けてしたがう
     屈辱・屈服
     ゆきづまる・きわまる
     窮屈
     つよい
     屈強
     詰屈(キックツ)・窮屈(キュウクツ)
     後屈(コウクツ)・退屈(タイクツ)
     卑屈(ヒクツ)
     倔=亻+屈
     異体字「𥪊・誳・𩋎・崛・崫
         𠡰・𡶏・𡼿・𡽈・𥖚」
       つよい・クツ・ゴチ
       倔強=倔彊
       つよい(彊い)
       彊冨(キョウフ)=富んで強い
       つとめる・はげむ
       自彊(ジキョウ)=自ら勉めて励む
       さかい・くにざかい=疆
       疆=弓+土+畺=国境を弓で守る
       疆=土+彊
       異体字「彊・壃・畕・畺・疅」
         さかい・かぎる・かぎり・はて
         キョウ
         疆宇・疆土
         無疆
       さかい・境界=疆域・疆界・辺疆
       果て・限り
       無疆・彊記
       新疆=新的疆土=新しい領土
          new frontier=辺境・開拓地
       ウイグル=回鶻・廻紇・畏兀児・維吾爾
            Uyghur
            袁紇・烏護・烏紇・韋紇
            迴紇・回紇・迴鶻・回鶻
           =テュルク語で「同盟・協力」
 モンゴル帝国、ジュンガルへの服属を経て
 18世紀半ばにジュンガルを清朝が滅ぼすと
 「ムスリムの土地」を意味する「回疆」
 また
 「失った土地を取り戻す」を意味する
 「新疆」と呼ばれた・・・
 タリム盆地
 ジュンガル盆地
 東トルキスタン(イリ地方)
 一帯に独立的な軍閥を形成した
 盛世才-政権が
 1934年に「ウイグル=維吾爾」という
 呼称、漢字表記を定めた
 盛世才
 字は晋庸・・・「新疆王」
 1917年明治大学留学
 日本陸軍大学校に留学
 1930年・新疆の軍官学校の教官に任命
 1933年・新疆省臨時督弁に推挙
   8月・新疆辺防督弁に任命
 1934年
   3月・新疆省政府主席に任命
 1949年・国民政府と共に台湾に逃亡
 遼寧省開原生まれ
 1892年1月8日(清光緒17年12月初9日)
 1970年(民国59年)7月13日台湾で死去
 1892年1月8日~1970年7月13日
 辛卯(甲  乙)食神・正官 病⇔庚戌
 辛丑(癸 辛 己)食神・食神 墓⇔癸未
 己亥(戊 甲 壬)  ・劫財 胎⇔甲午
  辰巳=空亡
ーーーーー
 島津亜矢さんが「クイーン (Queen) 」の
 「Bohemian Rhapsody」を歌った・・・

 Too late,your & me time has come,
 Sends shivers down your& me spine-
 Bodys aching all the time,

 Nothing really matters,
 Anyone can see,
 Nothing really matters-,
 nothing really matters to you & me,
 Any way the wind blows….

 ・・・???
ーーーー↓↑ーーー
    国・國・六合・邦・郁・那・故郷・邑
 徳川光圀=水戸黄門の御老公
  ↓↑
 彰考館
 寛文十二年(1672)春
 光圀は駒込屋敷の史局を
 小石川上屋敷
 故世子綱方の旧殿に移し
 彰考館と名づけた
 中国晋代
 杜預の
 「春秋左氏伝序」にある
 「彰往考来」
 (過去を明らかにして
  将来行うべき道を考える)
 という語句を光圀みずから選んだ
  ↓↑
 寛永九年(1632年)
 水戸城に入城
 寛永十年(1633年)十一月
 光圀は世子に決定
 翌月には江戸小石川邸に入り
 徳川頼房の付家老
 中山信吉が水戸へ下向して行われ
 第三代将軍
 徳川家光や英勝院の意向もあった
 翌寛永十一年(1634年)
 英勝院に伴われて
 徳川家光に拝謁
  ↓↑
 承応三年(1654年)
 前関白
 近衛信尋の娘
 尋子(泰姫)と結婚
  ↓↑
 明暦三年(1657年)
 駒込邸に史局を設置
 紀伝体の
 『大日本史』の編纂作業に着手
  ↓↑
 万治元年(1658年)閏十二月二十三日
 妻・泰姫が21歳で死去
  ↓↑
 寛文元年(1661年)七月
 父
 徳川頼房が水戸城で死去
 家臣の殉死を禁じ
 光圀は自ら殉死の噂された家臣宅を廻り
 「殉死は頼房公には忠義だが
  私には不忠義ではないか」
 と問いかけ殉死をやめさせた
 幕府の殉死禁止令はその2年後
 8月19日
 水戸藩28万石の第2代藩主となる
 『桃源遺事』
 寛文二年(1662年)
 町奉行・望月恒隆に水道設置を命じた
 望月は笠原不動谷の湧水を水源と定め
 笠原から細谷まで全長約10kmを埋設した
 岩樋でつなぐ笠原水道を着工
 約1年半で完成
  ↓↑
 寛文三年(1663年)
 領内の寺社改革
 村単位に「開基帳」の作成
 寛文五年(1665年)
 寺社奉行2人を任じ
 翌年寺社の
 破却・移転などを断行
 開基帳には
 2,377寺が記されているが
 処分されたのは
 1,098寺
 破却は713寺
 神仏分離を徹底
 藩士の墓地とし
 特定の寺院宗派に属さない
 共有墓地を
 水戸上町・下町に設けた
 (常磐共有墓地 ・酒門共有墓地)
 長勝寺 (潮来市)や願入寺(大洗町)
 などについては支援・保護
 静神社(那珂市)
 吉田神社 (水戸市)
 などの修造を助け
 神主を京に派遣、神道を学ばせた
  ↓↑
 寛文五年(1665年)
 明の遺臣
 朱舜水
 を招く
 朱舜水は
 天和二年(1682年)死去
 瑞竜山に葬られた
  ↓↑
 延宝元年(1673年)
 鎌倉で
 英勝寺を拠点として名所・名跡を訪ね
 旅の記録を
 『甲寅紀行』(1674年)
 『鎌倉日記』(同年)として纏めた
 貞享二年(1685年)
 「鎌倉日記」をもとに
 河井恒久らにより
 地誌『新編鎌倉志』が編纂
  ↓↑
 延宝七年(1679年)頃
 諱を光圀に改める(光圀52歳)
  ↓↑
 貞享~元禄の初め
 建造した巨船
 快風丸を使い
 蝦夷地探検を三度行う
 二度目までは松前までの航海
 元禄元年(1688年)
 三度目は松前から北上して石狩まで到達
 ラッコやトドの皮などを積んで帰還
 光圀の死から3年目に快風丸は解体
  ↓↑
 元禄三年(1690年)十月十四日
 幕府より隠居の許可
 養嗣子の
 綱條が水戸藩主を継いだ
 翌十五日、権中納言に任じられた
 十一月二十九日
 江戸を立ち
 十二月四日
 水戸に到着
 元禄四年(1691年)五月
 久慈郡
 新宿村
 西山に建設された
 隠居所(西山荘)に隠棲
 佐々宗淳ら60余人が伺候
  ↓↑
 水戸藩領
 那須郡
 馬頭村近隣の
 湯津上村(旗本領)にある
 那須国造碑の周辺の土地買い取り
 佐々宗淳に命じて
 碑の修繕、鞘堂の建設
 碑のそばの
 古墳(上侍塚・下侍塚)を
 那須国造の墓と推定し発掘調査
 翌元禄五年(1693年)四月に終了
 六月
 光圀が湯津上村を訪れ
 那須国造碑と両古墳を視察
 古墳の調査を終えた
 同年四月
 佐々を
 楠木正成が自刃したとされる
 摂津国
 湊川に派遣し
 楠木正成を讃える墓を建造
 光圀の筆をもとに
 「嗚呼忠臣楠氏之墓」と刻む
 藩医であった
 穂積甫庵(鈴木宗与)に命じて
 『救民妙薬』を編集
 薬草から397種の製薬方法を記させた
  ↓↑
 元禄六年(1693年)から数年間
 水戸藩領内において
 八幡改めまたは八幡潰しと呼ばれる
 神社整理
 神仏習合神である
 八幡社を整理し、神仏分離を図った
 藩内66社の八幡社の内
 15社が破却
 43社が祭神を変更
  ↓↑
 元禄七年(1694年)三月
 五代将軍
 徳川綱吉の命により
 隠居後江戸にのぼり、小石川藩邸に入った
 十一月二十三日
 小石川藩邸内で
 幕府の老中や諸大名、旗本を
 招いて行われた
 能舞興行の際
 重臣の
 藤井紋太夫
 を刺殺
 光圀が自ら能装束で
 「千手」を舞ったのち
 楽屋に紋太夫を呼び
 問答の後
 突然刺殺
 紋太夫が
 柳沢吉保と結んで
 光圀の失脚を謀ったため・・・
 元禄八年(1695年)一月
 光圀は江戸を発ち、西山荘に帰った
  ↓↑
 元禄九年(1696年)十二月二十三日
 亡妻・泰姫の命日に落飾
  ↓↑
 元禄十三年十二月六日(1701年1月14日)
 食道癌で死去・・・・食道癌・・・半分は飢えカモ・・・?
 享年73(満71歳没)
  ↓↑
 明暦三年(1657年)
 駒込邸に史局を設置
 紀伝体の歴史書
 『大日本史』の編纂作業に着手
  ↓↑
 万治元年(1658年)閏十二月二十三日
  ↓↑・・・萬の年の元の年・・・太安万(萬)侶・・・
      和銅五年(712年3月9日・古事記完成)
             1月4日・正税を向こう3年は無利子
              12月2日・運脚の福利の勅
                  運脚=担夫=脚夫
                  貨物をになって運送した人夫
                  調,庸 (→租・庸・調 ) を
  ↓↑               地方から京師に運んだ
 妻・泰姫が21歳で死去
  ↓↑
 寛文五年(1665年)
 明の遺臣・朱舜水を招く
  ↓↑
 延宝七年(1679年)頃
 諱を光圀に改める(光圀52歳)
 天和三年(1683年)に改名したとの説
 「圀」字は則天武后の
 「則天文字」の一字
ーーーーー
 ・・・???・・・「國=囗+或=囗+口+一+戈」・・・
 或=ある・あるいは・もしくは・ワク
  =不確かなもの、未知のものを示す語
   「或問」・・・「古史通或問」は新井白石の著書
           1716年
          「正徳六年丙申三月上澣
           筑後守従五位下-源-朝臣-君美-撰」
          「古史通」の付録「古史通或問・三巻」
   「誘惑」
   「魅惑」
 聝に作る(或字)・・・感・減・緘(緘口令)
            鍼(はり⇔鍼灸)・憾(遺憾)
        ・・・「咸=厂+一+口+戈」⇔「或」
            異体字「鹹」
              みな・すべて・カン・ゲン
              口を封じる・口を閉ざす
 馘=首+或
   くびきる・カク
   異体字「𩠲・𩉕・聝・䤋・𢦛」
ーーーーー
 ???・・・カンコクジジョウ・・・

コメント
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