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コジキジゲン

個々、舎、音流・・・練る・煉る・錬る・・・

2018-04-30 23:50:32 | 古事記字源

 ・・・「皆殺しの天使=ココ・シャネル(Coco Chanel、1883年8月19日~1971年1月10日)=ガブリエル・ボヌール・シャネル( GabrielleBonheur Chanel)」・・・ほととぎす・ホトトギス科の鳥・・・ナゼ、「ほととぎす」なのか?・・・「鳴かぬなら殺してしまえ不如帰(信長)」、「鳴かぬなら鳴かせてみせよう不如帰(秀吉)」、「鳴かぬなら鳴くまで待とう不如帰(家康)」・・・「コロせ」って・・・臣従する配下の生殺与奪は3人とも握った・・・同時に3人みんな「托卵(タクラン)された人生」だった?・・・「拓蘭・托乱」を望む・・・?
ーーーーー
 1883年8月19日  ~1971年1月10日
 癸未(丁・乙・己)⇔庚戌(辛・丁・戊)
 庚申(己・壬・庚)⇔己丑(癸・辛・己)
 乙未(丁・乙・己)⇔乙未(丁・乙・己)
  辰巳=空亡
  干合(庚辛・金)・(申庚)支・・・化金格? 
ーーーーー
 「不如帰=カッコウ目カッコウ科」?・・・「郭公」・・・「カエルところがない」のか、「カエルな」なのか・・・?「不如帰(帰るにしかず)」って?・・・「不如去帰(カエレョなッ・カエればイイ・カエったホウがまし)」・・・
 「帰り去くにしかず (かえりゆくにしかず)」・・・
 「帰り去くにこしたことはない」
 「帰ったほうがよい」
 「帰ったほうがましだ」
 「ホトトギス=杜宇」が・・・蜀国の望帝=杜宇
 「ああ、自分の国に帰れるものなら帰りたい
  自分の国へ帰ったほうがましだ」と・・・?
 「ホトトギスの鳴き声が旅人に帰心望郷を抱かせので
  『思帰』とも呼ぶ」
 「不如帰・不如帰去」が
 「フジョキ(フニョキ)・フジョキキョ(フニョキキョ)」と
 聴える・・・
 「不如帰=帰るに如かず=帰った方がましだ、歸る方がイイ」
 「不如帰=帰るにしかず=帰らざるが如し」
ーーーーー
 鵑=ほととぎす
 時鳥・杜鵑・子規・杜宇・蜀魂・田鵑
 郭公・蜀鳥・杜魄・蜀魄・怨鳥・偶鳥
 不如帰
 文目鳥・妹背鳥・黄昏鳥・霍公鳥
 卯月鳥・早苗鳥・勧農鳥・魂迎鳥
 死出田長
 ↓↑
 蜀
 蜀魂・蜀魄
 ほととぎす・ホトトギス科の鳥
 蜀の
 望帝の魂がホトトギスになった
 杜鵑=ほととぎす=蜀魂・蜀魄
 ↓↑
 ほととぎす=杜宇・杜鵑
       「鵑」とは「『ケン』と鳴く鳥」
       杜魄・蜀鳥・蜀魂・蜀魄・不如帰
 ↓↑
 「華陽国志・蜀志」
 蜀魂
 蜀の
 望帝の魂が化してこの鳥になった
 蜀魄・蜀鳥
 ↓↑
 蜀漢(221年~263年)
 三国時代
 劉備が巴蜀の益州に建国
 巴蜀(四川省・湖北省一帯)
 都は成都
 蜀漢と自ら名乗ったことはない
 季漢(季は末っ子の意味)
 と称することもあった
 ↓↑
 魂魄
 「魂=みたま」
 「魄=みかげ」
 ↓↑
 「杜宇」
 農耕を指導
 帝王から退いたあとに死去
 その魂が「ホトトギス」になり
 自身が指導した農耕の時期に
 甲高い声で鳴く
 蜀は滅び
 それを悲しんで
 「不如帰」と血を吐き嘆いた
 ホトトギスの口は真っ赤
 ↓↑
 ホトトギスが
 不如帰
 時鳥・蜀魂・杜宇
 思帰・子規・杜鵑
 蜀魂・蜀魄・杜魂
 ↓↑
 カワセミ
 魚師・魚虎・水狗・鴗・鴗鳥・魚狗・翠鳥・翡翠・川蟬
 漢字表記が多く、沢山
 ↓↑
 不如(しかず)
 …に及ばない
 …よりは…の方がよい
 ~ほど~ではない
 劣等比較の表現
 「不如・没有」
 ↓↑
 不如帰=ホトトギス(hototogisu)
 杜鵑目の鳥
 ↓↑ ほと-とぎす
    保都-土岐州・・・都を保つトキの州(くに)
    信長「鳴かぬなら殺してしまえ不如帰」
    秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみせよう不如帰」
    家康「鳴かぬなら鳴くまで待とう不如帰」
   「甲子夜話(家康の言)」=第九代平戸藩主
    肥前平戸藩主
    松浦清
    号は静山
    の随筆集
    正編百巻、続編百巻、三編七八巻
    著者、六二歳の
    1821年12月11日
   (文政4年11月17日)・・・十一月十七日
    甲子夜に起稿
    天保十二年(1841)六月二十九日
    の死亡の日まで書き記された
 ・・・ほど=解・觧・舗土・歩度・程
    とぎ=土岐・富来・伽  
    ほと=御陰・陰所・女陰
    とき=朱鷺・斎・鴇・解き
    ほと=女性器の外陰部のような形状
       形質(湿地帯)
       陰になる場所の地形・・・岐阜?
 ・・・「美蕃登見炙而病臥在(古事記)」
     蕃登=ほと=火門・含処・陰・火陰・火戸
       美保登 御陰


 ・・・織田信長が
    1567年(永禄十年)
    信長三十四歳
    齋藤龍興がこもる
    稲葉山城・・・金華山
           金華山は
           金花山、一石山、破鏡山とも呼ばれた
           岐阜県岐阜市
           北緯35度26分・東経136度46分
           独立峰・堆積岩
           七曲り登山道
           馬の背登山道・百曲り登山道・東坂登山道
           鼻高登山道・達目(だちぼく)登山道
           大釜登山道・大参道登山道・唐釜登山道
           長良川・金華山
           鵜飼い
    を攻め落とし
    稲葉城(岐阜城)を支配し
    天下布武を
    城下町の
   「井ノ口(ほど?)」を「岐阜」と改めた
    中国の
    文王が
    八百年の天下泰平の世を築いた
    「岐山」の「岐」と
    孔子が生まれた
    「曲阜」の「阜=𠂤+十」をとって
    「岐阜」と名付けた
    阜=𠂤+十
      𠂤=丿+㠯=つちくれ・タイ・シ
        魁・異体字は堆・・・碓
        肉塊・干し肉・生贄の肉
        㠯=異体字
          㠯=以・已
            苢・阜・官・帥・追・師
            菅・悺・埠・耜・蛗・悹
            逭・琯・棺・獅・痯・蒒
            遣・管・槌・綰・輨・磓
            薛・館・錧・篩・舘・螄
            辥・縋・顊・歸・鎚・繾
         芣苢(フイ)草名・オオバコ科
         薏苢(ヨクイ)草名・イネ科
   「岐阜は、元は岐府(きふ)で
    美濃源氏土岐氏の根拠地
    河手城の城下を「岐府」と呼んでいた」
   「古来、岐府、岐陽、岐山、岐下と書き
    明応永正の頃より旧記に岐阜と見え
    信長の命名にあらず
   (岐阜市教育会編、1915年(大正四年)」
   「『美濃国諸旧記(寛永・正保?)』に
    稲葉山を岐山、里を岐阜と呼び
    信長が岐阜・中節・井ノ口・今泉・桑田
    を合併し、岐府と称したとし
    岐阜は古来の字で
    信長は岐府と府の字を使ったと主張」
 ↓↑
 ほととぎす・・・咽喉が赤い・・・血反吐・・・
 杜鵑・霍公鳥・時鳥・子規・杜宇・沓手鳥・蜀魂
 ↓↑
 不如(しかず)
 不如(いつそ)
 不如=…に及ばない
    甲不如乙=甲は乙に及ばない
 ↓↑
 与其 甲…不如 乙
 不如去死
 百聞不如一見
 ↓↑
 不如・・・・・・不如意
 かえって・むしろ
 却って・却りて
 反って・反りて
 寧・寧ろ
 ↓↑
 文王(寧王・紀元前1152年~紀元前1056年)
 中国の周朝の始祖
 姓は姫
 諱は昌
 父は季歴
 母は太任
 兄は
 虢仲
 虢叔
 周の創始者
 武王の父
 ↓↑
 文王は商(殷)に仕え
   ・・・商(殷)の王は
      帝辛 (紂王)
 三公の地位にあり
 帝辛 (紂王)に幽閉された時
 周易を書いた
 父である
 季歴の死後に
 周の地を受け継ぎ
 岐山のふもとより本拠地を
 灃河(渭河の支流)の西岸の
 豊邑(豐邑・後の長安の近く)
 に移し、仁政・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・
 カッコウ目カッコウ科の鳥
 全長約30センチメートル
 尾羽が長い
 背面は灰褐色
 腹面は白色で黒い横斑
 ウグイスなどの巣に卵を産み「托卵」
 鳴き声は鋭く
 「テッペンカケタカ」・・・?天辺(頂辺)架けたか
 夏鳥として渡来
 山林で繁殖して東南アジアに渡る
 卯月(うづき)鳥
 早苗(さなえ)鳥
 あやめ鳥
 橘鳥・時つ鳥
 いもせ鳥・たま迎え鳥
 しでの田長(たおさ)
 などの異名
 季語 夏
 枕詞 飛ぶ意から「飛幡(とばた)」に掛かる
 「ホトトギス」、俳句雑誌
 1897年(明治30)柳原極堂が松山市で創刊
 翌年,発行所を東京に移し
 高浜虚子が正岡子規らの協力を得て続刊
 俳句革新運動の拠点となる
 新傾向俳句運動に対して客観写生を唱え
 花鳥諷詠の伝統を守り
 俳壇の主流を形成
 夏目漱石らの作品を載せ
 写生文の発達に貢献
 「不如帰」、小説
 徳富蘆花
 1898年(明治31)~99年
 「国民新聞」連載
 若夫婦の幸福な結婚生活が
 明治社会の中で崩壊していく家庭小説
 「不如帰 (小説・明治33年)」、徳冨蘆花の小説
ーーーーー
 ・・・

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太(おほの)公(おおやけ)望(のぞむ)・・・願望・・・

2018-04-29 23:14:59 | 古事記字源

 ・・・「太公望(釣り師の代名詞)」・・・「呂尚(リョショウ)は、紀元前11世紀ごろの古代中国・周の軍師、後に斉の始祖・姓は姜・氏は呂・字は子牙、牙・諱は尚・軍事長官で師尚父・謚は太公・斉太公、姜太公」・・・「在位期間前1021年頃?~前1000年頃」・・・
 「ミッション・インポッシブル(mission impossible)」・・・「危険で難しい任務(an extremely dangerous or difficult mission)」・・・?
 ・・・「Mission: Impossible=ミッション:実行不可能」・・・
 尖閣列島≠魚釣島・・・???・・・「太公望(釣り師の代名詞)」・・・「釣魚台」・・・「竹島≠独鈷島≠独島(獨島・トクト・Dokdo)」=「リアンクール岩礁 (Liancourt Rocks)」・・・
 フランス語=Liancourt=リャンクール=リアンクール
 Liancourt Rocks リアンクール-ロックス=岩礁
 court はフランス語だと「短い」
     英   語で 「裁判所」
 「Liancourt=Lian+court」
 「竹島=Liancourt Rocks=リアンクゥル-ロックス=岩礁」
             理案区得留-録句諏
 捕鯨船の名前・・・「船の名前はピカルディーにある街の名前」
 「Landulficurtis」⇔「Landulf の領地」
 ・・・なんで、「独島」なんだか・・・孤独・・・独逸・・・
 ・・・「いもむし・あおむし・中国の国名・四川省の別名・蜀相・蜀道・とうまる・ニワトリの大きいもの」
 「巴蜀(ハショク)・望蜀(ボウショク)
  蜀椒(さんしょう)・蜀犬(ショッケン)
  蜀魂(ショッコン) ・蜀葵(たちあおい)
  蜀椒(なるはじかみ) ・蜀魄(ほととぎす)
  蜀黍(もろこし)・蜀魂」
 「α+蜀」・・・「獨・噣・擉・濁・襡・觸・燭・躅・蠋」・・・
ーーーーー
 春秋時代の各諸侯の爵位(春秋時代)
 公=宋・虞・虢
 侯=魯・斉・晋・陳・衛・蔡
 伯=鄭・秦・燕・曹
 子=楚・呉・越
   ・・・子爵は「異民族」に与える爵位
 男=許
 ↓↑
 周王朝から
 楚・呉・越は「異民族」
 斉は
 侯爵で「異民族」として扱っていない
 太公望呂尚=姜尚
       姜族の出身で
       姜=羌で異民族
 周王室=羌の
     太公望は羌で「異民族」
     周の文王は岐山を拠点とし
     その西側が羌族のエリア
     周=羌族
     「異民族」が中央政権になって
     自分たちは「異民族」ではなくなった
     今の政権にとって、
     自分たちとは
     「異なる民族」だという程度の意味
 ↓↑
 太公望は
 曲がっていない釣り針に
 餌もつけず
 川の水面よりも上に垂らしていた
 「太公釣魚、愿(願)者上鈎」
 「喜んで騙される」
 「騙されたものが悪い」
 という意味
 ↓↑
 姜子牙「釣魚台」風景区
 (中国宝鶏市陳倉区天王鎮)・・・陳倉=陈仓
 釣魚台は
 周建国の功臣
 太公望が
 周の
 文王と出会った場所
 ↓↑
 釣魚台
 商(紀元前1600~紀元前1046年)末から
 周(紀元前1046~紀元前256年)の初頭
 姜子牙(姜太公=太公望)
 がこの地で釣り糸を垂れていた場所
 808年間続く周王朝の基礎を作った
 「太公釣魚、願者上鈎
  (太公に釣られるものは
   自ら進んでかかったものだ)」
 「任凭風浪起、稳座釣魚台
  (危険に遭遇しても動揺しない)」
 などの言技(諺・ことわざ)がこの地から生まれた
 ↓↑
 「太公望の魚釣り(太公釣魚)」
 「下手の横好き」
  呂尚は曲がっていないまっすぐな針を使い
  敢えて釣り針を水中には入れず
  水面から三寸上に垂らしていた
 ↓↑
 陳倉の戦い(チンソウのたたかい)
 中国の三国時代
 蜀(蜀漢)と
 魏による
 陳倉(宝鶏市陳倉)での戦い
 蜀の右将軍であった
 諸葛亮の率いる大軍が
 魏の
 郝昭・王生らが防衛する寡兵の
 陳倉城を包囲したが
 落城させることができなかった
 228年
 第一次北伐で
 蜀軍は
 南安・天水・安定の3郡を
 魏から寝返らせたが
 街亭で蜀軍先鋒
 馬謖を魏の
 張郃が打ち破ったため
 蜀軍は雍州から撤退
 魏の大将軍
 曹真は再び
 諸葛亮が北進し
 陳倉道を使用すると予測
 ↓↑
 陳倉(チンソウ・チンサウ)県
 侯国秦の
 武公が都とした
 雍=陳倉城
 県内に
 石鼓山があり
 兵乱が起こらんとするとき
 自然に鳴りだす・・・
 賊の王国が
 叛乱を起こしてこの城を囲んだが
 守りが固かったので城は陥落しなかった
 王国は
 皇甫嵩の追撃を受けて敗走
 もともと
 秦の文公の築いた城の
 防御能力は高くなかったので
 郝昭が新たに下城を築き
 文公の上城と連結させて防御能力を高めた
 諸葛亮は陳倉城に攻撃をかけても
 陥落させられず、撤退
ーー↓↑ーー
 ・・・???・・・
ーー↓↑ーー
 紐革饂飩(ひもかわウドン)
 革紐(かわひも・カクチュウ)のように
 平たく打った饂飩(うどん)
 棊子麺(キシメン)
 ひぼかわうどん・・・平うどんを関東では「ひぼかわ」
           または「ひもかわ」と呼んだ・・・
 紐=糸+丑・・・糸(いと)の丑(うし)
 革=廿+口+十
   廿(にじゅう)の
     口(囗)を
      十(重ねる・拾う・刈る=乂る・足)
 ↓↑
 饂飩(ウドン)
 小麦粉の皮に餡を包んで煮た
 「混飩(コントン)」という唐菓子
 「混飩」⇒「食+昆+食+屯=餛飩」⇒温飩」
      「温飩=オントン⇒饂飩」
       漢音
      「うんどん(ウントン)」
 ↓↑
 ひもとく=繙く・紐解く
      書物の帙 (チツ) の紐を解く意
      書物を開く・本を読む
      書物などで調べて真実を明らかにする
      衣服の紐、下紐を解く
      蕾(つぼみ)が開く
 ↓↑
 下紐が解ける
 相手に思われていると、下紐が自然に解けると信じられていた
 「我妹子 (わぎもこ) し
  我を偲ふらし草枕旅のまろ寝に下紐が解けぬ〈万・三一四五〉」
  結ばれていたものが解ける意から「花が開く」
 ↓↑
 「書物の帙(チツ)の紐を解く
  書物をひらいて読む・紐どく」
 「~の謎を紐とく・原因を紐解く
  最新の成果を紐解く」
 ↓↑
 「帙(チツ)=巾+失(𠂉一人)・・・「𠂉=ノ-」
       =書物の損傷を防ぐために包む覆い
  厚紙を芯(シン)とし、表に布を貼(は)って作る
  文巻(ふまき・ブンカン)・文包(ふみづつみ・ブンポウ)」
         文煥            文法
ーーーーー
 ・・・「太公望(釣り師の代名詞)」・・・
 在位期間前1021年頃?~前1000年頃
 一族の本姓は姜氏
 支族は
 呂(河南省南陽市西部)
 or
 申(陝西省と山西省の境)
 の地に移住、
 呂姓を称した
 元は人、飲食業で生計
 ↓↑
 周に仕える以前は
 殷の帝辛 (紂王) に仕えたが
 帝辛が無道で立ち去り
 諸侯を遊説
 最後は西方の
 周の西伯昌 (文王) のもとに身を寄せた
 周の軍師として
 昌の子の発 (武王) を補佐
 殷の諸侯である
 方の進攻を防いだ
 殷を
 「牧野の戦い」で打ち破り
 営丘(山東省淄博市臨淄区)
 を中心とする
 斉に封ぜられた
 赴任後
 呂尚は隣接する
 莱の族長の攻撃を防いだ
 営丘が位置する山東は農業に不適で
 漁業と製塩によって
 斉は国力を増した
 斉は成王から
 黄河、穆棱(湖北省)、無棣(河北省)
 に至る地域の諸侯が反乱を起こした時
 反乱者を討つ権限を与えられた
 死後
 丁公が跡を継いだ
 ↓↑
 呂尚は部族集団の長とみなされ
 周と連合して殷を滅ぼした
 春秋初期
 斉は、自国の権威を高めるために
 始祖である呂尚の神格化を行った
 呂尚の著書と謂われる
 『六韜』
 『三略』
 唐代に重要視され
 731年
 玄宗によって
 呂尚と前漢の
 張良を祀る
 太公廟が各地に建立
 760年
 粛宗から
 武成王を追贈
 太公廟は武成王廟と呼ばれる
 文宣王孔子とともに
 文武廟に祭祀
 古今の名将十人が
 唐代の史館により選ばれ
 太公望と共に祀られた(武廟十哲)
 782年
 徳宗の命により
 唐代の史館が
 新たに六十四人の名将を選出
 武成王廟に合祀(武廟六十四将)
 明の時代
 洪武帝は周の臣下である
 呂尚を王として祀るのは不適当であるとし
 武成王廟の祭祀を中止させた
 呂尚は
 後世の兵法と
 周の権謀術数を論じる人間の尊敬の対象とされ
 兵法書『六韜』は呂尚の著書とされたが
 『六韜』は後代の人間による著作で
 実際に書かれた時期は戦国末期以降
 『三略』の著者にも仮託
 後秦の王嘉が編集した
 『拾遺記』
 「覆水盆に返らず」
 『漢書』に収録された
 朱買臣の逸話など
 類似するエピソードが多く存在
 ↓↑
 明代
 謝詔が著した
 「風月夢」第十回に
 「姜太公釣魚願者上鉤」
 という句
 ↓↑
 「封神演義」
 では
 呂尚姜子牙
 と称し
 殷周革命を指揮する
 周の軍師
 崑崙山の闡教の道士として登場
 澎湖県
 馬公市には
 呂尚は封神の儀式を行った後
 自分が封ぜられる地位が無くなったため
 「石敢當=石敢当」
 ↓↑・・・石敢當(いしがんどう・いしがんとう・セッカントウ)
   石敢當と文字が刻まれた魔よけの石碑や石標
   石敢当、泰山石敢當、石敢東、石散當、石散堂、石厳當
   と書かれたものもある
   日本では主に沖縄県や鹿児島県にある
   元は中国伝来の風習で、福建省が発祥
 ↓↑泰山の頂上にも石敢當が存在
 という魔除けの神様に変化・・・
ーーーーー
 ・・・
 太公望は渭水で釣りをしていたが
 あるとき3日間何も捕れず
 腹立ちまぎれに帽子をたたきつけると
 異形の人が現れ
 その指示どおりすると
 (鮒)フナと(鯉)コイが釣れた
 ↓↑
 呂尚が釣り糸を垂れているところに西周の領主
 西伯候『姫昌(きしょう)』が通りかかり
 祖父、
 周の大公が云っていた
 周の統治変革を助ける賢人が現れたと
 リクルートされ
 後に『周の文王』と諡
 ↓↑
 文在寅(1953年1月24日)
 生年1953
 壬辰(乙・癸・戊)
 生月0001
 癸丑(癸・辛・己)
 生日0024
 乙亥(戊・甲・壬)
  申酉=空亡
ーーーーー
 ・・・???・・・

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2018年4月27日午前9時半・・・11年後・・・紐解(ひもとく・チュウカイ)

2018-04-27 23:50:03 | 古事記字源

 ・・・「ひとらぁ」の「ガイコウ」・・・「アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler・1889年4月20日~1945年4月30日)」・・・紐帯(チュウタイ)・紐育(ニューヨーク)・紐(ひも)・

紐革饂飩(ひもかわウドン) ・紐解(ひもとく・チュウカイ)・・・

ーーーーー
 1889生年4月20日   ~1945年4月30日
 己 丑(癸・辛・己)⇔乙酉(庚・ ・辛)
 0004生月
 戊 辰(乙・癸・戊)⇔庚辰(乙・癸・戊)
 0020生日
 丙 寅(己・丙・甲)⇔己巳(戊・庚・丙)
   戌亥=空亡
 従児格?
ーーーーー
 2018年4月27日午前9時半
 11年ぶりの南北首脳会談・・・「十一とし・ネン」を振る・・・?
 ↓↑
 2018年
 戊戌(辛・丁・戊)
  冲戊
 0004月
 丙辰(乙・癸・戊)印綬⇔偏官・偏財・劫財
 0027日
 己丑(癸・辛・己)比肩⇔偏財・食神・比肩
  午未=空亡
 0009時~
 戊辰(乙・癸・戊)
 ↓↑
 ~0009時
 己巳(戊・庚・丙)
ーーーーー
 ・・・?

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22年(とし)2月(つき)11日(ひ)

2018-04-25 21:38:48 | 古事記字源

 ・・・「日月」の「水厶口」の「二十二」と「二」と「十一」って・・・「明治二十二年二月十一日」・・・帝國憲法公布・・・「弐拾弐(ネン)貳(ガツ)拾壱(ニチ)」、「念似(撚)邇(臥通・解蚪)拾壹(二値)」?・・・十(とう・ジュウ)=拾(ひろう・ジュウ)=足(たり・あし・ソク)・・・
 昭和二十年八月十五日・・・悔しかったのか、ホッとしたのか・・・
ーーーーー
 1889年(明治22年)2月11日⇔二十二年二月十一日
 帝國憲法公布        弐拾弐 貳 拾壱
 ↓↑            念似撚 邇 拾壹
 己丑(癸・辛・己)
 丙寅(己・丙・甲)偏印⇔偏印
  三合丙偏印
 戊午(丙・ ・丁)
  子丑=空亡
 ↓↑
 1890年(明治23年)11月29日
 帝國憲法施行
 庚寅(己・丙・甲)食神⇔
 丁亥(戊・甲・壬)印綬⇔冲
 甲寅(己・丙・甲)偏官⇔三合丙偏印
 ↓↑
 1941年(昭和16年)12月8日
 真珠湾攻撃
 辛巳(戊・庚・丙)傷官⇔
 庚子(壬・ ・癸)食神⇔
 庚寅(己・丙・甲)食神⇔三合丙偏印
 ↓↑
 1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分
 広島市への原子爆弾投下
 乙酉(庚・ ・辛)正官⇔三合辛傷官
 癸未(丁・乙・己)正財⇔
 丁未(丁・乙・己)印綬⇔支合丙偏印
 甲辰(乙・癸・戊)偏官⇔正官
 ↓↑
 1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分
 長崎市への原子爆弾投下
 乙酉(庚・ ・辛)正官⇔三合辛傷官
 甲申(己・壬・庚)偏官⇔冲・劫財・偏財・食神
 庚戌(辛・丁・戊)食神⇔三合丙偏印
 辛巳(戊・庚・丙)傷官⇔
 ↓↑
 1945年(昭和20年)8月15日
 敗戦
 乙酉(庚・ ・辛)正官⇔三合辛傷官
 甲申(己・壬・庚)偏官⇔冲・劫財・偏財・食神
 丙辰(乙・癸・戊)偏印
 ↓↑
 1945年(昭和20年)9月2日
 東京湾上の米戦艦ミズーリ号の甲板で
 降伏文書の調印式
 乙酉(庚・ ・辛)正官⇔三合辛傷官
 甲申(己・壬・庚)偏官⇔冲・劫財・偏財・食神
 甲戌(辛・丁・戊)偏官⇔三合丙偏印
ー↓↑ー↓↑ー↓↑ー
 1946年(昭和21年)11月3日⇔拾壱・参
 日本国憲法発布
 丙戌(辛・丁・戊)正官⇔偏官
 戊戌(辛・丁・戊)印綬⇔印綬
 辛巳(戊・庚・丙)⇔
  申酉=空亡
 ↓↑
 1950(昭和25年)6月25日
 朝鮮戦争勃発
 庚寅(己・丙・甲)劫財⇔
  三合丙正官
 壬午(丙・ ・丁)傷官⇔
  支害
 辛卯(甲・ ・乙)比肩⇔偏財
 ↓↑
 1960(昭和35年)5月20日未明
 新安保条約強行採決
 1960年6月15日
 第18次統一行動
 全学連国会突入事件
 1960年6月18日
 安保条約自然承認
 ↓↑
 1967年10月8日
 第一次羽田闘争
  丁未(丁・乙・己)
  己酉(庚・ ・辛)
 乙巳(戊・庚・丙)
 ↓↑
 1967年10月31日
 吉田茂元首相、日本武道館で国葬
 (1878年(明治11年)9月22日・・・11・9・22
  戊寅(己・丙・甲)正官
  辛酉(庚・ ・辛)偏印⇔偏印
   冲
  癸卯(甲・ ・乙)
   辰巳=空亡
   ~
  1967年(昭和42年)10月20日)
  丁未(丁・乙・己)偏財⇔
   破
  庚戌(辛・丁・戊)印綬⇔支害
  丁巳(戊・庚・丙)偏財⇔
 ↓↑
 1967年11月12日
 第二次羽田闘争
 ↓↑
 1968年4月1日
 日向灘地震発生(M7.5)
 震度5
 延岡市・宿毛市で観測
 3mの津波四国
 戊申(己・壬・庚)
 乙卯(甲・ ・乙)
 辛丑(癸・辛・己)
  未?
 ↓↑
 1968年10月21日
 国際反戦デー・騒乱罪適用
 1968年12月10日
 三億円事件
 戊申(己・壬・庚)
  三合癸
 甲子(壬・ ・癸)
 甲寅(己・丙・甲)
 ↓↑
 1969年1月18日~19日
 東大安田講堂攻防戦
 ↓↑ 
 2018年3月11日14時46分18秒
 東北大震災
 辛卯(甲・ ・乙)比肩⇔支合丁偏官
 辛卯(甲・ ・乙)比肩⇔支合丁偏官
 乙丑(癸・辛・己)偏財⇔
  冲己偏印
 癸未(丁・乙・己)食神⇔
 ↓↑
 2016年(平成28年)4月14日21時26分
 熊本地震
 震度7は4月16日未明にも発生
 丙申(己・壬・庚)正官⇔
 壬辰(乙・癸・戊)傷官⇔
 丙寅(己・丙・甲)正官⇔
 戊戌(辛・丁・戊)印綬⇔
 021  011  003
 丙戌・戊戌・辛巳・申酉=空亡
冲 害
ーーーーー
 ・・・???・・・

コメント
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女神の舞台の幕は捌・・・高木の二女神・・・

2018-04-24 20:18:08 | 古事記字源

 ・・・金メダルを含む計五つのメダルを獲得した姉妹の高木菜那(25)、美帆(23)両選手が22日、故郷の北海道「幕別町」で凱旋(ガイセン)パレード」・・・幕は別・・・
 ↓↑
 1945(昭和20年8月15日・敗戦)
 乙酉(庚・ ・辛)
 甲申(己・壬・庚)
 丙辰(乙・癸・戊)子丑=空亡
 ↓↑
 1946(旧暦1946年6月25日・室宿・赤口)
    7月23日日本新聞協会設立(1946年)
    7月フィリピン独立
      フランス・ベトナム和平交渉
    8月憲法9条の戦争放棄条項につき
      日本国憲法案・芦田修正
    国鉄9・15ゼネストめぐり紛糾
    9月マッカーサー、日本の炭鉱国家管理を提案
      ギリシャ内戦
    10月シベリア引き揚げ開始
    1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法発布
    丙戌(辛・丁・戊)
    戊戌(辛・丁・戊)
    辛巳(戊・庚・丙)
    申酉=空亡


 ↓↑
 1947・1948・1949
 1950(昭和25年6月25日朝鮮戦争勃発)
 庚寅・壬午・辛卯
 1951(昭和26年)
 1952(昭和27年10月9日公開・生きる)
 1953(昭和28年7月27日朝鮮戦争休戦)
  癸巳・己未・己卯
 ↓↑
 1954(昭和29年4月26日公開・七人の侍)
 1955(昭和30年)3
 1956(昭和31年)4
 1957(昭和32年)5
 1958(昭和33年)6
 1959(昭和34年)7
 1960(昭和35年)8
 1961(昭和36年)9
 1962(昭和37年12月1日公開・忍びの者)
 1963(昭和38年)11
 1964(昭和39年)12
 1965(昭和40年9月18日公開・血と砂)
 1966(昭和41年)
 1967(昭和42年4月29日公開・ある殺し屋)
 1968(昭和43年)
 1969(昭和44年1月18日~19日東大安田講堂攻防戦・逮捕者600名以上
        10月21日国際反戦デー
        11月16日翌日にかけ佐藤首相訪米阻止闘争
        2500人超の逮捕者
 1970(昭和45年3月14日~9月13日日本万国博覧会・大阪万博)
        3月31日日本航空機よど号ハイジャック事件
        5月4日米ケント州立大学銃撃事件
        集会の参加者に州兵が発砲4人死亡者と9人重軽傷者
        6月23日日米安全保障条約自動延長
        安保反対統一行動77万人参加
        11月25日三島由紀夫、市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部
        で割腹自決(三島事件)
        12月3日中国・新華社通信が
        「尖閣諸島は中国領」と報道
        12月20日沖縄コザ暴動
 ↓↑
 「凱旋(ガイセン)パレード」=「聖者の行進」
 「骸旋(ガイセン)パレード」=「生者の行進」・・・?
 ↓↑
 「血と砂・岡本喜八・三船敏郎、仲代達也、伊藤雄之助・佐藤允・団令子(お春こと金春芳)・三船プロ・1965年9月18日公開の日本映画・伊藤桂一原作“悲しき戦記”」・・・「団令子」の「おハルさん」には惚れた・・・
 「聖者の行進(When The Saints Go Marching In)・黒人の葬儀で埋葬の後、この曲を演奏しながら行進し散開、帰宅する」・・・
 「独立愚連隊・劇場公開日・1959年10月6日」の「佐藤允と雪村いずみ」の大ファンになってしまった・・・「トミ」には惚れた・・・
 悪役の多い「伊藤雄之助」は大嫌いだったが「忍びの者(1962年12月1日公開)」から大のファン・・・
 殺人狂時代 (1967年の映画)・・・
ーーーーー
 みふねとしろう
 誕生日 1920年4月1日
 没 日 1997年12月24日
 出 身 中国・青島
ーーーーー
 1920生年庚申(己・壬・庚)⇔1997没年丁丑(癸・辛・己)
 0004生月己卯(甲・ ・乙)⇔0012没月壬子(壬・ ・癸)
 0001生日己丑(癸・辛・己)⇔0024没日庚子(壬・ ・癸)
      午未=空亡
ーーーーー
 団 令子
 1935年3月26日    2003年11月24日
 乙亥(戊・甲・壬)⇔癸未(丁・乙・己)
 己卯(甲・ ・乙)⇔癸亥(戊・甲・壬)
 辛丑(癸・辛・己)⇔辛丑(癸・辛・己)
  辰巳=空亡
ーーーーー


 夔(キ)=止(正)+首+匕+夂(夊・攵)
      妖怪
      夔牛(キギュウ)
      一本足で
      音楽と深い関係にある・・・ナゼ?
      夔(キ)
      妖怪の夔・人間の夔
      山梨岡神社の
      キ神像と日本の夔
      殷代に信仰された神
      夔龍とも呼ばれる龍神
      一本足の龍の姿
      その姿は鳳と共に
      銅鏡等に刻まれた
      一本足とされる神
      夔は蚿をうらやみ
      蚿は蛇をうらやみ
      蛇は風をうらやみ
      風は目をうらやみ
      目は心をうらやむ(荘子・秋水篇)
      東海中に流波山があり
      海に入り七千里
      その上に獣在り
      形状は牛のようで蒼身で角は無く
      一本足で水に出入りする際に
      必ず風雨が起こった
      太陽や月のように輝き
      その声は雷鳴のようであった
      名を夔と言った
      黄帝がこの夔を捕まえ
      その皮で太鼓を作った
     (山海経・大荒東経)
      夔神鼓(キジンコ)
      商時代後期
      前11世紀
      高82.0?
      両鼓面に鰐皮を張って
      鋲留にした様子を表現した
      青銅製の太鼓
      下底は大きな方孔があいて
      短い尖足が4個付いている
      全体を3~5mm位の厚さ
 「夔は舜の典楽の臣の名で
  音楽の一事に達しているのみで
  値打ちのあることをいう(出典:韓非子)」

 「蚿(ゲン)=やすで・おさむし・たいこむし
        やご(水蠆)・・・蠆=萬(䒑甲)+虫(中ム)
                   禺=甲+冂+ム=甲+禸
 「夔立(キリツ)=恭敬の様子
          夔が一足で立つように
          謹んで直立すること
ーーーーー

 聾瘖(deaf and dumb)
 盲聾瘖瘂、感覚器官に欠陥
 ↓↑
 醜陋頑愚盲聾瘖瘂攣躄背僂白癩癲狂
 種種病苦
 聞我名已一切皆得端正黠慧
 諸根完具無諸疾苦
 ↓↑
 訓読
 第六の大願に
 願はくは
 我れ来生に菩提を得ん時、
 若し諸の有情
 其の身下劣にして
 諸根具せず
 ↓↑
 醜陋 シウロウ
 頑愚 グワング
 盲聾 マウリョウ
 瘖唖 オンア・インア
 攣躄 レンヘキ
 背僂 ハイル
 白癩 ビャクライ
 癲狂 テンキョウ
 ↓↑
 種種の病苦あらん
 我が名を聞き
 已をはらば
 一切皆 端正
 黠慧(かつゑ)
 にして、
 諸根完具し、諸の疾苦無きことを得ん
 第七大願
 願我来世得菩提時
 ↓↑
 八難
 仏を見ず
 法を聞くのに妨げとなる八つの境界
 地獄・餓鬼・ 畜生・長寿天・辺地
 盲聾瘖瘂(モウロウインア)
 世智弁聡(セチベンソウ)
 仏前仏後
 八つの災難
 飢・渇・寒・暑・水・火・刀・兵
 の難
 八つの欠点
 転じ、多くの欠点
 七難
 ↓↑
 瘖啞
 瘖唖(いんあ)
 おし
 言葉を発する能力がないこと
 聴覚障害を原因とするもの
 ↓↑
 瘖唖者ノ行為ハ
 之ヲ罰セス
 又ハ
 其刑ヲ減軽ス
 (旧刑法第40条 1995年削除)
 . 類義語、喑唖
ーーーーー
 資本家&労働家
 資本家=労働家
 資本=労働
 資本家≠労働者
ーーーーー
 ・・・???・・・「同類の人間=資本人=労働人」・・・?・・・「働き者=怠け者」・・・「働き者=働けない者」・・・マクは捌・・・舞台の幕は捌・・・

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